DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
もう一度、「ビートルズ」の楽曲。
1970年発売のラストアルバム「Let it Be」に収録されている。
聖歌のような荘厳さを感じる主旋律へ、段々と彼ららしく小気味よいロックサウンドが乗せられて行く。
ポール・マッカートニーの亡き母親が現れ、「let it be(あるがままに行きなさい)」と語りかけた夢の話から、この曲が作られた。
世界を変えたビートルズの伝説にして、伝説の終わり。
即座にヘンゼルは、マクレーンへの接近を停止し横へ走る。
何度も響く射撃音。
マクレーンのベレッタから放たれる銃撃は、ヘンゼルの背後を抜けて行く。
その全てがやはり、先ほどまでのヘンゼルの軌跡に直撃している。
「……ッ!」
グレーテルが構えていたBARの照準を合わせる。
射線からヘンゼルが消えたと同時に、マクレーン目掛けて引き金を引く。
「そうだ、こんチクショウッ!! 撃ってきやがれぇいッ!!」
ミシンや毛糸の詰まった段ボールを破壊し、銃弾が飛ぶ。
マクレーンはベレッタを上に向けて横に飛び、身体を伏せて回避した。
粉々になった機械の部品が、倒れた彼へ降りかかる。
「うわっぷ!? ひぃ〜……暴れるねぇ、えぇ?」
「もうっ! 隠れたりして! ずるっ子はいけないわ!」
銃口は、マクレーンが伏せた辺りに下がる。
四つ脚のミシン台の隙間を抜け、7.62mm弾を惜しみなく吐き出す。
「おおっととぉ!? なにがズルっ子だ! おめぇの方が数倍ズルじゃねぇかよぉッ!!」
即座に四つん這いで床を駆け、人形を掻き分け鉄製のチェストの裏に隠れる。
「ひぃ、ひぃ……相変わらず、ご機嫌なBARだなぁ? もうちょいあいつが大人で、スティーブン・セガールみてぇに骨格がしっかりしてりゃ、ヤバかったか?」
マクレーンはジッと、遮蔽物の裏で待つ。
契機はすぐに訪れた。
BARとは言え、無限の銃弾がある訳ではない。
「……弾切──きゃあっ!!」
射撃が止まったと同時に、チェスト裏より顔を出したマクレーンが、グレーテルへ撃ち返す。
「バーの時に言いたかったけどよぉ、ボコスカ撃ち過ぎだぁッ!!」
即座に彼女は頭を下げ、近くにあった長テーブルを倒して遮蔽物とした。
マクレーンの銃弾は人形らを射抜き、詰まれた綿が舞う。
それは月明かりに照り、青白く降り始める。
グレーテルは弾倉を取り替えながら、空を見上げた。
「…………雪?」
下から舞い上がり、ゆっくりと降りる。
さしずめこの空間全てが、スノードームになったかのようだ。
銃声を押さえ込むような、マクレーンの雄叫びが響く。
「ちょいと早いメリークリスマぁース!! 良い子にしてたかーーッ!?」
チェストを飛び越えて駆け、マクレーンは一気にグレーテルの所まで詰めようとする。
柱の裏に隠れていたヘンゼル。
M60の撃鉄を起こし、彼の姿が見えたところで飛び出した。
「こっちにも構ってよ!」
.38スペシャル弾を、偏差射撃を狙って彼の進行方向のやや前を撃つ。
「うぉとと!?」
銃弾がマクレーンの鼻先を僅かに掠めた。
その後も二発目、三発目と撃ち続けるヘンゼル。
「……あぁ、あぁ! 構ってやるが、後悔は無しだぞぉッ!!」
マクレーンは敢えて倒れるようにして銃弾を回避し、そのままミシン台の隙間より反撃する。
「うわっ!?」
「焦り過ぎだぁ、坊主ぅッ!!」
「ッ……!?」
放った数発が、ヘンゼルの傍らにある柱に直撃。
