魔法絶唱シンフォギア・ウィザード ~歌と魔法が起こす奇跡~ 作:黒井福
今回はちょっと胸糞な描写を含みますのでご注意ください。
突如殴り掛かってきた響に対し、クリスは面食らい目を見開きながらもギリギリのところで放たれた拳を回避した。
「うぉっ!? な、何すんだいきなりっ!」
普段響の事を馬鹿だ何だと言いまくっているクリスではあるが、流石に理由もなくこんな事をする訳がないと言う信頼も持っていた。なのですぐにこれがグレムリンが仕掛けた事であると言う事に気付き、クリスは周囲を警戒しつつ尚も殴り掛かって来る響に対処した。
「クソッ、グレムリンの野郎何しやがったッ! 幻覚か? それとも操られて? いや、コイツ自身がグレムリンかッ!」
容赦なく放たれる拳を何とか回避しつつ思案した結果、クリスはこれがグレムリンの擬態であると言う結論に達した。他のメンツも居る中で、響1人を操るなど出来る訳がないと言う考えと、以前セレナを追い詰めた際に少女に擬態していたという実績から導き出した結論である。
尚クリスは知らない。彼女が連れ去られた後、仲間達が各個に分断されてしまったと言う事を。それを知らず、クリスは結論を急いで目の前の響がグレムリンの擬態であると考え、それまで回避と防御に専念していたのを攻撃に切り替えた。
「オラァッ!」
両手にクロスボウのアームドギアを構えたクリスは、飛び掛かりながら拳を構えてくる響に向け引き金を引いた。無数の光の矢が響に迫り、それを見た彼女はクリスの射撃に対処すべく飛んできた光の矢を拳や蹴りで弾き飛ばす。弾かれた光の矢は周囲の壁や柱に突き刺さり抉って城の内部を破壊していく。
最初の内こそ響はクリスの攻撃を防げていたが、元より響とクリスでは攻撃のリーチに絶望的なまでの差がある。何よりクリスの攻撃には基本的に弾切れと言う概念がない為、受け手に回れば響の方がじり貧になるのは火を見るよりも明らかであった。
結果、防ぎきれなくなった矢の幾つかが響の腕や足に突き刺さり、攻撃を受けた彼女の動きを止め体勢を崩した。
「そこだぁっ!」
回復されたり逃走されたりする前に仕留めてみせると、クリスはスカートアーマーを開き無数のマイクロミサイルを発射した。噴煙を上げて殺到するマイクロミサイルを前に、手足を光の矢で貫かれた響では対処のしようがない。
結果、響の姿は無数のマイクロミサイルが炸裂して巻き起こった爆発の中へと消えていく事となる。
「よしッ! どんなもんだ、ざまあみろグレムリンッ!」
クリスはこれで勝ったと思った。二番煎じの擬態作戦でこちらの虚を突こうとした小賢しさを逆に跳ね除けてやったと得意げになるクリスであったが、炎と煙が晴れた先で待っていた光景に思わず絶句する。
「ク……クリ、ス、ちゃん…………」
「…………え?」
炎と煙が晴れると、そこに居たのはギアの鎧が崩れてズタボロのインナースーツ姿となった響であった。響は片腕が変な方に曲がり、頭から血を流して普段の溌溂とした表情を浮かべる顔を赤く汚しながら、辛うじて動く手を伸ばしながらクリスに近付いてきていた。足も片方折れているのか、本来なら明後日の方を向いた片足を引き摺りながら近付いて来る響の姿は一向に擬態が解ける様子が見られない。
何よりもクリスに呼び掛ける弱々しい声。裏表を感じさせない、純粋に呼び掛けているだけの声は、成りすまして出せるような類のものではなかった。
それが意味しているのはつまり、今クリスの目の前に居るのは正真正銘の響であり、そして自分はそんな響を半殺しにしてしまったと言う事であった。その事実に気付いたクリスは、顔を青褪めさせて急ぎ響に駆け寄ろうとした。
「ひ、響ッ!?」
普段は馬鹿呼ばわりしてばかりで、滅多に呼ばない彼女の名を叫ぶクリス。伸ばした手が、響の手にもう少しで届きそうになる。だがクリスの手は空を掴み、響はあと少しと言うところで力尽きその場に崩れ落ちた。
