俺ガイル 合同短編カップリング企画!   作:しゃけ式

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あおだるまさん 八幡×姫菜 海老名さん√は猫耳巫女服である。

 目の前に、猫耳巫女服の海老名姫菜が座っていた。

 

 俺、比企谷八幡は噴き出したい気持ちをすんでのところで止める。まず状況を整理しろ。

 

 時は修学旅行の翌週の10月31日、昼下がり。場所はお馴染み総武線各停三鷹行き。

 本日土曜日、秋葉原ゲー○ーズ限定発売缶パッジがついてくるラノベの購入のため、千葉くんだりから足を運ばせている。ちなみに家で待っていれば二日後にはAmazOnが家まで運んできてくれるのは確定的に明らか。それでも俺は往復千円の運賃と一時間近くの時間をかけてまで、付けもしない缶バッジを求めるのである。オタク君さぁ……。

 

 出不精の俺でも今日が全国的リア充暴走コスプレデーであることは、当然知っていた。誰かに会うかもしれないとは思っていた。

 現に総武線は超がつくほどの満員具合であり、吸血鬼やらフランケンシュタインやら悪魔やらゾンビやらの人外の姿が垣間見える。ちなみに最後の腐ってるのは俺ではない。

 

 しかし、しかしよりにもよっての海老名姫菜である。

 

 俺と海老名姫菜の関係を一言でいえば、知り合い。それで完結する。お互い無関心のクラスメイト。

 

 だが俺は先週の修学旅行で些か以上に動き、何人かの人間に――特にこの海老名姫菜に、影響を与えてしまった。

 

 つまり俺は現在、この女子との接し方、距離の取り方がわからない。特に超満員電車で至近距離、お互いに動けない場合には。しかも猫耳巫女。ふぇぇ……八幡脳みそがオーバーフローしちゃうよぅ……。

 

 列車は次の駅の錦糸町をアナウンスした。ここから浅草橋を挟んで、目的の駅はすぐそこだ。気分を落ち着けるためにも、マッ缶の口直しにホームで買った水で唇を湿らす。

 目の前、正確には斜め前に座る海老名さんは、車内の広告を眺めている。

 当然彼女も俺に気づいていると思う。何せ千葉から錦糸町まで、40分以上はかかるのだ。

 それでも海老名さんの視線は極々自然に、一度とて俺と合うことは無い。この見事過ぎるスルースキルはカースト上位だから、というわけではないだろう。

 

 自らを嫌う海老名姫菜だからこそ、彼女は自分を完全にコントロールできるのではないか。

 

「おっと」

 

 考え事をした一瞬、電車が大きく揺れた。水を飲むためにつり革から手を離していた俺の体は、容易にバランスを崩す。更に海老名さんの前に立つ男性が床に置いていた、大きめのリュックを濡らしてしまう。

 

「あ、すみません!」

 

 思わず俺は大きく謝罪の声を漏らし、一瞬車内の注目が集まる。リュックに水をかけられた大学生風の若い男は気にする風でもなく、気さくに手を振る。

 

「いえいえ、大丈夫ですよこのくらい。大した量ではないですし、見たところただの水ですよね?」

「はい、そうですが……鞄の中身とか、大丈夫ですかね?いくら水でもスマホとかパソコンとか入ってたら危ないんじゃ」

「本当に問題ないので、お気遣いなく。入っていたのも資料とか昼食とかなので」

「そ、そうですか?でも紙でもusbでも、資料とか入っていたら危ないかもしれませんが……。言って頂いて物が確認できれば、できる範囲で弁償しますので……」

 

 青年は俺の返答に目を丸くし、口に手を当て快活に笑う。

 

「……ぷ、はは!丁寧な人ですね。資料はクリアファイルに入ってますし、貴重品はポケットに入れているので被害はゼロですよ。寧ろ気持ちよく謝っていただいて恐縮するくらいです」

 

 なんと、こっちが気持ちよくなる程の好青年ではないか。気持ちよくなると言っても、目の前の腐海の主がぐ腐腐するような意味ではない。おいそこの猫耳巫女、意味深に笑うな。何かを猛烈にスマホにメモするな。

 