それが段々と、半身を出した自分の方へ近付いていると気付き、サッと身体を伏せた。
再び柱の裏に隠れ、何とかやり過ごす。
ヘンゼルは自分でも驚くほどに、呼吸が乱れていた。
「はぁ……はぁ……!!」
尚もこちらに向かって射撃を続行するマクレーン。
一発一発、そのどれもが、ヘンゼルが身を縮めている事を考慮しての射撃だった。
「はぁ……! 殺しに来てる……! 殺しに来てくれてる……!!」
自分の顔は見えない。
しかし白肌の顔が紅潮するほど、今の彼は滾っていた。
M60のグリップをおでこに当て、火照る頭を冷やそうとする。
「銃なんかじゃ嫌だ……マクレーンおじさんを感じながら殺すんだ……あったかい血を浴びながら殺すんだ……ずっとずっと、僕らと一緒に……ッ!!」
シリンダーの中を見る。
残り、二発。予備の弾は、ビルでの撃ち合いで使い切ってしまった。
同時に、マクレーンのベレッタがスライドストップ。
空弾倉が、床に落とされる。
────カァンッ。
その音を合図に、ヘンゼルは斧を構えて柱から飛び出した。
「うぅお!?」
マガジンを挿入し、即座に装填。
その間、屋内にある数多の遮蔽物を高速で駆けながら、大回りでマクレーンへ迫るヘンゼル。
銃弾の補充を済ませたと同時に、走り回るヘンゼル目掛けて撃つ。
「クソぅッ! すばしっこい……!!」
机を潜り抜け、ミシン台を飛び越え、床を転がり、大きく跳躍する、を繰り返す。
縦横無尽に飛び回るヘンゼルを捉える事は、至難の技だ。
「マジにプレデターか……!?」
「レディにお尻を向けちゃ駄目よ」
「ッ!?」
翻弄されている内に、グレーテルもBARの装填を済ませていた。
銃口が、マクレーンへと向けられようとする。
しかし、彼は余裕の表情だった。
「……なんでも撃てるおめぇだが、唯一撃てねぇもんがあるよなぁ」
マクレーンは突然、ヘンゼルの方へと走り出す。
迫り来る彼へ、敢えて向かって行った。
「……あぁ、困ったわ。兄様が、興奮しちゃってる……」
グレーテルは引き金が引けなかった。
マクレーンが彼の方へ近付いた事により、射線にヘンゼルが入ってしまった。
いつもの彼なら、射線に入るヘマはしない。
だが、この戦いで血の昇った彼は、グレーテルの事を暫し忘れていた。
さすがの彼女でも、片割れに手はかけない。
諦めて、引き金から指を離す。
BARによる銃撃で、ミンチにされる危険は回避した。
しかし結局、狙う者から追う者へと逃げただけだ。
状況はなにも変わらない。
「おじさぁんッ!!」
人形たちを飛び越えながら、M60を向けるヘンゼル。
「おぅ、やるかッ!?」
走りながら、ベレッタを構えるマクレーン。
二人は同時に、発砲した。
放たれた一発の銃弾は、お互いの顔面を掠める。
回避の為に、体勢を崩したマクレーンとヘンゼル。
照準がブレてしまったマクレーンの二発目、三発目は、明後日の方向へ飛んで行った。
足がもつれて転びそうになり、壊れたブラウン管の置かれた台に手をつく。
「これでマクレーンおじさんの命は────」
対してヘンゼルは、持ち前の身体能力で持ち直していた。
銃を下ろし、手斧を掲げて、眼前に立つ。
彼にとってさっきの一発は、目くらまし。本命は、一撃の斬殺だ。
「──僕たちのモノ────」
「詰めが甘いぞぉちびっ子ぉッ!!」
マクレーンは傍らにあったブラウン管を持ち上げ、掲げる。
斧は彼の頭部に当たらず、盾にされたブラウン管に直撃。
破壊し、部品が舞う。
斧は突き抜けず、途中で動かなくなった。
「ッ!?」
「まぁだ本気じゃねぇんだろぉッ!?」
