俺は誰だ。――アルファ・グラディウス。
俺は、何者だ。――元騎士で、100年を経て蘇った存在だ。
何故、蘇った。――勇者を導くためだと思う。
記憶の欠損はあるか。――自覚はない。だが、知りもしない、あり得ぬ光景が色鮮やかに浮かぶときがある。
食べ物をすべて残らず吐き出すと、体内の異物感はなくなった。
夜半を越えても眠気はない。眠る必要も感じない。いつもならば頭の奥底に靄がかかったような鈍さを覚えるのだが、それもない。思考は冴えわたり、力が有り余るかのようだ。
アルファの周囲では凍てついた空気が広がり、足元の草を白く凍らせている。抑えきれぬほどの力が身体の奥底からよどみなくあふれ出てきて、体内に留めることができないのだ。それは良質な眠りから覚めた朝のような、心地よさにも似た充実感だ。先ほど吐いたとは思えぬほどに好調であった。食物こそが、己の身体に異物であったのだと、余計なものであったのだと身体が訴える。人は食事をとらねば死ぬ。睡眠せねば死ぬ。水を飲まねば死ぬ。そのはずだ。だから吐いて調子がよくなるなど、酒や毒を煽ったのでもなければあり得ぬはずなのに。唐突に食事を受け付けなくなった身体に疑問を覚える。
左から右へと腕を振る。氷柱状の氷が勢いよく、地面と水平に飛んでゆき大木にカンッと高い音を立てて突き刺さった。ちらちらと宙を舞う落ち葉が葉先から白く変色し、凍る。もう一度同様に腕を振ると、三本の氷柱がそれぞれの方向へと飛び出してゆく。アルファから漂う青白い冷気は未だとどまらない。魔力が飽和しているようだ。
トンミとニルヴァーには悪いことをした。礼すら言えぬままに去ってしまったのだ。だが、このあふれ出る女神の力を押さえないことには彼女らのもとへ戻ることもできなかった。
短く髪を切りそろえたすらりとした体躯の金髪の女が、片膝をついて首を垂れている様を思い出した。思い出した、と言っていいのかわからないのだが、如実に記憶として現れた。まるで覚えのない光景ながら、それは己の記憶なのだと不思議と確信していた。廃りの気配を露とも見せぬ白亜の王城を背景に、豪奢な噴水の前でその女性は片膝をついていた。その身体の正面にいたのは、おそらく己なのだろう。一騎士でしかないアルファが人に傅かれることなどないことだし、女性の顔に見覚えがありすぎた。若き日のインパの姿にそっくりであったのだ。
違う、と痛烈に叫んだのは心なのか、身体なのか。何が違うのかもわからぬなか、激しい違和感で臓腑が軋み、耐えきれぬ吐き気を催した。
逃げるようにその場を後にしてからは、ハイリアの力が安定せずあふれ出す今の状況が続いている。
アルファはリンクと違い、記憶を欠損しているわけではない。そう心から思っていた。
己の名前はしっかりと思い出せるし、100年前の出来事は昨日のように思い出せる。精神世界(サイレン)での出来事だって。4人の英傑のことも忘れていないし、シーカー族の人たちのことも忘れていない。忘れた自覚などないというのに、何故こんなにも収まりがつかないのだろう。そりゃあ、100年前のあの日、何を食べたのかだなんて聞かれても答えられないが、それとこれとは話が違う。そんなことが思い出せぬと違和感を感じているのではないのだ。
大きな出来事、積み重なった小さな出来事。それらはアルファをアルファたらしめる要因と言える。
記憶にあるはずがないのに、記憶であるかのように脳内に残された"これ"は一体なんだ。
人を形作るのは、記憶であり、経験であり、感情であろう。そして、そうあろうとする精神――魂のすべて。
そのどれもが欠損したとき、人はその人を"その人"だとは認識しなくなるに違いない。他人の空似とすら思うだろう。
他人の空似――記憶に出てきたインパにそっくりな女性もまた、他人の空似なのだろうか。それともアルファが脳内で作り出した存在でしかないのだろうか。精神的に安定しないから、ハイリアの力もまた安定しないのか。混沌とする脳内。考えれば考えるほどにこんがらがっていく。
もう明け方に近く、徐々に辺りは明るくなってきている。
アルファに近づくスタルボコブリンは凍って砕けた。眠りから覚めたボコブリンは凍り付いたままだ。
目をつむり、何度か深い呼吸を繰り返す。ただただ呼吸にだけ意識を集中させて、アルファは浮かんでくる雑念を流し続けた。様々な考え事、不安な心、周囲の音がアルファの意識をかき乱そうとしてきたが、右から左へとそれらを流し、ただ呼吸に集中する。
