アカネイア暦540年 モスティン 11歳(k)
「あなたの村はいま、転換期に来ているの」
最新の海図をテーブルに広げたブラックリーが、俺の村の位置にリバースの白駒を置いた。同様にワーレン、北の港、南の集落にも同じく白駒が置かれる。
「何十年、もしかすると何百年もの間、あなたのご先祖様は生き延びることだけを目的にしてきた。海賊の目につかないような生活を心がけてね。でも、これからは無理。すでにペラティ海賊があなたの村の位置を共有したでしょう。壊滅した南の集落を根城として、陸の活動を始めてもおかしくないわ。そんな環境で現状維持に留めることは死を意味する。そうよね、トワイスさん?」
「酷な話ですが、ブラックリーの予測の通りでしょう。アカネイア中から犯罪者が送られてくる以上、ペラティには常に人的資源が補充されてしまう。当然、彼ら全員が食べていけるだけの食料はなく、食い扶持を稼ぐために海賊となる。村や港にとっては、終わりのない防衛戦が延々と続くわけです」
……俺達の生きるこの世界は、賽の河原にテクスチャでも被せたまがい物ではなかろうか。ひたすら石を積んでは完成寸前に邪魔が入って崩される、その繰り返しである。神に見捨てられたような救いの無さ。
そんな地獄をぶち壊すために、俺は来たのだ。
「ここまではいいわね? このどうしようもない前提を踏まえた上で、大切な質問をするわ」
「――――モスティン君。あなたは、村をどう変えたいの?」
答えはもう決まっている。
「みんなが安心して海に出られるようにする」
そのためには、何が要る?
「海賊と戦えるだけの兵と施設。それらを養える生活基盤。100人と少しの人口じゃ足りない。200人、300人? もっとだ。どうしようもなく足りないんだよ、このままじゃ」
敵はペラティ海賊だけではない。海賊同士のツテで、いずれはガルダ海賊にも村の所在を知られるだろう。際限なく増えるふたつの組織を敵に回して、129人の村が何回襲撃に耐えられるのか。
選択の余地はない。俺達は否応なしに武器を取らざるを得ず、村を限界まで拡張しなくてはならないのだ。ド田舎にありがちな、見知らぬ他人を拒絶する精神なんぞ何の役にも立たない。そんなものにこだわっていたら滅亡待ったなしである。
……それを説得するのが俺の仕事なんだけど。胃が痛くなるね。でもしょうがない、やるって決めたんだから。他の誰でもない、俺が納得して決めたことだ。
「あなたも苦労したみたいね」
若干遠い目になりかけた俺を見て、ブラックリーが苦笑しながら頷いた。彼にも似たような経験があったのだろう。大勢の意見をまとめて、調整して、反対派を説得する。管理職の仕事なんてそんなもんだ。
「でも、その必要はないかもしれない」
「というと?」
「あなたが信頼を得たからよ。2年間の下地と、立て続けの激戦に勝利したという実績は誰にも否定できないわ。それに、これまで村を牽引してきた層が完全に消失したことで、あなたの意思がそのまま村の決定に直結するようになった。村社会という閉鎖環境においてはあり得ないことよ。奇跡といってもいい」
いまの村における主軸は完全に改革派である。保守派の中核ということになっていた老人達は戦死し、中堅にあたる大人達も俺の支持に回ってくれた。合流してきた南の集落の人々にいたっては、村が気を遣ってしまうくらいに腰が低い。もうちょっと意思表示してくれないと俺が後で困るのだが。主に仕事の面で。
士気も高い。俺とマックスが勝利した実績と、老人達がその身を犠牲にして女子供を守った姿が生き残った人々の心を燃やしているからだ。海賊ごときに屈してたまるか。こと戦闘において、村はかつてないほどに団結している。
戦って死ぬのも辛いが、ミナ達が奴隷になって売り飛ばされるなんて未来はノーセンキューだ。座して死を待つより、意地もプライドもかなぐり捨てて戦い抜いてくれるわ。村を出る際に俺が音頭をとって男達の決起集会を開いたところ、満場一致で賛同を得た。
