第一層攻略会議の翌朝、時刻は十時を回っていた。今は攻略会議の際に使った会場であるトールバーナの噴水広場に集まっている。昨日の時点で集まってくれた三桁近い有志の中から四十八人、八組のパーティーを選抜し、今現在その八組のパーティーとその他数十名のプレイヤー達がここに居る状態だ。今回フロアボスの討伐に参加出来るのは八組のパーティーのみであり、そこから溢れたプレイヤー達は恐らく今回招集された討伐隊の激励に来ているのだろう。この光景を見た時は俺達自身が仕込んだ事だとは言え、SAOに囚われたプレイヤー達も随分とこの環境に馴れた物だと、独りごちた。
彼らは一ヶ月前は一般人だった。それこそ只のゲーム好きで、恐らく肌で感じる様な闘争とは無縁とも呼べる環境に身を置いていた筈だ。武道をやっている者は勿論いるだろうが恐らくそれも全体の一握りだろうし、それが特殊な環境下、例えば正しく死と隣り合わせの状況に置かれた際に発揮できる実力は高が知れている。本来ならこのSAOがデスゲーム化した時点で彼等は至極無力な存在だったのだ。皆が確実な殺傷力を誇る凶器を携え、一歩外に出れば自身の命を狙う異形が蔓延る。それは正に、日本から出たことの無い者を突如銃声の鳴り響く海外のスラム街に放り込んだ様な物だ。何も手を打たなければ恐慌を起こすのはまず間違いなかった。俺達が実行していた初心者プレイヤー育成はソードスキルや戦術等のテクニック面が主ではない。最も力を入れていたのはそれを踏まえた上でのメンタルケア、及びメンタル面の強化だった。
如何にゲーム同様の認識で作業に専念させ、且つその行動が命に直結しているかを認識させるという中庸と言う名の矛盾。無謀かと思えたそれを僅か一週間で形に出来たのは奇跡としか言いようがなく、それを形にする為の具体案を出して全体指揮を執ったお嬢は最早人の域を越えていた。寝る間を惜しんで自身にレべリングを課し絶対的強者としての姿勢を崩さず、それでいて現状に挫けそうになるプレイヤー達の話を聞き、慈愛を持って接するその姿はプレイヤー達に希望を与え、最も近くで其を見ていた俺に畏怖と戦慄を与えた。度を越えた献身を知る俺はその異常さに吐き気すら催した。アルゴさんすら知らない初心者プレイヤー育成の裏側がそれであり、こうしたプレイヤー育成を経てこの噴水広場に集まったプレイヤー達は形成されているのだ。彼等にとってこれはゲームであり、だからと言って決して自身の命を軽い物として見ていない。その異常性を知ってか知らずか、彼等は戦地に赴く戦友達を激励しているのだ。さながら軍人の様に。
さて、その様なプレイヤー達が集まっている噴水広場だが、第一層攻略作戦の決行時間は僅に過ぎている。しかし彼等はまだ迷宮区に向かって出発しようとしていない。それはとある一人の男性プレイヤーが足止めしているからに他ならない。そのプレイヤーは決して皆の行く手を阻んでいる訳ではなく、討伐隊が自発的に足を留めているのだ。
キバオウさんは噴水広場中央にある、昨日ディアベルさんが演説をしていた壇上に膝を付き、皆に深々と頭を下げていた。独善的とも言える主張をしていたキバオウさんがこうも謙虚な姿勢を見せている事に対して、昨日の彼の姿を知っている皆は些か困惑していた。勿論それは俺も同じだった。俺の見立てではキバオウさんはプライドが高く、自身の優位性を築く為に他者を陥れる野心家であり、人前でこの様な姿を晒す様な性格では無いという認識でいた。もしかしたら昨日の行いで下がった他者からの認識を回復させる為のパフォーマンスと考えたりもしたが、それにしてはこの姿は剰りにも堂に入っている。恐らく本心からの行動であると予想出来た。
「すまんかった……」
静かに、それでいて聴衆に響く様な深みを持った謝罪が彼の口から発せられた。それを聞いたプレイヤー達の反応は三者三様、気味の悪い物を見たという様な表情の者もいれば、侮蔑や嘲笑を含んだ物も様々だ。彼の話を真摯に聞こうという者は現時点でごく僅かだろう。
「ボス攻略に乗り出す前に聞いてほしい事がある。今後のワイの身の振り方についてや」
そうして彼は徐に頭を上げ、手始めに自身が犯した過ちを滔々と語りだした。
「ワイが如何に何も考えずに発言して、その発言によってホンマに生還を望んでいる者達にどんだけ水を指し、人間関係にいらん破綻をもたらしたか……」
