DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread.   作:明暮10番

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Let it Be 2

 頭の中が激痛と恐怖で、混乱している。

 

 思考が真っ赤に焼き付いて、今ある様々な事に注目出来なかった。

 

 汗と血が吹き出る。

 

 身体が冷めたようだ。

 

 

 足がまるで動かない。

 

 痛くて、怖い。

 

 血がたくさん出て死ぬ。

 

 

「……大丈夫。しな、死なない……死なないんだ……」

 

 

 言い聞かせるように呟く、ヘンゼル。

 

 自分はたくさんの命を奪った。

 

 ネバー・ダイ。ネバー・ダイなんだ。

 

 絶対に死なない。

 

 

 

 

 なのに、この痛みと恐怖はなんなのか。

 

 不安になる必要はないのに、怖くて怖くて仕方がない。

 

 

 涙が溢れ出す。

 

 それでもずっと、呟き続けた。

 

 

「死なない……死なない……死なない……」

 

「あぁ。死なさねぇよ」

 

 

 いつの間にか自分の前に、誰か立っていた。

 

 

 

 左腕の銃創を押さえながら立つ、マクレーンの姿。

 

 彼はヘンゼルの前でしゃがみ込んだ。

 

 

「ほれ、足見せろ……おー。綺麗に穴空いてらぁ。ドーナツみてぇだな、えぇ? ここまで貫通するたぁ、思わなかった。穴塞いでやるから、ちょっと手伝え。てめぇのせいで、左腕が駄目になってんだこっちは。利き腕なんだぞチクショー」

 

 

 ヘンゼルの足に空いた、弾丸による貫通穴。

 

 彼はベルトに付けていたバッグを開くと、中からパッドと包帯を取り出す。

 パッドを傷口に押し当ててヘンゼルに持たせ、そのまま包帯で何重にも巻き、固定する。

 

 

「いッ……!?」

 

「ほんのちょっとだ、我慢しろ。後でまた、どうしかしなきゃならねぇがなぁ。でねぇと感染症で腐ったトマトみてぇにドロッドロになるか、蛆虫どものホテルになるかだ」

 

「……なんで……?」

 

「後で話す」

 

 

 ヘンゼルへの応急処置を終えると、すぐにグレーテルの方へ行く。

 

 

 グレーテルはBARを握ったまま、呆然としていた。

 

 彼女はヘンゼルの右太腿より貫通した弾を、右股関節の下辺りに受けている。

 

 激痛と恐怖はヘンゼルと同じく持っていたが、それよりもマクレーンに対する混乱が強かった。

 

 

 近付くマクレーン。

 

 反射的に銃口を向けるが、すでに彼は銃身の横に立っていた。

 

 

「もう無理だろ。やめとけ」

 

 

 彼女からBARを奪い、放り捨てる。

 

 

「スカート降ろせるか……って、こりゃワンピースかぁ? めんどくせぇ……ほれ、スカート上げるぞ」

 

「……………………」

 

「えぇと……うぉっ。こっちも貫通してらぁ。どうなってんだあの弾は……」

 

 

 ヘンゼルにやった通りに、同じく応急処置を施す。

 ジッと、マクレーンの顔を眺めるグレーテル。

 やはりその表情には、当惑の色があった。

 

 

「…………俺が撃てなかった気分が分かったろ」

 

「………………」

 

「俺ぁ、ジョン・マクレーンだ」

 

 

 一日中ノンストップで走り回り、汗と汚れと怪我だらけの顔。

 唯一彼の緑色の瞳だけが、傷一つなく澄んでいた。

 

 

 

 

「刑事で、男で、アメリカ人で、一人の人間で…………『父親』なんだよぉ。やっぱ子どもは殺せねぇ」

 

 

 

 包帯を巻き終わると、今度はパッドと包帯を手渡す。

 それから銃創の出来た左腕を突き出す。

 

 

「ほれ。今度は……二人でやってくれ。このやろぉ、もうちょい肉が厚い所だったら、弾が中に残ってたぞぉ」

 

 

 ヘンゼルの方へ振り向き、手招きする。

 

 

「おめぇらがやったんだ。おめぇらで手当てしろぃ」

 

 

 今は誰も、武器を持っていない。

 

 殺意も警戒もない、静寂な時間。

 

 マクレーンに誘われるがままに、ヘンゼルは困惑気味ながら這うようにして、彼の方へ寄った。

 

