DIE HARD 3.5 : Fools rush in where angels fear to tread.   作:明暮10番

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Smells Like Teen Spirit 1

 あの日の事は覚えている。

 と言うより、覚えさせられている。

 

 

 記憶は厄介だ。楽しい事は数分で忘れられるのに、嫌な事は死ぬまで脳にこびり付いて消えない。

 だから記憶の中じゃ幸せな事よりも、不幸な思い出が多く沁みて残っている。

 

 

 

 

 

 

 そして嫌な記憶と言うのは、忘れた頃に実態を伴って現れる。

 やっとの事で辿り着いた、フィリピンのアメリカ軍基地で、彼らはヘリの上から叫ぶ。

 

 

「バッファロー・ヒルの所長と、NYPD27分署の連中があんたの今を知ったら、腰を抜かすかもしれないな」

 

 

 易々と他人の傷に触れる色眼鏡の男。書類を受け取りに来た、CIAの人間だ。

 彼は知識をひけらかすような嫌味な物言いで続けた。

 

 

「しかしまぁ、一度会ってみたかったんだがなぁ。『ナカトミビルの英雄』、『ダレス国際空港の英雄』、そんで『ウォール街の英雄』──」

 

 

 思い出したかのように、彼は余計に言葉を加えた。

 

 

「……あぁ。彼を殺すんじゃないぞ? 気持ちは分かるけどなぁ」

 

 

 CIAの男は彼女の名を呼び、手を振った。

 

 

 

 

「ミス・()()()()?」

 

 

 

 

 

 

 

 貧民街を駆けて逃げた。

 罵声と警告が、あちこちから叫ばれる。

 

 誰もが見て見ぬ振りをする。

 誰も助けに来てくれやしない。

 

 

 誰もいない少女はただ、神に祈った。

 祈って、祈って、信じて、駆けた。

 

 

 狭い路地の先に、目映い光が見えた。

 救いの光に思えて、ただその日の光を目指した。

 

 

 

 ふとその角から誰かが飛び出した。

 光の前で立ち止まった少女の腕を取り、捻り上げた。

 

 

 

 

 影の中で、その者を見た。

 

 後光を浴びて、敵意に満ちた目で、少女を見下すその男を見た。

 

 自分の行いを正義の鉄槌だと信じて止まない、その愚か者を見た。

 

 

 

 

 

 

 その瞬間悟った。

 

 

 

 

 神は死んだ。

 

 死んだからなんだ。

 

 そいつは最初から、何もしていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「と……取れたぞぉお〜〜! あークソッ! フナムシ触っちまったッ!!」

 

 

 

 

 猫が集まる、ポカポカ陽光照る港の岸辺。コンクリート造りの波止場を、びしょ濡れでよじ登るマクレーンの姿があった。

 

 

「ひぃ〜……デケェ波が来てビチャ濡れだぁ〜……」

 

「……!……!」

 

「あ……あ〜、平気だぁ、多分……『コレ』は濡らさないよう、懐に入れといたからよぉ」

 

 

 おろおろと波止場の上で足踏みする一人の女に、何とか登り切れたマクレーンは小さな筒状の機械を渡す。

 

 

「全くよぉ……落っことしたら野良猫にパンチされて、テトラポットの隙間にホールインワン決められるたぁ災難だったなぁ?」

 

 

 呆れ顔で猫たちと、波止場下に詰められたフナムシとフジツボだらけのテトラポットを見遣る。

 マクレーンから落とし物である機械を受け取った彼女は、それの先端を自らの喉に押し当てた。

 

 

 

 

「ホ……ほん・トにアリ・ガト……! 助かっ・タわ……!」

 

 

 喉の底から響くような、機械的な震え声。

 それを聞いてマクレーンは少し苦笑い。

 

 

 

 

「マッドマックスにも同じようにして喋るキャラいたなぁ……『人工声帯』って奴か?」

 

 

