ゼルダの伝説~アルファの軌跡~   作:サイスー

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メイソウ、ありし過去の日々

 表があれば、裏がある。

 輝かしく目立つ表があれば、薄汚れた目立たぬ裏がある。

 

 王家に仕える表の顔といえば、護衛騎士と言えよう。王を護り、姫を護り、圧倒的な力で英雄的に語られる存在だ。

 だが、裏の仕事を一手に引き受ける戦闘集団のことはまるで語られない。存在すら秘匿され、何を為しているのかなど民草にはまるでわからない。いや、存在していることを知っているなどと吹聴すれば、次の朝には喉元をかき切られた死体として見つかることであろう。徹底して隠匿された存在こそ、裏の存在である。

 

 彼らの仕事は、表ではとても出来ない汚れ仕事ばかりが回ってくる。政敵を殺すことなど日常茶飯事、諜報員として様々な地方に息を潜め、日々王家のために身を粉にして尽くしていた。人目に触れることは許されない。報われない業績をも厭わぬ忠誠心が求められる、過酷な職務であった。

 それでも、高い忠誠心を持ち得ていたのは、ひたすらに王族のカリスマ性が優れていたからだと言える。

 

 長らく王政が続けば、愚鈍な王が立つこととてままある。その王は、臆病であった。何も信用できず、何も為すことができず、ただ己のなかの不安や恐れといった負の感情ばかりが連なってゆき、爆発した。

 あまりの技術力に恐れをなした王は、シーカー族を排除しようとしたのだ。あれは、ざっと1万年ほど前の話になろうか。歴史書からはすっかりと消されてしまったが、シーカー族の書物にはしかと書き残され、秘匿されている。きっとイーガ団の書庫にも同等の書物が隠されているに違いない。

 我が身を粉にして尽くしてきた王族に裏切られ、シーカー族は真っ二つになってしまった。質素倹約に日々を営むシーカー族と、王族を滅ぼせとガノンへ忠誠心を抱いたイーガ団の二つだ。

 イーガ団がそれほどまでに王族を憎むようになったのは、ただ排除されたからではない。王家及び貴族たちがシーカー族に行わせてきた様々な悪事を、すべてシーカー族に押し付けた挙句、処刑しようとしたからだ。汚濁さえも飲み込んで王のために死んでこそ真の忠義。だなどと、身勝手な我儘が一族すべてに通用するはずがない。秘密裏に行われかけたその処刑は、シーカー族の密告により止められた。

 その魔の手から護るため、シーカー族の嘆願を受け入れて立ち上がったのは、二大公爵家が一つ、ドゥンケルハイト公爵家であった。闇のドゥンケルハイト、光のリヒトと二大公爵が揶揄されるようになったのも、1万年ほど前からと言われている。

 

 待て。何故俺はそのようなことを知っている?

 

 イーガ団の優れたカラクリ技術に危惧した王家が、技術を放棄させようとする。放棄したのがカカリコ村、しなかったのがイーガ団。イーガ団が王家から離反したのは、王家及び貴族がすべての悪事をシーカー族に押し付けて処刑しようとしたからではなかったか。

 

 激しい頭痛がする。よくわからない違和感を感じた。なにを以てそう思ったのだろうか。

 何が違う、どこが違う。

 ふ、と己にひざまずく若かりし頃のインパの姿が浮かぶ。主様、と自分を呼ぶインパ。

 

 俺の名は? アルファ。

 そうだそのはずだ。

 

 何故記憶のなかで、俺は違う名前で呼ばれているのだろうか。

 

『ルファ様』

 

『ルファ様』

 

『ルーファウス様』

 

 色鮮やかに頭に思い浮かんだのは、己がルーファウス・ドゥンケルハイト公爵として、ゼルダ姫と婚約を結んだときのことであった。

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 華やかな王都といえど、戦乱の兆しは見え始めている。神獣の発掘は進んでいるが、言いようのない不安感。活性化した魔物たちは様々な町や村へと押し寄せている。どこかそわそわと落ち着かない様子の民を安心させるためにも、王家は明るい話題を持ち出した。

 王女ゼルダが15の歳に、ハイラル王は愛娘の婚約を発表したのだ。

 その相手は、ハイラル国において貴族籍をいただくルーファウス・ドゥンケルハイト――貴族界を騒がせる美麗の貴公子である。

 早くして父を亡くしたルーファウスは、17の歳に公爵家を引き継いだ。過労が祟ったのか、穏やかな笑みこそ普段と変わらぬが、時折影の差したような笑みになることがあり、それもまたルーファウスの人気を高めていた。

