なにかが欲しい、と思うのは人として当たり前のことだろうか。
わたしという人間は、なにかを欲することなく今までを生きてきた。必要なものは向こうから寄ってきたから困ったこともない。
だからわたしは、珍しく、らしくもなく、戸惑っている。
欲しいのだ、たまらなく。欲しくて欲しくて仕方がない。
子供がおもちゃをねだるのも、学生が単位を求めるのも、全てこれと同じ気分なのだろうか。
苦しくて、不快で、しかしそれでいて愛おしく心地好い。
彼女の全てをわたしのものにしたい。わたしだけのものにしたい。所有して、支配して、わたしが彼女の全てになりたい。
どうすればいいのかな。
どうすれば、彼女の世界をわたしで塗り潰せるのかな。
どうすれば、彼女はわたしだけを見てくれるようになるのかな。
どうすれば。どうすれば。
「ねぇ、静ちゃん」
声をかければ、わたしを見てくれる。煙草で灰皿の縁を叩いて灰を落とした。フィルターを咥えることなく、続く言葉を待っているようだった。
「わたし、静ちゃんが欲しいな」
試しにそう口にしてみる。彼女はあからさまに懐疑的な顔になった。
「冗談は冗談だとわかるトーンで言え」
小さくため息をついて手を口もとにやる。僅かにわたしから顔を逸らして、ふぅっと煙を吐いた。
そういうところがあるから、欲しくなる。
「冗談なんかじゃないよ」
わたしの顔をちらりと横目で見ると、今度は大きく息を吐く。やはり顔は逸らした。
煙草を板金の灰皿に押し付けて消す。義務的につけているルージュが、フィルターに赤いアトを残していた。
「私はお前に必要とされるほどできた人間ではないよ」
その言い草に、わたしは少しむっとする。
「できた人が欲しいんじゃないよ」
「では何が欲しい」
「静ちゃん」
三度目のため息を吐いた。顔は逸らさなかった。代わりに目を逸らした。
ノンアルコールのお酒を煽って、不味そうな顔をする。
「なら、無理にでも奪ってみるんだな」
諭すような言い方だった。あくまでも、わたしを子供と突き放したがっているようだった。
お前と私は違う、と。
そう、違う。わたしと静ちゃんは違う。けれど、きっと違うから静ちゃんが欲しいんだ。安易な同意と同調を見せる他の人じゃなく、冷静な相違と差異を伝えてくれる静ちゃんが。
「奪えばわたしのになってくれるの?」
「……さぁな」
静ちゃんにしては珍しい反応だった。誤魔化すように、箱から新しいタバコを手にする。
唇に咥えようとしたそれを右手ごと押さえ付け、代わりにわたしの唇を重ねた。別に何か意図があったわけじゃない。ただなんとなく、まだ薄く残っているルージュをまたタバコに付けるのはもったいない気がした。
「……おいしくないね」
「美味くてたまるか、馬鹿者」
手の甲で唇をぐいっと拭う。そんなに嫌だったかな。でもちょっとだけ顔赤くない? まさか酔ってるはずがないもんね、ノンアルだし。
「あーあ、口紅汚くなっちゃったよ?」
乱暴に拭ったせいで、ルージュが口の端まで広がっている。たぶん手の甲の方にもついているだろう。
紅くなった口角は、なんだかちょっとゾンビ映画の特殊メイクみたいに見えた。静ちゃんがゾンビになったら誰も敵わなそう。どっちかというと、静ちゃんはゾンビを倒す側じゃないのかなぁ。
「誰のせいだ、誰の」
くだらないことを考えていると、静ちゃんは眉間にシワを寄せる。そんな顔もサマになってるからズルいよね。でもシワがない方が可愛いしキレイだからだめでーす。
親指で眉間をぐりぐりとマッサージしてあげると、静ちゃんは一層不機嫌になった様子でわたしの手を退ける。
お酒の缶を手にして口元まで持ち上げるが、そこでピタリと停止。嫌そうな顔をして缶をテーブルに戻した。中身空っぽだったんだね。
「化粧、落とさないの?」
「今落とそうとしたところでお前の邪魔が入るだろう」
「それはそうだね」
ここは静ちゃんの家なんだから、わたしをつまみ出せば済む話なのに。それをしないあたり、やっぱり静ちゃんは甘い。
またため息をついた静ちゃんは、新しい缶のプルタブに指をかけた。これもノンアルコール。静ちゃんが好き好んでノンアルを飲むはずもなく、要するにわたしのちょっとしたイタズラだ。
家に押しかける旨を連絡したら酒でも何でも手土産を持ってこいと言われたから、ご要望通りお酒をたんまり買ってきたのだ。全部ノンアルね。0.00%のやつ。
備蓄してあるアルコール入りのお酒もあるはずなのに、わたしが買ってきたお酒しか飲んでいない。重ねて言うが、静ちゃんは甘いのだ。
「あ、静ちゃん」
「何だ」
「今日泊まってもいい?」
「帰れ」
「でももう電車ないよ?」
「は!?」
慌てた様子で置時計の時間を見る。たった今、終電が出たところだ。
静ちゃんは今日一番の大きな大きなため息をつき、テーブルに肘をつく。ちょっと韻踏んだのは偶然だよ。
「車で送る。出る支度をしろ」
流石に泊めてくれるほど甘くはなかったみたい。まぁ、だからこそ静ちゃんのことは信用できるし、欲しくなっちゃったわけなんだけど。
「支度をしなきゃなのは静ちゃんじゃないかなー」
ゾンビメイクの口端を指で小突いてやる。面倒くさそうに頭を掻いた静ちゃんは、立ち上がって棚から何かを取り出した。
うわー。似合わない、似合わないよ静ちゃん。マスクが絶望的に似合わない。せめて黒マスクならもうちょっとマシだったんじゃないかなぁ。
「行くぞ」
「はぁい」
珍しく、わたしはわたしの気紛れさを後悔した。
お酒、アルコール入りにしておけばよかったな。