つまるところ、村を根本的に変えたいと俺が宣言するなら、いまが絶好のチャンスなのだ。知り合いとはいえ数十人の他人が入ってきたんだから、そこに新顔が増えたって大差はない。おらが村のグローバル化にはもってこいな状況というわけである。
方向性は決まった。
村の意思も問題ない。
「と、いうわけだから」
「協力よろしく、トワイスさん」
「……やはり、そうなりますか」
ワーレン有数の商家が眉間に皺を寄せる。わかっていただろうに、トワイス。商談の場所を提供するだけで終わるはずがないことぐらい。当然、あんたにも仕事を用意してある。
「2年前まで未開の原住民やってたド辺境の漁村に、人集めのツテもコネもあるわけないだろう。管理のノウハウも学ばないといけないのに」
「消臭炭とレシピの手数料、ずいぶんと色を付けたつもりですが」
コストに見合った分の義理は果たしている、と主張してくる。ローリスクでハイリターンをとる商人らしい算盤勘定だが、それではこちらが困るのだ。身銭を切ってもらわないと。だからさ、
「みんなで幸せになろうよ」
海図の一点。開拓都市ガルダがあるとされる位置に、リバースの黒駒を力強く置いてやる。
「ガルダ海賊の南下阻止」
「!」
「北の港が破壊されたのは、防波堤がなかったか、もしくは機能しなかったからだ。俺達の村がその役割を負担してやる。もちろん、いますぐは無理だけどな。五年後、十年後の長い目で見てほしい」
ガルダ海賊がワーレン近海を荒らすには、どうしたって俺達の生きる島との境にある航路を下らなくてはならない。その入り口に軍港並の防衛施設を作ってしまえば、ガルダ海賊はワーレンに南下できなくなる。幸か不幸か、俺達の村はうってつけの位置にあった。
当然、敵の攻撃が集中する。これまでのように生きのびることだけを優先するなら、そんな選択はできない。だが、もう事情が変わったのだ。敵に居場所を知られた以上、戦いからは逃げられない。そして、戦うためには二手、三手を打つ必要がある。
味方を増やす。これは俺達だけの問題ではない、ワーレンにも関わる公共事業なのだと、目の前の大商人に投資させる。ワーレンのバックアップで建設し、人数を集めてもらおうじゃないか。
「もっと広げちゃいましょうか」
悪い顔になったブラックリーが、もうひとつ黒駒を置いた。ペラティ海賊のアジトとして疑われるペラティ王国の都市。それを覆うようにして、小さな白駒を立て続けに置いていく。
「南の集落の下にある、小さな島々。ここをまとめてペラティ海賊の監視台にしちゃえば、ペラティ海はもっと安全になるじゃない。いずれは北の港とも連携した貿易が可能になる。悪くないんじゃないかしら」
北の村と南の集落。このふたつを両海賊への牽制として、ワーレンをはじめとする商家の安全をつかさどる。
こんなプロジェクトを村ひとつで実行できるわけがない。負担してくれるパトロンが必要不可欠になる。商会が傾くほどの一大事業になると計算したトワイスが、青ざめた顔で俺を凝視してきた。
「……利点は認めます。ワーレンの商人で、北の港が受けた被害を知らぬ者はいませんから。軌道にさえ乗れば、他の商家も参画してくるでしょう」
大勢の人間が生活するということは、衣食住をはじめとする商売の成立に直結する。防衛を目的とした環境なら武具の職人も来るし、現地生産のためには鍛冶屋が雇われる。それは俺達が喉から手が出るほどに欲しい、鉄製品の生産技術に繋がるのだ。
しかし、と続く。
「金銭はいいのです。いや、良くはないのですが、この際それは構いません。事業に出費は付き物ですから。問題は人です。港の軍備を管理する責任者が必要になります。バーンズを撃退したモスティン殿は実績こそ申し分ないのですが、その……社会的な知名度が足りないかと」
ですよねー。
