DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread.   作:明暮10番

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Goodbye Blue Sky 2

 ローワンのコレクションルームとは言ったものの、感じとしては普通の物置きだ。

 鉄製の棚が並び、その上に大きめの段ボール箱でカテゴリー分けされていた。

 

 その段ボールに書かれた物でキッズ・ポルノ物のみを降ろし、ローワンとロックは一つ一つビデオのラベルを確認して行く。

 既に一時間ほど、この作業に集中していた。

 

 

「ロック。またイタリア製を見つけたぞ」

 

「ひとまず、該当するビデオを全部取り出すんだ」

 

「取り出して?」

 

「一つ一つ確認するしかない」

 

「マジかよ! 余裕で百本行くぞぉ!?」

 

「運良く引いたら、一本で終わる」

 

「……先が思いやられるってもんだ」

 

 

 マクレーンも、ビデオが満載した段ボールを降ろしたりと捜索を手伝う。

 違法ビデオの摘発は何度か参加した事はあるものの、これだけの量を相手にした事は滅多にない。

 

 

「こんなモンより、映画の方が良いぞぉ?」

 

「そりゃあんた、そこは嗜好の違いってもんだろ。あんたが映画を愛するように、俺はポルノを愛してんだ!」

 

「ドンパチと馬鹿みたいな展開は、おたくも好きだろぉ」

 

「悪いね。ポルノ俳優の三文芝居より、とっとと本番を見たい派なんだ。話に興味ねぇんだな、こりゃ」

 

「……見てきた人間の中で断トツにおピンク屋だなぁ、おたくは」

 

 

 呆れ返りながらマクレーンは持っていた段ボールを床に置き、腰を押さえながら背伸びをする。

 

 その時に倉庫奥に置かれた、ドクロマークのシールが貼られた段ボールに目が行く。

 

 

「ありゃなんだ? なんのラベリングだ?」

 

 

 ローワンが目を向けると、うんざりした顔で手を振った。

 

 

「あれはポルノと騙されて買わされたもんだ。いや、ポルノっちゃポルノだが、俺でもあれじゃ抜けねぇよ」

 

「どうしたんだローワン。あの段ボールに何があるって?」

 

「まぁ〜、その、なんだ。R指定にGが入る奴だな。エロじゃない方向でヤベェもんになる。曰く付きの、更に曰く付き。金もかけたし、捨てるのも気味悪くてよぉ」

 

 

 釈然としないロックだったが、彼の言葉を聞いてマクレーンは合点がいったように目を細めた。

 

 

「……『スナッフ・ビデオ』か?」

 

「す、スナッフ……?」

 

 

 初めて聞く単語なのか、ロックは眉を寄せていた。

 対してローワンは図星を突かれたのか、戯けるように両手を開いて顔を曲げる。

 

 

「さすがは元刑事さんだなぁ」

 

「元じゃねぇ。現役だボケ」

 

「どんなビデオなんだ?」

 

「ロックよぉ。スナッフ・ビデオのスナッフてぇのは、蝋燭を吹き消す時のフッ!……って音の擬音語なんだ。んだがなぁ、裏の世界じゃあ──」

 

「『殺人ビデオ』って意味だ」

 

 

 次の瞬間にロックは「え?」と呟き、冷や汗を流した。

 マクレーンは御構いなしに、そのスナッフ・ビデオが満載した段ボールを引っ張り出す。

 

 

「サディストもいよいよヤバくなると、人間が血だらけで死んでいる様を見てやっと興奮するってよぉ。『テッド・バンディ』とかがそうだな。昔にマンハッタンで裏ビデオ業者を摘発した時に、ウジャウジャ出てきたもんだ」

 

 

 汚物を触るような手つきで、中にあるビデオを漁るマクレーン。

 ロックは彼の元へ駆け寄り、話しかける。

 

 

「ええと……そ、それも探すんですか?」

 

「正直、ポルノなんかより可能性あるだろ」

 

 

 淡々と述べるマクレーンだが、どこかその声音は感情を押し殺しているかのようだ。

 同時に祈っているようでもある。

 

 

「……出て来るんじゃねぇぞぉ〜」

 

 

 数多の言語で書かれた、ラベル部分のタイトルを注視しつつ、一本一本取り出しては探し続けた。

 

 ないならそれで良いと願いながら、後半からはルーティーンで手と目を動かす。

 

 

 

 ガシャガチャとビデオテープを掻き分けるマクレーン。

 

 ずっと心の中で唱えていた祈りは、途端に止んだ。

 

