ハイラル平原の南西に架かるアクオ橋を渡る人間は少ない。
平原外れの馬宿に行きたくば、グリオー橋かテスタ橋を通って行くというのは、その辺りを旅する人間の常識だ。土地勘のない者がアクオ橋を渡ってしまうことがあるらしいが、その先にあるのは闘技場だけなのは一目瞭然。赤黒く物々しいガノンの怨念を感じ取り、回れ右をすることになる。
闘技場の天辺にでも登ることができたならば平原外れの馬宿を西側に見下ろすことができるだろうが、果たしてその景観を拝めるほどの実力者がこのハイラルに何人いるだろうか。
なにせ、闘技場のなかには多種多様な武器を持つ凶悪な魔物がわんさかと待ち構えている。
稀に腕に覚えのある若者が喜び勇んで闘技場への道筋を聞いてくるが、辞めておいた方がいい、とウドーは渋い顔で助言する。
ここ最近、嫌に魔物が活性化している。普段なら魔物の姿が見られないような場所にまでボコブリンやらリザルフォスが現れる次第だ。
夜回りついでに足を延ばして見に行った闘技場には、白銀のライネルが闊歩していた。魔物の王者とも言われるライネルは、離れていてもなおビリビリと肌を刺激するとてつもない威圧感に肝が冷えた。かなりの距離があったにも関わらず、こちらを伺うようなそぶりを見せていた。あの人馬型の化け物は素早い突進攻撃を得意としている。気づかれれば、あっという間に距離を詰められ嬲り殺しされること請け合いだ。命の危機を脱してからもしばらく宙を歩くような足元のおぼつかなさを感じた。
「リトの村に行きたいんだが……」
「ああ、その方向のテスタ橋を越えて、街道沿いに進めば北と南に道が分かれるんだ」
「そこを北に行けばいいんだな? なるほど、ありがとう」
「どういたしまして!」
馬宿近くをえっちらおっちら何気なく歩いていると声をかけられ、ウドーは快く道案内をする。
本来ならば道案内は、平原の馬宿の見習い従業員であるトロットの仕事であるが、この馬宿で滞在するついでに用心棒を引き受けたウドーは、自身の旅の経験を追加して周囲のことを案内できる馬宿のやり手従業員の働きを見せていた。さすがに衣服が違うため、旅人から従業員と間違われることはないが、ウドーは用心棒だというのにトレジャーハンターやら考古学者やらによく間違えられる。
ぴっちりと真ん中で分かれた前髪に黒ぶち眼鏡をかけたウドーは、その髪型と眼鏡ゆえに文系に見られがちだ。実際は細身ながらも締まった筋肉がついており、剣や盾はお飾りではない。
馬宿の主人であるインブリーに雇われてこの辺りの見回りや魔物退治をしているが、用心棒だけじゃ食うに困って旅人に向けて装備の売買も始めたのは、ここ最近のことである。
「ああ、ウドー! いってらっしゃい、頼んだよ。見回りのついでに旅人がいたら平原外れの馬宿を紹介してやっておくれよ」
大声でウドーに呼びかけるのは、恰幅の良い女性のムディだ。ムディはインブリーの妻であり、娘のハイトがはしゃぎまわっているのをとっ捕まえて馬宿へと帰らせた後、客がいないのを見計らって料理鍋の前にどっしりと鎮座して今日の夕食を作り始めた。
ウドーは片手を挙げてムディに応え、腰の曲がった老爺であるトーテツに馬宿のなかへ入るよう促す。
「外を見張るのはおれの仕事だ。インブリーに怒られてしまう。さ、早く中へ」
「わしとて若い頃は魔物の一匹や二匹くらい簡単に倒す実力だったんじゃが……老いには勝てんのう」
日が昇るよりも早くから馬宿前に立ち、トロットと一緒に旅人へ声掛けするトーテツは話好きの気の良い老人である。
王家の姫君が乗りこなしたと言われる白馬に並々ならぬ憧憬を抱いている。サルファの丘に白馬はいるらしいが、騎馬の心得のないウドーではトロットに白馬を持ってきて見せてやることはできない。
トロットは老齢のため動きこそ鈍いが、とても働き者の馬宿の従業員だ。
