処女作です
お手柔らかに
2022年 11月
道場内は静まり返っていた。物音一つしない、聞こえる音があるとすればそれは外界の喧騒と道場内に佇む二人の人間による息遣いのみ。
一人は恐らくこの道場を預かっているであろう道場主だ。年齢は40後半に差し掛かっているだろうか、しかしその年齢には不釣り合いとも取れるどこか年季を感じさせるその表情と、見るものが見れば分かるしっかりと鍛えぬかれた身体を持つ偉丈夫は、胴着と袴を羽織って道場の上座の前で佇んでいた。
もう一人は、まだ成人を迎えていないであろう女性。姿こそ道場主と同じ格好をしてはいるが、その容姿は幼さを隠しきれていない。それでもその真剣な表情からは年齢以上の雰囲気が醸し出されていた。件の女性は道場の中程で槍を構えていた。どの様な状況かと問われれば、彼女の前方に設置されている五つの俵を見れば大方の予想はつくと言うものだ。俵にはそれぞれ野球玉程の赤い標が塗られており、何らかの目印である事が予想出来る。
水を打ったかの様な沈黙が続いていた。まるでその空間だけ時が止まっているかの様にすら感じられる。一見穏やかに感じられるそれだが、しかし見る者には判る刺す様な気迫がその空間には充満していた。その独特の緊張感が場を埋め尽くす中、時が熟すのを待っていたかの様にその沈黙は突如破られる。
タタタンッ!
何の前触れも無く小気味良い乾いた音が辺りに響いた。それは床を軽く踏み鳴らした音か、若しくは槍が俵を貫いた音かは判断がつかないが、結果として五つあった俵の赤く塗色された箇所全てに貫通痕が見受けられた。刹那の内にそれを成し遂げた女性は残心の後に構えを崩す。
「見事」
道場主である男性はただ一言厳粛にそういい放つ。それを確認した女性もまた深く一礼し、それを返した。そのやり取りを終えると、今までの厳かな雰囲気が嘘だったかの様に空気が溶けた。
「おめでとう雅。とうとう成し遂げたな。見事な『空眼五槍』だった」
「はいっ! ありがとうございますお父様!」
言葉の端に喜びを滲ませた様な道場主の声に、雅と呼ばれた女性は満面の笑みを浮かべながら元気よくそう言った。その表情は先ほどとはうって変わって幼く見え、少女と見紛う程である。
「切りを見て今日はここまでにしよう。佳樹」
「ここに」
佳樹と呼ばれた男が、道場と外を区切る障子を静かに開けてそれに答える。道場の外で待機していた彼は、この家の使用人を勤める一人である。
「丁度昼時だ。飯の準備を頼む」
「もう御準備は出来ております」
「流石だな」
佳樹の采配に満足したかの様に、道場主はそう言った。徐に立ち上がる道場主に対して佳樹は静かに音もなく、まるで気取られぬかの様に距離を詰める。
「新しい召し物を用意しております。お召し替え終わりましたら居間に食事を準備しておりますので」
「堅苦しいな。いつも言ってはいるが、もっと楽にしてくれて構わないよ」
「善処致します」
佳樹は道場主にタオルを渡しながらそう答える。その受け答えから、畏まった姿勢を替える気はないという彼の姿勢を判断した道場主は苦笑しながら道場を後にした。
「お嬢も、こちらをどうぞ」
「いつもありがとう佳樹」
雅は佳樹からタオルを受け取り、笑いながらはそう言った。
「本日の稽古、見事な『空眼』で御座いました」
「ありがとう。でも溜めが長すぎてまだまだ十分ではありません」
彼が言った『空眼』とは、藤堂流と呼ばれる流派の中にある鍛練法、またはその状態のことを表す。目隠しをして一切の視覚を閉ざし、その状態で演舞や組手を行う鍛練であり、『五槍』と呼ばれる藤堂流の槍術、高速五連刺突を空眼でやる状態を『空眼五槍』と呼ぶ。『空眼』の修得を藤堂流の奥義と定め、その修得困難は予想に違わない。
其ほどの業を見事成し遂げた件の少女の名は藤堂雅。由緒正しき藤堂流の二十代目当主、藤堂武夫の一人娘である。上記の通り、『空眼』は藤堂流の奥義であり今現在それを自由に扱えるのは現当主である藤堂武夫を除いて彼女只一人だ。今この瞬間、本人の意識とは関係無く、雅は藤堂流の奥義を会得し名実共に藤堂流次期当主となったのだ。
しかし、事情を知らない者はここで一つの疑問が発生する。目隠しをして一切の視覚を閉ざし、それでも尚常人同様の行動可能を旨とする『空眼』だが、現在の藤堂雅は目隠しの類いを一切していない。
「それでは参りましょう。旦那様を待たせてしまうのも宜しくありません」
「はい! よろしくお願いします」
そう言って佳樹は慣れた様子で槍を預かり、空いたもう片方の手を雅に伸ばそうとして、僅かに思い巡らせ意地悪そうに手を元の位置に戻す。
「おっと、『空眼』を今し方会得されたお嬢には先導は不必要でしたかな?」
「もうっ! 意地悪を言わないで下さい! 早く行きますよ!」
「ふふ、これは失礼いたしました」
大袈裟に頬を膨らませる彼女に笑いかけ、謝りながら改めて手を差しのべる。雅も佳樹の冗談に気付いているのか、満足げに彼の手を取りニコニコと笑いながら付いて行くのだった。
今までのやり取り、終始目を瞑り続ける彼女は盲目であった。
これは、若くして視力を失ってしまった女性と、それに付き従い守り抜くと誓った青年の、二年間にも及ぶアインクラッドでの戦いの記録。これからこの二人にどの様な物語が降り掛かり、どの様な試練が待ち受けているのか、現時点では神しか知り得ない。
ーーーーどうか、二人の行く末に幸あらんことを。ーーー
現時点では神様しか知り得ない
もちろん作者も知り得ておりません