アカネイア暦535年 モスティン 6歳(b)
うちの村では真珠がとれる。ショッキングな事実に仰天した俺だったが、村人のみんなに聞いたところ、
「たまに見つかる綺麗な石だよね。捨てるか飾りにするけど。それが?」
お前はなにをいってるんだ? みたいな顔をされた。
俺が見つけたデカいのを見ても、ほとんど興味無し。若い女性陣からは装飾に使わせてとねだられたが、男性陣にいたっては綺麗なだけで腹の足しにもならない、食事に混ざって歯が砕けそうになる、と邪魔物扱い。この意識は何なのだろうか。少し悩んだが、理解してみれば簡単だった。
誰も価値がわからないのだ。
宝石を高価なもの、貴重品だと知っていたら、手放そうとはしないだろう。少なくとも大事に扱うはずである。間違ってもその辺に投げ捨てたりはしない。
だが、この村には金銭という概念がない。貨幣経済を理解する下地もない。アカネイアの通貨があっても、石ころ未満の扱いをされるに違いない。だって食えないもの。
いくら宝石が転がっていようと、使う機会がなければ何の意味もない。正しく宝の持ち腐れである。誰もそれに気づかないのだから。
……というような話で、爺様と盛り上がった。王都パレスからの漂流者である爺様は、当然ながら宝石の価値を理解している。ここで無駄に捨てられているのも承知している。どうして止めないのか、知らせないのか。
「危険じゃからな」
顎髭をいじりながらの言葉だった。
「賢いお前ならわかっとるじゃろう。この村には何もない―――が、そのおかげで助かることもある。もし村で真珠がとれると広まれば、ガルダ海賊のような外道どもが次々と押し寄せ、あっという間に滅びよう。何の価値もないから狙われない。『無価値の価値』じゃな」
村のまとめ役として生きた老人は、そんな未来を避けるために、あらゆる手段を模索してきたのだろう。まさに薫陶だった。
それにしたって、何も考えずに捨てるのはまずいのではなかろうか。何かのきっかけで流出して、外にバレる危険だってある。
そういうと、爺様がニヤリと笑って床下を指さす。底がやたらと分厚い、頑丈そうな木箱が幾つかあった。開けてみろといわれて従う。
まばゆいばかりの光沢が視界を埋め尽くした。
「ワシが管理しておるのよ。何のために毎日海に出とると思う? 道すがら拾って集めるのさ、ケッケッケ」
末長く生きてください、お爺ちゃん。
何はともあれ、ワーレン商家との交渉材料はクリアとなった。果たしてその時が来るのかという問題は棚上げのままだが、こればかりは運しかない。待つだけの身はこれだから辛い。
今の自分にできるのは、村の改善案をどうにか思いつくことと、海の男にふさわしいスペックになることだ。漁ができなきゃ話にならぬ。ゆくゆくは海女さん級の素潜りを披露してみせる。銛とか好きだよ、俺。
……それはそれとして、真珠は捨てずに村で管理できないか親父に相談する。まずいでしょ、色々と。
アカネイア暦535年 モスティン 6歳(c)
海……良い……。
海……サイッコー……!
毎日が楽しい。獲物が獲れても獲れなくても充実してる。収穫がなかったら村の死活問題なんだけど、今だけは許してほしい。俺、このために生きてる……!
