外史の欠片   作:犬山わんこ

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第4話

 熱を出して伏した後、思わぬ事実を知り自らの立場がいかに危ういか気が付いた日より、純一は精神的な圧迫のせいかそれとも、幼児たる身体のせいかわからないが発熱を繰り返すようになっていた。

 その都度、昼夜を問わず医者が呼ばれ、治療を受けるという日々が続き、ようやく体調が安定し落ち着きを見せたのは、すっかり外から聞こえてくる鳥の囀りも賑やかとなった春先の事となった。

 

 それ以来母の過保護ぶりは益々拍車がかかり、最早片時ですら目を離す事さえ無くなっていったが、純一にとっては今把握できる限りでは家の中で唯一の信用できる人となっていたので精神的にも非常に助かっていた。

 だが、万が一、母と何らかの形で離れたときに危険が及べば自分は何もできずに骸になるしかない現状に不安を覚え、幼いこの身で一朝一夕に守る術を得られるわけもなく、何とか母に事情を伝え対策を練るしかないと思ってはいたが、一体自分は何処まで話したものか判断が付かず困り果てていた。

 

(前世がありますとか、唐突に言い出したら大変なことになるかもしれない。う~ん、どうしたものか……)

 

 そもそも、現状を伝えるということは自分の置かれた状況を理解する頭を持っているという事になってしまう。こう言ってたと伝えるだけですら一歳前後の自分では可笑しい事にも関わらず、対策等と言い出したらそれは一歳児の行うことでは到底有りえない。

 考えれば考えるほど答えの出ない件に一旦区切りをつけ別の問題点を考察することにした。

 

(喋ってる言葉は粗方理解できるようになったけど、いざとなった時に喋れるんだろうか?)

 

 その日から純一はいざとなった時の為に涙ぐましい発声練習をし始めた。

「アーッ!イェイー!ウェー!」

 やはり、口に歯も生えそろっておらず声帯もまだまだ弱いのだろう、自分が頭で出そうとしてる言葉と実際に出せる言葉に祖語が生じた。

 

 今まではただ寝て、何かあるときだけ泣いたり呻いたりするだけで何とか意思を伝えていた純一だったが、それ以降暇を見つけては頭と身体の祖語を埋めるために一生懸命発声練習を繰り返した。

 だが、それは他人から見ると好意的に見てくれる母にしてみれば突然上げるようになった奇声を、可愛い我が子が一生懸命喋ろうとしている成長の証として受け入れられたものの、それ以外の者は突如奇声を上げるようになった彼は熱を何度も出した後の事からおかしくなってしまったと認識されているとは純一自身全く思っていなかった。

 

 暫く、横たわりながら発声練習のみを繰り返していたが徐々に自分で寝返り等ができるようになって来た事がわかると今まで最大の屈辱であった排泄に対し、一刻でも早くなんとか自分でしようと思い立ち、ただ寝て声を出すだけの生活に飽きていた部分もあるが【二足歩行化計画】を己の中で打ち上げた。

 この計画は発声練習と同時進行とすることとし、彼の中で綿密な計画の下に己の足で用を足すをスローガンに掲げ開始する事とした。

 

 その後は、布団の上で入念に様々な状況を純一なりにシミュレートし、入念に自分の身体がどこまで動くかを調べるためにゴロゴロと転がりながら奇声を上げ続けた。

 

 本人は至って真面目な計画を立てそれに伴い徐々に進めているつもりだったが、端から見ていると本人は真面目にしているので一切の微笑みすらなく、むしろ鬼気迫る勢いの幼児が「アーッ!ウーッ!ヤー!」等と意味不明な奇声を叫びながらゴロゴロと転がり続ける様となり、ハッキリ言えば気持ち悪い存在となっていたが、親の欲目だろうか?彼の母はそんな姿を見ながら

 

「あらあら、うふふ、阿楊、可愛い可愛い私の阿楊」

 

 等と言いながらある程度練習を終え、ぐったりとして動かなくなった純一を抱き抱え頬に口づけを浴びせ続ける完全な親馬鹿ぶりを発揮していた。

 

 だが、そのような日々も終わりを告げようとしていた。

 純一なりに建てた綿密な計画により肉体は鍛え上げられ、脳内で何度も歩くイメージをし、満を持して挑戦する日が訪れたのは、部屋の中で動かずに座っているだけでもじっとりと汗が滲み出してきそうな夏に差し掛かった日の事だった。

 

