DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
盛大にひしゃげた二台の車を、レッカー車が運んで行く。
辺りは小銃を持った男たちが仕切り、事後処理が続く。
これだけの騒ぎだと言うのに、近隣から野次馬が一人も現れない。
それはこの彼らが、この最悪な街で最も恐ろしい連中だと周知になっているからだ。
目が据わったロシア人の集団を見たなら、後ろめたい事がなくても触れてはならない。
一つそれが街に住む無法者たちにとっての暗黙の了解となっていた。
「船の燃料費、レヴィの医療費、車のスクラップと新車の費用、イエロー・フラッグへの修繕費……」
運ばれて行く車を見ながら、ダッチはタバコを燻らし頭を掻く。
隣にいたバラライカへ、愚痴をこぼしているようだ。
「全く。たった一日で大損だ。陳の野郎の件に続いて、最近はツイてねぇ。仕事は選んでいるつもりなんだが」
「まあまあ。あなたには色々と借りがあるし、私から慰問金って事で立て替えてあげるわよ」
「そりゃありがたい。ラグーン商会存続の危機は脱した訳だ」
「その分、今度大きな仕事があるから、またお願いするわね」
「あんたは飴と鞭が上手いな。オーケー、また連絡をくれ」
短くなったタバコを道に捨てて踏み付け、ダッチはその場を離れようとする。
その時、不意にバラライカに呼び止められた。
「でもあなた、ツイているって言ったらツイているんじゃないかしら?」
「あぁ。バケモン二人から逃げ切ったんだ。五体満足でいられる事に感謝するぜ」
疲れ気味に苦笑いをこぼして、ダッチはまた足を動かした。
後に残ったバラライカ。
彼女の視線は、表通りへの道に注がれている。
最早、大きな鉄屑と化した二台の車がレッカーされて行く様を、マクレーンは表通りの路肩で眺めていた。
マルボロを取り出して口に咥え、ライターを探そうとポケットを探る。
「……あー、クソッ。マジか」
しかし、あれだけ暴れた後だ。
ポケットからはぐしゃぐしゃにへこみ、オイルが漏れ切ったライターが出て来る。
マクレーンは舌打ちをかまし、壊れたライターを路上に投げ捨てた。
予備の物はなかったか。
すっかりボロボロになってしまった服を弄っていたところで、隣に誰かがやって来た。
その人物はピシッと立っている。
割れた眼鏡が窺える、共にここまで突っ切った仲間の横顔だ。
ロベルタ。
いや、彼女の本名は、別にあった。
「……どっちで呼んだらいいんだ?」
「………………」
眼鏡を取り、持っていたハンカチで拭き始める。
マクレーンは少しだけ、さっきの事を思い出した。
「えぇ。よろしくね。そしてようこそ、ロアナプラへ」
表面上はにこやかだ。
だがどうやっても、目の奥に潜む狂気は隠せまい。
「武器はもう持ってないわよね?」
「……拳銃が腰に。だが弾切れだ」
「ないなら良いわ。また後でお話しするから……少し待っててくださらない?」
バラライカは腰より、「スチェッキン・フル・オートマチックピストル」を抜くと、ロベルタへ構えた。
即座にマクレーンは止めようとしたものの、彼女の部下が彼を囲み、銃口を突き付ける。
「撃たないわ。これは保険よ」
ロベルタはガルシアを支えつつ、キッと睨み付けていた。
一度は降ろしていた銃を構えようとしたものの、ぐったりとしているガルシアを思い出し、引き金まで指を動かせずにいる。
「……良い事を教えてあげる、メイドさん」
バラライカから聞かされた話は、物騒ながらも吉報だった。
彼女が所属するホテル・モスクワはどうやら、最初からマニサレラ・カルテル相手に「仕掛ける」つもりだった。
各地の主要な拠点を各々の支部が押さえ、麻薬と武器のルートを乗っ取る算段だ。
つまりガルシアを攫った犯人たちは、海を越えたベネズエラの本拠地からすでに壊滅。
もう彼を追う者は誰一人、いなくなった。
「タイの受け持ちは私の役目だったけど……正直、驚いたわ。あなたたち二人でほぼ、やっつけたのだもの。お陰様で向こうが混乱している内に、楽々制圧したわ」
彼女の表情には愉快が半分、つまらなさが半分だ。
そんな曖昧な顔で、全ては解決したと聞かされて唖然とするマクレーンを見やる。
「私がやりたかった事をやっちゃって、少し羨ましいわね。楽しかったかしら、マクレーン警部補さん?」
