ゾーラの里からおおよそ北の方向、ゾラ台地を抜けるとアッカレ大橋が見えてくる。ハイリア大橋と並び、大橋の名に恥じないハイラル屈指の石橋である。
長い橋脚が3本等間隔に並び、橋脚と橋脚の間にはアーチが描かれている。嘆かわしいことに、橋脚の1本は破損していたが、高台通しを繋ぐ大橋はいまもなお立派にその役目を果たす。
空に高々と輝く三日月が雄大な石橋をぼんやりと浮かびあげている。
白い断崖絶壁方面へ進めばラネール、赤土の方向はアッカレ地方にオルディンと、わかりやすい目安となっている。どんな方向音痴でもアッカレ大橋まで戻れば方角が掴めるというものだ。
アッカレ地方の中心となっていたのは、ハイラル兵の集うアッカレ砦だ。砦の南部には練兵場が作られ、ハイラル兵が日夜修練に勤しんでいた。
時にはハイラル兵とハイラル騎士団との親睦を深める、という建前で手合わせも行われ、互いがもつ不満や嫉妬をぶつけ合う場にもなっていた。それにより軋轢が深まった者が少なからずいるのが実情だ。
今もなお戦禍の爪痕が残るこの地で、アルファの戦友が命を落としたと聞いた。友などと軽々しく呼んでよいものなのか関係性に迷いつつもアルファはそうであれと願いを込めてそう呼ぶ。
馬宿で調達した酒を弔いに捧げるため、アルファはゴロンの里への道中にアッカレ方面へと進んだ。
懐かしさと、胸を握り潰されるような物悲しさを抱きながらアッカレ大橋を渡りきる。東の方角からなにやら激しい戦闘音がしてくる。誰かが襲われているようだ。
アルファは気持ちを切り替え、アイテムポーチから取り出した無心の大剣を抜く。
背に背負うのは、プルアから受け取った昔の愛剣。それは使わぬまま、パーヤから貰い受けた無心の大剣で対処する。
大剣となるとその重量から両手で使用することを想定されているが、アルファはあいも変わらず軽々と片手で大剣を振り回す。
モリブリンの蹴りを半身捻るだけで避け、怒涛の勢いで斬り付けていく。
ラッシュの最後、手の感覚で大剣が壊れることを悟りつつ、アルファは腹に力を込め、全力で身体を回転させてその力を剣に伝えた。確かな感触が腕に伝わる。パァン、と破裂音を立てつつ霧散する大剣は細やかな木屑となり、散った。それと同じく、モリブリンもまた黒い怨念の霧となって消えた。
旅人は呆気に取られた顔を始終さらしている。
「なんてことだ……! 強いんだな。こうもやすやすと魔物を屠る人を見たのは初めてだ。そうだ、礼がまだだったな。これを」
差し出されたのは燃えず薬で、オルディン地方に向かう予定であったアルファには、渡りに船であった。
暗闇のなか、真っ白いアルファの手が宙で戸惑う。
「いいのか?」
「助けてもらわねば、やられていただろう。命の代償には安すぎるが、もらってくれ」
「ありがとう。とても助かる」
「こちらこそだ」
アッカレ峠へ続いていた橋は壊れ、断たれていた。今はもう稼働することのないガーディアンが朽ちて苔むした状態で放置されている。世闇に溶け入るように、静かに佇むガーディアンはぴくりとも動かない。
「私はネルフェン。アッカレ砦を目指してここまで来たのだが、残念ながら橋が分断されているようだ。あなたも砦を見に来たのかい?」
「ハイラルの兵たちや騎士たちへの弔いでもと思ったのだが、そうか」
分断された橋を越えるくらいならば、力を使えばどうとでもなる。が、砦の周りには飛行型ガーディアンが絶えず巡回しており、あれに見つからずに砦へ向かうのは至難の技である。砦に巻きつくように作られた螺旋階段は、砦のうえに聳え立つ塔まで続いている。目映いサーチライトを地面へ照射しながら砦を巡回する飛行型ガーディアン。しつこく照準された嫌な記憶が蘇る。