「おい、しっかりしろッ!? 響ィッ!?」
こういう時本来であれば倒れた相手を無暗に揺すったりしてはいけないのだが、動揺したクリスはそう言う情報を完全に失念してしまっていた。倒れた響を抱き上げ、大声で呼び掛けながら揺する。だが倒れた響から返事は無く、見開かれた目には意志の光が感じられない。まさかと思い口元に耳を近付ければ、ある筈の呼吸音が聞こえなかった。
「あ、あ……あぁ…………!?」
目の前に無造作に転がる死を前に、クリスは罪悪感で押し潰されそうになった。仲間である筈の響を、自分自身の手で殺めてしまった。その情報に呼吸も満足に出来なくなりそうになったその時、場違いな手を叩く音が周囲に響き渡った。
「凄いね~! 響ちゃんって君ら装者の中じゃあ結構突破力ある方だと思ってたんだけど、それをこうもあっさり殺しちゃうなんてさ♪」
「グ、グレム、リン……!? テメェ、響を……響に……!」
楽しそうに手を叩きながら現れたのはグレムリンであった。絶望し目に涙を浮かべながらも、この事態を引き起こした張本人を前にクリスは怒りを燃料に立ち上がる。そんな彼女の姿にグレムリンはにやにやと笑いながら、彼女が床に横たえた響の事を指差した。
「まぁまぁ、そうカッカしないでよ。それに慌てるのはまだ早いよ。ほら、下を見てごらん?」
「あ?」
また今度は何を仕掛けてくるのかと警戒しながらも、ここで下を見ないでいるとそれはそれで何かの策に嵌ってしまいそうだったのでクリスはアームドギアを向けながら視線を下の方にチラリと向けた。
するとどうした事か、先程横たえた筈の響の亡骸が影も形も無くなっていた。
「えっ? あれっ!? 響? 響は……」
動揺しグレムリンへの警戒も忘れ、クリスは周囲を見渡した。だが響の亡骸はやはりどこにもなく、また何処かへ連れて行った形跡も見られなかった。
一体何がどうなっているのか? 困惑するクリスに対し、グレムリンはあっさりと種明かしをした。
「残念だけど安心していいよ。さっきクリスちゃんが殺した響ちゃんは……ただの幻だから」
「幻? あれが……?」
そんな風に言われても、クリスは直ぐには信じる事が出来なかった。戦っている最中であるならともかく、殺してしまったと思った響を抱き上げた時に感じた僅かに残る温もりと徐々に冷たくなっていく体の感触は異様なまでにリアリティがあった。それを幻などと言われても直ぐには信じる事が難しかったが、しかし現実に直前まで存在していた響の亡骸が少し目を離した隙に消えている事実は、最初からあれが幻でなければ説明できない事でもある。
尚も半信半疑と言った様子のクリスに、それならばとグレムリンは実践と称してすぐ傍に新たに響の幻を生み出しそれを自身の手で殺してみせた。
「本当だよ? そ~れ♪」
「よ、止せ……!?」
グレムリンが少し横にズレると、そこに居た響に彼は容赦なく刃を突き立てる。クリスが止める間もなく響の胸に刃が吸い込まれ、引き抜かれると傷口と響の口から赤黒い血が零れ落ちる。
崩れ落ちる最中、幻の響はクリスに困惑と失望の混じった目を向けながらその姿を消していった。
「クリ、スちゃ…………」
「あぁっ!?」
消えゆく響が僅かに言葉に発したクリスの名前。まるで断末魔の様なその声が嫌にクリスの耳に残り、幻とは言え再び響を死なせてしまった事への罪悪感と怒りにクリスの目から涙が零れ落ちた。
「テメェ……!? こんなふざけた事して、ただで済むとは思ってねえよなッ!!」
視線だけで相手を射殺せそうなクリスの目を前にして、しかしグレムリンは尚も飄々とした態度を崩さない。寧ろクリスが自分に怒りを向けている事が楽しくて仕方ないと言った様子であった。
「僕をただで済まさないのは勝手だけどさ? クリスちゃんにそんな事をしてる余裕があるのかな~? ほら、次の相手がお待ちだよ」
「次、だと?…………!? ま、まさか……」