 当の青年は窓の外に見える錦糸町のホームを確認し、また爽やかに俺に笑いかける。

 

「それに僕ここで降りるので、本当にお気遣いなく」

「そう言ってもらえると助かります。ご迷惑おかけしてほんと、すいませんでした」

「いえいえ。では」

 

 青年は錦糸町のホームに降り立ち、その姿は人混みに消えた。場所が空いたことで詰めざるを得なくなり、俺は海老名さんの正面に立つ。

 

 そんなやり取りを見ていただろう海老名さんは満足気に何度か頷き、やり遂げたというように大きくため息を吐く。猫耳を軽く直し、座り直す。

 

 そして海老名姫菜は、なぜか真っ直ぐに俺を見た。

 

 正面から合う瞳は深く、昏く、何の感情も色もない。その目は少し前にどこかで見た気がした。

 

 次の駅は浅草橋で、その次は秋葉原。目的の駅はすぐそこだ。

 

 40分以上一瞬も合わなかった彼女の瞳は、なぜか今痛いほど俺に向けられていた。外そうとしても、視線をそこに感じる。少しでも様子を窺えば、彼女は必ず俺を見ている。

 

 たった一駅間が、永遠のようにも感じた。

 

「浅草橋。浅草橋。ご乗車、ありがとうございます」

 

 アナウンスが流れると同時に、俺の脚は自然とホームに向かっていた。

 

 

 

 

 

「ほえー、ヒキタニ君こんなところに用あるんだねぇ」

 

 俺の横には、猫耳巫女服の海老名姫菜がいた。

 

 思わず頭を抱える。興味深そうに俺を見る猫耳巫女服の眼鏡美少女と、全身ユニ○ロの男子高校生。何の冗談ですか。

 

「……どちらさまでしょうか。私の知り合いに猫耳巫女喫茶で働く人間はいないんですが」

「またまたー。ばっちり見てたよ、さっきの電車での一幕。あのヘタレ受けっぽさは間違いなく、私の知るヒキタニ君だよ!自分に自信もって!」

「持てねえよ。勝手に掛け算の後ろにされて確立する自信を持ち合わせてねえよ」

 

 やっぱりそっちの材料になっていた。思わず体を引くと、彼女は小さく首を傾げる。

 

「え、ヒキタニ君掛け算の前が良かったの?それは流石に解釈違いだなぁ。私原作との解釈違いを許せるほど心広くないし……」

「待った、もう掛け算の後ろでいいから。今の『原作』とか言う響きが最高に背筋寒くなったからそれはやめてくださいお願いします」

「ぐ腐腐、よろしいよろしい。でも受けの自覚があり過ぎるのもちょっとキャラ違うから気を付けるよーに」

「オタクめんどくせえ……」

 

 噛み合わない会話に辟易としていると、彼女はくるりと回り巫女服を翻し、巫女服の端を持ち上げてカーテシーを披露する。

 

「してヒキタニ君、浅草橋まで今日のご用は何かな?」

「……それは猫耳巫女服で浅草橋にいるjkにこそ問いたいんだが」

「私?私の場合はぴったりじゃない?巫女服×浅草なんて、親和性の塊だし」

「浅草橋は浅草ではないんだよなぁ」

 

 浅草駅は浅草橋から浅草線に乗り換えてすぐ。総武線ではない。海老名さんはすぐにあっけらかんと事情を口にする。

 

「ま、ホント言うと知り合いに、ハロウィンだからって仮装誘われてね。秋葉で落ち合う予定なんだけど早く来すぎちゃって。巫女服に合う町でぶらり途中下車してみた次第なのだ」

「巫女服はともかく、猫耳は絶望的に浅草とアンチシナジーなのでは」

「なぬ!?和洋折衷は日本の基本だよヒキタニ君。日本人ならこのくらい笑って許そう」

「ウサ耳を『洋』と定義する所に、極めて欧米への冒涜を感じる……」

「あはは、そっかもねぇ」

 

 俺の文句を軽く笑って受け流し、真っすぐ俺を見る。

 

「で、比企谷君もここでぶらり途中下車って感じ?」

 