 人工声帯とは、何らかの理由で声帯を摘出してしまい、発声が困難となった者が使用する筒状の機械だ。

 喉にそれを押し当てて電源を入れると、押し当てた先が振動。その振動を口内に響かせる事でなくなった声帯の役割を果たし、舌の動きで以て発声が可能となる代物だ。

 

 

 どうやらマクレーンの前にいる彼女には声帯がなく、その装置なしでは喋れない人物のようだ。その原因と思われる傷痕が、喉に生々しく残っている。

 ただでさえ安くないその装置を海沿いに落とし、焦り散らかしていたところを救われた、と言う訳だ。

 

 

「アナた、オン・ジン……! ウチにキタ……トキ、安くシタげる!」

 

「なんか店やってんのかぁ? おたく、レコード屋か楽器屋?」

 

「掃除ヤ……」

 

「掃除屋ぁ?……清掃員って格好じゃねぇが……」

 

 

 彼女の服装はかなり奇抜だ。

 黒を基調とした、まるでパンクロッカーのようなコーディネート。ボサっとした髪と派手な化粧、首にぶら下げたチェーンネックレスも含めて、最初見た時はライブハウス帰りのティーンエイジャーかと思ったほどだ。悪く言えば根暗そう。

 

 

「……んまぁ、人は見かけによらねぇか。部屋が腐った時ぁ世話になるぜぇ」

 

「マッてるワ!」

 

「しかし……かぁ〜〜……ここの海も腐ってやがんなぁ……うぇっ! ほんのりゲロ臭ぇ……」

 

 

 パンクな格好の彼女と分かれ、マクレーンは不快な磯の匂いを纏わせながら街を行く。

 ここは赤道下の国。一時間ほど歩いていれば照り付ける太陽が服を乾かしてくれるさと、我慢して歩く。

 

 

 

 

 街には噂話が転がっている。道端を歩くだけで不穏な話が幾つも耳に入った。

 

 

「知ってるか? 三合会がフランケンシュタインの怪物を作ってるって噂」

 

「なんだなんだぁ? 張はルゴシ・ベーラでも雇ったのかぁ?」

 

「馬鹿野郎、それはドラキュラだ。ボリス・カーロフの方だろが」

 

 

 昼間から飲んだくれている人間の戯言の為、一切マクレーンは興味を持っていない。

 冷えたコーラを飲み、服が乾くまでの散歩を楽しむ。

 

 

 

 

「あ〜、比較的のどかだな最近は……ここんとこノンストップで良くねぇ事に巻き込まれまくったからなぁ……」

 

 

 いつの間にか街の喧騒を投げ出し、ヤシの木とソテツが並ぶ長い道路沿いを歩いていた。

 

 

「えぇ? 元テロリストのメイドさんとカーチェイス、ヘンゼルにグレーテルと大喧嘩、フィリピンのアブ・サヤフ共に殴り込み……マジにこれ全部半年以内に起きた事かよ。自伝にしたらドナルド・ウェストレイクと並べるぜ全くよぉ……」

 

 

 ぶつぶつ言いながら、瓶に残ったコーラを全て流し込む。

 

 

 

 その際、向かいから来る、地図を広げて持って唸りながら歩く女に気が付いた。

 彼からすればこんな街に旅行客かとあまり気にも留めなかったが、すれ違い様にマクレーンの服から漂う匂いを吸い込んだ女が叫んだ。

 

 

 

 

「ヴっ!? くっさぁっ!?」

 

 

 女はその臭気に、そしてマクレーンは彼女の声に驚き、お互いの顔を見ずにすれ違おうとしたところを立ち止まり、振り向き合ってしまう。

 

 

「何この臭い!? ちょっとあなた、生ゴミにでもダイブしたの!?」

 

「あ?……あー、すまねぇ。ちょいと訳あってなぁ」

 

 

 向こうは地図を下げて、マクレーンはコーラ瓶を下げて、顔を認識し合う。

 

 