ゆっくりと目を開くと、冷気は収まっていた。未だ爪先はぼんやりと淡く光を帯びていたが、じきに収まるだろう。
何かを忘れている気がする。そんな思いは常に心の片隅にあった。だから、何をするにも不安が付きまとった。ありもしない不安におびえるような性格ではなかったために問題とはなり得なかったが、その不安感を常に携えて旅を続けてきた。人と触れ合うとその不安は鳴りを潜めたものだから、アルファは100年前よりも好んで人との関わりを持とうとしていた。
何を忘れているのか、と考えても答えは出てこない。もしかすると、思い出したくない類のものなのかもしれない。思い出してはいけない類のものなのかもしれない。
己は何者だ。湧き上がってきたのはやはり同じ問いかけで、先ほどの答えでは十分ではないのだと推察する。
東の方向へと幽鬼のように足を進めながら、アルファは絶えず思考していた。
一昼夜、どころか二昼夜、三昼夜と足を進め続けるアルファの足取りに変化はない。食べ物も必要としなければ、睡眠も必要としない。
食事をとっていた時の方が不調を感じたと言っても過言ではない。睡眠とて、とろうと思えばとれるのだが、取る必要性を感じなかった。なにせ眠くもなければ不調も感じない。身体的な疲労もない。
敵を切り倒すのも、作業といって差し支えない。襲い掛かってくる敵がどこへ飛び込んでくるのか。どのような攻撃を仕掛けてくるのか。どれほどのHPを持っているのか。手に取るようにわかるのだ。最低限の回避動作を取る以外は、剣術の型の通りに剣を振るえばいいだけだ。当たりそうな攻撃は盾で弾き、遠距離の敵には氷柱を飛ばす。時間のかかりそうな大型魔物は、己が気配を消すことで敵に悟られないよう行動する。
ニゴウに跨るでもなく、ハテノ地方へと歩きたどり着いたとき、アルファは吹きすさぶ風に頬を打たれていることを自覚した。
考えることに飽き飽きしていた。考え事に没頭するあまり、雨に打たれても風に吹かれても気づくことなく行軍していたようだ。
人間、一つのことばかり考え続けることはできない。一つのことだけを考えるような脳の作りをしていない、とシーカー族でも指折りの賢者であるプルアが言っていた。そう言いながら、シーカー族の技術を研究し続けるプルアは、言っていることとやっていることが真逆のように思ったものだったが、当時のアルファは何も言わなかった。
ハテノ村は高低差の激しい風の街である。村の中には川も流れ、大型の風車も設置された自然の豊かな場所だ。100年前と様相が変わらない場所もあるのか、と感嘆しながら、アルファは村の中に足を踏み入れた。顔布をつけているせいか、村の門番らしき男性に訝し気に見られたが、会釈をすれば、不審な目をしつつも何も言わずに通してくれた。
己の記憶と違わぬ和やかなこの村は、アルファの心を静かに愛撫した。ハテノ村に家など構えていなかったが、故郷に帰ってきたかのような穏やかな心地になる。
道行く人に研究所の場所を聞くと、村からすこし離れた高台にあるという。村の大通りを突っ切り、ぐねぐねと曲がった高台をのぼってゆく。吹きすさぶ風が耳元でごうごうと音を立てる。纏った長衣がはたはたとたなびく。もともと人の少ない村であるが、村外れの高台となるとすっかり誰もいない。自然の音だけが鳴り響く大地をゆったりと踏みしめて、アルファはハテノ古代研究所を目指した。
プルアもインパに負けず劣らずの老婆になっているのだろう。いつもハイテンションでエネルギッシュに動き回っていた彼女が老婆になっている姿などまるで想像できないが、インパと同じように座布団に正座して笠でも被っているのかもしれない。
サイロのような長い筒状の塔に巻き付く螺旋階段。増設された木造りの平屋。もうもうと煙の立ち上る煙突。増設を繰り返し奇妙な外観となったハテノ古代研究所には、カカリコ村でも見受けられたカエルの道祖神が扉の上に祀られている。ここのカエル道祖神は奇妙な眼鏡をかけている。おそらくはプルアの仕業であろう。茶目っ気たっぷりの彼女がやりそうなことだ。
ノックの後扉を開くと、雑然と床に散らばる資料が。長机の前にちんまりとした少女が腰かけており、カエル道祖神とよく似た丸眼鏡をかけている。その奥の整然と並ぶ大量の書物棚の前には老齢の男性が立っており、二人とも入り口に立つアルファを注視している。
