DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
彼は何も、意図していない。
先回りしただとか、事前に調査していた訳でもない。
しでかした訳でも、企んだ訳でもない。
ただ、いてしまっただけだ。
いてはならない時に、本当ならいる必要もない場所に、いてしまっただけ。
日本企業の闇取引も、ロシアンマフィアの陰謀も、運び屋の事情も、ロアナプラの掟も、何一つ知らない。
なのに、彼はまた巻き込まれてしまう。
十字路で悪魔に魂を売り、名声を得た男がロバート・ジョンソンなら、
前金の運を持ち逃げされた男がジョン・マクレーンだ。
ここからが彼の受難の始まりであり、
ロアナプラと言う街の真骨頂でもある。
店内はウェスタンとカリビアンが一緒になったような造りだ。
南国らしい涼しげで広く取った内装と、開拓時代らしい無骨で小洒落た装飾が良い塩梅で合わさっている。
マクレーンが中に入った瞬間、隣から倒れかかって来た酔っ払い客に絡まれた。
「おいテメェッ! 俺様の服に触んじゃねぇッ!」
「やめろオイ。こっちまで出禁食らっちまうんだぞ」
仲間に宥められ、事無きを得る。
呆れた目で彼らを見送った後に歩き出し、今度はテーブル客からタバコの煙を吐きかけられた。
「煙は嫌いだったか?」
「…………」
テーブルの上には堂々と、拳銃が置かれている。
「……
「そうかい」
煙は天井のシーリングファンに巻き込まれ、揺蕩い消えた。
その様を見届けた後にまた歩き出すが、カウンター席前にあるアルコーブから飛び出した女に声をかけられる。
胸元や足を晒した煽情的な服からして、娼婦だろう。
「ねぇ、素敵なおじ様。二階で楽しい事しない?」
「……悪いね。俺は酒が飲みたいんだ」
「あら。『バオ』さんのお客を取ったら怒られちゃうわ。じゃあまた後で」
「あぁ」
そのまま彼女は奥にある階段を上がって見えなくなった。
ただのバーにしては大き過ぎると思っていたが、恐らくは二階にある娼館との複合店らしい。
「………………」
周りを見渡してみる。
酔い潰れた者、あからさまにポーカーで賭博に興じる者、何かを打っているのか危ない目をしている者、見るからに堅気ではない者。
自分が入り込んだここは、普通ではない事に薄々と気付き始めていた。
「……ちゃんと取り締まってんのか?」
若干、店内に蔓延る悪い空気に圧されながらも、カウンターチェアに座る。
愛想の悪そうな店主が、カウンター越しにマクレーンの前へやって来る。
「なんにする?」
彼の後ろの陳列棚に置いてある酒瓶に目を通す。
ラム、ウィスキー、バーボン、スピリタス。何でもござれだ。
「……あー……アイリッシュ。ロック」
「あいよ」
席を少し引いた時に、足がカウンターを蹴ってしまった。
「おいおい。傷付いてたら修理費追加するからなぁ?」
「悪かった、わざとじゃない」
そこでマクレーンは気付いたが、木材にしてはやけにぶつけた時の音が鈍い。かなり厚いようだ。
またやけに堅い。中に何かを仕込んでいるようだ。
「………………」
「あいよ、アイリッシュ」
「ありがとう」
グラスを受け取った時に、目の前にいる店主に話しかけた。
見た目はアジア系。恐らくはベトナム人だろう。
「ちょっと、聞きたいんだが」
「なんだ? カウンセリングならお断りだ」
「違う違う。あれを見てくれ」
「あれだぁ?」
ポーカーで賭博をしている者たちだ。
賭け金を机に放り出し、隠し立てすらしていない。
「あれがなんだ?」
そして店主も一切、取り繕う気もない。
「あー……タイじゃ、カジノは全面禁止だとさ。アレは……マズいんじゃないのか?」
マクレーンの質問に対し、店主は小馬鹿にしたように失笑した。
「見た事ねぇと思ったが、やっぱ新参者かよ」
「今日来たばっかだ」
「なら尚更だ。余計な詮索はやめとけ。この街じゃ、普通だ」
「上も娼館らしいが許諾は?」
「言ったそばから詮索かよオイ。てめぇマクロードかコロンボかぁ?」
言い得て妙だと、マクレーンは薄ら笑いを浮かべる。
「この街でマジメぶるんならやめとけ。
「警察は知ってんのか?」
「まだ言うか!」
突如として、盛大に何かを倒す音が響く。
さっきポーカーをしていた者たちの方からだ。
イカサマでもしたであろう、一人の男を何度も何度もぶちのめしていた。
