リンクはカカリコ村の宿屋で浅い眠りに就いていた。時折うめき声をあげ、身体をよじる。
彼の脳内では戦場が広がっていた。自分には過去の記憶がない。そうわかっているはずなのに、頭のなかに鮮明な記憶が浮かぶ。
身体は末端まで冴えわたっていた。すべてを為せる全能感にあふれていた。だが、戦況は悪い。
辺りは焦げた草花と、燻される魔物の醜悪な臭いばかりですっかり鼻はおかしくなっていた。黒い焼け野原が広がるのは、ガーディアンの光線のせいであった。
未だ冷めきらぬ熱が辺りを満たしており、熱気が肺を焼く。酸素さえ薄い、暑い、熱い空間。
辺りを見回すと、赤い目をしたガーディアンが無数にいるどころか、血気盛んにこちらへ向かってくる数々の魔物がいた。普段は縄張りの外から一歩も出ようとしない獣王ライネルまでもがこの戦地へ集い、総攻撃を仕掛けてきていた。リンクは満身創痍の状態であった。アイテムポーチに収容した予備の盾がすべて潰れ、予備の剣もまたすべて破壊されていた。傷ついて眠っていたマスターソードが蘇るのを待ち、ただその一本のみで次から次へと魔物を滅し続けていた。
リンクは、名も知らぬ金髪の女性の腕を引いていた。そして、リンクと女性を護り戦い続ける一人の青年を見た。
空中からのガーディアンのレーザー、歩行型のガーディアンのレーザーが絶え間なくリンクたちを狙い続けている。
それらの囮となるのは、リンクたちの背後を走る金髪の青年だ。
弓を的確にガーディアンの目へと命中させ、続けざまにボコブリンを一太刀で切り伏せる。休む間もなくライネルの吐く炎玉を横っ飛びで避けた後、切迫して大剣を片手で軽々と振り回す。前足を折り、頭を落としたライネルにそれ以上の攻撃を加えず、青年はリンク達の後を追い、敵の集中攻撃を一身に集め続ける。
どれほどガーディアンを滅ぼそうとも、次から次へと湧き出てきた。戦えぬ女性を導き続けるリンクは、すぐ傍の敵こそ切り伏せることはできたが、遠方からの敵は背後の青年に頼るしかない状況であった。
女性の白い高価な服はすっかり泥と砂にまみれてみるに堪えないものになっている。懸命に足を動かす女性だが、リンクの速さについてこれず何度も足を躓かせた。リンクはその度に強く引っ張り、走らせ続けた。立ち止まれば、それすなわち死に直結することがわかっていたからだ。
盾でレーザーを弾き、右側のガーディアンから撃たれる赤い光線を回転切りで逸らす。その隙にガーディアンへと素早く切り込みにかかったリンクは決め手に欠ける、と歯噛みした。接近してマスターソードで斬ることができればよかったが、女性を放置することはできない。
突如横をすり抜けていった何本もの矢がガーディアンの赤い目へと吸い込まれていく。迷いなく放たれたその矢は、距離を計算し尽されており放物線を描いて綺麗にガーディアンの瞳へと中(あた)る。一朝一夕の鍛錬ではここまでの精度は得られない。射られたガーディアンはぶすぶすと黒い煙をあげて爆発した。
「リンク!」
女性が叫ぶ。痛ましいほどのその女性の声は、リンクが目覚めたときの声とよく似ていたが、あまりにも違って聞こえた。
弾かれるようにリンクは振り返った。声と同時にリンクは女性を突き放した。振り返る刹那、レーザーの爆風の余波を受けて身体が宙を舞った。リンクはスローモーションに流れる世界のなか、しっかりとガーディアンを見据える。空中で身を捩るように回転させ、低い姿勢で地に着くや否や、獣の如き低姿勢で駆けだした。女性は後ろから敵を殲滅していた青年に保護されている。視界の端でそれを確認しつつ、リンクはそのままガーディアンを切り上げた。
さっきまではリンクが女性を護る役であった。ここからは、自分が身を削って戦おう。
迫りくるライネルの巨大な剣を寸のところで避けると、いつものように視界がゆっくりと動き出す。頭部を目掛けて何太刀も剣を振り回す。鈍いライネルの咆哮が耳の奥で聞こえる。まるで自分以外のすべてのものがゆっくりと動いているかのように、集中しきったリンクは無双状態で敵を切り伏せていった。
集中が切れたのは、普段は感情を荒げない青年の切羽詰まった声が聞こえたからだ。それがとても珍しいことだと、夢のなかのリンクは知っていた。
「姫様!! しゃがめ!!」
