久しぶりに悪夢を見た。
目の前で人が人ならざるものに生きたまま喰われるのだ。そして食い殺されたものもまた彼らと同じ存在となって他者を襲う。思わず逃げた。ただ闇雲にこの悪夢のようなところから逃れたくて逃げ続けた。だけれど悪夢の中というのは不思議なもので体がうまく動かせない。いや例え体が動いたとしても逃れられるかと問われればそれはまた別の話だ。悪夢に終わりはないのだから。
ああこれは夢なのだと自覚した頃には、私はその人ならざる者に喰い殺されようとしている直前だった。その人ならざるものは、あの日私の目の前で食い殺され、見捨てるしかなかった子、リサだった。
その悲しげな瞳が、夢なのに夢じゃないようで頭の中に残り続けた。
思いっきり肩を噛みつかれ、思わず体が跳ね起きた。
額に手を当ててみると、びっしょりと汗をかいていた。これは相当魘されたのだろう。
嫌な悲鳴を上げたような気がしたけれど夢から目覚めてしまうとおぼろげな情報しか残らないせいで結局あの悪夢がなんだったのかなんてほとんど覚えてはいなかった。
最近は見なくなったあの悪夢をこのタイミングで見てしまったというのはおそらく私の精神が安定していないのか、この地獄のような惨劇のせいで心の傷がえぐられてしまったからか……
いやどちらにしろもう眠る気など残っていなかった私は少しばかり体を動かすことにした。
屋上で少し体を動かしていると日が登り始めた。
この生活が始まってもうすぐ二桁に突入しそうなところである。
いまだに救助の呼びかけすらない。まるで私達を無視するかのようだ。いや、おそらくに捨てられたのかもしれない。
時々無人機の姿が見えるだけで有人機の姿はまだ見ていない。相変わらずラジオは有益な情報は流れない。
やはりここから自力で脱出するしかないのだろうか。
しかし私に皆を守りながら逃げ延びるなんて力はない。
災害時の広域避難所として指定された場所に何かあるかもしれないけれど、その広域避難所というのはこの学校のことだしもう一つ大きいところは駅を超えた反対側にある市民会館だ。初期防衛さえどうにかできればもしかしたら望みはあるかもしれない。
やはり情報を集めなければいけない。
体も十分温まり、頭に残ってしまっていた悪夢の反動もあらかた消え去ったように感じて、私は皆がいる教室に戻ろうとした。
だけれど私が歪みきった屋上の扉を開けようとした途端、若狭さんが顔を真っ青にしながら飛び込んできた。ただ事ではないようだ。走ってここまで登ってきたからなのか息があがっていた。
「先生!」
「若狭さんどうしたの?」
「るーちゃんがいないの‼︎」
一瞬頭を殴られたかのような衝撃が走った。
「……え?」
落ち着いたところで詳しく聞きだすと、普段は横で寝ているはずのるーちゃんがいない事に気づいたのは起きてすぐ。最初はトイレに行っているのだろうかと思い、先に起きていた恵飛須沢さんたちに聞いてみたものの、誰も見ていないとの事だった。
慌てて名前を呼んだけれどなかなか現れない。
事態は中々に深刻だった。
もし外に出てしまっているとした場合それこそ大変な事態だ。小学生の足ではそこまで遠くまではいけないだろうけれどそれでも危険なことに変わりはないのだ。
「わかったすぐ戻るわ」
事態が事態なだけあって急を要する。だけれど闇雲に探そうとすればかなり危険だ。
既に何人かが捜索を始めていたようだけれど一旦全員を生徒会室に集めた。
「ともかく一人で行動すると二次災害になりかねないわ。2人1組で捜索しましょう」
安全などこの校舎内でも完全に保証できない状態で単独行動をするのは自殺行為に等しい。よくドラマや映画で一人で探してくるというような行動は恐ろしいほど危険な行為なのだ。ここは山とか密林だと思った方が良い。
「分かった。でも外に行ってたら大変だぞ?」
まだ朝早いからか校庭にいる彼らの数は少ない。夜のうちに校舎を出てしまっていたら確かに追跡するのは困難だろう。
「まずは校内の捜索よ。一階は私が行くわ。後二階と校舎外ね。校舎外は彼らが増えるし危険が高いからそれなりに覚悟しないと…」
三階はもう探してしまっているし声が聞こえたらさすがにるーちゃんだってくるはずだ。それがないということは少なくとも二階より下にいる可能性がある。
「なら私も先生についていきます」