罵声と囃し立てる声が店内に木霊する。
「………………」
「もう一度、はっきり言うぞ、みっともねぇ。あの連中よりオメェの方がな。この街じゃ普通なンだよ。誇張も謙遜もねぇ、普通、日常。そのまんまだっつの」
「てことは、警察には隠してんだな」
「隠してねぇよ。今度はハリー・キャラハンの真似かぁ?」
「だははは。
「ポリス映画の見過ぎなんだよアホタレ。それ飲んだら金払って、とっとと出て行きやがれ」
店主はそう吐き捨て、彼の前から立ち去った。
琥珀色のウィスキーへ目を落とし、水面に映る自分の「みっともない顔」を眺めた。
「……ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカかっつの」
マクレーンもそう吐き捨て、背後から聞こえる暴力の饗宴を聞きながらアイリッシュを流し込んだ。
黙って酒を嗜もうとする時さえも、上手くいかない。
隣に座った客が乱暴で、ガツッとマクレーンの肩に当たる。
「さぁー飲むぞー」
ウィスキーを半分、溢してしまった。
文句の一つ言ってやろうとした時、その人物は拳銃一丁をカウンターに置いて見せ付けて来た。
モデルはマクレーンの所持する、ベレッタM92Fと同じだが、それよりも色々とカスタムされている。
「…………」
「ほらよ。拭かなきゃ清掃費もふんだくるぞ」
「……どおも」
すかさず店主が布巾を投げつける。
散々な目に遭わされ、苦笑いさえ浮かべる余裕も消えた。
溢したウィスキーを拭き取りながら、ぶつかった人物を睨む。
右肩いっぱいの刺青が印象的な、中国系の女だ。
ホルスターを隠し立てもせず晒し、拳銃を見せびらかしているようだ。どう見ても堅気ではない。
吸っていたタバコを灰皿に押し込み、店主から渡されたラム酒を注ぐ。
「…………」
「なんだ。文句がお有りなら表で話そうか?」
女と目が合う。
彼女がグラスに酒を注ぎ終わると同時に、マクレーンは呆れた顔で目を逸らした。
「……いや。もういい」
「哀れだから良い方法教えてやる。布巾をグラスの上で絞りゃ、溢した分が戻るぜ。ひひひ!」
「そりゃ良い事聞いた、ありがとよ。その酒ぶちまけて、俺のシャツで拭いて絞って飲ませてやろうか?」
「あ? なんつった?」
「聞こえなかったか? よく聞きてぇなら表行くか?」
席を立ち上がり、表に行くまでもなく今にも殴りかかろうとする女を、後ろから来た男が止めた。
無精髭を生やした、眼鏡をかけた白人の優男だ。
「やめなって『レヴィ』。クライアントが来るんだ、面倒ごとはマズい」
「『ベニー』、ダッチは?」
「向かいの売店でタバコ買ってるよ。他の客に絡んでるって知ったら、カンカンだろね」
「……クソが。席変えるぜ」
「いや構わねぇ。とっとと出るからよお」
ベニーと呼ばれる男がマクレーンを宥めるように肩を叩いて、耳打ちする。
「あんた口は悪いけど堅気だね」
「よく分かったな」
「そんな雰囲気したからさ。彼女と喧嘩なんてするもんじゃないよ。女だが、そこらの男より断然強いし怖い。僕が止めてなかったら、頭にズドンといかれていただろうね」
「……ご忠告どうも」
それだけ警告してから、少し離れた席に座る。
レヴィと呼ばれた女に睨まれながら、せめてもの反抗で敢えてちびちび酒を飲んで挑発してやる。
そうこうしている内に、マクレーンの隣にまた誰かが座る。
ラフで汚れた格好をした連中が多い中で、その人物のワイシャツとネクタイ姿は浮いて見えた。
「どうしてこうなっちまったんだ……」
アジア系の男だ。
頭を抱え、何か悩みも抱えている様子だ。
ベニーが注いだ酒を並々と飲み、鬱屈とした瞳で虚空を見つめる。
「いつまで辛気くせぇ顔してんだ日本人。酒ぐれぇ陽気に飲め」
マクレーン越しに、レヴィが彼に茶々入れる。
相手する気力もないのか、カウンターに突っ伏しながら彼女を見やるだけ。
その時にマクレーンとも目が合う。
日本人としてかビジネスマンとしての性分なのか、つい会釈してしまう。
「ど、どうも」
「おたく、日本人?」
やっとまともに会話できる人間だと察知したマクレーンは、ついつい話しかける。
「はは、はい」
「仕事か?」
「え、えーと……まぁ、そう、なんですけど……」
「なんだ歯切れの悪い」
彼はまた、マクレーンと向かい合った。
その時に突然として、怪訝そうに眉を寄せる。
「……あれ? ん?」
「なんだ?」
