「せいっ!やぁ…ったあ!」
カコッ!と子気味の良い音が響き渡る。
小一時間ほどで手に馴染んできた木剣を握り直して、ティーゼは小さな体の汗を拭った。
あれから庭を伝って森に出ると、適当な切株を見つけて拠点―といってもそこに荷物をおいたり座ったりするくらいだが―にし、比較的天命の高そうな木を相手に剣を振るった。
はじめこそすぐにバテていたが、そこそこ慣れてくればどうということはない。
しかし厳しい師範―某熾焔弓とか―の修練にも耐えられていたのは、しっかりと身体と基礎が作られていたからだ。
正直なかなかにこの身体には荷重すぎるのかもしれないし、壊したら意味がない。故に方向性に悩むこともある。
「このままつづければ、きっとフラついたり重心に悩むこともなくなる…とは思うのだけれど…ここはゆっくり定着させるべきなのかしら。」
うむむ…と唸りつつ水筒をあおれば冷たいシラル水が喉に染みる。
父母にバレないよう…とやってはいるが正直な話このままでは時間の問題だろう。
どう考えても3歳ができる剣技ではないし…第一思考も3歳の幼子からはかけ離れている。
「…無理を通すのもそれこそ無理ってものだし……ここは慎重に…ゆっくりいくしかないよね。」
こく、と一人でに頷いては時間をかけて身体を作ることにした。
幸い自身が3歳ということはあの人は7歳…まだまだ時間はあるし、丁寧にしたほうが後々祟らなくて済む。
それからティーゼは決意したとおりゆっくりと力をつけていった。
朝は父と型や神聖術の稽古を。そのあとは決まって森にでかけ、アインクラッド流を練習し続けた。
そんな彼女に転機が訪れたのは、彼女が鍛え始めて2年経った頃…5歳を超えた辺りのことだった。
「ティーゼ、今日は私と一緒に7区まで出かけよう。準備をなさい。」
「は…7区。ですか、お父様?」
思わずぽろりと取り落としそうになった木剣を慌てて握りなおしたまま、首を傾げて聞き返した。
「ああ。私は最近害獣が出るらしいから農地の様子を見て、向こうにいる古い付き合いの仲間たちと集まる予定で…あまり構ってはやれないかもしれないが、お前も稽古ばかりでは息が詰まるだろう。どうだ?」
毎日でかけては逞しく帰ってくる娘を見兼ねてくれたのか、心遣いが身に沁みる。
ここに来てからずっと、剣ばかり握って暮らしてきた。
前もそうだったといえばそうなのだろうが、共に戦った親友も、相棒も、尊敬する先輩たちとも離れて一人子供を演じるのはなかなかに消耗させられる。
そんな中にこの誘いだ。
早く強くならなければ…とは思うものの、一日の贅沢くらい良いだろう。
ティーゼは大きく頷いて満面の笑みを浮かべた。
「お父様…ありがとうございます。あたしも行きたいです!」
「ああ、良かった。待っているから着替えてきなさい。この前買ってやったワンピースでも着て出かけよう。」
「えへへ……はい!」
いそいそと部屋に戻ってお気に入りのワンピースを取り出す。
5歳の誕生日に貰ったワンピースは、西帝国産の大きく動いても大丈夫な機能性重視のものだ。
もちろん見た目も女の子らしく可愛らしい―それに青色だった―ので、普段の修練に使うのはなんだかもったいなく感じて、お出かけ用に取っておいたのだ。
漸く出番が来たワンピースに着替えてくるりと回ってみる。
ひらりと膨らんだ裾ににんまりと頬を緩めて、腰にいつもの木剣を挿せば完成だ。
―うん、ばっちり。
窓にうつった自分を見て満足げに頷けば、外で待つ父親に駆け寄る。
かわいいかわいいと褒めてくれる父にてれれと礼をして出発だ。
「さて、ついたよティーゼ。父さんは害獣について聞きたいからここの人を呼んでくる。
畑でも見て少し待っていてくれ。」
「わかりました。」
麦畑の広がる7区の外れにつけば、すぐに父は姿を消してしまった。
といっても農夫を呼んでくるだけだろうから本当にすぐ戻ってきてくれるのだろう。
手持ち無沙汰になったティーゼは辺りに広がる麦の中を割って入ってみることにした。
ふわりと微かに広がる薫りに顔を綻ばせながら、ゆっくりと進んでいく。
ここ2年はせかせかと修行に明け暮れていたし、こうしてゆっくり散歩をするのは久しぶりかもしれない。
―今日はソルスさまがよく見えるから、ポカポカで気持ちいいなぁ…。
こんな陽気のときはいっつも、キリト先輩がお昼寝して先輩に怒られていたっけ。
あのねえキリト…なんて言って………
などとぼんやり愛しい日々を懐かしんでいると、麦に隠れて足元にうずくまる影に気づくのが遅れてしまった。
危うく蹴り飛ばしそうになった影にたたらを踏んで下がって見れば、これはもしや人…子供だろうか…?
