太陽も上空に差し掛かり穏やかな暖気に包まれてきた頃、ゴングル山に差し掛かった。ようやくラネール地方である。近くのゴングルの丘では、巨岩になりすましたイワロックが生息していることが噂されていて、腕の立つ者ならともかく、旅人はみなゴングル山沿いの街道を進む。そこは、赤土の広がるベーレ谷とは違って、白い石灰岩が目に眩しい岩山だ。若干もろいところもある地形ではあるが、ヒノックスほどの巨体でもなければ地崩れの心配はない。
東方向のラネール湿原へ向かえばゾーラの里へと続き、さらに南下を続ければ目的の西ハテール地方というわけだ。
ちなみに西には中央ハイラルの中枢であるハイラル城がある。怨念渦巻く厄災ガノンが廃れた城をぐるぐると大蛇のように渦巻き、呪いを吐き散らしているのが遠目からでも確認できる。禍々しいその気配は、厄災の姿が見えない常人であろうとなにか感じるところはあるようだ。
胸騒ぎというかたちで現れることが多いらしく、馬を早足で動かし、嫌な気分だ、やら胸騒ぎがする……と独り言をつぶやき旅する者が多かった。アルファはというと、特に歩調を変えるでもなく、ただガノンの気配やそれを封じる聖なる力の気配を感じながら歩みを進めるのみだった。
無駄な戦闘の一切を避けてカカリコ村への旅路を行くアルファだが、未だ行程は半分地点といったところ。
街道沿いを進む今も、馬に荷をくくりつけ並足でかっぽかっぽと北上する旅人とすれ違う。こんにちは~と馬上から挨拶され、アルファは生真面目にそれを返す。
こう見ると、金髪碧眼のハイリア人は減ったのだなと感じる。赤毛や栗毛の人族ばかり。100年前の戦いで女神ハイリアの血を引く生粋のハイリア人はすっかり死に絶えたのだろうか。
一人旅を続けていると、自然と物思いに耽る時間が増えた。
お転婆で悲観的な、だけど女神ハイリアの血を引くゼルダ姫。彼女は今もハイラル城で厄災ガノンを封印しているのだろう。封印の力に目覚めぬと泣き言をこぼしながらも己にできることを懸命に探していた彼女。
よく姫様付騎士である幼馴染には嫉妬染みた視線を向けられたが、ゼルダ姫はなぜかアルファに心を許し、いろいろなことを語ってくれた。立場上、会う機会は少ないはずなのに名指しで護衛に指名してくることもあって、周りの目が痛かった。うっかり式典のときまで城下へおりてシーカーストーンの研究をしていた彼女。そのせいで線の細いアルファが影武者となった黒歴史の恨みは忘れない。閑話休題。
彼女はきっと、ずっとずっと待ち続けているのだろう。100年なんて途方もない期間、必ず勇者が目覚めると信じて厄災ガノンを封印し続けているのだ。芯の強い姫である。
よくよく勇者には嫉妬染みた視線を向けられていたが、表面には出ないが羨ましいのはこちらのほうだった。
だが。羨ましいと感情を吐露するには、リンクの姿は痛々しすぎた。いつだって彼は寂しそうだった。
才気を羨まれ、妬まれ、守るべき姫にさえコンプレックスを感じられて。騎士とは頼られる存在だとばかり思っていたが、よもや姫君からコンプレックスを感じられるとは、出来すぎる人間も辛いものなのだと知った。
アルファが騎士を辞めてから、さらに無口になった幼馴染だが、縁は切れなかった。こちらから王宮へ訪れることはない、となると彼のほうからアルファのもとへ訪れるしかない。
幼少のみぎりより騎士として鍛えられたアルファは、勇者にこそ劣るが腕っぷしだけは確かであった。プルア様のもとで雑用として働いていたアルファのもとを、近衛騎士となった彼はよく訪れてくれた。幼い頃、無邪気な笑顔でよくアルファの手を引いてくれた彼は、成長するとアルファのようにポーカーフェイスばかり浮かべる青年になった。お前も勇者も、愛想笑いの一つでも覚えればいいのに、とはプルア様の言葉である。インパ様は深くそれに頷いていた。
休日になると当たり前のようにアルファのもとに来る彼は、変わらぬアルファを見てとても安堵している様子だったから、アルファは何も言わずにただ昔のように接した。そして、誰にも弱みを見せられない彼にひとつだけ約束をした。それが、友として彼にできるただひとつのことだったから。