グレムリンの言葉にクリスは胃が縮むのを感じながらゆっくりと背後を振り返る。そこに居たのはやはりと言うか翼であり、手にはアームドギアの刀を握り冷たい視線を向けてきていた。
思わず後退るクリス。これが幻だと言う事も分かってはいるが、だからと言って信頼する仲間を自らの手に掛けたいかと言われれば答えは否である。例え幻だろうと擬態だろうと、仲間に対して攻撃するのは気分が悪いなんて物ではない。
無駄とは知りつつ、クリスは刀を手に迫って来る翼に対し懇願した。
「や、止めろ先輩……頼むから、止めてくれ……!?」
堪らずクリスはその場から逃げようとした。元より幻を相手に戦うなど意味がない。グレムリンを相手に背を向けるのは癪だが、仲間を手に掛けるくらいならこの場は逃げて本物の仲間と合流する事を狙うのが得策であった。
だが振り返った瞬間クリスは周囲が高い壁に囲まれた闘技場の様な景色となっている事に絶句する。
「なぁ……!?」
「駄目だよ~、折角クリスちゃんの為に用意したイベントなんだからさ? 精々たっぷり楽しんでいってよ♪」
闘技場を囲む壁の上に腰掛けながら見下ろしてくるグレムリンの言葉に怒りに任せて声を上げようとしたクリスだったが、それよりも早くに幻の翼が斬りかかってきた。温度を感じさせない表情で刀を振り下ろしてくる翼の姿に、クリスはある考えが浮かんだ。
――これが幻なら、アタシが攻撃されても平気なんじゃ?――
そうであれば別に態々幻の仲間を相手に攻撃する必要などない。されるがままにしておいて、仲間達が来てくれるのを待てばいい。そんなクリスの淡い期待は、翼が振り下ろした刀がクリスの体を袈裟懸けに切り裂いた事で襲い掛かってきた痛みに消し飛ばされた。
「あ、ぐっ!? あ、あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
「あ、言い忘れてたけど幻の攻撃受けると本当に攻撃されたのと同じくらい痛いからね? もし仮に首切り飛ばされたり心臓貫かれたりしたらどうなるのか……分かるよね?」
今更なグレムリンの説明にふざけるなと言い返してやりたかったが、今のクリスはそれどころではなかった。血こそ出てはいないが、体には本当に切り裂かれたかと思う程の痛みが走っている。視界が明滅する程の痛みに呼吸も忘れそうになっているクリスに、翼はトドメを刺そうとしているかのようにゆっくりと近付いて来る。
「うぐ、ぐぅぅ……!? あ、ぁぁ、止めろ先輩……頼む、止めてくれぇ……」
痛みと死の恐怖に涙を流しながら懇願するが、クリスの声に翼は耳を貸す様子もなく刀を振り上げた。生への執着から咄嗟にクリスは目を瞑りながらクロスボウを構え引き金を引くと、無数の発射音の後スイカが弾ける様な音が響き顔に生暖かい液体が掛るのを感じた。
恐る恐る目を開けて顔を上げると、そこには片腕を吹き飛ばされ全身穴だらけとなった翼が血だらけになりながら絶望した表情でクリスの事を見下ろしていた。
「雪、音…………」
「せん、ぱい……ぁぁ、ぁぁぁ……」
声を震わせながらクリスが翼に手を伸ばすが、またもその手は何も掴む事は無く翼の体は崩れ落ちながら煙が流れる様に消えてしまった。今仕留めた翼も間違いなく幻だった、それは間違いない。だが幻だろうと自分が翼を手に掛けたのは事実であり、そしてその瞬間の感触はこれ以上ないリアリティとしてクリスの脳裏に刻まれた。
「う、うぐぅ……!? ぁぁぁ、ぁぁ……」
例え幻だろうと、仲間を手に掛けてしまった事実は変わらない。その罪悪感に押し潰されそうになるクリスであったが、グレムリンは彼女が休む間を与えてはくれなかった。
「は~い♪ それじゃあ次、行ってみよぉ!」
そう言って次にやってきたのは奏であった。これもまた幻であるとはもう分っているが、だからと言ってもうこれ以上仲間と殺し合いをするのは御免であった。
