伝奇公演 しあわせの呪文   作:久聖

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 フクロウの縄張りを主張する声が、くろぐろとした森の木々に響く。空では青白い星々が、女王たる満月の行幸を迎え平伏する。女王の威光は銀灰色の威容を闇のなかに浮かび上がらせる。ブライファイレンデ城。かつては侯爵が暮らし、棄てられ、野盗や世捨て人が出入りを繰り返し、いま吸血鬼の棲家となった古城である。

 一つだけ開かれた雨戸から、女王の寵愛のおこぼれでわずかに色づく空と森とを見晴かすものがあった。

「えーっ、森を越えて来ちゃった?」

 その声はまるきり少女のものだった。木々のざわめきが古城へ寄せ、少女の白いブラウスを吹き抜ける。乱れた髪を赤い爪で整えて、少女は濃紫色の外套を羽織った。

「やだなあ、もう」

 いまふたたび、東から風が森を渡る。窓の木枠がきしんで閉じる。そのときにはもう、紫の外套の少女は部屋から消えていた。

 

 カーテローゼがブライファイレンデ城の城門を見上げたのは、迷い森の高くに月が見えるころだった。溜息を一つ落とし、目許を押さえる。

「森の幻惑、思ったよりきつかった……」

 吸血鬼が身を守るために施した結界である。視覚をごまかし、方向感覚を狂わせ、人間は道をどう辿っても城へは出られない。ダンピールのカーテローゼの眼力と超感覚――吸血鬼の居場所を感知する――をもっても、幾度か迷ったほどだった。

 カーテローゼは深呼吸をし、かぶりを振って頬を叩く。銀のペンダントを握って敬愛する老司祭と亡き人間の母に祈り、カーテローゼは大股に門をくぐった。

「はい、はい、そこでストップ」

 声は目の前からした。門からの直進を阻む噴水、その最上段に、少女が一人立っている。提げたランタンの光がゆらゆらと照らすのは、カーテローゼと同じ、上等な紅茶葉に似た濃い色の髪。おだやかな琥珀色の目と困った眉。森から吹く夜風に濃紫色の外套がはためく。吸血鬼だ。カーテローゼの瞳孔が収斂し、肌が粟立つ。

「ここは私の家ですからね、えーと、立入禁止です。()()()()

 ダンピールと吸血鬼、互いに相手を感じているはずである。それをとぼける理由を、カーテローゼは量りかねた。……妖魔の言葉に耳を貸してはならぬ。解けかけた顔の緊張を引き締め、紫の外套の少女に銃口を向ける。ぶつかった視線におぼえた、奇妙な感覚を振り払う。

「村にチャームをかけたのはあなたね」

「森の外の村のことなら」

「そう」

 素直な反応が意外で、カーテローゼの指が一瞬鈍った。気取られぬ程度に深く息を吸い、気持ちを整える。

「わたしはローマのヴァンパイアハンター、カーテローゼ。あなたを倒して、村を解放します!」

 銃声が石壁に反響する。聖なる力を秘めた弾丸は吸血鬼の喉元へ飛び、あと五センチというところで軌道を変えた。紫の外套に払いのけられ、蔦の繁茂する城壁にめりこむ。

「もう、怖いなあ。吸血鬼だって生きてるんですけど」

「人間の尊厳を奪った報いです!」

 距離を詰め、カーテローゼは次の銃弾を放つ。低速と高速、連続して放たれた二弾は、吸血鬼の胸と腹へ同時に着弾する。……はずのところを、またも外套にはたき落とされた。へらへらしていた口許を堅くし、吸血鬼もついに身構える。

「聞いてくれないなら仕方ない」

 おもむろに、どこか芝居がかって、ランタンを顔の高さに持ち上げると小窓をつまみ、蝋燭の火を吹き消した。三日月に開いた口から鋭い牙が覗く。なにか仕掛けてくる。不意の一撃に対応すべく、カーテローゼは感覚を正面のただ一人から周囲の夜闇まで広げた。その一瞬に、紫の外套はゆるゆるとそよぎながら、噴水の奥へかき消えてしまった。

