DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
停まった車から、十人ほどの男たちが降りてくる。
その中の一人が、バタバタと走って来た忙しないロックに気付いた。
「すみません、お待たせました?」
「別に気にしちゃいねぇよ。しかし日本人はすぐ謝るって聞くが、本当なんだな」
「良く言われますけど、それはExcuse meとI'm sorryが同じ言葉なだけですよ」
「そうかよ」
表面上はあっさりとしているが、彼の頭の中はボスへの釈明にどの言葉を使おうかでいっぱいだった。ロックから受ける説明も、どこか上の空だ。
早速、やって来たイタリア人に荷物の場所を示し、責任者と思われる二人を事務所に通した。
チラリとマクレーンの方を一瞥して、彼の準備を確認しておく。
「クソッタレ。ダセェだろうがよぉ……どっからどう見てもジャンキーの格好だろが。センス疑っちまうぜぇ、なあ?」
ロックから受け取ったアロハシャツ、サングラス、ハンターハットの一式を着用する。
噂の人となり、顔を知られている可能性がある。念には念をの、変装だ。
「あんな大所帯でなに運んでんだか。港で勝手に荷物運び出しちゃあ労働組合に襲われるぞぉ、イレイザーみてぇに。運び出してんのは電気の銃か?」
最後のタバコを捨て、「その時」をぼんやりと待つ。
一日ロアナプラの空を隠すかと思われていた雨雲は散り、晴天に移り変わる。
「………………」
空を見上げ、物思いに耽る。
たまに自分が哀れに思えて来たりする。
英雄だのヒーローだのと持て囃された八十年代の終わりと、これからやり直そうとしていた矢先に家族を手放した九十年代。
気付けば世界は二十一世紀。やって来た二◯◯◯年代。
自分がくたばるまで、もう五十年もないだろう。
後悔のないように生きて来たし、だからこそ戦い抜けた。
でも結局は、後悔ばかりだ。
心にあるのは過去ばかりだ。
辛く悲しい、呪いばかりだ。
妻におはようのキスをし、子どもたちにいってらっしゃいのハグをする。
そんな未来は、もう来ないだろうな。
「……クソッ。やっぱタバコがないとナイーブになっちまうなぁオイ」
空っぽになった紙箱を覗き、苛つきのままに投げ捨てた。
さっきのロックの言葉が影響しているのだろう。
結局、今が自分史上一番意味が分からない場面だ。
「……いいや、答えは決まってんだろ、ジョン・マクレーン」
サングラスに着いていた埃を、息を吐きかけて吹き飛ばした。
「……今までと同じで良いんだよぉ。ちょっと気を付けるだけだ」
もう一度サングラスをかけ、車列に目を向ける。
荷物は積まれ、事務所に行った二人以外は車に戻っていた。
大急ぎで服を整えるマクレーン。
「うおおお、始まるぞぉ!」
ロックが、車内にいた人間に何かを話している。
少しばかり話した後に、荷物を満載した車だけが走り去って行く。
何を言ったのかは分からないが、上手く邪魔者を口車に乗せたようだ。
そのほんの二分後、ダッチとの交渉を終えた二人が戻る。
自分たちと車が一台だけと知るや否や、怪訝な顔を見せた。
「あ? 勝手に行きやがったのかオイ……なぁ、日本人」
側に控えていたロックに尋ねる。
「あいつらは?」
「先に行くってしか聞いてないよ」
「俺を置いて行きやがって……まぁ、どうせ目的地は同じか」
特別、何の警戒もせずに彼は車の後部から近付き、助手席に乗り込んだ。
その隙にロックは、バレないようアイコンタクトで合図を送った。
後は何食わぬ顔でその場を離脱する。
「おい、さっさと追い付くぞ」
「あいよ、モレッティ」
同じく相棒も後に続こうとする。
先に乗ったモレッティと言う男。
窓枠に肘を置き、頬杖をしながら頭を抱え、イタリア語でボヤき始めた。
「
モレッティは気付いていないが、車の後部で相棒が誰かに呼び止められていた。
「そもそもあいつらを呼ぶのが間違いだったんだ」
眉間を指で摘み、思考をぐだぐだ巡らせる。
モレッティは気付いていないが、相棒はダサいアロハシャツを着た陽気なおじさんに「落し物だよ」と話しかけられていた。
