最初、彼は言われた言葉の意味がわからなかった。まったく予想もしない信じ難い答え。落ち着いてもう一度言われた言葉を頭の中で復唱してみて、その言葉の意味を理解する。今とんでもないことをサラリと言われたのだと。
「·····ゴブリンが5000以上?」
なんとか喘ぐように声を絞り出す。有り得ない·····有り得てはいけない。とてもではないが、すぐには信じられない事だった。
もし本当にゴブリンが5000もいたのなら、村や街などではとても対抗出来まい。鎧袖一触、あっという間に廃村、廃墟が出来上がるだろう。
それどころか都市すら陥落するだろうし、もしかしたら国家ですら滅びるレベルかもしれない。
それを束ねる長ともなれば、彼が今までに出会ったどんなゴブリンをも超えるに違いない。
(神はないな)
神はゴブリンスレイヤー達に祝福を与える味方の存在。ゴブリン達は祝福を受ける存在ではない。敵となるとやはり魔神か。ふと魔神皇帝という言葉が浮かぶが、そんな存在が実在するのかは知らない。
いったいどれだけの人間が殺され、女性達が犯され、泣き叫ぶ子供達が出るだろうか。いや、生き延びる者なとはいないかもしれない。
ゴブリンスレイヤーの脳裏に、知り合いの顔が次々に浮かぶ。辺境の街の組合の受付嬢の笑顔、冒険者達、街の皆、仲間の女神官、妖精弓手、蜥蜴僧侶、鉱人道士達の笑い声。そして最後に浮かぶのは牧場で彼の帰りを待っている幼馴染の笑顔。守りたい者達が消えていく光景を思い浮かべてしまう。
きっと彼が仲間に"5000を超えるゴブリンがいる場所がある"と告げたら、その顔は引き攣るどころか間違いなく凍りつくだろう。討伐することは不可能に近い。
彼の幼馴染が住む牧場を守る為に、辺境の街を根城にする多数の冒険者の力を借りた事があるが、その時でも相手は百を超える程度だ。それでも冒険者側に犠牲が出ている。5000を超えるゴブリン軍団など悪夢でしかない。しかもそれが村で暮らしているなどと告げても信じてくれないだろう。その村にいる自分だってそうなのだから。
「全てエンリ将軍閣下に忠誠を誓った者達です。オルク・ボルグ殿ご安心を」
この軍師の言葉に嘘はないのはわかる。少なくともここにいる三体のゴブリンが、将軍閣下と仰ぐ女村長へ忠誠を誓っているのは間違いがないように思えた。どう見てもただの村娘にしか見えないのだが、この若さで村長だ、将軍閣下だとか言われているのだ。見た目ではわからない何かがあるのは間違いない。
「安心していいよ。この村にいるゴブリンさん達は、ほとんどがアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下にいただいたアイテムで、エンリが召喚したものだからね」
村長の夫は笑顔でそう教えてくれた。だが、気になる部分がある。
(·····ゴブリンを召喚だと? 正気か? )
彼のいた場所で、ゴブリンを召喚するような、そんな存在がいたとすれば間違いなく悪である。悪でしかない。ふと魔神王や魔神将という存在が脳裏に浮かぶが、目の前にいる村長はとてもそうは見えない。どう見ても普通の村娘としか思えない。もちろん魔神皇帝でもないだろう。
「そうか」
受け入れ難い状況に、返す言葉が見つからずいつも以上にぶっきらぼうに答えてしまった。
「そうだ、ご飯にしましょうか。オルク・ボルグさんもお腹空いたでしょう?」
言われてみたら空腹を感じる。どれくらい寝ていたかはわからないが、最後に食事をとってからは、かなりの時間が過ぎているのは間違いない。何をするにしても食事は必要だろう。
「ああ」
「じゃあ着替えは置いてあるから、着替えたら食堂へ来てくださいね」
村長達はそう言って部屋を出ていく。そして、彼はふーっと息を吐き出した。
「着替えか……」
彼は普段は街中でも鎧を着込み、兜を被ったまま食事をとるのだが、さすがにあの村長夫婦の前では躊躇われる。普段はゴブリンの不意打ちに備えているのだが、ここのゴブリンは大丈夫な気がした。そして、そんな自分に苛立ちを感じる。
(チッ、ゴブリンを信じるというのか。有り得ない話だが、そもそも今の状況の方が有り得ないな)
実際襲うつもりならとっくに出来ていたし、そもそも治癒などしないだろう。そこは評価できるし、彼のゴブリンスレイヤー─―ゴブリンを殺す者──としての経験からも敵対者ではないと判断はできる。気持ちとしては複雑なのだが、心情と判断は別物だ。
それに本当に5000以上いるのなら、刺激することは避けたかった。さすがにこの戦力差は経験や知識でカバーできる範囲ではない。
悩んだ挙句、帯剣し鎖帷子までは着込む事にする。無防備すぎるのも問題だろう。兜は念の為脇に抱えて、彼は扉を開けた。
魔窟に入るような気持ちで。
