「あなた、おかしくない?」
「えっ……おかしいって?」
怪訝の目を向けて詰め寄る女子と、おどけた表情で詰め寄られる男子。
それは片方からすれば、日常的な悩みだった
しかしもう片方からすれば、とことんまでに奇異に見えた悩みであり。
「ぼ、僕がおかしいって……役に立てなかったって意味だよね?」
「は?それで終わるはずないでしょ」
湯水のように湧き上がる感情を、だんだんと憤怒に変えていきながら。
当然のように、その女子は宣告を下した。
「……
◆
およそ二年前。
正隊員にA級とB級というくくりがボーダーに大別されて、半年以上が経過したころ。
隊員数の増加によって
未だ実況システムの生まれていない
工業地区MAP。
縦に広く、横に狭い。
骨組みが厳然と組合わさり、高く連なった鉄細工はアスレチックに等しい。
狙撃手が斜線を確保できながらも、
策を通しやすく、また通されやすいここは、ステージ選択権を持つ者にとって悪巧みの名所であるとも言えた。
それを頭に入れながら。
控えめの暗色の外套を羽織り、その下を全身、黒いスーツに着られている男子隊員は路地を駆け抜ける。
年齢にして、実に中学三年生。
着慣れない生地の黒塗りを伴いながら、鋭さを抱えきれない表情を崩さない彼は、
一ヶ月前まで
『
『鳩原さん』
『このMAPを選んだのは蒼也さんだからね。正直あたしも……何してくるかわかんないんだ』
『了解です』
走り続ける黒……辻新之助にとって、合流先としては最も遠い相手。
先輩である鳩原未来からの忠言を受けながら、彼は走り続ける。
風間蒼也こと風間隊は、今回の試合でMAP選択権を持った部隊長だ。
特筆すべきは、彼にはオペレーターが付いてるのみで、随伴する現場隊員は他に居ないこと。
つまりはソロ部隊ということになる。
常に冷静な判断力を備え、最もスコーピオンを丁寧に使いこなすことで知られた、欠けなしの刃。
不動の余裕と、ソロ部隊であることを生かした大胆な立ち回り。
外套……バッグワームの影が見えた瞬間に、またたくまに接敵した対象の首が狩られている光景を、ここボーダーで知らぬものは居ない。
工業地区は、この風間蒼也の
『澄晴くんが近いからそっちを目指して、その後私のとこに逃げてきてね。あと狙撃も注意』
『狙撃?そこまでですか?』
『三輪隊の透くん……だったっけ?彼、私達が試合で初めての相手だけど……
『そうなんですか』
『前期の順位上がりは
『……』
『亜季ちゃんにも狙撃ポイント見てもらってるから、すぐにデータも来るし』
鳩原未来は、天性の才覚を持つ狙撃手……二宮隊の空の守護者だ。
見通した敵の武器を即座に破壊するほどの狙撃の腕前は、斜線を通せる範囲において、敵なしとも称された曲芸を誇る。
その彼女が、真剣な実戦内で最初から腕前を褒めちぎった他のスナイパーは当真勇くらいだ。
辻はその事実を重く受け止め、警戒を強める。
ランク戦の隊員の初期転送位置はランダムだ。
各部隊の隊員は、少し動いて合流できることも有れば、合流できずにそのまま緊急脱出で戦いを終えてしまうことも有る。
辻の所属する二宮隊の転送位置は、MAP全体で見れば『い』の字になっていた。
一画目の上部分が隊長の二宮匡貴。
一画目の下部分が鳩原未来。
二画目の上部分が辻新之助。
二画目の下部分が、今期から二宮隊で戦線に加わった犬飼澄晴。
優先方針は合流。
鳩原は狙撃の陣取りと並行して、陣地に糸を張るトリガー・スパイダーで後方を補強する。
辻と犬飼が中央付近で合流し鳩原の援護を受け、スパイダーのテリトリー内に一度逃げ込み……万全の備えを作りながら、同時に隊長の二宮を自由に動かせるようにする備えだ。
二宮が自由に動ける状況さえ作れば、この部隊に負けはない。
『それから……』
「あら、逃げる気?残念ね」
そのための推移は、突然辻の目の前に現れた一人の女性によって瓦解することとなる。
『っ!新くん!』
「か、こ、さ」
「遅いわよ」
狡知の刃が乱れ飛ぶ。
建物の影からバッグワームを解除したと共に視界先十五メートル、辻の間合い内にまで隣接した女性は、緩急自在の刃、スコーピオンを右手から振りかぶる。
その刃は辻に届く前に、鳩原の狙撃によって粉砕された。
だが。
「
彼女はその時……あろうことか自らのトリオン体を辻の目の前で無防備にしたままで、慣れた手付きでなにやら身振りしながら、不敵な笑みを浮かべた。
それを見る彼の表情から感じられる感情は、まるで悪夢そのもの。
「
辻は動かない。
否、
女性の
それが辻の全身ごと急所を射抜き。
「がっ!?」
『戦闘体活動限界。
問答無用で蜂の巣となった辻新之助は、光の矢となって退場した。
◆
氷見亜季。
ボーダー入隊後、最速での本部研修を終えた新鋭オペレーターが私だ。
私は部隊に配属された後に初めて参加し、状況分析に徹して終えたランク戦を思い返して……
「(やだ……うちの辻くん……弱すぎ……?)」
内心、とてつもなく冷や汗をかいていた。
辻くんが退場した後、二宮隊は悲しいくらいの惨敗を迎えていた。
合流のために近づいていた犬飼先輩がMAP中央で一人になり、辻くんを倒した女性……加古隊隊長・加古望先輩と、駆けつけた三輪隊の前衛……米屋陽介くんとの包囲戦になる。
その乱戦から突如現れた風間さんが犬飼先輩の胸を貫いて、漁夫の利を得た。
そこから風間さんは、ほとんどの攻撃を躱して……敢えて二宮隊長の居る方向に逃げた。
二宮隊は、二宮先輩が居る限りは勝ちの可能性が残っている。
逆に言えば、隊長は最も多くの警戒を受けて倒されやすい存在だ。
風間さんは自分が緊急脱出する可能性を他の隊にちらつかせて、
これは強制的に戦いを数対一に持っていく悪辣な手口だ。