「あなたもそうなのか! 私の先祖もここで死んだと聞いてな。一度は弔いをしたいと足を運んだのだが……。ガーディアンが動いているとなると、もはやここまでだな。あなたほどの強さなら、ガーディアンに立ち向かえるやもしれないが、もしも砦に向かうのなら、十分注意するんだぞ!」
「ありがとう。だが、この場で弔うことにするよ」
遠目から見ても、へどろのように塔にこびりつく厄災ガノンの怨念が暗がりにぬらぬらと光り蠢いているのがわかる。
アルファは片膝をつき、アイテムポーチから一升瓶を取り出した。
昔は言葉を惜しんだ。だから誤解が生まれてしまったのだ。己が考えていることが少しくらいならば伝わるのではと、希望的観測で誤解は深まり、取り返しのつかないことになった。どれだけ億劫だろうと、アルファはあのとき言葉を尽くすべきであった。己の考えを伝えるべきであった。
随分と遅くなってしまったが、今ならばそれがわかる。
命を賭してハイラルを守った戦友たちへ、目を瞑り、両手を合わせて心のなかで語りかける。
騎士団を追い出された俺が、再びこの剣を持つことを不快に思う者もいるだろう。今日はお前たちと同じ騎士の誇りを使うことを赦してもらいにきた。
信じられないかもしれないが、俺は真に自分の気持ちに気づくことができた。このハイラルを愛している。護りたい、と。
激しい戦さ場だった。場所は違えど、ともにハイラルのために戦ったお前たちを誇りに思う。どうか安らかに眠ってくれ。傷ついた魂が回復したら、次は厄災の封じられた平和なハイラルに生を得て欲しい。
お前たちの無念、俺がすべて引き受けよう。微力ながら、俺も厄災封印のために全力を注ごう。
次にお前たちが生まれるとき、厄災の影など感じられぬ、平穏な美しいハイラルが広がっていることを約束する。
「なっ……あっ……ご、先祖さま?!」
ネルフェンの大声に、アルファは目を開けた。
ぼんやりと人影が宙に浮かんでいる。いくつも、いくつも。青くちらつく幽か火を纏い、白を基調とした兵装に身を包むハイラル兵と、そのなかにちらほらと交じる藍色の近衛服に身を包んだ騎士たち。幾人も列をなし、アルファたちを見下ろしていた。その顔ぶれはどれもこれも見知ったものであった。アルファは目を瞠り、ただただ驚愕をあらわにした。
『久しぶりだなぁ、ルファ。随分と変わったようだが、律儀なところは昔とまるで変わらねえな』
「フヌイユ……?」
『お前が呼ぶもんだから、せっかく寝入ってたっつーのに目が覚めちまったよ』
『違いない。懐かしい声に呼ばれたと思えば、随分と変わったものだ。お前を追い出した我らをも、弔ってくれるのだな』
「バージル……」
『俺たちは死にもう何もできないが……今もなお厄災を封じ続けているゼルダ姫を……。
お前を騎士団から追い出しておいてこんなことを頼むのは、都合がいいとわかっている。だが、騎士たらんと思うのならば、どうか姫さまを助けてくれ』
「ワトル、気に病まないでくれ。感情のない俺を信用ならなかったお前の気持ちはよくわかる。それに俺は、背中を預けるに値しない人間だった」
『だが、今は違うだろう? いや、当時だって、俺たちの心が狭かっただけで、そんなことはなかったんだろう。仲間がやられても取り乱さないのは、戦士としての美点だというのに、悪いようにしか捉えられなかった。
お前がいなくなってから、ずっと謝りたかった。