 その女はインド系と思われる、眼鏡をかけた褐色肌の娘だった。

 ロアナプラでは珍しい、小綺麗でどこか知的な見て呉れだなと珍しがっているマクレーン。しかし向こうは彼を見た途端に、ぴたりと動きとがなり声を止めた。

 

 

 

 

「…………え?」

 

 

 彼女は眼鏡を持ち上げ、あれだけ臭いを嫌っていたのにも関わらず、ズイッとマクレーンのそばまで近寄り顔を凝視する。

 その反応を受けたのは初めてではないようで、マクレーンはある程度の察しをつけながら挨拶した。

 

 

「……メリークリスマス、良い天気だな。サインはお断りだぞぉ」

 

 

 口をはくはく動かし、確信を得たその娘は声を上げた。

 

 

 

 

 

「ジョジョジョジョン・マクレーン!?!?」

 

 

 近くで叫ばれたので、少しうるさそうにマクレーンは顔を顰めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 二人は今、海沿いにある雑貨屋前のベンチにいた。

 

 

「あなたの活躍は良く知ってるわ! て言うかリアルタイムで観てたもの! 特にナカトミビルの翌年のあの、ダレス国際空港の映像は最高だったわよ! 飛行機の翼で軍人と殴り合ってからジェットにストライクさせて、しかもライターの火でそのまま吹き飛ばすなんて! ニュース特番でアクション映画が観れるとは思わなかったわ!」

 

「……あぁ〜……そうかい……」

 

「あぁ……さっきは臭いなんて言ってごめんなさい! でももう……あーもう! これは運命よっ!! こんな時にこんな街でまさか、あのダイナマイト刑事に出会えるなんて!」

 

「だ、ダイナマイト刑事?」

 

「私の界隈でのあなたの敬称よ! ビルの屋上も飛行機も吹っ飛ばしてたでしょ!?」

 

「いや……屋上のは俺じゃねぇよ……その一つ前にミサイル吹き飛ばしたのは俺だけどな」

 

 

 自分の活躍だとかは伏せられている五年前の事件についても、やっぱり爆発はしたなと思い出す。それにこの街に来てからも爆発だらけな事を思い出し、思わず失笑してしまう。

 

 

 

 

「……あ! 自己紹介遅れたわね! 私は『ジャネット・バーイー』! お気軽に『ジェーン』と呼んでくださいな♡」

 

 

 お喋りな異邦人「ジェーン」はそう言って握手を求める。

 マクレーンからしても、少し言葉遣いが軽薄なものの「久々に会ったマトモな人間」だと喜び、その握手に応えてやった。

 

 

「ようこそ、んなクソッタレな街に」

 

「えぇ! 本トォーーにそうよ! さっき寄った教会なんて、シスターもみんな腐ってたわッ!」

 

「教会?……あぁ。あそこかぁ……俺ぁ助けて貰ったがなぁ……?」

 

「なに? 一見さんお断りの教会とかある訳なの?」

 

「んまぁ、どーせ金だろ? 俺ン時もそうだった」

 

「あーヤダヤダ。どいつもこいつも金、金、金……クオリティの為に金をケチっちゃ、職人の居所がないわね」

 

 

 マシンガンのように放たれるジェーンの愚痴を聞きながら、マクレーンは来訪の目的を聞いた。

 

 

「んで嬢ちゃん……見るからに丸腰で、ホワイトカラーにしか見えないガールが一人……こんな街に何しに来たんだぁ?」

 

 

 しかしジェーンは質問を返す。

 

 

「それってあなたにも言えるわよね? なんでアメリカの刑事さんがこんなタイランドの隅っこにいるの?」

 

「質問したんは俺だぞぉ?」

 

「言ったら教えたげるわ」

 

「ケッ……単身赴任だよぉ」

 

「バッチもないのに?」

 

 

 バッチは既に没収されている。観念したように答えてやった。

 

 

