自分の見た光景が信じられなかった。
りーさん達が始めた下校の放送は、どうやら正解だったらしい。いっせいに彼らが学校から外に出て行ったのだ。
最初はその光景も見ることはできなかった。だけれど、扉の前から呻き声やものを叩く音がしなくなった事からも想像はできた。
ようやく外が静かになり、そっと扉を開けてみれば、そこは泥水や血が飛び散りめちゃめちゃになった無人の廊下がずっと続いていた。
そっとひび割れた廊下の窓から校庭を見れば、彼らの大群がまるで水が引いていくように校舎から湧き出していた。
それらは一直線に校門へ向かっていく。
「すっごいシュールだな…」
場違いにも思わずそんな言葉が口から出てしまった。
「めぐねえは⁈」
そういえば廊下にメグねえはいない。確か扉が閉まるときに屋上にいるとか言っていた。ならばきっと……
「屋上にいるって言ってた。いくぞ!」
頼む無事であってくれ!少しだけ不安が胸を刺したけれど、それよりもあのめぐねえがそんな簡単にやられるはずがない。根拠はなかったけれど私はそう考えることで他の邪念を打ち消した。もし邪念の方が強かったら今頃私は不安で押し潰されていただろう。それほどまでにめぐねえの存在に私は頼ってしまっていた。
屋上の扉は開け放たれていて、強い衝撃からなのか内側から扉はへこんでいた。元々割れていた窓ガラスは完全になくなり、もうすでにドアとしての機能を失っているようだった。
「めぐねえ⁈大丈夫なのか!」
豪雨のように雨がコンクリートを叩く屋上の真ん中で、めぐねえは大の字になっていた。
真っ先に飛び出した由紀がめぐねえに抱きついた。
そんな由紀をめぐねえは優しく抱きしめた。
「大丈夫よ。少し疲れただけ」
そういうめぐねえだったけれど、服は爪か何かが引っ掻いたのか一部が千切れ、返り血で真っ赤に染まっていた。
見渡せば屋上の至る所に血が飛び散った後が雨に滲んでいるけれど残っていた。どれほど過酷な戦いだったのだろう?
それと死体はどこに消えたのやら。流石に倒した直後に消えるような死体じゃないはずだけど。
「疲れただけって…ボロボロじゃねえか」
慰めも誤魔化しもできてないってば。
「スマブラの百人抜き手をやった気分よ」
まあそんな細かいことは後だ。雨に打たれているとだんだん頭も冷めてくる。さっきまでの高揚とか恐怖とか不安とかそう言った感情の全てが引っ込んできて、だんだんと冷静な判断を頭がし始めた。
「全く……」
めぐねえは上半身を起こしたけれど、由紀はまだ腰に抱きついていた。
「由紀いつまで泣いてんだよ」
雨で紛らわしくなっていたけれど目だけは兎みたいに真っ赤になっていた。まああいつの性格は知っているし仕方がないだろうけど…
「だってえええ」
泣きたいのはこっちだって同じだよ。雨が全部流してくれるから泣こうかな…
いやいや、あのとき涙すら流せなかった私がなにを今更…泣こうだなんて。泣くとしたら全部が終わってから…そうだ。彼への手向けもそのときだ。その時まで私は……
「先生困っちゃうわ」
「まあめぐねえが悪いから仕方がないな」
そうやって茶化すと、入り口の方から私達を呼ぶ声がした。りーさんと柚村だった。
「でもいつまでも濡れているには良くないわよ。ほら早く中に入って」
もうびしょ濡れだよと返事して、めぐねえの手を取って立たせる。相当激しい戦闘だったのだろう。確か犬の彼らもいたから仕方がないか。っていうか犬まで襲ってくるなんて……こりゃ認識を改めないとまずいかもしれないな。
めぐねえと一緒に部屋へ戻ったけれど、すぐにびしょびしょだとまずいと言うことで体操服へ着替えた。
最初に由紀が隣の生徒会室へ向かい、私とメグねえだけが残された。というよりも着替えの服が足りなかった。
私はあの時部活もあったし体操服はジャージ込みで持ってきていた。ただ、タイミングが悪くちょうど洗って干している最中だった。深刻なのはめぐねえだ。
まず着替えの服がない。先に出た由紀が教室から体操服を見つけて持ってきてくれたものの、それはサイズ的にめぐねえには厳しいところがあった。
再度探しに行ってもらってたけれど見つかるかどうかは怪しいところだった。
雨水を垂らしながら、めぐねえは何かを考えているようだった。流石にタオルはあるんだから髪の毛くらい拭けばいいのに。
「めぐねえ…血塗れだな」
肌についた血は雨で流れてしまっていたけれど服に染み込んだものはすでに黒く変色を始めていた。
「そうね…洗って取れるものかしら?」
それは私にもわからない。血の汚れなんて洗ったことないからなあ。ましてや洗剤や水は限られている。
「わからないけど早めに水拭き取らないと風邪ひくんじゃないか?」
いつまでも黄昏てるとほんとに風邪ひくぞ?
