俺ガイル 合同短編カップリング企画!   作:しゃけ式

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ぶーちゃん☆さん 八幡×相模 どうやらさがみんルートが解放されたようです

 祭りのあと。

 それは、ほんの少し前までの喧騒を懐かしみ、それとは真逆の現在の静寂を虚しくさせる言葉。

 らしくもなく花火なんかを楽しみ、その際思いがけず知らされた雪ノ下雪乃の嘘とは言えない真実の隠蔽に失望し、由比ヶ浜結衣からのなんらかの意思表示を臆病風から身勝手に遮り、罪悪感から逃げ出すように無心で愛する我が家へとひた進む己の心境に正にぴったりの言葉だろう。

 

 ──ああ……、なんて苦いのだろうか。この胸を締め付けるようなもやもやは……この口腔をまとわりつく酷い苦味は……まるで毒だ。人の身体を、心を蝕む猛毒だ。 

 

「……チッ」

 

 あー、やっぱやめだ。このまま真っ直ぐ家に帰るのはやめておこう。このまま家に帰れば、必然的に小町から花火大会での様子──厳密に言えば、プライスレスな花火の思い出を根掘り葉掘り聞かれる事になるだろう。

 その時、俺は一体どんな顔をするだろうか。一体どんな態度を取ってしまうだろうか。下手をすると、あまりの居たたまれなさにカマクラの毛をむしって怒ったカマクラに家を追い出されてしまいそうだ。ペットに追い出されちゃうのかよ。

 

 とにかく今の心理状況のまま帰宅するのは精神衛生上とてもよろしくない。俺の問題なのに、可愛い妹に嫌な態度を取ってしまったら申し訳なさすぎる。

 両手に抱えた出店の戦利品達には悪いが、小町の胃袋に収まるのはもう少し待ってもらうとしようか。

 

 

 俺はその戦利品の中からラムネを取り出し、このモヤついた気持ちを少しでも晴らすように……未だ口腔を蝕む苦い猛毒を洗い流すかのように、喉の奥へと一気に流し込んだ。まるで親に叱られて自棄食いするクソガキみたいに。

 

「……さてと、小町に怒られちゃうからラムネ追加補充しとかなきゃな」

 

 そうぽしょりと独りごち、俺はもう一度出店が並ぶ祭りの真っ只中へと気だるげに足をのばすのだった。

 

 

× × ×

 

 

「……うわぁ」

 

 由比ヶ浜宅の最寄り駅から電車に乗り込み、今一度千葉ポートタワーの麓へと降り立った。

 せっかく混まない内に早めに退去したというのに、何故に俺はラムネ一本の為に、わざわざこんな人でごった返す花火大会会場最寄り駅まで引き返してきてしまったのだろうか。多少頭が冷えて少し冷静になったら、自身のあまりの間抜けな選択に頭を抱えたくなってきた。馬鹿なの?

 ……まぁ、確かに馬鹿だったのだろう。身勝手な理想を押し付け、その理想にそぐわなかったからと自分勝手に雪ノ下に落胆してしまったあの時も……臆病風を吹かせて由比ヶ浜の言葉を遮ったあの瞬間も……寂しげな由比ヶ浜の背中を見送ったあとセンチメンタルとかいう名の自己嫌悪に陥って、後先考えず小町用のラムネを一気飲みしてしまったあの瞬間も。

 

 ……と、いつまでも過去を振り返ってばかりでは何も始まらない。情けない過去を振り返り、その恥ずかしさに大量の汗をかいて赤面する恥ずかしい青春時代など疾うに卒業したではないか。今までどれだけ黒歴史をベッドの中で悶えてきたと思ってんだふざけんな。

 

 よし、とっととラムネ買ってこの人混みから離れようそうしよう。

 恥ずかしい過去を脱ぎ捨て、ようやく前向きにそう思い至れた俺は、最後の花火が打ち上がってからすでに三十分は経過しているというのに、未だ祭りの余韻を頭空っぽにして騒いでいる数多くのウェーイ勢を掻き分けてラムネの出店を目指す。

 

「……ん?」

 

 マジでこいつら爆発しねぇかな、なんて心底うざったく思いながらも、なんとかラムネを購入し、即時撤退しようと踵を返した時だった。

 別に見ようと思ったわけではない。気にしたつもりもない。しかし、俺の視界が“それ”を捉えてしまったのだ。ノスタルジックな明かりがぽうと灯る出店が並ぶ片隅の、そんな灯りが微かに届かぬ暗がりで、一人の女の子が三人の男と話し込んでいる姿が。

 

「……わぁ、ナンパかよ」

 

 一見楽しげに見えるそのやり取り。しかしほんのちょっと目を凝らして覗いてみれば、若干腰が引けている女の子に対し、なんともチャラそうな大学生くらいとおぼしき男三人はぐいぐいである。女の子の笑顔、かなり引きつってるし。

 てかよく見たらあの女、さっき会った同じクラスの奴じゃねぇか。名前は……確か……、あれ、あいつなんつったっけ? さ、さ、さがみん?