「ここのサツどもの汚職をバラそうとしたが、ハメられちまってなぁ。ヤク中扱いされて停職中だ。向こうあと一年はこっから出られねぇ」

 

「あははっ! 本当にあなたったら不幸ね!? マクレーン伝説更新じゃない!?」

 

「……ほら。俺ぁ答えたぞ。嬢ちゃんはなんでだ?」

 

 

 そう言うとジェーンはニタリと、悪戯っぽく笑う。

 街に来た理由を言うものかと期待したが、次に彼女の口から出たのは大袈裟な溜め息。

 

 

「はぁぁあ〜〜……喋り過ぎちゃった。なんだか喉乾いたわね……」

 

「おいおい。約束は守ってくれよぉ……」

 

「ねぇミスター・ダイナマイト?」

 

「そのあだ名はやめろ」

 

「んー……じゃあ、ミスター・クリーシィ?」

 

「『燃える男』かよ……」

 

 

 彼女はピラッと百ドル札を取り出した。

 

 

「ちょっとお水を買って来てくださいな?」

 

「なにぃ? 初対面の奴をパシらせるたぁ、どう言う教育受けてんだぁ?」

 

「私は初対面じゃないけど?」

 

「テレビで観ただけだろがよ……」

 

「えー? 良いじゃない! こう見えてもう、散々な目に遭ったからクタクタで……ほら買って来たら教えてあげるから!」

 

 

 口をひん曲げて苛立ちを見せるマクレーンだが、彼女から事情を聞きたいと言う欲求が勝ったのか、渋々と言った様子でそのドル札を手に取った。

 

 

「チキショー……釣りは貰うからなぁ」

 

「えぇ! お構いなく!」

 

 

 そう言ってマクレーンはベンチから立ち上がり、店の中に入って行った。

 それを見送ってからジェーンは一人、両頬に手を当てて楽しそうにニタニタ笑っている。

 

 

「んふふ……どうかしら?」

 

 

 

 

 するとマクレーンは水も買わず、ドル紙幣を広げて睨みながらすぐ店から出て来た。

 

 

「おいおいおいおい! この、バカ娘がぁっ!?」

 

「あ! 気付いた気付いた! さすがおまわりさん!」

 

 

 叱り付けられたと言うのに、ジェーンは嬉しそうだ。

 

 

「なぁにが『さすがおまわりさん』だッ!?」

 

 

 マクレーンはドル紙幣を見せ付け、肖像の左部にある「連邦準備銀行の印」を指で示した。

 

 

 

 

「アメリカのどこに、『十三番目の連邦準備銀行』があんだ!?」

 

 

 そのドル紙幣には、「M」のイニシャルが印字されていた。

 アメリカの紙幣には発行銀行が分かるように、その発行銀行に割り振られたアルファベットが印字されている。

 

 そしてその発行を行う「連邦準備銀行」は、アメリカ全土で「十二箇所」。つまりそれぞれの銀行毎に、一番目から十二番目までのアルファベットが振られていると言う事になる。

 

 

 なので、紙幣に印字されるハズのアルファベットは必ず、A(一番目)L(十二番目)M(十三番目)は存在しない。

 

 

「ヒューっ! お見事っ! 伊達に刑事やってないわね?」

 

「なに楽しんでんだッ!? 俺を本当に犯罪者にするつもりだったのかぁ!?」

 

「ならずに済んだじゃない?」

 

「クソッ……やっぱりこの街に来るだけあってロクでもねぇ……てめぇ、『偽札師』だなぁ?」

 

 

 正体を明かされたジェーンは得意そうに目を細め、足を組んで微笑む。

 

 

「その通りっ! ご明察! 凄い! さすがナカトミビルの英雄!」

 

「馬鹿にしてんのか」

 

「えぇ……言っても、私一人でやってる訳じゃないわ。世界中にチームがいて……で、彼らとネットでやり取りしながら一つの偽札をデザインするの……まぁ、言わば『偽札ギルド』ってね?」

 