 王女としての務めと割り切っているのか、ゼルダはその婚約に露とも反論はしなかった。ただ、近衛騎士である青年との距離が、今まで以上にあいたことを少女は物悲しく感じていた。

 

 細い金髪を背で一つにまとめた長身痩躯の青年。目を引く美しいサファイアの瞳に、すっと通った鼻筋に笑みを絶やさぬ形のよい唇。女神ハイリアの生まれ変わりではないかと噂されるほどに、男でありながら性別を関係なく人を魅了する美貌の持ち主である。美女と名高いゼルダとの婚約発表には、ハイラル中の男女が「あれには叶わない、お似合いだ」とハンカチを噛んだという。

 

 ハイラル国の貴族は、皆女神ハイリアの血を継いでいるといっても過言ではない。過去、王家の姫よりも女神ハイリアの血を色濃く継いだ巫女が貴族籍から誕生したこともあって、厄災ガノンの復活が近いと噂される昨今では、封印の力に目覚めるはずの姫を躍起になってまくし立てているところだ。ハイラル王家に女は生まれている。ゼルダ姫その人だ。しかしながら、一番封印の力が目覚める可能性の高い王女ゼルダは、本人の努力も虚しく、15の歳を迎えても力に目覚めなかった。思い詰めた様子で城の窓から城下を眺めるゼルダにそっと寄り添うルーファウス、その2人の光景は、城で働く者ならばよく目にするものであった。

 

 大人の包容力でゼルダの悩みや不満、そそっかしいところや一つのことに集中すると周りが見えなくなるところまですべてを受け止めるルーファウスに、次第にゼルダは心を寄せていくのは必然のことであった。

 封印の力に目覚めなくとも、己が出来ることを、とゼルダは考古学を学びだした。ルーファウスは考古学に通ずる家系であったため、さらに2人の距離は縮まっていった。シーカー族の影の長、とまで言われるドゥンケルハイト公爵家は、闇に通ずる家系である。ハイラル王家の繁栄の裏には、数多の闇が隠されている。闇の一族であるシーカー族はその仕事ゆえに、簡単に消されてしまうことが多い。シーカー族が不利益を被らぬよう、大きな後ろ盾となっていたのがドゥンケルハイト公爵家である。それゆえ、シーカー族はドゥンケルハイト公爵家をよく慕い、王に仕えながらも心のなかの王はドゥンケルハイト公爵家であるとすら思っていたほどだ。

 若くしてシーカー族の長の立場についたインパは、女人でありながら優れた武技を有しており、すらりとした体躯の健康美溢れる美女であった。額に刻んだシーカー族の紋様すら、彼女の美貌を引き立てる。彼女は、足音を立てぬまま城の屋根を走り抜け、隠し扉から、城に軟禁状態にあるルーファウスのもとを訪れた。

 

 ドゥンケルハイト公爵領は、ハイラル城の位置する中央ハイラルから離れている。せっかく婚約したのだから、とハイラル王に強く勧められて当主であるルーファウスは現在ハイラル城に滞在しているが、公爵領の執務が滞っていようとも自領に返してもらえぬ今の状況は、軽い軟禁といって差し支えない。執政補佐官としての役職に加え、王女ゼルダに仕える任務を与えられたインパとしては、報告の相手であるルーファウスが近くにいてくれるのは楽であったが、主に不自由を強いる王家の傲慢さには腸が煮えくり返っているところだ。表では王国に仕える補佐官として仕えてはいるものの、シーカー族の長たるインパの本当の主はドゥンケルハイト公爵以外にあり得なかったのだ。

 

 与えられた部屋で書類に目を通すルーファウスのもとに音もなく現れたインパだが、彼は当たり前のように振り返った。インパの隠密行動はずば抜けている。魔物をふいうちで倒すことなど普段のことで、人にも気配を悟られぬ高い隠密性を常に保持していた。だが、彼には気づかれてしまう。計り知れない方である、と心のなかで改めて感嘆しながら、インパは口を開いた。

 

「ルーファウス様、お耳にいれたいことが」

「なんだい?」

「姫様の封印の力が目覚める気配がなく、ハイラル王はこのままだと婚約解消をせざるを得ない、とリヒト公爵家にこぼしておりました」

「なるほど。リヒト公爵家はハイラル王家との繋がりがうちよりも強い。うちとの繋がりを強めるためにも姫様との婚姻が一番だろうが……姫様に力が目覚めなかった時のための腹案だろうね」

