あの時と同じように、今日は雨だった。
俄雨だったらどれほど良かっただろうか。彼らはどうやら雨が嫌いらしい。屋上の発電設備は部分的な故障を放置できず停止させてしまっている。このせいで室内は異常な暗さだった。外が薄暗いというのもあるけれど、室内はさながら夜のような雰囲気だった。
仕方がない。蓄電されている電気では最低限二階の冷蔵庫くらいしか動かせない。水の汲み上げポンプも動かないからシャワーも浴びることはできず、水道だって動かない。
昨日の昼や夜のちょっと奮発したご飯と違って朝は結構質素だった。それでも缶詰はそれなりの味を保証してくれたから少しの手間を加えただけでそれなりの味にはなった。
「朝なのに暗いね」
「まあ仕方がないわなあ…くっそー眠い」
生徒たちの声を背中に受けながら、そっと外を見る。もうそろそろ学校には彼らがやってくる。普段は校庭で止まっている彼らも今日に限っては動きが活発だった。
大丈夫だろうか……
気になったので私は廊下に出てみることにした。彼らの呻き声が階段の下から這い上がってくるように聞こえた。
「まさか…」
先生が血相を変えながら飛び込んできたのは、時計が10時を過ぎようとしているタイミングだった。ちょうど直樹さんが読み終えた本の内容をるーちゃんにざっくばらんと教えているところだった。(確か危ない表現が結構あった本だと思うんだけど…)
「彼らが押し寄せてきてるわ‼︎」
扉を蹴破るようにして飛び込んできた先生は、第一声にそう叫んだ。一瞬で部屋の雰囲気が変わった。妹のるーちゃんもどこから取ってきたのか防災用ヘルメットを被って金属バッドを保とうとしていた。
なんだか昔のデモ隊みたい。じゃなかった……早く私も準備しないと!
昨日のうちに武器などは用意されていた。ただ私は血を見るのが苦手だった。先生は無理しなくていいように刺又のようなものを作ってくれていた。これなら押し通すだけで十分だ。
「佐倉先生、彼らは今どこに…」
「一階の登校口バリケードを突破しているわ」
この様子だと二階での防衛になりそうね。やっぱり彼らは雨に弱いのか…いや、雨に弱いというより雨が嫌いだということが確定した。
でもそれがわかったところでどうしようもない。
二階に駆け下りてみれば、既にバリケードに彼らが群がりはじめていた。
雨に濡れた彼らは、皮膚が腐っているせいで誰が誰なのかの判別はもうできそうになかった。
不思議なことに肌が腐って変色しているというのに全然動きが鈍っていないのだ。不思議なものだ。
私が担当する場所は屋上へ向かう方の階段だった。かなりの数の彼らが既に登り終えていたのかバリケードをたくさんの手がたたいていた。
バリケードの隙間から刺股を押し込み、彼らを突き飛ばす。
先生に教えてもらったとおりに、強く突き出すときの一瞬だけ力を入れれば良いという教えを守ってみれば、かなり彼らは遠くへ飛んでいった。彼らは足腰も弱いせいでそのまま階段を転がり落ちていった。
「若狭さん!よければこれ使ってください」
一緒に来ていた直樹さんが私の腕に素早く雑誌を巻き付けた。なるほど、これなら簡易的なプロテクターにはなりそうね。
「ありがとう。ところでその筒は……」
「一昨日先生と一緒に作った爆弾です。二本しか持ってきていませんけれど…」
「どうしてそんなものを……」
色々と言いたいことはあったけれど、それでも今は虎の子だ。タイミングを見て使わないといけない。腐った彼らが放つ腐敗臭に思わず顔をしかめた。
「かなり匂いますね」
「それに血の匂いもあるし……」
先端に包丁をつけた即席槍でバリケードを叩いていた彼らの首を一突き。
それでも彼らが登ってくる数の方が多い。必死で押し返しているけれど直樹さんも祠堂さんも疲労が完成溜まっているようだった。
「あっ!」
急に足を掴まれた。とっさに視線を下にすれば、首から血を流した彼らが這いずりながら私の足に噛みつこうとしていた。