 

 

 

 

 

 

 双子は手分けして、マクレーンの傷口を塞ぐ。

 ヘンゼルがパッドを押し当て、グレーテルが包帯を巻く。

 

 

「イデデデ!? もうちょい、優しく出来ねぇかぁ!?」

 

「……僕たちもこんな感じだったよ」

 

「クソッタレ、仕返しってか? もっと痛くしてやりゃ良かったぜ」

 

 

 すっかり三人の服は、血と埃で汚れていた。

 

 

「……マクレーン、おじさん」

 

 

 その内、ずっと黙っていたグレーテルが、やっと口を開いた。

 

 

「どした? あー……」

 

「……グレーテルで構わないわ」

 

「そうか? しっかし、入れ替わってたとはなぁ。そりゃカツラか? 服とそれがなきゃ、どっちがどっちだか……」

 

「………………」

 

「あー、悪い。えーっと、なんだぁ?」

 

 

 少しの間を置いて、言葉を続けた。

 

 

「……最初から、私たちを殺そうとは……していなかったの?」

 

「あぁ、そうだ」

 

 

 ヘンゼルが食い気味に話しかける。

 

 

「でも、あの弾道は間違いなく、狙っていたよ……?」

 

 

 対してマクレーンは、「ククク」と忍び笑いを浮かべて、悪戯に成功した子どものような悪い笑顔を見せつける。

 

 

「狙っていたさ」

 

「じゃあ、やっぱり殺そうとしてたじゃん」

 

「当たらねぇように祈りながら、狙った」

 

 

 その言葉に双子は、目を丸くする。

 良く分かっていない二人に、マクレーンは嬉々として種明かし。

 

 

「おめぇらが避けるって信じて撃ってたんだよぉ。こちとら、当たるんじゃねぇかってヒヤヒヤだったぜ……で、興奮させてボコスカ撃たせて、武器とか色々手放させてから足撃って動けねぇようにしようって魂胆だ」

 

「……それって……ええと……」

 

「それ以外はノープランだ。弾倉無くした時と、左腕撃たれた時はマジに終わったなと思ったよぉ。寿命を縮めるだけで済んだけどなぁ」

 

 

 マクレーンに弾を渡した時にシスターが言った「二重の意味」とは、彼のこの魂胆を見透かされての一言だった。

 出来るだけ損害を与えず、効果的に動けなくさせる弾丸を渡したのは、こう言う事だ。

 

 そして都合良く、包帯とパッドを多く持参していたのも、そう言う事だ。

 

 

 

 彼の種明かしを聞き、ヘンゼルは呆れたように息を吐いた。

 

 

「……本気で殺し合えるって思ったのに」

 

「馬鹿野郎ぉー。本気に決まってんだろ。俺はいつだって本気だ」

 

「そうじゃなくてぇ……」

 

「それに言ったろぉ、俺は父親だ。そんな俺に、子どもを殺せってのが無理な話だったんだ。相手がどんな奴だとしてもなぁ。結構、仕事でも公私混同しちまうタイプなんだ」

 

 

 グレーテルが包帯を結び、巻き終える。

 終わった合図として目を合わせ、マクレーンは感謝の言葉の代わりに、ぐしゃっと彼女の髪を撫でてやった。

 

 

「あ…………」

 

 

 物欲しそうに見つめるグレーテルには気付かず、すぐに彼は離れてしまった。

 

 ヨタヨタと覚束ない足取りで、入って来た扉の方へ行く。

 

 

「どうせこの街は犯罪者まみれだ。正義がねぇんならこっちも好き勝手、したい事をやるぜ」

 

 

 扉を開けて、二人の方へまた振り返る。

 

 

「ほれ、車に乗るぞ。こっから先はまだ考えていねぇが、アテはある。とりあえず……って、そうか。立てねぇんだったな」

 

 

 苦笑いを浮かべながら、一度正面を向くマクレーン。

 

 

 

 

 その時、視線の先にある窓より、何かを見つけた。

 

 

「……あ?」

 

 

 暗闇の中に浮かぶ、数多の移動する小さな光。

 それは車のヘッドライトだと、すぐに気付いた。

 

 

「車列だぁ? こんな辺鄙な場所に……それも十台は────ッ!?!?」

 

 

 すぐにマクレーンは察した。

 察したと同時に扉を殴りつけ、悪態吐く。

 