「あっちでも一人だけ殺せって命令なのに、
モレッティは気付いていないが、相棒は豹変したおじさんに掴みかかられ顔面を殴られていた。
「そんなに
顔を手で覆い、溜め息を吐く。
モレッティは気付いていないが、相棒はおじさんに後頭部を掴まれ、リアガラスに顔面をぶつけられ気絶させられていた。
車が衝撃で揺れる。
「……おい! 何やってんだ!!」
ガチャリと、助手席側が開く。
相棒かと思えば、あまりにもダサいアロハシャツを着た変なおじさんだった。
「なんだてめ──」
言い切る前にその謎の人物に顔面を殴られ、そのまま前方に叩きつけられた。
痛みと頭部への衝撃でボンヤリとしている内に、ホルスターの銃を抜かれて捨てられる。
気が付けばその男に、ベレッタを突き付けられていた。
「
モレッティは事態を把握すると、両手を挙げて無抵抗を示す。
銃口は向けたまま、おじさんはボンネットを回り込んで運転席に座る。
彼の相棒から奪ったキーでエンジンをかけ、薄ら笑いを浮かべながら片手でハンドルを握った。
「相手はアン女王じゃねぇがな」
「なんだてめぇは!? 誰だ!? おい、あいつは!?」
「あの豚と猿のキメラ野郎か? 後ろで伸びてるぜ」
おじさんはサングラスを取る。
露わになった彼の顔を見て、モレッティは「あっ!」と声をあげた。
そこにいたのは、ジョン・マクレーン。
カルテルとの一件で名と顔が知れ渡っていた男だ。
「てめぇ、ジョン・マクレーン!? なんで……!?」
「おおっと動くんじゃねぇ。俺はおたくらの国の銃は好きだが、マフィアは
「エスカルゴはフランスだろが!」
「あ? そうなのか? まぁ、隣の国だ。そんな変わんねぇ」
マクレーンはそのベレッタを構えたまま、アクセルを踏んで車を発進させた。
手はず通りのカージャックを見届けた後に、ロックはこっそり現場に戻る。
足元で伸びている、モレッティの相棒を見て頭を抱えた。
どうするか迷った挙句に、彼は近くにあった公衆電話から電話をかける。
「ワットゥ・ヘヴュールドゥ・イズ、イズ・へヴュールドゥ。ロックだ、すぐに頼む」
死体ではないが、どうにかしてくれるだろう。
モレッティを乗せて車を走らせるマクレーン。
右手でベレッタを構えながら、左手でハンドルを操る。
片手運転の危なっかしい操作のまま、フラフラ表通りに出る。
勿論、拳銃の位置を車窓より下にしている為、カージャックしているとはそうそう気付かれまい。
スピードも上げてやり、飛び降りられなくさせた。
「……なんだってんだオイ。イカれたメイドと一緒にコロンビアンどもで花火を上げたってのに、お次は俺たちか? 言っとくが俺たちヴェロッキオ・ファミリーはマニサレラ・カルテルとは訳がちげぇ。こんなのがバレたら、明朝には豚の糞に早変わりだぞ」
「そうなる前にてめぇをピザにしてやる。プレス機に入れて薄っぺらにしてよぉ、上からチーズとソースかけてマルゲリータにしてやんだ。キチンと丸ノコで八等分に切り分けてやるぜ。そのまま、てめぇのボスに送ってやるよぉ」
行き交う車に請うような視線を向けるが、誰もこの事態を察知してくれやしないだろう。
「要件はなんだ。ブツだったら、この車にはねぇぞ。金ももう払っちまってスッカラカンだ」
「ブツも金も興味ねぇ。俺は刑事だ。刑事と言ったら捜査だろぉ? ヒルストリート・ブルース見てねぇのか?」
「映画に興味ねぇよ」
「ドラマだボケ。いいか、正直に言うんだ。ヘンゼルとグレーテルに聞き覚えは? 童話じゃねぇぞ」
その名を言った途端、モレッティは分かりやすく動揺を見せた。
まさかマクレーンの口から飛び出るとは、思いもよらなかったからだ。
「……おい……なんで、その名前を知ってんだ……!?」
「本人から聞いたんだよ」
「は!? 本人だぁ!?」
「今朝、カリビアン・バーを襲わせただろ? そこで気持ち良〜く飲んでいただけなのに殺されかけたんだ!」
モレッティはハッと思い出す。
あの時ヘンゼルが聞いていた人物とはまんま、マクレーンの事だったのだと。
