DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread.   作:明暮10番

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Can't Meet Again, Never Meet Again

 心電図は、一定のリズムで波を作っている。

 顔は全て包帯で覆われ、唯一隙間が作られた口には、呼吸器が差し込まれていた。

 

 点滴や機材に繋がれたその男、坂東は未だ目が覚めない。

 

 

 傍らに置かれた椅子に、雪緒は座る。

 銀次と吉田が見守る中、彼女は坂東の枕元まで顔を近付けた。

 

 

「……坂東さん。お身体の具合はいかがです?」

 

 

 何も言わない。

 浅い呼吸だけが、繰り返されるだけだ。

 

 

「ちょっとバタバタしちゃっていまして……お見舞いが遅れてすいません。今日は、ご報告に来ました」

 

 

 穏やかな口調と表情で話しかける雪緒。

 だが彼女の後ろに立つ銀次、吉田は浮かない顔付きだ。

 

 

 二人のそんな、縋るような目線に気付いているのか、いないのかは分からない。

 雪緒は言葉を探すように下唇を噛み、意を決して口を開いた。

 

 

 

 

「……今夜の総会で、正式に私が総代となります」

 

 

 その言葉を聞いた途端、銀次も吉田も顔を思わず伏せる。

 およそ認めたくはない、突き付けられた現実。受け入れるにはまだ、時間が足りなかった。

 

 

 

 彼女の言う通り、鷲峰雪緒は鷲峰組の「組長」を継承する。

 本来ならあってはならない、事態でもあった。

 

 

「……坂東が動けなくなってから、組は分裂寸前です。香砂会にも我々とホテル・モスクワの関係が露呈し、そのホテル・モスクワも我々との共闘を反故にしました」

 

 

 膝の上に置いていた手を、坂東の包帯だらけの手に重ねた。

 

 

「……もはや辺際(へんざい)。来るべき抗争に備え、組を纏める必要があります……勿論、銀さんや吉田さん、他の幹部の方のお気持ちは重々承知しております」

 

 

 ギュッと、重ねられた彼女の手が強く握られる。

 心電図は一定のリズムのまま。反応はない。

 

 

「……その上で、意思を固めた次第です。組の存続が危ぶまれる今になっても、私は無関係でいたくはありません。鷲峰の為に戦い、そして去って行った方々に報いる為にも……立ち上がるしかありません──立ち上がり続けるしか、ありません」

 

 

 点滴が涙のようにパックからチューブへ滴る。

 それのみが彼の栄養を保持していた。心なしか、身体が痩せ細っていた。

 

 

「…… ただ、坂東さんの了承が得られない事、それだけが心残りではあります」

 

 

 弱々しく微笑む雪緒。

 

 銀次は彼女の手を見てハッと、息を呑んだ。

 坂東の手を握る、雪緒の白く細い手が、震えていた。

 

 

 気丈に振る舞う雪緒の心の内に、銀次は気付いてしまう。

 怖くて仕方がない。落ち着かなくて仕方がない。それを無理やり押し付け、笑ってみせていた。

 

 

 

 ここに、任侠の真髄を見たり。

 故に銀次は、悲しかった。

 

 

「……出来る事なら、色々とお話を伺ってみたかったです。組を背負い、義に尽くした者の生き様と矜持を……聞いてみたかった」

 

 

 眼鏡を持ち上げ、指先で目を掻いた。

 いや掻いたのではない。僅かにでも潤んだ目を拭っていた。

 

 

「……坂東さんなら、私の決定を受けて入れてくださったのでしょうか。それとも、父との約束を守るべく反対して、くださったのでしょうか」

 

 

 応答はない。言葉にしても、態度にしても、何も示さない。

 包帯の下にある顔さえも、どのような表情か検討もつかない。

 

 

 目の前まで来ているのに、まるで別人と話しているかのよう。

 雪緒はそれが悲しく、辛い。坂東の考えに反し、物事が変わった今の状況が悔しい。

 

 沸き起こる情動を抑え、雪緒はただ目一杯、笑ってみせた。

 

 

 

 

「……せめて……ご理解いただけますよう、願っております」

 

