「お待ちしてました。ウラナスカへようこそ」
アラスカ半島アリューシャン列島フォックス諸島ウラナスカ島。
そこに到着した達樹は、ロシナンテを降りて現地のアーカム職員と接触していた。
「こんにちは、大槻達樹です」
流暢……とまではいかないが、話すのに困らない程度の英語を使って、達樹は軽く挨拶を返す。
すると職員の方も、
「これはご丁寧に。私はアーカムの海洋生物研究班に所属するトム・グリーンです」
と返事を返してきた。
達樹はトムと軽く握手をすると、寒そうに手を擦り白い息を吐く。
「ハハハ、大槻さんは日本の方でしたよね? それじゃあこんな寒いのは余り経験したことも無いでしょう?」
「え、えぇ。凄く寒くて驚いてますよ」
「でも、ここはアラスカよりは若干南に位置しますからね。向こうよりはマシだと思いますよ」
達樹はトムの言葉に、アラスカ任務に成らなくて良かった……なんて思うのだった。
とは言え、向こうよりもマシだとは言われても、それで今感じてる気温が暖かくなる訳でもない。
「あ、あの……。出来れば早く暖かいところに案内してもらいたいんですが」
「あぁ、スイマセンでした。宿泊所に案内しましょう……乗ってください」
口元をガチガチと震わせながら言う達樹の言葉に、トムは少しばかり笑みを浮かべて車のドアを開けた。
達樹は「どうも」と軽く言うと、そそくさと車に乗り込むのだった。
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ウラナスカは決して大きい島ではない。
島にある唯一の町であるウラナスカ市は、総人口で5000人にも満たない小さな町だ。
その為に観て回るものなど特に無く、気候が気候で有るため観光客が来るわけでもない。
そのため達樹が連れてこられたのはホテルでは無く、彼等アーカムの職員が寝泊りしている宿舎であった。
達樹が通されたのは然程広くはない部屋だった。
6~7畳程度の部屋で、簡易ベットが付いているだけ。後は備え付けの椅子が有るくらいだ。
他には目を引くような物は特に無く、文明の利器としてエアコンが付いているくらいだろうか?
とは言え少し前から暖房を利かせていたらしく、部屋の中は快適な温度となっていた。
「助かったな。……幾ら何でも寒すぎるよ」
達樹は自分がロシナンテを降りるときに持ってきた荷物を床に置くと、ベットに腰を掛けるようにして座った。
荷物――と言うのは、翌日に向かう予定になっているシャドーモセス島へ持っていく装備が入った荷物である。
スーツケースの形をしたその中には、まともに持ち運びをしたら確実に税関に引っかかるような物がてんこ盛りなのだった。
「今が17時30分。作戦開始は明朝8時丁度……」
達樹は腕時計をチラッと見ながら、明日に始まる任務の事を考えていた。
本来ならば急ぐべき所なのだが、今回はロシナンテを作戦の中継基地――所謂作戦司令室として使うことが決まっている。
そのため、現在御神苗をアンカレッジに送り届けているロシナンテが引き返して来るまで待つことに成っているのだ。
「狂戦士……か」
達樹は天井を見上げるようにして、かつて自分が戦った『狂戦士』のことを思い出した。
幾つかのレーザーと、奇妙な破壊光線を発射する型の兵器……。
そして動く生き物を敵として認識し、ただ只管に殺戮行動を繰り返す危険な代物だった。
先輩である御神苗が戦ったのは、無数の生体レーザーとミサイル装備と言う風に、達樹の戦ったものとは型が違うが、とは言え厄介さでは然程の違いは無いのだろう。
今回はそれ自体が相手ではないとは言え、それに近い物が相手と成るのだ。
達樹はもしもの場合どうやって破壊するべきなのか? その事について頭を巡らせていた。
「前の時は思いっきりブッ壊そうとしてたら、勝手に自爆装置が作動したんだよな」
何の意味が有って付けられた装置なのか解らないが、御神苗の倒したモノも達樹の倒したモノも、そしてかつてアーカムの研究所の一つで大暴れをした個体もだが、一定のダメージを加えると自爆をしてしまったのだ。
そのため狂戦士に対するもっとも手っ取り早い対処方法は、爆発の衝撃に耐えられる場所で、徹底的に叩きのめす――となるのだが……
「今回のは叩きのめしても自爆はしないだろうからな」
そう達樹は呟いた。