マクレーンはブラウン管を手放し、一歩引いてから再度ベレッタを構える。
しかし、ヘンゼルから少しでも離れた事がまずかった。
グレーテルの射線から、彼が外れてしまったからだ。
「チャンスね。兄様ばっかりズルい!」
待ちかねていた。
グレーテルもまた遮蔽物から飛び出した。
BARの引き金を引き、銃弾を発射。
「うちちぃ!?」
「ほらほら! 一緒に踊りましょう!」
マクレーンの傍らや、足元に着弾。
ヘンゼルを撃つチャンスを逃した。
「──はぁ……!!」
ヘンゼルは斧を引き抜いたと同時に、振り上げる形で刃先を差し向ける。
警戒していたマクレーンは即座に、倒れ込むように回避しようとした。
「ぐぅ……!?」
しかし、一瞬遅れてしまった。
刃がマクレーンの左太腿と脇腹を掠め、脇の下から出て行く。
切った際に散った血が、宙を舞う。
そのまま人形たちの上に倒れた。
「──いてぇなクソッタレぇーーッ!!」
ベレッタを撃つ。
さすがに深追いは危険だと判断したヘンゼルは、横へ飛び込んで銃弾を回避。
マクレーンの眼前を通り抜ける、銃弾。
グレーテルはBARをまた、発砲している。
「あー、チクショーッ!!」
人形を散らかしながら、グレーテルから離れようと這う。
命からがら、目の前にあった柱に隠れた。
「いっでぇ……買ったばかりだっつうのに、シャツが赤くなっちまったぞ……!!」
ベレッタは弾切れだった。
すぐに弾倉を入れ替えようと、ベルトの左側に装着していたマガジンポーチに手を伸ばす。
しかし、手探りで見つけきれなかった。
パッとそこに目を向けると、なんとマガジンポーチが切れている。
「な!?……あ、もしかして……!!」
柱の裏より、さっきまで自分のいた場所へ視線を送る。
そこには布の切れ端と、二本の弾倉が散らばっていた。
「どうして……あー、さっきのだクソッ!! 切られたッ!!」
ヘンゼルが振り上げた斧を、回避した時だ。
あの時に偶然、マガジンポーチに当たったのだろう。
「拾わな──」
「不注意ね。こんな時に落とし物はいけないわよ?」
「あッ!?」
グレーテルがマクレーンへの射撃をやめたかと思えば、突然下に向かって撃ち始める。
「あぁッ!?」
弾倉が、めちゃくちゃに破壊されてしまった。
落ちていた二本が、あるだけ全てだ。
つまりもう、メインウェポンであるベレッタは使い物にならなくなってしまった。
「これで、その銃は使えないわね」
再びマクレーンの方へBARを持ち上げるグレーテル。
一旦引いたヘンゼルは、彼女の背後に控えていた。
ヘンゼルは、グレーテルの耳元で囁く。
「姉様、姉様。お願いだよ」
「どうしたの、兄様?」
「僕、マクレーンおじさんを斬り殺したいんだ」
グレーテルは「うーん」と唸り、少しだけ考え込む仕草を取ってから首肯する。
「そうね、兄様。なら、私はマクレーンおじさんの両足と、両腕を撃つわ」
「そうやって、動けなくさせるんだね」
「でも」と、ヘンゼルの唇に指を押し付けるグレーテル。
「お約束よ。その斧は、一緒に振り下ろさせて。結婚式のケーキカットみたいにやりましょ。ねっ?」
「うん、うん。そうしよう姉様、一緒に殺そう」
「えぇ、兄様。二人で命を分け合いましょう!」
二人は余裕を見せながら、一歩一歩と彼のいる柱の方へ、足を揃えて近付く。
一方のマクレーンは、渋い表情でベレッタをホルスターに戻す。
「……あぁ、チクショぅ……結局、お前に頼るのかよぉ……」
そしてホルスターの、もう片方のポケットより、別の銃を抜く。
