DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
女性が通路の真ん中を歩く。
携帯電話を耳元に付けた。
「状況を」
彼女が廊下に均等に並ぶ扉の前を抜ければ、まるで陽の光を浴びて開花するかのように、バタバタと開け放たれ男たちが出て来る。
その手には皆、小銃を掲げていた。
『イエロー・フラッグは半壊。主人の無事は確認しました』
羽織ったコートを靡かせる女の後を、男たちは追従する。
『「猟犬」、「刑事」、「ラグーンクルー」、共に消失』
気付けば廊下には、規律の整った靴音が響いていた。
軍靴のようだ。
『先ほど、商店エリアの方へ向かったとの報告があります』
「そこを離れるな伍長、情報収集を継続せよ」
『了解……あと、カルテルの追っ手は「刑事」が処理したとの事』
冷たい表情をしていた女だが、その時だけは口元を綻ばせた。
「部隊を連れて商店街に向かう。定時報告を十分おきに。以上だ」
『了解』
通話を終え、後ろに控えていた、顔に傷痕のある男に渡す。
「正直、出来過ぎているように思えますが」
「あれは相当、死神に好かれているよ。しかも我々の楽しみを半分、奪って行った」
「ワトサップらの言いなりで良かったのですか?」
「その分、楽しみを提供してもらう予定だ」
多くの「兵」を従え、顔面に火傷痕を携えながら女は建物を出る。
やけに月が綺麗な夜だ。
誰しもが彼の凶行に唖然とする中で、ベニーは髪をぐしゃぐしゃに乱しながら呟く。
「……ダッチ。彼、前々からロアナプラに住んでいたって事はないかい? 今、僕の『ロアナプラでイカれている奴ランキング』上位に彼を割り込ませたいんだけど」
「ニューヨーク用のを設けとけ。チャック・ノリスも無理だろ、あんなイカれたアクション」
とは言えマクレーンも危険だと承知だったのか、いそいそと運転席に戻っていた。
ニトロを切り、トランクケースと一緒に助手席に座り、ハンドルを握りながら死体を蹴飛ばす。
蹴飛ばされた死体は、壊れてロックのかからないドアから高速の状態でアスファルトに放棄された。
「死んで役に立てたなぁ、間抜け」
邪魔者を大勢処理したところで、マクレーンは再びドライバーに戻る。
彼の方を見ていたロベルタだったが、レヴィの攻撃に対しての警戒は怠っていない。
そっぽ向いたまま身体を逸らし、銃弾を避ける。
「なんだてめぇ!? 頭の後ろに目でもあんのかぁ!?」
矢継ぎ早に発砲しようとするレヴィだが、残ったもう三人の邪魔者によって阻止される。
弾を装填した後部座席の男が、ラグーン商会の車を撃ち始めたからだ。
「おいッ!? 後ろに怪物が追って来てんだぞ!? 逃げようぜッ!?」
「うるせぇーーッ!! クソックソッ、皆殺しだぁーーッ!!」
男は身体を窓から出して、今度はマクレーンの車両を撃つ。
「見境いなしかクソッタレども!」
片手でハンドルを操作しながら、もう片方の手でトランクケースを持ち上げ、ミニミ機関銃を発射する。
フロントで両手で発砲していた時より、取り回しが難しい。
右へ左へ避ける三人を乗せた車には、笑えるほど当たらなかった。
その内の一発が、ラグーン商会のトランクに着弾。
ロベルタの足元だ。
ニトロで一気に駆け迫れた為、下手をすれば彼女やガルシアを巻き込みかねない距離まで来ていた。
またこの車は前方の車のバックに張り付いているので、グレネードを使うなんて自殺行為だ。
撃つ為に距離を置く必要があった。
「クソッタレ。仕留め損ねたのが痛かったぜ」
マクレーンはアクセルを思い切り踏み、出来る事ならスピンさせてやろうと前方の車にぶつけてやる。
三人は前のめりに倒れた。
「うぃ!?」
衝撃でつい引き金を引いた狙撃者の銃弾は、レヴィの耳元を掠めた。
それを見たダッチが、後方の三人へ同情する。
「……誰か死んだな」
「やりやがったなウスノロジャンキーどもッ!!」
キレたレヴィが片方のベレッタで、三人を狙った。