「も、もう、嫌だ……頼む、もう止めろ……止めて、くれ……」
既にボロボロと涙を流しながらクリスはグレムリンに懇願した。これ以上、幻であっての仲間と殺し合い命を奪うような真似はしたくなかった。
絶望と焦燥感に溢れたクリスの必死の懇願。それに対してグレムリンは…………
「だ~め♪」
これ以上ない程の笑顔で応え、それを合図に奏がクリスに襲い掛かるのであった。
***
眼前に投影された城内の各所で行われている出来事を見せつけられている奏。彼女の視線は、クリスを映した映像に釘付けであった。
「むぐぅっ!? んぐぅぅぅぅぅっ!!」
映像の中で、クリスは次々と襲い掛かって来る仲間達の幻影と戦わされていた。響と翼の次は奏の幻影と。そしてその次は切歌に調、マリアと続いていき、全ての装者との戦いが終わったかと思ったら次はキャロルとオートスコアラー達が待っていた。信じる仲間達を次から次へとその手に掛けていくクリスの姿は悲痛そのものであり、血を吐きそうな顔で泣きながら仕留めていく姿は奏も思わず顔を背けてしまう程であった。
だが本当に恐ろしいのはここからであった。装者、錬金術師と続けば、その次に待っているのは魔法使いとの戦い。そしてそれはある意味でクリスにとって死刑判決にも等しい展開である事を奏はよく理解していた。
何しろ魔法使いの中には、クリスが愛する透も居るのだ。彼女に幻とは言え透を手に掛ける事が出来るかと言えば…………
「んぐっ! んぐぐっ! んぐ、むぐぅっ!? むがぁぁぁぁぁぁっ!!」
奏は何とかしてこの拘束から逃れようと必死に身を捩るが、鎖と手錠は音を立てるだけで外れる様子がない。焦る奏の前で、映像の中のクリスが遂に颯人をも倒してしまった。これで残るは、あと1人。
その恐れていた相手が姿を現した瞬間、クリスの顔がこれ以上ない程の絶望に染まる。奏はそれを見てもうどうしようもないのかと思わず目を背けた。
するとそこに、別の場所の様子が映っていた。奏はそれを見て、思わずハッと息を飲みその映像に釘付けになる。
そこに映っていたのは…………
***
次から次へと襲い掛かって来る仲間達の幻。それを悉く倒してきたクリスであったが、彼女の心は既に限界に近付いていた。
「はぁっ……はぁっ……はぁっ…………う、うぐっ!?」
幻の颯人を倒し、戦いで消耗した体力を回復させようと呼吸を整えるクリスであったが、落ち着くと脳裏に先程までの戦いの様子が思い出されてしまい堪らずクリスはその場に崩れ落ち止める間もなく胸の下からせり上がってきたものを全て吐き出してしまった。
「うげぇぇぇぇぇぇっ!? げほっ、げほっ……はぁ、はぁ」
普段勝ち気で色気の薄い言動が目立つクリスであったが、その性根は優しく繊細であった。過酷な過去の経験から心を守る為にそう言う態度が目立つようになっただけで、本来の彼女はもっと真逆な性格の持ち主なのである。
そんな彼女に、グレムリンが課した試練は地獄そのものであった。例え幻であろうとも、仲間達をその手に掛けなくてはならない。しかもそれだけではなく、倒された仲間達は皆一様にクリスに向け絶望と失望、無念を交えた視線を向けながら消えていくのだ。
『クリス……どうして……』
『酷いよ、先輩……』
『何で、こんな……』
耳に残る仲間達が自分に向ける怨嗟の声。頭の中で反響を繰り返すその声に、クリスの精神は限界であった。
「もう……もう止めろッ!? お願いだから、もう止めてくれぇぇぇぇぇぇッ!?!?」
耳を塞ぎ、滝の様に涙を流しながら叫ぶクリス。それを上から眺めていたグレムリンは、心地よさそうに身を震わせながらこの悍ましい催しの締め括りとなる相手をクリスに向かわせた。
「ん~っ! いいね、いい叫びだ。それじゃあ、メインディッシュと行こうか♪」
