DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
車を走らせ、約二十分ほど。
スピードが出ず、思ったよりも時間をかけてしまった。
辺りは暗い。
ビルから漏れる光だけが、頼りない月明かりの代わりとなっている。
「確か、ここだったか」
一階はイタリア料理のレストランだ。
マクレーンは一ヶ月ほどこの街に滞在し、出来るだけ情報を集めていた。
場所は知っている。このレストランの厨房を抜け、裏手の階段から登って三階にコーサ・ノストラのオフィスがある。
「……裏から回るか」
ドアを開けようとしたところで、思い出したかのように振り返る。
「おおっと。ホルスターは隠しとくもんだな……うわ。いつ見てもダセェ」
後部座席に置いていた、ロックから貰ったダサいアロハシャツを羽織り、すぐドアを開けた。
降車し、マクレーンは路地からビルの裏口へ向かう。
裏口は酒や食品の搬入口だ。
シャッターの降りた搬入口の前に、二人の見張りがいた。
タバコを吸いつつ、イタリア語で会話中だ。
「言って案内させりゃ良いが、銃を取られんのはマズいよなぁ……」
自分のアジトへ、やって来た馬の骨に好き勝手銃を持たせたまま、中に入れる不用心なマフィアはいない。
銃を持ったままオフィスに行くには、忍び込む必要がある。
「気を逸らす必要があるかぁ」
即座に陽動作戦を思い付いたマクレーンは、来た道を戻って再び、車に乗り込む。
暫し、談笑を交わしていた、見張りの二人。
二人の口は、突然響いた車の走行音によって止まる。
裏口の前に敷かれた車道を、かなりのスピードで走る一台の車。
脇目も振らない直線のまま、ゴミ置場へ突っ込んだ。
「おいおい? 酔っ払いかぁ?」
様子を見に、二人は車の方へ行く。
その隙を見計らい、路肩の影に隠れていたマクレーンが裏口の扉へこっそりと向かう。
「車は返すぜぇ」
作戦は簡単だ。
乗って来た車を裏の車道まで操縦し、後はスピードを上げた段階で乗り捨てるだけ。
思惑通りにゴミ置場に突っ込み、訝しんで持ち場を離れた見張り。
そんな彼らを横目にマクレーンはゆっくりと、扉を閉めた。
「どうなってやがるんだッ!! クソッ!!」
オフィスに怒号と、投げ付けられ割れたグラスの破壊音が響く。
強面の男たちの身を縮めさせる怒号の主は、乱れたオールバックの男。
彼がコーサ・ノストラの、タイ支部を仕切る「ヴェロッキオ」だ。
ひたいやコメカミに青筋を立て、凶暴な言動と剥き出しの焦燥感を惜しみなく発している。
「とっとと女狐だけを片付けりゃ良いものを……余計な死人ばっかしこさえやがってッ!! 双子だとバレちまってんじゃねぇかッ!? ビデオだの人種だの調べられたら、マフィアも殺し屋もここに大挙だぞクソがッ!!」
苛つきを募らせた眼光を構成員らに差し向けながら、怒鳴るように質問する。
「おいッ!? モレッティの奴はッ!? 双子のお守りはあのクソ野郎の仕事だろがぁッ!?」
困ったような表情で、男たちはお互いをチラリチラリと目配せさせた。
だんまりすれば、次に響くものは銃声だ。
意を決したように、一人の構成員がおずおずと答えた。
「……その、ラグーン商会からC4を持ち帰る途中で……行方不明らしく」
「なんだとぉ!?」
「相方のバイキーは、素っ裸で海岸にいたとかで……今は病院に……」
「とことん無能な奴らめ……ッ!! 自分の身すら守れねぇのかッ!?」
椅子を蹴り、床に叩きつける。
その音を聞き、男たちは顔を顰めた。
「いつの話だぁ!?」
「ひ、昼頃の話で……! ボスにも報告しようとしましたが、連絡会で──」
話を続ける構成員の襟元を掴み、勢い良く机に顔面をぶつけてやる。
鼻面から食らった衝撃で、そのまま男は倒れ伏す。
「ふざけるなボケどもッ!? すでに勘付かれて、モレッティの奴がゲロってたらどうすんだッ!? もう既にバレてりゃ、明朝までに戦争だろがッ!!」
「お言葉ですが……ば、バイキーが無事でしたので、捕まった訳ではなさそうでは……!」
別の構成員が声をかける。
慰めのつもりで言ったのだろうが、今のヴェロッキオへは火に油だ。
懐から拳銃を取り出し、銃口を向ける。
場の空気が一層、冷え込んだ。
「なんだてめぇら? 俺のファミリーの癖に、ガキが見るカートゥーンキャラクター並みに能天気じゃねぇか? え? 腐ったブリーフからオムツに穿き戻してたか?」
