「あぁもう……就活なんぞ一生やりたくねぇ」
陽の傾いてきた夕暮れの道を、鉛のように重く疲れた足を若干引きずりながら歩いていく。メイクも疲れでよれてしまっていて、女としてどうよとも思うがしょうがない。
大学4年生として卒論や就活など目まぐるしく動き回る毎日のせいで疲れきった脳みそに糖分を与えるべく、バッグのポケットから飴をひとつ取りだし口の中にぽんっと投げ入れる。
一度二度舌でころころと転がしていると口中にふわっと甘いぶどうの味が広がっていき、甘さに飢えていた脳にも甘さが染み渡っていく。
「……はぁ、うまいな」
と独り言のようにぽつりと呟き、大きく深呼吸した。
自宅へ向かって歩いていくと道の左側に少し広い公園がある。そこでは小学生くらいの男の子たちがサッカーをして遊んでいたり、女の子たちが花畑で遊んでいたりと賑わっているのだが、もう夕方だからだろうか、夕日に照らされたオレンジ色の公園はいつもよりも静かだった。
いつもと同じように公園の横を通り過ぎようとした時、花畑の中に座り込んでいる一人の女の子に目が止まった。
幼稚園生くらいに見えるその少女は一人せっせと花冠を作っているようで、いつもなら少し眺めた後にその場を去ってしまうが、夕暮れの公園で遊ぶ少女が少し気になり、公園に下る階段をおりて少女に近付いた。
「一人で遊んでるのか?」
と花畑にしゃがみこみながら声をかけると、少女は花冠から頭を上げて子供らしい丸い目でこちらをじっと見つめたあと「んーん、お兄ちゃんとー」と可愛らしい声で答えてまた花冠をいじり始めた。
小さな手をちょこちょこと動かしながら花をつんでいる少女を暖かな気持ちになりながら眺めていると、誰かが背後から近付いてくる気配がする。後ろを振り向くと、小学生くらいに見える少年がこちらを鋭い眼差しで睨んでいた。
「おい、何やってんだ」
少年はこちらを睨んだまま、腹の底から出したような声で……実際は声変わりをしていないからかいくらか可愛らしい声だったが……そう私を威嚇した。そして私が呆気にとられている間に花畑にいる少女の前に座り込み、先程私に発したものとは打って変わって優しい声で話しかけ始めた。
「大丈夫か? この女に何もされなかったか? ごめんな一人にして」
「小町は大丈夫! この人わるいひとじゃない!」
「そうか……ならよかった……」
そう聞いてほっと安堵した様子の少年を横目に、私はもう一度少女の方に向き直った。
「この人がさっき言ってたお兄ちゃんか?」
「うん! 変でしょ!」
「ねえ? お兄ちゃん悲しいよ?」
弾けんばかりの笑顔で変だと言い放つ妹に対して驚きと悲しみの入り混じった顔を向ける少年の反応に少し笑ってしまう。が、少年はすぐに恥ずかしそうにキッと睨んできた。
そんな少年の顔が面白くてまた思わず笑っていると、そんなやり取りを見ていた少女……小町ちゃん、と言っていただろうか……が頬を膨らましながら少年にずいっと近付く。
「おにーちゃん」
「どうした小町」
「まずおねーさんにごめんなさいして!」
「は? 何で」
全く理由がわからないと言った感じの兄に対し小町ちゃんは「ったくこんなんだから友達出来ないし女子に人気ないんだよ……」っと呟きながら大きくため息をついた。ってか小町ちゃん今凄く大人びた発言してなかったか? 気のせいか。
「おねーさんのこと睨んだでしょ! ごめんなさいして!」
「いやだって小町が……」
「ごめんなさいして!」
「あっはい」
妹に怒られて若干寂しそうな表情をしている少年は私の方を向き直ると消えそうな声ではあるが「すんません……」と言いながらぺこりと頭を下げた。こちらとしても急に話しかけたのは私なので「いや、私も悪かった」と言いながら手をヒラヒラとして応える。
私には兄弟がいないからか、目の前で繰り広げられている2人の掛け合いを見ているのはとても面白く、また同時に不思議と暖かい気持ちになっていく。
そんな2人と花畑に座ったまましばらく喋っていると、小町ちゃんは私に色々なことを教えてくれた。パパとママはお仕事で忙しいこと、お兄ちゃんはたまに変なことをしてる時もあるけどとても優しいこと、今日も親の帰りが遅くて暇していた自分を家から少し離れたこの公園に連れてきてくれたこと。
「それでね! この間もお兄ちゃんね……」
「そうかそうか。よかったな」
「うん!」
「…………」
私にお兄ちゃん自慢をしている小町ちゃんはとても可愛い笑顔で、たまに兄を哀れんだ様子で話していた。ちなみに恥ずかしさからか少年は耳を真っ赤にしながらずっと黙ってそっぽを向いていた。
しかしそんな楽しい時間もずっとは続かないようで、しばらく色々な話を聞いていると遠くで鐘の音が聞こえた。この地域では16:30になると鐘が鳴り、小学生はみんなこの鐘を聞くと各々家に帰っていく。そしてこの2人も例外ではないようだった。
「ほら、もう遅くなるし帰るぞ」
そう言いながら少年はすっと立ち上がる。だがさすが幼稚園生と言ったところか、小町ちゃんは「やだやだ!」と首を大きく振って帰りたくないことを全身で表現している。帰る、やだ、帰る、やだ、と可愛らしい攻防が何回か続いた時、私ははっと一つの案を思いついた。