口元に手を置き、何かを思い出そうとしている。
「……その。他人の空似、かもしれないんですけど……あなた、どこかで見た事あって……」
「こないだやってた『ロック、ストック&トゥー・スモーキング・バレルズ』って映画に似た俳優がいるって、仲間に言われたぜ」
「いやいやいや、そうじゃなくって……え、でも、テレビに出てませんでした?」
「…………いや? 俺がハリウッドスターに見えるか?」
彼が真剣に思い出そうとしていたので、気になったレヴィもマクレーンの顔を眺め始めた。
「どしたどしたぁ? お気に入りのポルノに出てた男優だったかぁ?」
「クソ……」
「そ、そんなんじゃないっ!」
睨むように見て来るレヴィに、マクレーンは嫌味を込めた表情で見つめ返す。
最初はその表情に苛ついていたようだが、次第に日本人の男と同じような表情となる。
「……どうしたもんだ。あたしも見た事あるな」
「ひと昔前のロブ・ハルフォードって言いてぇのか?」
「全然似てねぇよ。どこで見覚えあんだ……?」
「……この日本のお客様の言葉を借りれば、他人の空似って奴だ。それかお前の言葉を借りれば、お気に入りのポルノの男優か?」
「口の減らねぇオヤジが。カウボーイ気取りか?」
「うぅ〜。イピカイエ〜」
再度一触即発のムードになった二人を引き止めた者は、野太い声の男だ。
「なに突っかかってんだレヴィ。絡み酔いするタイプじゃなかっただろ」
マクレーンが振り向くと、見覚えのある黒人が立っていた。
向こうもマクレーンを覚えていたようで、互いに「あっ」と声をあげる。
「今朝のアメリカ流刑者さんか?」
「言いやがるぜ……おたくの仲間か?」
「まぁ、そうだ」
「やけに国際色豊かじゃねえか」
「良いだろ? 俺ぁグローバル人だ。そろそろマイクロソフトから内定が来そうだぜ。来年はビル・ゲイツと晩餐会か?」
彼の登場により、レヴィはマクレーンに絡む事をやめた。
黒人は彼女の後ろに移動し、お目付役を担う。相変わらず付けっ放しのゴーグルサングラス越しにマクレーンを見た。
「ダッチの知り合いかよ」
「知り合いってほどの仲じゃねぇよ」
「僕も見た事がないね。ようこそ、こんな街に」
「俺は本当にどっかで見たんだよなぁ……」
メンバーが揃い、口々に話し始める。
賑やかになって来たところでお暇しようと酒を飲み干したマクレーンに、黒人は渋い表情で話しかけた。
「あんたは相当、捻くれてんだなぁ」
「どう言うこった?」
「俺に聞いといて、自分からみすみす来ちまうなんてな」
「あ?」
「覚えてねぇのか? ロアナプラで一番危険な云々の話……ここがそうだよ」
彼が忠告した「イエローフラッグ」と言うバーこそが、ここだった。
驚きよりも、納得が先に出てしまう。
「……どおりで。全く、納得だぁ」
「おいおい『ダッチ』」
店主が黒人……ダッチに突っかかる。
「勝手に俺の店を危険地帯にしてんじゃねぇ」
「俺は事実しか言わねぇぜ。それより、電話借りて良いか?」
「はぁ……あいよ。奥のを使いな」
ダッチが電話をしに、店の奥に行く。
その隙にマクレーンは金を出し、支払いを済ませた。とっとと退散したかった。
「それじゃあな、日本の人……あー、名前は?」
「自分ですか?『岡島 緑郎』です」
「OK。オカジマ、あのダッチってのにもよろしく言っといてくれ」
「いや……俺も友達って訳じゃないんですけど……」
荷物を持って椅子から立ち、その場を後にしようとするマクレーン。
大急ぎで緑郎が名前を聞く。
「あの……」
「あん?」
「あなたの、お名前を伺っても……」
「俺か? クリント・イーストウッドだ」
「またまた……」
悪戯に成功した子どものような笑みを浮かべながら、ポケットからタバコを取り出して咥える。
そしてライターを探しつつ、緑郎へ名前を言おうとした。
「ジョンだ。ジョン・マ──」
電話を使っていたダッチが受話器を置き、急いで振り返った。
その彼と目が合った瞬間、バーの入り口が勢い良く開かれる。
「イェアッ! 楽しく飲んでるかクソ共!?」
威勢の良いダミ声と、大勢の足音。
バーにいる何もかもの人間が、そちらの方を見ている。
マクレーンもまた、タバコを咥えたまま振り返った。
「俺からの素敵なプレゼントだ!」
迷彩柄の服に身を包んだ男たちが大挙していた。
彼らの手には自動小銃が握られている。