彼が一端言葉を切ったのは、恐らく辺りが俄に騒がしいからだ。所々から激しくはないが野次も飛んでいる。昨日の傍若無人な態度から一変したその様子に何かしら稚気を含んでいると考えてしまうのは当然であり、見る人にとって彼の行動は茶番の様に写ってしまうだろう。キバオウさんはこの場で自身の主張を通したいのなら彼らを納得させる必要がある。
キバオウさんは膝を付きながら背筋を伸ばし、静かに目を閉じている。まるで彼に向けられた罵声や非難の声を受け止めている様だった。いったいどの様な心境の変化があったのか、昨日の姿から見違える程に肝が据わっているその様子に、聴衆達は次第に怒気を静めていく。
「ワイは……」
キバオウさんは閉じていた目を再び開き、聴衆を見据えた。
「認識が浅かった。βテスターもビギナーも関係あらへん、皆このデスゲームに囚われた被害者やったんや。βテスターはワイらとなんも変わらん、たった数ヶ月、ちょっとだけ早くゲームに参加しただけの初心者と変わらへん位の存在や。勿論そのほんのちょっとを出し惜しみした奴らもおるにはおる。せやかてそんな奴らを補って余る位、ビギナーを助けた者がここにおった。ケイジュはんと話して、ワイはβテスターに対して持っとった蟠りをキレイさっぱり捨ててまおうと思えたんや。たとえケイジュはん以外のテスターが横着しとったってそうすると決めた」
俺は静かにキバオウさんの独白を聞いていた。彼が昨日の俺との対談で何を感じ、何をどう受け取ったかは判らない。しかし随分と……彼は良い方向に予想を裏切ってくれた。俺は聴衆を気取られない様に一瞥する。終始表情の硬かったプレイヤー、恐らく正体を明かしていないβテスター達が、キバオウさんの発言に間隙を見出だし安堵の表情を浮かべていた。
昨日のキバオウさんの発言は我欲に忠実な者達にとって非常に耳の痛い話であり、もし彼が聴衆を納得させられるだけの説得力ある演説をしていたら、初日に始まりの街の広場から我先に飛び出していったプレイヤー達を排斥する流れが出来上がっていた可能性があった。それほどキバオウさんの発言は危うい物だったし、そんな彼が自身の非を認めて頭を下げた事に意味があるのだ。
「何度でも言うが、皆にいらん迷惑掛けたと思っとる。ここで頭下げたからって、ハイそうですかと許してもらえる何て思ってへん。せやかてワイは皆に迷惑を掛けた分を何としても返さないかんと思うし、ケイジュはんとも力になると約束した」
そう言ってキバオウさんは再び頭を下げる。
「皆と上手く足並み揃えられへんかったワイやが、絶対に金輪際足は引っ張らへん。せやから、皆と一緒にこのゲームを攻略させて欲しい。頼む、この通りや……」
斯くして、フロアボス討伐隊一行は迷宮区に向かって行軍を始めた。キバオウさんの謝罪という足止めは有ったものの、それ以外は特に滞り無く進軍は続いている。皆パーティー毎に集まり二列になって目的地に向かっており、途中ポップするMobに関しては先頭で指揮を執るディアベルさんのパーティーによって効率良く倒されていき、ディアベルさんのパーティーで対応しきれない量の敵が出現した場合は他のパーティーが対応するといった形だ。自分達のパーティーは殿を勤めている為特にMobを対応する必要も無く、昨日出来なかったパーティー間の親睦を深める為の会話に興じている最中だ。
「それにしても、昨日のどうしても外せない用事ってトゲトゲのオッサンの事だったんだね。ほんとケイジュ君って何かと暗躍してるよね」
トゲトゲのオッサンというのはキバオウさんの事だろうか。女性にしては豪快な笑い声を上げながら今話しているのはロザリオさんで、年齢は二十歳の専門学校生だそうだ。中学、高校とバスケットボールをやっていた様で体力には自信有り、スポーツ経験者により咄嗟の判断や反射に期待出来る。年齢相応の女性で、話していて分かるのだが姉御肌といった感じだ。偏見ではあるがゲーマーとしてゲームに興じる様な方には見えない程度には実生活は充実してそうな印象を受ける。
「ロザリオさん、そんな呼び方悪いですよ……確かに最初は嫌な人だなとは思いましたけど、ちゃんと謝ってましたし……」
少々引っ込み思案な印象を受けるのはコユキさん。年齢は十六歳の高校生で、文化部所属の少女だ。本人曰く運動はあまり得意ではないらしく、臆病な性格故に初心者プレイヤー育成の際も戦闘訓練で苦労した記憶があった。但し要領は良く覚えも早い、言われた事は真面目にこなし、型にはまれば前衛もそつなくやれる様な人材だ。
「ユキちゃんは優しいな~。でも人間って第一印象で七割決まっちゃうって言うし、仕方ないんじゃないかな?」