 その色のない瞳に、先ほどの電車での彼女を思い出す。その目に耐えられなかったから降りた、とはとても言えない。浅草橋と秋葉原を間違えたと言い張るのも無理がある。

 

 結局、俺は顔を背けて吐き捨てるしかない。

 

「……ま、そんな感じだな」

 

 うんうん。俺の答えになぜか満足そうに彼女は頷く。

 

「じゃ、せっかくだしちょっと歩こっか」

「え、普通に嫌だけど」

「ん?何か言った?ヒキタニ君」

 

 彼女の笑顔は崩れない。

 

「普通に嫌です」

「ん?何か言った?ヒキタニ君」

 

 彼女の笑顔は崩れない。

 

「だから、嫌です」

「ん?何か言った?ヒキタニ君」

 

 彼女の笑顔よ崩れてくれ。

 

 某有名RPGでも、もう少し受け答えにパターンあるんですが。一ミリも変わらない笑顔が逆に怖い。ため息を吐きつつ腕時計を見ると、まだ午後一時。

 

 まあ、昼飯の腹ごなしにはいいかもしれない。

 

「……散歩くらいなら」

「よろしい。れっつらごー!」

 

 妙にテンションの高い猫耳巫女と、その後ろを歩く腐った目の男。

 

 ……やっぱりそういう店に連れてかれる途中にしか見えねえよな、これ。

 

 

 

 

 

「……おお」

 

 実物の雷門を眺め、小さな感嘆が漏れる。

 

 浅草橋から歩くこと25分。土曜日で快晴ということもあり、ここに来るまでも中々の混雑具合だった。(ちなみに海老名さんの横を歩くと、全ての事象を掛け算で語られる。25分という時間は彼女と歩くには長すぎる)

 

「おお―これが雷門かー」

 

 件の海老名さんもどうやら雷門に来るのは初めてらしく、鼻を鳴らしながら風神雷神を眺めている。配置は門に向かって右が風神、左が雷神だ。雷神×風神とかは流石に想像していないと信じたい。

 

 益体もないことを考えながら海老名さんの様子を眺めていると、なぜか彼女はこちらにぐるんと振り向く。

 

「流石に雷×風はないよ。風×雷でしょ、どう考えても」

 

そう、この人は永遠にこの調子である。頭がおかしくなりそうである。

 

「というか、その格好であまりおかしなこと言わないでもらえますかね。……思った以上に目立つ」

 

 ハロウィンと言えど雷門で仮装している人間はそういない。この辺りは外国人の姿も多く、海老名さんの猫耳巫女服は特に周囲の注目の的となっていた。

 

「いやいや、そんなことは無いでしょ。浅草だから着物の人とかいっぱい歩いてるし、神社なら巫女服の方が正装までない?」

「いや、ここ寺なんすけど」

 

 つーか着物をコスプレ扱いかよ……。俺の小さなツッコミを、彼女は胸をドンと叩いて飲み込む。

 

「でーじょぶでーじょぶ!どうせ外国の人とか寺と神社の違いとか分かんないから。私たちだってモスクとシク教寺院の違いとか分かんないでしょ?」

「例えは悪くはないが、どっちにしろ猫耳はアンチシナジーなんだよなぁ……」

 

 猫耳をメインカルチャーと並べて語るのは、流石に無理がある。

 

 

 

 

 

 雷門から浅草寺まで続く仲見世通り。数々の店が立ち並んでいるが、海老名さんにとっては風×雷コンビの方がアガったのだろう。あまりの人混みも相まって妄想の暴走は抑えられている。

 

 何とは無しに通りを歩いていると、一つの店が目に留まった。

 

「ん?どしたのヒキタニ君」

 

 知らずの内に目だけではなく足も止まっていたらしい。海老名さんはヒョイと俺の左側の店を覗く。

 

「いや、別に――」「あ、そゆこと」

 

 俺は構わず先に進もうとするが、海老名さんはその店を見て瞬時に何かを理解する。彼女はその店に躊躇いなく入り、バケツに入っていた白い鞘に収まった模擬刀を抜く。

 

「ヒキタニ君こういうの好きなんだねぇ」

 