ルガー P08。
9mmパラベラム弾を作った「ゲオルグ・ルガー」の名を冠している癖に、9mm捨てて怪物になってしまった改造ルガー。
構造はオートマチックピストルなのに、仕様は完全にリボルバーだ。
大口径から放たれるは、454カスール弾。
元々、七発弾倉に残っていたのが、モレッティにマテバを向けられている時に一発。
ヴェロッキオ・ファミリーのビルの中で、二発。
残り、四発。
しかもこれまで着弾させた物は、じっくり狙った斧の柄だけだ。
「こんな、馬鹿リボルバーで勝負……クソぅ。するしかねぇのか」
相変わらず硬いトグルを引っ張り、溜め息を吐く。
「…………四発。あと、『こいつ』と……」
ポケットから取り出した物を、見つめる。
祈りでも送るかのように握り締めてから、またポケットに戻した。
「…………あぁ、やってやるぅ。大人の意地ってもんだ────ッ!」
サッとマクレーンは柱の裏から、横撃ちで銃口だけ出す。
彼がまだ銃を持っている事に気付いた二人は、サッと身を屈める。
爆発音が響き、驚異的な速度で飛んで行く銃弾。
屈んだ二人の、頭の上を抜けて、吊り下げ式の照明を壊した。
「だぁーーッ!! 引き金かてぇよぉーーッ!!」
グレーテルらを怯ませた隙に、柱から飛び出し横へ走るマクレーン。
すぐに顔を上げ、照準を合わせる。
「──ああ、本当に素敵なおじ様……!」
うっとりとした表情で、引き金を引く。
BARの銃口から、撃ち放たれ続ける7.62mm弾。
これまでそうだったかのように、全てを貫き、全てを破壊し、マクレーンへと飛びかかる。
人形が蜂の巣となり、綿が舞う。
燦々と散る雪のように、月明かりに照る綿や毛糸。
マクレーンはただその中を、走る、駆ける、逃げ続ける。
「血で、真っ赤になっちゃったシャツ────」
そう呟いたヘンゼルの頭上を、二発目のカスール弾が飛び抜けて行く。
「降りしきる雪の中。大忙しな────」
そう呟いたグレーテルより五メートル横へと、三発目のカスール弾が外れた。
「────まるでサンタクロースだなぁッ!!」
そう叫びながら、引き金を引く。
グレーテルの追撃から逃げつつ、ただでさえ取り回しの難しい銃で撃とうとしている。
当たるハズがなかった。
四発目は、双子の間を抜けて、消えた。
「ハッハッ!! 笑えねぇーーッ!!」
倒れていた作業台の裏へと飛ぶ。
そこで一頻り身を守っていれば、突然銃声が止んだ。
「弾切れ。最後の弾倉よ」
颯爽と弾倉を入れ替える、グレーテル。
彼女の横にいたヘンゼルは、一歩前へ進んだ。
「姉様の弾がまるで当たらない。あははっ!! やっぱりマクレーンおじさんは、凄いや!」
隠れていても、いずれヘンゼルによって殺される。
弾切れになった弾倉を、ルガーから抜くマクレーン。
「……本当だったら、十三発ちょっと込められる
ポケットにしまっていた物を、再び取り出した。
────カーテンを少しめくり、格子の隙間から何かをマクレーンに渡す。
「……こいつぁ……」
「餞別さ」
シスターより手渡された物は、「二発の銃弾」だった。
454カスール弾。
しかし、初めから弾倉の中に入っていた物とは勝手が違っていた。
「……おい。この弾……」
「その気持ち悪いルガーの中に入っとった弾丸のジャケットは、メジャーな『ホローポイント』だったよ」
ただの鉛弾に効果を授けるのが、ジャケットだ。
弾丸に被せる、薄い銅の事を指す。
ホローポイントとはそのジャケットの一種で、先端に楔形の窪みがある。