 

 その一言を最後に、彼女の手は坂東から離れた。

 小さく息を吐き、肩の力を落とす。気を持ち直してから、雪緒はゆっくりと立ち上がった。

 

 

 

 くるりと、振り返る。

 儚い笑みで、二人を見た。

 

 

 

 

「……学校まで、送って行っていただけますか?」

 

 

 彼女にとって、最後の登校となる。最後の日常ともなる。

 

 せめてその時間を多く作ってやらねば。

 昨晩からそう決意していた銀次だが、土壇場で揺らぐ。

 

 

 

 

 本当にこれで良いのか。

 

 組の為、血縁だからと言う理由で、一人の少女を最期場に立たせるのか。

 

 可能性を自分なりに模索した。だが道筋を見つけられるほど、自分は利口ではないと絶望した。

 

 組長が生きていれば。奥方が生きていれば。香砂会の前会長が生きていれば。坂東が事故に遭わなければ。ロシア人と組まなければ──結果自分の頭では、悔やむ事しか出来ない。

 

 

 

 立ち尽くす彼らの前で、雪緒は明るく振る舞う。

 

 

「……ほら! 午前の授業が終わってしまいますから!」

 

 

 

 顎を撫でた後、了承したように会釈する。

 

 やめてくれ。

 

 

「……お嬢」

 

 

 全てを受け入れ、自分を納得させた。

 

 もうやめてくれ。

 

 

「……それじゃあ……」

 

 

 せめて彼女の、最後の日常を噛み締めさせる為に。

 

 違う。違う。

 

 

「…………行きましょう」

 

 

 

 

 頭と心が一致しない。

 それでも何とか口だけは、繕うよう努力する。

 

 

 

 もう、どうしても無理なんだと、祈り縋る自分自身を殺した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 途端、廊下で騒ぎがあった。

 

 

「ちょっとぉ!? 警察呼びますよ!?」

 

「何でアンナカ!? アンナカ全部持って行かれた!!」

 

「うわっ! アンナカ鼻から吸いやがった!?」

 

「ナース服着た椎名林檎みたいに窓ガラス割りやがった!!」

 

「上田さん。ヒーローになるチャンスですよ」

 

「い、いや。今日は、雪で古傷が……イテテテテ〜」

 

「院長だッ! 院長に戦わせろッッ!! へけッッッッ!!!!」

 

 

 何かが破壊されるような音を鳴らしながら、ズンズンと迫る異様なオーラ。

 三者が何事かと注目していると、扉が開いた。

 

 

 

 

 

 現れた人物の姿を見た時、雪緒は驚きから声をあげる。

 

 

「あ……あなたは……!!」

 

 

 

 

 彼女達の前に現れた人物とは、鼻をアンナカで真っ白にしたチェリオスだった。

 

 

 

 おかしいのは、付着したアンナカだけではない。

 

 着ているスーツはボロボロ。しかも血や泥に塗れ、雪で濡れ、硝煙の臭いを漂わせている。

 そんな人物が来たとあって、警戒しない者はいない。

 

 

 

 

「……良かった。いたぜ」

 

 

 鼻を拭い、愕然とする雪緒らの方へと、肩を怒らせながら歩み寄る。

 即座に彼女を庇い、前に立つ銀次と吉田。

 

 

「お嬢! 下がってくだせェッ!!」

 

「なんやワレェッ!? お嬢に指一本でも触れたらタダじゃおかんぞォッ!!」

 

 

 銀次は巨躯を利用して壁となり、吉田は懐に隠していた銃に手をかける。

 

 

 一触即発の空気となった集中治療室。

 だがチェリオスは、彼らの数歩手前で立ち止まり、手錠のかかった左手を上げる。

 

 

 

 もう片方の手には、ベコベコに歪んだジュラルミンケースを握っていた。

 チェリオスは首を振り、喧嘩をしに来た訳ではないと示す。

 

 

「違う。話をしに来たんだ」

 

 

 とは言え相手は異国の人物。何を言っているのか分からない。

 怪訝な顔のまま、警戒を解かない銀次と吉田。その様にヤキモキしつつ、彼は廊下に向かって怒鳴る。

 

