二度目の人生。
あるいは、時を遡って人生のやり直し。
多くの人が一度は妄想したのではないだろうか。あの時こうしていれば。もっとやりようがあったのではと。
自分にも同じ事を考えた時期があった。でもだからと言って、ことごとく思い通りにならないのが人生というものだ。
簡潔に言えば——これもはや「やり直し」でも「逆行」でもなく「転生」だろって所か。
♢ ♢ ♢
東向きの窓から朝の日差しが寝室を照らし、暖かに目覚めの時を告げる。
いつもより妙に鋭く感じられたその感触に違和感を抱きオレは目を開けた。
「ん…んん…?んん!?明る!?寝過ごしたあ!?」
「おや、お嬢様。もうお目覚めですか?」
「今何時!?」
寝起きのオレは慌てていた事もあって、普通なら絶対に聞こえないはずの声に対して話しかけてしまった。
するとその声の主は戸惑いながらも優しく答えてくれる。
「どうされたのです、そんなに慌てて…。まだ6時半過ぎでございますよ」
「6時半過ぎ!?じゃあ今すぐ着替えて行けば間に合う…」
「落ち着いてください。ゆっくり朝食をとってからでも間に合うでしょう。ヒコザル様、お嬢様を落ち着かせてあげてください」
「ヒコッ!」
「え?——ぅわっぷ!」
オレが訳も分からず身支度しようと右往左往していると、聞こえるはずのない声がもう一つ聞こえてきた。その正体について考えるより早くオレの視界はぐらぐらと揺れ出す。
「ココッ!ヒコココ!」
「ちょっ!やめ、やめろよヒコザル!……ヒコザル?」
実際に口にしてからようやく違和感に気付いた。相変わらずヒコザルがオレの頭の上でじゃれているのでめちゃくちゃ視界が揺らされているが、反対に頭は冷静になって冴えてくる。
「ヒコザル……え、これ現実?」
「お目覚めになったようですね。おはようございます、お嬢様」
「あ、はいおはようございます…」
オレの呆然としたような呟きを違う意味で取ったらしい目の前の女性に挨拶され、オレも反射的に挨拶を返した。オレの意識がしっかり覚醒したのを確認したヒコザルは足元に降りて無邪気な瞳をこちらに向けている。
——夢じゃ、ないのかよ……。
『続いてのニュースです。開催まで一年を切ったポケモンバトル世界大会、日本の代表選手8名が本格的に強化合宿を始めました』
見覚えのない豪邸の内装に戸惑いながらも、先ほどの女性に着いていく形で食堂へと向かう。途中で扉が半開きになっていた部屋の前を通過した時にニュースの声が漏れ聞こえ、オレにこれがまぎれもない現実である事をよりはっきりと認識させた。
(しっかし、あまりに現実味のない現実だなあ…)
観察すればするほど目の前の光景が信じられない。今歩いている家の内装はどこぞの貴族か富豪を思わせる豪華さだし、前を歩く女性は白と黒を基調として袖口にはフリルのついている、いわゆるメイド服を着ている。
オレのすぐ隣では当たり前のようにヒコザルが歩いているし、その鳴き声も足音も、頭の上に飛び乗られた時の感触も全て夢や妄想と言うにはあまりにリアルだ。
(これってやっぱ、あのポケモン…だよな…?)
ポケモンと言えばあの超有名な大人気ゲームだ。初代の時点で既に百を超える種類のキャラクターがおり、その数はシリーズが進むごとにものすごい勢いで増えている。
ポケットモンスター、縮めてポケモン。オレの知ってる世界の人間なら今さら敢えて説明するまでもないほどの大作となった創作物だろう。
そう、創作物のはずだ。少年時代に自分がポケモントレーナーとなる事を妄想した者も多いだろうが、それだけに間違いなく創作物だと断言できる架空の存在のはずである。
何故、それが隣にいるんだ…。
「——様、お嬢様!」
「はっ。え、な、何?」
「? 食堂に到着致しました。もしやまだ寝ぼけていらっしゃいますか?食堂を素通りしていく勢いで歩かれていましたよ」
「…そうかも」
いかんいかん、考え事はひとまず後回しだ。ひとまずは周りの人間に無用な心配をかけないようにしなければ。
高貴な家では食事の作法も厳しそうだが、オレならまず問題ないだろう。何故ならオレは元演劇部、しかもちょうどこういう富豪の家の当主役を演じた事がある身だからな。こういう作法とかはひたすら調べまくって、個人的にワークショップにまで行ったほどだ。
…まあ、ここまでずっと目を逸らし続けてきた大問題がもう一つあるんだが。
(なーんで女の子なんだよ…)
ヒコザルに起こされた後、あのメイドさんのような女性——つーかまんまメイドだな、あの人にしっかり身だしなみを整えてもらった。
鏡に映ったオレの姿を見た時は絶句した…どこからどう見ても完璧な女の子だし、しかもまだ幼い。見た目だけで言えば5〜6歳、少なくとも未就学児なのは間違いない。ポケモンの設定にてらせばこのロリボディはまだ自分のポケモンを持てないはずだから、ヒコザルはペット的な枠なのだろう。
さすがに女の子は演じた事がない。不安だ。
「おはよう、
「おはようございます、お父様」
「…?」
どうやら琴葉と言うらしいオレが父と思しき相手に挨拶を返すと、妙にビックリしたような顔をされた。まさかこの人琴葉の父じゃない?でも食堂のテーブル——貴族キャラの家シーンでよく見るあの無駄に長いやつ——の端っこというか、要するに一番偉い人が座る席にいるし、この人が当主ならお嬢様と呼ばれてる琴葉の父はこの人だよな?