 

「クソッタレぇッ!! 間違いねぇ、ホテル・モスクワだッ!! おい、居場所がバレてやがるッ!!」

 

 

 即座に二人に近寄り、一人一人抱き上げて立たせてやった。

 

 無傷な足で何とか立てられる。

 しかし走るどころか、歩く事すら不自由だ。

 

 

「早く車に……いや駄目だ!! もう奴ら、この周辺を包囲してやがる……!! 陸は駄目だッ!!」

 

「………………」

 

「どうする……何か、何かねぇか……!?」

 

「…………マクレーンおじさん」

 

 

 グレーテルがふらつきながら、マクレーンに話しかける。

 

 

「……どうした?」

 

「……マクレーンおじさんを殺した後で、私たち逃げる予定だったの」

 

「それがなんだ?」

 

 

 ずっと無表情だったグレーテルが、やっと出会った時のような微笑みを見せた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 工場に到着する、多くの車。

 その一台から現れたのは、マクレーンの予想通りホテル・モスクワを率いる、バラライカだった。

 

 

「第一班は正面突撃。二班、三班は裏口を見つけて固めろ。四班は窓だ。残りの班は周辺に待機。我々の物以外の車が通れば、容赦無く撃て」

 

 

 無線で命令を飛ばし、チラリともう片方の手に握っていた物を見やる。

 

 

 

 半分焼け焦げた、人形だ。

 爆破されたヴェロッキオ・ファミリーのビルから吹き飛んだ来た物だ。

 

 その人形を見た時にバラライカは、マクレーンより手渡された小さな人形を思い出した。

 

 

「大尉。ビルの時と同様、C4が仕掛けられている可能性は?」

 

「既に使い切っているハズだ。武器庫を襲ってから、その足でビルに向かっていた。どこかに保管しておく暇はない……それにあの規模の爆発なら、張の持って来たヴェロッキオらの武器リストの数と一致する」

 

「まぁ、そうですな……しかしそれにしましても、その人形が決定打となるとは」

 

 

 最初はバラライカも、イタリアの知らない街で作られた人形かと思っていた。

 

 しかしマフィアが殺しを仕込んだ子どもに、無駄な物を買い与える訳はない。

 とすればこれも、ロアナプラに来てから手に入れた物だと勘付いた訳だ。

 

 

 ほぼ、直感だった。

 しかし、彼女の読みは結果的に当たった。

 

 人形を使って聞き込みをすれば、すぐにどこで作られた物かと心当たりのある人物は見つかった。

 その情報を元に、ここまで辿り着く。

 

 

 彼女の執念による、到着だった。

 

 

「大尉。双子が乗っていた車を発見しました」

 

「第四班、裏口に到着」

 

「位置につきました」

 

「突撃準備は完了しております。いつでも行けます」

 

 

 続々と、報告が入って来る。

 

 バラライカは人形を捨て、無線機に口を近付けた。

 

 

 

「……突撃しろ」

 

 

 

 凍てつくような声で、命令を下す。

 兵士たちは同時に、工場の至る所を蹴破り、突入する。

 

 

 警戒されていたC4爆弾に関しては、バラライカの読み通り、仕掛けられていなかった。

 

 雪崩れ込む兵士たち。

 AKを構え、荒々しくも規律正しい動作で奥へ奥へと突っ込む。

 

 

 

 突撃から三分が経過。

 

 バラライカの無線より投げ渡された報告は────

 

 

「……標的無し」

 

 

 

────もぬけの殻だと言う報告だった。

 

 

 

 

 

 バラライカはボリスや他の兵を引き連れ、工場内に入る。

 

 奥にあった広間に着いた時、そこのあまりの惨状にまず顔を顰めた。

 

 

「………………」

 

「これは……誰かが撃ちあった後か……」

 

 

 部屋にある全ての物が破壊され、壁には数多の弾痕。

 床に置かれた人形は穴だらけで、飛び出た綿が至る所に散らばっている。

 

 まるで雪原のようだ。

 寂れた工場に差し込む月明かりと言い、やけに幻惑的な光景だった。

 

 

「……どうやら、我々より先に辿り着いた者がいたようだ」

 

 

 バラライカはチラリと、自身の足元にあった血溜まりを見やる。

 

 

「一体、誰が……」

 

「ジョン・マクレーンだよ。あの人形を持っているのは、あいつだけだ」

 