その声に反応するように、歩行型のガーディアンが離れた場所からレーザーを照準しつつ青年と、女性へと近づいていく。リンクは全体重を足へかけ、思い切りその方向へと駆けだした。
随分とゆっくりと、世界が見えた。金色の髪をたなびかせて振り返る女性。金髪の青年は空を見あげ、飛行型のガーディアンを見ながら無表情に呟く。
「悪く思うなよ、姫様」
荷のように女性を抱え、青年はその場を跳んだ。
短く小さな悲鳴をあげる女性を抱きながら、青年はレーザーを寸のところで躱す。身体をそれたレーザーは、地を焼き、熱風を巻き起こした。止まないレーザーを青年は女性を片手で軽々と抱いたまま盾で弾き、さらに迫りくるレーザー光を見ると、リンクが走りくるのにちらりと視線を寄越し、少しの間もなく的確に女性をリンクめがけて投げつけた。
リンクは両腕で女性を抱き留め、背中から転がる。思わず、苦悶の声が喉から漏れた。
目を開けると、青年の身体がレーザーで燃え上がっていた。
人一人を投げたことにより崩れた体勢の青年はガーディアンのレーザーを避けることが叶わなかったのだ。悲痛な女性の叫び声が聞こえる。腕のなかで聞こえたはずなのに、ずっと遠いところから聞こえた気がした。
「ルファ……!」
リンクは思わず叫んでいた。
腕を伸ばした状態で、リンクはベッドから身体を跳ね起こした。ぎしり、とベッドが揺れる。
酷い汗をかいていた。ねっとりとした脂汗を全身にかいており、荒い呼吸を繰り返す。
見覚えのない女性と、男性。リンクも男も、その女性を護るために戦っていたのだと思う。きっとその女性は、ゼルダ姫その人なのだろう。始まりの台地で何度もその声を聞いた。あの女性を助けるために、ハイラル全土へ平和をもたらすために、リンクは再び目覚めたのだ。
男の声も、つい最近聞いた気がする。どこで聞いたのだったか。
ああ、そうだ。祠で聞いた。
――起きろ、寝坊助。
――リンク、目を覚ませ。
――おはよう、寝坊助。
確かに、その男は祠にいた。リンクが目覚めるのを待っていた。夢うつつの記憶ゆえに確かではないが、信じられないほどの美貌の青年がやわらかな笑顔でリンクを見下ろしていたことを思い出す。
「ルファ……?」
確か、自分は青年にそう叫んでいた。
金髪碧眼のその青年と、リンクはきっととても親しい友人であったのだろう。記憶が不完全でも、心の奥底が激しく痛む。
自分はなにかとても大切な記憶をなくしてしまっているのだ、と記憶の断片を見ることで初めて思い至った。そのことがとても辛かった。
ないと知らなければ、何も感じなかった。だが、一度ないことに気づいてしまえば、胸にぽっかりと空いた喪失感が取り戻せ、と叫ぶ。
窓から差し込む陽光に目を細めたリンクは、着の身着のままインパのもとへと向かった。女性のこと、また、ルファという青年の話を聞くために。
屋敷の門番を務める男に会釈しながら、リンクは階段を駆け上がる。
インパの屋敷、入ってすぐの奥間。座布団を連ねた上に正座をした以前とまるで変わらない状態で、インパは瞳を閉じている。
「夢をみたんだ。―――――」
夢のなかの出来事を語り始めたリンクに、インパは深く頷きつつ聞き続ける。
リンクがすべてを語り終えると、ぎょろりとした瞳を大きく見開いた。
「おそらく其方が見たのはゼルダ姫様とルファで間違いないであろう。状況的にも、其方が回生の祠へ運ばれる前と一致しておる。
その場へ赴けば、もっと記憶を思い出すであろうが……其方は、姫様付の騎士じゃった故、各地へと赴いておる。きっとその場へ行けば、記憶も蘇るであろう」
インパのすぐ前に立つリンクは、己の考えが正しかったことを肯定されて密かに安堵していた。あの生々しい夢が記憶でなければ、なにを記憶といっていいのかわからなかったから。
「ゼルダ姫と……ルファ?」
「左様。ゼルダ姫様の声は其方も聞いておろう? ルファは其方の幼馴染じゃった。ルファも先日カカリコ村に訪れ、其方を迎えに行くと言っておったのじゃが、入れ違いになったようじゃのう」
やはり、祠で彼の姿を見たのは気のせいではなかったのだ。
「なぜ、彼は年を取っていないんだ?」
「うむ? あやつと会ったのか?」
皺の刻まれた表情が変わる。再び閉じられていた目がくわっと見開かれ、リンクは思わず仰け反った。
「……おそらく。祠で彼の姿を見た」