「はっ。その通りかと思われます」

「それで。お前が本当に言いたいことは、なんだい?」

 

 窓から注ぐ陽光に太陽のような金髪がきらめき、いっそ眩しいほどであった。やわらかく微笑んではいるものの、碧い瞳はまっすぐにインパを見通しており、心のなかまで透けて見られているような心地になる。

 

「……姫様が、その会話を盗み聞きされていたのです。見ていられないほどに意気消沈なさっていて、ルーファウス様にお慰めいただけたら、と」

 

 多忙な主にお願いするような内容ではないとわかっていながらも、幼い頃から面倒をみてきたゼルダはインパにとって子も同然なほどに情が湧いてしまっていた。憎き王家の子でありながら、潔白な魂をもつゼルダをインパはどうしても憎み切れなかったのだ。

 サファイアの瞳を甘く細めたルーファウスは「構わないよ。報告ありがとう」と軽やかに席を立った。

 未だ幼さの残るゼルダと、落ち着きのあるルーファウスはとてもよい組み合わせである、とインパは思っていた。ハイラルの闇を知らず素直にまっすぐ育ったゼルダを、主はきっとそのままの状態でいさせることだろう。

 シーカー族の闇は、深い。その闇は、長の一族のみが刻む紋様からも現れる。血の涙を流す真(まこと)の瞳。

 暗殺に拷問、諜報活動から影での破壊工作まで、汚い仕事を一手に引き受けてきた一族だ。シーカー族の闇の深さは、語り得ないほどだ。過去の勇者でさえも、王家の命令とあらば拷問にかけたことがあるのだから。処刑場や地下牢を見れば、清廉潔白なだけの国でないことは一目瞭然であろう。秘密通路からしか行くことのできない地下には拷問所も存在している。シーカー族の長にだけ口伝でのみ伝えられる、ゲルド族への虐殺だってそうだ。

 我らの過ちを忘れてはならぬ。主がドゥンケルハイト公爵家を継いだときにその真実を伝えたのは、インパだ。

 ハイラル王家の繁栄のため、彼らの土地を追い、さらし首にし、さらには100年に1度しか男児が生まれぬよう呪いをかけた。厄災ガノンのもととなる魂は、ゲルド族に生まれた男児ガノンドロフであった。ガノンドロフの身内はことごとく惨たらしい死にざまを呈し、ガノンドロフ自身も拷問の後に衰弱死させられ、死体は逆さ吊りにされ、手足、首はバラバラに辱められた。厄災と化してまでハイラル王家を呪い続けるガノンの姿は、ハイラル王家の過ちを風化させるまいともがくゲルド族の首領の姿でもある。ゲルド族とて、ハイリア領土を侵そうとしたが、物事には限度というものがある。城下に住む民衆が、人道外れた所業であると、王家に対しての不満が高まったことがあった。当時、その悪しき歴史を隠ぺいするため、手を下したシーカー族は次々にハイラル王家の手下に殺されかけた。シーカー族は皆牢に入れられ、処罰を待つ身となったのだ。ゲルドを虐殺した貴様らなど、ハイリア人に非ず、と。

 命を下したハイラル王家はシーカー族にのうのうと濡れ衣を着せて玉座を温めているというのにだ。ドゥンケルハイト公爵家の後ろ盾がなければ、一族は口封じのために全員消されていたであろうことは間違いない。武技でどれほど秀でようが、時の権力というものには社会で生きる人間には敵わないものなのである。

 シーカー族はあの頃の所業も、ゲルド族の王家への恨みも、ドゥンケルハイト公爵家への恩も、すべて忘れない。

 全ての汚濁を包み隠さず打ち明けてもなお、シーカー族を庇護してくださる彼こそが只一人の主君であると、声には一生できぬがインパは心から思っている。

 

「では、姫様に連絡を差し上げて参ります」

「ああ。ご苦労さま」

 

 すべての闇を知り、なおも笑顔を浮かべ続けるルーファウスは、ドゥンケルハイト公爵にふさわしい御人である。そのような方に仕えることができて、本当に幸せだ。

 インパはゼルダが無事に封印の力に目覚め、主とゼルダが婚姻することができるよう女神へ祈った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

 