 

「おい通訳ッ!! さっさと来やがれッ!!」

 

 

 

 

 入って来た人物は、上半身に彫った鮮やかなタトゥーを、惜しみなく曝け出している外国人の男。

 全く知らない人物の為、寧ろ警戒心を高めさせた。

 

 

「いや誰や!?」

 

「よぉ。さっき病院の前で、この人と知り合った者だ。アメリカで生まれ、東京で十五年も住んでいるから英語も日本語も得意なんだ。通訳は任せろ。あとこないだデビューした、リンキン・パークってバンドのボーカルに似てるって言われるが、俺は別人だ」

 

「何やねん、この都合の良い奴……」

 

「趣味は競馬。グラスワンダーの引退式は絶対に行くぜ」

 

「いや知るかい!」

 

 

 銀次がツッコミまくる吉田を宥めさせる。

 場が落ち着いたところで、チェリオスは通訳を介して雪緒に話しかけた。

 

 

 

 

「……久しぶりだな。ユキオ……」

 

「クリスマス……さん?」

 

「違う違う……俺は、シェブ・チェリオスだ。西海岸で殺し屋をやっていた」

 

 

 ちらりと、包帯だらけで眠る坂東を見やる。

 

 

「……ワシミネのトップがここで入院しているって聞いてな。もしかしたら君はここにいるかもって……仲間から教えて貰ったんだ」

 

 

 ランボルギーニで政巳らを追い回していた時に、ツギオン君が教えてくれた。

 どうやらディープ・スロートは、彼女がここに来ると言う事も予想していたようだ。

 

 

 銀次は、傷だらけで微笑むチェリオスを見た。

 何があったのかは分からないが、大変な事をして来たのか。それは彼と、同じ穴の狢である自分には察せた。

 

 

「その傷に血は……戦争でもしたんですかい?」

 

「あぁ。俺が来たのは、それだ」

 

「なに……?」

 

 

 

 彼がここに来た理由は一つ──伝える為だ。

 

 

 

 

「……コーサは壊滅した。俺が、俺たちが、ボスも腰巾着も何もかも……潰してやった」

 

 

 それを聞いた途端、三人は同じ顔で驚く。

 真っ先に声を上げたのは、吉田だった。

 

 

「香砂政巳をやったんか!? う、嘘やろ!?」

 

「嘘じゃねぇ。テレビか何か確認して来い……今頃、ニュースで大騒ぎだ」

 

 

 確か病院のメインエントランスにテレビがあったなと思い出す。

 銀次は吉田に目配せし、見て来るよう頼んだ。

 

 

 おずおずとした様子で集中治療室を出て行く吉田。

 彼を見送った後、再びチェリオスは雪緒へと視線を向けた。

 

 

「……ボウリング場での一件は、すまなかった。俺が潰したかったのはコーサなんだが……ちょいと不手際でな。あんたもすまねぇ」

 

 

 二人に謝罪をする。

 衝撃から呆然としていた雪緒だが、やっと気を落ち着かせたようだ。ゆっくり、チェリオスに話しかける。

 

 

「……どうして、香砂会を潰したかったのですか?」

 

 

 彼は自分の心臓がある箇所を、親指で突く。

 

 

「俺はやつらに、毒を打たれた」

 

「……え?」

 

「毒の効果を遅れさせつつ、復讐の為に東京中を走り回っていたんだ……君が渋谷駅でアンナカを拾ってくれなきゃ、俺は死んでいた」

 

「アンナカって何ですか……?」

 

 

 雪緒の疑問を、通訳は聞き逃した。

 構わず説明を続けるチェリオス。

 

 

「君は俺の……命の恩人なんだ。だから君がワシミネの人間と知って……ちょっかいかけてるって言うコーサを潰そうと、決意を更に固めた。俺の為でもあり……君の為でもあった」

 

 

 信じられないと言いたげに、雪緒は口元を押さえた。

 それだけで人の為に命を張れるなど、考えられなかったからだ。

 

 

「そんな……そこまで、ボロボロになってまで……?」

 

「あぁ。そして俺は、やってやったんだ」

 