おっといけない。めぐねえは完全に忘れていたようだった。いや意識の外に無自覚のうちに追いやっていたみたいだ。急に服を脱ぎ始めた。
「おいおい!着替えもないのに脱ごうとするなって!」
紫色のワンピースを脱ぎ捨てたメグねえ。
大胆すぎて一瞬女の私でも心臓が跳ね飛びそうになった。慌ててバスタオルを押し付けて色々と隠す。
ちょうどそこに由紀が戻ってきた。
「ほかに誰もいないから大丈夫よ。えっと……体操服ってそれ?」
入ってきた由紀は体操服が入った袋を持っていた。
「1番大きいのこれしかなかったの。めぐねえに合うかな?」
由紀が渡したのは襟のタグにMと書かれた体操服だった。Sよりかはマシだけれど大丈夫かな?
「あー……」
「多分……大丈夫なはずよ」
いや確かに肩幅とかは大丈夫かもしれないけどさ…そうじゃないだろめぐねえ。
「ごめんMしか見つけられてなくて……」
「ま、まあ大丈夫よ」
実際にそれを着始めためぐねえ。私も下着とワイシャツだけの姿だったのを思い出し体操服に着替えた。
私が着替え終わる頃にはめぐねえの着替えも終わっていたけれど……
「全然大丈夫じゃないよなそれ‼︎」
案の定Mサイズでもダメだった。特に胸周りと腰回りがダメダメだった。更にいえばあのズボンの方はウェストが細めで作られていたようでめぐねえには全く合っていない。今にもゴムがちぎれそうだった。別にめぐねえが太っているとかそういうわけじゃなくて、ただ単純に骨盤の大きさの違いだ。
「でもこれしかないし……」
由紀は顔を赤くしていた。確かに色々と強調されちゃって見苦しいかもしれないけど……
なんか自分の小ささにちょっと泣けてきた。ごめん先輩泣きそうです。
「破れないか心配だよ……後お腹隠れてないけど大丈夫か?お腹冷えてとか嫌だぜ」
そう、体操服にしてもめぐねえの体格では丈の長さが全然足りていなかった。あれでは少し体を動かしただけでお腹が丸見えになってしまう。絶対お腹壊すぞ。
「大丈夫よ。インナーシャツ持ってきているから」
そう言ってめぐねえは服の下に着ている黒のシャツ一枚になった。いやどうしてそこで脱ぐんだよ体操服!ただでさえワキあたりが引っ張られて危ないのに余計なことするな‼︎それやぶれたらSサイズしかないんだぞ‼︎
一悶着あったけれどなんとか大丈夫だった。女の私でもちょっとこれはやばいって思える様な姿だけど一時的なものだしここに男はいないから大丈夫…うん大丈夫。
くそっ…よけいに考えたら直視できなくなった。なんか顔が熱い。
うーん……
「よければこれ着てなって」
仕方がないから私は体操服のジャージを羽織らせた。体格が大きくなったときのためにわざわざLサイズで買ったはいいけど結局体はMサイズが余裕という程度にしか成長せずジャージだけちょっとダボダボだったものだ。
「恵飛須沢さん?」
「めぐねえ薄着じゃ辛いだろ。取り敢えず着てろって」
やっぱりLサイズがめぐねえにはちょうどいい感じだった。まいったなあ…流石に借り物とはいえサイズの問題がここまで顕著だったなんて。
「ありがとう」
「どういたしまして」
後で男物でもいいからLサイズ探してくるかなあ。多分りーさんもサイズ的にはLなんだけどりーさんは体操服家に置いてきちゃったって言っていたし。
近いうちに何処かで衣類の補充をしないといけないかもしれないな。
閑話休題
少ししてめぐねえは全員を生徒会室に集めた。相変わらず電気は通じていないから暗くて仕方がなかったけれど、それはもういつものこととして割り切ることにした。
「取り敢えずやることをまとめてみたの」
ホワイトボードにはめぐねえのちょっと特徴的な丸っこい文字でこれからの予定が書かれていた。
まずバリケードの修理。
そして使える資材を集めて、破損箇所の応急修理。
夕食作りだった。
