DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
Gemini Dream 1
必死に火を振った。
叫んだ。
顔にかかる吹雪も気にしない。
轢かれる恐ろしさもなかった。
やるだけやった。
でも、気付かれなかった。
あまりにも灯りが小さ過ぎたんだ。
数秒後に、頭の上を猛スピードで旅客機が通り過ぎた。
その更に数秒後には、轟音と炎が目の前に広がった。
残骸だ。
燃えた惨状の中で、焦げた鉄屑が散らばった。
俺は茫然としたまま、その中へ足を踏み入れる。
「……酷過ぎる……」
足元を見た。
頭だけになり転がった、人形が落っこちていた。
悲しんでいるのか、訴えているのか分からない。
ただ俺を、割れたプラスチックの目で見ていた。
その目に、火が着いた。
物思いに耽っている最中に突然、目の前に火柱が上がり、マクレーンは少し身体を震わした。
小さな赤い、ライターの火だ。咥えていたタバコの先端が燃やされる。
「お疲れ様ね」
火を着けた人物は、バラライカだった。
この街を実質的に仕切る「大ボス」が隣にいた為、呆気に取られてしまった。
「猟犬とは何を?」
マクレーンは辺りをつい見渡す。
そこは商店エリアの表通り。さっきロベルタと別れた後だと、思い出した。
「……いや。別に。おたくには関係ない」
「一緒に死線を潜り抜けた仲だものね。労いの言葉でもかけあった?」
パチンとライターの蓋を閉じ、彼女はそれを懐に戻した。
「彼女と坊やは、我々ホテル・モスクワが空港まで護衛するわ。カルテルを半壊させた大手柄、こっちも敬意を払わなければ」
「なら俺も空港まで願いたいねぇ。死にかけ寸前まで手伝っただろ」
「死体に運転させて、機関銃とグレネードを撃ちまくったって聞いたけど、ほんと?」
「いつクラッシュするかヒヤヒヤしたぜ。ほれ、帰してくんな」
「でもごめんなさいね。無理」
あっさりと、あっけらかんと、バラライカは断った。
紫煙を吸い込みながら、マクレーンは不機嫌な表情で睨み付ける。
「その代わりほら、ウチの傘下のこのお店に。話は通しておくから私たちからの奢りって事で、入店四回分は好きなだけ飲んで良いわ」
バラライカはその店のカードをマクレーンに渡す。
ペラリと返すと、裏に地図が載っている。ブラン・ストリートの方らしい。
「……おい待て。俺ぁ、さっさとニューヨークに帰りたいんだ。俺に渡すのはこんな飲んだくれクーポンじゃなくて、ケネディ空港行きのチケットのハズだ」
「あら。でもあなた、キメちゃったって聞いたわよ?」
「冤罪だ! あのクソ署長にハメられたんだよ!」
「さっきの話が本当なら、キメてるって思われても信憑性あるけど」
「アレはアレだッ!」
「まぁまぁ、信じてあげるわ。殆ど自由に歩かせているみたいだし。でも、冤罪でも保護観察にしては破格の待遇よ? もっと感謝した方がいいんじゃない?」
「この街で野垂れ死ぬまでを楽しんでいるだけだろ。クソ喰らえだ」
「野垂れ死ぬまでね……ふふふっ」
意味深長な含み笑い。
何が笑えたのかと疑問を込めた目で眺めるマクレーンに、彼女は応答する。
「あなたの経歴は見たわ。十二年、十一年前と、つい五年前の事件」
「だったらさっさと、俺をこの街から出しやがれ。じゃなきゃ今までみてぇに、全員吹っ飛ばしてやる。ホテル・モスクワからホテル・マクレーンへ乗っ取ってやろうか?」
次にバラライカは愉快そうに笑った。
「さすがのあなたでも、拳銃一本では無理でしょ? 仲間もいないし、何よりこの街全てが私たちのホームグラウンドよ」
「………………」
「お分かり? あなたはアウェイ。その気になれば私が一声かけるだけで、この街の全ての人間から狙われるわ。あなたが三回も大事件を解決したって言っても、元から『仕上がった場所』じゃどうにもならない。そうでしょ?」
ロアナプラのあちこちには、金さえ払えば恨みなくとも人を殺せる奴らがいる。
ホテル・モスクワがもし、マクレーンに莫大な懸賞金をかけたのなら……想像は簡単に出来た。
言葉遣いさえ大人しいが、根本に宿る本性は残酷で凶暴。