 

 二人を眺めながら、弱々しく微笑む。

 

 

 

 

「これで、ワシミネは自由だろ?」

 

「…………何が、自由だ……」

 

「……あ?」

 

 

 サングラス越しに、覇気を込めて銀次は睨む。

 醸し出す怒気を悟った雪緒は彼を止めようとするも、それより先に銀次はチェリオスに詰め寄った。

 

 

 胸ぐらを掴み、眼前まで顔を寄せる。

 ただチェリオスは、無表情で彼の言葉を聞いていた。

 

 

「自由なんかねェんだ……ッ!! 香砂会が死んでも、その上には関東和平会ってのがいんだ……ッ!! 和平会には政巳の野郎が盃交わした奴らが多くいる……ッ!!」

 

「銀さん! 離してください!」

 

「てめぇが俺らと繋がっているって知られちゃあ、終わりだろが……ッ!! 和平会は報復に動くッ!! ノコノコこんなトコに来やがって……ッ!!」

 

「銀さんっ!!」

 

 

 銀次に縋り付こうとする雪緒を、チェリオスは手で制した。

 彼は表情を一切変えず、淡々と説明をする。

 

 

 

 

「コーサを襲ったのは、馬の骨で出来た鉄砲玉どもと、三合会だ。そんだけの死体を見りゃあ、そのワヘーカイってのも『三合会による報復』って思い込むだろ。実際、コーサは三合会とイザコザがあったんだ」

 

「なんだって……!?」

 

「日本のヤクザが三合会に文句は言えねぇ。泣き寝入りで終わりだ」

 

「だが、てめぇがここにいちゃ……」

 

「俺はここへ……『アンナカを盗りに来た』だけだ」

 

 

 ディープ・スロートはそれが分かっていた。

 だからわざわざ、鷲峰邸ではなく、「坂東が搬送された病院」の場所を示した。

 

 雪緒らに会えるのかは、二分の一の確率だ。チェリオスは最後の最後で、幸運を引き当てた。

 

 

「それに俺のアシは付かねぇ。俺はこのまま消える」

 

「消える……? 消えるって、チェリオスさん……まさか……!」

 

 

 先ほどの毒の話が想起され、雪緒は察する。

 首肯してから、チェリオスは言い切った。

 

 

 

 

「……解毒剤はこの世に存在しない。俺は今日中に死んで、いなくなる」

 

「ッ!?」

 

「だからワシミネとの関係は知られない。俺は誰も来ない、静かな場所で死ぬ。後腐れはなく、な?」

 

 

 銀次はやっと、手を離した。

 死の怯えを見せず、乱れた襟を整える余裕さえ見せ付けるチェリオスに、震撼さえ抱いていた。

 

 

 衝撃から言葉を忘れてしまった彼に、チェリオスはニヤリと笑う。

 

 

「だから大丈夫だ」

 

 

 

 

 彼の言葉を次に否定したのは、雪緒だった。

 

 

 

「……大丈夫では、ありませんよ」

 

 

 銀次を押し除け、彼女はチェリオスの前に立つ。

「お嬢!」と言い、間に入ろうとする彼を無視し、怒りの篭った口調で詰め寄る。

 

 

「任侠組織が大丈夫でも、ホテル・モスクワはどうするんですか……!?」

 

「………………」

 

 

 ホテル・モスクワは鷲峰組のみならず、香砂会も飲み込み東京を制圧するつもりだ。

 位で言えば、日本のヤクザよりも圧倒的に組織力がある。香砂会が潰れた今、牙を向けて来る存在はロシアだ。

 

 

「香砂会の空席を、あの人たちは今頃奪い取っている頃でしょうね……!? あなたは知らない事ですけど、もう鷲峰組はホテル・モスクワとは一切の関係はない……寧ろ、敵にすら認定されているんですよ……!!」

 

 

 皮肉な事に、今度は銀次が彼女を止める番だ。

 

 

「お嬢! 落ち着いてくだせェ……!!」

 

「そうなればどの道、鷲峰組は終わりなんですよッ!!」

 

 

