外史の欠片   作:犬山わんこ

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第5話

 外から聞こえてくる雨音が、やけに大きく感じる程、部屋の中は静まり返っており、初めて話しかけた純一はおずおずと母の顔を見てみると、そこには大きく目を見開き、美しい顔を固まらせた母は、まるで一つの芸術品のように見えた。

 驚くくのも無理はないと、一旦目を伏せ軽く瞑りもう一度、意を決し呼びかけてみた。

 

「母上……ぇぇえええ?」

 

 再び呼びかけたと同時に視線を上げた純一の目に飛び込んできたのは、母が気を失いゆっくりと崩れるように倒れこんでくる姿だった。

「ぐぎゃっ」

 潰れた蛙のような声を上げ、純一は倒れこんでくる母の下敷きとなった。

 何やら、口から出てはいけないものが出たような感覚がした後に、気が遠くなっていったが、さすがにこれで死ぬわけにはいかないと気力を振り絞り、ハイハイで鍛え上げた技術を駆使して、命からがらなんとか母の下から這いずりだす事に成功し、ホッと一息ついた。

 

 純一は倒れこんだ母を心配し、覗き込んで確認してみると呼吸をきちんとしており大事ないと安心したが、今回は偶々布団の上で助かったがこれが布団の上でなければ大参事になったかもしれないと思い至り恐怖せざる得なかった。

 

(あ、あぶなかった。さすがにこれで死んでいたら洒落にならなかった。確かに!美少女と布団の上で死ぬのは本望だけれども!だけど!)

 

 若干混乱気味し、馬鹿な事を考えてしまった純一だったが、本来の目的を思い出し、気絶している母の頬を紅葉のような小さい自分の手でペチペチと叩き出した。

「う、う~ん。」

 目を覚ました母は最初ぼーっとしていたが、純一が頬に手を当てているのを認識すると、上半身をお越してかっさらうように純一を抱き上げ、興奮しながら喋り始めた。

 

「阿楊聞いて!夢を見たのよ!阿楊が母上って言ってくれたの!可愛い声で母上ですって、うふふ。何時かそんな風に読んでもらえるのよね?うふふ、でも、貴方にはまだ小さいからゆっくりでいいのよ?……は、は、う、え。さあさあ、一緒に…は、は、う、え…あ、でも木蘭でもいいわね、キャー!阿楊に木蘭なんて呼ばれたらどうしましょう?キャー!…も・く・ら・ん」

 

 完全に舞い上がり支離滅裂な言動を繰り返す母にどうやって収集をつければわからず、何となく純一は言われた通りに答えてしまった。

「木蘭さん……?」

 言い終えると、再び母が固まってしまったが、このまま気絶されてはたまったものではないと純一は母の頭にチョップをいれて声をかけた。

「母上、落ち着いて下さいませ。」

 極めて冷静な声でそう言うと、母は口をパクパクとさせながら「これは夢ね…」等とぶつぶつと言い始めた。

 

(ま、まぁ、生まれて一度も単語すら言った事のない赤子がいきなり流暢に喋ったら驚くよな……)

 

 「母上、夢ではありません。冷静に聞いてくださいね?実は僕、ずいぶんと前から喋れ…ウワァー!」

 

 状況を説明しようとしている途中でいきなり覚醒した母は純一を抱き抱えたまま物凄い勢いで部屋を飛び出し、更に家の玄関を通り外に連れ出していた。

 実はこれが純一の初めての屋外進出となるのだが、家に続く小道以外は鬱蒼と生い茂る木しかなく、この家が人里離れて森の中にぽつんとあるのを初めて知り、そして初めての外出は非常にスリリングなものとなっていた。

 

 抱き抱えられたまま、目まぐるしく流れていく木々と激しく揺れ動く振動により、飛んでしまいそうになる意識を必死に繋ぎ止め、それすら限界を迎えようとした時に突如、母の暴走は止まり、そして

 

「ウチの子は天才だわぁあああ!」

 