 まぁあの女、性格はすこぶる悪そうだけど、見た目だけはなかなか美人の部類だし、こんな所で一人で居たら、そりゃウェイ勢にも捕まるだろう。

 

 あれはかなりしつこいナンパに逃げ出せずにいるな。ああいう女はステータスになりそうなイケメンならほいほいナンパされそうだが、いかんせん今群がってきてる三人は、正直イケメンとは言い難い。

 いわゆる雰囲気イケメン。髪型とファッションだけで「俺イケメン陽キャ!」臭を醸し出そうと努力しているが、そんな努力が空回りしてしまっているたいして冴えない容姿、というところか。

 つまり残念ながら、あいつらではあのプライド高そうなクソ女のお眼鏡には適わない。だからあんなにも迷惑そうにナンパをかわそうとしているのだろう。

 

 しかし、魑魅魍魎のごとき盛った豚共が跋扈するこの社交場に一人で居る時点で、あの女にも問題がある。お友達(取り巻き)とはぐれちゃったのかな?

 せいぜいハイエースに連れ込まれないようにしろよ、と少女の行く末を適当に案じながらも、俺には特に関係が無いので見なかった事にしてすっと目を逸らそうとしたら──

 

「あ」

 

 何度断っても埒があかなかったのだろう彼女は、ついには周りに助けを求め始めたのか、辺りにちらちら視線を向け出し、そんな彼女とタイミング悪く目が合ってしまった。そしてその瞬間、奴は酷く顔を歪めた。それはもうぐにゃりと。

 つい先ほど、由比ヶ浜に対し優位に立つ為の道具として利用したクラスの日陰者などに、自分がイケてない男共にナンパされて困っている姿を見られてしまったのがさぞや屈辱なのだろう。

 なにその腹立つ顔。とっととハイエースに連れ込まれろ。

 

 俺はさがみん? に心の中で御愁傷様~と声をかけ、そそくさとその場を立ち去ろうとしたのだけれど……、なんだろうか。なんかもやもやする。胸に引っ掛かる。

 もしナンパされているのが雪ノ下や由比ヶ浜であったのならば、なにかしらの策を講じてナンパ野郎を煙に巻いていたかもしれない。ちなみにもしあれが小町だったら殲滅余裕です。

 しかし別にどうでもいい女がナンパされて困っている分には、俺はなんとも思わない。どうでもいいどころかむしろムカつく女だし、なんならざまぁと思っているまである。

 

 だからここであの女を見捨ててずらかる事にはなんの罪悪感も抵抗もない。……ないはずなのだが、どうしても胸に何かが引っ掛かる。

 目が合ってしまったから。俺の存在をさがみんに認識されてしまったから。このもやもやはもしかして恋? 違うかな、違うね。

 

 まぁこのもやもやの理由は後でさがみんに述べる事になるかもしれないから、今はとりあえずそれは横に置いておいて、まずはあのナンパ現場に近づいて行く事にしよう。なにせまだナンパ野郎共を退散させる算段が付いていないのだから。

 とりあえず今は余計な事を考えず、あの場へと赴き、あいつらの様子を窺いながら突破口を探ってみよう。

 

 そして俺はステルス機能を最大限に発動しつつ、静かに……でも確実に、奴らの元へと歩を進めるのだった。

 

 

× × ×

 

 

「だからさー、ちょっとくらい遊ぼうってー」

 

「そそ。せっかく花火で盛り上がってんのにさぁ。ノリだって、ノリ」

 

「あ、いや、でもぉ……」

 

「だから大丈夫だってー。俺ら結構真面目な大学生なんよ?」

 

「そそ。こう見えて千葉大生だし、前途有望っつの? 俺らと仲良くなっといて損は無いって」

 

「格好いい車あっし、そこら辺ドライブでもすっぺ。東京湾の工業地帯とか超綺麗だしさ、夜景とか楽しんじゃおうぜ、ウェーイ」

 

「ウェーイ」「ウェーイ」

 

 そっと近づいてみたら、大量のウェーイ族が繁殖しておりました。戸部さん、出番です。

 これはリアルで車で連れ去る気まんまんだわ。

 

 そんなヤル気まんマングローブな野獣達にからまれて、さがみんは酷く引きつった笑いで後退る。そのひくついた笑顔はなんとも卑屈ではあるのだが、なんだかこいつにはその卑屈な笑顔がとっても似合って見えるからアラ不思議。ははぁん、さてはこいつ小物だな? なんだ、なんかこいつムカつくなぁとは思っていたけど、なるほどこれが同族嫌悪ってやつか。

 

「や、やー、う、うち、友達とはぐれちゃったトコなんで、みんなを待ってなきゃな~、って……あはは」

 

 しかし、いくら卑屈さがお似合いだろうとも、やはり嫌なものは嫌なのだ。ノリという名の空気感──悪く言えば同調圧力を壊して相手を怒らせないよう、マタドールばりに必死にかわそうと頑張るさがみん。

 

「じゃあその友達も一緒に遊びに行っちゃえばよくない?」

 

「それな」「それだわー」

 