自由時間には豪奢な作りの、しかしながら年季を感じさせる鞍を丹念に磨いている。馬の番をするカンカンは瞳を輝かせてその様子を眺めているのだが、トーテツはその鞍を譲り渡す気はなさそうだ。
たまたま立ち寄ってインブリーから用心棒を頼まれ、魔物が活性化していることも相まって数日雇って貰えているが、平原外れの馬宿はとても居心地の良い職場と言えた。
街道沿いを歩きつつ、はぐれのボコブリンを撃退する。赤ボコブリンを危うげなく撃退したウドーは油断なく周囲を見回して、辺りに何の気配も感じられないことを確認してから剣をしまった。
時折現れる青ボコブリンや黒ボコブリンが群れのリーダーとなって人々を襲いだすことがある。そうなると、ウドーは闇雲にボコブリンへと突っ込むことはできず、戦い方を考えねばならない。そういった事態にならないためにも、毎日こつこつと街道を巡回して数の少ないうちに撃退しておくのが一番だ。
何事も地道にコツコツと。それが平穏への大切な一歩だ。
前方から燭台を掲げた旅人が歩いてくる。ぼんやりとした炎に照らされた顔は青白い。
「おーい、夜道は危険だ。近くに馬宿があるから寄ってかないか?」
「ああ……ありがたい。そうさせてもらう」
「道案内は必要か?」
「頼む」
ウドーと同じ年頃のその男は、近くで見てもなお血色の引いた顔色をしていた。尋常でない顔色が心配で付き添いを申し出たが、迷うことのない一本道だ。
人恋しかったらしいその旅人は、安堵したような表情を浮かべてウドーに話しかけてきた。
「あんたは学者さんかなにかか?」
「いや、用心棒をしている。そういうあんたは?」
「よい武器を仕入れるために、この辺りを旅してまわっているんだが……あんた、円筒状の崩れた建物を知ってるかい?」
「知ってるとも。昔々この辺りに闘技場があったが、今では魔物がすみつく廃墟と化しているんだ!
まあある意味今でも人と魔物との闘技場ってわけだ!
……ところで話は変わるがおれも最近は冒険のための装備を売って歩いてる。用心棒だけじゃ食っていけなくてね」
「用心棒の行きつく先はそうなるよな。わたしもだ」
年頃が近いことも相まって、話は随分と盛り上がった。やはり属性武器の売れ行きは良いだとか、大剣を仕入れても持ち歩くのが大変だとか。たまたま手に入れることができたロッドは、武器ではなく生活用品の一部として使われることが多いよな、などなど。
馬宿の灯りが見えてきたとき、ぽつりと男はこぼした。
「闘技場の跡地にな……白銀色をしたあのライネルに、人が跨ってたんだ。青い長い髪の女神と見まごう美貌の……あれは人だったのか……。いや、魔物を従える人なんているはずもない。忘れてくれ。
道案内、ありがとう」
ひらひらと手を振り、馬宿へと入っていくその背を眺めながらウドーはある噂を思い出していた。
あれはたしか、ハテール地方を旅していたときだったか。青い女神の噂がまことしやかに流れていた。その噂のどれもこれも良いものであり、青い女神の姿を見ることが叶えば幸運がもたらされる、と言われていたが。
似たような悪い噂は初めて聞いた。
「ライネルを乗りこなすなど……ありえないな!」
ウドーは一人ごちて、再び見回りに戻った。
***
静謐な霧に包まれた静かな森の奥。青々と茂る緑が浮世離れしたコログの森の奥で、幾重もの試練を越えてたどり着いた一人の青年が、トライフォースをあしらわれた石段の台座に突き刺さった退魔の剣を抜き取った。
剣を抜きしとき、剣にもまた持ち手は選ばれるという。100年の眠りで衰えた体力を見事取り戻した勇者は、蒼く光る剣を高々と天へ掲げた。
太古の女神が作りし、伝説の剣は刃こぼれひとつない状態で艶やかな光を放っている。大樹の枝葉の隙間から差し込む陽光を反射し、眩しいほどの輝きだ。