鳩原先輩は隊長の補助のために動くも、その間に合流を許した三輪隊の隊長・三輪秀次くんと、その狙撃手である奈良坂くんの同時攻撃を受け退場。
その後二宮先輩は、隊長をよく知っているらしいこれらの相手たちから徹底的な集中砲火を受け、殆ど損害を与えられずに敗退した。
私はこの試合の前……鳩原先輩から『試合中に、新之助くんに
その理由が、この戦いではっきりした。
……そう、
辻くんは、元々同じ学校のクラスメイトだ。
ただ、あまり話したことはない。
話した時は常にたどたどしいと思っていたけど、それ止まり……だったという印象。
彼が女子と話す時致命的に緊張することに気づいたのは、私がこの二宮隊に配属されてからだ。
二宮隊に入ったのはなんとなくで、クラスメイトである彼が偶然居たからなのだけど。
その時に彼の真実を知った私は、はっきり言って困惑した。
どう会話していいかわからないと、自分の態度もだんだん強張っていく。
表情には出さないけど、なよなよしている彼にあまり好印象を持たずに迎えて、そのまま負けを拾ったのが、今回の戦いだ。
「……み、皆……その、ごめん」
「辻。
「隊長……その、言葉足らなさすぎじゃないです?」
「何がだ?鳩原」
「いやぁ……いつもどおりだなーって思って」
今もなお落ち込む辻くんに、加古先輩への復讐宣言だけを堂々と言い放つ二宮先輩。
配慮も何も有ったものではないその態度に、鳩原先輩は思わず苦笑している。
「悪さ比べならずるずる続いちゃうから気にしなくて良いんじゃない?それ言うなら、おれも何も出来ずに胸ズバーだよズバー!ごめんね!あははは!」
「犬飼先輩も初陣なのにだいぶ図太いですよね」
「そう?おれB級上がりたてだし、これくらい普通にあるでしょ。それ言うなら氷見ちゃんも、初日以外全然緊張してないよね」
……初日で偶然あがり症を克服しただけである。
しかも何分初めて配属された隊なので、どことどう勝手が違うのかは、あまりわかったものじゃない。
「C級時代から、二宮さんの噂すっごい聞いてたよ。油断も隙もない~とか、近寄ったら蜂の巣にされそう~とか、そんな話しばっかだったけど、いざここ来てみると面白い人だよね」
「……」
「先輩に凄い顔されてますよ」
三年上……犬飼先輩にとっても二年も上の人相手によくそのテンションで居られるな……。
二宮先輩に……ジト目?呆け?のような、対応に困ったような目つきをされている犬飼先輩は、
「俺はここでもっと強くなりたいよね~」とさらっとおだてて何気なく隊長の機嫌と表情を戻す。
……この人、多分生まれつきに計算高い陽キャだ。
うん、間違いなく今のこの隊に必要な人材。
私はそう思った。
「……それで辻くん。一応聞くんだけど」
「ひっ!?ひひ、ひやみさん!?」
「……流石に緊張しすぎじゃない?」
これだよ。
まぁ、言葉を取り繕う必要もなく、言葉を荒くする意味も結局無い。
単刀直入に、平常心を保ちながら聞く。
「私のときもだけど……試合の時、毎回こう?」
視線を感じる。
辻くんの目線じゃない。彼は動揺のあまり目を泳がせている。
私を密かに
それを、鳩原先輩はなんだか心配そうに眺めているように感じた。
「あ、その……う、うん……ランク戦でも、加古さん達がいる、ときは……」
「そっか」
「次は加古先輩達と当たらないから肩の力抜いときましょ」と言葉を濁しつつ話題を終了する。
現状、深く踏み込むには、どうにも憚られた。
「亜季ちゃんごめんね。緊張してた?」
「鳩原先輩。いえ、もう今は」
反省会が終わった後、鳩原さんが申し訳ない表情で、私に話しかける。
「あたしも二宮さんも新くんには過保護になっちゃって。居づらくなかった?」
「同じ新人なら犬飼先輩も一緒に居るので……」
「そっかぁ。澄晴くんには妬んじゃいそうだよ。人生楽しそうで」
一瞬の虚無感。
「先輩?」
「……なんでもない。兎に角さ、あの人、オペレーターに厳しいから」
「そうなんですか」
「元々、うちの隊がじゃじゃ馬だから」
鳩原先輩は、ことの経緯を私に語ってくれた。
二宮隊は、辻くんを始めとして、非常に癖の強い隊員の集まりだ。
隊長の二宮先輩は、やはりというか、あまり人当たりが良いと思われる人ではない。
辻くんは女の人を相手にすると機能を停止する致命的な弱点を抱えており……
「あたしも……人を前撃った時、こう……何度も
「……」
鳩原先輩は……どうやら、人が撃てないらしい。
その表情は、想像だにできない申し訳なさげな悲しみに包まれていた。
「で、
「……なるほど」
二宮隊は実力ある部隊だと聞いていた。
でも私が配属を希望した時、すんなりと入ることが出来た。
それはきっと、これらの問題に対処できる存在が今までいなかったからなのか。
私はなんとなくってだけど、一応理由あってここに来た。
辻くん居なかったら入ってなかったけど、更に拘り無く入った人は、確かに辞めていきそうだ。
前のシーズンまでは、犬飼先輩もここに居なかったことになるし。
「澄晴くんが来て、雰囲気も良くなってきたけど……」
「チームとしては、穴だらけってことですか」
「そうなんだよね。今日みたく対策されたら勝てない」
一瞬、拳をぎりっと握りしめ。
「
力強い言葉。
鳩原先輩のその言葉の奥に秘められた真意はわからない。
だけど、強く……勝ち上がることにこだわっていることはなんとなくわかる。
「二宮さんは「こいつは強い」って思った人しかここに入れないから、澄晴くんもきっとセンスはあるんだよ。だけどまだ上がりたてだから」
「あの人はタフそうなので心配しなくても良さそうですけどね」
「あはは……確かに」
先輩は「一本取られたね」と苦笑する。
