DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread. 作:明暮10番
チャカからすれば、とんだ出来事だ。
一旦帰ろうかとした時に、薄らハゲで見るからに悪人面な外国人が、訳の分からない事を抜かして自分に銃口を向けている。
しかもただのイカれた男ではない。
そのイカれ具合は、常人のそれと明らかに違う。
チャカは直感で、この男が何者なのか理解する。
「殺し屋」だ。それもかなりの手練れ。
裏の世界を知る彼にとって、男の正体が殺し屋だと理解が出来た。
チャカは凶暴な刹那的かつ快楽主義者だ。
しかし死を目の前にポンと置かれ、それに食ってかかれるほど豪胆な人間ではない。自分の身の保証があった上でなければ、何も出来ない男だ。
自分に武器はなく、相手は銃の扱いのみならず身体の使い方にも長けた存在。圧倒的に不利な事は、馬鹿でも分かる。
チャカは両手を上げて降伏する。ただその目だけは、睨みを効かせていた。
「てんめぇ……ここがどこか、分かって襲ってんのか? あ?」
殺し屋は銃を向けるだけで、発砲はしない。どうやら、自分を始末しに来た訳ではないと気付く。
チェリオスはルガーをゆらゆら動かしながら、空いた片手を懐に突っ込んだ。
「分かってるに決まっとるだろが。コーサカイだったかの店だろ」
「コーサカイだぁ……? 確かに香砂会系だが……」
「ここに、『チョコ』ってのがいる、或いは来るハズだよなぁ。そいつを出しやがれ」
思わず眉を潜めるチャカ。彼の言っている事が、全く分からないようだ。
「なんだぁ、その顔はよぉ」
チェリオスは懐に突っ込んでいた手を出した。
取り出した物は、小さな袋に入った白い粉。チャカはアレにしか見えなかった。
「おめ……!? オイざけんなッ!? 俺に銃向けながらキメんじゃねぇッ!?」
「キメんじゃねぇ、補給だ……ズゥーーーーッ!!」
「イカれだ……マジイカれてる……」
袋を口で噛んで切り、器用に中身を鼻で吸引する。
少し危ない恍惚顔をした後に、鼻息をフンフン言わせながら話を戻した。
「んで。オイ。チョコはどこだ? 隠れてんのか?」
「知らねぇよ! てか、チョコってなんだぁ!? 人かそれは!?」
「知らねぇわきゃねーだろ兄ちゃんよぉ。店から出る嬢ちゃん方が、『チョコ』って言ってやがったぞ」
「そりゃ、俺だよッ!? チョコじゃなくて『チャカ』ッ!! 俺だッ!!」
チェリオスは二度と、不愉快そうに瞬きした後に銃口をチャカの額に付けた。
遊ばせていた人差し指が、トリガーに軽く触れる。
「よぉーし。死ぬか」
「だから知らねぇつってんだろがッ!? おぉッ!? てめぇがチョコとチャカ聞き間違えたんじゃねぇのかよ!?」
「コーサカイに関係ある奴は全員殺すスタイルでな。疑わしきは罰する。今の、俺の、ポリシー」
「やっぱキメてんなこいつ……ッ!」
「んじゃ死ね」
チェリオスは何の躊躇もなく引き金を引こうとした。
しかし人間、土壇場では恐ろしいほどに頭が回るものだ。
チャカは発砲の寸前で、「分かった分かった!」と叫んで手を止めさせる。
「協力してやるッ!?」
「ハデスによろしく」
「待てッ!!」
「やなこった」
「ロシア人ッ!? ロシア人は知ってんだろッ!?」
チャカが発した「ロシア人」の単語を聞いた時、やっとチェリオスは引き金から指を離した。
脳裏に浮かぶのは、爆破される直前にクラブの前で見た、異様な雰囲気のロシア人の姿。