 彼女が入った店は、武器屋だった。刀だけではなく数々の和風の武器が置かれている。

 海老名さんは小さく刀を振り、俺に笑いかけた。少し耳が熱くなるのを、首を掻く振りをして誤魔化す。

 

「いや、俺だけじゃなく男なら誰でも好きだろ。ロマンだロマン」

「ロマン、ねぇ。でも巫女服に日本刀はちょっと合わないかなぁ」

 

 ほい。飽きたのか海老名さんは手にもった刀を俺に手渡す。

 おお……バケツに入った一本いくらもしない模擬刀だが、それでも自然とテンションが上がった。

 そもそも男は道に棒きれが落ちているだけでも拾う生き物だし、武器屋に刀が落ちていたら装備せずにはいられない。これは本能である。平たく言って、超楽しい。

 何度か刀を抜き差しし刃の光具合を楽しんでいると、海老名さんがジトりとした目でこちらを見ているのに気づく。

 

「おーい。何ヒキタニ君一人で楽しんでるの?巫女の私に合う武器も探してよー」

 

 どうやら、自分で思っていたより楽しんでいたらしい。上がりきった口角を無理やり戻し、ちらりと店を見渡す。

 

 一つ、目に留まるものがあった。

 

「これとかどうですかね」

 

 差し出したのは赤い持ち手のついた薙刀。長さは海老名さんの身長程はあるだろうか。立てて置くとなかなか迫力がある。

 彼女はほえ~と薙刀を眺め、ぐふふと笑う。

 

「ヒキタニ君、猫耳巫女がこんなのもってるの完全にフラグだよ。こんなの触手でぬるぬるされてもう意味深な方の薙刀に完全敗北するしかないじゃん……ヒキタニ君鬼畜すぎるよ……」

「あんたのキモさを俺に押し付けるの止めてもらっていいですかね」

 

 せっかく見繕ってやったのに失敬な。そんなことちょっとしか考えてない。……それにそういう展開なら戦国女戦士の方が薄い本も賑わう。いや、考えては無いけどね?

 

「じゃ、こっちか」

 

 薙刀の近くにあったそれを渡すと、海老名さんの目が少し輝いた。

 

「おお、破魔矢!いいじゃんいいじゃん。ヒキタニ君センスいいよ!見直したよ、鬼畜なだけじゃなかったんだ!」

「鬼畜はあんただ」

 

 通常の破魔矢は紅白で煌びやかに飾られ矢単体であることが多いが、これは弓とセットで矢尻が白、所々に金の装飾があしらわれていて、結構雰囲気がある。神事用と言うより、むしろ――

 

「見て見て見てヒキタニ君!戦国時代にタイムスリップして妖怪とか薙ぎ払う女子高生っぽくない?」

 

 彼女の方を見ると、天井に向かって矢をつがえる動作をする所だった。巫女服は大きくはだけ、少し肌色が見え隠れする。

 

 俺はすぐに別の刀を見る振りをした。

 

「具体的な例をどうも。あの女子高生は猫耳生やしてないけどな」

「えー、でも主人公は犬耳じゃん。あれ柔らかそうなんだ……」

 

 まだ海老名さんの方を見られない俺を彼女は不思議そうに眺め、何か合点がいったのかポンと手を打つ。

 

「ああ、あの主人公受け属性つよつよすぎて逆にヒキタニ君引いちゃうのかぁ」

「俺が引いてるのはあんたになんだよなぁ……」

 

 まずお前は掛け算から離れろ。

 

 

 

 

 

 浅草寺を適当に眺め、人の流れに乗って花やしき方面へ歩みを進める。流石に花やしきまで行く気はない。徐々に人混みから外れ、少し閑散とした雰囲気の住宅街に流れ着く。

 

 そろそろ散歩も終わりだ。スマホで時間を確認し、海老名さんに駅に戻る提案をしようとする。

 

 しかし。

 

「あ」

 

 わざとらしく横から発せられた声の方に、つい目が行く。

 

 そこにあったのは、ミニチュアのように生い茂った竹林。その奥には木目調で趣のある建物が姿を隠し、暖簾には控えめに『甘味処』の文字が並んでいた。

 

 その竹林で何かを連想したのは、俺だけだったのだろうか。

 