そして後日の予定で、学校の外での物資調達があった。それには衣類や生理用品。食糧や情報、武器になりそうなものと追加で小さくメモ書きが加えられていた。
いろいろやらないといけないと頭ではわかっていたけれど改めて提示されると色々と整理がつく。
「そうだな…私は異論はないと思うけど…」
他にやることと言っても救助要請くらいだ。それだって情報がないとどうしようもない。屋上にSOSって描いておくにも色々とものがないから描けない状態だしなあ。
「私もそう思うわ。欲を言えば生理用品は早めに確保したかったのだけれど…」
ああそうだった。ここにいる全員生理用品が必要不可欠だった。学校の備品では賄いきれない。色々あったせいで失念していた。
結局めぐねえが考えたそれに反対する人はいなかった。いたとすれば由紀が他の生存者を探したりするのはどうかなと言っていたくらいだろう。
ワンワン放送と言う放送をしている人が気になっているようだ。救助の通達などが行われる可能性があるからずっとラジオはスイッチを入れたままだけれど時々ワンワン放送と言う放送電波を拾っている。
私もそれは気になっていたけれど声の主がどこにいるのかがわからないしこちらから救助をしたいと言う旨の送信をできないから見送りになってしまった。
どうにかしてFM送受信器がつくれればいいんだけど。
「じゃあ早速だけどバリケードを直しにいきましょう。恵飛須沢さんと柚村さんはついてきて。あとの2人は三階の階段にバリケードを作ってくれる?」
今の時間は時計では昼を指していたけれど食欲は全然わかなかった。愛用のシャベルを持ってめぐ姉に続く。
「分かった!りーさん行こう!」
三階から下の階は、明かりがほとんどないせいもあってまるであの世への階段みたいだった。昔見た不気味なものリストにも似たような階段の変異があったことを思い出した。
「恐ろしいくらいに誰もいないな……」
電気も来ていない上にボロボロで血が辺りに飛び散った学校はある意味ホラー映画の舞台のようだった。もしかしたらホラー脱出ゲームの舞台として使えたかもしれない。
「ともかくまずは残骸の撤去ね」
懐中電灯の灯で、ボロボロになったバリケードを解体し使えるものを一か所に集めていく。もし彼らがいたら大変だったかもしれないけれど、幸い彼らが出てくることはなかった。
あらかたの作業が終わり、使える机や椅子が廊下に溢れていた。
それらを使い再びバリケードが作られていく。今度のは結構ガッチリとしたものだった。ただ、犬のような動物が攻めてきたときの対策はちょっとできそうになかった。すり抜けられないようにどこから取り出したのかピアノ線を貼っていたけれど気休め程度にしかならないだろう。
三箇所にバリケードを設置し終え、一階へ降りていく。
一階は二階と違い廊下が泥だらけだった。
まあ雨の校庭を通ってきたのだから仕方がないか。まずはこれをどうにかして綺麗にするところから始めるべきかな。でもそんなことしている余力は残っていない。
めぐねえは真先に玄関に向かい、横転している車を元に戻し始めた。
「なんでここに車があるんだ?」
「私が昨日押してきたのよ」
押してきたって…駐車場から?呆れて言葉も出ないわ。
「なんだ、だから佐倉先生の帰りが遅かったんですね」
柚村はそう言って車を元に戻すのを手伝い始めた。
「せっかくのスカイラインなのに…」
どうやらこの車は相当な名車らしい。
「仕方がないわよ」
確かに仕方がないかもしれない。こんな状況じゃなければ私もじっくり観察してただろうなあ。
全てのバリケードを直していると、いつのまにか日は暮れていて完全にホラー味の高い校舎に変貌していた。幽霊といった類は信じていないけれどゾンビに襲われた後だからもしかしたら幽霊もいるかもしれないと思い始めた。