鼻の周辺にほくろを多くぽつぽつとさせ、苦し紛れに笑みを浮かべることに慣れている顔。
見ているこっちも己の力不足を心に描きたくなってしまうような、儚い表情。
きっと、私の想像より、遥かに苦節に揉まれてきたのだろう。
「だからさ。多めに見てほしいんだよ。新くんのこと」
◆
改めて、己が所属している隊を分析した。
あの時に発覚した弱点のうち、辻くんのそれは特に致命的であり……二宮隊は、必ず『ある隊』より上の順位に行くことが出来ないことがだんだんわかってきた。
そう、ご存知、
ボーダー内で現場に出動できる所属女子隊員は、本来非常に少ない。
調査の過程でわかったB級以上の他の女子隊員は、A級隊の木崎隊に所属する小南桐絵隊員と、B級下位隊隊長の一人である、香取葉子隊員くらいか。
C級にはもうちょい居るという話も聞くけど、基本的には女子の役目はオペレーターが多い。
しかしこの加古隊は、現場構成員を隊長含めた二名。
オペレーターを含めて三名の、完全なガールズチームとなっている。
現場隊員数が二名と侮るなかれ。
加古隊のもうひとりの隊員である喜多川麻衣隊員は、奇天烈なトリガー運用を行うポジションのトラッパーであり、スイッチボックスとバッグワームタグという謎めいた武装を常に使っている。
この二つの装備は、今やA級隊である冬島隊……その隊長の冬島慎次さんの卓越した使い方が有名であることも、今回の調査でわかってきたことだ。
この冬島隊も現場隊員は二人であり……手筋が読めないという意味で、加古隊は純粋に侮りがたい相手であると言えた。
その加古隊が
才能の有るものを好む。
二宮隊のその方針は、隊の弱点を突かれない相手に対しては最大限に発揮される。
中位までの部隊に対しては雑に二宮先輩が暴れまわり、他隊員はそれを補佐するだけで大量の得点を得ることが出来ていたのが、分析の過程で閲覧した過去の試合だった。
しかし、この二宮隊は、悪くいえば脳筋で……弱点を補えていない。
加古隊と対敵することでこの弱点が一気に露呈し、右腕、左腕、四肢と順々にもぎ取られては、本体である二宮さんを複数隊でボコって倒す……ゲームのボス戦みたいなアトラクションになってしまっていた。
やられる側としてはたまったものじゃない。
二宮先輩の私怨も頷ける。
「おっ、氷見ちゃん。コソコソ見てるねー。おれも混ぜてよ」
「犬飼先輩。さっきまではどこに?」
「個人ランク戦。この前何も出来ずに死んだから逆襲したいじゃん?手札強くしたり、増やしてるんだよ」
「心強いですね」
「ぶっちゃけ、次の戦いは楽勝だと思うけどねおれら」
中位に落ちたから。
犬飼先輩が付け加えたその言葉で、私達は問題が共有できていることを確信する。
「言外には皆言わないけどさー。多分おれって……ここにフォローに誘われたと思うんだよね。むっかしから水回り気質だからさ」
「後悔してるんですか?」
「まさか。そのうちA級上がって給料ガッツリもらえるでしょ。先達は皆強いし」
「欲望ダダ漏れですね」
「若年の学生でそれなりの正社員待遇。ボーダーの良いところだよね」
闇が深い話題はやめろ。
というか……三門市に居るものは二年前の近界民の襲撃開始から、多かれ少なかれこういった現実の何かしらと向き合っているのだけど……時事ネタや風刺が好きなんだろうかこの人?
「そういう君も、後悔はしてなさそうだけど、変な顔してるよね」
「……何がですか?」
「辻くんと話す時、楽しそうなむすっとした顔してるじゃん。アレ何?」
「何の話ですか?」
「それだよそれ」
狐に摘まれたように、わずかでも表情を食い気味に表に出してしまう。
この人……多分陽キャだけど、人を意識的にからかうのがもっと好きな人だ。
「意地悪って言われません?」
「意地悪そうな目つきしてるでしょ?」
「自分で言うんですか」
「そんなことより教えてよー!同年代への目つき違うのなんで?」
「ざっくりしすぎてませんか」
「なんでー?なんでー?」
「意地悪って言われません?」
こほん、と咳払いして。
「クラスメイトですよ。三年間、現在進行系で一緒のクラスです」
「お、胸アツな奴来た!王道じゃん!」
「あんなに実態が弱々しいのは知らなかっただけです。あんまり話したことなかったので」
「いいじゃん!過去の二年間の無知を後悔して、三年目の冬にラブロマンスするの」
「先輩、煽るだけなら話すのやめますよ?」
すでにお得意先と思われている……。
わざとらしくジト目を繰り返したら一旦テンションを戻してくれた。
多分この人は今後とも。反省はしても後悔することはない人種だろう。
「真面目にさ?いらつくだけならいらつくって言えばいいじゃん」
「知ってて言うんですか?」
「お、よく返すじゃん。氷見ちゃんと一緒のここはこれから楽しそう」
「言っててください。……イラつくってわけじゃないんですよ」
「お?」
「どっちかといえば、自分にむかついてます」
人並みに誰ともサバサバ話せる自覚はあったけども。
印象の薄い男子とはいえ、三年近く気づかなかった特徴で今自分が苦しめられている。
その事実が、なんとなしに自分をむかつかせてくる。
……犬飼先輩との会話で、それになんとなく自覚が持ててきていた。
「このままだと許せないんですよ」
「ずっと気づかなかったせいで、勝手に負けた気持ちになっちゃってるから?」
「まぁ……そのようなものです」
この人は、相手の本心や、奥底の動揺を引きずり出すのが上手いと感じていた。
ころっと変え続ける表情一つ一つに、巧妙な打算が仕込まれている。
人によっては、話すだけで辟易してしまいそうだが、私には都合が良かった。
そして、次の瞬間も。
「いいじゃん!楽しそうだね!」
「また煽りですか?」
「違う違う、本気だよ!