今回の任務は『狂戦士』のデータを元に造られた戦車が相手なのだ。
誰だって、自分達が使うものに自爆装置をわざわざ付けたりはしないはずだ。
「となると、出来る事は……」
達樹がそこまで口にすると、
コン、コン、コン。
と、不意に扉をノックする音が聞こえる。
達樹は軽く首を左右に振って気持ちを切り替えると、ノックをしてきた人物に「どうぞ」と言うのだった。
「失礼します」
扉を開けて入ってきたのは達樹を出迎えた職員、トム・グリーンだった。
彼は軽く笑みを浮かべると部屋に身体を滑り込ませて、その手に持っていたトレーを達樹の前に運んでくる。
「コレは?」
食欲をそそる匂いと湯気が立ちのぼるスープ、そして幾つかのパンを載せたそれに、達樹は無意識に鼻をクンクンと動かしていた。
「いえ、まだ冷えているだろうと思いまして。……どうぞ」
「ありがとうございます!」
達樹はパンっ! と手を合わせると、差し出されたトレーを受け取り、
アッと言う間にパンやスープを食べ始める。
スープはどうやらビーンズスープの類のようだ、各種の豆とベーコンが入っており、味付けはコンソメを使っている。
特に腹が減りすぎていた……と言う訳ではないが、達樹の冷えた身体はそのスープでホンワカと暖かく成ったらしい。
一つ目のパンを食べ終え、二つのパンに手を伸ばそうとしたとき、達樹はジッと見つめてくるトムに気がついた。
『人が食事をてべている所など見ても、面白くもないだろう』と思う達樹だが、それで出て行けと言う程狭量ではない。
そもそも今の自分は、世話に成っている人間なのだ、邪険に扱う訳には行かないだろ。
達樹は出来る限り自然に笑みを浮かべようと、小さく咳払いをしてからトムへと視線を向けた。
「……何か?」
「いえいえ! その、大した事ではないのですが。私たちもこんなところで生活をしていると、他所から来た人との会話に飢えていまして」
短く尋ねた達樹の言葉に、トムは慌てたように返事を返す。
どうやら笑みを浮かべた達樹の顔は、思いの外怖いものだったらしい。
まぁ達樹自身、自分の目付きが余り良くない(鋭い)ことは理解しているので気にもしていないが……。
トムは少しづつ落ち着きを取り戻すように間を空けると、近くに有った椅子に腰を掛けた。
「大槻さんは、アーカム考古学研究所から此方にいらしたとの事ですが、もしかして何か新しい遺跡でも見つかったのですか?」
「は? 新しい遺跡?」
「えぇ。だって考古学研究所の職員なんですよね?」
「いやまぁ……確かにそうだって言えばそうですけど」
トムの質問に、達樹は言葉をつまらせた。
『アーカム考古学研究所』
言葉の通りの事も勿論やっているが、基本的には古代文明の遺産を封印、管理するのが基本的な仕事である。
とは言え、世間的には前述の様なことしか発表されては居ないし、アーカム内の職員でも遺跡に関して何も知らない人間の方が遥かに多い。
今回達樹の世話係(?)をしているトム・グリーンも、そんな真実を知らされていない一人なのだろう。
「いや、その……なんて言うか。遺跡が見つかったというか、確認――みたいなものですよ」
何とも歯切れの悪い説明をする達樹である。
だが、喩え同じアーカムの社員でも、今回世話に成っている相手でも、達樹は本当の事を言う訳には行かない。
古代文明の遺産は可能なかぎり秘匿されるべきなのだ。
「確認ですか? ……えぇっとつまり、新しい遺跡が有るかも知れない――と言うことですかね?」
「まぁ……そんな認識で良いと思いますよ」
少しばかり硬い笑みを浮かべて言う達樹だったが、トムはそんな達樹の態度を察したのかそれ以上聞いてくることはしなかった。
トムは「解りました」と意味深な言葉を言うと、軽く腕組をして口を開き始める。
「――私は海洋生物研究班に所属してるって言ったでしょ? 私がこの世界に惹かれたのはね、地球上の約7割を占める海、その海の中で生きている生命に興味を持ったからなんですよ」
「は、はぁ」
突然に身の上話を始めたトムに、達樹は気のない返事を返した。
とは言え、誰だって脈絡の無い話を始められては、そう答えるほかは無いだろう。
「例えば、昔から居ることは解っていても、どんな生活をしているのか? どんな生態をしているのか? そういった未知な物を調べていくことに私は感動を感じるんです」
「成程……未知な物への感動ですか」