◇◆◇
食事は滞りなく無事何事もなく終わり、現在オクル・ボルグを名乗るゴブリンスレイヤーは、兜までフル装備の上で、村長夫妻とともに村を巡回している。
巡回と言ったが、実際には村の案内を兼ねた食後の散歩といったのんびりしたものだ。もっとも彼は気楽とは真逆な思いだったが。ゴブリンが多数闊歩する村を気楽に歩けるわけがない。
しかも得体の知れない人物であるゴブリンスレイヤーを警戒してだろう。数人の屈強なゴブリンが村長夫妻の護衛についていた。
そのうちの一人が、先程も姿を見たジュゲムという名のゴブリンだ。その背には魔法の剣らしきものを背負っている。
「立派な剣だ」
感想を言ってみたら、村を襲ってきたトロールが持っていた剣だという。撃退後に、村長から隊長であるジュゲムに授けられたという話だった。
(·····ゴブリンに魔法の剣を与えるとは。俺は奪われてもいい剣にしているというのにな)
彼は自分が倒された時を常に考えている。だから、奪われても脅威にならない程度の装備しか身につけていない。主武器である中途半端な長さの剣は、武器屋に"ゴブリン退治くらいにしか使えない"と言われた程度の代物であり、奪われてもゴブリンの強化には繋がらない。
この剣の長さが半端なのは、狭いゴブリンの巣穴で振る事を前提にしているからだ。普通の剣の長さでは天井や壁に当たってしまい衝撃で武器を失う可能性がある。ゴブリンが多数いる巣穴で武器を失うという事が、どういう事になるかは想像がつくだろう。
実際問題として新人冒険者が、油断から武器を失い死亡する例はあるのだから。
それにして、もしここにいるゴブリンが悪しき存在だったら国など簡単に滅ぶだろう。
ゴブリンスレイヤーは、ここが自分がいた国ではなく、それどころか自分が知る世界ではない不思議な場所にいるような気がしてしまう。実際それは正解だろう。
(ゴブリンを数えきれないくらいに殺してきた俺に、平和なゴブリンを見せるか·····)
そして、ジュゲムだけではなく、一緒にいる聖騎士隊だというゴブリン。身につけている装備は立派だ。ただ、ゴブリンスレイヤーからすれば、ゴブリンの聖騎士というのが有り得ない話だった。神に仕えるゴブリンなどいてはいけない。
(·····笑えない冗談だ)
ゴブリンは奪う存在だというのが認識としてある。そもそも彼がゴブリンスレイヤーとなったのは、彼が奪われた側の人間からだ。彼の姉はゴブリンに殺された。そんなゴブリンに聖騎士や神官がいるのは有り得ないのだ。
この村も奪われた側だったと、村長の話からはわかっている。この村は、ゴブリンではなく、人に襲われ人に奪われた。そして、ゴブリンとともに戦い絆を深めたという。
なるほどと、彼は思う。前提条件がまったく異なるのだから対応差は仕方ないだろう。もっとも、村人の若い女性がゴブリンと親しげに話していたり、一緒に食事をしたりしている光景の方は、やはり彼にとっては有り得ない話であることに変わりはなかったが。
そんな中で、一人の少女がゴブリン達と遊んでいる事に気づく。
(頭がおかしくなりそうだ)
ゴブリンはゴブリンでも、彼の知るゴブリンとはもはや別物と言ってもよいだろう。独自の進化を遂げたゴブリンなのかもしれない。
(それにしても、人の数が少ないな)
先程から感じていたが、あまりにもゴブリンが多く、最早ゴブリンの村で人が暮らしているようなそんな気にすらなってしまう。
村長夫妻に聞けば、この村の人間は最近移住した人を含めても200に届くかどうかという事らしい。他にはオーガや、魔導王陛下の頼みで受け入れたドワーフ達がいるそうだが、大半はゴブリンが住民との事。
魔導国の首都であるエ・ランテルは、もっと多くの種族が平和に暮らす理想郷だという話だ。ドラゴンや、巨人族などもそこにはおり、ドラゴンが荷物を空輸し、巨人族が都市の清掃などを行っているらしい。
「信じられん」
彼はそう声をもらすのが精一杯だった。強大なドラゴンですら支配下であるならば、ゴブリンが従順なのも頷ける話だ。
村長夫妻から何度も名前が出るアインズ・ウール・ゴウン魔導王陛下。
(もしあの時に魔導王とやらがいてくれたら姉は·····)
たらればな話だが、ゴブリンと楽しそうに戯れる少女を見たらそんな思いにとらわれてしまうのは仕方ないだろう。
もし、この国で暮らしていたら姉は生きていたのではないかとも考えてしまうのだ。
「詮無き事だな」
兜の中でボソリと独り言ちるゴブリンスレイヤーであった。
※ゴブリン皇帝は、ラングリッサーに出てきたので引っ張ってきました。たぶんゴブリンスレイヤーには出てこないはず。
※魔神皇帝は、魔神王より上位的な感じで、なんとなくいそうだから。マジンカイザーと読んではいけません。