「飛行機?」
何も持っていない手で、飛翔物を投げ放つ動作。
「そ。手製なら紙飛行機。やったでしょ?投げて飛ばすの」
「小学生の頃までは」
「アレって、どうやって風を掴むようにするかなんだ」
「風、ですか?」
「そ」
手を、数字の8の文字を横にしたように描く。
その後もジェスチャーを織り交ぜながら、彼の話は続いた。
「慣性と風の力で、自分の体より重いものが浮き続けるんだ。揚力……ってやつだね。いい感じの投げ方と、その力を抱え続けるための飛行機の形さ。旅客機とかのマジモノの機械なら、飛んでる最中の操作も必要だよね」
「それと今回に、何の関係が?」
「この部隊、
犬飼先輩の目つきが、鋭いものに変わる。
「君と辻くんって中三でしょ?これ無い?クラスマッチとかしっかりやれって奴」
「何度かは。多分今年が一番感じてました」
「そういうのをさ、ウェイウェイしてるノリから、いつの間にか真剣にさせるのが好きなのおれ」
「……凄い趣味ですねそれ」
「そ。今回もこれから、君と共犯者になろうってわけ」
その鋭い目つきを保ったまま、彼はこう告げた。
「普段は一人でやってるんだけど、君も胆力有るから……悪知恵利かせてみない?」
彼は「これからよろしく!」と付け加えて、隊室を去っていく。
現状だと楽しさというより……ひたすらに純粋な悩みだけど、現状を変えることに興味はある。
過去のオペレーターのように辞めるよりかは……きっと、最初からやれるだけやったほうが伸び伸びと業務ができるはず……
その自分の意欲が……この最も長く短い、三ヶ月間の始まりだった。
◆
「オペレート中、なるべく冷静に、平坦に振る舞おうと思うの」
「えっ!?」
翌日開口、辻くんへ話した言葉はこれだった。
「きゅ、きゅうに……えっ!?」
「現状は、鳩原さんと共同で狙撃ポイントを割り出したりしてるけど、私は負担を背負ってない形だから、その分を私に寄せたいんだよね」
「えっ……そ、そうなの?」
「最終的には、私から落ち着いて補助を一元化して提示していきたいって思ってる。覚えといてね」
「わ、わわ!氷見さん……まっ……」
必要なことは伝えた。
……振り返ると、唐突になにか言って、勝手に去っていったように思われている気がするが、気にしないことにする。
まず必要なことは、この二宮隊を識ることだ。
隊員たちの癖や行動を知り、不和を最低限に減らす。
これに関しては、犬飼先輩が先達として色々と教えてくれた。
目線の動かし方、挙動の読み方、少しでも食いつく話題、他にも色々と……。
辻くんに言ったように、最後には補助を全て私が負担できるようにしたいところだが、これについてはきっかけがなければ、多分先には進まないだろう。
辻くんが頼っている女の人は、今現在では鳩原先輩ただ一人だけだ。
これをなんとかする……というのも言い方はおかしいけど。
辻くんがなんとかならなければ、きっと状況は前には進まない。
そうしているうちに、暫くが経過。
ランク戦については、何戦経てもだいぶ変わらずだ。
中位戦においては湯水のようにポイントを稼ぎ、上位に出てきたところをもぐら叩きされる。
けど、観察を深めていくにつれて見えてくることも増えた。
辻くんの狐月の腕前はマスターランクじゃないけど……回りをよく見て、ぶん回して威力の有る旋空狐月を、的確な状況でのみ繰り出していることがわかった。
大振りだけどインパクトが有り、特に威圧的な印象を与える、怪獣の爪のような一撃。
今までの二宮隊では活かしきれていなかったけど、実力が未熟な犬飼先輩が比較的中位戦で長く生存できているのは、間違いなく辻くんの視野の広さに有る。
最適なタイミングでフォローに旋空を叩き込む、彼の才能だ。
そして、辻くんに合わせることに関して、犬飼先輩は目に見える速度で成長を続けている。
P-90……連射が可能な
元々誰よりも多く相手の一挙手一投足を見ている人だ。
試合一つ一つを経るごとに、戦いの立ち回り一つ一つが大きく進化していく。
辻くんが近くにいる時に、すでに彼にだけわかるフォローのための隙を閃いてることすら、試合をログで振り返ってみて理解が追いついてきた。
“この部隊、飛ばしてみたいって思わない?”
いつかの犬飼先輩のこの言葉は、いつの間にか私の脳裏に刻み付いていた。
この部隊でA級に行きたい。
この部隊がもし本来の実力を発揮できたなら、どこまで上に通用するのか。
大空にたどり着きたい。
この二宮隊という飛行機が、完全な翼でどこまで行けるのかを見てみたい。
家でたまに酢豚を食べたり、お風呂に浸かったり、お風呂上がりにヨーグルトを食べる。
大好きな日課や食べ物を自分でこなしながら、そんなことを何度も考える。
「……
飛行機というのは、犬飼先輩の趣味だ。
スラッとした形の機械が好きなのか、犬飼先輩はこういうたぐいのものに元々食いつきが良いことが段々とわかってきた。
そして、彼がフックとして私に使ってきたこの話題は……彼が二宮隊を、どういう部隊に押し上げたいかという構想でもある。
彼にとっての飛行機はそれだ。
「他の人とか……辻くんにもそういうのって有るのかな」
二宮先輩は、なんというかわかりやすい。
とにかく、ひたすらに強い隊の強みが好きだ。
ナルシスト……というのもなんだけど、そのストイックな傲慢さが印象に残る。
鳩原先輩は、どうしても辻くんの世話をしてしまう印象だ。
幼気な人が好きなんだろうか?……という推測はさておき。
隊のビジョン自体を二宮先輩に一任しているという見え方だ。
主体性が無いというよりは「自分一人にそれが出来る力がない」と、引き気味になっているようにも感じられる。
で、辻くんは……私の前ではそれを見せてくれない。
それがどうしても、もどかしくって仕方がなかった。
そんなに怯えなくてもいいのに。
好きなものや方針の一つくらい、教えてくれたって良いのに。
「犬飼先輩にリサーチ頼もっかな……いや、それもダメだなぁ」
これも訓練……そう、訓練。訓練だ。
私自身が、答えを見つけてたどり着かないと意味がない。
百聞は一見にしかず。
なんか、これだけは他人に頼んじゃいけないような気がする。
……どうやって辻くんの回答を引きずり出すべきか。
ヨーグルトを頬張りながら、胡乱とした脳みそで雑な言葉が出た。
「……甘いもので釣ろ」
それまでに脳みそを使いすぎたせいで、この後、油断した私は炬燵の魔力に呑まれた。
◆
「このあと防衛任務なので、糖分かじっといてくださいね」
「亜季ちゃん、気が利くね」
「氷見ちゃ~ん!ありがと!」
「頂いていく」
今日は長時間、警戒区域内を見回る防衛任務の日。
釣り餌として思いついた甘いものはシュークリームだった。
プレミアムロールケーキの販売以降、スイーツで快進撃を続けるローソンのニューモデル。
コンビニ産ゆえの雑な安さを醸し出しつつも、味はひたすら本格的なそれは、こういう時に一番の刺客として機能することを(事前に自分で味見してみてハマったから)よく分かっている。
「ひ……氷見さん……その」
「辻くんの分もあるよ。ほらこれ」
目線をゆっくり辻くんの目に合わせて、自然な形でシュークリームを差し出す。
これを処世術として意識して発揮するようになったのは、共犯者犬飼先輩の規範の賜物か。
「……ありがとう」
「うん」
プラスチックの袋を丁寧に真一文字に切り取って、袋ごとシュークリームを持ちながら、ゆっくりゆっくり辻くんがシューとクリームを噛み砕き、味わう様子を見ていた。
「(こういうところ、なんだか穏やかでいいな)」
のんびりとそんなことを思っていると……いつもと辻くんの様子が違うことに気づいた。