「やめ…なさい!」
足を振り解き顔を蹴り飛ばす。首が変な方向に曲がってそれは動かなくなった。
ハッとなった。今私は何をしたのか。足元に流れ出した血が両足を包んだ。
それでも思考を、後悔を彼らはさせてはくれなかった。バリケードに再び彼らが体当たりをしてきた。思わずそれを押し返す。腕が悲鳴を上げた。かなりの人数が押し寄せてきていらしい。このままでは持ちそうになかった。
左右から後輩2人が槍で突いているけれど対処できる量を超えていた。気づけば制服を着た彼らだけではなく、スーツや私服を着た大人の彼らも混ざり込んでいた。
「これ以上は無理よ!撤退するわ!」
反対側の階段も似たような状態だったのか、先に柚村さんが
撤退を伝令しに駆けてきた。
すぐにバリケードから離れる。
3人揃ってすぐに真ん中の階段に駆け出す。背後でバリケードが倒壊する音がした気がした。
真ん中の階段は、比較的彼らの数が少ないように見えた。
でもそれはそこに倒れている彼らの数が多いだけであって、数としては私たちよりもかなりいたようだった。
私は長槍のような武器は扱いが下手だった。
使えても剣道で使っていた竹刀程度なもので、それと同じ大きさの武器なるものといえば金属バットや真刀などだけれどそんなもの簡単に手に入るはずなかった。そもそも日本刀は何人も斬り倒すには向かないし力加減を間違えたり入刀角度を間違えたらそれだけで折れ曲がってしまう。
結果私の武器はバールのようなものと多少使える程度の技術くらいしかなかった。恵飛須沢さんのシャベルが相手の頭を弾き飛ばすその横で、私は頭を叩き割る。
なんだかんだ人間の時より体の耐久が低いのか蹴り上げただけでも彼らはその場で動かなくなってしまう。
おそらく骨の関節も脆くなっているのだろう。特に脊髄に頭への攻撃はそのまま脊髄へダメージが入っているらしい。すぐに動かなくなってしまう。
「先生!東側階段はもうダメだ!」
柚村さんがバリケード越しに叫んだ。
想像以上に彼らの進撃が早い。数が多いからなのだろう。
「わかったわ!すぐ反対側にも伝えて!上に退避するわ!」
ならばここを死守しないといけない。彼らの死体を下に転がしているせいか踊り場は死体の山が出来上がってきていた。それを乗り越えて彼らが下から溢れてくる。
「撤退戦か!見ている分には胸が躍るんだけどな!」
少ししてみんなが階段に集まってきた。すぐに上の階に行くように指示をし、恵飛須沢さんと一緒に殿を務める。
トドメに手製の爆弾を1発下の踊り場に放り投げた。
着火してから爆発までそんなに時間は掛からなかった。威力がどの程度出るかはわからなかったけれど、登ってこようとしていた彼らの中で爆発したそれは、踊り場を吹き飛ばした。
残っていた窓ガラスが爆風で吹き飛び、彼らで見えなかった床が少し煤けた状態で見えるようになった。
「すっごい威力……」
「さすがね」
三階に上がったとき、ふと雨の音に混じって違う音がしているのに気がついた。
割れた窓を開け放ち、体が濡れるのを躊躇わずに空を見上げる。
雨雲が低く垂れ込み、空の視界が悪い。だけれどその音は確かに大きくなって私の耳に届いた。
「ヘリコプター⁈」
「もしかして助けが来たの?」
だとしたらそれほど良いか。
やがて雲を突き抜けて一機のヘリが姿を現した。緑色と茶色の迷彩色を見に纏ったそれは、世界各国で未だに使用され続けるヘリの205型だった。側面に自衛隊や日の丸は描かれていないものの、その代わり側面に赤十字のマークがついていた。あきらかに救助ヘリだった。
「呼んでくる!」
恵飛須沢さんが屋上へ駆け出した。それを追いかけて直樹さんも駆けていく。少しの合間それは学校の周囲を旋回していた。
だけれど様子がどうも変だ。風に煽られているにしては動きが大きすぎる。どこか胸の奥に不安が宿ってきた。
そしてその不安が的中した。
「あ!」
由紀さんが大きく揺れたヘリを見て声を上げた。