勇者と違い、付け入る隙がお前にはあったからな……随分と無感情に見えたんだ。だから、俺たちはいい大人の癖して僻み、寄ってたかってお前を追い出しちまった。どれほど後悔したことか』
「レックス、そんな風に思ってくれていたのか……。俺は、憎まれてるとばかり」
『俺たちがそう思わせてしまった。……どうか、俺たちを許してくれ』
『ルファが騎士団から抜けたって聞いて、ハイラル兵は喜んだもんだぜ? 騎士団に嫌気差した凄腕の騎士がこっちに入るってよ。まあ、お前はハイラル兵の誘いをすげなく断ったが』
『ルファは騎士団の人間だ。ハイラル兵になどならせるか』
『追い出した騎士団がよく言うぜ』
『何? あの時は共闘したが、今は一戦交えるのもやぶさかではないぞ』
『おうおういいぜ、修練場でも行くか?』
『よし、負けた方が連帯責任で砦の階段ダッシュ5本だからな』
『やめろ、お前たち。ルファが呆気に取られてる』
おぼろげに浮かぶ彼らの姿が徐々に薄れてゆく。時間とともに、山端に月が沈みつつある。
『なあ、ルファ。愚かな俺たちを許してくれるだろうか』
「許すもなにも、俺はお前たちを憎んでなどいない。お前たちが俺を憎んでいなかったように」
『ありがとう、ルファ。
どうか我らの分まで、このハイラルを愛してくれ。
あとな。ちょっと男前だからって、顔布なんかつけてイキってんじゃねーぞ。……なんてな。
姫さまを、頼んだぞ』
兵士、騎士たちは頼んだ、と口にし、消えてゆく。淡い光となって消えゆく彼らの一部が、アルファの背負う大剣に宿る。
『どうか我らも連れて行ってくれ。厄災を封じるとき、きっと力になろう』
アルファは言葉なく、万感の思いを込めて深く頷いた。
余韻に浸り、静かにその場に佇んでいたアルファは、瞑っていた瞳を開ける。隣に立つネルフェンがどこか泣きそうな顔でアルファを見つめていた。
「フヌイユは、私の先祖です。まさか一目でもお会いできるとは……。あなたは一体……。いえ、先祖を弔ってくれて、本当にありがとう」
「感謝されることではない」
アルファは本心からそう言った。だが、ネルフェンは大きく首を横に振る。
「私はこの場に立ち会うことができて、本当に良かった。やはり、砦に旅に出てよかった。ありがとう、ありがとう……ありがとう」
「末裔の貴方がいたからフヌイユは出てきてくれたのかもしれない。こちらこそ、ありがとう」
「……なんだ、男2人して感謝し合うっていうのは恥ずかしいものだな」
ネルフェンが照れ臭そうに頬を掻く。
「違いない。では、俺はオルディン地方に向かう」
「ああ。十分に気をつけてな。ルファさん」
きょとんとした面持ちで2度3度と瞬いたアルファは、やわらかく目を細めた。リンクと会うときのためにつけていた顔布を下げる。通気性に富んだシーカー族の口布は、つけていることを忘れるときがあるのだ。
「今更だが、俺はアルファだ。次に会ったとき、俺を覚えていたら今のようにルファと呼んでくれ」
朝陽が差し込むなか、歩き出したアルファの背中をネルフェンはずっと見送った。アルファが振り返ることは終ぞなく、すっかりその背中が見えなくなるまでずっと、ずっと見つめ続けた。
「ちょっと男前どころか……」
ネルフェンは思わず過去の戦士たちに遅ればせながらツッコミをいれたが、返ってくる声はない。
こみ上げてくるあくびを噛み殺し、目に浮いた涙を拭いながらネルフェンは仮眠を取るために野宿の支度を始めた。夜中じゅう起きていたせいで、目蓋が重い。いまにもひっつきそうな目蓋を持ち上げながら、ネルフェンは思った。
今日はいい夢が見れそうだ。願わくば、かの青年もよい夢を見ていますように、と。