 堪え切れず、大粒の涙を溢す。

 激情を見せた彼女は、自分の背丈の数倍もあるチェリオスを睨む。

 

 チェリオスは何も言わず、曖昧な表情で受け止めた。

 

 

「私の父が遺した一切が塵芥のように消され、存続の為その身を犠牲にした方たちの思いが、覚悟が、無碍にされる……!!」

 

「……ユキオ……」

 

「過去だけじゃない、これからもッ!! 鷲峰に今も尽くしている人たちはどうなるのですかッ!? あなたなら分かるハズ……ッ」

 

「………………」

 

「……この世界に一度でも入れば、もう表の世界に居場所なんて無いんですよ……ッ!!」

 

 

 チェリオスが介入するよりも前に、ホテル・モスクワは単身で香砂会を翻弄していたと言う。

 その証拠に、敵わないと知るや否や交渉へと持ち込もうとしていた。

 

 ラプチェフがバラライカらを殺し、政巳らと提携を結んでいたらと考えると恐ろしい。

 

 

 だが実際は、「バラライカに席を渡した事が、それらよりも恐ろしい」。

 彼女が何をしでかすのか。交渉を反故にした事を理由に、鷲峰を潰しにかかるハズだ。

 

 

 バラライカが欲しているのは、鷲峰の破壊ではなく、戦争だ。

 

 

 

 

 香砂会が無くなり、禍根が過去のものとなっても、ただ香砂会がホテル・モスクワに変わっただけ。

 どの道、存続の希望は潰えた。

 

 

 

 

 銀次は雪緒の叫びを聞き、一つ確認する。

 

 

「お嬢……もう香砂に関係なく、跡継ぎになる気なんですかい……?」

 

「……先の一件で、組は分裂寸前。纏め役だった坂東さんも倒れて……もう、私も、どうしたら良いか……!」

 

「………………」

 

 

 立ち尽くし、泣きじゃくる雪緒。

 気丈に振る舞い、恐怖を押し隠しここまで来た、彼女の年相応な姿。

 

 

 

 

 チェリオスは黙った。

 黙って黙って、一度目を瞑る。

 

 

 アンナカを吸い、目を開けた。

 

 

 

 

 

「ふざけんじゃねぇ」

 

 

 

 

 乱暴な口調に、雪緒は驚きから顔を上げる。

 チェリオスは少しだけ後悔したように天を仰いでから、開き直ったように捲し立てた。

 

 

「ハッキリ言っといてやる、聞きやがれ青二才がぁ。君は柄じゃねぇんだ、自覚あんのか?」

 

「……!?」

 

「自分はボスの娘だからイケるって勘違いしてんのか? あ?」

 

 

 指を突き付け、断言する。

 

 

 

 

「自惚れんじゃねぇ、バぁカタレがぁ」

 

 

 転調したように雪緒に対しても言葉汚く罵り始めたチェリオス。

 唖然とする雪緒の背後から、銀次が止めに入ろうとした。

 

 

 彼を一瞥する。

「止めるな」と、真摯な瞳をしていた。

 

 

「……!」

 

 

 思わず銀次は、足を止める。

 話は続く。

 

 

「ノウハウも知らねーガキがボスになったトコで、足手まといなんだよ。どっち道どいつもこいつも死なせるだけで、ワシミネに泥塗って終わりだ」

 

「そんな……!? 私は……!」

 

「それになぁ? えぇ? 俺はホテル・モスクワ側に味方がいんだよ」

 

「……えぇ!?」

 

 

 ディープ・スロートの事だが、これから言う事に関しては希望的観測に則った口から出まかせだ。

 だが、嘘でも良い。雪緒から杞憂を払拭したかった。

 

 

「そいつに掛け合ってやりゃ、イワン共はワシミネに手を出さねぇ。俺のお陰だぞ? あ? 感謝しやがれコラ」

 

「……!?」

 

「それでも報いる為だとかでボスになるってんなら、赤っ恥コイて終わりだ。あと正直なぁ? 誰かの為だとか言うマフィアのボスってのはな? 向いてねぇんだよ。俺の経験則で言ってるけどなぁ、的外れじゃねぇ。分かったか? 君がボスになったら、逆に迷惑なんだスカタン」