照準が向けられている事に気付いた運転手は、左にハンドルを切る。
レヴィの弾丸は、真っ直ぐ発射された。
左へ車が避けたばかりに、助手席の男が撃たれて死んでしまう。
「ああぁ!? あいつ、仲間を殺しやがったッ!?」
「これで逃げるだのは無しになったぁあッ!! 殺すぜぇ〜〜〜ッ!!」
「……ああ! 轢き殺してやるぅぅーーッ!!」
ラグーン商会とは五メートルほど、距離が空いてしまった。
その距離を埋める為に、運転手は再びニトロのレバーへ手をかける。
「まだだ、まだだ……ふへへ……」
ロックは耐えきれずに運転席側へ顔を出し、ベニーに尋ねた。
「ベニー! どこまで逃げるつもりなん……うおっと!?」
ロベルタの撃った弾が髪を掠めた。
ダッチが応戦する隣で、ベニーは叫ぶ。
「ガソリンがあるなら、北京にだって行ってやるよッ!!」
「質問が悪かった! どこへ向かってんだ!?」
「ええと……商店街方面だ! 入り組んだ所に行けば、最低でも後ろの追っ手は撒ける!」
「………………」
「どうしたんだロック!? 何か、考えがあるのかい!?」
頭の中で、商店エリアの地図を描く。
たった一週間で、彼はロアナプラの地理を把握していた。
その上で、この先にある「一つの道」を思い出し、邪悪な作戦が浮かぶ。
「……あぁ、クソッ。とうとう、俺もイカれて来たかもな。一週間前に船の中で頭をぶつけてから、脳みそがおかしくなったかもしれないなチクショウ」
ロックは誰にも聞こえないようにぼやきながら、銃弾が飛び交う中なんとかベニーの耳元にまで寄る。
「この先にある、路地に入るんだ」
「路地!? あんな車一台しか入らないような……」
そこまで言ったところで、ベニーは察してしまった。
「……嘘だろ?」
「勝負は、奴らがニトロをかけた時だ。俺の指示通りにスピードをコントロールしてくれ」
「……あぁ。サンタマリアでも何でも良いから、僕も祈りたいよ」
引き攣った顔で承知し、彼は思い切りハンドルを傾け、路地に入って行く。
ロックはガルシアを抱え上げ、運転席の方へ押し入れた。
「お祈りなら、この子が済ました。後は神のご判断に任せるしかないぜ」
目には恐怖が宿っている。
しかしロックの口元は、楽しげに釣り上がっていた。
弾の回避と、ロベルタの振り切りを目的に激しく蛇行を繰り返していたラグーン商会の車。
だが突然、車体の姿勢が整った。
その状態のまま、狭い路地へ突っ込んで行く。
「おいおい! 撒くつもりかぁ!?」
「その道は一直線だ! デッドエンドだよぉ〜〜ッ!!」
三人の車も路地に侵入する。
一台入れば、後は人間一人分のスペースしかなさそうな狭い路地。サイドミラーを片方ぶつけて、破損させた。
マクレーンも続こうとしたが、きな臭さを感じて路地を通り過ぎる。
「なんだ? なんでわざわざ狭い一本道を……」
次にマクレーンは「あぁ、そういう事かよ!」と察知し、ハンドルを殴った。
「回り込めねぇか!? ロベルタがヤベェぞッ!!」
ニトロを再び起動させ、超高速で道を突き進む。
あの二台よりも、ラグーン商会よりも先に行かなければならない。
道は直線。
深夜で閑散とした路地に、爆音が轟く。
ラグーン商会と、三人──二人の車とは、六メートル離れていた。
「ガルシアくん。ダッチに掴まってろよ」
「待って……なにするつもりなんだ……?」
「最初に言っておくけど……結果次第で俺を恨んでくれて構わないからな」
ベニーは後方から飛んで来る銃弾に怯えながら、バックミラーを覗く。
「あいつらの車しかないよ!?」
「さすがはマクレーンさんだ。気付いたか?……でも、二が一になっただけだ。構わない、実行だ」
ダッチはガルシアを抱えながら、溜め息を吐く。
「ジョン・マクレーンがアクションヒーロー的なイカれ具合なら、お前はヒール的なイカれ具合だよ。タイムコップの黒幕か?」
「軽口は後にしてくれ。もう、いっぱいいっぱいなんだ」