 同時に手も止まる。一本のビデオを掴んだまま。

 

 

 

 

「…………これじゃない事を祈るぜ」

 

 

 憂いを帯びた目でタイトルを見やり、すぐに隣にいたロックに差し出した。

 

 

 

 

『 Hansel e Gretel 』

 

 

 

 そこにはイタリア語で、「ヘンゼルとグレーテル」とある。

 

 一応、条件には一致した。

 マクレーンは下唇を噛んで苦しげな表情となり、それを隠すようにすぐ立ち上がる。

 

 

「もう夕方だ。双子が動くとしたら、間違いなく夜に違いねぇ。それを観るぞ」

 

「え、えぇ……ローワン、ビデオデッキとテレビはあるか?」

 

「俺の事務所にあるぜぇ。たまにそこで観てんだ」

 

 

 彼がそう言うなりマクレーンは背中を叩いて、案内を促せる。

 当惑しながらもローワンは顎をしゃくり、付いて来いと合図。

 

 

 コレクションルームから出た時、ロックにマクレーンは質問した。

 

 

「おい、オカジマ」

 

「はい?」

 

「おめぇも観るのか?」

 

「ここまで来て、マクレーンさんに丸投げは失礼ですよね」

 

「……俺ぁなぁ、オカジマ」

 

 

 溜め息を吐いて俯き、言おうか言うまいか迷った末に、構わないと前を向く。

 

 

「こっからは俺一人で良いと思ってんだ」

 

「……え?」

 

「他人から勝手にあーだこーだ言われんのはウンザリって意味だ。てめぇみてぇな、押し付けたがりとはもっとな」

 

 

 つい一時間前の意趣返しとも言わんばかりに、本音をロックへ吐露してやった。

 しかし彼はまるで、動揺していない。自嘲気味に口を曲げて、困ったような表情になるだけだ。

 

 面食らうかと思っていたマクレーンは、その予想外の反応に不快感を隠せない。

 

 

「なんだぁ、その顔は?」

 

「いいや。そろそろ言うだろなって思っていたもんで」

 

「クソッタレ。てめぇの予想通りかよ」

 

「そりゃ、特番で観てましたから。関係者と協力して鉄火場を見つけるけど、飛び込むのはいつもマクレーンさん一人。空港の事件もそうだったんですよね?」

 

「またてめぇの勝手なイメージか。民間人は巻き込めねぇだろ。五年前のは仕方なかったがぁ……」

 

「今は、別に『率先して巻き込まれる立場』ではないハズですし、僕もまた『民間人』ではない」

 

 

 また面食らわせられてしまった。

 睨むようにロックを見てから気付き、そんな短絡的な自分にウンザリして天を仰ぐ。

 

 

「マクレーンさんは今、国から一時的に解放されている身です。しかも法律なんて有って無いような、東南アジアのゴミ溜めに」

 

「………………」

 

自由の国(リバティ)からの解放(フリーダム)ですよ。恐らくマクレーンさんは今、誰よりも自由のハズです。対岸の火事には触れなくて良いし、喧騒に巻き込まれたら逃げても良いし。でもマクレーンさんは、『刑事である自分』に拘り続けている」

 

 

 とどめを刺すように、ロックは言い放つ。

 

 

 

 

「あなたは自分のイメージを、自分で押し付け守っている。それが、『世界で唯一誇れるもの』だからですよね?」

 

 

 

 

 絶句する彼に、ロックは突然立ち止まって話を続けた。

 

 

「さっきはあぁ言いましたけど、当たりのビデオを観て、それでもマクレーンさんの考えが変わらないのならそれが、『刑事としての誇りに従った結論』なんでしょう。恐らく──」

 

 

 暗い目をしたまま、彼はニッと笑う。

 

 

「──『国を捨てた()』より、遥かに正しい選択のハズだ」

 

 

 マクレーンが物申す前に、ローワンが叫ぶ。

 

 

「おおい! 早く来いよぉ!!」

 

 

 待たせる訳にもいかない。

 ロックとローワンとを視線を行ったり来たりさせた後に、渋々彼はローワンの事務所へ走って行く。

 

 

 少し寂しげな目を浮かばせた後に、ロックも続いて走り出した。

 

 

 

 案内された事務所は、真ん中に机と椅子が置かれ、そこを中心に書類棚が並べられた極々普通の空間だ。

 机の真向かいに設置された、およそ事務に必要なさそうな、大きめのテレビを除けば。

 

 