 

「そ、そんな言い方ないじゃないですか!?」

 

「こんな言い方しかできねぇほど君は酷いんだっつの」

 

「酷さで言ったら、チェリオスさんの方が酷いですよ! 暴力はやめてって約束したのに、すぐ破ったり!!」

 

「んな約束してねぇ」

 

「しましたっ!!」

 

 

 チェリオスの憎たらしい言葉回しに、躍起になって突っかかる雪緒。

 そんな彼女の様子を見て、銀次は思わず吹き出した。

 

 

 泣き止んでいて、いつも通り……年相応に見えたからだ。

 

 

 

 雪緒に元気が戻ったと気付いたチェリオスは、厳しい表情を緩めた。

 

 

 

 

「……捨てなくて、良いんだ。君がいる限り……ワシミネは途絶えねぇ」

 

 

 しゃがみ込み、雪緒と視点を合わせる。

 ちょっと怒った表情の彼女の肩を掴む。

 

 

 驚き顔で、あどけなく見つめる雪緒。

 

 

 

 チェリオスは、今にも泣き出しそうな顔で訴えた。

 

 

「あぁ、そうだッ!! 普通で良いッ!! 君は、普通で良いんだッ!! 君の存在がワシミネにとっての『夢』だッ!! 分裂なんかしねぇ、君が繋ぐんだッ!!」

 

 

 

 

 口を震わせ、「だから」と続ける。

 

 

 

 

君は生きろ(You're Live)ッ!!」

 

 

 肩を揺さぶり、訴えた。

 

 

 

 

 

 

生きろ(Live)ッ!!」

 

「……ッ!!」

 

 

 黙り込み、目を見開く雪緒。いつの間にか、涙はなくなっていた。

 

 一通り叫び、満足したチェリオスは彼女から手を離し、立ち上がった。

 

 

 

 足元に置いたケースに、目配せする。

 

 

「……だが、トップが不在の状況は大変だろうな。だからこいつは、餞別だ」

 

「これは……なんです?」

 

「……トーキョーカクテル。世界最高の毒だ……俺に打たれたな?」

 

 

 ケースを取り、中を開いて見せ付ける。

 車から落としたものの、注射器は全て無事だった。

 

 

 驚く彼女らの前で再びケースを閉めて、雪緒の足元に置く。

 

 

「世界中のマフィアが、これを欲しがっている。ケースの中にはそのコネとルートのデータも入っている。こいつを元手に、組を立て直せば良いし……ホテル・モスクワがちょっかい掛けんなら、良い交渉材料にもなる」

 

 

 次にチェリオスは雪緒を軽く退けさせ、銀次に近付いた。

 

 

 握手を求め、手を差し出す。

 

 

「……あんた……一体、何モンなんだ……?」

 

「何者でもねぇ……俺なりに筋を通しただけだ」

 

「…………とんでもねェな。あんたこそ、任侠そのものだ」

 

 

 銀次はゆっくりと手を出し、硬く彼の手を握った。

 合わせてチェリオスも、硬く握り返してやる。

 

 

 

 

 

「……ユキオを幸せにな」

 

「えぇ……え?」

 

「……俺は手を引く。頼んだぜ」

 

「…………とんでもねェ勘違いされているような気が……」

 

 

 チェリオスはまだ、彼を雪緒の婚約者だと思っていた。

 そうとは知らずに聞き返す銀次だが、彼は手を離して背を向ける。

 

 

 

 

「チェリオスさん!」

 

 

 出て行こうとする彼を、最後に引き留めた。

 横顔だけ向ける。悲しそうな表情の、雪緒がいた。

 

 

「…………死なないでくださいよ……」

 

「………………」

 

 

 振り向き、優しく微笑む。

 

 

 

 

 何も言わずに、彼は病室を出て行った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入れ違いで、担当医がやって来る。

 酷く狼狽した様子で、空手の構えを取っていた。

 

 

「アンナカハゲは!?」

 

「え。えと……出て行きました」

 