バラライカから放たれる、ある種の狂気と言うのがピリピリと肌を焼くようだ。
マクレーンにはすぐに分かった。こう言う人間は何度も見てきたからだ。
「……なぁ。教えてくれ」
煙を吐き、タバコを口から離した。
「俺をここに閉じ込めている手伝いしてんだろ。なんでなんだ?」
バラライカはわざとらしいまでに、考え込む仕草を取る。
「さぁ。気まぐれ?」
「気まぐれで明日殺されるかもしれねぇ街にいられるか!」
「辛抱するしかないわね」
のらりくらりとかわされた気分だ。
睨み付け、納得していない様子の彼を見て、バラライカは仕方なく告げてやった。
「出来過ぎよね」
「なに?」
「たまたま非番で、たまたま立ち寄ったビルがジャックされたなんてある? たまたま待ち合わせた空港で、たまたまテロが起こるなんて? たまたま殺した犯人に兄がいて、巻き込む必要のない犯行にあなた巻き込んだって事も?」
生々しい火傷痕が残る左顔面を晒しながら、彼女は続ける。
「これら全てを解決したと言うよりも私は──これら全ての中心になぜか立てていた、無関係なあなたに興味が湧いた」
「俺が全部意図して、前以ていたと思ってんのか?」
「最初はそう考えた。明らかにありえない。しかし、ここに閉じ込めてから今日、やっと分かったわ」
マクレーンと目を合わせた。
「あなたはピンポイントでFARCの元暗殺者と遭遇し、しかも向こうはあなたを認知していた。だから今回の騒動に巻き込まれた。最早それは才能よ」
その目は狂気の灯火を浴びていた。
光なき碧眼の奥より、閉ざされた扉の隙間から漏れるように、赤々とした灯火がちらついている。
「私はただただ──」
マクレーンは悟った。
目の前の女は、人の皮を被った獣だと。
「──羨ましいのよ。行く先々で、戦争を前列から楽しめるあなたが。死神に愛されたあなたが。どこまで生き残れるのか、見てみたい」
強い怒りが噴き出た。
この女にとって、マクレーンが潜り抜けてきた死線とは娯楽同然らしい。
「……楽しめるだと?」
タバコを捨て、踏み付けた。
「ふざけるなサイコ野郎」
ワンブロック先まで響くような怒鳴り声を吐き散らした。
「『救えなかった瞬間』が、ふとした時に頭ん中で流れんだッ!! 楽しんでいるわきゃねぇだろッ!?」
目の前で撃たれた社長。
無線の向こうで響く銃声。
頭の上を通り過ぎ墜落する旅客機。
死体となって運ばれる同僚。
一気に頭の中を流れ、マクレーンは怒りから一転、当惑から頭を振った。
「……ッ!」
「あら、大丈夫?」
青い顔になったマクレーンを見て、バラライカは怪訝そうに尋ねる。
この女にだけは心配されたくない。
マクレーンは無理に彼女から離れ、そのまま下宿屋まで帰ろうとする。
「あなたはこの街に合うハズよ」
知った顔で話す、バラライカ。
「また楽しませてね。向こう一年半先まで、よろしく」
無視し、夜の街に消えようかと歩き出す。
隣の車道を、数台の車が通る。
ロベルタとガルシアを乗せた車を、ホテル・モスクワの者たちが護送していた。
こちらを眺めていた、ガルシアと目が合う。
目を丸くさせ、まじまじとマクレーンを見ていた。
彼に何を、ロベルタは話したのか。
マクレーンはまず、救えた事に安堵し、もう会う事はない──と思っていたガルシアへ、ひょこりと手を上げて別れの挨拶を交わす。
「親の元に帰んな。それが一番良い」
一人呟き、視界から消え行く車列を見送った。
バラライカから貰ったカードを捲る。
バーの名前はとてもシンプルで、すぐに覚えた。
「……ラム酒だけだったら店で暴れてやる」
目下、銃弾の補充と、ライターと酒の購入、撃たれた肩の治療が最優先だ。
それからこの悪が蔓延る街で、自分が何を出来るのかを考え続けた。
ヒーローは、
人々を救う為に、
その痛みを引き受ける羊。
その正義の心に、
賛否を送り付けるのは、
大衆と言う羊飼いだけ。
ヒーローは結局、
羊を守る番犬ではなく、
羊飼いに縛られた羊だ。
誰よりも縛られた羊だ。
正義か悪かは、
従順な羊のまま甘んじるか、
油断した羊飼いを谷へ落とすか、
どちらかでしかない。
誰よりも優しいヒーローとは、