ふ、と生臭さが鼻をつく。風上から流れてくる臭気はボコブリンのものだ。悪食のボコブリンたちは独特の酷い臭気がする。思考にたゆたう意識を引き戻し、たき火を囲んでギャオギャオと楽しげに踊る姿を捉える。ひたすら南下するアルファは足音を立てぬ歩法で息を乱すことなくボコブリンたちから離れた裾野を抜けていく。
湿原近くになると、ギョロリとした目玉に成人男性よりも大きな躯体、一本角の生えた爬虫類系のリザルフォスが現れる。湿原のなかで身を横たえ、周囲の色に擬態して獲物を静かに待ち伏せているが、一定以上の距離を置いて進めば襲われることもない。無論、先じて気配を悟るアルファがリザルフォスに奇襲をかけられるはずもない。
日も暮れた頃、緑むす草原に佇む湿原の馬宿にたどり着く。スタルボコブリンやスタルリザルフォスが湧き出てくる地は、骨の打ち捨てられた場所以外となるとランダムで、気配に敏感なアルファでも気づけない。せっかく馬宿についたことだし、一晩ここで過ごしてカカリコ村へ向かうのもいいだろう。
「やぁッ、はぁッ、てぇーい!」
馬宿の敷地内で、藁仮標へ素振りを繰り返す男性の声。その腕はお粗末なものであるが、武具に対する愛着は感じられる。なにせ、藁仮標にさえ当てぬのだから。
使わねば擦り減らぬ。果たしてそれが真に剣のためであるかは別として、愛着だけはしかと感じた。
しげしげとその様を眺めるアルファに気づいた男性は、みなぎる自信をありありと顔に出して言う。
「はぁッ、とうとうッ、手に入れた! 伝説の剣を!」
「ほう……」
思わず彼の手中に視線がいくが、どうにもただのたいまつのように見える。
「ほら、なんだったか! 伝説の剣! たいま つの剣!!」
幼馴染のもつ退魔の剣はおかしな方向でも有名らしい。たいまつの剣だなんて、そんな喜劇寄りな方向にも発展していたとは。いや、実用的だし、いいのか。ロングスロー効果やら、雨が降ろうが消えない効果やらがついた伝説級の代物に違いない。
正直見た目はただのたいまつにしか見えないけれど。
「俺が、貴女を、守ります!」
「……」
「お名前を、伺ってもッ?」
「……アルファだ。ちなみに、男だ」
「……下手な、冗談だ! はぁッ! あなたのように、美しい人がッ、男などとッ」
とりあえず素振りはやめればいいと思う。
踵を返して歩き出したアルファは、馬宿の天幕内へと入る。
年若い小柄な少年がぱっと顔をあげるのが目に入る。
「お姉さんも、旅の人? 僕、案内できるよ!」
「お姉さんではないのだが」
あまり人からの評価は気にしないが、こうも立て続けに性別を間違え続けられると、気になる。髪が長いのが理由だろうか。切るのが面倒で伸ばしていただけだ。いっそバッサリ切ってしまうのもいいかもしれない。
「え、そうなの? 嘘だぁー」
「本当だ。道案内は大丈夫だが、ハサミを借りれないか?」
「ハサミ? いいけど、どうしたの?」
受付のカウンターへとてとてと小走りで向かい、ハサミを貰ってきてくれた少年。
「髪を切ろうと思ってな」
「え! 駄目だよ! 勿体ない!」
差し出されたハサミはひょいと少年の背中に隠された。
「勿体なくない。やけに女性と間違われるし、切った方がいいだろう」
「大丈夫だって、声を聞いたら男の人だってわかるから。……それに、髪が長いほうが女の人っぽくて僕のやる気もあがる」
後半はかなり声を潜めた独り言のようだったが、しっかり聞こえている。随分とマセた子どもである。
誰かに切ってもらえるならまだしも、自分で適当にハサミをいれればとんでもないことになるか、と思い直し、少年からハサミをふんだくるのは諦める。
「お兄さんはどこから来たの?」
「北のほうだ」
「ああ、デスマウンテン? 僕、ここの案内ができる資格をもってるし、詳しいんだよ」
小さな胸を張ってふん、と鼻を鳴らす。
デスマウンテンはここからだと北東の方角だ。なるほど間違ってはいない。