 いつもなら、朝ご飯という名の授乳を受けた後、布団という名の小さき戦場では純一の鍛え上げられた肉体にとって枷にしかならず、更なる広い修練の場として与えられた部屋の床に降ろされたと同時にゴロゴロと全身を使い転がりまわりながら奇声を上げ続ける所だったが、今日の彼は違った。

 

 今彼は、床にべったりと尻をつけ短い脚をくの字に曲げ、てっとり早く言うと赤ちゃん座りをしたまま目を閉じていた。

 彼は、脳内でじっくりと自分の立ち上がり、そして歩きはじめる姿をイメージしながら集中力を高めていった。

 

 普段の行動と違う事に些か戸惑いを覚えながらも、いつも違う彼のまるで何かの儀式を行っているような厳かな姿に母は畏怖し、これから何かが起こるであろうと予感を覚え、息子のその今まで見たことの無い凛々しい顔に見とれていた。

 

 一体どれ程の時が経ったであろうか?純一の額からじわりじわりと滲み出た汗が粒となりポタリと落ちた時、窓から一陣の涼を運ぶ風が吹き込み、その時歴史が動いた。

 

(時は満ちた!)

 

 今まで静謐を感じさせた空気は一変し、躍動を感じさせた。

 純一は目を開き、全身に力を行きわたらせ床に手を付き、重いお尻を持ち上げ己の足でとうとう立ち上がった。

 フラフラと覚束ない脚だけで身体を支える事に成功したのち、若干よろめきながらも栄光への第一歩を踏み出した瞬間。

 

(うお!思ったより頭が重すぎる!くっ、なんというアンバランスすぎる機体だというのだ!)

 

 よろめきながらも諦めず、歩みだそうと前傾姿勢になったまま、重すぎる頭は重力に引かれるように鈍い音を立て床に突き刺さり、盛大にコケた。

 

「オ、オガガガッ」

 

 言葉にもならない呻き声を上げた純一は頭を床につっぷしたまま身体をくの字に曲げ止まったと思ったのも、束の間、そのまま横にゆっくりと倒れて行った。

 

 母は今自分の目の前で行われた出来事に茫然とし、今まで彼が一度もハイハイすらせずにいきなり立ち上がり歩こうとした事実に気が付くと、倒れこんだ彼を慌てて抱き抱え

 

「す、すごいわ阿楊!いきなり立ち上がるなんて!ハイハイすらする前に立ち上がるなんてうちの子は天才だわ!」

 

 そう言いながら抱きしめ、興奮冷めやらぬ様子で自分の息子を褒め称えていたが、抱き合う方で抱っこされたために、純一の目が暗く落ち込んでいる事に気が付けなかった。

 

(ハイハイがあったな……。)

 

 それから暫くして、時折奇声を上げながら縦横無尽にハイハイで駆け回る赤子がいたとかいなかったとか…。

 後年、この話は彼が生まれた瞬間に立ち上がったという間違った情報が伝えられ、逸話として残ってしまうのはまた別の話。

 

 

 ハイハイができるようになり、純一の行動範囲が広がるにつれ今まで見えなかったものが見えるようになってきていた。

 主に、女性二人の使用人が自分の事を時折気持ちの悪い物として蔑んだ視線を向けつつも、その行動を監視している素振りを感じさせたり、程岳と呼ばれる男性使用人が女性の使用人と一定の距離を保って交流している等だった。

 

 自分なりに誰もいないときを見計らいブツブツと喋る練習をし、人の居る前で発声練習を繰り返してもう喋れるだろうと目途が立つと、母と話す機会を伺うようになっていたが残念ながら家には絶えず三人のうち誰かが居り、どこで聞いてるかわからない為に喋る事は出来なかった。

 

 最近は、家の中をある程度動けるようになった為、母の目を盗んではコッソリと部屋を出てフラフラと探検を繰り返し情報収集に励んでいたが、目下彼にとっての敵と確定している二人の女性使用人から更なる情報を聞き出すために隙さえあればそっと近寄って盗み聞きを繰り返していたが、ほとんど他愛もない雑談ばかりで純一にとって有益な情報は中々入手しえないでいた。

 ところが、ある時お茶を飲みながら二人の女性使用人が雑談してるところを発見しこっそりと盗み聞きをしていたところ

 

「…あのガキのどこが可愛いんだかさっぱりわからないわ、あんな奇声を上げる子供なんて気持ち悪いったらありゃしない、どう考えてもあれは気がふれてるとしか思えないわ…。」

 

 ひそひそと聞こえてくる話し声に、どうやら自分の発声練習は奇声を上げてると思われており、気持ち悪いという言葉に若干落ち込んだりもしたが再び他愛もない会話になった時を見計らいひっそりとその場を離れ、部屋に戻ると先ほどの事を思い出していた。

 

(発声練習が奇声と思われたのはショックだけど、気がふれてると思われるのはいいことかもしれない。アホの子と思われれば助かるんじゃないだろうか?)