「なに?! そうじゃったか……其方も知っての通り、あやつは一度死んだ身である。あやつもまた女神に選ばれて、このハイラルを救うために再び旅に出たのじゃ。
しかし、其方と一度会っているのなら、何故ともにカカリコ村に顔を見せにこなんだのか……解せぬのう」
祠で見えたその姿は、リンクが起きると幻のように消えてしまった。
リンクを起こすためだけに目覚めたのだろうか。始まりの台地で出会ったハイラル王も、パラセールをリンクに授けたきり姿を見なくなった。ゼルダを頼む、と言葉を遺して。
きっと始まりの大地へ戻ったとしても、ハイラル王に会うことは叶わないのだろう。そんな確信があった。
ハイラル王は、何も知らぬリンクを始まりの台地から外へと連れ出し、ゼルダの救出へと向かわせることが目的だったとする。
ルファは、目覚めぬリンクを起こすことが目的だったのではなかろうか。その目的を果たし、消えていったのでは。
嫌だ、と頑是ない子どものように叫びだしそうになった。
もう2度と会えないなんて、嫌だ。
記憶はない。だが、リンクの心の奥底が叫ぶ。
「旅を続けていれば、ルファに会うこともあるであろう。力を合わせ、厄災ガノンを封じるのだ。あやつの力は今の其方にとって、必要なもの。同じハイラル騎士であったがゆえ、その剣技や身のこなしは其方の力となることであろう」
「会える、だろうか?」
「女神ハイリアの導きが必ずあるはずじゃ。また何かあればいつでも尋ねるとよい。ルファに会ったらわしからも伝えておこう」
「お願いします」
リンクが屋敷に入ってから、ずっと柱の陰で身を潜めていたパーヤは頬を紅潮させながらリンクを見送った。すっかり彼が出ていったのを確認してからパーヤが口を開く。
「……おばあ様、アルファ様はご無事なのですね」
「そのようじゃのう。祠で会った、と言っておったが、あやつは始まりの台地まで行ってくれておったのだな。茶の一つくらい出すというに、なぜリンクとともに村にこなんだのか」
ぶつぶつと不満げに呟くインパに「おばあさま」とパーヤがやわらかく呼びかける。
「きっとアルファ様なりのお考えがあるのでしょう。こうして勇者様と別行動をしていらっしゃることも。もしかしたら、アルファ様は当初の目的通り、プルア様のところへ向かってらっしゃるのかもしれません」
「なるほどのぅ。その可能性は高いであろうな。そうであれば、プルアから手紙がくるはずじゃ。楽しみにしておこうかのぅ」
なごやかに会話をしている2人は終ぞ気づかなかったが、2人はリンクの前で"アルファ"という名前を一度もだしていなかった。アルファ=ルファという変換が当たり前のように為されていたからである。
連絡の手段もなく、アルファとリンクが敵対していると知らないインパたちは、すっかりリンクがアルファと出会い、導かれてこの村へたどり着いたものだと思っていた。
インパはリンクが「ルファを祠で見た」と言っていたことからすっかり勘違いしてしまっていたのだ。が、実際にアルファがリンクと出会ったのは、始まりの台地を出たところである。
リンクが夢で見たのは、金髪碧眼の青年であり、その青年は"ルファ"としか呼ばれていなかった。
アルファをルファ、と略すのは昔からアルファのことを知る人間だけであり、初対面の者はアルファの愛称をアルと思うことが多い。何の知識もないリンクは、夢で見た金髪碧眼の"ルファ"と青髪の青年"アルファ"が同一人物であるとインパとの会話で確信を持つにいたることはなかった。
シーカー族の口布をつけ、リンクを襲ってきた"アルファ"のことを、彼はインパに話さなかった。己の弱みを見せることが嫌いな性格は、記憶を失えども変わらなかったのだ。シーカー族と関与しているかもしれない、と考えるとなおさらリンクは相談することなど選択しない。
こうして、リンクが記憶を取り戻したにも関わらず、アルファとリンクは敵対したままの状態が続いてしまうこととなった。
リンクは四神獣を解放するため、たった一人でカカリコ村を発つ。とりあえずの目的地をハテノ古代研究所へと定めて。
***
カカリコ村の住人であれば、腰にシーカーストーンを帯びた青年が伝説の勇者であるとすぐに紐づけられる。幼い頃から寝物語に伝説の勇者の話を聞くからだ。しかし、厄災から100年。勇者どころか長きにわたり人々のために厄災を封じる王家の姫のことすらも知らず、のうのうと生きるハイリア人は多い。