きな臭さを感じたチェリオスは、チャカの殺害を中止した。
「……それが?」
「やっと乗ったかクソ……俺もまだ良く知らねぇけど、ロシア人と香砂会のヤクザが組むとか、何とか……!」
「良く知らねぇじゃねぇか。チョコを知らねぇなら、おさらばバイバイだな」
再びルガーの引き金に指をかける。
大急ぎでチャカは捲し立てた。
「聞きやがれ……! そのロシア人との会談が今晩、ここで始まるんだ!」
ピクリと、チェリオスは反応した。
やっと引き金から指が離れる。チャカもやっと、安堵の息を溢した。
「死ぬかと思った……」
「話は聞いてやるが、『あ、こりゃ関係ねぇな』ってなったら殺すぜ」
「確かに! 俺はチョコってのを知らねぇ! でもな、このタイミングでロシア人らとの密会だぞ? 関係ねぇ訳ねぇじゃん!?」
チェリオスはふと、頭を捻る。
新宿にある香砂会事務所の襲撃、トーキョーカクテルが盗った動機、自分が盗られてから期間を置いて派遣された理由、ロシア人との密会、そもそものチョコの正体……疑問が多過ぎるからだ。
情報を得ておいた方が良い。
殺し屋としての勘が、チェリオスに働きかけた。
「……一応聞くがチョコと、モロ・サン……あと、トーキョーカクテルってのに聞き覚えは?」
「だから知らねぇよ……そうだ。分かったら、あんたに流す! これで良いか!? ほらさぁ? 内通者ってのは、いた方が良いじゃん!?」
「………………」
「う、ウチにも香砂会と関係のあるヤクザが飲みに来る。情報は集めやすいぜぇ?……ほ、ほら、俺の命と取り引きって事で?」
「………………」
少し考え、十秒後に決断を下した。
パッと、ルガーを下げる。
「……おめでとさん。生かしてやる」
「ふ、フゥ! そうこなくっちゃなぁ!」
「だがな」と、再びルガーを上げて銃口をチャカの額にくっ付けてやり、チェリオスは条件を飲ませた。
「明日までな。明日に有益な情報をよこさなかったら、殺しに行くぜ。それ以外ならオーケーだ。俺の事をバラしても良いし、ケツをファックされたって嘘コいても構わねぇ」
「言うか!」
「てめぇ、電話持ってんか? おい出せ」
言われるがままに携帯電話を、チャカは差し出した。
チェリオスはそれを受け取ると、勝手に操作し、この携帯電話の番号を表示させる。
小さく呟きながら、番号を記憶。
「……よぉし。明日の十二時、このケータイに連絡する。情報が関係なかったり一度でも繋がらなかったり、嘘だと後から分かったら、お前を捜し、お前を追い詰め、そしてお前を殺す。九十六時間以内にな」
「なんだコイツ……」
「俺の依頼主は、コーサカイとやらよりドデカイんだ。オメェなんざ、すぐに捕まえられる」
本当はほぼ、孤軍奮闘状態だ。三合会ももうバックにいない。
チャカが夜逃げする可能性を考慮し、嘘で釘を刺しておく。
「んじゃ、明日。よろしくさん」
チェリオスはそう言い残し、フラッと立ち上がって背を向ける。
去ろうとする彼に、チャカは大急ぎで話しかけた。
「おい待て待て待て!? おいッ!? 俺の銃返せよ!?」
「それと交換しただけだぁ」
チェリオスは立ち止まらず、ピッと指を差した後に事務所を出て行く。
出て行く時、一言だけ残す。
「あ。トイレ借りるぜ。カフェイン入れるとトイレが近くなりやがる……」
言い残し、チャカの目の前から消えた。
チラリと、最後にチェリオスが指差した場所を見やる。
捨て置かれたニューナンブと、五発の.38スペシャル弾。これと交換らしいが、性能含めてとんだ赤字だ。