誰よりも醜悪なヒールらしい。
だから羊飼いは、羊を捧げる。
羊が悪魔の生贄にならぬよう。
薄気味悪い、粘り着いた液体の音が響く。
「誰だったかしら、兄様」
鉄の床と壁は、凍て付いていた。
「究極の愛は
無音を撫でるような、布の擦れる音が続く。
「エドガー・アラン・ポー?」
相手の輪郭さえ曖昧な暗闇の中にいた。
「違うよ、姉様」
時間と昼夜の消えた世界だ。
「彼は
液体からすえた臭いが立つ。
「リチャード・マシスン?」
暴力的な予感を感じさせる、凶器の輪郭。
「だったかもしれないね」
音が近付いて来る。
「彼らはこの匂いを嗅いだのかしら?」
オイル切れの喧しいエンジン音。
「命の流れる匂い、鉄錆の潮の匂い、事切れる刹那の匂い」
音が消え、足音がやって来る。
「彼らは贅沢なんだ、姉様」
話し声が延々と続く。
「そろそろこの街のみんなが、動き出すかしら?」
暗闇の世界に、鉄の擦れる音と共に光が差し込む。
「これで五人。予定にない者も殺してしまったからね」
隙間からウミネコが見えた。
「皆が僕らを殺しに来るよ」
何者かが光を遮る。
「楽しみだね、姉様」
足元に、肉の塊が落ちていた。
「ああ、兄様」
それが人だと、光が教えてくれた。
「本当に楽しみ」
暴力が外の澱みに混じった。
「おおーーーい、職務怠慢のクソどもーーっ!」
警察署の扉を蹴飛ばして開け、マクレーンが叫ぶ。
「俺が検挙のお手本を見せてやるぜ税金ドロボーーっ!」
彼だけではない。
手錠を嵌めた二人組を連行していた。
騒ぎを聞きつけ、ワトサップがエントランスにのしのしとやって来る。
「……どう言うことだ、ジャンキー」
「ジャンキーはそっちの言いがかりだろが。俺は正義のおまわりさんだ」
「正義のおまわりさん? 自分を警官と思い込んだヤク中の間違いだろ」
「こりゃ凄い、ここはサーカスだったか? 自分を人間と思い込んだタヌキがいるなあ」
「言いやがったなてめぇ。またぶち込まれたいか?」
「幾らでもぶち込みやがれ。その十倍、ぶち込んでやるからよ」
ワトサップは呆れ果てながら、マクレーンが連行してきた二人組を見やる。
一方はドラマのコメディアンのように大袈裟な表情で、もう一方は死んだ目の無表情。
「……この四週間で何度目だ?」
「もう二桁はいったな。すげぇぞ、街を歩くだけで検挙率が上がる。ボーナス貰えるか?」
「結局、明日には証拠不十分で釈放だ」
「俺は逮捕して警察署に連れて行くのが趣味なんだ」
「……お前、マジにキメてんじゃねぇのか?」
マクレーンは捕まえた二人組を、ワトサップに突き出す。
すると一人の方が喚き出した。
妙な訛りのある英語だ。
「あのぉー、刑事さーん。オラたちゃ、ただカーペット運んでただけですだーよ?」
「そのカーペットを広げたら、血と髪の毛が着いてたんだ。こいつら、不法に死体の処理をしてやがる」
「あれはー……オラが転んでぶつけたモンだって言ったんだーよー!」
「どこも出血してねぇよこいつ」
「吐血ですってぇ〜!」
ワトサップは男に質問する。
「見ない顔だな。欧州人か?」
「自分、ヤーコプと申しますだーよ! ヤーコプ・ファン・フリート! こっちは弟のエフェリン」
「ドイツ人?」
「惜しい! オランダだーよ! ここにはつい最近来たばっかで、ダッチマンブラザーズって名前で清掃屋を──」
マクレーンがヤーコプの頭を叩いて黙らせる。
「こいつ喋ると止まらねぇぞ。連行中もずっとペラペラ、ラジオみてぇに一人でも喋るからな」
「ただの清掃屋だろ」
「じゃあただの清掃屋がなんで血塗れのカーペット運んでんだぁ? え?」
「私物なんだろ」
「なんだあんた、性善説信者だったか? その太々しい見た目に合わねぇからやめとけ」
ワトサップは少し考えた末に、観念したように頭を振ってから、控えていた警官に二人を引き渡した。
「だーかーらー無罪ですっての! なぁエフェリン、そうだーよなぁ!?」
「………………」
「ほら、無罪だって言ってるだーよ!」
「おめぇ、母さんの腹ん中で弟の分までお喋り吸い取ったんじゃねぇのか?」
マクレーンの悪態を受けながら、二人は留置所に送られる。
