それでは、第二十五層フロアボス戦開始です。
フロア内は独特の雰囲気に包まれていた。昨日、先行視察の為にロープで体を繋がれ、一人でボスフロア内に入った時の孤独感、焦燥感は何処にも存在しない。四十八人が奏でる喧騒が、立ち上る熱意が、胸の奥で汚泥の様に堆積する恐怖を誤魔化してくれる。
昨日感じた絶望を、紛らわしてくれる。
昨日は一人だったからそう感じたのかも知れない。目の前に顕れた邪悪な相貌、圧倒的存在感に人生で初めて腰が引けた。戦闘開始前には何とか気を取り直す事は出来たが、《ヘカトンケイル》の攻撃を二つ、三つと回避していく中で、嘗てのフロアボスと比肩し得ない威力を感じ焦燥を募らせていった。身体に繋がれたロープが煩わしかった。
視察故に、無謀ながらソードスキルによる攻撃を敢行するも、その間隙を狙われた。技後硬直により縛られた俺の身体に、肉壁と呼べる巨大な掌が迫る。逃げられないと判っているかの様に指の間から見えた《ヘカトンケイル》の双つの顔は、醜悪に塗られていた。
俺は……
「皆、とまれ! 出てくるぞ!」
ディアベルの制止の声を聞き、ふと我に返った。いつのまにかそこはフロアの中央、昨日俺が死を体感した場所だった。鞘を握る左腕が揺れる。久しく味わったリアルな感覚が、同時に身体を熱くさせた。
「ディアベルさん……」
俺は徐にパーティーから外れ、先に立つディアベルの横へと赴いた。彼はちらりと此方を見た後、視線を前方へと戻す。
「《ヘカトンケイル》は強い。しかし、このレイドパーティーならば必ず勝てます。自分達を上手く使ってください……」
「言われるまでも無いよ。たまにはミヤビさんに良いところを見せなければならないからね。早く配置に戻ってくれ」
「……武運を」
恐怖は伝播する。結局、俺が感じたボスの印象を伝えられなかった。しかしディアベルなら、俺の行動とその意味、俺の心の機微を察した筈だ。彼ならきっと冷静に対処してくれる。
その時、大地を揺るがす振動がフロア全体に発生した。周りの皆は突然の事に狼狽えるも、直ぐに体勢を立て直す。《ヘカトンケイル》が出現する予兆だ。
「ディアベルさん!」
「なんだい!」
激しい振動と轟音の中、直剣を正眼に構えフロア最奥を見据えるディアベルは律儀に返答する。
「このフロアの広さと天井の高さから! 《ヘカトンケイル》は穴から身を乗り出し、身体全体を顕にする可能性があります!」
「そんなこと、昨日の会議で既に話を詰めている!」
「それと! 《ヘカトンケイル》とはギリシャ神話に登場する巨人族の名で! 三兄弟の巨人を指します! 伝承では五十の頭と百の腕を持つと言われておりますので! 恐らくは形態が変化するか、若しくは後二体出てくる可能性も!」
「皆! 聴こえたか! そういう事だ! 気を引き締めて行くぞ!」
突如フロアの床を割り、一本の左腕が出現した。飛び散る瓦礫はポリゴン片となり消えていく。煌めくエフェクトは場違いな程に美しく、幻想的に見えた。その左腕は徐々に床の穴を拡げてゆき、充分な大きさになったそこから、それは悠然と姿を現す。
「これは……。なんて禍々しい……」
ディアベルがポツリとそう呟いた。
《ヘカトンケイル》
現状、最強と名高いネームドボス。その姿は、醜悪で生々しい。唇を喪ったかの様な剥き出しの歯と歯茎、それは謀らずとも口角をつり上がらせ、ニタニタと笑っている様に見える。顔には巨大な単眼がついており、各々がギョロギョロと自由に動いていた。それが双頭となるとまるで奇形のカメレオンの様に見えなくもない。仄暗い深淵を思わせる様に、身につけた襤褸は泥々に湿り腐臭を放つ。
「■■■■■■■■■■」
《ヘカトンケイル》の言語にもならない唸り声が大気を震せ、それは衝撃となり俺達に襲い掛かる。まるで地獄の底から溢れ出す憎悪にも似た不快感。攻略組の面々は込み上げてくる恐怖を心の奥に押し込めた。体力ゲージが四本出現する。
「右舷、左腕側のヘイトを取れ! 左舷、細心の注意を払い棍棒の相手を! 投擲隊、前へ! 出来る限り距離を詰めるんだ!」
ディアベルの指示と同時に意を決したそれぞれのパーティーが動き出す。後方から来たのは投擲隊、今回導入された新しいパーティーだ。手に装備した投擲剣は大剣とみまごう程の大きさを誇っている。《バラクーダ》と銘打たれたそれは人が扱うには余りにも禍々しく、悪意の権化の如く無数の牙が刀身に拵えられている。凡そ通常のMobに使用する投擲剣では無い。それもその筈、この《バラクーダ》は来るフロアボス戦の為に、有史より鍛えられた鍛冶師達の技術の粋を集めた至高の作だ。
第十九層、墓地エリアの特殊クエスト《嘆きの墓守》に出現するクエストボス《墓守ゲーデ》討伐時に希にドロップする希少インゴッド《デーモンズ・コア》をベースに鍛えられたそれは、装備者に相応の筋力値を要求する代わりに通常では有り得ない攻撃力を叩き出す。しかしこの装備の問題は要求筋力値だけでは無い。規格外の威力を叩き出すその代償は《呪い》というバッドステータスの付与という条件付だ。