「嘘だろてめぇ!? 逃げ切ったのかぁ!? どうやったんだよ……」
「そんで双子の指紋だのを調べたら、なんとおたくらの組織と関係した事件がヒットしてなぁ? ちょーっと、尋問しようと思いましてなぁ?」
冷や汗を流し、頭を抱えた。
ただでさえ双子のせいで問題だらけだと言うのに、突然やって来たあのマクレーンに嗅ぎ付かれたとあっては、下手をすれば豚の糞になっているのは自分の方になる。
「正直に答えろ。あの二人は何者で、おたくらの組織とどんな関係だ? そんで次は、どこを襲わせる?」
銃口を突き付けて脅す。
しかし彼も、筋金入りのギャングだ。やすやすと口を割るような男ではない。
「お、俺も良く知らねぇよ! ただ噂を聞いたとかぐれぇだ!」
「知らねぇ訳はねぇだろ〜? 黄金夜会をお開きにして、自分一人甘い汁を吸おうとしてんのはお見通しなんだぁ。なんなら他の組織にチクってやろうか?」
「双子はファミリーとは関係ねぇ! 確かにコーサ・ノストラとは関係してるが、ここにいんのは偶然だ! イタリア系のギャングなら、まだ他にもロアナプラにいるだろ!?」
「どうしても話さねぇんだな?」
「話すも何も、てめぇの思い違いだ!」
「そうか」
マクレーンはハンドルを一瞬手放し、サッとシートベルトを締めた。
そのままニヤリと笑う。
「良い車なのに勿体ねぇよなぁ」
突然、アクセルを一気に踏み込んだ。
スピードが更に上昇し、走行音が車内を甲高く満たす。
「おい!? おい、おい!?」
揺れ始める車に驚き、彼もシートベルトを着用しようとする。
しかしマクレーンはベレッタで撃ち、的確にシートベルトの巻き取り口を破壊してやった。
「だあぁあッ!? 何やってんだてめぇえッ!? 危ねぇッ! イカれてんのかッ!?」
「今から最高のドライブだぁ! バニシングin60超えを目指してやるぞぉーーッ!!」
ハンドルを大きく切り、右へ左へ暴走を始めた。
対向車線だろうが御構い無し。逆走し、前方から向かって来た車を紙一重で避けたりと、危険運転を繰り返す。
「よせよせよせよせやめろぉ!? 俺もお前も死ぬぞぉ!?」
「てめぇが話せばそうはならねぇがぁ?」
「だから知らねぇんだよぉッ!!」
「オーケー、そんなに楽しみたいんだな」
ギアを変え、更にスピードを上げる。
赤信号を無視し、車が行き交う十字路の真ん中を走り抜けてやった。
「正気じゃねぇよてめぇッ!?」
「おたくが花嫁だったらトランザム7000の再現なんだけどなぁ!? 良いぜ、なんならスティーブ・マックイーンもやった事ねぇようなカーアクションでも始めるかぁッ! Fooooooッ!!」
どんどんと他の車を追い越し、豪快にドリフトをかけて急カーブ。
その時に対向車が眼前に迫っており肝が冷える。
路上に置いてあったゴミ置き場に突っ込んだ時も同様だ。
「ぅおおッ!? イデェッ!! クソォッ!!」
シートベルトも無いのに、この暴走運転。
モレッティは車内でシェイクされる。
「話す気になったかぁ!?」
「止めろぉッ!! てめぇ、ただじゃ済まねぇからなぁ!?」
「あーそうか! もっとヤベェ体験してぇんだな! とっておきのを見せてやるかぁ!」
マクレーンは車を乱暴に方向転換させ、どこかへ全力疾走で走り出す。
市内から、更に街の外れまで。
「おい! どこ行くつもりだ!?」
「この先に崖があって、下にデカい水路があんだ」
「それがなんだよ!」
「まぁ、見てろ。下手すりゃ、どっちか死ぬかもな?」
崖が見えて来た。
マクレーンはスパートをかけるかのようにアクセルを目一杯踏み込み、車内が歪に軋むほどの速度で突っ込む。
そのまま行くと、薄っぺらいフェンスを越して真っ直ぐ続く乾いた水路へ落ちるだろう。
やっとモレッティは察した。
「……ふざけんな……! お、降ろせぇッ!?」
時速百二十キロ超えである事を忘れ、恐怖に耐えきれなくなった彼は車から飛び降りようとする。
しかしマクレーンは、彼をガシッと掴んで逃さない。
「さぁ言え! 双子は何者だぁ!?」
「イカれ野郎ぉッ!? 止めやがれクソォッ!!」