「ただの犯罪集団だろよぉ……」

 

 

 待たされた偽百ドル札を丸めて捨て、彼女を逮捕すべく手錠を取り出す。

 

 

「てめぇを留置所にぶち込んでやる」

 

 

 余裕ぶったジェーンの表情に焦りが現れた。

 

 

「ちょっとちょっとちょっと!? 停職中って言ってたじゃない!? しかもここアメリカじゃないし、そんな権限ないわよね!?」

 

「権限なくても、俺をこんな目に遭わせた奴らに嫌がらせで逮捕しまくってんだ」

 

「なんて陰湿なヒーロー……」

 

「まぁ、そう言う訳だ。ほれ、手ぇ出しな」

 

 

 後ろ手に両手を組み、抵抗する。

 

 

「そんな事をしてみなさいよ……留置所入れられた瞬間、私の命運は尽きるわ」

 

「そりゃあ、誰だって留置所入れられりゃあソコまでだろ」

 

「そうじゃない……あの野ゴリラどもの所に戻されて、殺されて終わりよ」

 

 

 

 

 ジェーンの口から語られた、彼女がこの街に至るまでに起きた経緯はこうだ。

 とある組織の依頼を受け、ジェーンらチームは偽札造りを開始した。

 

 しかし完璧を求める彼女たちと、早期的な完成を求める組織とで意見の相違が出来てしまった。

 結果、「ジェーンは期限をわざと伸ばし、料金をより多くせしめようとしている」と見做されてしまい、報復と脅迫の為仲間が一人殺害された。

 

 組織はその上で、四十八時間以内に偽札原板の完成を要求。

 しかし思いの外ジェーンの負けん気が強かったばかりに、脅しに屈するどころか組織を脱出──この街に逃げて来たと言う訳だ。

 

 

 

 

「そもそも、『完璧な偽札を作らせてくれる』って話だから協力したのよ! なのになにこれ!? こっちはよりバレない偽札を作るって言ってんのにッ!!」

 

 

 そう愚痴りながら地団駄踏む彼女の横、マクレーンは呆れ顔でまたベンチに座っていた。

 

 

「……その組織の名は?」

 

「ヌエヴォ・ラレドカルテルよ」

 

「んー……聞いた事ねぇな」

 

「じゃあ、親組織のジェローラモ・ファミリアは?」

 

「……フロリダのかぁ……あぁ、良く知ってる……ロサンゼルス市警にいた頃、そこの支部が『スーパーK』造ってた現場を押さえたもんだが……あいつらまだやってやがったのか……」

 

 

 スーパーKとは八十年代末から九十年代に流通した、当時最高と言われた百ドル偽造札だ。

 

 

「あー……アレ摘発したの、あなたたちだったの? ロス支部失った事、あいつら嘆いていたわよ?」

 

「んだが、その俺たちの功績がパーになるところだ。てめぇらがもっとヤベぇ偽札を作っちまうからなぁ?」

 

 

 そう言ってマクレーンは、一度握り潰した偽百ドル札を拾い上げ、広げた。

 

 

「……なるほど。旧札って事にすりゃあ、ちと色とかズレが出ても騙せる」

 

「その通り。七十年代の紙幣だったら、印刷のムラとかズレは珍しくないもの」

 

「……クソッタレ。Mの字さえ無けりゃ、局に持っていかねぇ限り本物か見分けがつかねぇぞぉ」

 

 

 紙の材質まで、本物と殆どそっくりだ。こんな物が量産されて出回れば、アメリカ経済は大打撃を受ける。

 

 

 

 

「……完成させる訳にゃぁいかねぇ。てめぇら、第二のウォール・ストリート・クラッシュを引き起こすつもりか?」

 

 

 じろりと、ジェーンを睨む。されど彼女は飄々とした態度を崩さない。

 

 

「私たちはね?『完璧な偽札』を作りたいのよ。それこそ、造幣局さえ騙せるレベルの物を……結果、アメリカが大混乱になっても知ったこっちゃないわ」

 