長い黒のローブを身に纏い、目深にフードを被ったその女は、目の前を走りすぎた青年が伝説の勇者であると一目見て判断できた。事前に知っていたわけではない。ただ、強靭な魂の輝きが、その特別な瞳には映っていたからだ。
「綺麗な運命の糸」
澄んだ声色でぼそりと呟く。それを聞く者はおらず、女自身も誰かに聞かせようと意図したことではない。
宿屋から出ていった青年は、特に荷物を持ち込んではいない。数日観察しているが、連れがいるようでもない。
当てが外れてしまったな、と女性は旅立ちのために身支度を進めていた。
「おひめさま~あ~そ~ぼっ!」
勇者と同じくカカリコ村の宿に宿泊していた女に、可愛らしい女児が訪れる。宿屋の主人――オリベーもプリコが言うお姫様というのが誰であるのか、すっかりわかっていた。にこにことフードの女へと視線を注いでいる。
女性は失せ物探しがとても得意だった。不思議な力でなくなった物を探してくれる彼女を訪ねて、宿屋はいつも人にあふれていた。それ以外でも彼女を訪ねてくる人は多く、オリベーもよく彼女に助けてもらっていた。今となっては、村人皆がこの女性が少しでも長くこの村に滞在してくれれば、と願っていた。
「いいよ。遊ぼっか」
静かながらよく通る声がやわらかく響く。
片時も外すことがないフードの中身を見たことがあるのは、プリコとココナの2人だけだ。強風でフードが捲れ、たまたま見ることができたようだ。
女性は旅の者にしては長いことカカリコ村に滞在しているが、オリベーは彼女の顔を見たことがない。カカリコ村の住人たちは、怪しげなフードの女を当初こそ訝しんだ。しかし今ではすっかり子どもたちの遊び相手をしてくれる善良な旅人だと認識している。口さがない者はどれほど酷い顔をしているのか、と悪意に満ちた噂話をしていたが、プリコが連日彼女のことをお姫さま、お姫さまと慕うのを見ていればそんな話もすっかりされなくなった。
ココナとプリコの父であるドゥランが、あの旅の女性はどんな顔をしているのかと訪ねたとき、2人は口を揃えて言った。お姫さまみたい! と。きらきら輝く長い金色の髪に、青い瞳をしているそうだ。
女性は日中子どもたちと遊ぶか、村のなかを興味深そうに歩いてまわるくらいで、遠出するといっても近くの森へと足を運ぶくらいであった。
若い女性どおし盛り上がる話もあるようで、ラズリとは立ち話に花を咲かせることもある。内気なパーヤも、屋敷から出た際には宿屋に女性を訪ねてくる。しかしあの2人でさえも彼女の素顔は見たことがないらしい。
小さな女の子に手を引かれ、宿屋から出てきた女性に「あっ」と声をあげたのはパーヤだ。
「こんにちは」
顔こそ見えないが、穏やかな声色で女性は言う。
「こんにちは。今日もプリコと遊んでくれるんですね」
「わたしのほうが遊んで貰っているんですよ。ね?」
「そうだよ! プリコ、おひめさまとあそんであげてるの。おひめさまとあそぶのだーいすき!」
以前はアルファにべったりで、彼が出て行ってからというもの寂しそうだったプリコがすっかり笑顔になったことをパーヤはとても嬉しく思っていた。
「あのぅ……もしよかったら、なんですが。このままカカリコ村にお住みになりませんか?」
「わあ! ステキ! おひめさま、プリコたちといっしょにここでくらすの?」
誰彼構わず言うことではない。特にカカリコ村はシーカー族が集まってつくられた集落だ。よそ者にはそれなりに厳しい。村人たちの厳しい審査を女性は知らぬうちにくぐりぬけたのだ。
女性の一人旅は危険だ。見たところ美しい作りの弓くらいしか武器を持っていないようであるし、きっとそうした方が女性にとっても幸せなことなのでは。心からそう思って提案したパーヤに、女性は申し訳なさそうに頭を下げた。
「とても嬉しいのですが、わたしは探している方がいるんです。ここに来たのも占いでこの地にいるとでたからなのですが……少し遅かったようですね。もう一度占って、旅を続けることにいたします。ごめんなさいね、プリコ」
「……いいよ。おひめさまも、でてっちゃうんだよね」
「そうですね。わたしにも帰る場所がありますので、ずっとここにはいられません。ごめんなさい」