バランスが崩れたヘリはまっすぐこちらに向かってきていた。
それでも最後まで立て直そうとしたのか、一旦は大きく機首上げ。
だけれどテイルローターが3階窓に接触し、大きく損傷したのか、屋上で大きな音がした。
少し遅れて大きな落下音と爆発。爆風で教室側の窓ガラスが軒並み吹き飛んだ。
少しして屋上から2人が降りてきた。
「2人とも大丈夫だったの?」
「ああ…でもあのヘリ発電装置に突っ込んでそのまま落ちていった」
「屋上で火災が起こってます。多分バッテリーか何かが破損して漏電しているんだと思います」
だからやたらと焦げ臭くなってきていたのね。まずいわ。さっきのヘリも下で火災を起こしている。上と下両方からなんて…火が回ってこなかったとしても一酸化炭素中毒で最悪死にかねないわ。
「パイロット大丈夫かしら……」
「今はそんなことよりも火災をどうにかしないと……」
獅堂さんがそう言って近くの消化器を撮りに行こうとするけれど事態はもう消火器で同行できる状態ではない。おそらく落下したのは駐車場……だとすれば放置されている車両に引火して大変なことになっているはずだ。
それを裏付けるかのように連続した爆発音が響いている。
「下の燃料火災はどうしようもないわ。ともかくここも時期に煙が登ってきて危険よ。どこか避難しないと…」
「先生、地下室なら……」
そう言い出したのは事情を知っている直樹さんだった。確かに…存在を忘れていたけれどあそこなら火災くらい防いでくれるはずだ。
「……そうね。あそこのシャッターなら確かに煙の遮断もできるし防火用に特殊なものを使っているはず」
私たちの会話にみんながついていけなくなった。
「地下?地下ってあの倉庫しかないんじゃ……」
「一般には公開されていませんがその奥にシャッターで区切られた避難シェルターがあるんです!」
直樹さんが皆に聞こえるように叫んだ。
「知っていたの?」
「私も知ったのは災害が発生した後よ。緊急マニュアルに書いてあったの」
皮肉だ。結局そこへ向かうことになるなんてね。
「じゃあそこならもしかして‼︎」
「迷っている暇はないな!それじゃあ行くぞ!」
そう言って恵飛須沢さんを先頭にみんなが一斉に移動し始めた。ただ一階も二階も彼らが溢れている。そこを通るのは並大抵のものではないはずだ。
ふと建物全体がわずかに揺れた気がした。
「先生危ない‼︎」
お腹に鈍い衝撃が走り、辺りは轟音に包まれた。
夢のようなものを見ていた。
その夢の中で私は皆を逃す途中に彼らに噛み付かれ、最後まで守り通すことができなかった。それも一回ではない。何百回もそう言ったことを経験したようなそんな気分だった。
まるで映画館のスクリーンの前でミシン縫いが行われているような感じだ。
かなり長い合間気を失っていたような気がした。だけれど気を失っていたのは数秒だけだったらしい。体を起こせば、目の前には瓦礫が高く積もっていた。
瓦礫に近づくと、奥からみんなが呼ぶ声が聞こえた。
私のお腹のところには若狭さんが抱きついてきていた。
「めぐねえ‼︎りーさんッ‼︎」
「おーい!大丈夫か!返事しろ!」
「せんせー‼︎若狭先輩!」
若狭さんは……気絶しているだけのようだ。よかった。
「こっちは大丈夫よ!」
轟音が少しだけ響いている。それに負けないよう声を大きくする。
「良かった!そっちはどうなってる?」
どうなっているのか……ここはどうやら屋上へ向かう階段と中央階段の合間だった。下に降りる階段は無事のようだ。
「……下に降りる階段は無事みたい。だからすぐに合流するわ。そっちは先に地下に逃げて!」
気絶していた若狭さんの意識が戻ったようだ。まだフラフラしているけれど自力で起き上がれた。
「だけど……」
躊躇している暇なんてないわ。こっちも動かないと……
「早く!るーちゃんを頼んだわよくるみ!」
「……わかった!」
足音が遠くなっていく。どうやら行ったらしい。
「大丈夫ですよね……」