「職人気質はごもっともだが、オイタが過ぎてるぜコリャ」

 

「じゃあアメリカ様の為に私は死ねって?」

 

「もうちょい雑な感じにして、組織に原板渡せば良い。俺たちが偽札を見破って即摘発、おたくは助かって万々歳で……」

 

「私の話聞いてた? それは出来ない」

 

「面倒くせぇ……」

 

 

 どうやら思った以上にジェーンは職人気質のようだ。このまま組織の元に戻されても、四十八時間後にはその拘り故に殺されるだろう。

 そうなると、マクレーンとしても夢見が悪い。

 

 

 彼女はそんな、「堅気の刑事」であるマクレーンの気質を利用したようだ。例え悪党同士の歪み合いだとしても、報復による私刑を容認してはならないからだ。

 

 

「……もうこの街に逃げたってのはバレてるし……すっかり賞金首ね、私。あーあ!」

 

「……ロアナプラ署も間違いなく狙ってるだろうなぁ……」

 

「あーー! 死んだかなぁ〜私ーっ! 仲間を殺され、誰からも見放され、唯一の頼みはナカトミビルの英雄様なのにまさかまさかアメリカと私を天秤にかけて──」

 

 

 ぎゃーぎゃー喚き始めたジェーンを鬱陶しく思いながらも、マクレーンは深い溜め息と共に両手を挙げた。

 

 

 

 

「分かった分かった、クソッタレ……俺が、テメェのボディー・ガードになれって事か?」

 

 

 待ってましたと言わんばかりにニヤリと笑う。

 

 

「ご明察! やっぱり英雄様は英雄様ねっ! あのジョン・マクレーンに守られた女……ふふふ……メンバーに自慢しまくりだわ……!」

 

「俺をなんだと思ってんだ……」

 

「まぁまぁ! でも実際問題、この街じゃ誰が味方か分かったもんじゃないもの。でも、あなたなら私を裏切らないって保証が出来るものね」

 

 

 嬉々として立ち上がるジェーンだが、マクレーンは一つ条件を付けた。

 

 

 

 

「ただし、だ。原板は押収する。持ってんだろ?」

 

 

 彼女がずっと大事そうに持っていたバッグを指差す。

 ぴくりと、ジェーンの片眉が動く。

 

 

「…………あら、ご明察」

 

「原板は押収する。で、テメェらの事は報告する」

 

「まぁ〜……仕方ないわね〜?」

 

「んでまぁ、こっから逃げたら足洗え」

 

「それは無理」

 

「この野郎……」

 

 

 ぶつくさと文句を言いながら、マクレーンも続いて立ち上がった。

 

 

「……とりあえずまぁ、計画を立てる他ねぇな。どっか腰を落ち着ける場所でも探すか……」

 

「あ、それなら大丈夫よ? 教会が『ランサップ・イン』ってお宿を紹介してくれたわ」

 

「なんだ、やっぱり親切じゃねぇか」

 

 

 そう言って二人は目的の宿まで並んで向かった。

 鼻歌混じりのジェーンとは対比して、マクレーンはとても渋い顔だ。

 

 

 

 

「……結局俺は、こう言う役回りばっかかよぉ……なぁ……」

 

 

 髪を撫でて、深く深く溜め息を吐いた。

 服は既に乾いているが、臭いはずっと残ったままだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ジェーンが暴力教会から斡旋されたと言う安宿は、チャルクワンの市場を抜けたところにある。

 店主に「教会から来た」と言えば、本当に一つの空き部屋へ通してくれた。

 

 

「思ったより綺麗な部屋じゃない?」

 

「…………」

 

 

 満足げなジェーンだが、同行したマクレーンは訝しげだ。部屋の扉を見て、何か考え込んでいる。

 

 

「どうしたのよ?」

 

「……変な部屋だ」

 