「確認したら、すぐにイタリアどものアジトに突っ込むぞ。殴られまくった鬱憤を晴らしてやる」

 

「コーサ・ノストラに喧嘩売るのかぁ? おっさん、正気じゃねぇぞぉ。ここのボスのヴェロッキオはメチャキレやすいで有名だぜ?」

 

「メチャキレやすくても、自分の命ぁ可愛いもんだろ。バラされるか、双子を呼ぶかで脅せば完璧だ」

 

「ひぃー。噂通りにキレてんなぁ、おまわりさん。最近のアメポリはみんなそうなのか?」

 

 

 ビデオデッキを起動し、赤と黄色の端子をテレビに繋ぐ。

 電源を入れてチャンネルを操作し、出力を入れ替える。

 画面に真っ青な映像が流れれば、準備は万端だ。

 

 

「………………」

 

 

 件のビデオを手に、一瞬だけ躊躇するマクレーン。

 胸中は、「間違いであってくれ」でリピート状態。

 

 

 

 

「……入れるぞ」

 

 

 椅子に座り、机で頬杖つくローワンは、どうぞと手を動かす。

 

 その机に凭れかかって立つロックも、一回だけ頷いてみせた。

 

 

 異議はない。

 マクレーンもまた覚悟を決めて、ビデオを挿入口に押し込んだ。

 

 

 

 

 

 ガガガーッ、とビデオデッキから音が鳴る。

 

 ブルースクリーンにノイズが走り、暗転した。

 

 次には、荒れた画質の中で、眩しいライトに照らされた暗い部屋が映り込む。

 

 

 

 スピーカーから響くイタリア語の怒鳴り声に、一同は身体を強張らせた。

 

 

 その声の主が、カメラの後ろから誰かを蹴り上げ、映像へ晒す。

 声を殺すように泣くその者は、すぐに幼い人物だと分かった。

 

 

 泣き腫らした顔で、カメラの方へ向く。

 

 痣と血、涙と鼻水に汚れたその顔を見て、マクレーンは目を見開いた。

 

 

 

 

「…………当たりだ」

 

 

 

 ヘンゼルか。グレーテルか。どっちかは分からない。

 

 服装が汚れたキャミソールと言うだけだが、その骨格は男らしい。

 

 ヘンゼルと思ったが、髪が長く、グレーテルとも判断付かない。

 

 

 

 だが間違いなく、バーで嫌と言うほど確認した二人の顔だ。

 

 マクレーンの祈りは、神にもクソにも届かなかった。

 

 

「……この子が、例の……?」

 

「お〜いおい! 一発で当てちまったよぉお!! マジかッ!? これで五万ドルは三等分かあ!? Foo!!」

 

 

 歓喜の声をあげるローワンだったが、マクレーンは衝撃から誰の声も聞こえていなかった。

 

 視線はテレビ、聴覚はスピーカー、脳は双子の事に向けられている。

 

 

「……なんだ……おい……」

 

 

 そこで終われば良かったと、後悔する羽目になる。

 

 映像は無慈悲に続く。

 

 

 映像に映るヘンゼル、或いはグレーテルは、分厚い手錠で両手がくっ付くほどに固定されていた。

 その顔面に、何かが投げ付けられる。

 金属バットだ。

 

 

 スポットライトがもう一台、照らされる。

 そこには手足を鎖で繋がれた、もう一人の子ども。

 

 双子の片割れではない。全く知らない子ども。

 恐怖に顔面が歪み、どの言語でもない本能からの恐怖を叫んでいた。

 

 

 

 室内には、その悲痛の叫びが響き渡る。

 

 助けを請うような声が、マクレーンらを揺さぶった。

 

 

「まさか、あの子を……!?」

 

 

 ロックの推察は、残念ながら正解だ。

 

 いやいやと首を振る彼、或いは彼女を、屈強な男が蹴飛ばした。

 

 倒れたところを、何度も何度も踏み付ける。

 

 潰れた悲鳴が混ざった。

 

 

「……ッ!」

 

 

 凄惨な光景に、誰もが言葉を失う。

 

 

 

 一頻り蹴られ続けたその子に、また覆い被せるようにもう一人が投げ込まれた。

 

 

 長靴下しか身に付けていない、痩せ細った裸の身体を晒すもう一人。

 

 

 全く同じ顔。痣の位置と、短めの髪が差異だろう。

 

 どっちがどっちかは別として、ヘンゼルとグレーテルが揃った。

 

 

 バーで見た姿とは違って、まだ理性のある表情。

 

 