 でも性欲に狂った猛牛は止まらない。さがみんがひるがえす真っ赤なマントなど、こいつらの闘志を燃え上がらせるだけにすぎなかった。彼女が必死に紡ぎだしたお断り文句など、猛牛のターゲットを一人から乱交へと移しただけ。いやぁ、猛ってますねぇ。

 

 ……なんだこれ。いくらムカつく女であろうとも、これは流石に胸糞悪くなってきた。

 大の大人が三人で嫌がる女の子一人に群がっているのを見るのは、どうやらとても面白いものではないらしい。

 流石にマズいと感じたのかさがみんも青ざめ始めている事だし、そろそろ助け船を出してやるかね。こいつらの会話の中に突破口も見えた事だし、ここは野獣からさがみんをジャッカルしちゃうぞ♪

 

「……あー、悪い」

 

 ──正直、かなり恐い。本当は出来れば声なんてかけたくはない。それはそうだろう。目の前に上手そうな餌をぶら下げられた野獣三匹の中に飛び込んで、その餌を横からかっ拐おうとしているのだ。その行動がどんな結果をもたらすのか分かったものではない。

 もしかしたら「なんだよ男いんのかよ」とか言って、舌打ちの大演奏を奏でながら去っていってくれる可能性だってある。しかしそうならなかった場合──もしもこいつらが問答無用で殴りかかってくるような世紀末DQNだった場合は、この馬鹿共相手に一戦交えなければならないのだ。これが恐がらずにいられるだろうか。震えずにいられるだろうか。

 でもいくら後悔してももう遅い。なぜならすでに声をかけてしまったのだから。

 

 

 ──俺からの震え混じりのか細い声かけに、三人の男が怪訝そうに振り返る。当のさがみんは……かなーりびっくりしている。

 多分こいつ、さっき目が合った瞬間、俺なんてとっくに逃げ出したと思ってたんだろうなぁ。

 ごめんね? そんなに唖然とした間抜け面させちゃって。君みたいな高慢そうな女の子は俺みたいな底辺に助けられるのとか、プライドが超傷付くよね? ここに居るのが葉山とかならさぞや喜んだんだろうけど。

 ……だが、お前の気持ちなど知った事ではない。なぜならお前を助けるのは、決してお前の為などではないのだから。

 

 だから俺は俺の為に言葉を紡ぐのだ。こうやって、あたかもこいつの待ち人が俺であったかのように。

 

「……待たせたな、……さ、さ──」

 

 ……って、ん?

 そういや、俺はこいつの事なんて呼べばいいのん? 由比ヶ浜の挨拶の記憶しかないから、体裁上脳内ではさがみんさがみん言ってたけど、実の所、こいつの名前なんて興味が無さすぎて全然覚えてない。うん。どうしよう。

 ……ま、まぁ、思い出せないもんは仕方がない。みんな俺の台詞待ってるし、ここはこの場を上手くやり過ごす為にも、にこやかにフレンドリーに行こうじゃないか!

 

「……ま、待たせたな、……さ、さがみん」

 

「……えぇ」

 

 震える声でフレンドリーに声かけたら、物凄く気持ち悪そうな顔されちゃいました。さがみんに。

 解せん。

 

 

× × ×

 

 

 ほんのり赤ら顔の俺(キモい)の台詞により時が止まる事しばし。我ながら自分のキモさに泣きそうになるが、なにも救いの手が差し伸べられてる真っ最中のお前がそこまで嫌っそうな顔する事なくない?

 

 そしてさがみんのみならず、俺のキモいキョドりっぷりは当然のように性欲三巨頭の刻までも奪っていたのだが、どうやら俺の挙動不審っぷりなんかよりも性欲の方が勝ったらしい。

 彼らは、恥ずかしそうにもじもじする俺とあんぐりと呆けているさがみんを交互に見比べて、こう口を開いた。

 

「え、えっと、……ねぇ、もしかして君が待ってたのって、……これ……?」

 

 どうも、これです。

 

「おいおいマジか。君、こんなのと遊んでたん……?」

 

 どうも、こんなのです。

 

「つかもしかして君の男だったりすんの……?」

 

 どうも、さがみんの男です。いいえそれは断じて違います。

 

「……あー、いや、あ、あはは」

 

 やめてお兄さん達! さがみんがもんのすごく不本意な引き笑いしてるから! ここは紳士淑女の社交場なのよ!? こんなのが彼氏と思われちゃったさがみんの屈辱はいかほどなんでしょうかッ!

 でも、どうやら俺が助けに入った事に気付いたらしいさがみんは、ここで簡単には否定できない。だってそれを否定したらしたで、今度はまたしつこいお誘いが待っているからね。

 全力で否定したくとも出来ないジレンマ。口惜しげな涙目で笑顔を作るさがみんマジ不憫。一番不憫なの俺ですけど!