話しかけられ、マクレーンは鼻で笑う。
この時は何も答えなかった。
「まぁ、仮にホテル・モスクワの介入がなくても、あなたたち二人で奪還しちゃってたかもね。残党も吹っ飛ばして、ロアナプラから脱出? まさに噂通りね」
バラライカは冷たく微笑み、ロベルタを眺める。
彼女の言った「噂通り」の意味を察知し、ロベルタは今まで見せなかったような凶暴な表情を現した。
明確で強靭な殺意を纏った、鋭い眼光。
マクレーンは驚き、目を見開く。
「やめろ……!」
「ねぇ?『
ロベルタは躊躇していた引き金へ、指をかけた。
だが部下たちの銃口は彼女の他に、ガルシア、マクレーンへ向けられている。
抵抗する闘争心を、必死に堪えた。
「フローレンシアの……猟犬?」
ガルシアは何とか顔を上げ、ロベルタを見つめる。
何も知らない、無垢な声。それを聞きバラライカは、実に楽しそうな笑みを浮かべた。
「坊やはご存知ないのね。マクレーン警部補さんは?」
「なんで俺に聞くんだ。知る訳ねぇだろ、今日初対面だ」
「本当に面白いわね。初対面なのに、素性不明の女と地獄の一歩手前までドライブした訳?」
「南米の麻薬カルテルだのは嫌いなんだ。昔そいつらを牛耳っていたらしい、『クソ独裁者』を思い出す」
それを聞いた瞬間、ロベルタはスッと、目を逸らした。
バツの悪そうな彼女の様子を見て、バラライカは拳銃を持ったまま、楽しそうにパチンと手を叩く。
「そう、二人は初対面なのに、実は一つの糸で結ばれていたのよ」
「あん?」
「あなたも一枚噛んでいるのよ? 彼女の『本性』に、ね?」
そこからバラライカがつらつらと挙げていった、ロベルタの正体を聞き、マクレーンは愕然とした。
その時の衝撃と内容を思い出しながら、咥えていたタバコを取って、話しかける。
「……一応、おさらいさせてくれ。これでも俺ぁ、気が動転してんだ」
「………………」
「『ロザリタ・チスネロス』だっけか? まさかおたく、『
コロンビアは建国以来、保守党と自由党の二党が政権を巡って争っていた。
争っていたと言っても、選挙活動や投票数なんかではない。この両党による内戦も勃発していたほどだ。
それが更に激化したのが、一九四六年。
支配的な保守党政権が発足すると、彼らは自由党に対し度々攻撃を仕掛けてきた。
二大政党によるイザコザが、国民にまで火が移ったのが、一九四八年。
労働者からの圧倒的支持を受け、当選を確実な物としていた自由党党首が暗殺された。
これにより暴徒化した、自由党派と保守党派の市民が対立。暴動に発展。
一九五八年までに多くの内戦が発生し、クーデターによる独裁政権の発足を経て、二十万人もの犠牲者を出した「
そのように混沌としたコロンビアに於いて、一九五九年にハバナを革命軍が占有し新国家を樹立した「キューバ革命」は強力な起爆剤だった。
キューバを習い、ゲリラ活動を行う組織が次々と現れた。
一九六六年に発足した、「コロンビア革命軍」もその一つだ。
彼らは自由党派の武装農民らで構成され、社会主義国家の樹立を悲願とし、活動を始めた。
そしてそれは、現在でも継続されている。
活動資金源の調達として、外国人の誘拐や、交渉決裂による殺害も起きていた。
ロベルタ──ロザリタ・チスネロスは、そのコロンビア革命軍に於いて謂わば、英雄のような存在だった。
同志でもあるキューバの特殊部隊下で暗殺訓練を受けた後、彼女は革命の為に幾度も残虐なテロを繰り返した。
南米中を駆け抜け、後には死体しか残さない。
血を求め、どこまでも食らい付き、絶対に仕留める。
まさに「猟犬」と言う二つ名に相応しい戦いぶりだったとの事だ。
キューバの影響なのか、アメリカに対し敵対的だ。
事実、米国大使館の爆破も実行していたらしい。国際指名手配もされた。
マクレーンは、テロリストに、手を貸していた訳だ。
「……そりゃ、数十年来の戦士ならあの戦いぶりは納得だわな」
「………………」
「………………」
ロザリタは眼鏡をかけず、足を折り畳んで右手の中にしまった。
今になって良く窺える彼女の目は、あまりに鋭利で冷たく暗い、「戦士の眼差し」だ。
「……これを言って良いのかですが、マクレーン様はFARCでは『英雄視』されていました」
「あぁ、そりゃそうだろなぁ」
マクレーンは嫌な事を思い出したかのように、顔を顰める。