「しかし、辿り着いて……何をしたのでしょうか? まさか、一人で双子を相手したとは……」

 

「……同志軍曹。ここで何が起きたのかは、この際不要だ」

 

 

 血溜まりに手を触れる。

 ぬるりと、まだ湿り気を帯びていた。

 

 

「血は乾いていない。出血をしてすぐだ。僅差で逃げられたようだが、まだ遠くはない」

 

「どこから逃げた……?」

 

「……裏はどうなっている」

 

 

 現場を押さえた兵士たちに案内され、裏口から外に出る。

 

 すぐに青臭い潮風と、真っ暗闇の海原が現れた。

 少し歩いた所には、桟橋もある。

 

 

「……海から逃げられたようですな」

 

「……ここはもう良い。すぐに近辺の海岸線を包囲しろ。必要なら、ボートも出せ」

 

「はっ」

 

「それと殺し屋たちに情報を流してやれ。ロアナプラから出さないよう、厳重に固めさせろ」

 

 

 即座に撤退する、兵士たち。

 ロシア語で号令をかけ、屋内にいた者もぞろぞろと出て行く。

 

 早い者なら、車で出発した。

 

 

 迅速に行動する兵士らを頼もしく思う反面、今日の出来事を思い出すバラライカ。

 

 

 

 

「……ふふっ」

 

 

 

 暗闇の海を見渡しながら、一人自嘲気味に笑う。

 彼女のそんな様子に驚いたのか、ボリスが呆然と見つめている。

 

 

「大尉?」

 

「……すまない。どうも、おかしくてな。これだけの精鋭や、その他人員を揃えたと言うのに……あの男になぜか先を越される」

 

 

 波音が揺蕩う、夜の海岸。

 そこに立ち、眺める。

 

 横顔から窺う彼女の表情から、暫し憎悪が消えていた。

 哀愁と、呆気。そして僅かな、清々しさだ。

 

 

 

 

「……本当に、あの男は……」

 

 

 コートを翻し、ボリスと共にその場を去る。

 彼女たちもまた、終わってはいない。

 

 振り返った頃には、あの冷酷な目に戻っていた。

 

 

「じきに夜明けだ。見つけ切れなかった場合、夜明けと共に三合会と市内を捜索しろ」

 

 

 指令を伝え終えた彼女は、ボリスに促されるままに車に乗り込む。

 ドアが閉められ、すぐに発車する。

 

 テールライトの残像を残し、去って行った。

 

 

 

 

 

 

 バラライカらの車が離れた時、工場はまた忘れられた廃墟と化す。

 

 生き返ったかのように騒がしかったこの場所が、二度目の朝日を迎える事はない。

 

 壊れた機械と、放置された人形たちは、波音を子守唄にこれからも眠り続ける。

 

 

 工場前の道路に横たわる、半分焼け焦げた少女型の人形。

 

 白け始める空を、ただ仰ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 海の彼方より太陽が顔を出す。東の空から、赤々と明け始めて来た。

 

 晴天を希望していたマクレーンだが、どうやら曇天のようだ。

 

 不吉な雲の海を眺めながら、また眼下にある本物の海を覗き込む。

 

 

 

 三人は、ボートに乗っていた。

 あの桟橋に着けていた物だった。

 

 マクレーンの殺害後、その場を離れる足として、双子が用意していた物だ。

 

 

 

 船外機から吐き出される煙の匂いと、潮の匂い。

 混ざり合った二つの匂いを不快に思いながら、マクレーンは舵を操作する。

 

 

 

 エンジン音が酷く、誰も話しかけなかった。

 暫しの静寂と、船旅。

 

 それは砂浜にボートを乗り上げさせた事で、終着する。

 

 

 ロアナプラからの脱出はガソリンの都合で出来ないが、遠くのビーチまで来れた。

 着いた頃には、ただ真っ暗なだけだった海が、視認出来ていた。

 

 

 

「……まさかこんなボートで、フィリピンとかに行こうなんて考えてなかったよなぁ?」

 

 

 船外機を止め、エンジン音を切る。

 

 波が砂浜を撫でる、心地の良い音が響く。

 

 

「さすがにそれは無理だからね。逃し屋を見つけようとしてたよ」

 

「そのアテはあったのか?」

 

「ラグーン商会って、大きな船を持っている腕利きの運び屋がいるんだ。そこに行こうと考えていた」

 