「あっ……逃しません!」

 カーテローゼのブーツも石畳を蹴る。青い服の長い裾が回廊の闇に溶けていき、金の縁取りが月光に淡くまたたいた。

 

 青と紫、二つの影が城壁を駆け登り、風の吹きつける狭い通路に火花を散らす。石造りの、崩れていびつなその道を、満月が白と黒とに塗り分けている。紫の外套が月明かりに浮かぶ。青い衣が翻る。鈍色が直線を引いて、石の壁に鋭い、あるいは虚しい音をさせて転がる。

 銃声を三つ虚空に聞いて、吸血鬼はハンターとの距離を詰めた。右手のリボルバーをもぎとろうと腕を伸ばし、瞬時にその手を引いて闇に身を隠す。前庭で三発、いままた三発撃って空になったはずの弾倉に、弾丸の残っているのが見えたからである。吸血鬼の暗夜視力あってこその反応であった。

「リロードしてたなら言ってくださいよ」

「言いません!」

 ハーフムーンクリップ……三発の弾丸をまとめて装填する器具で弾倉を満たし、足音もなく逃げる吸血鬼をハンターは追撃する。城壁が月光を遮る影のなかでも、吸血鬼とダンピールの目は互いの姿を、道の凹凸を、昼間のように明瞭に捉えている。

 角を一つ曲がって、はじめてカーテローゼは身を仰け反らせた。吸血鬼の反撃だ。闇のなかから厚みのない槍が飛び出したのだ。仰け反り、鼻先にやりすごして出処を見る。古城の影のとくに濃いところだ。黒く鋭い板がサソリの尾のように伸びたのだ。

 拳銃のグリップで叩く。影の槍は砕けた。先端は夜風に消え、根元のほうは濃い影へ、ゴムの縮むように戻っていく。カーテローゼはふたたび走った。影の槍を躱し、蹴り砕く。銃の射程に吸血鬼をおさめるや、たてつづけに三発撃つ。最大速で飛来する二発を外套が弾き、虚空へ逸らす。そうして外套が伸びきったところへ、わずかに遅い三発目が心臓へ一直線に、風を切って馳せる。

「影!」

 吸血鬼の声に応じて壁から無数の影の槍が弾丸の進路をふさぐ。影は生えてきた根本まで砕け、そこだけ影のない石壁があらわになった。紙吹雪のごとく舞い落ちる黒い破片を、こんどは吸血鬼がハンターに向けて突撃する。

 破片の目眩ましとともに放たれた飛び蹴りを、カーテローゼは身を開いて躱す。いまふたたび、二人の視線が交錯した。噴水で相対したときとおなじ違和感がカーテローゼの胸に湧く。ごく短い時間、動きを止めたハンターの襟を吸血鬼はつかんだ。逆上がりをするように脚をひきつけ、横向きにしがみつく。

 尋常ならば振りほどこうとするはずであった。吸血鬼の少女もそれを当てこんで、握力の弱まる手からリボルバーを奪い取るつもりだった。それだけで無力化はしないだろうが、聖水でも十字架でもナイフでも、銃よりも厄介なものはないはずである。しかし、ハンターの動きはちがった。

「あっつ、あ、あっつい!」

 カーテローゼは吸血鬼に抱きつき返した。胸のペンダントが二人の身体に挟まれ、押しつけられる。それは妖魔を灼き尽くす銀の弾丸だ。服に白煙を上げて、吸血鬼は胸壁の上へと飛び退った。

「ちぇー、すっかり忘れてた」

 リボルバーに三発を追加しながら、カーテローゼも向かい合う胸壁に飛び乗る。狙うより早く吸血鬼はまばらな足場の上を走り出していた。後手に回りはじめていることに歯噛みしながら、カーテローゼも城壁上を駈ける。