「美紀、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ圭、いざとなったら先生がいるし」
私だって誰か1人を守りながら戦うのは難しいけれど……でもそれを表に出して余計な不安を与えてはいけない。
結局直樹さんが私についていくといい、若狭さんと恵飛須沢さん、柚村さんが外を、それ以外が二階の捜索を行うこととなった。
「わかったわ。それじゃあ捜索よ」
直樹さんが先頭で私が後方。少し不思議な気がするけれど不思議とこっちの方が性に合う。
先に外を捜索する3人が一階端っこの窓から外に出る。表側では彼らがいて危険が高いから仕方がない。
裏側には不思議なことに彼らはいない。時々柵の向こう側の道をふらふらと彼らが歩いてはいるけれどそれでもこちらに気づくことはない。
それを見届けて私達は一階の捜索に移る。その直後、見つけてしまった。
「「あ……」」
廊下の隅っこ、消火器の影にマニュアル冊子が落ちていた。思わず圭と声が重なる。紛れもなく昨日私が彼女に見せたものだ。そのあと金庫に戻したはずだけれど……
「これって……」
所々握り締めた後がある。
「そうね。マニュアルね」
「読んだってことですよね」
そういうことになってしまう。
「そうね……金庫は床に近いところにあったし好奇心旺盛な子供って行動力が高いし……」
「だとしたら地下でしょうか?」
そうね。と頷く。もしるーちゃんが地下へ行っていたとしたら何かの拍子に帰れなくなってしまっている可能性が高い。迷子とまではいかないけれど……
その瞬間玄関口の方から彼らの足音がした。
音を立てず静かに様子を確認すれば、靴箱に体をぶつけながら彼らの1人が入ってきていた。
入り口には一応バリケードがあるはずなのに……
「バリケードが壊れていますよ⁈」
思わず直樹さんが声を上げてしまう。その声に気づいた彼らが廊下に真っ直ぐ動き出した。
これ以上動き回られると危険だった。相手の正面に飛び出し、頭を持ってきておいたバールの様なもので叩いた。入りが甘かったのか倒れただけ。素早く頭を掴んで体と正反対の向きに捻った。
嫌な音がして首の骨が折れた。
「不味いわね。もうすぐ登校時間になるわ……」
掛け時計を確認すればもう後三十分もたたずに登校する生徒が増える時間帯が迫っていた。
今からバリケードを戻すにしても車は随分と動かされてしまっている。悔しいけれど防火扉を使って一部の区画を封鎖してしまうしか方法はなさそうだ。
地下倉庫内に降りてみれば、そこにも彼らが数人入り込んでいた。
こちらに気づく前に頭を確実に破壊する。
例え人であったものだとしても、生き残るために心を殺して動かなくする。私も後で地獄に行く予定だ。今更何人殺そうと変わらない。
シャッター前にいた彼らを排除し終えたところで、思わぬ問題にぶつかった。
「ハンドルが壊れていますね」
ハンドルは何かがぶつかったのか周囲に変な色の汚れを残して根本から消えていた。
「こういうときは……」
幸いにもハンドル機構が入っているところの周りはメンテナンス用にプラスチックのカバーで覆われているだけだった。ねじ止めもされていない。
カバーを力技で引き剥がし、中に残っていた軸を剥き出しにする。周囲の歯車は問題なさそうだ。
後はこの軸に紐を結びつける。滑ったりしないよう少し特殊な縛り方で巻いた紐をさらに絡まないように軸に巻きつけていく。
紐を引っ張れば軸が一緒に回されシャッターが少しだけ開いた。直樹さんとともにシャッターを押し上げた。
それでもどこか歪んでしまっているのか半分ほど空いたところで何かに引っかかり動かなくなった。
「行きましょう」
非常灯がある分まだ明るいシェルター内部。まるで波に揺さぶられる若芽のように不規則に動く影が映し出された。
「ものすごいうめき声が聞こえるのですが」
「入り込んでいる見たいね」
どうして入り込んだのかはわからない。だけれど原因究明は後だ。まずはるーちゃんを探さないといけない。
「どこから入り込んできたのでしょうか」
「わからないわ」
「わからないけれど……こいつらを倒さないと前には進めないわ」
一体がこちらに気づいたらしい。気を引き背後を襲うのは出来なさそうだ。
途中で拾ったバールの様なもので気づかれる前に素早く通路にいた彼らの頭をかち割った。やられる前にやる。