何十、何百と集められた人間を統率するのに、トップに立つのがぽっと出の馬の骨ではどうしようもない。ド田舎の漁村の村長、おまけに11歳のガキに喜んで従う兵隊がいるはずもなく、三日でポイコットされるか下克上に遭うのがオチである。その人選も頼ろうと考えていたのだが、自分で探す必要が出てきてしまった。
勢いが止まりかけた商談の場で、黙っていた少年が挙手をする。
「引き受けましょう」
「ロレンス様!?」
「私もそろそろ、人を使うという実績が欲しいのですよ。グルニアの家名をお貸しします。将軍の嫡子という触れ込みなら、傭兵達も就職を求めて集まるでしょう。見込みのある人材ならグルニアに紹介したいので、それは許可してください」
百人超を率いて戦える地位と、故郷グルニアへの人材斡旋。それらを見返りに、俺の元に来てくれるという。
「……いいのか?」
「私達は対等です。あなたが民を率いるのなら、私は兵を率いましょう。こういう役割分担も悪くはありません」
そういって、目の前の貴公子が面白そうに笑うのである。
「私は経験を積み、あなたは政治に集中する。どちらにも理があり、益がある。それに、国に帰れば私も政治から逃げられません。あなたが何をして、何をしないかを見学すれば、将来への知見になるでしょう。勉強させてもらいますよ、モスティン村長殿」
俺はリトマス試験紙か何かか。
ロレンスが名乗りを上げたことで、部下であるトワイスの逃げ場は完全に失われた。こうなってしまったら、主の安全のために彼も全力を注ぎ込まなくてはならない。自分の保身のために手抜かりでも起こせば、それが原因でロレンスの生死に関わる可能性が出てきてしまったのだ。
降参、といいたげに、盛大な溜息をつく。
「……承知しました。今回の事業、トワイス商会の総力をもって請け負いましょう。ただし、ふたつ条件があります」
切り替わった顔は、生き馬の目を抜くワーレン商人にふさわしいものだった。
「ひとつ。先ほどお話したとおり、事業が軌道に乗った暁には、多くの商家が我も我もと押し寄せてくるでしょう。自分達も既得権益に入り込もうと、さまざまな手練手管を仕掛けてきます。金や資源、女に奴隷。あらゆる誘惑でもってモスティン殿や村人を懐柔するので、十分に気をつけてください。それらを含めた交渉の窓口を、私に一本化させてほしいのです。問題がなければ彼らとの席を用意しますが、そこに私も同席します」
集まってくる商人の中には詐欺師や山師もいるだろう。だが、純粋に商売をしたくて参加する者達も存在する。彼らを受け入れるか、追い出すかの判断を、自分ひとりに委ねるようにとトワイスは要求しているのだ。
これに関しては、トワイスという商人の善性を信じるしかない。村の近代化を助けてくれた恩人であり、ロレンスの部下である彼なら信用できるし、信頼もできる。多少のリスクは承知の上。俺にできるのは、黙って頷くことだけだ。
「ふたつ目は、ロレンス様の安全。難しいとは思いますが、モスティン殿には気にかけていただきたい。ロレンス様も、けして無理をなさらぬように。重ねてお願いいたします」
そういって、深々と頭を下げるトワイスの姿は、どこまでもロレンスを思いやる父のような親愛に満ちていた。
「多くの血が流れるでしょうね」
商談を見守っていたリフが、淡々と告げた。未来を見通すように静かな声だった。
「平和を手に入れるために戦う。同じ人間でありながら、手に手を取り合うことができずに争う。それを愚かと嘆くのは易き道でしょう。困難に遭いては、立ち向かうことが難き道。主のご加護がありますよう、私も微力ながら励みます。さしあたって、慰霊祭と傷薬の処方から始めましょうか」
商談は終わった。一夜明ければ、それぞれが自分に求められた役割のために動き出す。多くの者に別れを告げ、新しい生活に向けて準備を始める。目まぐるしいほどに日常が激変する。
『村を変えてやる』
祖父への誓いを果たすために、俺はこの晩、途方もなく大きな選択をした。あるかどうかもわからない未来に向けて、村という船の舵を切ったのだ。
後戻りはできない。
ただひたすらに、目の前の大海原を突き進むだけだ。