実際アルファはコログの森から来たが、ベーレ谷で会った旅人の話からすると、迷いの森を抜けられる人間はいないという。試したことはないが、アルファとて突然コログの森で意識が戻ったが、正規の方法でたどり着くことは不可能だったろう。馬宿で変に騒ぎを起こすのも面倒だし、少年が勘違いしているのをいいことに訂正せずにおく。
「そうか。詳しいんだな」
「まあね! どの方角について聞きたい?」
アルファは、方向感覚や地形判断能力に恵まれていた。一度歩いた場所は忘れないし、おおよその場所は把握できている。わざわざ少年に聞くまでもないのだが、早く早くと目を輝かせる少年を前に、アルファは苦笑しつつ尋ねた。
「じゃあ、南について教えてくれるか?」
ひたすら南下する旅をしているのだ。もしかしたら何かしら有益な情報が得られるかもしれない。
「南? 南のことはリバーサイド馬宿で聞いて。以上」
すごく塩対応だった。
「そうか。しかしカカリコ村へ向かうつもりだから、リバーサイド馬宿は通らないな」
「ふぅん、詳しいんだね。案内なんていらないじゃん」
少年はすっかり不貞腐れてしまった。
「旅をしていれば自然と覚えるものだ。気分を悪くしてしまってすまない」
少年の頭を越えぬよう、律儀にひざを折ってから頭を下げたアルファに、どうやら機嫌が直ったらしく少年は仕方ないな! とふんぞりかえった。
「あっ、頭をあげなよ! 許してあげるからさっ!」
「ありがとう。女神ハイリアもお前の優しい心に喜んでいることだろう」
「はははっ、お兄さん、変なの! 僕ね、アミヴィって言うんだ。お兄さんは?」
「アルファだ」
「そうなんだ! なんだか名前も似てるね」
「そうかもしれない」
「今日は泊まっていくんでしょう? もう僕、眠くなってきちゃったけど、明日もいる?」
きらきらと瞳を輝かせるアミヴィには悪いが、素直に答える。
「明日の朝に発つつもりだ」
「そっかぁー……。もっとお喋りしたかったな。ねえ、また来る?」
旅人がすぐに消えていくことにもまた、慣れた様子である。
「わからないが、おそらくは」
「絶対! また来てよね! これあげる!」
そう言って、マックスラディッシュを渡された。
「絶対だからね!」
そう言って、大マックスラディッシュを渡される。何故だかえらく気に入られたようだ。
アミヴィの頭を撫でてやると、子どもじゃないやい! と声を荒げながらも嬉しそうだ。
「じゃ、僕色々支度しないと駄目だから。おやすみ! アルファさん!」
「おやすみ、アミヴィ」
ぱたぱたと小走りで外へ出て行く背中を視線で追っていると、受付の女性がカウンター越しに話しかけてくる。
「アミヴィの相手をしてくれてありがとう。今日は一泊していくんでしょう? 10ルピーでいいわよ。ふかふかのベッドなら30ルピー」
相場より随分と安い気がする。100年経ったと聞くし、宿屋の相場も変わったのだろうか。小首を傾げるアルファに、受付の女性は優しく微笑んだ。
「あの子、私の子なの。あの子があんなに人に懐くなんて珍しくって。相手をしてくれたお礼よ」
「そうか、ありがたい」
魔物と戦わないため、路銀はあまりない。道中でハイラルダケやシノビダケなどを採り、換金するくらいなのだ。生きていくのに必要な最低限の食事もとらねばならないため、割とかつかつな旅をしていた。
「ふつうのベッドで頼む」
「はい、毎度ありがとう。朝まで、でいいのね?」
「ああ」
「好きなベッドを使ってちょうだい。じゃあ朝になったら起こすわね。おやすみなさい」
すっと視線を逸らされる。不躾な視線にさらされることの多いアルファは、それなりに人目は気にならない性質だが、逸らされた視線から気兼ねなくゆっくり休んでくれ、という女将の心遣いを感じた。
出口近くのベッドに横になる。入り口付近は基本不人気で、あまり眠る人は少ない。安い値段で泊まらせてもらったせめてものお礼に、他の人が使わなさそうな出入口のベッドを選択した。
すぐに、いつも通りの意識が途切れるような眠りが訪れた。