レヴィとロベルタの撃ち合いは続く。
「クソッタレぇぇえッ!! いい加減にくたばれボケッ!!」
互いに腕を掴み合い、とうとう膠着状態となる。
後を追う男二人。
気付けば狙撃者はマクレーンの真似をするかのように、フロントにヨタヨタと身体を這わせていた。
「今だぁッ!! ブーストしろぉ!! 近付いて、撃ち殺すぜぇ〜〜ッ!!」
運転手は、助手席に座る死んだ仲間を抱き寄せ、レバーに手を掛ける。
「おめぇの仇は取るからなぁッ!! 取るからなぁッ!! 取ってやるうううううッ!!!!」
とうとう、レバーを引く。
ナイトラス・オキサイドがエンジンに注入。
爆発するような急加速。
ラグーン商会の車へ、一気に飛び込む。
その様を見て、ロックはニタリと笑った。
距離、あと一メートル越して数センチ。
「……三秒後だ、ベニー」
ガルシアは堪らず、ロベルタへ叫ぶ。
「駄目だロベルタっ!! 降りてッ!?」
「──ッ!!」
彼の声を聞き、ロベルタは瞬時にレヴィの腕を解放してから天井上へ乗る。
彼女も何が起きるのかを理解したようだ。
「てめぇッ!? どこ行きやが──」
「レヴィ、掴まれぇッ!!」
「あぁ!? なにしやがんだロック!?」
ロックはレヴィを羽交い締めにし、運転席側へ一緒に倒れた。
二人が座席の下の隙間に落ちた事を確認すると、ベニーは────
「神のみぞ知るってか、クソッタレ」
──ブレーキを踏んだ。
急ブレーキがかかり、車内の全員は前方へのめり込む。
ロベルタはリアガラスの窓枠を掴み損ない、前方へ吹き飛ぶ。
しくじったか。
しかし眼前に迫る、「ニトロで暴走した車」を見て、このブレーキは前章に過ぎないと把握した。
「止まんねぇえクソぉぉぉおおおおおおッッッッ!!??」
「あああああああああああああああああッッッッ!!??」
一直線の狭い道、横に避けるなんて出来ない。
二人の車は、ラグーン商会の車と衝突した。
三つ足の姿勢でフロントに這っていた男が吹っ飛び、車と同じ速度でぶつかって砕けた。
四肢の力を抜き、ロベルタは慣性の法則に従った。
彼女が前へ吹き飛んだと同時に、この車の後部が持ち上がる様を眺められた。
このまま残っていれば、自分はプレスされていただろう。
とは言えこのままでは、自分はアスファルト上で擦りおろされてしまう。
受け身の姿勢を取る最中、運転席からこちらを見る、ガルシアの姿が窺えた。
愕然とした面持ちで、声は聞こえないが「ロベルタ」と叫んでいる。
自分は出来るだけやった。
後は、神のみぞ知る。
「到着だぁぁぁぁあッ!!!!」
傍の小道から出て来た車。
停車してすぐに運転席からフロントを走り、地面へ落ちようかとなるロベルタの前へ飛び込む。
「クソッタレぇぇえええッ!!!!」
ロベルタと衝突し、彼女の速度を軽減。
そのまま自身の身体で受け止める。
一度だけガツンとフロントに倒れてから、ポタリと地面に落ちた。
一頻り衝撃は止まり、即座にロベルタは救出者から離れる。
苦悶の表情で怪我だらけでうめく、マクレーンの姿があった。
彼は間に合ったようだ。
「……大丈夫でしょうか?」
「大丈夫に見えるかぁ……?」
「……マクレーン様、なぜ……」
「イテェよぉ〜……それより、やる事やるぞ」
ロベルタは拳銃を、マクレーンは助手席に置いてあるトランクケースを持って、ラグーン商会の車へ近付いた。
「クソがぁ……! 仇取ってやるぅ……!」
最早、人間の形を取っていない狙撃者の死体を横目に、エアバッグのお陰で何とか生き残った運転手がヨタヨタと車から出る。
最初にマクレーンに折られた鼻が、更に曲がってしまっていた。
死んだ仲間の形見でもあるナイフを握り、ぶつかった車の中にいる者を刺し殺すつもりだ。
「女から殺してやるぅ……!」
「おい」
「あ?」
マクレーンは容赦なく、ミニミ軽機関銃の徹甲弾を浴びせ、引導を渡してやった。
弾がまだ出る事を見せ付けてから、再びラグーン商会の者らへ銃口を向ける。