この窪みが人体へ着弾と同時に外側へ広がり、抉るような銃槍を作る。
またそれがブレーキとなり、貫通を抑えられた。
アメリカを含む多くの国の警察は、貫通による流れ弾事故を防ぐ為、このホローポイントの弾を義務付けている。
「俺が気絶している時に弄ったのか?」
「職業柄、気になっただけさね」
「……職業柄の意味、間違ってねぇか? おたくシスターだろ?」
「ただのシスターが、あんたに弾を渡すと思うんかい?」
それもそうだなと納得し、貰った二発のカスール弾をまじまじと眺める。
ジャケットはホローポイントではなかった。
丸い先端で変形しにくく、貫通力の高いフルメタル・ジャケット弾を思わせる構造だ。
「……これ、リボルバー用の弾丸か? ジャケットがオートマチック用だろ」
「特注品さ。454カスール弾をベースに弾芯はスチール製、ジャケットはフルメタル。高初速、大質量の徹甲弾と言った方が良いかい。ダメ押しのテフロンコーティングだよ」
「嘘だろ? 詰め込み過ぎだろ、頭おかしいのか? この弾?」
「頭おかしい構造の銃にゃあ、ピッタリだと思うがねぇ」
それを言われたら、また納得するしかない。
マクレーンは思わず、笑ってしまった。
「なんでこんなモンを持ってて、俺にくれるんだ?」
「余りモンさ」
「ここ教会だよな? 武器倉庫だったのかぁ?」
「そんで、渡したのは……まぁ、エダの言葉を貰うか。『キマグレ』さね」
格子窓の向こう、カーテンの隙間から、シスターの皺だらけの指が見えた。
「あたしの勘によると、あんたはその銃の方がありがたいハズだろ?『二重の意味』でなぁ」
「クソッタレ……俺は本当に、分かりやすい男だなぁ」
シスターから貰った二発の銃弾。
一発一発を空いた弾倉の上から、詰めてやった。
再びルガーに挿入し、硬いトグルを引いて、装填完了。
「……しかも、『最後の二発』か……俺は、二って数字と縁が深いみてぇだ。こりゃ気運が良い、ラッキーナンバー」
ブツブツと呟いていたが、射撃準備を整えると、一転して息を殺した。
作業台に耳を当て、音を拾おうとする。
カツッ、カツッ、カツッ、と、こちらに近付く足音。恐らく、ヘンゼルだ。
ヘンゼルの真正面に立てば、グレーテルからの攻撃は免れる。
彼の延長線上に立てた時が、勝負だ。
マクレーンの隠れる作業台へ歩み寄る、ヘンゼル。
手斧をぶら下げ、ゆっくりゆっくりと、焦らすように。
「……マクレーンおじさんは優しいな」
「………………」
「……さっき僕が、斧をテレビで防がれた時……銃を向けるよりも、生身で殴った方が早かったよ」
ピタリと、足を止める。
作業台より、三メートル手前の位置。
「殴って、殴って、首を絞めて、盾にして……そうしたら姉様も撃てなかったし、マクレーンおじさんも有利に立てたよね」
「………………」
「……どうして?」
BARを構えるグレーテル。
ジッと待つヘンゼル。
綿の雪が消えた、十秒後。
「……子どもってのはな」
沈黙を破る、マクレーンの返答。
「……ぶった回数が多くても、子どもはテレビじゃあるまいし、良くはならねぇ。二人にも話したろ? ジャックの事を」
戦闘中、口にしていた悪態や軽口とは違い、落ち着いて哀愁を帯びた口調。
二人はその声に聞き覚えがあった。
初めて会ったバーでの、彼だ。
「…………!」
グレーテルはピクリと、驚きから目を開いた。
マクレーンは続ける。
「説教にせよ、ぶつにせよ……まずは『一緒に笑った時間』ってのが、大切なんだ。それが足りねぇもんだから、どれだけ殴っても叱りつけても……ジャックは悪ガキになっちまった」