「えぇ。大槻さんも、種類は違ってもそういった物が有るから、今の仕事をしてるんでしょ?」
「そう、ですね」
達樹は『何とも困ったな』と思っている。
今の仕事を始めた切っ掛け、それはそんなに『良いもの』ではないからだ。
確かに達樹の先輩である御神苗などは、今の仕事の傍らにそういった部分を見いだしているのも事実だろう。
だが、当の達樹はその事をそれ程に重要視しては居ないのだ。
『助けたい』といった思いが有って、そしてその為に今の自分が有る。
だからトムの言葉も理解はできても、本当の意味での共感は出来ないのだ。
とは言え――
「確かに。今までに無いものを見られたら、それだけで興奮してしまいますね」
達樹は本音を言うことはせず、やはり当たり障りの無い答えを言うのだった。
「ところでトムさん、一つ聞きたいんですが」
「お、私に質問ですか? なんです? トドやセイウチの生態についてですか?」
「……いえ、そうじゃなくて。この辺の気候について教えてもらいたんです」
「天気、ですか?」
一瞬パッと表情を明るくしたトムだったが、達樹が天気の話を聞きたいというと、途端にその表情を曇らせる。
達樹は『どれだけ語りたいんだ?』と思いつつも、取り敢えずトムからの言葉を待つのだった。
「――そうですね。今の時期ですと、やっぱり吹雪いてる時が殆どですかね。今もそうですけど、一旦こうなると最低でも数日間はそのままですから」
トムはそう言いながら、軽く部屋の窓を指さした。
達樹もそれに倣って窓の外を見るが、そこから見える景色は猛吹雪。
恐らくは気温の方も、それに習ってかなりの寒さをしているのだろう。
「ってことは、暫くはこんな天気が続くってことですか?」
「えぇ。とは言っても、私は気象予報士じゃありませんからね。正確に天気を言い当てろって言われたら困りますが」
軽く苦笑で返してくるトムだったが、しかしその言い分は恐らくは正しいのだろう。
達樹は作戦が滞り無く行われるだろう事に少しの安堵と、そして作戦に変更がないことでのガッカリ感で微妙な表情を浮かべるのだった。
結局トムと達樹が話をしたのはそこまで。
これ以上突っ込まれたことを聞かれては叶わないと判断した達樹は、「すいません。疲れているのでもう良いでしょうか?」と言って会話を中断するのだった。
話し足りない感のトムだったが、とは言え迷惑を掛けてまで会話をする気はないらしい。
達樹の言葉に
「あぁ、これは気が回らずにスイマセンでした」
等と、恐縮そうに言ってくる。
達樹は少しだけ、そんなトムに申し訳ない気持ちに成るのだった。
トムは達樹の食べ終えた食器を片付け、「それでは、ゆっくり休んでください」と言うと部屋から出て行った。
時間は未だ夜中と呼ぶには早い時間。
達樹は大きく息を吐くと、自分の持ってきた装備の確認をするためスーツケースを開けるのだった。
2
達樹がウラナスカへ到着してから約半日、外は相変わらずの吹雪に見舞われていた。
前日の予想通りとは言え、寒さにはそうそうなれる訳ではない。
出来れば外になど出たくはないと言うのが本音だろうが、とは言えそうも言っていられない。
達樹は任務でこの島に来たのだから。
朝――と呼ぶにも未だ早過ぎる時間だが、シャドーモセス島へと向かう時間を考えれば仕方がないだろう。
自身の持ってきた装備を身に付けた達樹は、ギュッと力を込めるように拳を握る。
「感度は良好。問題なく任務も出来そうだな」
身体にはアーカム研究所謹製の特殊強化服、その上にタクティカルベストを着こみ、右腿にはホルスターを装着している。
達樹はベットの上に置かれた拳銃を拾い上げ、スライドを引いて簡単な動作確認を行った。
長いこと、達樹が任務で使ってきた愛銃『ベレッタM8045』だ。
45ACP弾を使用するタイプで装弾数は少なめだが、そもそも今回は戦闘が目的の任務ではない。
それ程に銃を使うこともないだろうとの判断だった。
何度かスライドを引き、引いては引き金を引く。
そんな事を繰り返していた達樹だが、特に動作不良などは見られない。
達樹は小さく「よし」と言うと、弾丸の詰まった弾倉を手早く装填し、安全装置を掛けてから拳銃をホルスターにしまった。
「こっちも特に問題は無し。後は――」