老木デクの樹はその様子を見守り、過去の様子を勇者に見せた。白衣を泥まみれにし、傷つきながらも決死の覚悟でここを訪れた姫巫女の姿を。
そして悠々と語る。
「今、主が見たは100年前のこの場所。その剣が主の手を離れハイラルの姫巫女によってこの地に運ばれたときの出来事よ。
あの娘は今もハイラル城で懸命に戦って居る。主が必ず来てくれると信じてな。
あの娘の笑顔、儂も今一度見てみたいものよ……。
そうじゃ、主にはもう一つ見せねばならぬ光景がある……」
リンクの意識は、再び霧に溶けた。
まったく同じ場所ではあるが、そこには誰の姿もない。リンクもまた姿なく意識のみが空に揺蕩っている。
剣に光はなく、ところどころが刃こぼれして、青い柄には無数の切り傷がついている。
ふ、と空から鱗粉のごとき光がマスターソードの傍らへと差し込む。雲の合間から差し込む一筋の陽光の如きその光は淡く人の形を浮びあがらせてゆき、蒼、白、赤、と光が分岐してゆき、やがて明瞭に人の形を為した。背ほどまでの長い深青の髪を高い位置で一つに結わえているすらりとした体躯の人間。
「ルファ……」
思わずリンクは呟いた。だが、その人影はなにも反応しない。
髪だけでなく、睫毛や透き通った瞳、服や耳飾りまですべてが青い。淡く光を発しているかと思われるほどの白さの手が、マスターソードの柄にかかる。すると、マスターソードのこぼれた刃先が聖なる輝きを放ちだした。歓喜の声をあげるがごとく、脈打ちながら輝き、こぼれた刃先がみるみるうちに修復してゆく。わずかに眉をひそめたその者は、しかしながらマスターソードへ力を注ぐことをやめない。一層集中した面持ちで柄へと手を触れ続ける。
しばらくすると、聖なる白い光を刀身から放つマスターソードは、すっかり傷がなくなり、力に満ち満ちていた。そして、碧い光が刀身からあふれだす。碧い光はそのままの色で少女の形をとった。つるりとしたボディは頭頂部から足先まですっかり青で、ショートカットの無表情のように見えるその少女は、地面に片膝をついて男へと向かい合う。
『力は満ち、傷は癒えました、アルファ様。まさか再びこうして自我を持つことが叶うとは』
「マスターソードも人の形をとるのか」
淡々とした声色ながら、わずかに目を見開いて、アルファは呟くように低い声を響かせた。
『不可思議なことを仰います。ファイは女神の剣ですので、遠回しな表現は理解できません』
不思議な声色で話す青い少女は、無表情のままに言う。
アルファは、それに頷いた。
「なんとも稀有な……マスターソードを治癒したか」
アルファはデクの樹を見あげ、優雅に騎士の礼をする。
「初めまして、俺はアルファ。会うのは初めてだが、デクの樹サマだろう?」
「おぬしは、治療の力を持つのか」
「ミファーみたいな癒しの力じゃない。女神ハイリアより授かった力を分け与えただけだ」
「ミファー……確か、ゾーラの英傑であったか。ガノンとの戦いで死したと聞いたが、知り合いであったか」
「おぬしから女神ハイリアの力が感じられる……勇者でもなく、姫巫女でもなく……英傑か?」
デクの樹の確信染みたその問いかけに、無表情ながらも瞳の奥に複雑な色を覗かせて、青年は静かに首を横に振った。
「どういうつもりで女神ハイリアが俺を生かしたのかはわからないが……俺は英傑ではないし、英傑は死に絶えた。4人の英傑は間違いなく死んでしまった。そして、女神ハイリアの手の届かぬところに魂が囚われているという」
「ならばその身からあふれる女神の力はなんとする」
「さあ。俺は英傑じゃない。厄災ガノンの力に負け、死んだ身だ」
「デクの樹サマ、どうしたノ?」
葉っぱで空を舞うコログたちがわらわらとデクの樹に群がる。