「なっ……!」
上半身を大きく後ろへのけぞらせ、かわいらしい声をあげたのは少女の方だ。
「嘘……嘘……嘘……嫌ぁあああああああああ!!!!!」
変質者と遭遇したかのように叫び声をあげた少女は椅子から飛び降り、奥に佇む老齢の男性の背後へと隠れた。
男性が軽く会釈をし、アルファもまたそれに倣う。
「おや……お変わりのない様子で。アルファさん」
「お前……いや、貴方はシモン……さん、か」
「シモンで結構ですよ。見た目こそ年を取りましたが、気持ちはあの頃と変わりません」
穏やかな口調に、きらきらとした眼差し。まだ少年の頃のシモンの顔が思い出される。
「所長、アルファさんですよ。あんなに会いたがっていたのに、どうされたのですか」
自身の背後に隠れる少女にシモンが言う。
「バカバカバカ! タイミングってもんがあるでしょ! もっと妙齢のレディに年齢を戻してから……っつっても古代炉の火は消えちゃってるし、照射の実験はまだ成功してないし……はぁ」
ぶつぶつと呟いた後、ひょっこりと男性の影から顔を出した少女が俯き加減でアルファの方へと近づいてくる。
「久しぶり……チェッキー!! なんてね」
恥じらい交じりに少女がそう言う。どういう意味かは知らないが、プルアがよくその言葉を言っていた。
老齢の男性となったシモンは、古代研究に従事していたことから、プルアの助手としてシーカー族から抜擢された。
プルアがどこにいったのかはわからないが、この少女がプルアと同じ口癖だということは、一緒に暮らしているのだろう。
「……この子は、プルア様の子どもだろうか?」
「むぅー! 失礼な! 誰との子だって言うのよ!」
シモンは先ほどこの少女のことを所長、と言った。まさか。
インパのように年老いているどころか、己よりも幼い存在になっているとは露とも想像しえなかった。
「プルア様……?」
「チェキチェキ! だーい正解! 会いたかったよー! ルファ」
胸に飛び込んできたその存在の軽いこと。勢いのままに抱き留めたが、ぐりぐりと己の胸に顔を押し付ける少女がプルアだと、分かってはいても納得がいかない。
困惑するアルファとは対照的に、すっかり吹っ切れたらしいプルアはアルファをぎゅっと抱きしめて離さない。
「本当に、心配したんだからね……。生きててよかった」
生きていた、というのも正しい表現かどうかはわからないが、こうして己が存在していることを心から喜んでくれる人がいるということに、アルファはこのハイラルにいることを許されたような気がしていた。何のために生きているのか。何のために生かされたのか。明確な答えはまだでないが、こうして存在することを喜んでくれる人のために生きているというのは間違いではないだろう。
「心配してくれてありがとう。プルア様」
わずかに微笑んだアルファを見あげたプルアは、一気に顔面を紅潮させた。
「ぅわっ……! 何、そっくりな別人?! 破壊度高すぎるってば。ルファが素直だし、しかも笑うなんて、空から槍でも落ちてくるんじゃないの?」
ぐいぐいと胸を押され、アルファは丁寧な仕草でプルアを床に下ろした。
「いろいろ聞きたいこともあるし、お茶でもしましょ。シモン、お茶!」
「はいはい」
プルアに手を引かれ、アルファは長机の前に設置された椅子に腰かける。ぴょこんと椅子に飛び乗ったプルアは、足が床に届いていない。ぶらぶらと足を揺らす様は、とても古代研究の第一人者には見えない。
つぶらな瞳がアルファの一挙一動を観察している、気がする。
「今までのこと、ぜーんぶ聞かせてもらうからね」
会話が苦手だったことを思い出す。中身のない己と会話する益のないことに人を付き合わせるのが申し訳なくて、必要最小限の会話しかしてこなかった。
益、不利益などというものではないのだ。同じ時間をともに歩み、会話を交わすことは、その会話の中身がなかったとしても、確かな絆として蓄積されていくものなのだ、とアルファは思い始めていた。
そして、その時間がとても尊いものだと感じられるようになった。
温かな湯気を立てる湯呑を盆に載せてシモンが戻ってくる。当然のようにアルファの前にもそれは置かれたが、静かにそれを眺めた後、プルアへと向きなおる。この場から立ち去るまで、アルファは湯呑に手をつけることはなかった。