 ハンカチで目元をぬぐえどもぬぐえども、涙は止まる気配がない。どうすれば封印の力が目覚めるのだろうか。祈れども祈れども、力の気配すらわからない。

 それに、もしも婚約破棄になったならば、ルーファウスは誰と結婚するのだろうか。その様子を、自分は笑顔で祝うことができるのだろうか。

 胸がつくんと痛み、涙がさらに零れ落ちる。

 一人にしてほしい、と自室にこもったきり、涙を流し続けていたゼルダに扉越しに呼びかける声があった。

 

「姫様、ルーファウス様がお茶を一緒にどうか、と仰っておりました。どうなさいますか?」

 

 インパだ。ルーファウス様と繋がりのあるらしいインパは、ゼルダよりもずっと彼と親密そうな雰囲気を感じ取ることがあり、乙女心としては複雑な嫉妬心を抱いてしまうこともある。年齢的にもルーファウスとインパは釣り合っており、時折悲しくなる。

 

「えっ……! ルファ様?! ど、どうしましょう。日を、改めていただくことは……」

 

 婚約者であるルーファウスは公爵であるために多忙だ。暇を見つけてはゼルダに会いに来てくれるが、週に一度が精一杯なようだ。我慢しきれずゼルダから彼に会いに行っても、常に人に呼ばれているか、書類に目を通しているかである。彼自身の自由な時間は、もしかしたらないのかもしれない。そんな彼が来てくれたと聞き、もちろんうれしかった。だが、目が腫れているに違いない今でなくても、と恨めしく思ってしまう。

 

「明日より、ルーファウス様は一時的に自領へ戻られるそうです」

「う……いく、行くわ! すぐに支度をします」

 

 ハテール地方を領地に持つドゥンケルハイト公爵家の当主であるルーファウスが、常に王城にいてくれているのは王命の他ならない。多忙な彼を城に縛り付けてしまっているのは、ゼルダが我儘を言ってしまったからだ。中央ハイラルにある王城とハテール地方にある彼の屋敷は馬車を飛ばしても5日は掛かる距離がある。ルーファウスを初めて見たときから、ゼルダは彼に憧れを抱いていた。言葉を交わすようになり、さらに想いは募った。1秒でも長く彼のそばにいたい、と恥ずかしながらメイドにこぼしたのを、どうやら王に報告されていたようなのだ。父上としてはゼルダが、王の決めた婚約者に不満を抱いていないか心配で探りをいれただけなのだろうが、恋心からぽろりとこぼれた、公にするつもりなどなかった我儘が父上に伝わってしまい、恥ずかしいやら申し訳ないやらでベッドでばたばたと転げまわったものだ。

 公務ゆえに何度もルーファウスは帰りたそうにしていたが、あの手この手で彼を引き留めていたのは、父上である。

 それがこのタイミングで帰ることを許されたのは、ゼルダとの婚約解消話がでているからに他ならないだろう。

 せめてもの会って、ゼルダの気持ちを伝えておかなければ、後悔することになるかもしれない。

 急いでメイドを呼び、髪を整えてもらい、赤く腫れた目元に化粧を施してもらう。ドレスも着替え、精一杯のお洒落をして鏡台の前から立ち上がる。

 

「大丈夫? おかしくないかしら?」

「ええ。とっても美しいお姫様になりましたわ」

「ありがとう、メローヌ。行ってくるわ!」

「いってらっしゃいまし」

 

 王宮の中庭へ走ってゆく道中、兵士やメイドに執事たちが仕方がない姫だ、と苦笑しているのがわかったが、一秒でも早くルーファウスに会いたかった。

 鍛錬場ではリンクが剣を振るっており、姫とは思えぬ速度で走り抜けるゼルダに瞠目していた。彼の手に光るのは退魔の剣で、それを見ると胸が痛む。彼は勇者として立派に民から認められている。王からの覚えも高い。なんでも器用に卒なくこなす彼に対して嫌な感情を覚えてしまうのは、やはりゼルダが狭量であるからなのだろうか。醜い己は見たくないし、誰にも見せたくない。こんな想いを抱いている自分が恥ずかしくて仕方がない。なのに、どうしてこのような感情を覚えてしまうのだろうか。

 彼から目をそらし、ゼルダは中庭へと駆けた。

 

「ルファ様!」

 