非常灯がある分倉庫の時よりも周囲が見えやすい。まあそれは私達を向こうが発見しやすいというのと表裏一体なのだけれど。
それでもシャッターがあったおかげか廊下には2人しかいなかった。
「るーちゃん、どこに向かったと思う?」
「私の考えではワクチンの置いてある医療品保管庫かと。後はとっさに隠れやすい場所……ミーティングルームのようなところでしょうか」
確かにあのマニュアルを読んでいるのであればその考えが妥当だろうか
「そうね…じゃあまずは医療品保管庫から行きましょう」
医療品保管庫は鍵がかけられない引き戸タイプのため容易に中に入ることができた。電子ロックのような設備はあるけれど電源が落ちている現状では無意味なものだ。
案の定ではあるがそこには誰もいなかった。だけれど一部の段ボールが階段のように積み上げられていて、その正面の棚からいくつか箱がなくなっていたのを見るとやはりるーちゃんはここにきていたようだ。
「やっぱりきていたのね」
「そのようですね。高さ的にも彼女と一致します」
「よく分かるわね」
「これでも観察は得意なんです」
とは言ってもここにいないとなるとやはり外なのだろうか?もう少し室内を探索してからにしよう。
「待ってください。何か聞こえませんか?」
直樹さんが何かに気がついた。耳を済ませて周囲の音を聞いてみると、多分隣の部屋だろうか?かなり近い。多くの呻き声が聞こえている。人のいるところに彼らも集まる。ということは……
「隣の部屋かしら?」
「おそらくそのようです」
少しだけ壁に何かが当たる音がした。どうやら室内の壁はかなり薄く作られているらしい。なるほどこれなら声が聞こえてくるのも仕方がない。所々手抜き工事しているわね。
そっと隣の部屋に回ってみる。部屋のネームプレートはミーティングルームと書かれていた。終末世界で何をミーティングするのやらだ。そっと扉を開けてみると、中にはかなりの数の彼らがいた。
暗闇に慣れきった目は、僅かに灯る非常灯に照らされた部屋をシッカリと見ることができた。
机の下、いや、いくつかの机を山のように積み上げてるーちゃんが引きこもって隠れていた。
「いたわ!」
思わず声を上げた。向こうもこちらに気づいたらしい。それは彼らも同じだった。顔を上げた人間だったものどもが光に集まる虫のように一斉に集まり始めた。
「先生声大きいですよ!」
直樹さんをすぐ後ろに下げつつ、武器を構える。
「彼らをこっちに引き寄せるの。廊下側にもきていないか確認しておいて」
それは結局私の罪を見て欲しくないからという言い訳に過ぎない。
すぐ近くにいた白衣を着た女性だったものを蹴り飛ばす。頭を強く机にぶつけたからなのかすぐにそれは動かなくなった。
2人目はバールのフルスイング。豆腐の入った陶器を割るような感覚がして頭が潰れた。
3人目もバール。感染すると体のリミッターが外れるのか見た目に反して恐ろしいバカ力を出してくる。そんな相手に取っ組み合いは御免被る。
残り一体。一際小さい体のそれは、一年生の制服を着ていた。
一瞬腕が止まりそうになった。曲がりなりにも相手は新一年生だった存在なのだ。私も入学式で顔を知っている存在だったかもしれないのだ。
だけれど……
「ごめんなさい」
生き残るために私はそれらに手をかける。マービンさんが言っていた。躊躇するな。必ず殺すんだ。そうでなければ自分が大事なものを襲ってしまう存在になるからと。
全員を片付け、るーちゃんのもとに駆け寄る。何時間そこでそうしていたのだろう。体は少し冷たくなっていた。
「るーちゃん大丈夫?」
机の下で丸くなっていた彼女は私に抱きついて嗚咽を漏らし始めた。
その手にはワクチンの入ったケースが握り締められていた。
「怪我はない?」
首を縦に振るるーちゃん。暗くてよくわからないけれどぱっと見で怪我は負っていないようだった。血の匂いは……ああだめだ。自分も周りも血の匂いがしすぎて何も感じない。
「さあ行きましょう。ここは危険よ」
るーちゃんを抱えて廊下に出れば、直樹さんが先導してくれた。だけれどシャッターのある区画に出たところで再び彼らと遭遇してしまった。
シャッターをくぐり抜けてきたらしい。なんてことだ。あれを潜ってこっちに来れるというのか。
るーちゃんを直樹さんに預けて彼らの始末に向かう。