 

 その日はその事をずっと考え続け、次の日から更におかしく見えるように前世の言葉を発しながら元気よくハイハイをすることにした。

 

『ヒャッフー!マンマミーア!ブーーーーン!』

『殿中でござる!殿中でござる!』

 

 思いつく限りの適当な言葉を叫びながらハイハイで動き回る純一、母はニコニコとしながらそれを見守っていたが、女性の使用人はその姿を初めて見た時は驚き、そして、そのまま幾日も続けていくと明らかに母が見てる目の前でも純一に対して侮蔑の視線をぶつけてくるようになり、その後、彼が何をしていても見られているという感覚が減り、明らかに監視が緩くなっていくのを感じていたが、ふと気が付くと別の視線を感じ、追ってみると程岳と呼ばれる男がじっと純一の事をこちらは監視というよりも観察してるように見受けられるようになり新たな危機を感じるようになった。

 

 それからも、母となんとか話す機会を伺ってはいたが二人きりになる好機は訪れず純一は悶々とした日々を辛抱強く待ち続けていた。

 この頃になると前世の知識が消えてしまう前に何とか保存しておかなければいけないと思い始め、時折母が使うであろう紙と筆を失敬しては平仮名と片仮名のみで書き込んでこっそりと隠す生活をしていた。

 時々、書いてる所を見つかったりもしたが見られたところで落書きとしか思われず母以外には呆れた表情で見られるのが関の山だった。

 母は当然の如く、疑う事を知らず純一の事を褒めていたが…。

 

 そうこうしているうちに、秋も深まり純一にとって念願の好機が訪れようとしていた。

 長きに渡る奉公の為、女性の使用人に一週間程の休暇を母が与える事になったのだ。

 純一の度重なる奇行のお蔭もあるせいか、アッサリと二人は喜び勇んで町へ行く支度を始めていた。

 程岳という男は何故か休暇を取らないようであったが女性二人を馬車で送るために初日は二人と共に町に向かい一晩過ぎて帰ってくるという計画だったが、これで完全に家に残るのは母子二人のみ、この機会を逃せば次は何時二人になれるかわからない。

 この頃になると純一は母に対して全幅の信頼を置くようになっており

 

(この人には話せるだけ話してみよう。前世の話もして、万が一、殺されるか、捨てられるかしても協力してもらわなければどうせ、変わらない。それに、ここまで育ててくれただけでも感謝しよう。) 

 

 全てを話す決心をした純一はその日からこれが最後かもしれないと、今までは若干気恥ずかしさと遠慮を感じていたのだが、すべてを捨て去りだだっ子のように甘えるようになっていった。

 

 とうとう、使用人達が出立する日が訪れた。

 空は生憎の雨模様で、朝からしとしとと降り続け、どことなく肌寒さを感じさせる日だった。

 

「木蘭様、ありがとうございます。7日後に帰ってまいりますので災禍無くお過ごしくださいませ。」

 

 そうきつい性格をした女性使用人が、目をくるくると待ちきれないとばかりにしながら言うと、後ろにいるもう一人も頭を下げた。

 

「ゆっくり、楽しんでらっしゃい。二人共いつも助かっているわ、ありがとう。」

 純一を抱き抱えながらそう言うと、若干手に力が入ってる事に純一は気が付いたがそれが何を意味するかまでは理解できなかった。

「木蘭様、申し訳ありませんが早く出立しないと道がぬかるんでしまうと思いますので、よろしいでしょうか?」

 肩が少し湿っている所を見ると外で馬車の用意をしていたのであろうことが容易に察せられる程岳の言葉に、母が軽く頷くと使用人たちはそれぞれ頭を下げて部屋から出て行った。

 暫くすると馬が嘶く声とガラガラと馬車が遠ざかっていく音がして、その後純一と母しかいない家の中はシンと静まり返った。

 馬車の音を確認する為に、軽く目を閉じた純一を母は眠いのだろうと思い、そっと布団の上に横たわらせ、離れようとした。

 純一は離れようとする母の袖をつかみ、驚き振り返るの母の目をじっと見つめ、初めて「母が理解できる言葉」で声をかけた。

 

「初めまして、母上。お話があります」

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