 日向のもと、優雅に白いティーカップに口をつけていたルーファウスは、ゼルダの姿を認めて淡い笑みを深くした。

 男性に言うものではないかもしれないが、本当に綺麗な人だと思う。彼よりも綺麗な男性をゼルダは見たことがなかった。

 ナイト一族であり、近衛騎士であるリンクの美貌は場内城下でもよく知られていたが、ルーファウスという美貌の婚約者のいるゼルダからすれば、何も思うところはなかった。ルーファウスと違い、無口で、何でもできて、弱みの一つもない彼に若干の苦手意識さえあった。王の命令に忠実に従い、ゼルダの我儘を少しも聞き入れてくれないところも、余計に彼への苦手意識に繋がった。

 

「随分と急いでいらしてくれたのですね。インパが急かしましたか?」

「いいえ! 私がルファ様に早くお会いしたくて……! お忙しいのに、いつもありがとうございます」

「こちらこそ。姫様と過ごす時間は唯一の癒しですから」

 

 金色の睫毛に彩られたサファイアの瞳がきらきらと光ってゼルダをうつしている。甘い低音はメイドも魅了しており、ルーファウスと会うときはいつの間にかメイドの人だかりができているほどだ。彼はいつも自室に篭るか、重要な話をしているかなので、ゼルダと開けた場所でお茶会をするひと時は、下働きの者たちにとって彼の姿を見る貴重な機会でもあるのだ。

 

「あのっルファ様、ご領地にお戻りになるというのは本当なのでございますか?」

「はい。どうしても当主の手が必要な案件が立て込んでいるため、一時的に戻らせていただきます」

 

 戻る、と聞いて王城は本来ルーファウスが住まう場所ではないことを痛感する。彼にとっての帰る場所は、ゼルダと違い、ハテール地方にあるドゥンケルハイト公爵家なのだ。

 

「そうなのですね……。あ、あの……突然何を言い出すのかとお思いでしょうが、聞いてください」

「はい、お聞きしますよ」

 

 カップを静かに受け皿に戻し、ルーファウスは淡い笑みのままにゼルダを見つめる。

 

「あ、あの……その、ええっと……私は、ルファ様をお慕いしております! 婚約者だからとか、そういうのではなくて、ルファ様が……あっ、えっと、あの、その、変な意味じゃなくてっ……うーっ」

 

 口元を手で押さえたルーファウスはまなじりを下げ、珍しくも声をあげて笑い出した。

 

「お笑いにならないでくださいましっ! 酷いですわ!」

「どうやら姫様も婚約解消の話を聞いたみたいですね」

 

 未だ笑いの収まらぬ様子ながら、ルーファウスは言う。彼も知っているとは思わなかった。やはり、話は進んでいるのだ。恥ずかしかったが、己の気持ちを伝えておいてよかった。

 

「ご安心ください、姫様。姫様より魅力的な女性なんておりませんよ。こんなにも一生懸命に好意を伝えてくださるかわいい人を、どうして手放すことができましょうか」

 

 かあっと顔に熱が集中するのがわかった。

 

「ル、ルファ様……」

「たとえ封印の力に目覚めずとも、姫様が私を望んでくだされば、私は姫様とともにありましょう」

「も、勿体ないお言葉です……こんな、できそこないの姫に」

「姫様、口さがない者がそのように言っているのは、耳にします。ですが、貴女までもご自身を否定なさってはいけない。封印の力がなくとも、貴女は立派に王家の姫君です」

「……でも。近衛騎士の彼は、立派に退魔の剣に選ばれました。4人の英傑達も、神獣の扱いをすっかり心得て参りました。私だけ……私だけが、何の力を得ることもできていないのです」

「そのことを、彼らに責められでもしましたか?」

「いいえ! 一言も、そのようなことは申しておりません!」

「では、誰がそのようなことを」

「民が……王国に住まう民達は、私に、失望しているのでしょう。直接聞いたことはありませんが、そう思われても仕方のないことです」

 

 困ったように微笑みながら、ルーファウスはうつむくゼルダに優しく語り掛けた。

 

「私の姫様をこんなにも傷つけるだなんて。民達を罰しなければなりませんね」

「そ、そんなつもりでは……!」

「いいえ。このハイラル王国に住みながら、我らの姫をこれほどまでに傷つける。これは重罪ですよ。時代が違えば処刑は免れません。それが許されているのは、現王と姫様の優しさのためです。

 ねえ姫様。王家に生まれたから、とただそれだけの理由で重責を背負わされ、貴女はそのなかでよく頑張っていますよ。ですが、本当にお辛いのなら。今すぐにでもすべてを投げ捨てて私のところに来ますか?」