メリーサさんはコユキさんと同じ高校に通う同級生で彼女の幼なじみだそうだ。小学生の頃から剣道に打ち込んでいたらしく、女性三人組の中で一番筋が良かった覚えがある。ただ、剣道の形とソードスキルの初動は別物でその違いに一番苦労していたのも事実だ。それ故に得物を剣から槍に持ち替えたという経緯がある。面倒見は良い方なのか、弱音を吐くコユキさんを良く励ましていた。ロザリオさんはそんな彼女達の纏め役といった所で、バランスの良い三人組だ。
「それにしても昨日は矢鱈と帰りが遅かったみたいじゃないですか。二人でいけないことでもしてたんじゃないですか?」
「その様な邪推をする方も居るかとは予想していましたが、そういった勘繰りは男同士の時だけにした方が良いと忠告しておきます」
現に女性三人組から白い目で見られている事に気付き、キリュウさんは顔を僅かに背けた。当初の印象と違い、彼は十五歳とこのパーティーの中で一番年下だった。彼もコユキさんやメリーサさんと同じく高校生であり、察しの通り年相応の思考回路を持っている。サッカー部に所属しているらしく、少々自己顕示欲が強く目立ちたがりやな性格をしており、ソロプレイをしていたのもそう言った理由があると推測出来る。しかし決して集団行動や対人関係が苦手という訳でも無く、一ヶ月近くソロを貫けたプレイヤースキルは決して侮れる物では無い。このパーティーの攻撃の要とも言える。
「このガキンチョめ! 思春期か!」
「ちょ、止めてくださいよロザリオさん!?」
すかさずロザリオさんがキリュウさんにちょっかいを出していた。俺も男である以上彼と同じ様な思考回路を持っていた時期もあったから別に責める気は無いし、ロザリオさんもそれを解っている上でちょっかいを出しているのだろう、彼女なりの気の使い方だ。問題は先程のやり取りで顔を赤らめ俯いているお嬢の方であり、彼女は年相応の学生生活を送れなかった為こういった下世話に免疫が無いのが玉に瑕だ。
「お嬢、この程度の事で取り乱している様では先が思いやられますよ」
「わ、判ってますよぉ……うぅ……」
普段の威厳は何処に行ったのやら、蚊の鳴く様な小さな声が聞こえた。藤堂流次期当主として家督を継ぐのならば、流派の代表として今後幾度と無く世間の荒波に揉まれる事になるだろう。只でさえ盲目というハンディキャップを抱えているのに、世間話程度で取り乱していては要らぬ姦計に嵌まりそうで此方も気が気でない。まあ不幸中の幸い……些か不幸の度合いが大きすぎるが、SAOの中では目も見えるし多種多様な性格の人間が一緒に囚われているので、嫌でも良い社会経験になるとは思うが。
「そ、それにしてもディアベルさんって人、本当に良い人ですよね。来るかどうかもわからないキバオウさんの為にわざわざパーティーを一人分空けてたんですから」
コユキさんが回りの様子を見て慌てて他の話題を提供してきた。本来なら自然収束する程度の些細な不和ではあるが、この娘にとってはそういった物も見逃せないのだろう。
「そうですね……」
討伐隊が作る列の先頭を見ると、ディアベルさんがキバオウさんや長身のネグロイドの男性と連携を組んでMobの討伐をしていた。彼らの連携は素晴らしい物で、即席で組んだパーティーと思えない程の成果を挙げていた。しかし俺が注視しているのは彼らの戦果ではなく、ディアベルさんが持っている武器だ。ディアベルさんが手に持っている片手用直剣は、昨日の演説の際、腰に帯びていた直剣と恐らく同じ物だろう。
『事の経緯から話すと、キー坊……メールでも書いていたキリトってヤツに何日か前から武器を買い取りたいって依頼があったんダ。キー坊が持っている武器はアニールブレードの+6ってヤツで、まあ現時点で片手用直剣で最も強力な武器だと思ってもらえれば良いヨ』
アルゴさんは俺達から指定の情報料を受けとると徐に話始めた。
『勿論キー坊は断るサ。この世界で強力な武器は自身の命を守る上で必要不可欠だからナ……。だけど依頼主も諦めずに、買い取り金額をどんどん釣り上げて行くんダ。最終的には採算が合わない位まで価値を釣り上げてネ。そうなると誰だっておかしいと思うだロ? 更に口止め料まで法外な値段ときたもんサ。それがミッちゃんとヨシ坊に提示した一万コルって値段何だが、それを聞けばキー坊に提示した買い取り金額が想像出来るだろウ。結局キー坊は武器を売らなかったし、不安も残っただろうけど依頼主を聞き出す事もしなかっタ。その依頼主の名はミッちゃんやヨシ坊もよく知る人物ダ』