ルガーを持ち上げる。
「だからてめぇらには、殴る蹴るはナシにした。そいよか遊んでいて、相手を殴るなんざ論外だろぉ?」
ヘンゼルは斧を掲げた。
そして作業台越しに、話しかける。
「……僕たちを思っていたって言うの、嘘じゃなかったんだね」
「あぁ」
「……あはは……ありがとう。マクレーンおじさん」
マクレーンは、息を吸い込む。
「────遊びは終わりだ」
作業台から飛び出し、乗り越えるマクレーン。
ルガーを構え、ヘンゼルへ迫ろうとする。
グレーテルのBARの射線が、ヘンゼルと被るように考慮した。
そのまま引き金を────
「────大好きだよ」
────M60には、もう一発残っていた。
マクレーンの放った一発目のカスール弾は、ヘンゼルの斧の柄を、へし折る。
外した。
「────ぅぐぇッ!?」
左腕に激痛。
ヘンゼルの放った.38スペシャル弾が、マクレーンの左腕を貫いた。
手放される、ルガー。
宙をクルクルと回り、月明かりに照る。
銃は彼の後方に飛んで、落ちた。
同時にマクレーンも、床に倒れ伏した。
「…………ッ!! クソッタレぇ……!! ドジったぁあ…………ッッ!!」
傷口を押さえ、悔しがるように呻くマクレーン。
落としたルガーの方を向く。
隠れていた、作業台の上にあった。しかし、手を伸ばしても届かない距離。
「……僕たちの勝ち」
柄だけになった斧と、弾切れになったM60を捨てるヘンゼル。
そしてそのまま、身を引いた。
グレーテルに、射線を空けてしまった。
「さすがね、兄様」
「マクレーンおじさんが言ってた奴を真似してみたんだ。ホラっ、サッと構えて照準を合わせた奴。本当は肩を撃ちたかったけどなぁ」
止め処なく流れる血。
マクレーンは脂汗を吹き出しながら、それでも立とうとした。
しかし、BARからもう逃げられない。
立とうが座っていようが、もう余裕はない。
どうしたって、グレーテルの指と、弾丸の方が早いからだ。
もうマクレーンには、手段は残っていない。
「終わったか……!? ここで、終わりか…………ッ!?」
自分の不甲斐なさを呪いながら、銃口を前にただただ、怯む。
そんな彼を前に、グレーテルは話し始める。
「まずは、左足よ。次に、右腕。最後は右足……動けなくなったら、ギュって抱きしめるの」
「斧は壊れちゃったからさ」
「残念ね、兄様。一緒に切るって、良いアイディアだったのに……」
照星と、照門を、マクレーンの左足へと進める。
「血が流れて、失血死するまで、一緒になるの」
その途中、マクレーンの右腕を捉えた。
「血が少なくなって」
ピタリと、止まる。
「……足りなく、なって」
声に、若干の震えが出た。
「冷たく……なる、まで…………」
引き金にかかった指が、震え出した。
力が入らない。
微笑んだままの表情に、強張りが起こる。
「……え? 姉様……?」
グレーテルの異常に気付いたヘンゼル。
次には、驚きに染まった。
視線の先には、およそ久しく見た、彼女の怯えた表情があったからだ。
「冷たく……なったら……動かなくなったら…………?」
脳裏に浮かぶ光景。
フラッシュバックする記憶が、グレーテルを捕えた。
「俺には二発しか弾がなかった! しかし悪い奴は二人……だが俺はなんと! それぞれ一発ずつ当ててやっつけたんだ!」
「奥さんには当てなかったの?」
「当てる訳がねぇ! 一瞬で狙いを定めて、悪い奴だけを……ほれ、撃て!」
「ばずーんっ!」
「うわー!」
マクレーンはやられた振りをして、ヘンゼルを解放。