グレムリンが指を鳴らすと、クリスの前に1人の少年が現れる。それまで彼女が戦ってきた相手は、皆武装した状態で姿を現していたがその少年だけは違った。手に武器こそ持っているが、その姿は普段と何ら変わらない。
それが逆にクリスにとっては残酷であった。相手の顔が諸に見えてしまうからだ。
「ぁ、ぁ…………!? と、とお、る…………!?」
クリスの前に姿を現した、幻の透の姿にクリスは呼吸を忘れそうになった。正しい呼吸の仕方を忘れてしまったかのように息苦しくなり、口だけが虚しく開閉を繰り返す。
幻の透はそんな彼女にゆっくりと近付いていく。一歩一歩確実に近付いて来る透の姿に、クリスはこれも幻と理解し咄嗟に拳銃型のアームドギアを向けた。だがその銃口は小さく震え、正確な狙いが出来る様な状態ではなかった。
「来るな、透……来ないでくれ……」
普段であればこんな風に透を遠ざけるような事絶対に口にはしない。だが今この時は、相手が幻と言う事もあってクリスは彼に対し拒絶の言葉を口にした。それが聞き入れてもらえないと理解しつつも…………
当然幻の透はクリスの懇願になど耳を貸さず、手にカリヴァイオリンを持ったまま近付いてきた。あと一歩近づけば透の刃は届く距離にまで近付ける。その前にクリスは引き金を引こうとして指に力を込めた。
「う、ぐ…………!?」
引き金に掛かった指に力が籠り、ゆっくりと引き金が引かれていき…………不意にその指が引き金から離れ、重力に引かれて銃口が下を向いた。
「無理、だよ……出来ないよ……幻でも、透を撃つなんて…………出来っこないよぉ……!?」
ボロボロと涙を流しながら俯き銃口を下ろしたクリス。幻の透はそんな彼女の頬に手を当て、優しく顔を上げさせた。
「透……?」
もしやこれは幻ではなく、助けに来てくれた本物の透なのではないか? そんな期待を抱いたクリスだったが、それは次の瞬間胸に感じた熱い感触で裏切られた。
「――――――え?」
視線を下に向ければ、自身の胸に深々と食い込んだカリヴァイオリンの刃の姿。その持ち主は誰かと言えば、目の前の幻の透以外に存在しない。
「あ――――」
透が自分を殺した…………その事実に絶望するよりも早く、クリスの視界は闇に閉ざされた。
「あ~、面白かった♪」
透の幻により胸を剣で突かれ、崩れるようにその場に座り込んだクリス。グレムリンはその彼女のすぐ傍に佇んでいた。周囲は闘技場ではなく、先程まで彼女が居た通路のど真ん中。あの闘技場の光景も含めて全ては幻であり、場所は彼女がガーゴイルファントムを倒した場所から動いてはいなかった。
クリスの体感では数十分から数時間程、闘技場で仲間達と地獄のような戦いを繰り広げていた訳だが、それすらもグレムリンがクリスに掛けた魔法による幻でしかなかったのである。彼女はずっと、夢の中で仲間達と殺し合いをしていたにすぎない。
それでも脳が本物と感じた痛みは事実であるし、殺されたと思い込めば彼女自身も死んでしまう。グレムリンは白昼夢の中でクリスが必死に足掻き泣き叫ぶ姿を眺めて愉しんでいたのだ。
そして今、透に殺されたと強く思い込んだクリスは、何の刺激にも反応しない心が死んだような状態になっている筈であった。肉体的には生きているが、それだけである。
漸く自分が望み楽しめる状況を作り出せたと上機嫌なグレムリンは、この状態のクリスをどう活用しようかと思いを巡らせる。
「どうしよっかな~? このまま操り人形にして他の連中に嗾けるのもいいし、人質みたいに使うのも面白いよねぇ? あ、そうだ! アイツの前でこの状態のクリスちゃんを辱めたらどんな反応みせるかな?」
次から次へと悍ましい事を考えるグレムリンであったが、不意に彼の耳が誰かの呟きを耳にした。小さなか細い、耳を澄まさなければ絶対に聞き逃しただろうその声の、出所を探ればそれはクリスからである事に気付いた。
「と――――を――――い。―はアタシ―――――れる。アタシ――を―じて―」
「ん? 何?」