「……く、くっ、クッ……!! あんの、クソハゲがッ……!!」
チェリオスが消えた事を確認すると、チャカは即座に携帯電話で連絡を入れた。
繋がった先は、店のすぐ前でタムロしていた男。
チャカからの着信だと気付くと、すぐに応じる。
「はいはい、チャカさん? どうしたんすか? それよりカラオケ行かないっすか?」
「おいッ!! まだ店の前にいるよなぁッ!?」
鬼気迫る様子の彼に慄きつつも、男はおずおずと答えた。
「う、うすうす……仕事明けのチャカさんを迎えに……」
「薄らハゲの外国人見たかッ!?」
「薄らハゲの外国人?」
そう言えば数分前、強面の外国人の男を見たなと思い出す。
「見たっすよ、十分前ぐらいに。いけすかねぇ高級車に乗っていやがりましたよ」
路上にチラリと目を向ける。
チェリオスが駐車していた車が、まだ残っていた。
「……まだ戻って来てないっすけど」
チャカは机に置いていたティッシュで殴られた痕を押さえながら、殺気を込めた声で命令する。
「そいつだッ!! 良いか!? 車の前か中で待ち伏せして、そいつ捕まえろッ!!」
「え、えぇ!? マジすか!?」
男は咄嗟に、連れの二人に目配せして付いて来させ、三人で車の方へ走る。
「ど、どうしたんすか?」
「あのド腐れがぁ……ッ!! 良いかッ!? 奴を原宿にある、溜まり場の廃ビルまで連れて来いッ!! さんざ痛めつけて殺してやる……ッ!!」
「店の中じゃ駄目なんすか!?」
「バカがッ!! 俺の店だぞッ!? 痕跡残せるかッ!!」
チャカはティッシュを怒りに任せて投げ捨て、携帯電話を指で強く叩きながら、付け加える。
「良いか……!? 失敗したら、おめぇ殺すからな……!?……血が止まんねぇ……俺は病院寄って、後から行くッ!!」
それだけ言い切り、ブツッと切った。
男は青ざめた顔で、仲間二人を見やる。
「……ブチギレてるぜ、チャカさん」
「前も口答えした奴が顔面ぐちゃぐちゃにされたからなぁ」
「知ってる。ハンマーでだろ」
「……逆らわない方が良いよな」
車に到着し、まずは車内を確認する。
キーは挿さっていないが、鍵は開いたままだ。
尋問を終えた後のチェリオスは、トイレを済まし店を出て、地下を抜ける。
夜までまだまだ時間がある。一旦、代々木の隠れ家まで戻ろうかと考えた。
「…………あ」
突然、股間を触る。
「……ちょっと残ってた」
残尿に悔しい思いをしながら、乗って来た車へと走る。
奪ったスタームルガー・ブラックホークはベルトに挟む。
「よし……!」
ドアの前まで行くと、サッと乗車。
キーを挿して、ハンドルを掴もうとした時に彼は呆然とした顔になる。
「あ?…………」
自分の席に、ハンドルもアクセルも何もない。
それもそうだ。彼が乗り込んだのは、車の左側。つまり助手席だ。
アメリカならば、運転席の方だ。また間違えた。
さっさと席を移動しようとするが、出来なかった。
運転席には、チャラい感じの日本人がいたからだ。
「…………なんだテメェ?」
日本人は目をパチクリしながら、信じられないと言った様子で話す。
「……マジかよコイツ。本当に助手席から乗りやがった」
「だから言ったろうが」
チェリオスが反応するよりも先に、後部座席から伸びた手にナイフを突きつけられる。
首元にスッと、刃が当たった。
「外人は日本車の左右を間違えるってな! まさか本当に間違えるったぁ思わなかったけどな!」
チェリオスは舌打ちをし、「クソ……」と悪態吐く。
リアビューミラー越しに、二人の男の姿を確認した。