「おいおいおい……なんだ、双子はどっちも……」

 

 

 ローワンは前のめりになり、映像を注視する。

 

 

 

 

 

 

 思えばそうだ。

 

 本来、一卵性の双子は「同性同士」で生まれて来る。

 一つの受精卵が基になっているのだから、当たり前だ。

 一卵性双生児は遺伝子学的に同じ人物らしい。

 

 同じ血液型と、同じ性別、顔付き。

 指紋や声には差異はあるが、ほぼ同じだ。

 

 

 男女ではありえない。

 

 つまり、ヘンゼルとグレーテルは──

 

 

 

──そこからは、考えたくはなかった。

 

 

 

 

「……なんで、こんな事……出来んだよ……」

 

 

 ロックの呟きを聞きながら、マクレーンは頭を抱えた。

 

 ビデオは進み、髪を引っ張られて無理やり立たされる双子。

 

 

 二人揃ってバットを握らされ、拘束された一人の方へ連行された。

 

 

 イタリア語で、怒鳴るように指示を出す。

 

 その表情にこもった愉悦に、マクレーンは怒りを覚える。

 

 

「……俺がこの場にいなくて良かったな、クソッタレ。てめぇを滅多打ちにしてやれたのによぉ……」

 

 

 男が目配せをすると、控えていた男たちが銃を構えた。

 

 二人に向けられた銃口。

 双子はそれらを見て怯えた顔になり、歯をガチガチと震わせながらバットを持ち上げる。

 

 

 一歩、一歩、二人は足並みを揃えて、逃げられない「受け」の子の方へ。

 

 

 震える腕で、バットを頭の上まで。

 

 

 悲鳴が耳を劈く。

 それを、いっせいので、の合図として、双子はバットを振り下ろした。

 

 

「うっ……!?」

 

 

 一回目。

 血が飛び散る。

 悲鳴が潰れて、醜くなった。

 

 

「おぉう……ハード過ぎるぜ、こりゃあ」

 

 

 二回目。

 男たちの汚い歓声があがる。

 子どもは地面に這い蹲って立たなくなった。

 

 

「………………」

 

 

 三回目。

 床に血溜まりが広がる。

 声も出さなくなり、痙攣を起こす。

 

 

 

 

 二人は錯乱状態なのだろう。

 四回目、五回目、六回、七回、八、九、十、十一、二十三十……と、殴り続けた。

 

 

 床に寝ていた子どもは既に、人の形をしていない。

 その時に限って男らは、「ホームラン!」と英語で悦ぶ。

 

 

「………………」

 

 

 マクレーンは黙っていた。

 いや、絶句していた。

 早鐘打つ心臓の音が、鼓膜を振動させていた。

 

 

 見物していた、三、四人の男たちが双子に近寄る。

 

 服を脱ぎ出した。「本番」に入るのか。

 

 それらの隙間を縫って、振り返りカメラを見た片割れと、目が合う。

 

 

 

 

 

 白肌にべっとりと血を付けて、涙まみれの顔。

 

 

 その表情は、狂ったように笑っていた。

 

 

 

 

 

 男たちが、双子を掴む。

 

 

「やめろ、おい」

 

 

 グッと、乱暴に引き寄せ────

 

 

 

 

「やめろってんだろクソッタレぇッ!!!!」

 

 

 マクレーンは端子を引き抜いた。

 テレビとビデオデッキとの繋がりが分断され、ブルースクリーンに戻る。

 

 

 その瞬間、彼を通り越してロックが、口元を押さえて事務所を出て行った。

 あんな惨殺死体、ロアナプラにいてもそうそう見られないだろう。吐き気を催すのも致し方ない。

 

 

「ひぃー! とんだ代物だぁ! これで抜ける奴、イカれてるぜ全く!」

 

 

 ローワンはこの手のスナッフ・ビデオを観て来たからか、こなれている様子だ。

 振り返るマクレーンの、鬼気迫る表情を見るまでは戯けた顔をしていた。

 

 

「おいおい、真っ青な顔だなぁ。そのブルースクリーンと見分けつかねぇよぉ〜」

 

 

 黙ってマクレーンはビデオを取り出した。

 目元を押さえ、息を吐く。

 

 

「……この事は内密だぞ。誰かに言ったら、店を吹っ飛ばしてやる」

 

「あいよぉ。それより、ロックは良いのか?」

 

 

 ビデオを持ったまま、マクレーンも事務所を出て行く。

 突き当たりを進んだ所にあった、従業員用のトイレに入ると、洗面台でえずくロックがいた。

 