「子どもぉ〜……あー……名前はなんだっけ?」
「ガルシア・ラブレス様です」
「オーケーオーケー。ガルシア少年を解放しろぉい。さもなきゃ近付いて、少年以外は全員挽き肉にしてやるぞぉ!」
二人は迎撃を警戒しながら、ゆっくりと大破した車の方へ近付く。
車内は滅茶苦茶だった。
後方の車から吹っ飛んで来た男の一部や、ガラスだので酷い有り様だ。
ロックとレヴィは、痣だらけの状態で狭くなった後部座席より顔を出す。
「シェイカーに入れられた酒の気分が知れたぜ、クソッタレ……」
「べ、ベニー、ダッチ、ガルシアくん……だ、だ、大丈夫か?」
頭をフラフラさせながら、ダッチとベニーが親指を突き出して腕を上げる。
「衝突実験の被験者に、世界で初めてなれたよ」
「シートベルトの有り難みを感じられたぜ……はち切れそうだったが……」
そこでダッチは、自分が抱えていたハズのガルシアがいない事に気付く。
彼はヨタヨタと、覚束ない足取りで、外に出ていた。
その先には、凶器抱えた怪物が二人。
「……ロック。お守りが風で飛んでった。もう容赦はされねぇぞ」
レヴィは急いで、衝撃で手放してしまった二梃の拳銃を探し、何とかカトラス・ソードだけを見つけ出す。
「やられる前に、やってやるぜチクショー……!」
「ま、待てってレヴィ……! お前も見ただろ、カルテルの連中が吹き飛んだ様をなぁ……! ミンチにされて終わりだぞ……!?」
「ガキがあっちに行ったらどの道終わりだボケ……! こっから……撃ち殺す……!!」
マクレーンらに悟られないよう、ゆっくりと照準を向ける。
フロントガラスから這い出したガルシアを見て、ロベルタは銃の構えを解いた。
「あの子だな。無事そうか?」
「若様っ!?」
およそ今日初めて聞いたであろう、彼女の血の通った声。
小さな身体では強過ぎた衝撃で、フラフラと覚束ない。
「あ……う……ロベルタ……? 怪我、は?」
「……ッ!」
耐え切れずに、ロベルタから彼の方へ駆け寄る。
車内からの射撃を警戒していたマクレーンは、彼女を止めようとした。
「ああ、バカ女。そのまま、その間抜けツラ持って来い」
レヴィは、完全に油断しきった彼女の頭部に照準を合わせ、引き金に手を掛ける。
それを、ロックは止めた。
「何しやがる!? てめぇごと撃たれ……!」
「いいやレヴィ……銃を向けるのがマズい状況になった」
「は……?」
いつの間にか、暗がりの路地に眩い光が差し込んでいた。
逆光を浴び、多くの者と並び立つ存在の姿も確認された。
膝をつきかけたガルシアを、ロベルタは支える。
マクレーンは敵かと思い、銃口を向ける。
だがすぐに、彼から武装を解いた。
「……クソッタレ」
空を見上げると、月光に照らされ、建物の屋上からこちらを狙う者たちの姿が。
手練れのスナイパーだろうか。
とてもどうにかなる相手ではない。トランクケースを落とし、両手を上げて頭の後ろに組む。
「動くな」
コートを靡かせ、彼の元へ一歩一歩近付く女性。
逆光の影で隠された顔が、次第に鮮明になる。
彼女の、右顔面に出来た「火傷痕」を確認した時には、マクレーンとは目と鼻の先だ。
「ご協力に感謝しますわ」
「……ロシア人か?」
「お初にお目にかかるわ。是非一度、お会いしたかったもので」
マクレーンと向かい合わせになる。
「私の事は『バラライカ』と呼んでもらって構わないわ」
光なく、狂気に爛々とした瞳。
愉悦を滲ませたサディスティックな微笑み。
そして視線を受け、近くに立たれるだけで浴びせられる威圧感。
「ジョン・マクレーン警部補さん」
マクレーンは下唇を噛みながら、しかと彼女の人相を目に焼き付ける。
バラライカ、間違いない。
彼女こそが、このロアナプラの実質的な支配者。
「ホテル・モスクワ」、タイ支部のトップ。
「バラライカさんねぇ。はじめまして」
噂に聞くなら、「死神も泣いて許しを請う怪物」らしい。
マクレーンは場違いに笑って、挨拶を交わした。