何が良いって、半人前でも漁に出る時点で男手として数えられるから、食い扶持がたっぷりもらえるのだ。当然のように全部食う。俺が手にかけた海の恵みなのだから、責任を持って胃袋に取り込まずしてどうする。
その日も投網をせっせと回収していたら、同舟の大人が妙な悲鳴をあげるのが聞こえた。なんだどうした。
「デビルフィッシュだ! ああ、ついてねぇ!」
腕に巻きついた大ぶりのタコを、思いっきり舟縁に叩きつける。ベチャッと船板に落ちたその頭部を憎々しげに睨んだ。
むんず、と掴む。
「おい、気をつけな坊ちゃん。今みたいに引っ付かれるぞ」
「平気だよ。これ、食わないの?」
「悪魔を食う奴がいるか!」
食わんのか。
やっぱりというか何というか、見た目や偏見、迷信で避けられる食材が結構多い。おまけにタコは苦労して仕掛けた投網も食いちぎってしまうので、漁師の悩みの種でもある。
ならばやってみせましょう。
「爺様、今日のつまみはどう? 美味い?」
「なかなかにイケるな。コリコリとした食感に、ピリリと走る苦味が……こんな食材があったかの?」
「水場の草とデビルフィッシュ」
ブフゥッ! と盛大に噴かれた。
お前はなんて物を食わせるのだ。
悪魔の子め。
それでも海の男か。
などと罵られたが、美味かっただろ? と聞いたら、苦虫を嚙み潰したような顔で頷いていた。
正直になりたまえ、呑兵衛ならタコワサの魅力がわかるだろう。おまけに調味料が塩ぐらいしかないこの村で、ワサビのツンとくる刺激なんて初めて味わったに違いない。炭酸やトウガラシもどこかにないか探してみよう。ワーレンならありそうだが。
結局、爺様が口コミになってタコワサは広まり、だったら別の料理も作れるんじゃね? と研究が進んだ。そうそう、こういうのでいいんだよこういうので。
俺のやったことなんて酒のツマミを一つ作っただけだが、村を支える女達が新しい食材を前にああでもない、こうでもないと試行錯誤するようになった。みんな口にはしないだけで、現状への不満や危機感があったのだろう。それがわかっただけでも十分だ。
……ああ、羨ましいなぁ、お酒。さすがに6歳じゃ飲ませてもらえないので、幼馴染と相撲でもして遊ぼう。俺が教えたのに俺より強くなりやがったし、負けてられん!
(すっごいなぁ、こいつ)
マックスは子供心にそう思う。
(おれとおんなじ年なのに、なんでこんなにすごいんだろ)
『スモウ』をとりながら考える。相手は一生懸命に踏ん張って堪えている。
モスティン。村長の息子であり、次の村長になる予定の幼馴染。村一番の漁師である父の息子として生まれたマックスにとっては、支えるべき上司になるらしい。父がいうのだから、きっとそうなるのだろう。よくわからないがモスティンなら大歓迎だ。
モスティンは子供達のヒーローだった。追いかけっこにも飽き飽きしていたマックス達に『スモウ』を教えたのをきっかけに、貝殻を使ったリバース(オセロ)、ジョーカー(だるまさんがころんだ)、スパイク(貝を使った缶蹴り)と、まったく新しい遊びを教えてくれる。今でもそうだ。どれだけの遊びを知っているのだろう。
気がつくと、モスティンは大人とも交流するようになっていた。きっかけは村一番の年寄りの先代村長、モスティンの祖父の話をみんなで囲んで聞いてからだろう。恐ろしい竜をバッサバッサと斬り伏せる勇者と、彼に恋する王女の悲恋。みんながワクワクしている中で、モスティンだけが落ち着いていた。もっと別の何かを考えていたんだろうか。
大人に混ざって毎日漁に出るようになってから、モスティンは明らかに力強くなった。前までは自分の方が強かったのに、今では同じか、それ以上の差を感じる。
単純な力の問題ではない。自分のまだ知らない、よくわからない何かを理解して、それでモスティンは強くなったのだ。きっとそうに違いない。
悔しくなって、ついギャフンと言わせたくなった。密着させた足からわざと力を抜いて体勢を崩す。ガクン、と揺らいだ隙間に膝を滑り込ませた瞬間、あっという声が聞こえた。気づいたようだがもう遅い。重心を崩された軸足をあっさり刈って、砂浜に転がしてやった。
「あーっ! また負けた!」
ペッペッ、と口の砂を吐きながら起き上がった幼馴染の横に座る。十本勝負で7対3。さすがに疲れた。
「海に出て鍛えられたから、マックスにも勝てると思ったのになぁ」
「コツがあるのさ。力じゃなくて技だよ、モスティン」
「教えた俺より強いってどういうことなの……おかしくねぇ? なら俺に教えてくれてもよくねぇ?」
「ぜったいヤダ」
「なーんでぇ?」
そんなすっげぇ奴相手に、たったひとつでも負けないものがある。それだけで、自分も凄い奴になったようで、誇らしい気分になれる。
マックスの口が裂けてもいえない秘密だった。