心が完全に死んだと思っていたクリスだが、まだ何かの言葉を口に出来る程度には心が残っていたらしい。否、心が壊れたから何かをブツブツと呟いているのかとグレムリンが彼女の口元に耳を近付けると、彼女が何を呟いているのかが理解できた。
その内容は驚くべきものであり、先程まで楽しそうにしていたグレムリンの顔が驚愕に染まり慄き思わず後退った。
「な、なぁ……!?」
後退ったグレムリンだったが、クリスの口からは相変わらず言葉が紡がれている。その声は次第に大きくなっていた。
「透は……透はアタシを傷付けない。透はアタシを助けてくれる。アタシは透を信じてる。透を信じろ、透を信じろ、信じろ信じろ信じろ信じろ…………!」
クリスの心は壊れてはいなかった。彼女はギリギリのところで心を繋ぎ止めていたのだ。その根源となっているのは、透に対する深い愛情と固く強い信頼であった。
「こ、コイツ……!?」
最後の最後に透を持ってきたのはある意味で失敗であった。グレムリンとしては心が弱り切った所でトドメの一撃のつもりで透を持ってきたのだろう。だがそれは逆にクリスの心に火を点ける結果となってしまった。彼は2人の間にある強い絆を見誤ったのだ。
気付けばクリスは、憔悴した様子ながらも強い意志を宿した目でグレムリンの事を睨みつけていた。
「透が……透が、あんな事するもんかッ! 透の事はアタシが誰よりも分ってるんだッ! お前如きが見様見真似で再現できるほど、透は安い男じゃないんだよッ!!」
「この……!?」
〈コネクト、ナーウ〉
弱りながらも力強いクリスの視線に、グレムリンは怯みながらも魔法で剣を取り出し切りかかろうとした。破れかぶれの一撃ではあったが、見た目以上に弱り切っている今の彼女であればこれでも十分に致命傷とする事は出来ただろう。
だが剣を振り上げた手は、背後から何者かに掴まれ振り下ろす事が出来なかった。誰だとグレムリンが振り返れば、そこに居たのは普段の穏やかな表情を何処に忘れたのか憤怒に歯を食いしばる透の顔がそこにあった。
「あっ……!?」
「フンッ!!」
「ごっ!?」
透の存在に気付き、彼の手を振り払おうとするグレムリンだったがそれよりも早くに彼の拳が顔面に突き刺さった。顔を殴られ床に倒れたグレムリンには一瞥もくれず、透はクリスに駆け寄り彼女もまた震える足で立ち上がって彼の胸の中に飛び込んだ。
「クリスッ!!」
「透ッ!!」
グレムリンを殴り飛ばした時とは違う、愛しさと優しさに溢れた目を向け自身を迎え入れてくれる透の姿。クリスは彼の胸の中で涙を流しながら、彼の温もりに冷えた心を温める様に力強く抱き着いていた。震えるクリスの姿から、透は彼女がとても辛い目に遭ったのだと言う事を察し彼女を抱きしめながら己の不甲斐無さを悔いた。
「ゴメン、クリス……僕がもっと早く来れてたら……」
「ううん、いいんだ。信じてたから、透が絶対に助けてくれるって」
透はクリスを守る様に、クリスは透の存在を確かめる様に、互いに力強く相手の体を抱きしめ合う。
グレムリンは鼻から血を流しながらその光景を忌々し気に睨みつけているのであった。
と言う訳で第286話でした。
今回は響を始め数名が本人ではないとは言え酷い目に遭ってしまい、ちょっと申し訳なかったです。クリスを精神的に追い詰める為の幻とは言え、ね。
もちろん一番ひどい目に遭ったのはクリスですし、それを嗤って見ているグレムリンには多くの方がヘイトを溜めたでしょうがそれだけで終わる様な事はしません。最後の最後に助けてくれるのはクリスが誰よりも信じる愛すべき騎士。透の存在が彼女を追い詰めると同時にギリギリのところで持ち堪えさせ、彼に救われる形となりました。
多分現状本作で一番グレムリンがギャフンと言わされたのが今回の話かもしれません。
執筆の糧となりますので、感想評価その他よろしくお願いします!
次回の更新もお楽しみに!それでは。