由紀さんに幾つかの爆弾を持たせているからそれを使えば彼らが押し寄せていてもある程度道を切り開くことが可能だろう。
「大丈夫よ。まずはこっちね」
ともかく下へ向かおうと階段の方を向けば、角から彼らが顔を出したのが見えた。
どうやらさっきの崩落でバリケードもやられたらしい。次から次へと廊下に溢れ出てきた。
「先生…」
怯えているのは声だけでもわかる。
「大丈夫、なんとかするわ」
手元に残されたのは包丁が二本。後は爆弾がいくつか…いいわ。やってやる……
「教え子には指一本触れさせないわ」
駆け出した。そこからはもうガムシャラだった。
目の前に出てきた彼らの頭を掴んで力任せに捻った。
すぐそばにいた背の低い彼らには膝蹴り。続いてフリーになった腕で思いっきり殴りつけ、倒れたところを頭を踏み潰す。
真横から襲いかかってきた。腰に入れておいた包丁を口に突き刺す。
それでも数が多くて捌き切れない。
「先生!離れてください!」
叫んだのは若狭さんだった。振り返れば彼女は私の鞄から爆弾を取り出して着火していた。
後退するのと同時に爆弾が宙を舞った。ダメだ。この爆弾の威力では廊下は危ない。すぐに若狭さんを抱えて教室に飛び込んだと
同時に爆風が廊下を駆け抜け、瓦礫に反射して私たちに襲いかかった。
鼓膜が爆発音でやられたのか甲高い音だけで埋め尽くされている。
顔をあげれば、周囲は煙と埃で視界がほぼ遮られてしまっていた。
そっと廊下を確認すれば、そこにいた彼らの多くは吹き飛んでしまったのか、肉片ばかりが飛び散っていた。
「……大丈夫そうね」
混乱している若狭さんを起こして、すぐに駆け出す。だけれど階段を伝ってだんだんと黒い煙が登ってきていた。
二階はすでに視界がほぼない状態だ。
そういえばこの真下がちょうどヘリの墜落現場だったわけだ。
だけれどここしか道はない。
「いくしかないわね……」
「先生、絶対…生きてみんなで帰れますよね?」
「そうね……絶対みんなで帰るわよ」
私達は煙の中に飛び込んだ。
由紀と美紀のやつがめぐねえと一緒に作ったって言う爆弾を彼らの中に放り込んだ。
すぐシャッターを閉める。一拍間を置いて、轟音と衝撃がシャッターを大きく揺さぶった。
そっとシャッターを少しだけ開けて外を見れば、シャッターにいた彼らは跡形もなく吹き飛び、衝撃で周囲の彼らも吹き飛んでしまっていた。
これでしばらくは大丈夫……多分だけれど。
「めぐねえとりーさん大丈夫かな……」
「わからない……でも2人なら大丈夫だと思いますよ」
「そうだな…ああ見えて先生強いし。若狭も機転が効くからな」
そういえばるーちゃんの姿が見えないな…どうしたんだ?まさか奥に行っちゃったとかじゃないだろうな。
愛用のシャベルをつかんで奥へゆっくりと進んでいくと、奥からパタパタと軽い足音が聞こえた。やっぱり奥にいたのか。何していたんだ?
「おいおいそれって…」
奥から現れたるーのやつは、その手に黒光りする金属の物を抱えていた。
それは俗に言う拳銃と呼ばれるものだった。
それを私に差し出してきた。
「使えって?」
うなずかれた。とは言っても私は銃の使い方はわかるけれど実際に使ったことなんてないぞ?どうするんだこれ……まあいいや。取り敢えずもっておこう。
一瞬背中がゾワっとした。るーのやつがこれをめぐねえに持っていけと言っているようだった。気のせいだとおもいたけれど、めぐねえが心配なのはみんな同じだ。だけれど大勢で行っては意味がない。
暗闇でみんなは私は動こうとしていることに気づいていない。
「どうしたんですかくるみ先輩まさか外に出るつもりですか?」
訂正、洞察力が鋭い美紀のやつが気づいた。鋭すぎるだろ。
「私……先生迎えに行ってくる」
「正気ですか⁈なら私も……」
「いや!二次遭難になるとまずい。私だけで十分だ」
「でも……」
「大丈夫だって。それにちょっとみて戻ってくるだけさ」
そう言ってシャッターを開けて私は外に出た。