 

 差し出されたその手に縋りたくなった。心から。だけど、厳しい言葉のなかでもゼルダに期待してくれる父上や、やさしく付き添ってくれるウルボザ、きっとできると慰めてくれるミファー、必ず力に目覚めると信じてくれるダルケル、僕に任せておけばいいと重責を押し付けないリーバル、寡黙ながらも誠実に仕えてくれるリンクを想えば、もう少し頑張ってみたいと、そう思うのだった。

 逃げの道が示されて初めて、自分は頑張りたいのだと気づいた。

 

「ありがとうございます、ルファ様。私、頑張ってみます」

「うん? 私は本当に、貴女に手を取ってほしいと思っていたのですが……振られてしまったようですね」

 

 茶目っ気たっぷりに微笑む彼は、眩しいほどに美しかった。

 

「でも、考古学の勉強も続けたいと思います。きっと役に立つと思うから。引き続きご教授願います」

「もちろんですよ。ところで、護衛の騎士殿とは仲直りしましたか?」

 

 以前、護衛についてこなくてもよいと言った彼が後から追いかけてきて、つい辛く当たってしまったことを後悔している話をしたのだった。

 

「あ……、その。実は、その後彼に助けていただく機会があって、その時に謝罪ができました。なんでもできるように見えて、実はすこし……不器用な人にも見えます。

 退魔の剣に選ばれる前からなのですが、彼はとても優れた身体能力を持っているんです! ゴロンの岩を食べられるほどに健啖家ですので、シーカー族に伝わる虫と魔物を混ぜ合わせた料理で作った薬の臨床試験をしてもらうことにもなって。ルファ様は、ゴーゴーカエルってご存知ですか? あれに身体能力を向上させる成分が見つかりまして……」

 

 ゆっくりと瞬く宝石のような瞳が、ただまじまじとゼルダだけを見つめている。そのことにふと、我に返った。

 

「……あ、あの……すみません。つい、話しすぎてしまいました」

「姫様の話をお伺いするのはとても楽しいですよ。続けて下さい」

「え、と……その。仲直り、できました」

「おや。ゴーゴーカエルの話はお聞かせ願えないですか?」

「それはまた、後日にでも……」

「楽しみにしていますね。それにしても、護衛の騎士殿と仲直りをされて本当によかったです」

 

 ふ、とゼルダは思った。近衛騎士であるため、リンクと時間をともにすることは、ルーファウスとのそれよりもずっと多い。彼はゼルダのように嫉妬心を抱かないのだろうか。人間的な深みが違うといえばそれまでだが、どうしても気になって、自意識過剰と思われようが構わない、とゼルダは本人に尋ねてみることにした。

 

「ルファ様は、私がリンクと一緒にいて、何も感じませんか?」

「それはどういう意味で、ですか?」

「……嫉妬などは、なさらないのでしょうか。自意識過剰だとお思いになるでしょうが、私は、ルファ様がインパと一緒にいると胸が落ち着かなくなってしまうのです」

「ああ、なるほど。インパは昔から私に仕えてくれていますから、恋愛感情など湧きようもありませんよ。

 護衛の騎士殿は、私の代わりに大切な姫様を守ってくれているのですから、悪くなど思えるはずがありません。それになにより、姫様が真っすぐに私を慕ってくれていると思うからこそ、嫉妬心は芽生えないのでしょう。姫様を不安にさせてしまっているのは、私のせいですね」

「いえ! そんなつもりは……」

 

 確かに、その理論でいうならば、彼の心が違うところへ傾いてしまうかもしれないと、彼を信じ切れていないからこそ不安になるのだろう。彼に釣り合うだけの魅力をゼルダ自身が持っていないと思うからこそ。

 彼から愛の言葉を贈られたことは、まだない。しかし、たとえ送られたとしてもゼルダ自身がその言葉を信じ切れず、己に自信が持てないままであれば、きっとずっと不安は付きまとうのだろう。

 

「私に、自信がないから。だからきっと、不安になるのですね」

「姫様はとても魅力的な方ですよ。どうしてお気づきにならないのか、私には不思議でなりません」

 

 ゼルダよりもなお美しいルーファウスに言われても、何とも言い難い。政治的な能力が高いこともよく耳にするし、剣術でもそこそこの実力を持ち合わせていると聞く。彼を慕う人間は多く、人望も厚い。