 

「うっわマジか。せっかく可愛いのに、ちょっと趣味悪くない?」

 

「それな」「それだわ」

 

 余計なお世話だよなんちゃってイケメン共。髪型だけだろお前ら。坊主にすりゃ俺の方が遥かに顔整ってるわ。ただ腐った目と醸し出す雰囲気がアウトなだけで。致命的なアウトだった。

 

 まぁ余計なお世話だろうがなんだろうが、渋々でも俺がさがみんの待ち人だという事は理解したようだし、さがみんも渋々理解したようだし(お前も渋々なのかよ)、これでとっとと退散してくれると助かるのだが──

 

「……ま、いいや。じゃあこんなのほっといて俺達と遊びに行こうよ」

 

「だよな」「それあるわ」

 

「……え? ……え?」

 

 ……やー、やっぱそう来ましたかー。常識的に考えて、待ち人が来たのに待ち人ほっといて他の男と遊びに行くわけないでしょう。さすがのさがみんも困惑して泣きそうになってますよ。まぁ待ち人じゃないんだけどね?

 

 ──やれやれ、仕方がない。大人しく退散していれば見逃してやったというのに、これは撃退するしかないようだ。

 早く帰って小町にお土産を納品しなければならない俺としては、いつまでもこいつら(さがみん含む)に構っている暇などない。さくっと撃退してしまおう。

 問答無用に殴りかかってくるような世紀末DQNではなかった事にほっと安堵した俺は、少しだけ気が大きくなったのか、不遜な態度で男達に向き直る。

 

「……あのー、ちょっと勝手に話進めないでもらえないすかね……」

 

「は? こっちの話してんだけど。外野は黙っててくんね?」

 

 内野内野!八幡超内野でしょ! むしろ外野はそちらのはずじゃないのん? 本当は外野も外野、スタンド奥の駐車場くらい無関係なんですけどね☆

 それにしてもこいつら、ちょっと調子に乗りすぎじゃない? 言っとくけど、俺お前らを裸足で逃げ出させる自信あるよ?

 ……俺は怒ったぞォ! 虫けら共め、精々今のうちに意気がっておくがよいわ!

 

「……いやいや、部外者は明らかにそっちですよね。なんで完全部外者の自分らが関係者ヅラしちゃってるのか理解できないんですが。大学生にもなって嫌がる女子高生を集団ナンパとか恥ずかしくないんですかね」

 

 と、圧倒的部外者の俺がなんか言ってますよ?

 

「……あ?」

 

「……なにこの陰キャ」

 

「……ちょっとムカつかね?」

 

 しかし、この物言いには、世紀末DQNではないこいつらもさすがにご立腹らしい。大して視界にも入れていなかった俺に対し、三人揃って凄んできた。

 どうせ自分らをカースト上位者とでも思っているのだろう。だから俺のような陰キャっぽい地味な男子高校生に偉そうに意見されてカチンときた、と。

 

 だがしかし、その調子に乗った鼻っ柱をぽっきり折って惨めに退散させるのが一番の狙いな俺からしたら、この反応は上出来だ。お前らみたいななんちゃってカースト上位者(笑)に、本物の上位者の威厳ってやつを見せつけてやるぜ。

 さぁ、恐れおののけ、俺の恐ろしさに!

 

「ああ、そういや大学生といえば、確かさっき千葉大生とか言ってましたよね」

 

「は? だからなんだよ」

 

「フヒッ」

 

 さらに凄む三馬鹿のお間抜け面を見ていたら笑いが込み上げてきて、思わず口から溢れ出てしまった。そしてニヤリと口角を歪めた俺は、ここで取って置きのカードをドローする。

 ふはははは! お前らのターンはここまでだ! 出でよ、大魔王、召っ、喚ッ!

 

「じゃああれですよね。陽乃さん、って知ってますよね」

 

「……は?」

 

「陽乃ですよ陽乃。県議会議員で土建屋んとこの長女」

 

「…………え、なんでそこでその人が出てくんの……?」

 

 はいビンゴ。その名を出した途端、こいつら表情が変わりましたわ。そりゃ知ってるよね、同じ大学に通っているお姫様の皮を被った大魔王だもん。

 

 

 ──雪ノ下陽乃。言わずと知れた魔族の長である。

 大学とは、今までの学生社会とは違い、とんでもなく広大な社会。故にどんな人物が在学しているかなど、普通は知らないまま四年間を過ごすものだ。中高時代多少学内で有名人だった程度では、大学という広い社会に入ってしまえば、一躍ただの通行人の仲間入り。

 つまりよほどの人物でもなければ、学内の誰もが知るような存在にはなれないのだが、裏を返せば、よほどの人物であれば、それは学内でとてつもない影響力を行使出来る恐ろしい存在になれるという事になる。

 

 陽乃さんが大学でそういう存在なのは初対面の時から知っている。大名行列のように、カースト上位者っぽい連中(配下)を颯爽と従えてたからね。それこそ、この三馬鹿とはレベルの違う本物の上位者達を。

 なにせあの美貌とあのバック(雪ノ下家)とあの性格(強化外骨格)。さらには本来なら東大以上を狙える実力があるのに、家の都合でランクを下げてまで千葉大に進学した程のあの学力である。大学という広い社会、広い世界に置いても、他を従える存在にならないはずがない。

 

 だからこいつらとさがみんの会話を聞いていて思ったね。あれ? こいつら千葉大生なら、アレ出せば追い払えるんじゃね? と。

 助けるだの一戦交えるだのと格好つけておきながら、俺の作戦はこれである。そう、THE,虎の威を借る狐大作戦!