いや、ひょっとしたら、今まで自分が見えてなかっただけかもしれない。
今の彼の表情には、ほんわりと、でも確実な笑顔が有った。
目が気楽なまま、肩の力が抜けていて……
「(……初めて見た)」
そんな珍しい何かを、いつの間にか我を忘れて目で追っていたような気がする。
彼が防衛任務に出向くまで。
そして、防衛任務に出向いた後も。
『……辻くん』
「へっ!?ひゃ、ひゃみさん!?」
『噛んだ?』
「えっ!?い…いやその……」
気がつけば、秘匿回線で彼に声をかけていた。
『これから、氷見じゃなくてひゃみで良いよ。なんか響きが良いし』
「……そうなの?」
『うん。そう思った』
「そうなんだ……」
自分の声色が、どうなっているか。
多分、今日が一番自分のことを分かっていない。
だけど、なんだか話が途切れないことに、上機嫌になっていた気がする。
『辻くんさ。他に好きなものとかある?』
「好き?」
『ものとか、食べ物とか知りたくて。シュークリーム美味しく食べてくれたから』
「へっ!?ずっと見てたの!?」
『たまたま』
たまたまだけど、たまたまじゃないんだけどね。
『おかしい?』
「えっと……おかしくない」
『ならよし。いいでしょ?』
「う、うん……他にもバターどら焼きとか好きかな」
『今度買ってくる?』
「良いの!?」
『良いよ。買っといてあげる』
……なんというか、鳩原さんが意気込む理由が分かってきた気がする。
そんなことを内心思いながら。
最低限、近界民が来た時の意識は向けつつも、辻くんと会話を続けていく。
犬飼先輩との共犯の成果である。感謝してる。
『そだ。二宮さんって、モノで喩えたら何になると思う?』
「モノ?」
『モノ。犬飼先輩はこれ飛行機って言ってたから、そっちも気になって』
「飛行機……犬飼先輩が……そうなんだ」
だからこういうときにダシに使う。
これが正しい共犯関係というものだ。
「えーっと……
『へー、恐竜』
「二宮さんは、なんでも踏み潰す強い恐竜に見えるよ。俺もそれを目指して一年以上剣を振ってきたけど……それだけじゃどうにもならなくて」
『なるほど』
わかった……そういうことか。
『辻くんの旋空孤月って、ひょっとして
「……ひゃみさん、わかるの?」
『なんだかそんな感じしてたよ。怪獣の爪みたいな斬り方してたじゃん』
「凄い……そのとおりだ……」
『褒めてもいいぞよ』
「ひゃみさん凄い……」
悪い気はしない。
『じゃ、それ目指してここに入ったんだ』
「二宮さんに誘われたんだ。「お前には才能がある」って。だけど、自分にはあんまりそういうのが無いって分かってくるだけだった。横合いから斬って、誰かを助けてるだけだし」
『そう?辻くん、その横から斬りに行くの、いつも気持ちいいくらいスルって入ってるじゃん』
「……そうなの?」
『私はそう見えてたよ。先輩達もそう思ってるんじゃない?』
「そうなんだ……」
初めて、己の長所を自覚していく辻くん。
だけど、無理もない。
二宮先輩はあの通り寡黙で不機嫌そうだし、人を褒めないし、必要なことを言わない。
鳩原さんは日頃から庇うばっかりで、辻くんがそれを自分から考える機会がなかった。
『そんなに、マイナスに考えなくて良いと思うけど……』
「?ひゃみさん?」
『どうして女子の前であんなにガッチガチになってたか……聞いていい?』
「……」
自然と、口から出ていた。
二ヶ月以上経って、初めて自分の些細な言葉が、口から出てきたように思えて。
「……ひゃみさん、笑うと思うよ」
『笑わないよ』
「本当?」
『本当』
「……」
そう、本当だ。
今回のシーズンで、よく分かった。
これが私の気持ちだ。
辻くんが、暫く間をおいた後、口を開く。
「……今まで俺、元々あんまり女の子と話してなかったんだ。前はちょっと苦手くらいで……まぁ、話せてなかったんだけど」
『ふむふむ』
「ただ……前、最初に加古さんに負けた時、オペレーターさんに、
『…………』
“……あなたが、女子に弱すぎだって言ったのよっ!!”
「……それから、本当にずっと苦手になっちゃって。弱いままでさ」
『……』
「知ってるんだ。あの後、オペレーターが入れ替わった理由……二宮さんが怒って、威圧したからだって。
トラウマは、消えない。
「二宮さんは、いつも意固地になったまま加古さんを倒そうとして、無茶をして負けちゃうんだ。鳩原先輩も俺には「気にしないで」って言いながら、望むように二宮さんが戦えないことにずっと苦しんでる」
そして返済しない限り、負債となって更に膨れ上がっていく。
「どうすれば……俺はこの今までの分を、あの二人に返してあげれるんだろう」
それは、心を苛む切実な彼の悩み。
そう。だけれども。
『……気にする必要ないんじゃない?』
「へっ?」
気がつけば、私の口は、さらっとそんなことを口にしていた。
「いやいや!ひゃみさん!?聞いてた!?」
『聞いてた。だって単純じゃん。二宮先輩、恐竜なんでしょ?』
「いや、なんの」
『
「……あっ」
そう。それが二宮匡貴、ひいては二宮隊の強さなんだ。
圧倒的な強みの強さで、あらゆる相手をなぎ倒す。
その理想図は、とっくに全員が未来に描いているから。
『朱に交わればなんとやら。辻くんもそんくらい好き勝手にやればなんとかなるかもよ?』
「で、でも……」
『例えば、そう……十字方向、二百メートル先、門発生』
「!」
辻くんの体が動く。
直後、即座に該当箇所にまで駆けつけた彼は、旋空孤月でトリオン兵を一閃した。
「ご、ごめん。気が抜けてて……」
『
「あっ!」
初めて鳩原さん以外の女子の言葉で動けている自分に気づいた辻くんは、ほわほわとした面白いリアクションを終始取っていた。
それがどうにも楽しくて、私も言葉が弾む。
『辻くんの好きなものを好きなように食べてるとこ、私は嫌いじゃないけどね』
「え、えっと?」
『好きなこと。一番やりたいことをやれば良いよ。ダメなとこは、私達にぶん投げとけばいい』
“
それが、私達の共通認識なんだから。
「……うん。そうだね」
『そうでしょ?』
「ありがとうひゃみさん。俺、なんだかやれる気がしてきた」
『やれるやれる。問題ないって』
「そうかな……」
『ほら、自信持って』
この日から。
辻くんと私は普通に会話出来るようになっていた。
◆
「よっ!ひゃみちゃん!」
「ひゃみちゃーん!」
「何この流れ?」
二宮隊にひゃみブームが到来した。
辻くんと私の流暢な会話を見た犬飼先輩と鳩原先輩が、唐突に呼び方を真似してきたのだ。
「先輩、ひゃみさん思わず変な顔してますよ」
「それは言わんでいい」
「ひゃみちゃんひゃみちゃん、うん!おれ氷見ちゃんって言い方前から噛みやすそうだなって思ってたんだよね。何も考えなくていいって幸せだと思うんだよ」
「犬飼先輩から考えることを抜いたら意地悪しか残らないですよね」
「辛辣!」
「二人共、すっかりここに馴染んだよね」
鳩原先輩がひとりごちて、やがて笑顔をほんわり眩かせる。
「いや……あたし達も馴染ませてもらったかも」
「今日は珍しく鬱陶しい笑い方をしていないな」
「……うわぁ、隊長」
「顔を戻すな」
仏頂面が会話に混ざった瞬間、鳩原先輩はいつもの苦笑に戻ってしまった。
アレもいずれはなんとかしたいところだが……難易度が高く見えるのは気のせいか。
「そういえば皆気にならない~?うちの隊長がひゃみって言ったらどうなるか!」
「ぷふっ!」
「鳩原?」
「先輩?二宮さんもの凄い顔してますけど」
「犬飼先輩、明日自分に槍の雨が降るって自覚はないんですか?」
間違いなくフルアタックアステロイド殺人事件が起こる。
あるいはフルアタックハウンド殺人事件だ。
もしくはサラマンダー殺人事件か?