「……吹っ飛ばしちまったんだよなぁ。あんたらのターゲット」
一九八九年のクリスマスの悲劇がよぎる。
彼はその日、中南米の独裁国家「バル・ベルデ」の独裁者を、仲間も一緒に全員殺した。
「……『ラモン・エスペランザ』。彼は我々が掲げる社会主義に反対し、米国の支援を受け、南米内の共産・社会主義組織と対立していた人物。FARCの同志も、彼の軍隊と、支援する米軍に殺された事もあります」
独裁者エスペランザは、反共主義を掲げていた事により、冷戦期のアメリカより支援を受けていた。
しかし冷戦が終わると彼の「もう一つの顔」が発覚し、アメリカは一転して彼を拘束。
それが、一九八九年の悲劇の引き金となった。
「……あぁ。カリスマだの親米家の反共主義者だの言われたが……あいつは、南米の麻薬を牛耳っていた『麻薬王』だったんだ」
エスペランザは南米中の様々なカルテルと繋がり、麻薬のマーケットを拡大させた黒幕でもあった。
支援金がこの裏稼業に使い込まれていた事実も発覚しており、米国の逆鱗に触れ、エスペランザは逮捕。
「んで、バル・ベルデからアメリカに運ばれ、裁判にかけられる……手はずだった」
「……その時の様子は、向こうで何度も放送されておりました」
「まさか、当時駐屯していたアメリカ陸軍の元兵士たちが、奴に感化されていたとはな」
スチュアート大佐率いるエスペランザのシンパが、ダレス国際空港のシステムを占領。
空港に到着予定の全旅客機を空に孤立させ、エスペランザの解放を迫る暴挙を起こした。
この事件で一機の旅客機が見せしめとして、墜落させられる。
また空港内でも暗躍し、大勢の犠牲者を出した。
米国に於ける、最悪のテロ事件の一つだ。
「んで、最後は俺が」
「彼らを乗せた飛行機の翼に飛び乗り燃料を開け、そこに点火。爆破させてエスペランザらを葬っただけでなく、その火で滑走路の位置を示し、残りの旅客機全てを着陸させる事に成功」
「……あぁ、そっか。最後は生中継されてたっけな。改めて聞くと、すげぇ事したもんだなあ」
「私がFARCに加入したのは、ちょうどその頃でした……米国であなたがした偉業を繰り返し、聞かされました。たった一人で反共主義者のテロを駆逐し、罪無き者たちさえ救った英雄……」
ロザリタは一呼吸置き、次に暗い表情を見せた。
「……そう。異常にあなたの事を持ち上げておりました。その原因は……」
辛そうな彼女に代わり、マクレーンから話してやった。
「あの後、妙な噂が立っていてな。『エスペランザの遺産』の話だ」
彼女は観念したかのように、俯く。
「奴はダレス国際空港からアメリカを脱出した後、また麻薬王として返り咲くつもりだった。その為の準備を整えていない訳がなかった──が、その『整えていた準備』ってのが本人が死んだ事で、フリーな遺産になってしまった」
「………………」
「次に、一九八◯年までは千人未満のFARCが、八十年代後半に突如として金回りが良くなって勢力が拡大した」
「………………」
「エスペランザの遺産を掘り当てたのは、おたくらだ。その遺産が──」
ロザリタが言葉を遮った。
「麻薬です」
偶然通った車が、ヘッドライトで二人を照らす。
照らし、通り過ぎ、また影を作る。
「……FARCが、エスペランザが隠していた大量のコカインとカルテルとのコネクション、そして密輸ルートを手にしたんです」
「………………」
「……革命の朝を信じて戦い続けていた私は結局、マフィアとコカイン畑を守る番犬だったんですよ」
彼女が吐き捨てるように呟いた後に、マクレーンは皮肉を込めて喋り出す。
「……ジョン・マクレーンは反共主義者を殺した上、組織を繁栄させる礎まで渡してくれた。そりゃ『英雄』にされるわな」
火もついていないのに、また彼はタバコを咥え始める。
吸う吸えないは関係ない。
ただこの重苦しい空気に堪える為に、食い縛る何かが欲しかっただけだ。
「……もはや、革命は成せない。私は四年前に軍を抜けました。その時、私を匿ってくださったのが……若様のお父上様であり、亡き父の親友であったディエゴ・ラブレス様でした」
ラブレス家は「南米十三家族」と呼ばれる、由緒ある一族の一つに数えられていた。
このラブレス家が保有している土地で「レアアース」が発見され、強引に土地を買い取る為にマフィアが悶着を起こしていたようだ。