急ぐあまり、警戒を怠った事を後悔する。
「ほれ、外人さん。車のキー寄越しな」
「……?」
「……あ、クソ。日本語通じねぇのか! キーだよキー! プリーズ、オア、キルユーッ!!」
何だよプリーズオアキルユーって、と思いながらも、チェリオスは渋々渡す。
首にナイフを突きつけられている状況で、抵抗は出来ないだろう。
運転席の男はキーを受け取ると、すぐに挿し込みエンジンを起動。
そのまま車を運転し始め、表通りまで出した。
どこかに拉致するつもりかと、チェリオスは察知する。
日本語は彼には分からないが、男たちは口々に話し出した。
「しかし、思ったよりマヌケな奴だったな」
「あぁ! アホ過ぎてビックリしちまったぜ!」
「バカだな、バカ! ハーッハッハッハ!」
日本語は分からないものの、感覚的に罵倒の類だとは理解出来た。
「んで、このまま原宿か?」
「らしいな。あの、溜まり場ん所だろ」
「全く……困ったもんだぜ」
「あぁ。でもなぁ……確かあの人、バックにヤクザいんだろ? おっかねぇよ」
「銃の扱いも上手いってな。ハワイとかタイで射撃場に行ったとか言っていたしな」
車は乃木坂を経由し、表参道方面を走る。
男たちはチェリオスを舐めてかかっているのか、お喋りを続けていた。
「──そしたらソイツ、『コイツとは一夜の過ちだ〜』とか言っててよぉ! 一夜の過ちっての、三回もやってやがんの! 三夜の過ちだぜ!」
「一夜ならまだ過ちだけど、二回目からはわざとだろそりゃ」
「俺は言ったんだ。いつか女に刺されるぞってな!…………まさか三日後、マジに刺されるとは思わなかった。先輩の三十三歳の誕生日を祝うパーティーの帰りだった」
「そいつ三って数字に呪われてんのか?」
表参道に着くと、そこは渋谷区だ。
原宿駅までの一直線の道路をひた走る。通勤ラッシュにはまだ早いのか、道は空いていた。
「こないだ、『仁義なき戦い』シリーズを全部観てよぉ」
「渋過ぎねぇかおい」
「それでビックリしたんは、仁義なき戦いの一作目から五作目まで、たった一年で公開しまくって終わらせたんだとよ! 俳優の貫禄からして、四、五年ぐらいかなと思っていたからビビったぜ!」
「お前何歳なんだよ。今の時代は『ミッション・インポッシブル』だろ」
「うわ、出やがった。最近の奴らはみーんな、洋画か洋楽でよぉ」
青信号が続き、ついついスピードが上がる。
「……ッ!?」
黙っていたチェリオスだが、突然の胸の痛みに襲われた。
アドレナリンが切れかけている。
このままだと、彼らの目的地に着く前に死にかねない。
やるしかないと、チェリオスは考えた。
三人がお喋りに夢中になっている隙に、左手をシートの横へ忍ばせる。
「そんなにアメリカ産が良いかよ。時代はメイドインジャパンだ。マフィアよりヤクザの時代だ」
「あーもう、分かった分かったよ」
「俺はなぁ、実はなぁ、生まれてから日本産のモンしか楽しめた事ねぇんだ。マジだぜ?『メン・イン・ブラック』も『トイ・ストーリー』もクソ食らえだ! 邦画最高! ドラえもん、名探偵コナン、ポケットモンスター!」
「全部アニメじゃねぇか!」
「『めざせポケモンマスター』はカラオケの十八番だぜ」
少しだけナイフの刃が、チェリオスの首元から離れた。
彼は忍ばせた左手で、リクライニングのレバーを掴む。
そして思い切り引いて、身体をシートにぶつけた。
「……あ。でもポルノは、パツキンの姉ちゃんが最高だよな──」
「うぐぉッ!?」
「!?」