「どこが? ベッドもあって、ランプもあるし、コンセントまである! お風呂とトイレはないけどまぁ、一日ぐらいは──」

 

「そうじゃねぇ……」

 

 

 部屋の外から扉の上を見上げる。そこには「非常口」のランプが付いていた。

 

 

「……それにホレ。扉も防火扉だぞ? なんだコリャ?」

 

「はぁ〜……英雄さん、違うわよ。こう言う宿って無理な増改築とかやっちゃって、めちゃくちゃな構造になりがちなのよ」

 

「……まぁ、そうか……そうかぁ?」

 

 

 気にし過ぎかと思い直し、扉を閉めてから部屋を見渡した。

 その間ジェーンはベッドに腰掛け、手を擦り合わせる。

 

 

「さてと……早速、ロアナプラ脱出作戦を考えなきゃね」

 

「……ロアナプラから出て、そっからは?」

 

「言ったでしょ? 私には世界中にお友達がいるの! それにあのカルテルだってそんな大きな組織じゃないし、匿って貰えさせすればもう追って来れないわ」

 

「んじゃあ、出るまでが勝負か……逃がし屋にアテがいるんだが、金はあるかぁ?」

 

「逃走経費を差し引いたら……三万ドル。どう!?」

 

「沖合いで降ろされるなぁ、そりゃ……」

 

 

 何とかオカジマに聞いてみるかと思い立つ。恩着せがましいとは思うが、オカジマにはフィリピンでの貸しがある。

 ともあれ準備が必要だ。マクレーンは愛銃のベレッタM92Fを取り出してチェックし、マガジンの数も確認する。

 

 

「……んー。少し足りねぇか」

 

「あなたなら足りるでしょ?」

 

「馬鹿言うな……ナカトミビルと空港とじゃあ、状況が違う」

 

 

 買い足しに行こうとマクレーンは部屋を出ようとする。

 

 

 

 

「『テオ』って人、覚えてる?」

 

 

 ジェーンが呼び止めるように話を始めた。

 彼女の言った「テオ」と言う人物は、マクレーンにとって悪い意味で忘れられない男だ。

 

 

「……『ハンス』の仲間だろ」

 

「そう。そんでもって、ナカトミビルのシステムをジャックした機械担当」

 

「へへ……俺は見てねぇが、最後の最後に『アーガイル』の奴に一発殴られて、そのままお縄に付いたって聞いたぜ。今は死ぬまで牢屋の中だ」

 

「確かに最後は間抜けっぽいけど……当時の技術、それにナカトミビルのシステムを考えると、彼はまさしく天才」

 

 

 悪党側を称賛する彼女が気に障ったのか、うんざりした顔でマクレーンは振り返る。

 

 

「……つまるところ?」

 

「ナカトミビルのシステムは当時最新鋭だった。例え内部からジャックしても、それを自分の手足のように操れる人間なんて貴重よ。しかもプログラミングだけじゃなくて、機械系統にも精通していた。どれを繋げば動くのかだけじゃなくて、どれを壊せば思い通りになるのかも分かっていたのよ」

 

「…………」

 

「勿論、テオだけじゃない。リーダーのハンスも天才よ」

 

 

 ジェーンの語りは次第に熱を帯びて行く。

 

 

「技術屋ってのはどうしても甘く見られがちだけど、ハンスには知識と理解があった……そして強い武器を担いだ兵たちもいて、緻密で完璧な計画もあった……まさに犯罪史に残るパーフェクトゲーム。事件の全貌が分かっても、まず誰も真似出来ないわ」

 

「……あぁ。で、そのパーフェクトゲームをぶっ壊したのは誰だ?」

 

「だからこそ、私たちはあなたが好きなのよ」

 

 

 ここまで何度も見せて来た、あのニタリとした悪い笑みを見せる。

 

 

「ダレス国際空港の時もそうだわ。空港のシステムを全部ジャック出来る奴らを相手に、花火を上げてやって旅客機も助けた! 分かる? あなたには、計画とか頭脳とかでは推し測れない、天賦の『ぶち壊す才能』があるのよ!」

