思えば、アルファはずっと探していた。感情の薄まった不自然で空虚な生のなかで、ずっと。
早くして亡くなった両親のことは、正直あまり覚えていない。
生まれ落ちた家系が代々ハイラル王家の騎士であったから、当たり前のように剣術を学んだ。それを苦に感じたことも、楽しく感じたこともない。
幼い頃から傍にいたのは、ひたむきに剣技と向き合うリンクで、そんな彼の姿を淡々と見ていた。思えば、憧憬の念を抱いていたのだと思う。
大した熱意もなく続けた剣術は、アルファの生きる術となった。生きるために必要なものであるから、嫌でも剣術は向上する。ハイラルに満ちる魔物は、駆除せねば右肩上がりに増えていく。仕事の一環として人助けをしたことも多々あったが、彼らの感謝の言葉は過去のアルファには響かなかった。それが当たり前のことであると、ただの任務であると認識していたから。自負心も達成感もなにもなかったのだ。感謝を受け取ることが相手のためなのだろう、と頷きを返すだけだった。
占い師によりハイラルの滅亡が予言され、日に日に厄災の影響も強まり、人々は終焉への絶望に顔を曇らせていた。城下町では盗みや暴行といった軽犯罪が多発した。ハイラルの兵士が警備を強化しようが、それらは収まりを知らなかった。
口さがない民から罵られていると知りながらも、姫様は修行に打ち込み続けた。目覚めぬ封印の力に絶望しながらも、答えのない努力をひたむきに続けていた。
勇者は己を排外したがる姫様に落胆していた。
ハイラル王より見出された若いながらも溢れる剣の才能は、果たしてリンクを幸せへと導くものだったのだろうか。誰にも理解されぬなか、彼はただひたすらに自己の役割をこなし続けていた。
四神獣の繰り手を見つけてもなお、ハイラル王国民は希望を見いだせなかった。封印の要となる姫様の力が目覚めなかったからだ。アルファは姫様の努力を間近で見ていたが、国民の気持ちも理解の範疇にあった。どちらに対して、何を思うでもない。そういうものだ、と無感情に受け流していた。どっちつかずのその対応は姫様からの信頼を得られぬことはもちろんのことだったが、変に期待をかけないアルファに不思議と姫様は懐いた。
決戦に備えるピリピリとしたハイラル王国にあっても、アルファは何一つ変わらない生活を続けていた。希望も絶望も彼は持ち合わせていなかったからだ。
突然世界が終わっても、魔物に殺されても、親友に裏切られても、死するという結論は同じなわけだ。何も気になることはない。アルファは本気でそう考えていた。己の生が続く限り不義理なことはするまいと、枷をつけて生きていた。人はそんなアルファの姿を理性的だと称することもあれば、人間味がないとも言った。
他人を受け入れたのは、思えば空虚な己を満たすためだったのだろう。
他人の夢と希望の一助となれば、それが己の価値になるのではと思った。それが己の生きる役割なのかもしれないと、そう信じた。
勇者という大変な役目に選ばれたのが己の幼馴染ということもあり、アルファはリンクに己の価値を託した。
それからだと思う。リンクを特別な存在だと認識するようになったのは。
リンクは毎日修練を欠かさなかった。雨の日も、嵐の日も、任務の最中であっても時間を見つけて剣技を高めた。
せっかく与えられた休日だって人助けや修行に費やすばかりで、唯一の彼の休む時間は睡眠時間だけだった。寝起きが人一倍悪く、いつも遅刻ギリギリなものだからアルファがリンクを起こす役割を担った。煩わしいはずの日課が悪くないものだと思えた理由は、今ならばわかる。
姫様の修行のため、遠方への遠征もリンクとともにこなした。彼は普段通りの行動で、しかしながらいつも曇った顔をしていた。
リンクと同じくらいの熱意で修行に打ち込む姫様は報われず、リンクの剣技はめきめきと上達する。姫様はリンクに劣等感を抱いているようだった。淡々と日々を浪費するアルファに、姫様が泣き言をこぼすことがあった。感情に満ち、日々を大切に過ごす姫様がとても眩しかった。アルファはそのとき姫様になんと声をかけたか覚えていない。失望したような、だけど思い詰めていたものがぽろりと剥がれ落ちた、澄んだ碧い瞳だけが脳裏に焼き付いている。
護衛対象に疎まれ、リンクは随分と消沈した様子だったが、己の在り方を変えたりはしなかった。俺はそんなリンクにもなんと言葉をかけていいかわからなかった。ただリンクの側にいた。
使えない人間だとは当時のアルファ自身でも思うところだった。
四神獣の繰り手たちの修行も、勇者や姫に負けず厳しいものであった。傷だらけになりながら戦う術を磨き、神獣の調整を綿密に行う。族長としての責務と両立するウルボザやダルケルは、多忙な身の中でも姫様への優しい気遣いを感じさせた。さすがは一族を纏め上げる人間だ、とひたすら感心したことを覚えている。
騎士を追放されたアルファを受け入れてくれたプルアも、ハイラルのため、ハイラル王国に住う人々のために古代兵器の研究に昼夜打ち込み、机に突っ伏して眠る日々を送っていた。姫様のために頑張らないと、と目の下に黒いクマを拵えながら研究を続けていた。
姫様自身の力はまだ目覚めていない。だが、周りの人間を含めて姫様の力はハイラル随一のものであった。時の王と比類するほどのものである。
苛烈に生きる皆を眺めるアルファは、そんな彼らが自分とはとても遠い存在で、そして輝いて見えた。
彼らを守らねば、とアルファは思った。