 一人で格好良く撃退すると思った? 残念! ずる賢さ以外に特筆すべき所がない一介の高校生に、そんなスマートイケメンみたいな真似が出来るわけないだろうが! 確実な勝算がなきゃ、好き好んで人に喧嘩なんか売るわけがない。ビバ権力。ビバコネクション。立ってる者は親でも使え、利用できる陽乃は魔王でも使え。

 ふはははは! どうだ愚民共! 俺の恐ろしさ(スネ夫)思い知ったか!

 

「あのですね、実は俺あの人の高校の後輩でして、結構可愛がってもらってるんですよ」

 

 角界の可愛がり的な意味合いですがなにか。

 

「……え」

 

「ついさっきも貴賓席で一緒に花火見てましたしね。ほら、忙しい親の代わりに名代として参加してたんですよあの人。なんなら呼び出します? 千葉大生が嫌がる女子高生を無理矢理ナンパしてんすけど、千葉大って大丈夫なんすか? とか言えば、多分あの人面白がって走ってくると思いますよ?」

 

 もちろん連絡先など知らないから、当然ブラフではあるけれど。

 でもあの人、連絡先知ってて本当に呼び出したら、面白がってホントに走ってきそうなんだよなぁ……。面白がるポイントは、大学生に絡まれて困っている俺の姿に、だけど!

 

 さすがは大魔王。ブラフとはいえ、その名を出した途端にこいつらは慌てふためき出した。「マジかよ、ヤバくね……?」だの「ガキの嘘に決まってんだろッ……」だの「いやいや貴賓席とか言ってたぞこいつ。もしマジだったらヤバいって」だのと、ひそひそと会議を始めてしまった。

 これはもうあと一押しで決まりそうですね。それではさようなら。

 

「……えっと、どうします? 今ならまだあんたらの素性を何一つ知らないんで、このこと陽乃さんに報告しないですけど、まだしつこいようなら、ご自慢の車のナンバーからでもなんでも、素性なんていくらでも調べられますよ? 千葉であの人とあの家に睨まれたら、お兄さん達今後の学内の立場とか就職活動とか大丈夫なんですかねぇ」

 

「」「」「」

 

 

 

 ──こうして、「ちきしょー覚えてやがれー」と聞こえてきそうな惨めな背中を晒して悪は去っていった。

 若干はるのんの使い方が陽乃ではなくHARUNOのような気がしないでもないが、HACHIMANではない俺に実害はないし良しとしよう。

 

 ……けぷこんけぷこん。

 さて、これて残すところは塔の最上階で囚われていたヒロインからのヒーローインタビューだけである。当のインタビュアーはヒーローの姑息っぷりに全力で引きつってますけども。

 まぁこれ完全に「俺の先輩暴走族なんだぜ!」だからね。仕方ないね。

 とはいえ、そもそもさがみんからのインタビューなど、この一連のイベントの中でも特にどうでもいいイベントなので、こうして俺の勇姿(笑)にドン引きしてくれている内にさくっと済ませちゃおう。

 

「……じゃあまぁそういう事で」

 

「え!? ちょっと!?」

 

 なんだよ呼び止められちゃったよ。すでにさがみんには背中を向けて駅方向へ足を踏み出しているものだから、呼ばれてしまった以上はわざわざ振り向かなくてはならない。めんどくせぇなぁ。

 

「……チッ、なんだよ」

 

「え、なんで不機嫌なの!? この状況でなんにも会話しないとかおかしくない!?」

 

 ですよねー。いやそりゃ俺もおかしいかな? とは思ってたんですよ。奇遇ですね。

 でもさっきの事(酷い初顔合わせ)もあるし、話さないで済むなら話さないでもいいかなぁ? って!

 

「……まぁ確かにそうかもしれんが、さっき会ったばっかの俺らに話すような事もないだろ」

 

「なんでよ、一応助けてくれたわけなんだし……、た、助けてくれたんだよね……? なんか一言くらいあんでしょ普通!」

 

「……そうか。じゃああれだ。今後はハイエースには気を付けろよ」

 

「なんでハイエース!?」

 

「気にすんな。ただの比喩だから」

 

「……意味わかんないんだけど……」

 

 なんだこいつ、思ってたよりかなり騒がしくない? ツッコミ激しいんだけど。なんかこう、もっと陽キャ陽キャしてて、私可愛い! 的な猫被ってなかったっけ。あからさまに嘘臭かったけど。

 それなのに、ちょっと動揺して余裕がなくなった程度でこの素丸出しっぷりである。ははぁん、さてはこいつ小物だな? (二回目)

 

「とにかくそういう事だから。じゃ」

 

 さて、思いの外会話が長くなってしまった事だし、そろそろおいとますることにしようか。知らない女との会話ほど疲れるものはないし。

 夏休み前はほば毎日顔合わせてた雪ノ下とだって、なかなかこんなに会話しねぇぞ。あいつは極端に口数が少ないだけだった。

 