 

「…………」

 

「だから、ナカトミもダレスも『天才同士の対決』……嫌いな人間っているの?」

 

 

 マクレーンは小刻みに頷き、にこりと笑った。

 

 

「……テレビの評論家に影響されているようだなぁ。実際は違うぜ嬢ちゃん。俺が奴らに勝てたのは──」

 

 

 そして彼もまた、悪い笑みを浮かべる。

 

 

 

 

 

「……あっちが間抜けだったからだよぉ」

 

 

 

 

 そう言い残すとマクレーンはやっと、防火扉を開いて廊下に出た。

 バタンと重く扉が閉まり、ジェーンは楽しそうにベッドに横になる。

 

 

「はぁん♡ さいこっ♡ まさか逃げた先にあの本物のジョン・マクレーンがいるなんて……運命かしら♡ やっと私にもツキが回って来た気がするわ!」

 

 

 メガネを外して顔を覆い、そのままごろんと大の字になる。

 暫く「うふふふ」と楽しそうに笑っていたジェーンだが、途端に黙り込んだ。

 

 

「…………」

 

 

 脳裏に浮かぶは、目の前で殺された仲間の姿。彼の名前を思い出し、ぽつりと溢す。

 

 

「……確か彼も、『テオ』って名前だった。こう言う事ってあるものなのね……」

 

 

 哀悼を示すようにまた暫く沈黙し、ふぅと吐いた息と共に顔を覆っていた手をどかした。

 

 

 

 

 

 

「…………は?」

 

 

 視線の先である天井を見て、素っ頓狂な声を出す。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 マクレーンは幾つか予備のマガジンを購入し、そのまま街を出歩いていた。

 すぐにはジェーンの元に戻らなかった。マガジンの補充の他、彼には少しだけやる事があったからだ。

 

 

「……誰があの娘っ子狙ってるのか知れねぇからな」

 

 

 ここはロアナプラ。今、目に写っている人物全員が殺し屋なのかもしれない街。

 ジェーンにとっても、彼女の口車に乗ってしまったマクレーンにとっても、周りにいる者全員を敵だと思わなければならない。

 

 

「……クソッタレ。あぁは言ったが、俺も間抜けだよぉ……証人保護って訳でもねぇのにタダで悪党のボディー・ガードやっちまって……お人好しも度が過ぎりゃあ単なる馬鹿ってのは知ってんだけどよぉ……」

 

 

 だからと言って無視する訳にはいかない。これも刑事の責務だと割り切りながら、とある店の前でマクレーンは立ち止まった。

 

 

「……請け負ったんなら仕方ねぇ。情報収集でもしなきゃな」

 

 

 そこは出禁解除されたばかりのバー、イエロー・フラッグ。街で何かが起こると、まずこの店で話が上がるハズだ。

 意を決し、マクレーンは入り口の扉を潜ろうとした。その際にやっと、忘れかけていた事を思い出す。

 

 

 

 

 

 

「……やっぱ臭ェ……ティーン・スピリットか何かで洗ってやろうか……」

 

 

 服から漂う腐った海の臭いに辟易しながらも、マクレーンは店内に入った。




「Smells Like Teen Spirit」
「ニルヴァーナ」の楽曲。
1991年発売「Nevermind」に収録されている。眼前に吊られたドル札を求めて泳ぐ赤ん坊のジャケットがあまりにも有名。ポップス、エレクトロ、ヘヴィメタルが主流となりつつあったアメリカンロックに強烈な反撃を食らわせた歴史的アルバム。
熱を持ったギターリフが続いたと思えば突然静まり返るイントロから稀有なセンスを発揮。妖しく歪んだビート、余計な装飾を消した純粋なバンドサウンド、感覚に訴えかけるリリック……アンダーグラウンドだったグランジ、オルタナティブロックをメインストリートにまで持ち上げた一曲。

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