その様を見て二人はケタケタと笑い、マクレーンも釣られて笑った。
「こんな感じに助けたんだ」
「凄いや! カッコいい!」
「どうせ大人になんならヘンゼル。そんな男になった方が良いぞぉ? グレーテルもそんな男とデートしてみたいよな?」
「そうね……確かにデートするなら、優しくて強い人が良いわ」
「姉様姉様、僕はどう?」
「うーん。ちょっと頼りないかしら?」
「はっはっはっはっ! まだまだだなぁ!」
拗ねたように口を尖らせる彼の頭を撫でながら、マクレーンは笑い声をあげる。
「………………」
突然、押し黙るヘンゼル。
さすがに馴れ馴れし過ぎたかと、すぐに手を離す。
「おっとと……あー、嫌だったか? いやぁ、悪かった。酔っちまっててなぁ」
「……ううん。何でもないよ」
「………………」
ヘンゼルはぼんやりと、持っていた死体の腕を見る。
何を思ったのか、死体の手のひらを自分の頭に置いた。
「どうしたの? 兄様?」
「…………ううん。何でもない」
そう言って、死体の腕をポイッと捨てる。
「……冷たいや」
気が付けば、グレーテルはBARを、下げていた。
完全に、無意識の行動だった。
「……!? 姉様……!?」
「……なに?」
ヘンゼルもマクレーンも、困惑する。
それは、グレーテルも同じだった。
ブルブル震える手ではもう、銃を支えられなかったからだ。
「どうしたの!?」
「わ、わた、私……!」
首を振って、拒絶する。
「わたし……あれ? 僕……だっけ? 兄様が、姉様で……? 私が、兄様で……?」
「え……!?」
「いや、いや。撃てないわ……撃て、ないよ。嫌だ、マクレーンおじさんは動いていて、欲しい……欲しいのよ、欲しいんだ……え?」
尋常ではない汗が、グレーテルから流れる。
目線は完全に下。照準は合っている、いない以前の問題だ。
「あったかいままじゃないと……!!」
隙が、出来た。
マクレーンは全力を出し切り、とうとう立ち上がる。
立ち上がったと同時に、ルガーの方へ走り出した。
「……ッ!? ま、待って……ッ!!」
思わず駆け出すヘンゼル。
いきなり動き出した彼らに驚いたのか、グレーテルは身体を震わせた後に、顔を上げる。
混乱したまま、銃口を向ける。
だが射線には、ヘンゼルがいた。
撃てない。
いや。引き金に指すら、かかっていなかった。
そしてマクレーンは、ルガーを右手で取る。
すぐに振り返り、作業台に背を預けるようにして座り込む。
一瞬で照準は、ヘンゼルの右太腿に合わせられた。
「……
発射された、最後の銃弾。
それはまず、前方にいたヘンゼルの右太腿に着弾。
「ぁ……ッ!?!?」
しかし特殊加工の弾丸は、勢いそのままに貫通する。
血を浴びた弾は一直線に、一直線に、後ろにいたグレーテルの足にも着弾した。
「ひっ……ッ!?!?」
激痛を感じたのは、二人ほぼ同時だ。
次には、バタリと音が響く。
双子は揃って、床に跪いた。
足に力が入らず、立てない。
BARを撃てるハズのグレーテルもなぜか、反撃をしようとしない。
段々と広がる血溜まりに膝をつき、ただ呆然とそれを見下ろすだけ。
やっと顔を上げる二人。
二人の視線の先には、座り込んで息を乱す、マクレーンの姿。
彼の足元にも、左腕から流れ落ちて、血溜まりが出来ていた。
「……あぁ。少しだけ、神様と仲直り出来たかもなぁ。Let it Be……チクショーめ」
そう言って苦笑いをこぼす、傷だらけの彼の姿。
慣れない右手で握っていたせいか、ルガーを反動で手放し、どこかへ失くしてしまっていた。