アルゴさんは一呼吸おいて、俺達を交互に見て言った。
『ディアベルだヨ……』
迷宮区の最深部、フロアボスの部屋の前に俺達は辿り着いた。主に道中の戦闘に関わっていたディアベルさん達のパーティーもポーションによる回復を終えて、ボスの部屋に突入する前にディアベルさんが皆に向かって音頭をとる。
「聞いてくれ、皆。俺から言える事はただ一つ」
ディアベルさんは一呼吸おいて皆を見回しながら声を張り上げた。
「勝とうぜ!!」
皆の歓声が響き、ディアベルさんを先頭に開け放たれた大扉の中へ討伐隊は雪崩れ込んでいった。
「コユキ、大丈夫?」
「はい……。少し不安ですけど、大丈夫です」
「大丈夫! いざとなったら私がユキちゃんを守るからさ!」
最後尾から突入しながらも、不安の色を隠しきれないコユキさんをロザリオさんとメリーサさんが励ましている。
「コユキさん大丈夫ですよ!何て言ったって、ウチにはケイジュさんとミヤビさんが居るんですから」
「キリュウさん……そ、そうですよね。何か、急に大丈夫な気がしてきました」
「私達を信頼して頂けるのは有り難いのですが決して油断しない様にお願いします。戦略は昨日打ち合わせした通り。皆さん、気を引き締めて行きますよ」
ディアベルさんのパーティーが、フロアボスである《イルファング・ザ・コボルトロード》に走りながら迫っていく中、お嬢はパーティーメンバーに檄を飛ばしながらそれらに追随して行く。
「で、デカイ……!!」
「あんなヤツを今から相手にするのか……」
フロアボスに近付いていくにつれて、その全貌は明らかになっていく。犬とも鼠ともつかない顔は決して可愛らしい物では無く、燃える様な赤い瞳と剥かれた牙はその獰猛さを遺憾無く知らしめている。おぞましい程に隆々とした肉体は腕の太さだけでも成人男性の胴体位は有り、それこそ胴回りは人間と比べるのも馬鹿らしい程の質量を誇っている。見上げる程に大きい体躯は優に三メートルは越えているだろう。コボルトの王を冠するに相応しい存在感だ。それを間近でみた他のパーティーの者達は各々その姿に圧倒されていた。
ディアベルさんのパーティーが一定の距離まで近付いていくと、コボルトロードの目の前に三体のMobがポップした。取り巻きの《ルインコボルト・センチネル》だ。
「皆、行くぞ! ボスを囲め!」
ディアベルさんの掛け声と共に狼狽えていたプレイヤー達も気を引き締め直し、五つのパーティーが出現した取り巻きを回避しコボルトロードを囲い始めた。取り巻き達は自身に脇目を振らずに走り抜けていくプレイヤー達に遅れてそれに追随しようと踵を返した瞬間、一筋の閃光が閃き、お嬢のソードスキルが取り巻きの一体を穿ち貫いた。
槍単発スキル《スラスト》
甲冑の隙間を刺し貫いた一撃はクリティカル判定となり、ルイン・コボルト・センチネルのヒットポイントゲージを半分近く減らした。瞬きの間に技後硬直から解放された後に繰り出したのは、適度な腰の捻転と肩肘の連動により身体のうねりを相殺し、さらに槍の撓りを利用した高速の五連刺突。古くは介者剣術の時代から培われてきた甲冑の隙間に刃を滑り込ませる技術は彼女の身体にも宿っている。
藤堂流槍術奥伝『五槍』
両手首、喉、目、口の順番に刺し突かれたルイン・コボルト・センチネルからは反撃の兆しも無く、口元から槍を抜かれるのを確認した俺は間髪入れずにソードスキルの初動を完了させつつ相手に肉薄、片手用曲剣単発スキル《リーパー》を首元に滑り込ませ、両断した。こちらもクリティカル判定となり、時を置かずライトエフェクトを迸らせ敵はポリゴン片となって消えた。
「さて、それでは行きましょう」
俺は鞘に剣を収め、パーティーメンバーに目配せしつつ言った。今回のボス戦闘の手筈は、ディアベルさんのパーティーを含む五つのパーティーが主にボスの相手をして、俺達のパーティーを含む残りの三つのパーティーが取り巻きを一体ずつ相手をする。取り巻きを撃破したパーティーから順次ボス攻略を手助けするという形だ。しかし、俺とお嬢以外のメンバーは動こうとせず、呆気にとられた様に此方を見るばかりだ。
「メチャクチャだ……。いや、メチャクチャでは無いんだけど……」
「鮮やか何てもんじゃないよ……」
「半分冗談のつもりだったけど、ケイジュさんとミヤビさんがいれば本当に大丈夫かもしれない……」
「え、あれ? もう倒しちゃったんですか?」
我がパーティーのメンバーの反応は三者三様、コユキさんに至っては現状把握しか出来ていなかった。