シートが倒され、ナイフを持っていた男を押し潰す。
チェリオスは即座にシートに乗り、凶暴な顔で襲いかかる。
「アッ!? こいつ!!」
後部座席にいたもう一人がジャックナイフを取り出した。
「おい!? てめぇ!?」
運転手がハンドルから片手を離し、チェリオスを掴む。
彼の動きが止まった隙にナイフで刺そうと、男が前に乗り上げて来た。
「死ね──うぉう!?」
しかしチェリオスは冷静に手で弾き、ビシッと手首を殴ってジャックナイフを手離させた。
手離させたジャックナイフを拾い、チェリオスは躊躇なく自分を掴む運転手の腕を刺す。
「うぐぁーーッ!! や、やりやが──」
ナイフを引き抜き、運転手の股に再び刺し込んでやった。
「おぉーーーーッ!?」
車の操作が大きく乱れ、右は左へ揺れに揺れる。
中にいた者たちは揺さぶられながらも、抵抗し合う。
「テメェーーッ!!」
ジャックナイフを取られ、仲間が痛手を負い、半ばヤケにでもなったようだ。男はチェリオスに飛びかかり、彼を前部座席の方へ押し戻す。
助手席のシートの上でチェリオスと男は、取っ組み合いの殴り合いだ。
「殺してやるーーッ!!」
馬乗りになられ、体勢的にチェリオスが不利となる。
何度も何度も彼の顔面にパンチをお見舞いしてやった。
運転手が顔面蒼白のまま、ハンドルを切る。
車は再び大きく揺れ、馬乗りになっていた男が転ぶ。
「舐めんな」
拳を男の顔面に何発もぶち込み、気絶させてやる。
鼻を折り、二倍に腫れ上がるまで殴ってやった。
その間シート下に潰されていた男は、何とかレバーを掴み、シートを起こす。
そして有無を言わさず、ナイフを持ってチェリオスに襲いかかった。
「死ねぇーーーーッ!!」
チェリオスはターゲットを変更し、即座に対応する。
男のナイフを避けてから腕を掴み、そして強く引っ張り、運転手の股に刺してやった。
「アォーーーーッッ!?!?!?」
運転手は叫んだ後に白目を剥く。あまりの激痛に悶絶だ。
チェリオスは男を一発殴って沈黙させた後、満を辞してルガーを抜いた。
ルガーを認知すると男は一転して、アワアワと命乞い。
「ま、ま、待って! 許してくれ!」
撃鉄を起こし、引き金に指をかけた。
そしてチェリオスはニコッと笑って、知っている日本語で話してやる。
「サヨナラバイバ〜イ」
一片の慈悲も見せず、後部座席の男二人を射殺した。
一人当たり二発ずつ。確実に殺す。
次は運転手の番だと、銃口を向けた。
しかし車が向かう先を見て、考えを変える。
車は神宮橋から斜めに逆走し、原宿駅に突っ込もうとしていた。
衝突を避けようとする他の車で、道路は大渋滞だ。
「ヤベェ」
運転手は意識朦朧だ。
停められないと判断したチェリオスは、死体が着ていた厚手のジャケットを奪い、羽織る。
そしてドアを開き、時速九十キロの中で道路に飛び込んだ。
運転手は気を持ち直し、激痛の最中に前方を見た。
原宿駅のシックでレトロな駅舎が、眼前に迫っている。
「おああぁぁーーーーーーッッ!?!?!?!?」
耳の遠い老婆。
微笑みながら、駅舎の前で記念写真を撮って貰っていた。
周りの人間が逃げ惑っている。
老婆の後ろを、車が全速力で走り抜け、改札口に突っ込んだ。
そのタイミングで、シャッターが切られた。
この写真は、「原宿駅セダン突入事件」の象徴的な証拠として、たまにテレビで使われていたりする。
また駅構内での重傷者は三名、死者は一名だった。
車は改札を突き抜け、壁を破壊し、駅のホームから線路に落ちる。