「……ちゃ、ちょっと待ってって。……き、聞きたい事、あるんだけど」

 

 しかしそうは問屋が卸さない。自分で一言を所望しておきながら、確実に一言以上は会話したというのにまだ納得してくれないらしい。

 やれやれ、と仕方なしに今一度振り返り、再度さがみんと向き合う事に。

 するとなぜかこいつは妙に気まずそうな、それでいて少し悔しそうな、そんな顔をしていた。

 

「……お前に興味持たれるような事あったっけ」

 

 ──こいつは、つい先ほど初顔合わせを済ませたばかりの、無駄にプライドばかり高そうな嫌味ったらしい上位カーストの女だ。そんな女が、俺のようなカースト最下層に一体なにが聞きたいというのだろうか。

 あれかな? 陰キャって教室で一人で過ごすのキツくない? とかかな? 泣けるぜ。

 

「……あのさ、なんで……? なんでうちのこと助けてくれたの?」

 

「は?」

 

 なんだ。何が聞きたいのかと思ったらそんな事か。

 誰かを助けるのに理由がいるかい?

 

「……だって、さっきうちの事ムカついてたっぽいし……」

 

「いやいや、ぽいじゃねぇよ。そりゃムカつくだろ、あんなに見下されりゃ。むしろ見下されてると意識させるようにしてただろ、あの腹立つツラ」

 

「……腹立つツラとかムカつくんですけど。……でも、やっぱムカついてたんじゃない。だったらほっとけばよかったのに、なんで助けてくれたのかな、って。……さっきさ、目ぇ合ったじゃん。あー、あいつ絶対うちのこと嗤ってんだろうな、って。ざまぁとか思ってんだろうな、って思ってたのよ……。マジ最悪な奴に最悪なところ見られちゃったって思った。だから、まさか助けてくれるとは思わなくて……結構びっくりした。……ねぇ、なんでほっとかなかったの?」

 

 そう言って、さがみんは不機嫌そうにぷいと目を逸らす。

 

「……」

 

 

 ──ナンパから助ける。

 この行為は、痴漢から助けるのと同じくらい、ラブコメではありふれたシチュエーションだ。

 助けられ、言葉を交わし、相手に興味を抱き、そこから思わぬ発展をする恋愛模様。

 小説やアニメの中ならば、現在のシチュエーションは間違いなくラブコメのベタで鉄板な物語の冒頭だろう。

 しかしそれはあくまでも創作の中のお話である。現実ではただの親切な人で終わるか、下手したらただの下心からくる偽善と思われるのが関の山。

 ラノベじゃあるまいし、現実はニコっと微笑んだだけで惚れられたり頭を撫でただけで惚れられたりするほど甘くはないのである。葉山ならニコポもナデポも余裕ですがなにか。あいつドブに嵌まればいいのに。

 

 だから今さがみんが俺に抱いてる感情は、単なる不信。

ムカつく相手を、危険を顧みずわざわざ助けた理由が解らずに、彼女は些か混乱しているのだろう。なにか裏があるのではないか。なにか企んでいるのではないか。もしかしたら、一連の出来事の中で自分の弱みでも握られたのではないだろうか。

 それが気になったままでは、おちおち夜も眠れない、と。

 

 そう思うのも無理はない。何故なら、さがみんとのあの不快な出会いイベントを経た上で、もしも立場が逆であったのならば──もしも俺がさがみんに助けられた立場だったのならば、俺は間違いなくこいつを疑っただろうから。

 俺と同レベルのひねくれた思考に陥り、助けてくれた相手をこうも疑うとは。ははぁん、さてはこいつ小物だな? (三回目)

 

「……そう、だな」

 

 ならば仕方ない。もともと聞かれたら正直に答えるつもりだったし、きちんと答えた方が俺もこいつもすっきりするだろう。ご希望に応えて、お前のその問いにはっきりと解を出してやろうではないか。

 

 そして俺は答えるのだ。なぜ危険を犯してまで、さがみんなんかをナンパの魔の手から救わなくてはならなかったのか。そのもやもやの答えを。

 

「目が、合ったからだな」

 

「え? ど、どういう事……?」

 

「ぶっちゃけな、目が合わなかったら、当然無視するつもりだったんだわ。だってめっちゃ恐いし。あと恐い。大体助けてやる義理ないし、別にお前がどうなろうと知ったこっちゃないし」

 

「酷くない!?」

 

「でもな、目ぇ合っちゃったら、そのまま立ち去れないだろ」

 

「……なん、で? 目が合っただけで、恐いのに助けてくれんの?」

 

 なんとも苦しそうな、なんとも切なそうな瞳で、俺を真っ直ぐに見据えるさがみん。

 ……おう、そりゃ助けるに決まってんだろ。だって──

 

「だって俺が見てたって認識されたまま逃げちゃったら、後々クラスでお前にどんな悪口広められるか分かったもんじゃないからな」

 

「…………は?」

 