と一人で確認しながら言うと、達樹は他の装備――ワイヤー付きアームガードや予備弾倉にスローイングナイフ、それに大型のナイフ等……を身に付けた。
そして最後に強化服と同系色のヘッドパーツを頭に被ると、達樹はグルッと首を回して自分の格好を見回していく。
数秒ほど首を回して視線を巡らせていた達樹だったが、気になるところは無いらしく満足そうな表情を作る。
『準備は出来た』
達樹はそう考えると、チラッと壁に掛かっている時計を見つめる。
作戦の開始までは然程時間も残されていない。
「そろそろ来るとは思うけど――」
「――大槻さん、こっちの準備はできてますよ!」
達樹の言葉を遮るように、バタン! と無遠慮にドアを開いてトムが部屋に入ってきた。
大方は時間通り。 だが、ノックもしないのはどうなのだろうか? と、達樹は思う。
きっと少しばかり、その表情を歪んでいただろう。
だがそんな達樹の心境などトムには解らないらしく、ただ目の前の達樹の姿格好に目を丸くしていた。
「大槻さん……。何ですかその格好? 銃まで持って」
事情を聴いていないトムからすれば、今回の達樹は遺跡の確認のために来た社員の一人と言う事になっている。
そもそもアラスカ半島のアリューシャン列島に遺跡が在るなんて話を聞いたことはないトムだが、とは言えそれはアーカム本社の言である。
そういった疑問は取り敢えず放っているのだが、とは言え『遺跡の確認で拳銃は必要ないだろう』というのが彼の――いや、一般人の見解だろう。
不可思議そうに達樹を見つめるトムの視線だが、達樹はそんなトムに対して
「あー……まぁ、コレは俺達の流儀みたいなものですから。余り気にしないでください」
と言ってお茶を濁すのだった。
トムは達樹の言葉に当然納得をした訳ではないが、それでも返した返事は「そうですか」と言うものだった。
深く追求しても無駄だろう、と思ったのだ。
「じゃあ大槻さん、外に出てください。上からの指示通りスノーモービルを用意してありますから」
「解りました」
達樹はコクリと頷いて返事をすると、二人は揃って部屋から出て行く。
廊下は部屋とは違い、若干温度が低いようだ。
達樹の頬に幾分冷えた空気が当たり、少しづつ達樹の意識をこれからの任務へとシフトさせていった。
「ところで大槻さん?」
「……なんです?」
トムの言葉に対し、達樹は少し刺のあるような返事を返した。
悪気があっての事ではなく、気持ちが仕事モードに切り替わっている事が理由だった。
トムは達樹の返事に小さく苦笑いを浮かべると
「今日もブリザードが出てますけど……そんな格好で寒くはないんですか?」
と聞いてくるのだった。
達樹はそんなトムに、「あぁそういう事ですか」と逆に苦笑と一緒に返すのだった。
アーカム社員の宿舎。
そしてそこに有るガレージに到着すると、そこには一台のスノーモービルが置いてあった。
既にエンジンは回っており、いつでも発進することが出来る状態になっている。
「本社から回してもらっていたやつですが……。機体スペックを聞きますか?」
「いや、いいですよ。多分聞いても解らないし」
達樹はトムにあっさりと返事を返した。
もっとも達樹の言ってる事は本当で、聞いたとしても先ず間違い無く理解出来ないだろう。
そもそも達樹は――
「スノーモービルに乗るのは、今日が初めてですから」
――なのだ。
達樹の告白に、トムは「は?」と声を漏らす。
どうやら達樹の言った言葉の意味を理解できなかったらしい。
「まぁ、多分何とかなるでしょう。一応は此処に来る前に本を読んだし、見た目はバイクと然程変わらなそうですからね」
言いながら『ポン、ポン』とサドルの部分を叩く達樹。
トムはそんな達樹にかなりの不安を覚えた。
「それじゃあ、もう時間も余り有りませんから俺は行きます」
「もうですか?」
「元々、それほど時間を掛けていい事じゃないですから」
達樹はそう言うと、トムにガレージを開けるように言った。
開かれたガレージの外は当然雪景色。
普通の人間の常識では、外での作業など推奨できない悪天候である。
当然、普通の常識人であるトムなどはこのような天気の時に作業に向かう達樹の事を、『正気の沙汰ではない』と判断しているのだが、
彼は良くも悪くも会社の人間なのだろう。
上からの命令には従うべきとの判断なのだ。
達樹はガレージが開かれたのを確認すると、ロシナンテで山本から手渡された小型端末――レーダーを使い始める。