怯える男を掴み寄せ、銃口をぴったりと唇に押し当てる。
「バイキーが無事? 無事じゃねぇ、病院行きじゃねぇか。あ? ロシアどもがなんかの気まぐれで、あいつだけ逃したって考えは出なかったのか? いつからてめぇ、赤ちゃん返り決め込んでんだ? マンマの乳首が恋しいなら、好きなだけコイツ吸わせてやろうか?」
グッと銃を押し込み、開いた口内に入る。
歯茎で感じる冷たい感触と、引き金にかかった指を見れば、例えギャングの男と言えども震えてしまう。
「パレルモの親分衆はなぁ? このクソッタレのチンケな街をえらく気に入ってやがる」
爆発を押し殺したような声で、囁くように話すヴェロッキオ。
「この街で身動きの取れねぇ俺に、連中はキレかけてる」
鋭い眼光は、その場にいた全員に対して向けられた。
「今、何とかしなけりゃ、次の
銃口を口から引き抜く。
安心した男だったが、ぽかんと開きっぱなしだった口を銃床で殴ってやった。
折れた歯が喉に入ったのか、呻き声と嗚咽を同時に発する。
その頃、ロックはラグーン商会に戻っていた。
「すまない。ちょっと寄る所があって……」
出迎えたのは、人狩りに出ていたハズのレヴィだった。
双子はどうしたのか、と聞こうとした口が開かなくなる。
彼女の目が、不機嫌を通り越して憤怒を滲ませていたからだ。
「……えと、レヴィ? どうしたってんだ一体……キレてるのか?」
レヴィは怒りと呆れを同時に表すような、小さな溜め息を吐いてから詰め寄る。
心なしかそこに、彼女らしからない焦燥も混ざっている。
「……おいロック」
目と鼻の先まで詰めると、怒りで震えた声で囁き出す。
「……てめぇはまだ、悪党としちゃ青いってのは承知だ。喧嘩を売る奴を間違えちまうってのもあるだろな」
「な、何を言って……」
「そんでちょっとした火遊びに、ウキウキになるガキ臭さもある。てめぇはそれを、硝煙と自分の血で掻き消そうってのか?」
「レヴィ、冷静に話してくれ! 何があったのか──」
襟を掴み、首が締まるまで持ち上げられた。
「てめぇが誰とツルもうが勝手だ。だがな? こっちが我慢ならねぇんだよ。おかげであたしらのケツにまで火が付いちまったじゃねぇか?」
激昂するレヴィと、困惑するロック。
だが彼女の語り口から薄々、彼は勘付いてはいた。
その上で頭の中では、「なぜだ」「どこでだ」がリピートする。
「……レヴィ。そこまでだ」
後ろに来ていたベニーが、レヴィを止める。
「……そこで引き止めても、どうにもならない」
「……ベニー、一体なにが」
「ロック。これは君のやった事だ。誰にも助けられないよ。君が火を消すしかない」
ダッチもその場に現れる。
目を隠したサングラスで相変わらず表情は読み取り辛いが、不機嫌な様は雰囲気で分かった。
「……レヴィ、とっとと離してやれ。そんでロック。てめぇに客だ」
彼の命令に、レヴィは黙って従う。
突き放すように襟元から手を離し、ロックを解放した。
前にいたベニーとダッチが、一言も喋らずに道を明け渡す。
ロックは心臓を握られたかのような感覚を覚えつつ、事務所に行く。
暗がりの中、ペチペチと頰を叩かれて目を覚ます。
意識を取り戻した途端に、身体中の痛みが脳に流れ込んだ。
「いっつぅぅ……! あの、クソ親父め……やりやが──」
視界を前に向け、そのまま絶句する。
「おはよう……あぁ。もうこんばんは、だね」
そこには、シャツを一枚だけ着たヘンゼルが立っていた。
起こされた男とは、モレッティだ。モレッティはヘンゼルに気付いた瞬間に離れようとしたが、手錠で腕を固定され動けない。
「酷いお顔だね! 僕らの部屋で寝ていてたから、ビックリしたよ」
目の前で服を着替えるヘンゼル。
その服を見て彼は、当惑したように目を細めた。
「て、てめぇ……や、やっとバラライカを
「うん。僕らが双子だってバレちゃったし、どっちみち長居は出来ないし」
「……この手錠を取ってくれよ。その斧でよ」
ヘンゼルは傍らにあった二本の手斧を持つ。
彼はそれをじっとりと眺めた後に、後ろの方へぽいっと投げた。
投げられたその手斧を、上手く柄を掴んで取った人物。
闇から現れたその人物を見て、モレッティは暫し混乱した。
「まぁ、酷い! うーん、その腫れ具合からして、三日は引かないわよ」
そこにいた人物は、長い髪を振るグレーテル。
だが衣装が違う。彼女が着ている服は、「ヘンゼルの着ている燕尾服」だ。