「ね、ねえ…キミ、なにしてるのよ…?」
恐る恐る声をかけたティーゼに、影は「ひぇっ」と情けない声を上げて―どうやら小さな男の子の声だ―これまた恐る恐る顔を上げた。
コヒル茶に少しだけミルクを混ぜたような色の髪に、健康的な小麦色の肌。そして今にも溢れんばかりの涙を溜めた空色の瞳…。
―この男の子……なんだろう、どこかで見たことあるような…守ってあげたくなる感じ…。
「ええと…ねえ、キミこんなところで何してるの?ここの子…じゃ、ないよね?」
「……おれ…6区から来てて…強そうな動物見つけたから追っかけちゃって…でもいなくなっちゃって、気づいたらねえちゃんもかあちゃんも……いな…いなくてっ…ぅぐ…ひっく……。」
「あ…あ〜…迷子なの…。ほ、ほら、泣かないで、ね?お姉ちゃんが一緒に探してあげるから…!」
溜められていた堰が決壊しそうになっては慌ててなだめる。
何故だかついつい世話を焼きたくなって、手巾を差し出せば、すがるような目で少年に見つめられた。
「ひぐ…っ…ぐす……いいの…っ?」
「あたしもこの辺詳しくはないけど…ほっとけないし。キミ名前は?」
お父様には後で伝えれば…と思いつつさっきの少年の言葉がどこか引っかかる。
とりあえず名前をたずねれば、しばしぐすぐすと嗚咽を漏らしていた少年も漸く落ち着いたようだ。
「……レイノ…。」
「レイノ…ね、わかった。あたしはティーゼよ。
さて、キミのお母様たちを探しましょうか。どっちから来たの?」
「あっちの林…。」
おずおずと指を指した方に目を向ける。
たしかに林が続いているようだし、探すのは少し難儀だろうか…それとも、最悪6区まで行けば家に送り届けるという手もありか。
頭の中であれこれと考えながら少年…レイノの手を引いてみる。
力強くぎゅっと握り返された手にくすりと笑みをこぼせば、彼に従って足を向けた。
「それじゃああっちの林から探しましょう。お母様はどんな人?」
なにか情報をもらえないかと特徴をたずねてみる。
返ってきたのはほしいものではなかったが、よほど家族が好きなのだろう。
ずっと下を向いていたレイノがきらきらと瞳を輝かせて教えてくれた。
「…かあちゃんは、怒ると怖いけど優しいよ。かあちゃんはおれとおんなじ髪色で、ねえちゃんも優しいけど、ねえちゃんはおとなしいんだ。
でも剣を習ってるんだぞ、すごいだろ!」
「ふふっ…そうね。すごいわ。
でも、これでもお姉ちゃんも剣を使えるのよ?」
―まあ、剣舞が得意なだけで試合が得意だったのはロニエだけど。
流石に学院に入ってからはあたしだって追いつけた………ハズ、よね…?
なんて思いながら林の中を進んでいく。
麗らかな陽気ではあるが人の気配は感じない。
あまり遠くに行くと父に心配をかけてしまうだろうし、ある程度したら一度引き返して大人の力を借りようか…と思っていたところ、グンッ!と急に繋がれた手が強く引かれた。
思わず素っ頓狂な悲鳴を上げて引力の主に抗議するも止まらない。
はあはあと息を荒げながら何かを追いかけているようだ。
「ほわわ!?あっ…ちょ…っ、ま、まって!どうしたの?!」
「みつけたんだ!」
「みつけた?…それって………っうわ!?」
眉をひそめながらもついていくと、やがて急に立ち止まってつんのめる。
なかなか強靭な木にぶつかりそうになったところでようやくきちんと周りを見ることができた。
「ほら、いたよ。おいかけてたつよそうなの!」
「強そうなの…って、ちょっと………これは流石に、まずいんじゃ…!?」
嬉々として指差す彼の先にいたのは、お腹をすかせ、ティーゼたちという恰好の餌を見つけてしまった…イノシシだった。