走りながら彼らの頭を叩き潰す。蹴りつける。返り血が飛び散り服を汚した。気にせずに次の相手を捕らえようとして、足元にあった彼らの死体につまづいてしまった。
「先生⁈」
襲おうとしていた彼らに逆にのし掛かられた。咄嗟に首筋に包丁を突き立てた。生肉を切るのよりも硬く、刃先はあまり深く刺さらなかったけれどすぐに彼らは動きを止めた。
気づけば視界が真っ赤だった。手で触れてみると目の周りが粘り気のある液体で覆われていた。強く漂ってくる血の匂い。
「先生…目、大丈夫なんですか?」
血が顔にかかっただけだ。大丈夫……
「大丈夫よ。ハンカチか何か貸してくれる?」
まさか目に飛び散るなんてついてないわ。
ハンカチを借りて目の周りを拭いたもののやっぱり視界は赤いままだった。水か何かで洗い流さないとダメだろう。ウィルス以外にも血液感染してしまう病気なんかもあるからそっちも心配ね。
不意に聞こえた唸り声。今までの人間が放つようなものではない。それはあの「あめのひ」に遭遇したものと同じものだった。
元々野生で狩をして育っていたものの末裔のような存在。そしてウィルスか何かで凶暴化してしまったそれはうまく見えない私の視界でもしっかり捉えることができた。
「先生あれって……」
犬の方が動き出そうとした。こちらを見定め終わったのだろう。だとしたらいつ飛びかかってきてもおかしくない。ここで怖がってはダメだ。私の後ろには守らなければならない生徒がいるのだ。絶対にここは引けない。怖くても、足が震えていても、逃げ場なんてない立ち向かっていくしかないのだ。
「直樹さん、るーちゃんをお願い」
後手に回るのは犬相手には不利になる。
「先生⁈」
真っ先に飛び出した。犬の方が反応は遅れた。だけれどすぐに持ち前の瞬発力で飛び込もうとしてきた。犬の足が床から大きく離れた瞬間。持っていたバールのようなものを思い切ってフルスイング。
「ふうっ‼︎」
飛び込んできた犬の体をバールのようなものが捉えた。
前に飛んでいた犬の体がほぼ真横に吹き飛んだ。背骨にダメージが入ったのか
勢い良く壁に叩きつけられた犬はすぐには立ち上がってこなかった。犬の頭にバールのような物を突き立てる。
奥まで深く刺さったのかすぐに血溜まりが出来上がった。
犬であっても仕方がないのだ。むしろ長々と戦うとこちらが不利になってしまう。
だけれどそれは一匹だけではなかった。
あの時だってそうだ。こいつらは何匹かでまとまって行動していたのだ。
「……あ!」
気づけばもう一匹が直樹さんの方に向かって行っていた。敵わない相手への攻撃は危険と判断したのか安全策を取ったのか犬にしてはなかなか頭の回るやつだった。
おそらくずっと影から観察していたのだろう。でも考えている余裕なんてなかった。
ここから駆け出しても間に合わない。ならば取れる行動は一つだけだった。
とっさにポケットに入っていたナイフを投げつけた。それは回転しながら綺麗に犬の後頭部に突き刺さった。
あの時のように……
一瞬だけ鳴き声がして大型犬は地面に倒れ込んだ。
力なく倒れる犬と怯えるような瞳。少しだけ気まずくなってしまう。
「行きましょう。彼らが集まってくるわ」
視線を振り払うように私は逃げ出した。階段の上からも彼らが転がり落ちてきた。
一階に戻ると案の定彼らは入り口のバリケードの隙間から入り込んでいた。数は多くないけれどそれでも面倒に変わりはないし危ないことこの上ない。
素早く廊下にいた彼らを始末し、地獄の回廊を駆け抜けた。
入り口すぐのところにある防火扉を封鎖し、彼らがこれ以上侵入してくるのを防ぐ。気休めかもしれないけれどやらないよりかはマシだ。
バリケードをいくつか超えたところで、上から降りてきていた若狭さんと由紀さんが合流した。
「るーちゃん!」
少し疲れてしまい私は近くにあった椅子に体を横にした。
脱臼してまだ日にちが経っていない右肩を振り回したからか座った瞬間肩に痛みが走った。
「後は外にいる人たちに伝えてこないと……」
「あ、それは私がしますから先生は休んでいてください」
直樹さんが立ち上がった。
「そう?大丈夫?」
「大丈夫ですよ。ともかく先生は休んでいてください」
そうね。由紀さんにもすごく心配かけてしまっているみたいだし。ああ……やっぱり私は大人として頼りない存在だったんだ。
るーちゃん