「ほら、お前ってすこぶる性格悪そうだろ。そんなお前がナンパで酷い目に合ったら、見て見ぬふりした俺に八つ当たりしてきそうなんだもん。で、一緒に花火見に来てた由比ヶ浜までなに言われるか分かったもんじゃねぇだろ? 「なんかぁ、ゆいちゃんと一緒に花火見に来てたヒキタニとかいう人がぁ、ナンパされて困ってたうちを無視して逃げちゃったんだけどー。ゆいちゃんなんであんなのと仲良くしてるんだろうねー、趣味わるー」とかな」

 

 っべー。マジそれな。なに言われるか分からなくて、おちおちほっとけないっしょ。

 そんな熱い想いを、由比ヶ浜と喋ってた時のさがみんの物真似を交えて懇切丁寧に説明してやると──

 

「え、なにこいつ超ムカつくんだけど」

 

 さがみんってば、とんでもなく顔を歪ませちゃいました。

 なんで? いいじゃん打算がはっきりしてて。利害も一致するし、これってWINWINじゃない?

 

「……なんなのあんた。じゃあ単にゆいちゃんの為に仕方なく助けただけ?」

 

 ちちち違げぇし。べ、別に由比ヶ浜の為なんかじゃないんだからね!?

 ふむ、どうやら二人の間にはまだ齟齬があるようだ。このままではさがみんに要らん誤解を与えたままになってしまう。下手したら更なる変な悪口を広められてしまうかもしれないから、ここはきっちりと誤解を解いておかなくては。

 誤解も解の内だ、なんてしたり顔で言う奴が居たら、そんなのはただの高二病患者の戯れ言だぜ!

 

「あのな、なんか誤解してるみたいだが、俺と由比ヶ浜は別に特別仲がいいわけじゃないからな? あいつとはたまたま部活が一緒なだけだし、今日の花火もその部活の一環みたいなもんだから」

 

 部活メイトだから犬預かって、そのお礼に付き合わされたんだから、部活の一環って事で間違いは無い、はず。

 

「そしてもうひとつ大きな誤解がある。お前を助けたのも、別に由比ヶ浜の為じゃあない」

 

「……?」

 

「うちの部活には、それはそれは恐い部長様が居てな、ああ、ちなみにさっき逃げてった連中がビビってた人の妹なんだが、由比ヶ浜と特別仲がいいって言ったら、むしろその部長の方だ」

 

「……? は、はぁ」

 

 急になに言い出してんだこいつと言わんばかりに、訝しげに目を細めるさがみん。話が逸れてるようにしか見えないからね。

 だがしかし、話は逸れてなどいないのだ。むしろここが今回の件の本質まである。

 だから俺は言ってやるのだ。堂々と胸を張って、この思いの丈を赤裸々に。

 

「要はお前が由比ヶ浜の悪口を広めて由比ヶ浜が不快な思いをした場合、その原因を作った俺が部長に実害を受けるんだよ。それはもう強烈なヤツを。だから助けた。目が合っちゃったからな。つまり、お前を助けたのはお前の為でもなければ由比ヶ浜の為でもない。他でもない自分の安全の為だけに、嫌々お前を助けてやったに過ぎない。だから俺に助けて頂いた事はそんなに気にしなくていいぞ? 胸の中だけで頭擦り付けて有り難がれ」

 

 どーん! と、背景に未来の海賊王のごときオノマトペが浮かぶくらいに、傲岸に、不遜に、力強くそう言い切ってやった。やだ、八幡イケメン!

 フヒッ、この威風堂々とした立ち居振舞いを賛美するがいい。さぁ、そんな俺へのさがみんの反応はッ?

 

「……バカじゃないの? なんでそんな格好悪いこと堂々と叫んで、キモいドヤ顔で胸張ってんの?」

 

 めっちゃ冷え冷えしてました。なんだろうか、この呆れ果てた侮蔑の眼差しは。危うくクセになっちゃうかと思ったぜ。

 

「ちょっと助けてくれたからってなんか偉そうにしてるけどさぁ、ハルノ? だっけ? 誰だか知んないけど、あんたのやった事なんてジャイアンの後ろに隠れて偉そうに吠えてたスネ夫ってだけじゃん。なんでそんなあんたに有り難がらなくちゃいけないわけ?」

 

「……お、おおう」

 

「あーあ、わざわざ聞いて損したぁ。てか助けてもらって損した気分なんですけど。別にあんたなんかに助けてもらわなくても、一人でなんとかなったし」

 

「……ああ、そう」

 

「アホらし。うちもう行くから。友達探さなきゃだし」

 

「そうか。それは願ったりだ」

 

「……マジムカつく。なんなのこいつ、ほんと変な奴。……あのさ、ちょっと助けてくれたからって、二学期から調子に乗って教室で話し掛けてこないでよね」

 

「……頼まれても掛けねぇから安心しろ」

 

 そんな俺の返答を聞いたんだか聞かないんだか、さがみんはこちらに視線など一切くれず、屋台が集まる祭の中心に向けくるりと背を向けた。

 おいおい、あれだけ無理やり呼び止めておいて、自分の要件が済んだらとっとと行っちゃうのかよ。

 

 

 

「……ハッ」

 

 ──よし。完全に狙い通りだ。これで万事オーケーだろう。

 

 これで、花火大会での一件──由比ヶ浜と俺の仲を変に勘繰られておかしな噂を立てられる心配も、ナンパ被害の八つ当たりが由比ヶ浜に向く事もないだろう。

 害があったとしても、それは精々俺の悪口程度。そもそも俺ってクラスで認識されてないから、さがみんがいくら俺の悪口を叫んでも「誰の話?」で終息すること請け合い。泣けるッ!