 

 吐き気があったが、運良く嘔吐はしなかったようだ。

 口からダラダラ涎を吐き出し、蛇口から出した水を顔に当てる。

 

 

「……やめときゃ良かっただろ?」

 

「ぁぇ……ッ!」

 

「ビデオはてめぇに預けとく。あー、今からイタリア人どもの事務所に行くが、一時間経っても連絡がなかったら、ビデオをバラライカらに引き渡せ……連絡は、イエロー・フラッグで良いか?」

 

 

 シンクの上にビデオを置き、出て行こうとする。

 ロックは急いで彼を引き止め、マイルドセブンの紙箱を取り出しペンで何かを書く。

 

 

「こ……これ……」

 

 

 渡された紙箱には、数字が並んでいた。

 電話番号のようだ。

 

 

「……街外れにある、公衆電話の、番号です……」

 

「……なんでこんなモン覚えてんだ?」

 

「バオに怪しまれてますから、次からこっちに電話かけて貰おうと……時間によっては、出られないかもですけど……」

 

「……これにかけりゃいいんだな? 分かった」

 

 

 箱をポケットにしまい込み、再び出て行こうとするマクレーン。

 だがロックはまた、呼び止めた。

 

 

「や……やるん、ですか?」

 

 

 マクレーンは立ち止まった。

 躊躇が脳裏をよぎり、頭を振って払う。

 

 

「……最後の、奴の笑顔は見たか?」

 

 

 振り返ったヘンゼルかグレーテルの、狂った笑み。

 刑事であり、修羅場を幾多も乗り越えて来たマクレーンでも、思わず底冷えを引き起こしてしまった。

 

 

 

 

「……あれはもう、駄目だ」

 

 

 

 あの瞬間、双子は「怪物」になった。

 人でなくなってしまった。

 

 

 それだけ言い残し、マクレーンはトイレを飛び出す。

 

 

 

 

「……それが、あんたの結論なんだな……了解」

 

 

 一人残ったロックは、手前になる鏡を見た。

 

 酷い顔をした自分の姿。

 今日は散々な日だと、濡れた前髪から落ちる水滴を見て、思った。

 

 

 

 

 

 

 

 ジャックポット・ピジョンズを出たマクレーンは、即座に停めていた車に乗る。

 エンジンをかけ、ハンドルを握ってから、苦しげに俯いた。

 

 

「…………俺ぁ、正しいのか? 本当に二人は、『終わっちまった』のか……?」

 

 

 不意に想起されたのは、バーで楽しく飲んでいた頃。

 

 ジュースを奢ってやり、自慢げに自分の事を話していた光景。

 

 年相応に笑う二人の姿。

 

 撫でたヘンゼルの髪の感触。

 

 

 そんな事を思い出して、何になるんだ。

 マクレーンは前を向いて、ストリートを眺めた。

 

 

 

 斜陽の橙に沈む街。

 もう時間はない。考える暇は、殆ど残されていない。

 マクレーンは刑事として、次の殺戮を止めるべく、全うするだけだ。

 

 

 

 

「……限りなくフリーだ。なんだってやれるぜ」

 

 

 アクセルを踏み、車を走らせた。

 少しスピードが心許ないが、夜までには間に合うだろう。イタリアン・マフィアのアジトは、リサーチ済みだ。

 

 

 

 

 空を見上げる。

 

 

 

 青空とは、おさらばだ。

 ここからは血生臭い、ロアナプラの夜が待っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 一人事務所に残ったローワン。

 ずっとコレクションルームで作業していた為に、疲れてしまった。あくびをかます。

 

 

「ふぁ〜……グロいもん観ちまったし、女抱いて中和しなきゃなぁ」

 

 

 そう思い、椅子から立ち上がった。

 

 

 その時、良いタイミングで電話が鳴る。

 こんな時間に誰からだと、ローワンは受話器を取って耳に当てた。

 

 

「イェア。ローワン・ジャックポット・ピジョンズだ。デリバリーは受け付けてねえよ」

 

 

 呑気に応答した彼だったが、電話越しに聞こえた声を聞いて、顔を真っ青にさせた。

 テレビのブルースクリーンと、見分けがつかないほどに。

 

 

 

 

 

 

「……ば、『バラライカ』……か!?」

 

「えぇ。バラライカよ」

 

 

 受話器を片手に、机に向かい合うバラライカ。

 

 その目は、全てを凍てつかさんばかりに冷たく、鋭利だった。


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