 ふと、リンクもまた同じだと思った。彼とルーファウスはよく似ている。立場上関わりあうことがないが、もしも語り合う機会があったならば、きっと気の置けない友人となることだろう。ならばルーファウスのことは素直に称賛できるのに、どうしてリンクにはつらくあたってしまうのだろう。きっと、彼もまた、ゼルダのすべてを受け止めてくれるからだ。誰にも、何一つ文句をこぼさずに、しっかりとゼルダを受け止めてくれる。

 

「……すてきな人たちに恵まれている、という点では自信があります」

「そうですか。まずは一歩、踏み出せましたね。徐々にで大丈夫です。すこしずつ、ご自身を知って認めていけばよろしいのです」

「ルファ様、ありがとうございます。ルファ様とお話しすると、いつも心が晴れやかになります」

「そういっていただけると、とても嬉しいですよ。それでは、また明日、出立の前に顔を出させていただきますね」

「はい!」

 

 ルーファウスの傍に控えていた執事が、耳打ちしている。足早に去っていく彼は王城に入る間際一度振り返り、ゼルダに向かって手を挙げた。それに対して大きく手を振り返し、ゼルダもまた自室へと戻った。

 

 

 

 

 

***

 

 

 

 

 

「そうか、お前の占いでは厄災がよみがえる日は近い、と。それに間違いはないのだな?」

「ええ。女神からの神託がおりました。魔物は厄災の力によりその数を増やし、狩り切れぬ分は町近くにまで現れていると聞きます。もう、猶予はございません」

 

 きっぱりと言い切った金髪碧眼の女性は、まるい額にハイリアの紋様を刻んでいる。理知的に輝く碧眼は、鋭く研ぎ澄まされた刃のよう。ゆったりとした袖口を優雅に払い、知恵の泉の水を手に掬った。

 代々占い師を輩出する家系であるリヒト公爵家は、次女であるミーアが優れた能力を有しており、女神ハイリアの声を受け取るまでに成長した。

 才ある家系に生まれたミーアでありながら、女神の声を受け取る占い師となるまで成長するには、並々ならぬ努力が必要であった。

 寝る間を惜しんで泉へ通い、女神へと祈り続けた。公爵家の令嬢として最低限必要となる教養も、しかと身に着けた。

 当代の姫巫女は封印の力に目覚めない。だからこそ、もしかするとミーアにお鉢が回ってくる可能性がある。ゼルダとは年が近いこともあり、姫の話し相手として城に参上することがままあったため、笑顔の愛らしい努力家であることは知っている。しかしながら、ミーアはどうしてもゼルダを好きになることができなかった。

 その身に流れる血は、女神ハイリアに繋がるものであると断言できる。亡き王女様は女神ハイリアの声を聞いていた、というのだからその娘であるゼルダが力に目覚めないはずがない。

 ハイラル王国一の剣士を連れて、考古学の勉学のためとハイラル中を訪れるゼルダを見ていると、ミーアは心の底からいらだちを覚えるのであった。

 女神ハイリアは祈れ、とおっしゃっている。直接神の声を聞くミーアは、祈れと仰るハイリアの言葉そのままに、ゼルダ姫にお伝えした。一心不乱に祈り続けねば、力には目覚めない。ミーアとて、泣きながら祈った。食事を与えられず、冷たい泉のなかで一晩中祈らされて風邪を引いたことだってあった。眠っている間とて気は休まらず、寝食もおぼつかぬなか、ただひたすらに祈り続ける毎日であった。

 そんな思いを何ひとつせず、ぬくぬくと育てられて力に目覚めない、だなんて嘲笑しかでない。甘えるな、と一喝してやりたいほどだった。

 さらに腹が立つのは、敬愛する女神ハイリアと瓜二つの容姿を持つドゥンケルハイト公爵との婚約が決まったことだ。ドゥンケルハイト公爵の美貌は名高く、リヒト公爵家のミーアの占い師としての能力も城下にとどろくほどだ。自然、ドゥンケルハイト公爵は、同じ公爵家でもあるリヒト公爵家と婚約すると貴族たちの間では噂されていたし、ミーア自身もすっかりその心持になっていた。

 王家とつながりの深いリヒト公爵家とは違い、ドゥンケルハイト公爵家は、王家の闇と深いつながりを持つ。闇の手下を囲うドゥンケルハイト公爵家を王家につないでおくために、リヒト公爵家の娘を差し出す、と政治的な考えの下の婚約話であった。姉のナターシャは既に嫁いでいるため、きっとミーアが婚約するものだ、と公爵家の姉妹間でも盛り上がっていた。