 俺が何を言うより先に、彼女はニコニコ顔をこちらに向ける。

 

「ちょっと休憩してこっか、ヒキタニ君」

 

 彼女はズンズン店の中に入っていき、こちらを振り返ることはない。

 

 はぁ。大きなため息を一つ。流石にここで帰るのは鬼畜そのものだろう。仕方なく彼女の後に続いて、その暖簾をくぐった。

 

 

 

 

 

「お待たせしました。栗蒸し羊羹の抹茶セット、お二つです。ごゆっくりどうぞ」

 

 少々不愛想な店員のおばさんは雑に伝票を木の筒にねじ込み、さっさと行ってしまった。目の前に座る海老名さんはそれを気にするわけでもなく、既に木製の菓子切を手に構え、二つある栗蒸し羊羹をそれぞれ半分に切った。

 

 メニューは海老名さんが店のおすすめを選んだので、俺も適当に同じものにした。海老名さんは全く迷わずに店員を呼んだので、彼女も恐らく適当に選んだのだろう。食い物を自分で選ぶのは存外面倒であり、女子は選ぶのが長いと経験則で知っている(ソースは小町)。彼女の無頓着さは、俺にはありがたかった。

 

 俺も彼女に倣って菓子切を構え、半分の栗蒸し羊羹を口に運ぶ。

 

 スーパーのものとは違う。口に入れた瞬間にそう感じた。スーパーでまとめ売りされている栗蒸し羊羹、あれは餡がかなり甘い。餡の甘さと言うより、甘味料の強烈な甘みだろう。

 しかしこれは、上品な甘さだ。自然な餡の甘さに、栗本来の甘みが混ざる。栗自体もパサパサとした感じが全くしない。

 

 ギリギリまだ栗は季節だ。旬のものだからこそのおいしさだろうか。目の前の海老名さんを見ると、抹茶に口をつけていた。

 

 しまった。俺は少し焦る。確か抹茶を飲む時は確か作法があった気がする。どちらかに何回か茶碗を回すことは覚えているが、どうも海浜総合のろくろ回しが頭をよぎって海馬を乱している。玉縄、頼むから一生脳内から出てけ。

 

 一瞬躊躇った俺を、海老名さんは茶碗越しに眺めていた。

 

「正面を避けるように時計回りに二回回して、呑み終わる時に正面がこっちに来るように二回半時計回り」

 

 簡潔な説明に反射的に従い、俺は二回茶碗を回し、口をつける。

 

 抹茶は思ったよりも苦くはなく、ほのかな甘みがあった。抹茶を飲むことは普段なかったが、そう悪いものでもない。

 

 俺は反時計回りに茶碗を回し、正面がこちらを向くように置く。また栗蒸し羊羹を口に運び、時計回りに茶碗を回す。抹茶の味を楽しみ、反時計回りに茶碗を回す。

 

 ……作法ってめんどくせえ。

 

 俺が作法の融通の利かなさに辟易としていると、目の前からクスクスと忍び笑いが聞こえた。

 

「ヒキタニ君、お菓子を全部食べてから抹茶は持ったまま飲むのが作法だから、茶碗を回すのは二回だけだよ。そもそも私も回してないし」

 

 からかわれた。俺は彼女の覗き込むような瞳を避け、視線が机に落ちる。というか菓子全部食ってから抹茶一気に飲むって、そっちの方がよっぽど礼儀がなってない。牛丼かきこむサラリーマンかよ。

 

「不便だよね作法って。喫茶店ならちょっとずつ楽しみたいし」

「全くだ。……というか海老名さんが作法に詳しいことも意外だが」

 

 彼女は俺の質問にヒラヒラと手を振りながら、栗蒸し羊羹を一欠片口に放り込む。

 

「祖母にいい加減に教えられただけだから、私も適当なもんだよ。やっぱ好きなように食べる方が美味しいし」

 

 俺が無言で頷くと、会話はそこで終了した。ポカンと空白のようなものがテーブル席に降りる。俺たちは黙々と栗蒸し羊羹を食し、抹茶で唇を湿らす。

 

 そんなことを何度か繰り返し、コン、と少し高い音が店の中に響いた。

 