してやったり顔の彼へ、ワトサップはひたいを押さえながら咎めた。
「てめぇのせいで、この署が出来て以来恐らく初の、留置所のパンクが起きたぞ。ポン引きにギャンブラー、手当たり次第に連れて来やがって」
「俺は観光じゃねぇ、視察に来たんだボケ。俺がお手本になってやるってんだ」
「なぁ、ジャンキーにされた腹いせならそう言え。保護観察が終わったら、間違いでしたって弁明してやる。だから止めろ」
「口約束なら幾らでも出来るよなぁ。生憎、俺はこの街の人間の言葉は信じねぇ事に決めたんだ。俺は俺の役割を果たすだけだぜ」
苛つきを、サングラスを弄って表現するワトサップ。
その様を楽しんでいるのか、マクレーンは忍び笑いを浮かべた。
「……四週間前の騒動以来、あんたはこのロアナプラで話題沸騰中だ。まだ目立ちてぇのか?」
彼がベネズエラから来た、狂犬メイドと一緒に暴れた話は広まっていた。
曰く、「傭兵集団をローストした男」。
「ターミネーターのマブダチ」。
「リアルマッドマックス」。
「美女と野獣のどっちも野獣だったパターン」。
「死体に車を運転させて、機関銃とグレネード弾をマフィアにぶっ放した男」。
枚挙に暇がない。
街を去ったロベルタが畏怖の対象となっていたのに対し、街に残った彼は「ロアナプラ一、不幸な男」の称号を貰っていた。
と言うのは、ジョン・マクレーンが関わった過去の事件が広まったからだ。
つまりは「歩く厄介者」扱いだ。
「あぁ、良い気分だぜ、目立つってのは。ただ、イエロー・フラッグには出禁食らわされた」
「当たり前だろうが。あんた噂が立ってから、あちこちで厄介者扱いになってんだろ。ここでもそうなってんだぞ」
「金にはギリギリ困ってねぇから生活は出来る。暇なのが嫌なんだ」
「暇潰しで検挙率上げんじゃねぇ」
マクレーンがニューヨーク市警に頼んだ金の問題は、どうやら解決したらしい。
口座を確認すれば、ひと月の給料分が振り込まれていた。
生活費の確保が出来たのなら、もうマクレーンに怖いものはほぼ無い。
弾薬の補充、新しい銃の購入などをして自衛手段を整えた上で、刑事の仕事を開始。
言えども、ワトサップらへの嫌がらせの側面が大きいが。
「そんじゃ、仕事しねぇあんたらに代わって仕事して来るぜ。あばよぅ」
「待て、待て待てクソッタレ。フレンチ・コネクションの真似事すんじゃねぇ」
「あれは主人公はFBIを撃っちまったが、俺はFBIに撃たれかけたって違いがある」
それだけ言い残し、マクレーンは警察署を揚々と出た。
夕暮れ時の良い天気だ。
合わせて、夜でも非常に暑い日だ。喉が乾く。
マクレーンはタバコを咥え、ライターで火をつける。
美味しそうに蒸しながら、市内を歩く。
「バオの奴め。そんなにレミントン取ったのが嫌だったのかってんだ。しれっとM870から1100に変えていた癖に」
とは言え、今の彼は酒に困ってはいなかった。
バラライカから四回分の飲み放題を貰っていたからだ。
もう三回目。最後の一回。
すっかり顔馴染みになったバーテンの元へ、今日もフラフラと向かう。
週に一回、ここに行って夜明けまで飲むのが楽しみになっていたが、それも最後だ。
「バオより愛想良いし、俺もこっちに変えるかなぁ」
通いも手だと考えながら、そのバーへ向かう。
三十分後、すっかり暗くなった頃。
マクレーンはカードを片手に、バーの前に立つ。
大通り沿いにある、お洒落で小綺麗な店だ。
良い天気だったのに、いきなり黒雲が立ち込め始めた。
どうやら雨が近い。
店名は、「カリビアン・バー」。実にシンプルだ。
「さぁー! 今日も棚の酒、コンプリートしてやるぜぇ〜!」
意気揚々と扉を潜る。
「最悪な街の、唯一の天国だ」
そしてまた、巻き込まれる事となる。
ここに来て最悪な目に遭って来たが、最も最悪な事件に。
「Gemini Dream」
「ムーディー・ブルース」の楽曲。
1981年発売「Long Distance Voyager」に収録されている。
全米1位に輝いた名盤。
シンセとロックの融合。コスモでダンサンブルな一曲。
邦題ではなぜか「ジェミニ・ワールド」。アルバム名も「ボイジャー・天海冥」。