一騎当千のリンクには及ばないが、アルファとてそれなりの剣技の持ち主である。心の未熟さゆえに神獣の繰り手としては選ばれなかったが、頭ひとつ分抜けた強さを持っていた。
無感情であるがゆえに、冷静に事態を俯瞰できるアルファは上から見れば優秀な指揮官に映ったらしい。騎士としての地位は実力相応に上がっていった。
サイレンの地で修行し、感情が理解できるようになって初めてアルファは、己の空虚さを知った。そして心から仲間たちへの尊敬を抱いた。
ルーファウスとしての記憶を思い出し、己の感情とともに生きることを知った。感情など物事に付随するものでしかなく、感情に振り回されて生きる人間を理解できなかったアルファが譲歩できるようになったのは、ルーファウスとしての人生を思い出したからだ。
それまでのアルファはガーディアンじみた人間味のない奴に思われていたことだろう。
人生においてただ一度だけ、アルファが感情を爆発させたことがある。煩わされたことのない感情の制御方法を当時のアルファは知らなかったのだ。
リンクがいなければ、取り返しのつかない事態になっていた。
何が切っ掛けだったかはもはや思い出したくもないが、お前に騎士としての誇りはないのか、と詰られ、剣を折られた。
王より賜ったその剣がぼきりと折られた瞬間、アルファのなかでも何かが壊れた音がした。視界が真っ赤に染まった。後にも先にも理性をなくしたのはあの一度限りだ。あれは、怒りの感情だった。
気がつくと、血泡を吹いて倒れる仲間がいて、自身を羽交い絞めにする幼馴染がいた。不幸中の幸いで死人はでなかったために喧嘩両成敗と不問に処されたものの、恐々とアルファを伺う騎士連中からの視線に、さすがのアルファもよくない空気は感じていた。
いつも通りに接してくれるのは、幼い頃からの付き合いがあったあの青年だけであった。
騎士は縦社会の組織である。上官に歯向かい、制止されなければ死へと追い詰めていたかもしれないアルファに背を預けて戦うことができる者などいようはずもない。
隊の輪をこれ以上乱すまい、とアルファは騎士を辞めたのだ。それからというもの、剣を持つことはなくなった。暴力に支配され理性をなくしていた自分が、リンクに止められなければあの騎士を殺していたのではないか。そんな疑念が頭をよぎって離れなかったからだ。そしてもう二度と、そんなことになりたくはないと珍しく強い感情を覚えた。
だからアルファは剣を封じた。あの、大厄災の日まで。
姫様を守るために命を投げ出したのは、ハイラルに必要な人材であるとアルファが判断したからだ。
見ず知らずの人間であれば、きっと無感情に逃げることに専念していたに違いない。
姫様を大切に思う心があってのことでは、なかった。そんな崇高な人間ではなかった。その事実に打ちのめされる。
大量の水でとかれた絵の具のように薄い薄い感情。そんなものしか持ち合わせていなかったアルファだが、己に足りぬものがあることはずっと自覚していた。
魂を成長させ、ルーファウスとしての人生を思い出し、アルファは己の人生を強制的に終わらせなかった意味を悟った。
アルファはずっと探していたのだ。
日々の彩りを感じられず、何にも興味を持てず、淡々と流されるように生きながらずっと己自身を探していた。
それに気づいたアルファは、過去の幼馴染との約束を思い出して苦笑した。
「お前に俺が苦しみを与えるようならば、迷わず切り捨てて欲しい。そんなことがなければ、と願うが。
世の中、思い通りには進まぬものだろう?
変な意味でなく、俺はお前に生の意味を感じた。
お前は死と隣り合わせの生活をしているから言っておきたいんだ。もし俺が死しても重荷に感じてくれるな。
俺がお前の障害となるのならば迷わず切り捨てて欲しい。それが空っぽな俺の、唯一の願いだ」
空虚な自分の、相手を顧みない身勝手な発言だ。
当時のアルファは無感情がゆえにリンクを傷つけ、仲違いをするかもしれないと思っていた。
彼よりも早く死ぬことはアルファのなかで確定事項であった。
彼の夢を、人生を阻む存在に己がなってしまっていれば、その類い稀なる剣技で躊躇うことなく切り捨ててほしいとアルファは心の底から思っていた。そして、それが幼馴染には容易いことであると勘違いしていた。
「ルファ。生涯俺はお前の友であることを誓おう。厄災の影響で明日もわからないが……もしも。
……そういったことが起きれば、お前の望みのままに」
悲痛な友の決意も知らず、アルファは純粋に喜んだ。確かな約束を得てとても安心したのだ。
厄災に身体の精神の自由を奪われたときのことは今でも悔しさと怒りが込み上げる。
リンクを攻撃していたことは、しっかりと自覚していた。
随分と遠いところでそれを眺めることしかできず、光の矢に貫かれてようやくアルファの自我が身体の主導権を握ることが叶った。
感情を曝け出して嫌だ、行くなと声をあげるリンクの姿に、アルファは自身があまりにも酷(むご)い約束をさせていたのだと知った。
あんなにも感情を乱した姿を見せるリンクを見たのは、初めてのことであった。
彼に謝罪しなければならない。まだまだ恩返しをしたりない。
友が自分に初めて願った--ガノン討伐を叶えていない。
自身の力をマスターソードへと託し、意識を失ったアルファは、これが走馬灯であるとようやく気づいた。
「まだ、死にたくないなあ……」
それは、アルファ・グラディウスとして生きた男が初めて見せた生への渇望だった。