スイッチをいれた途端、画面の液晶には自身を表す光点と、そして周囲の障害物等が影と成って表示された。
達樹はその画面を見て「ふーん」と小さく言うと、やはり『カーナビみたいな物』と言ったのは正しかったと判断するのだった。
スノーモービルを押して外に持って行くと、達樹は颯爽と跨ってハンドルを握る。
本――『楽しく取ろう運転免許 スノーモービル編』の内容を思い出しながら、達樹は各部に視線を巡らせた。
「ではトムさん、俺はもう行きます。半日ちょっとでしたが、世話に成りました。俺のことは……取り敢えず忘れたほうが良いですよ。多分アーカムでもそう言ってくると思いますから。それと、"コイツ"の代わりをアーカムの本社に請求しておいた方がいいですよ」
「へ?」
風の音に紛れて良くは聞き取れなかった達樹の言葉に、トムは聞き直すように首を傾げた。
達樹はそんなトムに対して口元を軽く吊り上げると、
「多分壊れて戻ってきませんから!」
言うやいなや、スロットルを回した達樹は、そのまま吹雪の中を走り去っていった。
慌てて「ちょ、ちょっと!?」と呼びとめようとしたトムだったが、その声が達樹に届くことはなかった。
暫くの間(と言っても10秒程だが)スノーモービルの走り去っていった方角を見つめていたトムだったが、
その後に大きく溜息を吐いて「やれやれ」と肩を竦めた。
そして
「まぁ、予定通りって事なのかな?」
と口にすると、徐に懐から一つの通信機を取り出した。
既に通信する相手への周波数合わせは済んでいるのか、トムは簡単な操作を行うと何者かと連絡をし始める。
「……もしもし、トムです」
《…………貴様か。何の用だ?》
トムの声に、直ぐ様に返事が帰って来る。
それは男の声である。
声の感じから考えるに、30以上はいってそうな男の声だ。
《こうやって連絡をして来たということは……私の言ったとおりに成ったのか?》
「あ、はい」
《フフ、そうか》
通信機を通して頷いて言うトム。
男にはそんな姿は見えないだろうが、思ったとおりに事が運んだからか不気味な笑い声を上げた。
トムは通信相手の事を全く知らない。
ある日自分の元にやって来て、『1週間以内に、アーカム本社から誰かが来るようだったら教えてくれ』と、そう言ってきただけの相手だ。
本来ならばそんな事は無視するべきなのだが、男はそんな内容に金を払うと言ってきた。
それも自分がビックリするような多額の額を……だ。
しかも、内容自体もそれ程に難しい事ではない願い。
トムはほんの少しばかり悩む素振りを見せたものの、その男の頼みを聞き入れることにしたのだった。
そして昨日、男の言うように本社から大槻達樹がやって来た。
「あの、何故本社から人が来たときに教えて欲しいなんてことを――」
《そんな事を知ってどうするつもりだ? お前は、ただ言われたことをやって金を貰う……それに不満でもあるのか?》
「い、いえ。そんな事は……」
興味からか、それとも後ろめたさからか。
トムは男に問い掛けようとしたのだが、男の言葉に口を噤んでしまう。
男は押し黙ったトムに対して《フン》と鼻をならした。
《直ぐに金の手配はしてやる。それと外に出るための用意もな》
コレはトムから男に願った事だった。
今いる場所から出ていきたい。
達樹には海洋生物について語っておきながら、トムはその実、今のこの場所から逃げ出したいと考えていたのである。
そしてトムは、多額の報酬と同時に、この島から抜け出すことを条件として男に提示していたのだった。
「早速のこと……あ、ありがとうございます」
《なに、気にするな。時間は今から2時間後、ウラナスカの港に迎えを寄越す……船ではないがな。遅れずに来ることだ》
礼を言うトムに、男は予定を告げると通信を切った。
トムは通話の切れた通信機をしまうと、達樹の走り去っていった方角を見つめる。
「まぁ……結構な金も入るし、海洋生物の研究はアーカム以外でも出来るからな」
トムはそう言うと、簡単な手荷物を纏めるために宿舎へと戻っていった。
この時、トムがした会話の内容は他の人物が知ることは決して無い。
何故ならその2時間後、トムは頭を銃で打ち抜かれて死んでいたからだ。
冷たい吹雪の中、凍った海の上に野ざらしになっている姿を市民に発見されるのだった。