アカネイア暦537年 モスティン 8歳
7歳までは神のうち、という言葉がある。
7歳までに死んだのなら、人間にはどうしようもない天命だったと思え。どんなに大切であっても、その子は自分の子ではなく、神様の子を預かっていたに過ぎない。元の場所に返すときが来たのだ、と。
もはやうろ覚えの前世では、いやそんな言葉は存在しなかった、とか議論になっていそうだが、あいにくとこっちの世界では存在する。口にこそしないが、暗黙の了解として認識されている。それほど厳しい環境だからだ。
ろくに医学や食料の無かった時代、免疫力のない子どもの生存率は極めて低かった。なんでもない風邪や食あたりをきっかけに死んでしまう。実際、これまでに何人かの幼馴染が亡くなってしまった。そうした死因も長じるにつれて減っていき、成長期を迎える頃には無事に生きていく準備が整ったとみなされる。7歳という年齢はひとつの節目なのだ。
そして、どうにか死なずに8歳を迎えた俺にも変化がおとずれた。
めっちゃ背が伸びてきたのだ。
6歳から漁に出て運動し、毎日たらふく飯が食えるようになったおかげか。縦にも横にもたくましくなってきた。コツも覚えて一人ですいすい舟を操れるようにもなったし、自前の装備もメンテナンスする。爺様達からも一足早めに大人の仲間入りを認められた。
大人といっても、やることはまったく変わらない。これまで通り漁に出て、海賊がいないか巡回して、村長である親父の仕事を手伝う。違うのは、一人前として扱われるぐらいか。
なお、マックスも数ヶ月後には俺に続いて大人入りになる。こいつは漁も上手いが、とうとう相撲で村一番の腕前に君臨してしまった。まさか児童が大男を担ぎ上げるなんて光景が見られるとは。
ガタイも俺とどっこいどっこいだし、ふたりで並ぶと兄弟のように見られる。顔はまったく似てないのに。どっちがイケメンになりそうかといったら……うん、マックスだわ。なんとなくメガネが似合いそう。俺より要領良く立ち回る時があるし、頭が良いんだな。学校とかあったら優等生だったろうに。
学校……いかん、久しぶりに文明的な言葉を思い出してしまった。
2年前から始まった真珠の一括管理により、家の床下から倉庫へと移した木箱の数はかなり増えた。ミルにアコヤ、白蝶、黒蝶、アワビと、サイズも形もそれぞれ違う。俺の半端に残った現代感覚でも、
「これだけあったら相当な金になる」
ひと目でわかるほどには宝の山だ。商談のカードには十分だろう。その点は爺様も太鼓判を押してくれた。
こちらの準備はとっくに終わっている。なのに―――――。
「来ないな、船」
「荒れに荒れとる南を越えてまで、寂れた北に来るのはおらん。せいぜい縄張り争いに負けた海賊じゃ」
ですよねー。
わかってはいるのだ。大陸一の港湾都市でしのぎを削る商家が、だだっ広いだけの海にわざわざ来る用事なんてあるのかって。海賊に襲われて逃走中が関の山だろう。
気の遠くなるような、運まかせの計画だと覚悟はしている。それでも、いつその時が来てもいいようにと準備だけは欠かさない。たとえ無駄に終わるとしても、何もしないよりはマシだから。
だとしても――――心が折れそうになる。
「あと何回陽が沈むまで、俺たちは待ち続けるんだろう、爺様?」
俺の何十倍も無力感を味わってきた爺様は、何もいわなかった。優しく俺の背中をさすりながら、黙って海のかなたを見つめていた。ここ数年のガルダ海は平穏で、海賊らしき船は見あたらない。
ペラティ海の狩場が落ち着くまで、あと何年保ってくれる?
大小さまざまな船がひしめくワーレンの船着き場へ、また一隻の商船が錨をつないだ。岸へと渡されたタラップから続々と積み荷を担いだ船員が降りていく。航海中に何度も襲撃があったのだろう、彼らの服には大小さまざまな傷があった。危険な船旅から生還した喜びにひたる間もなく勤勉に働く姿は、明らかに統率された集団の動きだ。
甲板から街並みを眺める少年に、身なりの良い中年の男が並ぶ。
「マケドニア経由での船旅、お疲れ様でした。ロレンス様」
「トワイス殿。こちらこそ、お力になれたかどうか」
「聞いております。相当に激しいものだったと」
商船の持ち主であるトワイスが手すりに目をやった。火にあぶられた焦げ跡は数知れず、ドス黒い血のこびりついた箇所が幾つもある。気の弱い人間なら、一刻もはやく立ち去りたくなる戦場痕。トワイスも長居したくはない場所に、ロレンスと呼ばれた少年は毛ほども恐れを見せることなく、人々の営みに目を細めている。
グルニアからワーレンまでの航海中、少年はこの場から一歩も動かずに指示を飛ばし続けた。火矢対策に金属板を加工した盾を即席で用意し、乗り込もうと梯子をかける海賊めがけて矢を射かけ、飛び乗ってきた相手は槍で甲板ごと貫いた。指示の的確さはもとより、本人の美貌と相まった活躍はひときわ目立ち、
「どっちが船長なんだか怪しいもんだ」
本来の船長が苦笑するしかなかった。その男も有能ではあったが、ロレンスと比較されては困る、と真顔で抗議してきたほどに格が違う。
もともとは商売上の依頼からの縁だった。ロレンスの家は騎士であり、アカネイアから遥か西、グルニア王国で将軍位に就く家系である。何もしなくても父親の位を継げるのに、見聞を広げたいと願い出て、懇意にしている商家の船に乗ってワーレンまでたどり着いたのだ。
グルニアもまた、北を除く三方を海に囲まれた領土である。海上での戦闘は慣れたもので、ロレンスも相当に仕込まれていた。
グルニア東南のホルム海岸付近で一度。
マケドニア南で一度。
ワーレンまでの長い航海で二度。
計四回の襲撃を退け、最小限の犠牲で積み荷を守れたのは、少年の手腕あっての成果である。荒くれもの揃いの船員達が手放しで賞賛するほどに、ロレンスは彼らの心を掌握してしまった。
華があるのだ。
人の上に立つ者には、必ず求められる能力がある。カリスマと呼ばれるそのスキルを持つ者は少ない。持っていないからこそ、相手の恐怖や欲望を駆り立てることで代用する。トワイスもそうだし、ガルダ海賊の凄腕たちも例外ではない。金で、暴力で、あるいは美貌で他人を掌握する。生まれつきの力ではなく、人生で磨いてきた処世術なのだ。
目の前の少年は違う。
彼は、生まれながらにして人の上に立つ存在だ。
ほんのわずかな間に、自分が虜にされているのをトワイスは自覚した。同時に、商人として強大な縁を掴んだことも理解する。
少年が成長して帰国し、家職を継いだなら、間違いなく将軍位につくだろう。その時こそ、目の前の縁が宝になる。少年を保護し、育て、自らが側近となる。未来ある少年に投資し、十数年後の見返りをより大きなものにする。トワイスには、それが何より魅力的な商談のように思えた。
男が膝をつき、何十年も年下の相手へ、深々と頭を垂れる。
「私どもをお使いください、ロレンス様」
「トワイス殿?」
「何年でも構いません。存分に見聞を広め、才を伸ばしてください。トワイス商会は、あなたの手足となって支えます。逗留の間、何不自由なく過ごせることを確約いたしましょう」
グルニア将軍ロレンス。
タリス王モスティン。
二人の邂逅は、一年後に迫っている。
次回、初の戦闘になります。