 母は当たり一面に響き渡る程の声で叫ぶと、息を切らせ満足したように純一を見つめた。

 しとしとと雨が降る中、母に抱き抱えられ唖然とすると息子と、何かやり遂げたようなかをし満足気な母は暫くそのまま佇んでいたが、ふと

「ココはドコかしら…?」

 そんな事を言い出した母に、純一は冷静に応えた。

「とりあえず、家に帰り服を着替えましょう。」

 

 それから無言で雨にうたれながら家に戻り、服を着替えやっと一息つくと抱っこしようとする母を止め、お互い向かい合うように机を挟み椅子に座った。

「阿楊、何で喋ってるの?」

 今更ながらの質問だが、聞かずにいられない母に対し、純一はここが正念場だと意を決して事情を話し始めた。

 

「母上、実は喋るつもりはございませんでした。話せると判ったというか【コチラ】の言葉を理解したのは恐らく半年以上も前の事になるかと思います。」

 いまいち要領を得ない純一の言葉に

「……コチラ?…理解…?」

 ぶつぶつと呟きながら思案しはじめる母に、純一は更に言葉を重ねて行った。

 

「僕には前世、恐らく別の世界で生きた人の記憶がございます。」

 

 そこまで言うと、どのような反応をされるか怖くなり顔を俯かせてじっと床を見ていたが、母は何も言ってくれずこの状況に純一は耐えきれなくなり更に言葉を紡いだ。

 

「折角、僕を愛してくれ、育ててくれたのに騙すような事をしていてごめんなさい。でも!本当は、全てを隠して!楊として、僕は貴方の子供でいたかった!」

 

 喋っている最中に悲しくなりそして、今まで短い期間ではあったものの母が自分に向けてくれた笑顔、微笑み、言葉、色々な記憶が溢れてきて、純一はもう二度とそのような事がなくなる思うと涙が止まらなくなっていたが、そこで止まるわけには行かないと最後の言葉を続けた。

 

「僕は華珠という人に監視されているのを知りました。そして、使用人達に殺されそうになりました。僕はまだ自分を守る術を持ちません。せめて、後三年僕を守り育ててくれませんか?気持ち悪いと思うのなら母上の視界に入らぬように過ごします。もし、それすら嫌であるならばこの場で捨てるなり、殺すなりしてください。ここまで育ててくれ感謝こそすれ、恨むことはありません!母上、ご裁可を!」

 

 そこまで言い切った純一は、そのまま頭を深く下げ目を瞑ったまま審判の時を待っていた。

 すると、耳に入ってきたのは母の咽び泣くような声が聞こえて来た。

(自分が今まで育ててきた子供がこんな得体の知れない物だったら…くっ…生まれてきて……ごめんなさい………)

 

 頭を下げたまま手が千切れるほど固く握りしめ、記憶を持ったまま生まれてしまった自分の罪深さを実感していた。

 

「ふ、ふえ、ふえええん。阿楊に、阿楊に、嫌われた。ふ、ふぇえええん、捨てられちゃったよぉ」

 母が理解の出来ない言葉を言い出した、さすがに何かがおかしいと純一は頭を上げ、母の顔を見ると真っ赤な目から涙がとめどなく零れ落ち、まるでこの世の終わりというように声を上げて泣く母の姿があった。

 

「は、ははうえ!僕が捨てるのではなく、母が捨てるのですよ。」

 

 そう慌てて純一が言うと、母は泣きやみ、今言われたことを吟味するように考え始め、その後きょとんとしたような顔をし

 

「なんで私が阿楊を捨てないといけないの?」

 

 純一は自分の言ったことが伝わってなかったかともう一度口を開いた。

 

「ですから…僕が、前世の記憶があり「でも阿楊なんでしょ?」…そうですが…つまり、何が言いたいかというと僕は母上の子供ではないんです……。」

 