「……なに? 服の取っ替えっ子して遊んでんのか?」
そしてヘンゼルは、「グレーテルの着ているドレス」を慣れた様子で着た。
ここまですると、髪の長さでしか性別が分からなくなる。
「えーと、モーリーさんだっけ?」
ヘンゼルがしゃがみ込み、モレッティと目を合わせる。
武器もなく、身体のダメージも酷く、身動きも出来ない状況。恐怖が出て来るのは当たり前だ。
無意識に、彼から距離を取ろうとするも、すぐ後ろは壁だった。
「確かにロシア人は殺しに行くさ。でもちょっと、寄り道しなきゃいけなくなってね」
「よ、よ、寄り道だ……?」
「ご協力を、お願いするわ」
ヘンゼルの隣に、グレーテルも並ぶ。
ジッと同じ二つの顔が、固めたような微笑み顔で眺めてくれば、妙な不安が現れる。
「……協力ってなんだ。なにをすれば良い……」
満足げに、同時にニッコリと笑う。
すると突然、グレーテルが自分の頭部を抱え始めた。
マクレーンは三階まで一気に駆け上がり、ヴェロッキオのいるオフィスを探す。
「どこだ? どの部屋だぁ?」
迷う必要は、すぐになくなった。
フロア全体に響き渡るような怒号が聞こえて来たからだ。
「ふぅ〜! どうやらお説教中みてぇだなぁ」
耳を研ぎ澄ます必要もないほど、音源と場所はあっさり把握出来た。
マクレーンはこっそりと、その部屋の前まで移動する。
中で人を殴る音が聞こえたりだの、物騒な空気が扉の隙間から流れている。
嫌な音に顔を顰めて、呆れた顔でドアノブに手をかけた。
「さぁて。行くとするか」
覚悟を決めるように息を吹いてから、ガチャリと扉を開ける。
ロックは意を決して、事務所に入った。
そこには、さすがに予想外の人物が堂々と、ソファに座って待っていたからだ。
部屋には数名の男たち。
全員見知った顔の、ロシア人ばかりだ。
ボリスを後ろに控えさせ、唯一ソファに腰掛けていた人物がロックに視線を向ける。
優しく微笑んでいるものの、目は笑っていない。
「……バラライカさん?」
「何しに来たのかは分かるわよね」
指を組ませた両手に顎を置き、葉巻から紫煙を燻らせるバラライカの姿。
彼女の姿こそ予想外だったものの、彼が呼ばれた理由の予想は当たってしまった訳だ。
モレッティは目を疑った。
グレーテルの女性らしい長髪は、ウィッグだった。
彼女はそれを取ると、その下からはヘンゼルと同じ髪型。
もう、服でしか性別を判断出来ないが、それではおかしい。
「てめぇら……マジかよ……!」
モレッティは目を丸くし、眼前の狂気に震えるしかなかった。
双子は、「男女を決めていない」。
「さぁ、兄様……『どうぞ、姉様に』」
グレーテルから差し出されたウィッグを被るヘンゼル。
その瞬間、グレーテルの口調に男性らしさが宿る。
「えぇ……『兄様』」
ウィッグを整えるヘンゼル。
その瞬間、ヘンゼルの口調は女性らしいものに変貌する。
一瞬で双子は、別々に成り代わった。
「……イカれてる……てめぇら、脳の奥までイカれてやがる……!」
そしてそのまま「グレーテル」はニッコリと、彼へと笑いかけた。
突然、開け放たれた扉の音。
部屋にいた全員が、一斉に後ろを向き、視線を合わせる。
「よぉ」
入って来たのは、ダサいアロハシャツと既に顔が傷と痣だらけの、情けない姿をした男だった。
何とも間抜けな姿がこの空気に会わず、寧ろ困惑をする構成員ら。
それでもやはり警戒は怠らないのか、一斉に拳銃を構えた。
男は両手を上げ、惚けた顔でニヤニヤ笑う。
「……なんだてめぇ? ここがどこか分かってんのかぁ?」
ヴェロッキオが、構成員らの前に躍り出る。
近付いた時に彼の顔を見て、すぐに何者かに気付いた。
「……おい。お前、ジョン・マクレーンじゃねぇか?」
街を賑わす、噂の男がこんな時にやって来た。
察したヴェロッキオは銃口を彼の眼前へ向ける。
「来ちゃいけねぇ時に、居ちゃいけねぇ場所に現れやがって。何しに来やがった……?」
マクレーンはにやけ顔を止めずに、飄々と言い放った。
バラライカはすっと表情を消して、淡々と言い放った。
グレーテルは彼の頰に手を置いて、嬉々と言い放った。
「お話に来たのよ、
「ちょっとお話しましょ、モーリーさん?」
「ピザの配達に来たんだ、クソッタレのミートソース野郎ども」
マクレーンは懐から取り出した、「双子の起こした事件の資料」を見せびらかした。
戦争が始まる。