それよりも異色を放つのは真ん中の、リーダー格と思われる男。
火の付いたタバコ咥えた口元をクッと吊り上げ、愉快そうに笑っていた。
「受け取れ!」
その両手に、握られていた物は、ピンを抜いたばかりの、手榴弾。
「……あぁ、マジかよクソッタレ」
悪態つこうが懇願しようがもう遅い。
男は何の躊躇もなく、二つの手榴弾を大勢の客に向かって放り投げた。
マクレーンもまた、その大勢の客の一人である事は言わずもがなだろう。
「アメリカの裏でもこうなのか……?」
口からぽろりと、タバコが落ちる。
同時にマクレーンは、店内にいるどの客よりも素早く、カウンターの方へ身を翻す。
起爆はその、二秒後だった。
「聞いてくれよ、ワトサップ大佐」
終業時間も目前。タバコをふかし、その時間まで暇潰しをする彼の元にセーンサックが訪れる。
「なんだ仕事か? ウチは日本と違って、残業禁止だぞ」
「俺も仕事はクソ喰らえですよ……そうじゃなくてだな、あのコップについてだ」
「マクレーン少尉か?」
「さっきバラライカの仲間からそいつの資料が来ましたぜ。なんだ、頼んでたのか?」
「首都警察のスパイかCIAかもしれんからな。こう見えて慎重派なんだ。例えるなら……」
「オープンシーズンの雌鹿っすか?」
「クソっ、今朝の仕返しかよ……それより、結果は?」
受け取った資料を机に置いてから報告する。
即座にワトサップは机に乗せていた足を下ろし、資料を読む。
「なんてこたぁねぇ、ニューヨーク市警本部のモンだ。しかもバツイチ。離婚なんてヘマ、諜報員は絶対にしねぇでしょ」
「停職も何度か食らっているな。飲酒運転、暴行、無許可発砲、度を超えた反発行為……こんなんで停職とは、地球の裏側は平和でいいねぇ」
「CIAとの関わり無し。イーサン・ハントともジェームズ・ボンドともお友達じゃないな」
「まぁ、ロアナプラ警察に相応しい不良刑事ってのは分かった。少し勘は良さそうだが、憂慮するほどでもねぇか」
ワトサップが安心したように資料を手放した時、セーンサックは言い辛そうに話し出した。
「……と、言いたいんすけど」
「なんだ?」
「……大佐。俺らあの男の名前と顔を見て、どっかで覚えがある気がしたっすよね」
「あぁ。多分、アラン・ラッドかなんかと見違えたんだろ」
セーンサックは頭を掻いてから、彼に次のページを読むように手で促した。
再び資料を取り、促されるままに開く。
思わず、かけていたサングラスを外してしまった。
「……思い出した。確か十年以上前ぐらいだ。南米の独裁者のシンパが起こした重犯罪って事で、こっちでも丸々が生放送されていた。旅客機に飛び乗っていた映像だ」
ワトサップは信じられないと言わんばかりの目で、セーンサックを見やる。
「こいつがあの、『バル・ベルデの麻薬王』をやった?」
「……えぇ。あの、バル・ベルデの麻薬王をやった」
「………………」
「しかも軍隊付きを、ほぼ一人」
灰皿に取り置きしていたタバコを再び咥え、頭部に手を置き考え込む。
「……一気に危険人物になったな」
それから暫し、黙り込む二人。
マクレーンに対する意識を警戒へと変えたようだ。
時計の音のみが支配する署長室。
そこに慌ただしく飛び込んで来た、一人の警官。
「ワトサップ大佐、通報です。デカい事件だそうで」
「なんだ? もう終業ってのに。クソッ……犯人皆殺しにしてやる」
「イエロー・フラッグに武装勢力の襲撃があったと」
「またあそこか……大方、どっかのギャングの抗争だろ。そんならマフィアどもに任せて、ほとぼり冷めた頃に行ったら良い」
「それが、あの……通報者がワトサップ大佐をお呼びでして……」
「なに? どこのどいつだ?」
警官は、通報者の名前をおずおずと告げる。
「……ジョン・マクレーン少尉……」
ワトサップとセーンサックは同時に目を丸くし、資料にあるマクレーンの顔写真へ視線を落とす。
「……あいつは悪魔かなんかを連れて歩いてんのか?」
思わずセーンサックは、そう呟いた。
「Me and the Devil Blues」
1938年リリース。
「ロバート・リロイ・ジョンソン」の楽曲。
『20世紀少年』でご存知、「十字路で悪魔に魂を売った」の話で有名なシンガー。
その裏付けのように、彼は27歳で亡くなっている。
彼の楽曲はブルースだったが、類い稀なるギターの演奏技術は現在のロックに多大な影響を与えている。