「小町ちゃん、ほら」
小町ちゃんの目の高さに屈みながら自分のバッグに手を突っ込み、片手いっぱいに飴を掴んで見せた。半透明の袋に個包装された色とりどりの飴は綺麗に輝いていて、なんだか宝石のようだ。小町ちゃんは私の手一杯の飴を見るとぱあっと笑顔になりながらぴょんぴょんと跳ねた。
「キャンディー! きれー!」
「お兄ちゃんの言うこといい子にちゃんと聞いてお家帰れるなら好きなだけあげよう。どうする?」
そう言うと小町ちゃんは少し悩んだような様子で少年を見上げる。少年は最初首を傾けていたが、妹が何を悩んでいるのかわかったのか「あー」と言い頷いた。
「大丈夫だろ、この人悪い人じゃなさそうだし」
「ほんと!? 貰っていい!?」
「俺としては小町が危ない目に遭うのが嫌なので一刻も早く家に帰りたいまである」
少年の許可を得た小町ちゃんは私の手に乗っている飴を小さな手いっぱいに掴んだ。掴みきれずに手の間から一つ二つとこぼれ落ちてしまうが、それでも小町ちゃんはとても嬉しそうな顔をして「ありがとう! おねーさん!!」と言ってくれた。
「……可愛いな」
「当たり前だろ、小町は可愛い」
小町ちゃんの笑顔を見て私は思わずそう呟いた。そうすると小町ちゃん大好きな少年はしっかりと声を聞き取ってさも当たり前と言った感じで答える。
小町ちゃんは作っていた花冠を腕に通し、手一杯の飴をひとつを残して着ていた上着のポケット入れると立ち上がった。そして残していたひとつの袋を開けて小さな口にぽんっと放り込み、しばらくころころと転がすと少年の顔を見上げながら「オレンジ味ー!!」と自慢するように言った。
そして小町ちゃんは少年の手と、何故か私の手もキュッと握ってきた。
「おねーさんも一緒に帰る!」
「だめ。お姉さん忙しいかもしれないだろ?」
「いいよ、少し遅くなってしまったし子供二人で帰らせるのは心配だしな。家の近くまで送るよ」
そう応えると小町ちゃんは「いいって!」と嬉しそうに少年の顔を見る。少年は少し申し訳なさそうな顔をしながら「ありがとうございます……」と私に向かってぺこりと頭を下げた。なんだ、この少年にも可愛いところあるじゃないか、と思ったのは内緒。
そして小町ちゃんを真ん中に私と少年と3人で歩いていく。しかししばらくすると「お兄ちゃん……眠い〜……」と言いながらフラフラとしてきたので、少年に許可を得て……若干渋っていたが……小町ちゃんを抱っこしてあげると少しむにゃむにゃと呟きすぐに寝てしまった。
しばらく2人無言で歩いていると唐突に少年が口を開いた。
「子供の扱い慣れてるんすね」
「ああ、私は先生になるための勉強をしていてな、小町ちゃんくらいの年齢の子の扱いも勉強したんだ」
「なるほど……だからだったんですね。じゃあいつか会えるかも知れないですね」
そういう少年に私は大きくため息をつきながら答えた。
「まあ、先生になれたらな。簡単になれる訳では無いからな……」
「絶対なれますよ。って言っても今日見てただけなんでなんとも言えませんが」
少年はなんの迷いもなくそう言い放った。ここの所失敗続きで心が折れていた私にとってその言葉はすごく響いてしまい、少しうるっとしてしまった。
そのまま歩いていくとある家の前で「あー、ここっすね」と少年が立ち止まる。私は抱っこしていた小町ちゃんを少し揺らしながら「家に着いたみたいだぞ」と話しかけるとむにゃむにゃと言いながら薄く目を開けた。
「ほら小町、家ついたから。少し歩けるか」
「ふぁ〜わかったぁ……」
小町ちゃんを下ろすとすかさず少年がしっかりと手を繋ぐ。少年は玄関先の門を開けた後、何かを思い出したようにこちらを振り返った。
「お姉さん、名前は?」
「私か? 私は平塚だ」
「俺は八幡。なんだかいつかまた会える気がします」
「……そうだな、またいつか会えるといいな」
「ですね。では小町ももうおねむなのでここで」
「ああ」
そう言って少年……八幡はぺこりと頭を下げ、小町ちゃんは「おねーさんばいば〜い〜」と眠そうに手を振ってくれた。
2人が家に入るのを見送った後、玄関の表札をちらりと見てからふふっと小さく笑い呟く。
「比企谷八幡……か。そうだな、またどこかで会える気がする」
そして私はくるっと方向転換をし、すっかり暗くなった道を家に向かい歩いていった。
ー・ー・ー
「平塚先生、これ来年度の担任生徒の名簿です」
「おーありがとう」
あれから1×年経った3月、私は来年度担当する生徒の顔写真付き名簿を受け取り目を落とす。THE☆陽キャな生徒や個性の塊のような生徒など、たくさんの生徒の写真が並んでいる。
「来年も楽しくなりそうだな……ん?」
4月からの自分の担当するクラスに少しワクワクしながらページをめくると見覚えのある名前が目に飛び込んだ。
比企谷 八幡
写真の中の少年はあの日よりなんだか目が死んでいたが、紛れもなくあの、心が折れていた私に教師になる自信をくれた少年だった。
『 ……俺は八幡。なんだかいつかまた会える気がします』
そんな少年の言葉を思い出し、私はシシッと笑いながら呟く。
「また会えたな、少年」