 吸血鬼は外の暗闇に手を伸ばした。白い指先が宙空から、ゼリーのように黒い塊をそぎ取る。矢じりのようなそれを、追ってくるハンターへ向けて投げた。一つが長く青い服の裾に当たり、小さいほつれを作る。カーテローゼの額に汗が浮かんでいた。断続的に飛来する闇の矢じりの、多くは避けるまでもなかったが、追う足は鈍らざるを得ず、当たりそうなものには銃弾をもって対抗せねばならなかった。

「それならっ」

 口のなかでつぶやき、カーテローゼは城壁の外へ身を躍らせた。さらに一〇ばかり闇の矢じりを投げつけて、吸血鬼は足を止めた。青い服のハンターが視界にない。だが吸血鬼としての感覚が、ダンピールのそばにいるを知らせている。耳にもまた、硬い足音が聞こえる。だが、姿だけがない。

 城壁の角で吸血鬼は周囲を睥睨した。ダンピールの気配は近い。正面から殺気がした。胸壁の、一定間隔で置かれたくぼみ――弓矢やライフルを構えるための場所――に、円いものが鈍く光った。ヴァンパイアハンターのリボルバーだ。彼女は垂直な城壁を走ってきていたのである。吸血鬼じみている。それはそうだ、半分そうなのだから。胸へ放たれた銃弾を、吸血鬼は大きくのけぞって躱し、壁外の闇に消えた。

「しまった!」

 声を上げたのは撃ったカーテローゼのほうだった。落ちたところで、否、そもそも墜落などしないだろう、吸血鬼は平気だ。広い場所へ逃してしまっただけだ。さっきまで紫の外套の吸血鬼がいた胸壁へ飛び、落ちた場所をうかがう。それははじめてできた、明らかな隙だった。

「つかまえた」

 胸壁の角、その両側から吸血鬼の気配。赤く鋭い爪の手が四本、カーテローゼの腕と背へ伸びる。分身までできる吸血鬼には、一度しか遭遇したことはなかった。逆に言えば、一度は遭遇し、対処したことがあるのだ。いままでの戦いにも、その経験から保険をかけていた。

「えぇーっ、ずるい!」

 左のふとももに隠していた二挺目の銃をとり、左右から迫る吸血鬼に突きつける。

「ずるくない!」

 脅しでは終わらず、引き金を引く。一発は吸血鬼の胸に炸裂し、もう一発は紫の外套によって、それまでの弾丸とおなじ虚空の旅人となった。

 消滅した分身には目もくれず、二人はまた暗夜の石の道を走る。満月を貫かんほどに高くそびえる銀灰色の見張り櫓。木製の扉を蹴破り、螺旋階段を跳躍する。人間離れした動きでは、やはり吸血鬼に分があった。半周以上の差をつけ、影の壁で行く手を塞ぐ。

 先程の槍とは大きさがちがう。銃で撃っても穴をうがつだけだろう。カーテローゼは手ではなく脚を動かした。ブーツの底に銀色のものが光った。前後に二本ずつ、内側へ湾曲したナイフが飛び出している。銃弾とおなじく、司祭によって清められた鋼鉄の刃だ。ダンピールの身体異能力に加え、このブーツの爪があればこそ、壁を走ることができたのである。

 ひと蹴りで影の壁は砕ける。数段先がまた壁で黒く閉ざされている。二枚、三枚と蹴り砕いて通り過ぎた小さいアーチ窓を、カーテローゼは振り返った。

「バ~イ」

 吸血鬼が窓から逆さまに覗き、笑顔で手を振る。挑発だ。階上へ向き直ろうとした肩が、やわらかいものにぶつかった。分身か本体か、吸血鬼が背後からカーテローゼの両腕を拘束する。余裕ぶって笑い、耳許に息を吹きかける。