葉っぱで作った仮面で顔を隠す小柄なコログは、愛らしい高い声で心配そうに問いかけている。
「デクの樹サマが驚いてるなんテ」
「とっても珍しいワ!」
「キミは、他の人間とは少し違うノネ」
ぴょこぴょことアルファのまわりで跳ねながらコログが言う。
「そうだな。少し違うかもしれない。普通のハイリア人は爪が青くないだろうし」
コログたちへと声色穏やかに語るルファの姿。なつかしさに胸が締め付けられた。先ほど見たゼルダ姫の姿も相まって、リンクは叫びだしたいほどのもどかしさを堪えた。
「爪どころか、髪も瞳も青いぞ。生来のものではなかったか」
「そうなのか。以前はほかのハイリア人と何ら変わらない金髪碧眼だったのだけれどな。まあ、見た目なんてどうだっていいさ。
ところでデクの樹サマ、勇者は回生の祠で眠っているのか?」
アルファとて、現状など理解していなかっただろう。何もわからぬ、何も記憶のない状態で目覚めたリンクとは違い、記憶こそなくしてはいなかったようだが、彼自身すらも生来の髪色や瞳の色が変じたことには不思議そうにしていた。
その状態で、一番に気遣ったのはリンクのこと。得難い友人のその姿に、リンクは言葉にならない想いを抱いた。
「未だ傷つき、眠っておる。祠は彼の者が治癒せぬ限り、開かぬじゃろう」
「……1万年も前に作られた治癒システムが今も稼働するだなんてな。当時のプルア様の興奮が目に見えるようだよ。ところで今は戦いからどれほど経つんだ?」
「100年じゃ。プルアとて、あの戦いのなかでは興奮を覚えるどころではなかっただろう」
「は……? 100、年? それは、まあ。相変わらず寝坊助だこと。……俺がいつもみたいに起こしに行ってやらないと、起きないのかもな」
明確に、彼は表情を変えた。それでも数秒ほど軽く目を瞠っただけだった。
それから目を細めるアルファは、どこか寂しそうにも見えた。
すまない、とリンクは心のなかで語り掛けた。その言葉がアルファに届くことはないと知りながら。
『マスターが不在のため、ファイはしばらく眠ります。アルファ様、どうかマスターをこの地へお導きください』
物置のように片膝をついて黙っていたマスターソードの精霊が、くるりと宙を舞って姿を消す。
そこで、リンクの意識は過去から戻った。
老木に刻まれた皺のような口が上下に動き、朗々と語り掛けてくる。
「その剣はマスターソード。厄災ガノンや奴の怨念を帯びし者に大した時聖なる光をまとい真の力を発揮するじゃろう。
……ファイ」
デクの樹が呼びかけると、リンクが背負う退魔の剣から碧い光があふれだす。
光は少女の形をとった。頭頂部から足先まですっかり青で、ショートカットの無表情のように見えるその少女は、地面に片膝をついてリンクへと向かい合う。
『マスター、100年お待ちいたしました。
その剣は……』
小さな頭がリンクの背負うもうひとつの剣、氷雪の大剣にも似たアルファが残した剣へと向けられる。
『アルファ様の気配が感じられません。ご一緒ではなかったのですね』
「ルファを、知っているのか?」
言葉少なに、噛みしめるように深く語り掛けるリンクに、ファイは頷く。
『ファイは女神の剣ですから』
「ルファは今どこに?」
『不可思議なことを仰います。器は、マスターのその背に。
しかし女神の力とアルファ様の気配は感じられません』
淡々と答えられるその情報に、リンクの頭はついていかなかった。
『力を補充するためにも、この地の台座に残していくのがよいかと。このままでは器が崩壊します』
「ルファの器……?」
背から下ろした大剣を両手で握り、目の前に掲げる。
冷気を漂わせる美しいその大剣を前に、ファイはしっかりと頷いた。
『女神の第一武器――女神の氷雪アルファの大剣。
ファイは女神の第二武器――退魔の剣。アルファ様の器とは、その大剣のことです』