「イタリア系には見えなかった! なに人で、今はどこだぁ!?」
「くたばれッ!!」
威勢は良いものの、迫り来るフェンスに恐怖心を煽られてしまった。
顔面蒼白の状態で、座席に抱き着くような姿勢のまま叫ぶ。
「分かった、分かったッ!! 言う、言うから止めろ、止めろぉおッ!!」
ハンドルを握りながらマクレーンは、残念そうに頭を振った。
「あー。二秒遅かったな。舌噛むなよ」
一秒後、車は猛スピードでフェンスを突き破る。
寂れた工場に囲まれた水路の先には、輝く海が遥かに見えた。
晴れ渡った空、灰色の街。
その二つの狭間を、散乱した網と共に、二人を乗せた車は飛んだ。
間抜けに歪む、モレッティの表情。
心底楽しそうな顔で笑うマクレーン。
ロケットのように空を走ったかと思えば、景色は一気に落ちる。
「死ぬ死ぬ死ぬ死ぬあああああああッ!?!?!?」
身体を固定する物がないモレッティの身体が浮く。
必死にドアの上にあるグリップに掴まるものの、気休めだろう。
視界にある寂れた工場も海もどんどんと上へ行き、コンクリートの道が眼前に近付く。
車は前のめりのまま、水路に着地。
「ぉぐォッ!?」
激しい衝撃により、モレッティは天井にぶつかってから、ストンと座席に落ちる。
その際にグローブボックスへ顔面をぶつけた。
鼻血を出しながら、絶え絶えな様子で呼吸を整える。
「フォーッ!! スタント成功ぉーッ!! やっぱシートベルトは大事だなぁ?」
マクレーンはヘラヘラと、何食わぬ顔だ。
着地と共にまた車を走らせ、スピードを上げる。
「それで? 話すって聞こえたが?」
「このッ……クソオヤジがぁ……! ぜってぇに殺してやるうぅうぅッ!!」
「おー、おっかねぇなぁ」
車を転換させる。
今度は何をするのかを警戒するが、次の脅し方はシンプルだった。
車の進行方向には、巨大な排水パイプ。
しかし、びっしりと厚い鉄格子で遮られていた。
実質、壁だ。
つまりはチキンレースだ。
直前で止まれるか、勢い余って正面衝突か。
マクレーンは躊躇せず、アクセルを踏む。
ハイスピードでそこに突っ込もうとする。
「こんなの自殺だぞぉッ!?」
「ほら言えッ!! 先に言うが、俺はシートベルトもエアバッグもある! てめぇより生存率は高いからなぁあッ!!」
壁が近付いて来る。
恐怖で固まるモレッティ。
マクレーンもさすがに焦って来たのか、妥協してやる事にした。
「じゃあ居場所で良いッ!! それで許してやるッ!!」
もうあと数メートル。
モレッティは血だらけの顔面で、泣くように叫ぶ。
「に、西の街外れのモーテルだぁあっ!! 俺たちが買収して、無人のっ!!」
急ブレーキを踏む。
激しいスキール音を響かせ、鉄格子の二センチ前で停車した。
シートベルトのないモレッティは慣性の法則に従い、前へすっ飛びフロントガラスに衝突する。
潰れた悲鳴をあげる彼の隣で、マクレーンは大きく息を吐いた。
「ふぃ〜〜……死ぬかと思ったぜ」
「ぁ……ぉ……」
「西にある街外れのモーテルだな? ありがとよぉ〜」
すぐに車をバックさせ、比較的穏やかな速度で水路の出口へ向かう。
隣で血塗れで伸びているモレッティを注意しながら、厳しい顔つきでハンドルを操る。
「……早速、やるハメになりそうだな」
ここは稼働を止めた、工場ばかりだ。
退廃した地区を抜け、再びマクレーンは車道へと出る。
目指すは悪の根城、言い様もない邪悪の巣窟。
静かに息を飲んだ。
「World of Pain」
「クリーム」の楽曲。
1967年発売「Disraeli Gears」に収録されている。
ギタリストのエリック・クラプトン、ベーシストのジャック・ブルース、ドラマーのシンジャー・ベイカーと言うロック界を代表する奏者が揃った奇跡のバンド。純度100度の世界レベルを体験出来る。
物悲しくゆったりとしたリズムだが、三者の演奏力の高さ故に一筋縄ではいかない進行を炸裂させるミラーボールのような一曲。
ジャックは2014年に。シンジャーは今年の10月に亡くなり、存命なのはクラプトンのみと言うのが惜しいです。