「氷見」
「はい」
「呼んでない。氷見と言っただけだ」
「えぇ……」
「異論が有るか?お前には『自覚』が有るはずだが」
「隊長頭固いですねー、ひゃみって言うだけで二宮匡貴のブランド力は崩れないですって」
「犬飼、今からブースに来い。お前が望んだものをくれてやる」
「うわマジ顔だ!マジ顔だよこれ!」
「みんなたすけてぇえええええ!」という声を遠ざけながら、二宮先輩と犬飼先輩が隊室からフェードアウトしていった。
「……ぷふふっ」
「鳩原先輩……まだ笑ってるんですか?」
「だって、だって面白くて……」
「確かに犬飼先輩以外出来そうにない尊い犠牲でした」
「うん、そうだね……ふふっ!」
「ふ、二人共……??」
動揺する辻くんをよそに。
犬飼先輩が居ないことを前提に明日の予定を脳内で考えていこうとし……
「ボーダーって、楽しいんだねぇ」
鳩原先輩がポロッとこぼした……一言と
言葉が出てこず、私と辻くんは暫くそれを見つめていた。
「……あっ!いや、違うんだよ!ひゃみちゃん新くん!こう!そういうことじゃなくて!」
「鳩原先輩」
「分かってますよ」
「えっ?」
二人で、同じことを告げる。
「「皆で、A級に上がりましょう」」
「…………」
鳩原先輩は、その言葉に何呼吸分か呆然としていて。
……次の瞬間の彼女は、そう。
「……そうだね、皆」
満面の笑みで、いつもより何倍も冴えていた。
◆
B級ランク戦、今シーズン最終戦。
加古隊。
二宮隊。
三輪隊。
風間隊。
奇しくも最初の上位戦と
更に同じ工業地区MAPが選択され、運命を感じさせる決戦を迎えることとなった。
二宮隊は、ただ一つはっきりとした意思統一をこなしたのみだ。
最終的に勝つ。
ただそれだけの、しかし後に永劫と続く、彼らの固い指針が、そこには有った。
チームメンバーの転送が始まる。
次々とランダムにトリオン体がMAPに配置されては、無骨な高層物が各人の視界に映り込む。
外套を羽織ってそれぞれが行動を開始する中……
『他隊全員がバッグワームを発動しました。レーダーに反応なし』
「氷見。狙撃位置と周辺警戒に集中しろ。特に俺の回りだ」
『了解』
今回の二宮隊の転送位置は、カタカナの『イ』の文字だ。
二宮が下に飛び、辻が中央。
犬飼が右上に転送され、鳩原が左側に存在する。
「辻と犬飼はセットだ。始めは深追いをせずに荒らして、取れる時は取れ。俺が
「辻了解」
「犬飼了解」
「鳩原、お前は背中だ。俺と合流次第好きにしろ」
「鳩原了解」
「始めるぞ」
MAP選択権は以前と同じ風間隊。
つまり必然的に、最も警戒すべきはアサシネイトとなる。
これは、二宮隊の弱点を考慮しなかった場合の脅威だ。
そして、弱点を含めて警戒すべきは、やはり加古隊。
これまで辻新之助が行動できず点を取られていることが起点となっている以上……それは今回も必ずやってくると断言していい。
加古隊の怖さは、変幻自在の移動力と奇抜さへの特化力だ。
喜多川……トラッパーのスイッチボックスには、ワープを司る
これと加古のテレポーターを連続で利用することで、警戒外から一気に相手の間合いに迫ることが可能となっている。
過去、辻はこのテレポーター、あるいはワープテレポーターの餌食になり続けている。
「……」
警戒走行を続けながら、辻は考え続ける。
果たして、今回もやってくるのか?
また別のフェイントをかけてくるのか?
前回まで、疑心暗鬼になっていた思考回路だ。
今回も、この手口が最も困ると言っても過言ではない。
そして。
『トリオン反応多数。停止反応が数個、動体反応一つ。右百三十度警戒』
「っ!」
瞬間、辻の右斜後方から、金髪の女性が姿を現し、スコーピオンを振りかぶる。
止まらなかった狐月は、その一撃をなんとか受け止めた。
「あら?」
「っ……!」
刃を振り抜け無い。
攻撃出来るほどの鋭い意気は、あいも変わらず辻の心のうちに灯ってくれない。
だが、彼の体は動く。
この体は……動く!