「そうなんですか!? あのハゲめッ!! 渋谷駅前で、折角買った高い花束を奪いやがった奴だったんだッ!! 送迎会に遅れて赤っ恥のコキっ恥だクソッ!!」

 

「あ、あの……」

 

「……ハッ!? あの、も、申し訳ありません!」

 

 

 一人で暴走していた担当医だが、冷静さを取り戻すと坂東の元へと近付いた。

 

 深刻な顔付きで、銀次らを見やる。

 

 

「……傷は治癒しているものの、頭部への損傷が激しく……もしかしたら、二度と目を覚さないかもしれません」

 

「……どうにか、ならないンですかい? 先生」

 

 

 力なく、首を振る。

 覚悟していた事とは言え、突き付けられれば沈痛の思い。悲しげな目で、坂東を見やる。

 

 

「……せめて。お顔だけは伺えるよう、顔の包帯を外します。よろしいですか?」

 

 

 雪緒らの了承を得た後、担当医は坂東の顔に巻かれた包帯を取り始めた。

 最中、二人に注意をする。

 

 

「事故の影響で、顔が変形している可能性もあります。心の準備を……」

 

 

 スルスルと包帯を解き、坂東の顔が露になる。

 担当医が離れて、二人も彼の顔が伺えるようになった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 黒板五郎に似た男の顔だった。

 銀次と雪緒は同時に「は?」と声を上げる。

 

 

「え? あの……え? これ、坂東さん?」

 

「やはり、お顔が変形なさっていましたか……」

 

「いや変形と言いますか、もう別人なんですけど?」

 

 

 しかもこの謎の人物、あっさり目を覚まして身体を起こし、えずきながら呼吸器を勝手に外した。

 全然元気だ。

 

 

「あー……人が治療している、まだ最中でしょうがッ!」

 

「坂東さんじゃない……!?」

 

「と言うか……元気じゃねェかッ!?」

 

「あれーー!?」

 

 

 間抜けな顔で驚く担当医を、銀次は責め立てる。

 その時集中治療室に、これまた同じ顔の男がやって来た。

 

 

「兄ちゃんっ!!」

 

「お兄さん!? て言うか、同じ顔!?」

 

「双子なんです! 僕ぁ、ここで救急隊員として働いています!」

 

「はい?」

 

 

 黒板五郎と槙原政吉に似た双子は抱き合い、無事を確かめ合う。

 昔の映画のスターシステムのようで、同じ俳優が同じ作品で別の役柄を演じていたような混乱だ。

 

 お兄さんの方が感慨深そうに、銀次に話しかけた。

 

 

「俺ぁ、オグリキャップのラストランを見れるまで、死ねないんです! 悪いが時間くれねぇかな!?」

 

「……オグリキャップの引退試合はもう十年も前でしょうよ……」

 

「ならぁ、オグリキャップが美少女になるまで!」

 

 

 坂東だと思っていた人物が、坂東ではなかった。

 なら坂東はどこに行ったのかと、二人は顔を見合わせる。

 

 

 

 

「……じゃ、じゃあ、坂東さんは……!?」

 

 

 混沌とする集中治療室の空気の中、通訳を請け負った男はお弁当を食べていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病院を出ようと、廊下を歩くチェリオス。

 患者と思われる者とすれ違った後、思い出したかのように顔を顰めた。

 

 

 

 

 

「……ツギオン君、どこ行った?」

 

 

 もう会う事はないと踏み、特に気にもかけず歩き続ける。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 果たして、坂東 次夫(つぎお)はどこに行ったのか。




「二度と会えない 二度と会わない」
「シャ乱Q」の楽曲
1998年発売のアルバム「孤独」に収録されている。
つんく♂がフロントマンとして有名な、90年代を盛大に賑わせたスーパーバンド。一途なまでに女々しい、男の恋心を歌わせれば一級品。
因みにバンド名は、結成前にメンバーがそれぞれ所属していた三つのバンドの名前から一文字ずつ拝借したもの。

泣き叫ぶようなギターサウンドから入る、甘く悲しげなエレジー。
覚悟しているつもりで覚悟し切れなかった男が迎えた、別れの日の歌。


・あと二話で終了
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