「どうした、そんな丁寧な言葉遣いをして。どこか具合でも悪いのか?」
そっちかい!
いや、ていうか、じゃあ琴葉は普段どう喋ってんだ?とりあえず『貴族っぽい』っていう固定観念を捨ててみるか…。慎重に、そう慎重に探ってみよう。
「いいえ、ただたまにはこういう話し方もしてみようかと思っただけです。ただの気まぐれですね。それとも……やっぱりこういう話し方の方が良い?」
「はっはっは、かわいい娘め。やはりいつもの生き生きした言葉遣いの方が琴葉らしい。多少作法が悪くとも自分らしいのが一番だ」
マジかよ変に気ィ張って損した。
まあこれで一つ確定した事があるから丸損ってわけじゃないか。この家は少なくともただの富豪であって貴族じゃない。貴族ならもっと礼儀作法にうるさいはずだからな。
だからってやりたい放題やって良いってわけじゃないだろうが。
「じゃあ、いつものにしようっと」
「うんうん、それがいい」
金があると心に余裕が生まれるんだろうな。貴族の真似事をしてるのもこの人の道楽って所か。
オレがちょっとだけ安心して緊張を解いている間に食事が運ばれてきていた。メニューは…案外普通だ。ロールパン、コーンポタージュ、ウインナー、その他多種少数…ただ見た目や香りが普通じゃない。
まず見た目は、普通じゃないとは言ったがおかしな所があるわけでもない。ただ輝いて見えるだけだ。輝いて見えるから普通じゃないのである。
パンの焼き色一つ取ってもそうだが、全てがこの食堂の照明を受ける事でアートとして完成する…そんな芸術的な計算のもとにできているのだ。
そして香りは、明らかにおかしい。それはマイナスな意味ではなく、むしろオレの語彙ではこれ以上ないほどの簡潔な褒め言葉だ。
具体的に言えば、香りだけで既に美味しい。一体どうすれば、食べずとも味を感じられてしまう料理ができるのだろうか。
ああ、今目の前に置かれている朝食は間違いなく世界最高峰の芸術だ。
「これは…今日の厨房チーフは
もう数えきれないほどこの料理を目にし香りを味わい口にしてきた父ですら改めて感動している。それほどまでに素晴らしい朝食なのだ、これは。
………ん?いや、ちょっと待って。オレ今すごいパワーワード聞かなかった?
「お父様、
「うん?まあ、そうだな。たくさんいるよ」
はぐらかされた。しかもこれ、絶対答える気のないやつだ。
「さて、では冷めてしまう前に頂くとしよう。琴葉、手を合わせて」
オレの質問を軽く流し父は手を合わせて朝食を始めようとする。ここでオレはもう一つ気になった。
「あれ、お母様は?」
「はっはっは、またおもしろい事を言う。彼女はポケモンリーグの仕事でしばらくここを離れているじゃないか」
そうなのか。
なんか安心した。こういうのってフィクションだと大抵死別してたり両親が不仲だったりするから、こうやってちゃんと愛情を確認できるのは嬉しい。
あとついでにポケモンリーグの存在も知れた。時間ができたら優先的に調べたいな。
「では今度こそ。琴葉、手を合わせて」
「はい」
「「いただきます」」
そういえばこんな事を教えられる時点で、今いる場所が少なくとも日本である事もわかる。オレの知ってる日本かどうかは別として、だが。
今は少しでも早く自由な時間がほしい。調べたい事が多すぎる。琴葉の人間像も知りたいが、言ってもまだ幼子だ。ここからはオレが好きなように振舞っても大きな問題はないだろう。
「!?」
まあ、今は過去に味わった事のない衝撃的な美味しさの朝ご飯に感動して、調べ物はその後にするかな。
♢ ♢ ♢
暗い…。
上も下もわからないし、狭いのか広いのかもわからない。
ただ真っ暗で、ここがどこなのかまるで見当がつかない——気が付けば、そんな場所に私はいた。
「——ッ!」
声は出せない。口も動かない。
それで気付いたけど、身体も全く動かせない。感覚がないのか、本当に今の私には身体がないのか……暗くて何も見えないのか、目がないから見えないのか……何もわからない。
ただここにいる私は妙に冷静だった。
『
誰かが私を呼んでいる。でも、それは私の知らない名前だった。
知らない名前なのに、私はそれが自分の事だと自然にそう思った。ついこの前まで、あるいはもっとずっと昔は、私には別の名前があったのに。
『起きているのかしら。それとも寝てる?お母さんね、今日やっとお仕事が一区切りついて、今帰ってきた所なの』
お母さん。そう、この声はお母さんのものだ。
お母さんが私に優しく語りかけている。私は言葉を返す事ができないのに、優しく、囁くように、温かな言葉をくれる。
だから私も、たとえお母さんには届かないとしても、ここで言葉を返そう。
——お母さん、私は
『夕べお父さんから電話があってね、琴葉ったらもうおかしかったらしいの』
——あなたの事が大好きな私が、
『突然どこかの貴族みたいな話し方をしてみたり、本が読みたいだなんていい出したり』
——私が、琴葉だよ。
ポケモンと言いつつ一番メインに書きたいのは人間だったり。