***
相変わらず綺麗な顔してるわ、とプルアは既に何度思ったかしれない。
しんと静まった室内にシモンが茶をすする音だけが響く。聞いていないふりをしているが、シモンもまたアルファの声に耳を傾けていることは、プルアにはわかる。じっと目を閉じ、耳をすませている。
寡黙でありながら魅力を振りまいていたのはリンクだけではないのだ。騎士を辞めてから、プルアたちと生活をともにしていたアルファは、シモンの苦手な力仕事を進んで行うことが多かった。必要な素材の最終のために二人で旅に出ることもあった。シモンが密かにアルファに憧れていたことを、プルアはよく知っていたのだ。
プルアはアルファの発言を時系列順に並べなおし、疑問を覚えた部分を質問形式で問いかけていく。言葉足らずなことが多いアルファであるが、昔よりも会話をしようという心意気は育ったようで、うまく質問をすればきちんとした答えが返ってくる。根っここそ変わらないが、よくぞここまで変わったな、としみじみ感じるのであった。
コログの森で目覚め、カカリコ村でインパと会い、始まりの台地の道中でリンクと遭遇し、敵対する。それからここへとやってきた。ざっとそんな流れで間違いないだろう。
「リンクと鉢合わせしたら元も子もないんじゃない?」
「いや、徹夜で歩き続けてここまで来たのだし、それはないだろう」
「……まーた自分の身体をないがしろにして。あたしのベッドを貸してあげるから、今日はもう寝たら?」
「眠る必要を感じない」
「普通の人間は食事に睡眠は必須なの! ほら、とっとと寝る! 難しいことは全部あたしが考えとくから。おやすみ! チェッキー!」
乾いた喉を潤すために湯呑に手をつけ、その中身がほぼ空に近い状態になっていることに気づいた。アルファの湯呑は未だ手をつけられておらず、なみなみと茶が注がれている。
まだ立ち上がっていないアルファに「それ飲んでから」と付け足す。
「……すまない、飲みたくないんだ」
「好き嫌いなんてあった? お茶が嫌なら他のをだすけど」
「違う。おかしな記憶を思い出してからだろうか。わからないが、食物をとると身体が拒絶反応を起こすようになった」
飲めないこともないとは思うのだが、と言いながらも手をつけようとしない様子に、プルアは無理に薦めることをやめた。
死者が生き返るなど、通常はあり得ない。食物を受け付けなくなっているとアルファが言うのならば、きっとそれは間違いないのだろう。己の感覚に鈍感であるアルファが自己申告するくらいだから、きっと相当なことだ。
「調子が悪くなったらすぐに言ってね?」
「ああ。だが、長居するつもりはない。リンクに会いに行かないと」
「……そのことだけどサ。わざわざ敵対しなくたってよかったんじゃないの?」
軽い口調で訊ねるが、プルアは本心から思っていた。あれほどまでに仲の良かった二人だったというのに。手と手を取り合って世界を救うのでは、いけなかったのだろうか。
アルファが決めたことだし、過去は変えられない。だが、余暇には必ずアルファのもとへ顔を見せていたリンクを想うと、彼にとってもアルファは大切な存在なのだったと確信できる。
なるほど、確かにリンクは負の感情を誰にも見せなかった。だが、それでもアルファの存在がリンクを救っていたことは間違いない。それだけではいけなかったのだろうか。
回生の祠についてもっと研究を進めていれば、このようなことにはならなかったのではないか。臓腑を焦がすような後悔がこみあげてくる。リンクが記憶をなくしていなければ、こうしてつらそうなアルファを見ることもなかっただろう。全員で手を取り合って、厄災ガノンを封じる策を考えることができたのでは、と悔やまれて仕方がないのだ。
「そうは言っても、リンクに戦う術を教え、己のフラストレーションをぶつける相手は必要だろう。敵であれば手加減なく剣を振るえる。ただの打ち合いよりもずっと効率は良い」
「……そうだろうけどさぁ」
青く長い髪、それに以前よりも深みを増した瞳の青。100年を経てもなお衰えぬ美貌でありながら、その表情には陰りが落ちていた。長い睫毛の下では海の底のように昏い青の瞳が静かに煌めく。