 母はビクンと身体を動かし、震えるような声で純一に問いかけた。

「阿楊は…私の子供じゃなかったの…?」

 そこまで言うと今度は身体を強張らせ、強い口調で詰問し始めた。

「私の子供を返しなさいっ!阿楊を返してっ!」

 

 どうやらかなり認識に祖語があるらしいと、純一は気が付きはじめてはいたが冷静にゆっくりと言葉を返し始めた。

「い、いえ、阿楊は僕です。身体は確かに母上に生んで頂いたのですが…僕には前世の記憶がありまして…。」

 

 そこまで言うと、母は今までの言葉を思い返し整理してるのだろうウンウンとうなり始めていたが、純一はそんな姿を見ながら受け入れて貰えないだろうなと再び落ち込み始めていた。

 結論が出たのか母がゆっくりと言葉を選びながら喋りだすと、純一は死刑判決を待つ囚人のような気持ちで耳を傾けた。

 

「えっと…。阿楊は、私の子供じゃなくて…別の世界?の記憶がある。だけど、私が生んだ阿楊なのよね…?」

 

 そこまで言うと確認するように鋭い視線を息子にぶつけた。

 

「はい、その通りです。母上…」

 

 緊張の為に、口一杯に溜まった唾をゴクリと飲み込みながら答えた純一に対して予想外の言葉を母が言いだした。

 

「凄い!凄いわ!阿楊!ウチの子は天才だわ!」

 

 興奮したようにはしゃぎ始めてしまった母に、最初何を言ってるかよくわからなかった純一だったが、満面の笑みを浮かべ褒め続ける母に唖然としてしまった。

 

「…気持ち悪いとか……こんな得体のしれないものをとか思わないのですか…?」

 

 母は純一の問いに対してキョトンとしたような顔をし、その後首をかしげ訝しむように純一を見ていたが、やや間を置いて納得したのか優しい口調で喋り始めた。

 

「あらあら、そういう事ね。阿楊は自分が他人と違うのが分かって相談も出来ずに怖かったのね。気づいてあげられなくてごめんなさい。捨てもしないし、殺すなんてもっての他だわ。三年と言わず、ずっと守ってあげるつもりよ。安心なさい。阿楊、貴方は私の子供だわ。可愛い可愛い私の阿楊。」

 

 そう言いながらそっと純一の頭に手を乗せると、ゆっくりと優しく撫で始めた。

 最初身体が強張ってしまった純一だったが、撫でてくれるその手の暖かさから母の愛が伝わってくるようで、徐々に今まで色々考え不安で凍ってしまった心が溶けて行くように感じ、再びポロポロと涙を零しはじめた。

 だが、その涙はそれまでの不安や悲しみと違い、嬉し涙であった事は言うまでも無く、純一は椅子から飛び降り

「母上ぇええええ!」

 そう叫びながら母に飛びつき、声を上げ甘えるように胸に顔を埋め、短い両手を母の首に回し、離すまいと必死に力を込めた。

 母の方も、そんな息子を抱きしめながら声を上げて泣きながら

「どんな貴方でも、私の愛しい子供よ。」

 何度も、何度も優しい言葉をかけながら二人は声が枯れるまで泣きながらお互い抱きしめ続けた。

 

 どれくらい泣いたかわらかない程になったとき、ふと母が一旦純一を離し、互いの顔が見えるようにし、嬉しそうな声で少し自慢するように

「阿楊、貴方さっき歩けたわね。うふふ、ウチの子は天才だわ」

 そう言った後再び、純一を自分の胸に押し包み抱こうとした時に、急に純一は気恥ずかしくなってしまい、耳まで真っ赤になり少し照れたように母から距離をとってしまったが、それを許すまいと力を込めて抱かれてしまい、母の胸に埋没してしまった。

 暫くそのまま二人とも動かずにいたが、母が少し寂しそうな声で語り始めた。

 

「不甲斐ない母でごめんなさいね…。阿楊が苦しんでいたのに気が付くこともできないで……。もう一度、華珠様のことを詳しく話してくれるかしら…?」

 