泣きだしそうになるプリコを抱き上げ、ぽんぽんと背中を叩いてあやす女性にパーヤは問いかけた。
この村のことを気に入ってくれているようだし、この提案に乗ってくれるのではないか、とパーヤは考えていた。それにしたって、小さな子どもの前で言ってしまったのはよくなかった。反省しつつ、自然暗い声になる。
「その人はどんな御方なんですか?」
「ふふ。金髪碧眼の、とてもとても綺麗な方です。誰に対してもとても優しくて、賢く、強い。まるで非の付け所がない御方なんですよ」
恋をしているのだ、とパーヤは直感した。いつも穏やかで優し気な彼女だが、いつになく華やいで見える。プリコはぎゅっと女性に抱き着き、女性はその背を休むことなく撫でてあやし続けている。
「そういえば、占い師をなさってるんでしたね」
「パーヤは占いに興味がおありですか?」
「ええ、もちろんです!」
勢い勇んでそう言い、パーヤは顔を赤くした。
「ご、ごめんなさい……」
「なにも謝ることではありませんよ。よかったら、なにか占ってみましょうか」
そう言われ、まず思い浮かんだのはパーヤの恋路についてであった。しかし、占わずとも先は知れている。静かな恋心が打ち砕かれることを予想し、パーヤは胸に秘めたままにした。代わりに、カカリコ村が待ち望み、ようやく訪れた勇者について尋ねる。
「リンクさんがこの先、ご無事に旅を続けられるか……というのでは、曖昧すぎますか?」
「いいえ。彼の姿は何度も見たことがありますから、問題ありませんよ。では、占ってみますね」
女性を中心として、くるくると風が吹き始める。長い黒いローブの裾を揺らしつつ、金の燐光のようなものが散る。
「彼の運命には女神ハイリアのご加護が感じられます――遣わされた大きな力――辛く苦しい試練はあれども――祠を巡り、力を蓄え――失われた記憶を取り戻し――囚われた4つの強靭な魂を解放すれば――願望為すこときっと叶う――」
ふわり、と浮かび上がったフードが外れる。癖のない長い金髪に、閉じられた瞳。すっと通った鼻筋に、薄く色づいた綺麗な唇。透けるように白い肌には1点のくすみもない。ゆっくりと目を開いたその女性は、切れ長のサファイアブルーの瞳をしていた。
なんて、綺麗な人だろう……!
高貴なオーラにあふれるその女性は、プリコを片手で抱きつつ、フードをもとに戻した。
「大丈夫、リンクさんの旅路は厳しいものになるでしょうが、大いなる女神のご加護が感じられます。心配はいりません」
どこからかやってきたこの女性は、神獣のことも、シーカーストーンのことも、祠のことも、勇者が記憶を失っていることも、何も知らないはずだ。シーカー族でさえすべての人間が知っていることではないのだ。
彼女は、本物の占い師だ。パーヤの背筋にぞくりと電気が走り、全身の肌が泡立つ。
「ほかに聞きたいことはございますか?」
「あっ、あの、いいえ……」
「そうですか。おかげさまでわたしも、知りたかったことが少し知れました。パーヤに言われねば、このことを占うことはなかったでしょう。ありがとうございます。これも女神ハイリアのお導きでしょうか」
先ほどの情報に、女性が求めるものがあったのだろうか。内心で小首を傾げつつも、口にはしていない、女性にしか見えなかったなにかがあったのだろうと納得しパーヤは頭を下げた。
「いいえ、こちらこそ……」
「プリコは、すっかり寝入ってしまいましたね。ドゥランさんのお家に連れて行ったらよろしいのかしら」
女性の腕のなかですやすやと健やかな寝息を立てるプリコは今にも涎を垂らしそうなほどの爆睡だ。
「あっ。ココナに渡したいものもあるので、よかったら私が」
パーヤはそう言い、女性からプリコを預かった。
「ありがとうございます。それでは、カカリコ村を発ちます。パーヤにも本当にお世話になりました」
「えっ……もう、ですか? あの。私こそ、たくさんお話ができて嬉しかったです。どうぞお気をつけて」
訳も分からぬまま頭を下げるパーヤは、事態の急展開についていけなかった。こんなにもあっさりと出ていくとは思っていなかったのだ。
「ありがとうございます」
優雅に一礼した女性が、日課の散歩でもするように歩き去っていく。しかしその先は、カカリコ村の出口だ。
背に弓と矢筒を背負い、荷物少なく静かに去っていく彼女をパーヤはただただ見送った。