勿論の事だが、運転手は絶命した。彼が唯一の死者だ。
この事故で山手線は、終日運休と言う事態に陥る。
通勤、通学ラッシュに入る頃で、首都圏は大パニックになった事は言わずもがなだろう。
まんまと逃げ果せたチェリオス。
ジャケットで身体を覆い、滑るようにして道路に着地。
無事では済まなかったものの、死ぬ事はなかった。
「……うぐぁーーッ!!」
擦り傷と打撲まみれの身体を起こし、その場から逃げようとする。
合間にカフェインを補給しようとアンナカを取り出したが、二袋しか無い。
道路を滑った際に、殆どの袋を失っていた。ルガーは無事だったが。
「……嘘だろオイ」
とりあえず一袋吸った。
怒りが湧いた。
「マジかよ……セダンが突っ込んだ」
「クソーーーーッ!!!!」
「ぎゃあっ!!」
事故の野次馬だったバイカーを殴って気絶させ、盗んだバイクで走り出す。
代々木に帰る為、とりあえず山手線沿線を走行。
渋谷駅が見えて来る頃まで来る。
渋谷駅は、突然の運休で路頭に迷う人々で溢れ返っていた。
タクシーの争奪戦が始まり、俺が先だと取っ組み合いになる者で混沌としている。
改札から出て、額を押さえ困り果てる少女が一人。
「うぅ……こうなる事なら、銀さんに送って貰った方が良かったかな……」
携帯電話を取り出し、連絡を入れようとする。
だが混沌する現場の空気が少しだけ辛く感じたようで、ロータリーを抜けようと走った。
寒々しい冬の空気は、暴走寸前の熱を帯びているかのようだ。
人いきれと混乱、怒号と諦念、謝罪の言葉と行き交うタクシーの軍団。
そのどれもがまた、彼女にとっては厳しいモノに感じた。
少しズレた眼鏡を直し、渋谷駅から離れて行く。
段々とどよめきや、熱気が遠くなる。
人々から外れた場所で、やっと彼女はゆっくりと携帯電話を操作した。
「えーっと、家の電話番号……っと」
ボタンでポチポチと、数字を打ち込む。
渋谷駅へ向かう、一台のバイク。
それに乗る男は、歪む視界と息切れ、更に胸の痛みに苛まれた。
「ぅ、ぐぅ……クソッ……!!」
バイクのスピードを上げ、一刻も早く代々木に戻ろうと急ぐ。
自分の身体の異常に気を取られ、前方を見ていなかった。
眼前に迫るガードレールに衝突。
「おぉうッ!?」
男は宙を舞い、弧を描いた。
「ええと……銀さん、まだ家にいるかな」
電話番号を全て打ち込み、後は通話ボタンを押すだけ。
親指がボタンに付いた途端、自分の足元に何かが飛んで来て着地した。
「きゃあっ!?……えっ!?」
驚きから、携帯電話を落としかける。
何が飛んで来たのかと、すぐに見下ろす。
ひしゃげたガードレールと、破壊されたバイク。
それらの延長線上の先にいた少女の足元に、傷だらけの男が倒れていた。
「え!?……え……!?」
愕然とする少女の真下で伸びている男。
彼はすぐに目を覚まし、顔を上げた。
「……一瞬、ピーター・パンになれたぜ」
チェリオスだ。
「メーター振り切れ」
「フラワーカンパニーズ」の楽曲。
1996年発売「俺たちハタチ族」に収録されている。
「日本一のライブバンド」を自称し、年間百本のライブを開催、そしてメジャーとインディーズを行き来していると言う珍しいバンド。「深夜高速」が一番有名な楽曲。
パンキッシュなサウンドに叫ぶようなボーカルなど、エネルギーに満ち満ちた一曲。
「メンバーチェンジなし、活動休止なし、そしてヒット曲なし」を自称しているが、率直でポジティブでキャッチーな音楽性は聴いていてとても気持ちが良い。