「ふふふ、美味しそう」

 牙を剥く気配。吸血鬼の腕力に全身で抗っても、腕をわずかに傾けるのが限界であった。……そして、いまはそれでじゅうぶんでもあった。

「あっつい!! さっきからずるくない!?」

「ヴァンパイアハンターが対策してないはずないでしょ!」

 銃身もまた司祭の儀礼済みの聖金属である。耳に白い煙を立てて、吸血鬼は驚き飛び退いた。カーテローゼに違和感が募る。

 螺旋階段を駈け登る。外壁を駈け降る。重力を吸血鬼は無視し、ハンターはブーツの爪で逆らって。

「ねぇー、もう、ここ私の家!!」

「いいかげん観念しなさい!」

「静かに暮らしてるだけなのに!」

 中庭を抜け、曲りくねる階段を跳び、二人の追撃戦は城内にもつれこんだ。外よりも格段に濃い闇が吸血鬼に力を与える。あらゆる方向から伸びてくる影の槍を砕きながら、跳弾をも計算に入れて、それでもなお青い服は紫の外套を圧倒し、追い立てる。

「落ち着いて話し合いません?」

「吸血鬼を相手に話し合いなんて!」

「口じゃ勝てないからイヤとか」

「煽ったって無駄です!」

「共存を目指しましょうよ」

「共存!? 吸血鬼と!?」

 自分の声と重なって、カーテローゼの耳の裡に、古い声が響く。幼いころ聞いた声だ。ヒステリックな男の声だった。それと、母は激しく言い合っていた。難しい言葉ばかりで、記憶にはわずかしか残っていないが……。

「彼らも人間と変わりません。残忍なものは残忍、善なるものは善です」

「そうそう、もっと平和にやりましょうよ、平和に」

「種族という意識の垣根を、わたくしたちからまず取り去りましょう」

 蘇る母の声に少女の軽い声が混じる。

「なにを――」

 銃声がかき消したのはカーテローゼ自身の言葉。断片的な母の声は、まだ止まらない。

「ひと月にも満たなかったけれど、彼と私の心は繋がっていたわ」

 それは冷たい石の反響を含んでいた。主張は聞き容れられず、吸血鬼の仲間と疑われ……それは事実で、囚われることは仕方がなかった。人間はみな怖いのだ。生き血を啜る悪魔が……。

「いまも私が人間なのが、その証明。あなたのお父さんは、人間としての私を愛していたの」

 母の声は弱々しかった。何年も前の、終わった事実。思い出のなかに、母は籠っていた。自分へ注がれる視線にはぬくもりこそあったが、その瞳はいつも冷え切った寂寥の風に鎖されていた。

「甘いことをー!」

 あの目を思い出すのはなぜだろう? カーテローゼは手足の重くなるのを覚え、それを振り払うように叫ぶ。銃声。木桶が割れ、僧形の彫像が砕ける。自分に弾の飛んできたときよりも、吸血鬼は驚いた声を出した。

「人を害する妖魔は多いけれど」

 それは母との最後の思い出。刑場に行く母が遺した言葉だった。

「吸血鬼はちがう。彼らには人とおなじ心がある」

 刑吏の怒鳴る声のなかでも、はっきりと幼いカーテローゼの耳に届いていた。

「人間が彼らを拒絶しているだけなのよ」

 吸血鬼は敵。吸血鬼は人を殺す。人間を吸血鬼に変えさえする。母は吸血鬼のために死んだ。首を切られ、胸に杭を打たれて亡骸を焼かれた。自分もそうなるところだった。“おじいちゃん”がダンピールの能力を挙げて助けてくれたからいま生きている。吸血鬼を倒すことがダンピールの命なのだ。けれど、しかし……。

「蚊とだって無理なのに!」

「ひどいなあ、べつに人間の血は飲まなくたって平気なのに」

「ならなんのために村の人達をチャームして自由を奪ったの!?」

「それは……」

 吸血鬼は自分の生活空間を避けて逃げていた。広い城には棲み着いた彼女自身知らぬ空間のほうがはるかに多い。見知らぬ部屋で、廊下で、調度品を武器に盾に、暴れながら行き当たったその扉の気配。吸血鬼は絶句した。硬直する彼女に、カーテローゼが肩からぶつかる。軽い木戸を壊して二人の飛びこんだそこは、青灰色の月光に満たされた礼拝堂であった。

 

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