 輝くばかりの美貌に、物腰柔らかな紳士である彼が婚約者。悪い気はしなかった。貴族の令嬢からの憧憬の眼差しが心地よかったほどだ。

 努力をして、占い師としての地位を手に入れて、素敵な婚約者を手に入れる。

 ミーアは厳しい家系ながらもリヒト公爵家に生まれてきて本当に良かったと思っていた。

 それなのに、だ。

 横から引っさらうように王女がそれを覆してきたのだ。そもそも、一人娘であるゼルダは、夫を取らねばならない。ドゥンケルハイト公爵その人であるルーファウス様が夫となれば、ドゥンケルハイト公爵家はどうなるというのだ。彼にはもちろん子などいないし、遠縁の者が家を継ぐのもおかしな話だ。

 家格でいえば、リヒト公爵からゼルダの婚約者が出されるはずだったが、生憎と一人息子であり、ミーアの弟であるヨシュアはまだ10歳になったばかりであった。2大公爵に婚約者を望めないとなると、次はぐっと家格が下がるも、侯爵家あたりで年頃の男がいたはずだ。今まさにミーアの婚約相手として名があがっている男でもよかったであろう。

 なぜ、ルーファウス様でなければならなかったのだ。

 なぜ、私のルーファウス様を奪うというのか。

 私の方が、力も優れているというのに。

 手の中で揺れる水面。指の間からするすると雫が零れ落ちてゆく。まるでミーアの失ったもののように、あっさりと。

 

「姫様が封印の力に目覚めるのは、いつなのだ」

 

 リヒト公爵が縋るようなまなざしをミーアへ向ける。実の父ではあるが、世界の滅亡を前にした人間は、どれもこれも同じように見えてしまう。誰も彼もがミーアに縋るような眼差しを向けてくる。老若男女、皆同じ瞳をしている。肉親でさえもその例からは外れないだなんて、随分と冷たい人間だ、と我が身を他人事のようにとらえつつ、ミーアは集中力を極限まで高めて、女神ハイリアへと心を開けた。

 神託を受けるには、このように乱れた心持ではいけない。女神は人非ざる存在であり、人の道理など通じぬのだから。

 口うるさく母親から言われていたことを思い出すも、ゼルダへの憎しみ、ルーファウスへの恋心はミーアのなかから完璧には消え去らなかった。

 それでも強い力で、父から聞かれたことを女神様へと問いかける。

 

「気高き女神、ハイリアよ。ゼルダ姫が封印の力に目覚める日を、お教えください」

 

 ――このままでは、封印の力が目覚めぬでしょう。

 

 頭のなかに直接響く、澄んだ女性の声。

 

 ――変えねばなりません。この世界を護るために……

 

「……女神様?」

 

 ぽつりとミーアが呟く。人気が感じられない。父は懇願するような眼差しをミーアに向けたまま、髪一筋すら揺らすことなく固まっている。音がしない。においもない。世界はぴたりと、呼吸を止めた。

 ぞくりと全身の肌が泡立つ。何が起きているのだろう。いつもと、違う。

 

 ――変えねばなりません。

 

 再び響く、ハイリアの声。それがどうにも空恐ろしく感じられるのはなぜなのだろうか。

 何を変えようというのだろうか。

 どうして世界はぴたりと動きを止めてしまったのだろうか。

 

 ――血の濃い器が必要です。……あら、この時代にこれほど血の濃い者がいようとは。

 

 頭のなかを盗み見られたような不快感。女神に対して想ってはならないことだと思いつつも、ミーアは静かに激怒した。

 ふと頭のなかに浮かび上がってきたのはルーファウス。彼との思い出が次から次へとアルバムのページを捲るように思い出されていくのであった。

 ミーアが意識してやっていることではなく、女神ハイリアが行っているのだろう。

 

「ルーファウス様……」

 

 ――彼ならば、もしや。

 

「ルーファウス様を、どうされるおつもりですか……!」

 

 ――この時代において唯一わたしの声を聞く者よ、案じなさらずともよいのです。

 

 自然、固い声になったミーアだが、女神ハイリアから感じられる声色は一切変わらなかった。

 

「何が……」

 

 言いかけたミーアは、白い波に呑まれるのを感じた。意識が混濁してゆき、やがて何も考えられなくなった。

 

 ――時よ、廻れ。

 

 

 

 

 

 

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