「あぁ、あいつらか……」

 

「知り合いだった?」

 

「まぁな。嫌な思い出しかねぇが」

 

 

 ヘンゼルと話しながら、マクレーンは二人を担いで、砂浜に降ろす。

 後はボートに残った荷物を背負って、彼も降りた。

 

 大きなボストンバッグと、グレーテルが所持していたBAR。

 弾倉は抜いている為、誤射の心配はない。

 

 

 

「……うわわ」

 

 

 ほぼ、片足でしか歩けない双子。

 ヘンゼルは船から降りて、二歩ほど一本足で飛んだ後に、砂に足を取られて尻餅つく。

 

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

「……マクレーンおじさんのせいだよ」

 

「バカやろー。自分のやった事ぐれぇ忘れんじゃねぇ。死刑と比べりゃ軽い軽い」

 

 

 ヘンゼルを立ち上がらせた時に、グレーテルが見えない事に気付く。

 

 二人は海の方へ振り返った。

 

 

 

 

 大海原を眺め、やや傾きがちに立つグレーテルの姿。

 

 押し寄せる波が足を飲み、そしてまた海の底へと引いて行く。

 

 

 灯火のように登る太陽。

 

 鈍色で白っぽい暁天。

 

 群青の海。

 

 

 

 

「……はじめて見た」

 

 

 

 立ち昇る潮の匂いも、白泡立つ波も、柔く広い砂浜も、やけに新鮮に感じる夜明けの海。

 

 

 

 

「兄様、ねぇ、見て。私たち、夜明けの海にいるわ」

 

 

 立ち上がらせたマクレーンの腕から離れ、ヘンゼルはヨロヨロと歩き出す。

 

 グレーテルと並び、波の中へ足を浸した。

 

 

 少しだけ温い。

 でも心地良い。

 

 

 ヘンゼルは、感嘆の息を漏らした。

 

 

「……綺麗」

 

「テレビより、ずっと……」

 

 

 

 どこまでも続く夜明けの海を、永遠に眺めていたかった。

 

 だがそれは叶わない。

 マクレーンは少し待ってから、二人に声をかける。

 

 

 

「……そろそろ行くぞ」

 

 

 双子は振り返る。

 

 その表情は、あどけない子ども笑顔だった。

 

 

 釣られるようにマクレーンも、微笑んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは二人を、両肩で支えながら、砂浜を出る。

 

 ヤシの木が並ぶ道路に出ると、電話ボックスを見つけた。

 

 

「ちょうど良い……えぇと、十バーツ持ってたな。どこだっけ……」

 

 

 懐やポケットを弄りながら、公衆電話の方へ歩くマクレーン。

 

 

 

 

「……マクレーンおじさん」

 

 

 そんな彼を、不意に飛び止めるグレーテル。

 

 振り返ると、少しだけ遠慮がちな瞳をした、彼女の姿があった。

 

 

「……本当に、逃してくれるの?」

 

「………………」

 

「私たちは、『私たち』よ。街を出たら、また誰かを殺すわ」

 

「………………」

 

「……本当に良いの?」

 

 

 

 マクレーンは少しだけ考えて、一旦持っていた荷物を路上に置いてから話し出す。

 

 

 

「良かねぇよなぁ」

 

「………………」

 

「だから、『約束』だ」

 

「…………え?」

 

 

 双子の方へ、歩み寄る。

 

 視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

 彼の目はこんな時でも厳しそうで、優しかった。

 

 

 

 

「……この街を出て、誰も殺さずにいられたら────」

 

 

 彼の提示した条件は、双子でさえも愕然とした。

 

 それでもマクレーンは、淡々と、さも当たり前かのように語る。

 

 

 

 

 

 

「────守れるか? 守れねぇなら、ここでてめぇらを殺してやる」

 

 

 

 

 双子は互いに顔を見合わせた。

 

 少しの間見つめ合い、決心したように微笑んで、また彼へ視線を向ける。

 

 

「……分かったわ」

 

「うん。でも、僕らが殺した殺してないかって、分かるの?」

 

「分かるわきゃねぇだろ。不安が残ると言えば嘘になるが……本当、俺がみじめになるからやめろ。ジョークじゃねぇからな? やめろよ?」

 

 

 彼の言った約束を受け入れた。

 殆ど、口約束のようなものだ。しかしマクレーンからは、懐疑心は感じられなかった。

 