 純一を抱く力が弱まり、そのまま床に降り彼は再び母の正面にある椅子に座り、熱を出して母が医者を呼びに行った日の事を話し始めた。

 使用人たちが自分に向け、死んで欲しいと言ったときに母は顔を歪め怒りに打ち震え、華珠という人がその背後で指示を出しているとそして、それについて純一なりの推測で、自分たちは側室とその子供であり恐らく正妻であろう華珠という人物が、情報を得るために監視させ、邪魔になるようなら即座に監視から暗殺という手段に代わるのではないかという推測を伝えると母は鎮痛な面持ちで聞き、最後に自分が身を守る為に頭がおかしいフリをするところまで語った時に、母は泣き崩れた。

 小さな手で一生懸命、机に突っ伏し泣き崩れた母の頭を撫でていると顔を上げ寂しそうな微笑みを浮かべながら

 

「ごめんね、阿楊…でも、少し時間を頂戴…」

 

 悲しそうな声でそう言うと再び机に顔を伏せ、動かなくなってしまった。

 

 何と声をかけていいかわからない純一はそっと母から視線を外し、窓を見やると、先ほどまで降っていたはずの雨は止んでおり、弱々しい陽の光が部屋の中に入ってきていた。

 

(捨てられなくて良かった。受け入れて貰えたんだ。僕も母上を守らなくちゃ。)

 

 自分から見ても小柄で少女にしか見えない母の姿をじっと見つめ、受け入れて貰えた喜びと、新たな決意を胸に刻むと幼い身体は、ようやく安心したと言わんばかりに「グゥ」と腹の虫を鳴らせ、空腹を訴えた。

 

(お、おい!空気読め!俺の身体!)

 

 文句を自分の身体に言っていると、正面に座る母は何時の間に身体を起こしたのか

 

「あらあら、お腹が空いてしまったのね。昼餉の時間よね、さあ、ご飯にしましょう?」

 

 母は上着を捲り上げ、乳を与える準備を始めたが

 

「は、ははうえ!僕はもう乳は勘弁してください!歯も徐々に生えてきておりカユでお願いします!」

 

 顔を真っ赤にしながら今まで言いたくても言えなかった離乳宣言をあたふたとすると、母は寂しそうに

 

「もう……吸ってくれないのね…。」

 

 そう言いながら乳を仕舞い、立ち上がると台所の方へ歩いて行った。

 その背中はどんよりとした雰囲気を背負っており、そこまで乳を吸わせたかったのかと、純一は少し恐怖した。

 ようやっと、母乳からの卒業だと言葉って大事なんだなとしみじみと考えふけっていると、粥を入れた皿を乗せた盆を持ち、危なっかしい足取りで母が戻ってきた。

 恐らく不慣れなのだろう、やっとこさっとこ机に盆を置き、椅子に座った純一をヒョイと持ち上げ有無も言わさず自分の膝の上に乗せる形で抱っこしながら椅子に座ると

 

「あちちでちゅよ。阿楊があっちあっちしないようにフゥフゥしましょうねぇ。」

 そんな事を言いながら、甲斐甲斐しく純一の口元にこれでもかというほどふぅふぅした匙を出してくれた。

 本当は自分の力で食べたかった純一だったが、最早これだけは譲れないという鉄の意志が後ろの母からヒシヒシと伝わってきており諦めるしかなく、差し出された匙を口に含んだ。

 

「まずい…」

 

 つい、純一は思ったことをポロリと言ってしまうと、目の前にあった母が持つ匙は力無く落下して行き、後ろに座る母からこの日最大級の泣き声が上がり、純一は抱き抱えられたまま布団に連れて行かれ、強制的に添い寝をさせられることとなった。

 

(母とは言え、女心は難しい…)

 

 そう、心のうちでひっそりとごちると、空腹を抱えたまま母の機嫌が直るまでそっと横たわり、しみじみと反省する純一であった。

 

 

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