 彼女の皿に栗蒸し羊羹はもうなく、茶碗には底に沈んだ抹茶の粉が浮いており、見ただけで苦味を感じた。

 

「あ、そう言えば、比企谷君」

 

 彼女は羊羹の感想を口にするように、軽く切り出した。

 

「電車の盗撮犯、追い払ってくれてありがとね」

 

 羊羹を切る手が、一瞬止まった。

 

 本当は、そんな気がしていた。彼女は知っている。彼女にはバレている。俺は残った最後の羊羹をゆっくりと咀嚼する。

 

「……なんのことだか」

「またまた。君の演技自体は良かったけど、普段と比べて流石にあれは好青年過ぎるでしょ。笑っちゃったよ」

 

 言葉とは裏腹に少しも表情を緩めず、彼女は続ける。

 

「あの超満員電車であんな大きいリュックを地面に置くなんて、どう考えてもおかしいよね。電車乗り慣れてないわけでもなさそうだったし、普通胸の前で抱える。……ちなみに比企谷君の角度からはどうだったかわかんないけど、私はリュックからレンズが反射してたのが見えた」

「……わかってて、なぜ」

 

 思わず、問いが漏れた。

 

 彼女は、自らの恵まれた容姿を嫌っている。その最大の理由は、自らが性の対象として見られることを嫌うからだと俺は思う。

 

 なら、なぜ。

 

「えー、だって気持ち悪いもん」

 

 彼女は普通の女子高生のように間延びした声を上げる。

 

「角度的に顔も下着も写ってないし、人いすぎて移動もできないし、駅員に突き出すほど暇じゃないし、気持ち悪い人と関わりたくないし」

 

 至極真っ当な理由だった。彼女が気持ち悪いと思ったのは本当だろう。性の対象として見られているのだから。

 

 だが、何かがおかしい。違和感の正体は、すぐにわかった。

 

 海老名姫菜は、その不快さを今まで、俺と出会ってから歩いている数時間。おくびにも出さなかった。

 

 海老名さんは店員に水を頼み、俺もお願いする。やけに喉が渇いていた。

 

 水を待つ間、彼女は一言も喋らなかった。色のない瞳で、どこか俺の後ろの方を見つめていた。

 

 カラン。店員が雑に置いたお冷の氷が小気味よく音を鳴らし、それが合図となる。

 

「さっき私に聞いたよね。『なぜ盗撮されているのを知ってて何もしなかったのか』って」

「……ああ」

 

 何とか声を絞り出す。何を聞かれるか、大体わかる気がする。

 

「私も聞きたいな。比企谷君、なんであのやり方を選んだの?私のためなら、盗撮されたデータ毎消さなきゃ意味ないよね。駅員に突き出さなきゃ、でしょ?でも君は追い払うに留めた」

 

 やはり彼女は、分かっている。俺と彼女の動機も目的も重なることに。珍しく彼女は口の端だけ持ち上げ、ニヒルに笑う。

 

「君は、他人に自分を重ねる。でも重ねた他人は自分じゃない。だから自分のことすら他人事で、根本的解決なんて求めない。捨て身の解消策を平然と取れる」

 

 今までのことを思い出す。雪ノ下雪乃に、由比ヶ浜結衣に、鶴見留美に、葉山隼人に、そして海老名姫菜に。俺は自らを投影し、エゴイスティックなヒロイズムに酔う一人のぼっち。

 

 海老名姫菜は何も言えない俺に柔らかい笑みを向ける。

 

「わかるよ、だって」

 

 あの駅での彼女との会話が、今度は俺を巻き込む。

 

「君も私も、腐ってるから。自分のことすら、他人事なんだ」

 

 とても、否定はできなかった。

 

 

 

 

 

「でも、まぁ」

 

 彼女は小さくため息を吐き、言葉を区切るように、ゆっくりと続ける。

 

「私が比企谷君に二回も助けられたのは紛れもない事実」

 

 だから。彼女は背筋を伸ばし、座ったまま深々と頭を下げる。

 

「ありがとう、比企谷君。……色々言っちゃったけど、そう言うのも含めてお礼言いたかったから」

 