 

 再度、公衆電話へ行こうとするマクレーン。

 

 

「あと、もう一つだけ」

 

 

 そして再度、グレーテルは呼び止めた。

 

 

「なんだぁ? 早くしねぇと、バラライカどもが来ちまうぞ」

 

「ちょっとしたお願い」

 

「お願い? 後でも構わないか?」

 

「今が良いの。我慢出来なくて……」

 

 

 グレーテルは、ウィッグを取った。

 

 

 マクレーンの前には、双子がいる。

 

 髪型も顔立ちも、同じ二人だ。

 

 ただ服装だけが違う。

 それさえ消えたら、本当にどちらか分からないだろう。

 

 

「……どっちで呼びゃあ良い?」

 

「……兄様、良い?」

 

「構わないよ、姉様」

 

 

 グレーテルはヘンゼルに許可を貰ってから、一歩踏み出した。

 

 

 

「……始めて会った時みたいに、『ヘンゼル」……って、呼んでほしいな」

 

 

 マクレーンは快諾し、その通りに扱ってやる。

 

 

「そんで、ヘンゼル……まだまだ情けねぇおめぇが、俺になんの用だ?」

 

 

『ヘンゼル』は照れ臭そうに頰を掻きながら、お願いを告げる。

 

 

「……撫でて欲しい。始めて会った時みたいにさ」

 

「なんじゃそりゃ……さっき撫でなかったか?」

 

「あれは、『僕』じゃなかったよ」

 

「屁理屈じゃねぇか、クソッタレ…………えぇい、仕方ねぇなぁ」

 

 

 

 マクレーンは『ヘンゼル』の前に再びしゃがみ、頭を撫でてやった。

 

 荒っぽく、男らしい撫で方。

 手の皮も厚めでザラリとし、お世辞にも綺麗ではない。

 

 

「……んふふ」

 

 

 それでも彼は、甘えるように微笑む。

 

 何よりも心地良く、そして暖かい。

 

 

 手が頭から離れた。

 

 耐え切れずに『ヘンゼル』は、マクレーンに抱き着く。

 

 

「おおっと……?」

 

「……あったかい。えへへ……あったかいなぁ」

 

 

 引き剥がそうとした腕を、考え直して背中に回す。

 

 時折ポンポンと、労うように叩いてやった。

 

 

「…………クソッタレ。てめぇ、冷た過ぎんだ。風邪引いちまったら承知しねぇぞ」

 

「……火傷しちゃうかも」

 

「そう言うとこが、まだまだお子ちゃまなんだなぁ……」

 

「……ねぇ」

 

 

 耳元で囁く。

 その声には、少しばかりの不安が見え隠れしていた。

 

 

 

「……殺すだけが人生じゃないなら……マクレーンおじさんの言う人生って、なんなのかな」

 

 

 

 彼の質問に、マクレーンは明確な答えを出さなかった。

 

 

「そいつはまだ、俺も考え中だ────でもまぁ、必ず教えてやる」

 

「約束だよ」

 

「あぁ。約束する」

 

「あと……オレンジジュース、美味しかった」

 

「そりゃ良かった」

 

 

 それだけ言うと、二人はやっと離れた。

 マクレーンは立ち上がり、彼の後ろに立っていたヘンゼルに目を向ける。

 

 

「待たせて悪ぃ」

 

「…………羨ましいかな」

 

「お前もか?」

 

「……時間も無さそうだから。また後で」

 

「へへへ……双子揃って、お子ちゃまだな」

 

 

 置いた荷物の方へ走り、またボストンバッグとBARを担いだ。

 

 

 

 BARの銃身にぶら下がっていた人形が、ポトリと落ちる。

 

 マクレーンはふと、それを見下ろした。

 

 

 

 

 

 

 

 辺りに雪が降りしきる。

 

 暗闇の空港と、燃え上がる滑走路。

 

 残骸と消化活動を行うレスキュー隊員らを抜けて、ふと目線を下げた。

 

 

 

 燃えて、首だけになった、人形。

 

 訴えるように、嘆くように、作り物の目がマクレーンを捉え続けていた。

 

 

 

 

 

 マクレーンはその人形へ、身を屈めた。

 すっと、拾い上げる。

 

 

 気付けば辺りは熱帯の海沿いで、持っている人形は下手くそな編み物だった。

 

 