三階は電気が復旧したわけではないけれど、ある程度の灯はあった。
その日の夕食はものすごく美味しかった。
めぐねえくらいの料理の腕を私も身につけてみたいなあなんて思うようになったのはこんなご時世じゃなければ思うだけで終わってただろうな。あの時は部活と恋でいっぱいだったし。
気づけば雨の音は止んでいて、明かりがなくなった世界からは夜空の星が息を吹き返していた。
あんな戦いの後だったからかなんか色々と吹っ切れてしまっているみたいな気持ちだった。実際吹っ切れていたのだろう。
いつの間にか私は椅子に座ったまま眠ってしまっていた。
まだ日の上がらないうちからめぐねえは動いていた。なにをしていたのかはわからないけれど、何処かへ行っていたのは確かだった。多分下に行っていたのだろう。寝起きが悪い私はそこまで考えて再び眠りについてしまっていた。それが危険な行為であると理解したのは起きてからだった。
小1時間めぐねえを説教しようかと思っていたけれど、それを見越してかめぐねえは先手を打った。
「今日は……物資調達に行きましょうか」
物資調達。なるほど昨日ホワイトボードに書いていたやつだな。確かに食料だけじゃなくてトイレットペーパーとか生活必需品の多くがそろそろ心とも無くなってきていた。
いきなりだったけれどめぐねえの発言がそのまま起用されたのは私たちの心理状況もあったのかもしれない。
「えんそくだね‼︎」
えんそく。由紀はそう呼称した。
「うふふ、そうね。えんそくね」
遠足って…まあ物資調達なんて味気のない名前よりかはマシだけど。
「で、誰が何処に行くんだ?流石に全員は無理だろ」
流石にるーのような幼い子を連れて行くことはできないし1人にすることなんてもっとできない。もし1人にして何かあったら多分りーさんが修羅か般若になる。
「場所は決めているわ。ここから十分くらいのところにショッピングモールがあるでしょ。あそこなら衣類もあるしドラックストアも中に入っているから生理用品も見つかるかもしれないわ」
「あーあそこか……」
確かにあそこのモールだったら食料と衣類と…いろんなものが手に入りそう。他の生存者がいたらちょっと危ないかもしれないけれど。秩序の崩壊が招く事態にはそう言った諸々も入っているからなあ。
「じゃあ誰がいくの?」
私が聞く前にりーさんが訪ねた。
「そうね…誰が行きたい?」
決めてなかったんかい!
そっと手を上げた。それにあわせて全員が手を上げた。
「全員じゃこっちの守りどうすんだよ。人数的にも3人くらいまでだぞ」
「私が車を運転するとして後2人ね」
めぐねえ抜け駆けはいけないよ。
そう?車運転できる?
見様見真似なら……
ゲームで感覚は培ってる!ただしコントローラー操作だけどな。
「じゃあジャンケンで決めましょう」
りーさんがそう言ってじゃんけんを提案した。もちろんめぐねえ込みでだ。抜け駆けはダメだぜ。私だって車の運転くらいできるんだからな!ゲームだけど。
「提案者が負けてる……」
「くっ不覚……」
るーに慰められるりーさんってのもまた珍しいモンだな。
結局勝ったのは私とめぐねえと由紀だった。
これで決まりだな。
「それじゃあ後まかせた。あ、そうだ。今のうちに服のサイズ細かく教えてくれるか?服買うときに困るとまずいし」
「そうね。柚村さんの分も私が聞いてくるわ」
そう言ってりーさんは数分後に柚村の分のサイズも書かれた紙を渡してきた。
なんか隣の部屋から色々と悲鳴が聞こえたけど気のせいだと思う。
なにがあったのかを知りたかったけれどるーには聞かせられないような内容とだけ言われた。
柚村…強く生きろ。
るーちゃん
「エッチなことしたんでしょ!わたしがなにもしらないとおもってるの?これでもぴーーーとかぴーーーーとぴーーーーくらいしってるしともだちからかりてみたことあるもん!」
手話