 唐突に下げられた頭に、どうすればよいかわからなかった。

 

 彼女は恐らく、知っているのだ。真摯に礼をされてしまえば俺は否定するしかない。戸惑って、逃げ、結局は受け入れるしかない。下げた頭はどんな顔をしてるんだか。

 

 頭を下げながら舌を出す彼女は、想像に難くない。

 

「……修学旅行のは部の依頼で、今日のは同級生が犯罪行為の的になっていたのが気持ち悪かっただけだ。海老名さん個人を助けたわけじゃない。だから俺があんたから礼を受け取る筋合いはない」

 

 彼女がそう来るなら、俺はいつもの俺の答えを。海老名さんはまだ頭を下げたまま応じる。

 

「うん、知ってる。比企谷君ならそう言うのは知ってる。逃げるの得意だもんね」

 

 当然のように当然の評価を下す彼女に、返す言葉がない。

 

 逃げている。そう言われればその通りだ。他者からの評価から、好意から逃げている。

 

 知っていて尚、俺は全てから逃げるのだろう。一生。

 

「でももう、お礼は受け取ってもらってるから」

 

 ……は?

 

 疑問符が頭を埋め尽くす。彼女は言葉を発せない俺に満面の笑みを浮かべる。

 

「修学旅行と今日のお礼の、『猫耳巫女と浅草観光デート』」

 

 一瞬の静寂。彼女の言葉を反芻し、俺は数秒後に理解する。

 

 そういうことか。ガクッと体の力が抜けるのを感じた。

 

「どうどう?お気に召したかな?」

 

 ズイズイと感想を求める海老名さんに、俺は嫌々ながら頭の中のそろばんを弾く。

 

 猫耳巫女服jkと半日デート。世間の相場はおいくらほどに、なるのでしょう。

 

「……お礼が過剰過ぎて、むしろこっちが借り作ってるんですが」

「お、それなら今度は私がお礼してもらわなきゃだねぇ」

「……できる範囲で頼む」

 

 返せる気がしないが。海老名さんは俺のホールドアップを見て楽し気に笑い、嘆息する。

 

 そしてしみじみと、先日の言葉を繰り返す。

 

「やっぱり上手くやれるかもね、私たち」

 

 彼女はピン、とコップを弾いた。とんできた水滴は俺の手に当たり、拭うこともなくそのままテーブルへと落ちる。

 

 その冷たさすら、彼女の言葉で蒸発する。

 

「じゃあ今度は、比企谷君が執事服着てデートね」

 

 色の無い海老名姫菜の瞳が、微かに揺れた気がした。

 

 彼女は巫女服を机の上に乗り出し、彼我の距離が一気に縮まった。反射的に椅子を引くが、彼女は更にこちらに身を乗り出す。

 

 鼻と鼻が当たりそうな距離。大きな瞳に反射して、情けない自分の顔が見えた気がした。

 

 彼女はその距離のまま、俺の唇についた抹茶の泡を人差し指で拭い、舐めとる。ちろりと真っ赤な舌が覗き、思わず目を逸らす。

 

「甘いね、比企谷君」

 

 いつになく熱を含んだ呟きに、鼓動が五月蠅いほど早くなる。一秒が十秒に、一分が一時間に。時の流れがおかしくなった気がした。

 

 どのくらい経ったのだろう。目を伏せたままの俺にはわからない。逸らした目を恐る恐る前に戻す。

 

 そこには、いつものニコニコ顔があった。

 

 ああ、またやられた。反射的にそう直感した。海老名さんは両手でサムズアップし、いつものように鼻息を漏らす。

 

「ヒキタニ君と隼人君の執事服デートとか、激熱でしょ!!!!それにヘタレ受けのヒキタニ君から誘うのが更に熱い!!!!!金払ってでも後ろ付いてく価値はあるね」

「……何億貰おうが、絶対にごめんだ」

 

 俺はいつも通りの彼女に、何とか返事をする。

 

 はやはちなるものを連想して別世界にトリップする彼女を横目に、俺は窓から覗く竹林と夕焼けのコントラストを眺め、深く、深くため息を吐く。

 

 やはり俺は、海老名姫菜が苦手である。

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