「へぇ」
後退しながらも、なんとか辻は加古を弾き飛ばす。
その上、普段なら狙撃による援護射撃が来ているタイミングで、未だ何も『釣れない』。
加古は驚嘆と、肉食獣のような随喜を混ぜた笑みを浮かべ、目の前の状況を理解した。
「やるじゃない。今だけは褒めてあげる…………真衣、杏」
『『送ります』』
「……?」
『左右両面。動体トリオン反応』
「っ!」
刹那、刺客は現れた。
三輪隊の前衛、三輪秀次と米屋陽介が、唐突に舌打ちの音とともに辻の左右から現れる。
「そういうことか……今回は乗ってやる」
「相変わらずあの人、変な手法を使いやがるな!それマジでやる?」
加古隊は現場構成員が二人どまりの部隊だ。
逆に言えば、一人分が空いた分のオペレートリソースは、風間隊以外の他の隊を上回る。
凄まじい博打ではあるが、同じ対戦相手・同じMAPで何度も戦い……かつて同じ東春秋のもとで指導を受けた仲だ。
三輪隊がどう来るかを読んでいる、加古特有の身内読み。
だが無論、ワープをさせることが出来るタイミングは、本質的には受動的だ。
加古が転移してきた相手の無防備な瞬間を付け狙うことが叶うような、格下の相手ではない。
故に、付近に転移させるに留めて、他の隊にぶつけるように仕向ける。
三輪隊の二人は戸惑いを一瞬に抑え、すぐさま浮いている辻を仕留めにかかる。
この一瞬こそが、辻にとって不意打ちを不意となくした瞬間。
『
「了解」
冷静さを取り戻した辻は、氷見のオペレートを受けて中央から後退を始める。
同時に大振りの旋空孤月を、正面へと横殴り気味にぶちかます。
当然、それを喰らうような三輪隊ではない。
深追いをせず旋空を見過ごした二人は、拳銃や狐月を構えて最接近しようとし。
「お前たちの相手は、
辻の瞳は、ここではない別の何かを見つめていた。
「「!!」」
瞬間、何かに気づいたのか、セットで襲い来る三輪隊の動きが鈍る。
加古もその二人の動きに違和感を感じた一瞬……
『後ろ!』
「っ!」
BLATATATA!!
P-90の背面からの完全な不意打ちが、加古の脚部に突き刺さり、片足を破壊。
もう片足も穴だらけにし、円滑な歩行を不可能にする。
少し遠目に離れた三輪隊へと銃口と射撃牽制を続けながら、早口で
「一本仕返しだよ」
犬飼澄晴。
辻が狙われることを活かした釣り出しによる加古望の機能停止。
この三ヶ月間ずっと練習し叶わなかった戦法が、初めて実を結ぶ。
それは、決して偶然によって生じたものではない。
「甘い」
足がやられても、本来加古は一流の
これからの一瞬、打ち合いで犬飼澄晴が勝ちうる道理はない。
体勢を崩すこと無く、三輪隊と犬飼の両面を警戒し、トリオンキューブを
「そっちのスイーツのほうが十倍甘いよね」
……彼の目は鋭く、ただ三秒後の未来だけを見据えていた。
何度も何度も何度も何度も、蜂の巣にされて。
幻視するかのごとく、目に焼き付けたものが、一秒後に先に生じる。
「はい、ニ本目」
『『退避っ!!』』
「「「っ!!」」」
三輪隊・加古隊両方がオペレーターの指示を受け、回避・防御行動を取る。
だがしかし、もうあまりにも遅すぎる。
「
……全ては、灰燼と化した。
それは、恐竜の踏みしだきか。
あるいは戦術爆撃機による焼夷弾か。
空を放物線状に駆け抜けてはえぐり、MAP中央に寄り集った有象無象全てを爆砕し、破壊する最大の攻撃の一つ。
「
『
「馬鹿が」
合成弾直後。
二宮めがけて飛来してきた奈良坂の狙撃を合流途中の鳩原に当たり前のように迎撃させながら。
氷見の報告を聞きつつ、彼は直撃先、九割方加古望に向けて罵倒を吐き出した。
二度目はこうはいかない。
だがこの一度目は、確実に、絶対に、完全に決める。
辻と犬飼が退避を完了し緊急脱出しないことも、最早二人が軟弱でないという感情論に基づいて、二宮が計算づくで手繰り寄せた結果だ。
「鳩原。狙撃手の位置は割れた。潰しに行く」
だが、物事はそう完全には嵌まらない。
『トリオン供給器官破損。
「……!」
誘導炸裂弾の直撃とは一歩、二歩とタイミングが遅れての、光の矢の発射。
「
してやられた。
納得と戦慄、そして思い通りにならなかった怒りの入り混じった表情を眉間に現出させて。
それから、三秒ほど時を待ち終える。
彼は合成弾のために開いていた両の手を、ポケットに仕舞って、隣にただ一言だけを告げる。
「行くぞ」
「はい」
合流を終えた二宮匡貴と鳩原未来は、この戦いの、その最後の詰めを始めた。
◆
隊室に引き戻された辻新之助は、憂鬱に思いを馳せる。
……満足には、動けなかった。
加古さんと対峙した時。
誘導炸裂弾まで時間を稼いだ後、砂煙に紛れて風間さんに一閃されたときも。
やはり、俺は未熟だ。
「辻ちゃん、なーにしみったれた顔してんの?」
「犬飼先輩」
「やりたいことは完璧に嵌ったじゃん。あれだけ苦戦した人たちが三人も一気に落ちたの、楽しくて仕方ないでしょ!」
「……ええ、そうですね」
そうだ。
ちゃんと時間は稼げた。
満足とは言えずとも、やっとだ。
やっと、体が動いたんだ。
「あとは、おれたちも観戦するだけだぜ。皆に見せてあげよっか」
「はい」
「あの人と、おれ達の上位での勝ち方ってやつ。本邦初公開だからね」
◆
トラッパーには自前の攻撃手段が無い。
喜多川真衣は、六十メートルの距離を離して自主的な緊急脱出を終えた。
残すは三輪隊の奈良坂透。
風間隊こと風間蒼也。
そして二宮隊の……二宮匡貴と鳩原未来。
合流をとうに終えた二人は、まるで身を隠さずに工業地区の大通りを駆け抜ける。
片方がポケットに両手を突っ込み、もう片方が
『四十メートル遠方。視界左斜め横。アサシン』
「ふん」
オペレートを聞き、二人は瞬時に動いた。
鳩原は狙撃銃の機能のみをOFにして、撹乱トリガー・スパイダーを起動。
視界補正をかけながら建造物を這い、放たれてひっつくそれは、敵の接近の軌道を封じつつ、障害物そのものとして機能する。
その糸の隙間めがけて、二宮は瞬時にアドリブでアステロイドを二十四分割して解き放つ。
「ふっ!」
それを見抜いたのか、風間はバッグワームを解きつつ回避運動を行う。
建造物の壁から壁へと飛び移り、迫りつつも深追いはしない動き。
「
「了解」
二宮の視覚外。
右上側方より放たれようとした狙撃を見極め、鳩原は一瞬で照準を合わせて狙撃。
「っ!」
奈良坂の構えていたアイビスの銃身を捉え、直後に発射された狙撃の軌道を即座に逸してみせた。