「……悪かったなぁ。助けきれなかった」

 

 

 再び、人形を手放す。

 

 

 ポトリとまた、路上に寝かされた。

 

 

 

「……後悔しないようにしたって、悔いは残るもんだ。だが、引き摺ってもいられねぇ…………俺はいつだって、『今』しかねぇんだ」

 

 

 

 

 

 マクレーンはまた、歩き出した。

 

 落とした人形を見ないように、それでも忘れないように噛み締めながら、公衆電話へと一歩一歩、歩んで行く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ハンドルに突っ伏し、眠りこける男。

 吸い殻入れにはタバコが満載し、車内は窓を開けていてもヤニ臭かった。

 

 空はもう、明るみ始めている。

 それでも男はなかなか、目を覚まさなかった。

 

 

 

 彼を叩き起こしたのは、ベルの音。

 

 傍らにあった、公衆電話の呼び出し音だった。

 

 

「……うわっ!?」

 

 

 反射的に目を覚ます、「ロック」。

 

 寝惚けて、暫し自分のいる場所を忘れていた。

 

 

「……ッ! そうだ……俺は……!!」

 

 

 思い出してから、今鳴っている公衆電話を見て、驚きを隠せなかった。

 

 ここは街の郊外にある、海沿いの電話ボックス。

 

 

 ロックは大慌てでドアを開け、何度か転びそうになりながらも、受話器に噛り付いた。

 

 

 ガチャリと取り、恐る恐る話しかける。

 

 

「も……もしもし? えと…………オカジマです……」

 

 

 

 電話の向こうから、声が聞こえた。

 

 

 

 

 

 

 

『Ah……スミマセ〜ン。スシ、タベタイデース。Delivery、OK、デスカー?』

 

 

 

 

 

 

 

 片言の、ふざけた日本語。

 その声を聞いた時にロックは、呆れたように頭を下げる。

 

 

 

 押し殺すような笑い声を喉から絞り出し、次に顔を上げた時には涙目となっていた。

 

 

 

 

 

 

「…………マクレーンさん……!!」

 

 

 

「……あぁ。遅くなったなぁ、オカジマ」

 

 

 受話器を耳に当てたマクレーン。

 

 その手には、「マイルドセブンの紙箱」が握られていた。

 

 

 

 

 

 

『 ロックは急いで彼を引き止め、マイルドセブンの紙箱を取り出しペンで何かを書く。

 

 

 「こ……これ……」

 

 

  渡された紙箱には、数字が並んでいた。

  電話番号のようだ。

 

 

 「……街外れにある、公衆電話の、番号です……」

 

 「……なんでこんなモン覚えてんだ?」

 

 「バオに怪しまれてますから、次からこっちに電話かけて貰おうと……時間によっては、出られないかもですけど……」

 

 「……これにかけりゃいいんだな? 分かった」』

 

 

 

 

 

 

 

 ロックがこの事を思い出したのは、レヴィの投げ捨てたタバコの箱を見た時だ。

 

 生きているのなら、連絡をするハズ。

 そう信じてロックは、一晩中ここで待っていた。

 

 

 

「みんな、死んだって言ってて……!!」

 

「積もる話はあんだが……今ちょっと立て込んでいてなぁ」

 

「どうしたんですか……?」

 

「オカジマ……また、危ない橋を渡る事になるが……手伝ってくれねぇか? 謝礼は出す」

 

 

 

 ロックは何度も、頷いた。

 頷いてから、今自分は電話越しで話しているという事を思い出し、「はい」と急いで返事する。

 

 

 マクレーンはチラリと、傍らを見る。

 

 双子が心配そうに、こっちを眺めていた。

 

 安心させるように、まずはおどけるように笑う。

 

 

 

「ここからは、てめぇの頭を借りたい。喜べ、ハリー・キャラハンの相棒役になれるぞぉ」

 

「……ダーティーハリーの相棒役って、基本的にみんな死んでいますけど……」

 

「細けぇこたぁ良い。乗るんならな、オカジマ…………」

 

 

 

 電話越しでマクレーンは、ニヤリと、不敵な笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

 

「ロアナプラのバカどもをひっくり返す、サイコーにクールでダーティーな、カーニバルのロスタイムを、楽しめる予定だがなぁ」

 

 

 

 

 曇天が晴れ始める。今日は良い日になりそうだ。

 

 あとは、あるがままに、委ねるだけ。

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