その瞳がプルアだけを写すことは今も昔もない。そのことに不満なんて覚えたことはなかった。自分だけが映ることはないが、自分以外だけが映ることもまたなかったから。ゼルダ姫でさえ、リンクでさえそうだった。だが今のアルファの瞳は、目には見えぬ勇者の影を追い続けていて、それがなんだか悲しかった。アルファが物事に執着するようになったのは、喜ばしいことだと思う。感情をみせるようになったこともまた、プルアにとって自分のことのようにうれしい。それでも置いていかれたような寂しさは消えず、プルアはそっと吐息をこぼした。
たくさん変わったところはあるが、自分をないがしろにする悪癖だけは消えないのね。
「ルファの形見だと思って、両手剣を置いてあったの。まだ持ちたくないかもしれないけど……持って行って」
壁際から静かに移動したシモンが引き出しから布に包まれた長い棒状のものを取り出す。紫色の布を机の上に置き、シモンが丁寧な手つきで布を広げていく。現れたのはアルファのためだけに改造を施された騎士の両手剣だ。黒塗りの剣は他の両手剣と変わらないながら、古代兵器への攻撃力増加の改造がプルアの手によって施されている。
立ち上がったアルファが複雑そうな顔をしながら片手でひょいと両手剣を持ち上げる。
やはり、まだあの時のことを引きずっているのだろう。アルファが王国騎士団を退団することとなった出来事だ。
リンクから簡単にしか聞いていないため詳しい事情はわからない。だが、話をしてくれたリンクもまた、あまり事情に詳しくなさそうであった。
アルファなりに大切に想っていた仲間から、お前は仲間ではないと面と向かって敵対されたらしい。陰湿ないじめのようなものにあっていたらしいが、リンクがそれを知ったのはアルファが騎士団を辞めたあとのことだという。
「……その馬鹿力も相変わらずね」
苦笑でこたえるその姿の、なんと珍しいことか。こんなにも素直に表情を変えることができるようになるだなんて、100年前じゃ想像もできなかった。感情豊かに表情を浮かべるアルファに、プルアは静かに見惚れた。
「いろいろとありがとう、プルア様。シモン」
「顔を出して早々に出ていくなんて、ほんと人情味のない弟子だわ! 次はもっとゆっくり滞在できるように来なさい」
「ああ、必ず」
剣と一緒に保管していた鞘にそれを仕舞い、アルファは背に括り付ける。見慣れた彼の姿であった。
ぺこりと頭を下げたアルファがプルアたちに背を向ける。その背中が昔よりも一回り細くなったような気がして、プルアは声をかけた。
「忘れないで。あたしたちはいつだってルファの味方よ。何の用事がなくても、来てくれたらうれしいわ。いつだって相談に乗るよ! ……リンクと和解したら、絶対報告しにきてね」
背を向けたまま頷いたアルファが静かに扉から出ていく。ぱたん、と軽い音を立てて閉じた扉をプルアとシモンはしばらく眺めていた。
「……お元気そうで、なによりでした」
渋い声色でシモンが言う。
「もっとゆっくりしていきゃいいのに」
「所長がいつになく静かだったから、ご遠慮されたのでは?」
「はぁぁぁぁああ? いつもうるさいって?!」
「そのようなことは申しておりません」
「マジあんた、見た目がこんなだからってナメてんでしょ!」
「そのようなことは思っておりません」
「キーーーーーーーー!!! はーらーがーたーつー!」
「そのようなことを申されましても」
いつも通りに騒がしくなったプルアはチェッキー! と決め台詞を言いながら、ピースサインでシモンの目つぶしにかかる。随分と高い位置にあるシモンの目にはかすりもしなかった。
穏やかな笑みを浮かべつつ、定位置へと戻っていくシモンにプルアは思わず笑みをこぼした。
床に引いた白い線。シモンの領域とプルアの領域を別けたものだ。その領域をシモンが侵すことはここ最近全くと言っていいほどになかったことだ。線が超えられたことを、なぜか今はくすぐったく思える。普段ならば激怒しているはずなのに。
何が違うのだろう。そう考え、プルアの頭脳はすぐに答えをはじき出した。アルファだ。リンクの傍らには常にアルファがいた。プルアのそばにシモンがいたように。その片割れをなくしたアルファがとても寂しそうに見えて、だからプルアはシモンの大切さを再認識したのだ。
「いつもありがとネ。シモン」
聞こえないようにぼそりと呟いたつもりだったが、二人しかおらず、機械も起動していない部屋ではしっかりとシモンの耳に届いたようで、彼は笑みを深めた。
「こちらこそ。所長」