 おまけに、ここまで赤裸々に助けられた理由を語られれば、さがみんも俺などに助けられた事を今後気にすることもないだろう。誰も嫌な思いをしないで済む、誰も傷付かない世界の完成だ。

 

 

 そう思っていた。次の瞬間──負けを知りたいくらいの完全勝利っぷりにふと口元を弛めた瞬間、未だ余韻が続く祭の真っ只中へと歩き始めたさがみんが、背を向けたままふと立ち止まり、こしょこしょと呟くようにこんな事を口にするまでは。

 

「……あ、でもさ、本音言うと、うち結構恐かったのよ。あの人達しつこかったし危なそうだったし、周りの人達、誰も助けてくれないし」

 

「?」

 

「だから、……まぁ、なんてゆーの……? マジで不本意だし、マジで悔しいんだけど、……い、一応お礼言っとく」

 

「……お、おう」

 

「あと、あんたにさがみんとか呼ばれるの不愉快だから、今度からうち呼ぶ時は相模か南にしといてよ」

 

「……あ、そう」

 

 ああ、ようやく思い出した。相模南か、こいつの名前。

 声掛けんなと言っておきながら、今後の呼び名を指定するとはこれいかに。なんなの? 実はツンデレなの? だとしたら素直じゃ無さすぎじゃないかしら。

 あと選択肢にファーストネーム入れんな。俺じゃなかったら勘違いしてるところだよ?

 

「……じゃあね、また二学期」

 

 ぽしょりとそう残し、さがみんは再び足を前へと進めた。ノスタルジックな明かりが灯る祭の中へ。

 

 また、ねぇ。俺とお前にまたは無いだろ。マジでツンデレ説を疑っちゃうレベル。さがみんがツンデレな所を想像して、ちょっとだけ笑ってしまった。

 

「……あ」

 

 そんなさがみんの背中をぼうっと見ていたら、つい先ほど、見送ったばかりの少女の小さな背中を眺め、胸がちくんと痛んだのを思い出した。

 あまりにもムカつく相模南という嫌な女との邂逅。

 そんな胸がむかむかするような、でもなぜか最後にはほんのちょっぴり口角が上がってしまったアホなやり取りにかまけて、俺はすっかり忘れていた、忘れる事ができていた。雪ノ下と由比ヶ浜に対する胸のもやもやを。

 うむ、相模に対するイライラに比べたら、雪ノ下達に対する暗い気持ちや後ろめたい気持ちなど些細なものだ。ついさっきまで一人でうじうじ悩んでいたというのに、嫌味な女とのあんな下らないやり取り程度でこんなに気持ちが軽くなれるのだから、人間の脳とは複雑なように見えて、存外単純なのかもしれない。

 相模の小憎たらしい表情を思い浮かべる度に、学校始まったら、あいつらと三人でゆっくり話してみようかな、なんて心穏やかに思えた自分に、思わずまた笑いが込み上げる。

 

 

 

 ──雪ノ下達に対するもやもやが、弱い心が自分の中に精製した毒ならば、相模に対するむかむかもまた自身が作り上げた毒である。

 毒は体に悪い。ひとたび取り込んでしまえば、身体を……心を容赦なしに痛め付けてくる。

 ならば毒とは無縁の人生を送ればいい。傷まず苦しまない無味乾燥の人生を送ればいい。

 しかし如何せん、人生とはなかなかに厄介なもので、人との関わりを持たずに一人きりで生きていく事などほぼ不可能なのだ。そして人と関わるうちに自分自身が勝手に毒を作り出してしまうのだから、これはもう手に負えたものではない。

 

 だからすべてを諦める癖が付いてしまってからこっち、今までずっと我慢していた。なるべく人に関わらないように。なるべく関わりが毒にならないように。

 

 そう。ずっと我慢していたのだ。……けれど、うん、これはなかなか悪くないかもしれない。だって、相模との出会いというどうでもいい毒によって、雪ノ下や由比ヶ浜との、苦く……でも決して嫌いにはなれない深刻な毒を、こうして少しでも相殺できたのだから。

 こうやって、毒を持って毒を制する事ができるのならば、人との無駄な関わりも──相模南という毒の存在も、そんなに悪いものではないのかもしれない。

 

 

 

 俺は、こちらを一切振り向きもせず、でも胸の高さで手を小さくひらひらさせながらゆっくり遠ざかっていく相模の背中を眺めつつ、ふとこんな事を思うのだった。

 

 

 

 

 

 どうやら、さがみんルートが解放されたようです、と。

 

 

 そんなわきゃあない。

 

 

 

 了

 

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