「こ、れはっ……!」
畏怖。
B級上がりとは言え、大きな才能が有ると自覚していたはずの奈良坂透は、しかしこの戦いで圧倒的な格の違いを味合わされている。
イーグレットによる狙撃弾をも止められ、アイビスによる狙撃も許されない。
絶対防衛圏である鳩原未来の視界から、狙撃手は逃れることすらも許されない。
故に。
『風間隊員捕捉』
「徒党を組んでも無駄だ」
二宮匡貴は、最早包囲されることはない。
ポケットから、再び両の腕を解き放つ。
「そう来るのは分かっていたぞ……二宮!」
誘導半径を即座に見切った風間は、両手にスコーピオンを持ちながら高速で突貫する。
本来、直線的でまっすぐすぎるはずのそれは、彼の練度によって精細を帯びている。
深く角度の入ったトリオンキューブの追尾だけを切り払いながらも、その走行速度は衰えを知らず、歪むこともない。
そして、そのスコーピオンが欠けることもない。
しかし、それだけ。
「
迫り始める位置が、遠すぎた。
『戦闘体活動限界。
「そう来ることは分かっていた。風間さん」
故に、風間蒼也は届かない。
二宮匡貴の
「
残すはただ一人。
目の前の障害物の何もかもを破砕し進む、その強大なる合成を両の腕に。
「
彼は、最後の詰めを逃げ惑う的に解き放ち。
『戦闘体活動限界。
その戦いは、さも当然と言わんばかりに幕を閉じる。
射手の王軍、二宮隊。
彼らはチームランク戦においてすら……その名声を高く轟かせることとなった。
◆
「じゃあ乾杯の音頭、二宮さんやっちゃって」
「飲め。食え。金は幾らでも俺が払う。それだけだ」
「太っ腹!!」
テーブルの上に並ぶのは、生肉や野菜などなどが揃って並べられた皿の数々。
二宮隊の五人揃っての、初めての焼き肉会だった。
「それじゃあB級一位!おめでとうっ!」
「「「「乾杯っ!!」」」」
カキィン、とジュースの入ったグラスの音が鳴り響く。
不思議と息が合い、全員が同じタイミングでグラスを重ねわせた。
「よかった……うぅ……良かった……あたしもしかしたら、一度たりとも、ここまで行けないんじゃないかって」
「やかましい」
「二宮さん……今日くらいはもっと、こう……」
「黙って食え。精々おとなしく金銭を浪費していろ。カルビ二つ。ハツ一つ」
「うう……ひどい……」
鳩原先輩は感激のあまり、開幕から号泣していた。
辛いものを抱えていたのが、一度に一気に解き放たれたからなんだろうが……二宮先輩の変わらない外面も、相当に不器用なものだと改めて思う。
「焼き肉かぁ……何食べよう」
「決めきれない?」
「うん」
隣の席の辻くんは、焼き肉の注文一つ一つに迷っていた。
二宮先輩はコンスタントに良さげな注文を次々と頼んでいるが、それでも不足に思う気分は、複数人でお食事会をしているときにはままあるものだ。
「じゃ、これからも何回か焼き肉行くと思うし、旬とか目当てのメニューとか調べておこっか」
「ひゃみさん、いいの?」
「うん。楽しそうだし。それに」
「それに?」
「なんでもない。食べよ」
君の好きなものを見つけたい……というのは、流石に他の人の前では言えない。
なにかしら誤解されそうだから、この気持は食にのみぶつけよう。
「辻くん。嬉しい?」
「今回の?」
「そ」
「嬉しいよ」
「ならよし」
互いに、箸を割って、手に挟み。
「「いただきます」」
こういう湿っぽい気持ちは、後でゆっくり考えればいい。
この隊で皆と一緒に居られる時間は……きっと。
もっと、いっぱいある――――
「ギアラどう?おいしい?」
「噛み切れない」
氷見亜季。
私は二宮隊のオペレーターだ。
遠く、随分と暫くの時間が経った。
今日も辻くんの食べる様子を眺めながら、焼き肉を楽しんでいる。
B級ランク戦の1シーズン最終戦を前にして、玉狛支部とかち合っての焼き肉会。
さっき、小南ちゃんと宇佐美ちゃんにイジられそうになってた辻くんをかばいつつ。
「氷見先輩とはふつうにしゃべれるんですね」
「ひゃみさんとはさすがに付き合いが長いからね」
玉狛第二所属の、三雲修隊員が辻くんに話しかける。
当時の私達と同じくらいの歳で、記者会見なりなんなりを動じずこなしていたキワモノだ。
きっと当時の私より物事に動じて無さそうな気配を感じている……
「辻ちゃんがまともに会話できる女子は、今のところひゃみちゃんと鳩原ちゃんだけだよね」
「鳩原先輩は最初から優しかったから……」
む。
それはむかっ腹だぞ。
「その言い方だと私は優しくないみたいじゃん」
「ひゃみさんは最初は壁が有ったよ」
「今は?」
「やさしい」
「よし」
うんうん。
よくわかっている。
これがチームワークだ。
……あれから二年。
二宮隊では、色々なことがあった。
ランク戦では、次のシーズンから、実況システムが始まっていたりした。
私達も査定を合格してA級に一度上がってからは……苦戦も有ったり、加古隊もまた上がってきたりしたけど、順々にランク戦の順位を上げていった。
辻くん達もそれぞれ得意武器でマスターランクの使い手にもなった。
それから、鳩原先輩の事情も、途中で聞いた。
弟を近界に攫われて、遠征行きを是が非でも目指しているってこと。
もう少しで、弟に会える可能性が生まれることが、本当に嬉しいことを。
……二宮先輩は「力が有るから拾ってやっただけだ」の一点張りだったけど。
……ただ、その鳩原先輩をきっかけに、私達は遠征に行けなくなった。
彼女は、今にも消えてなくなってしまいそうな表情を抱いた後に……そしてやっぱり消えていってしまった。
私達三人にとっては不思議と納得感が有ったようにも思うけど……二宮先輩は、今も彼女の跡を一心不乱に追っている。
冴えないような飾り言葉を、ずっと彼女に付け続けたままで。
玉狛一同との会話が鳩原先輩の話題になっていく中……そんなことを思い返しながら、改めて私は気づかれない程度に辻くんのもとに振り返った。
今も、変わらない。
当時の彼と同年代の三雲くんと、今の彼を比較してもそう思うのだ。
相対的には、たぶんもっと弱いに違いない。
だけど、ここまできた。
なんとなく、なんとかなる気がするのだ。
こうして隣に、次の戦いで相まみえる新鋭の強敵たちが居る中でも。
辻新之助は、女子に弱すぎるけど、
それだけで、なんだか明日に繋がるような気がするから。
そんな曖昧な願望を、絶えず胸の中に抱きながら。
私は今日も辻くん達の、好きなものを探している。