それでもディエゴ・ラブレスは、先祖代々から譲り受けて来た土地を渡す気は無かった。
マフィアは強行手段として、ガルシアを誘拐し、人質に取ろうと企てる。
これが今回の事件の発端だった。
「……私はもう二度と、あの時の私に戻るつもりはありませんでした。しかし若様を取り戻す為には、私が戻るしかなかったのです」
「………………」
「……だから」
彼女は、マクレーンと目を合わせた。
泣きそうな目をしている。
その時ばかりは、ロザリタが一人のただの女性に見えた。
「……一度捨てた自分に戻った時に、かつてFARCにいた頃、英雄として尊敬していた……あなたと出会った事が、偶然に思えなかったんです」
マクレーンはタバコを咥えながら、ジッと彼女の言葉を待つ。
「……驚きましたよ。この街に着いて、私を普通の女だと思って助けに来た男が、あのジョン・マクレーンだなんて……およそ会う事はないタイの僻地に、あなたがいたのです。冷静でいられませんでした」
「……結構、冷静に見えたがなぁ……」
「何かの兆しか、それとも過去が私に『消す事なんて出来ない』と示しに来たのか……正直、あの遭遇に恐怖さえ感じておりました。同時に、本当にあのジョン・マクレーンなのかとも」
「あぁ、やっぱりか。お前、俺の事を……」
「……えぇ。『試させていただきました』」
ロザリタから正直に聞かされ、マクレーンは乾いた笑いをあげた。
「若様を取り戻すと言う任務の最中でしたが、それでもマクレーン様は人々を救った『真の英雄』なのかと。私にさえ手を差し出してくれる強き人なのかと、試してみたかったのです」
「それで結果は? こんなボロボロになっちまったんだ。お眼鏡に叶わないってんなら暴れるぞ」
「………………」
「……あ? どした?」
ロザリタは呆気に取られている様子だ。
信じられないと言いたげな表情をしていた。
「……失望されないのですか?」
「必要ねぇ。カルテルのクソどもをやっつけて、攫われたお坊ちゃんを助けたんだ。結果オーライか?」
「そうではなくて……私は何人も人を殺した猟犬ですよ。何も思っていない訳はありませんよね」
マクレーンはまたタバコを口から離し、少し考え込むように俯いてからまた、ロザリタと目を合わせる。
「俺ぁ刑事だ。インターポールも追っている国際指名手配犯を見過ごす訳にはいかない」
だが、とすぐに続け、ニヤッと疲れ気味に笑う。
「……今は権限もねぇし、ジャンキー扱いされてるからなぁ。見過ごすしかねぇよ」
ただし、とタバコの先をロザリタに向ける。
「俺が復職した時に会ったら、殺し合ってでも捕まえてやる。だからもう、ベネズエラから出て来んな。二度と俺と会うな」
それだけ告げ、更にタバコを突き付けた。
「……火。持ってない?」
ロザリタは驚いた顔の後に、悟ったようにまた眼鏡をかけた。
立っていた人物は今日一晩、生死の狭間を駆け巡った戦友、ロベルタだ。
「……喫煙しておりませんので」
「クソッタレ。さっさと帰りやがれ」
「……えぇ。もう、お会いする事はないでしょう」
「あぁ。さよなら」
「えぇ。さよなら」
ロベルタは踵を返し、マクレーンに背を向けた。
最後に見えた横顔は、楽しそうに笑っているように見えた。
「あー、それと」
最後にマクレーンは呼び止める。
「俺は『英雄』ってもんじゃない。なんでか分かるかぁ?」
聞こえなかったのか、聞こえたのか。
彼女は返答も聞き返しもせず、そのまま歩き去ってしまった。
マクレーンは二度と会う事のない彼女の背を眺めながら、一人悲しい記憶を辿り続けていた。
後にマクレーンは、この瞬間を後悔する日が来てしまう。
あんな事になってしまうとは、微塵も思い付かなかった。
マクレーンは再び、ロベルタと邂逅するハメになる。
「ロザリタ・チスネロス」としての彼女と、「本当に殺し合う」事になる。
それはまだ、この時点で想像にも及ばない未来の話だ。
「Living Loving Maid」
「レッド・ツェッペリン」の楽曲。正式には「She's Just a Woman」が後に続く。
1969年発売「Led Zeppelin Ⅱ」に収録されている。
大人しそうなタイトルに反して、ノリノリなロックテイスト。
リビン♪ ラビン♪ シジャスアウーマン♪
次回より、私もヒヤヒヤ双子編の予定です