ディアベルの後ろに並んだ総勢十人の投擲隊は、ディアベル直属の部下達だ。皆が皆、それを目的として筋力値を鍛え上げこの場に挑んだ。《バラクーダ》を装備した彼等のアバターは漆黒に染まり、唯一その双眼のみが黄色に濁り、虚ろな瞳を晒す。《呪い》の影響で徐々に体力ゲージは減少していき、数刻経てば《混乱》のバッドステータスまで付与されるという正しく諸刃の剣と言える装備だ。装備を解除すれば《呪い》は解けるが、一定時間の《脱力化》のバッドステータスが装備解除後に付きまとい、素早い行動が不可能になる。嘗て誰一人として《デーモンズ・コア》で鍛えられた装備をメインアームにしてこなかった理由はそこにある。フロアボスの矢面に立つかの如く仁王立ちしているディアベルは、部下に課した苦行に対するせめてもの懺謝か。彼は徐に右腕に握った剣を掲げる。
「第一射目、放て!」
ディアベルが掲げた右腕を振り下ろし、ボスに向けてそれを指し示す。すると同時に投擲隊が一斉にソードスキルを発動させた。本来鮮やかな赤色のライトエフェクトを放つ投剣スキルは、アバターの漆黒と相俟って毒々しい紅色に染色される。十人の投擲隊が一斉に投剣単発スキル《シングルショット》を放ち、緩やかな弧を描きながらブーメランの様に高速回転する十振りのそれは《ヘカトンケイル》の五肢に次々と突き刺さっていった。
「■■■■■■■■■■ーー!!」
「第二射目、用意……」
明らかに効いている。先程まで悠然と構えていた《ヘカトンケイル》は目に見えて判る程に苦悶の表情を浮かべ、声にならない雄叫びをあげている。その様子に一切の呵責を持たず、ディアベルは冷静に第二射の準備に取り掛かる。今日までに準備出来た《デーモンズ・コア》は二十三個、その内《バラクーダ》に鍛え上げたのは二十個。計二十振りの《バラクーダ》が現時点で存在している。つまり次の投擲で今回用意された投擲隊の一陣目は終了する。それが終わった瞬間が、俺達の出番だ。
「第二射目、放て!」
ディアベルの号令と同時に投擲隊のソードスキルが牙を向く。《バラクーダ》が突き刺さる度に《ヘカトンケイル》は苦悶の叫びを上げ、みるみる内にボスの体力ゲージは一本目の十分の一が消失した。その脅威的な威力に思わず息を呑む。ゆうに五十体もの《エリス》を彼等の二度の投擲で葬る計算になる。ディアベルの表情に僅かな焦燥が見えた。
「これで、たったの十分の一か……」
そう呟きながら、彼は左腕で合図をした。投擲隊のメンバーが《バラクーダ》を装備解除し、漆黒のアバターは徐々に色を取り戻す。装備解除をした投擲隊の面々はその場に膝を付いた。皆一様に肩で息をしている。
「皆ご苦労だった。ボスフロアの外で待機している『アインクラッド解放軍』のメンバーと交代してくれ」
そう言ってディアベルは剣を《ヘカトンケイル》へと向けた。彼等が安全にボスフロアから脱出するまで俺達がここを死守しなければならない。
「ケイジュさん……」
隣に立つメリーサさんが心配そうな面持ちで俺の名を呼ぶ。単純にこれから始まる激戦に不安を抱えているのか、若しくは先の視察で俺の心に植え込まれた恐怖を按じているのか……。どちらにしろ看過できない問題だ。俺は音も無く鞘から刀を抜き放つ。
「自分は一人ではありません。五十八人が《ヘカトンケイル》を倒す為に集結している。恐れなどありません。それに今日は『玲瓏』の皆がついている、頼りにしています」
返事を聞くつもりは無かった。そうしなくとも皆は俺の期待に応えてくれる事は知っている。それが出来るだけの技術と信頼は築いている。
それを思うと、改めて恐れなど無かった。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!」
突如、《ヘカトンケイル》の雄叫びともとれる何かがフロア全体を震撼させた。右腕の棍棒を勢い良く振り上げたその時、咄嗟に雅が叫んだ。
「棍棒の振り降ろしが来ます! 回避して下さい!」
左舷側、ヒースクリフ率いる『血盟騎士団』のパーティーが雅の声に反応し、身構える。それを確認した俺達『玲瓏』は一斉にボスのもとへと走った。
攻撃こそ隙を晒す最大の好機、それはプレイヤーもMobも変わらない。メンバー全員が最大速力をもってボスへと接近する。ディアベルの横をすり抜けた瞬間、彼は俺達に真剣な眼差しを向けていた。棍棒がフロアに叩きつけられる直前に俺達は地を蹴り、直後、轟音と共に大気を含むフロア全体が揺れた。地面を這う様に通過していく黄色いライトエフェクトを確認する事も無く、ロザリオさんとキリュウさんの両手用大剣が、雅とメリーサさんの槍が、コユキさんの片手用直剣が、そして俺の刀が、最大出力を誇るソードスキルをもって《ヘカトンケイル》へと襲い掛かった。
各々のソードスキルが織り成す波状攻撃がボスの身体を容赦無く切り刻んでいく。数多のライトエフェクトが混ざり合い、辺りは識別出来ない程の閃光で満たされる。互いのソードスキルが干渉し合う事も無く継ぎ目無く敵の体力を削っていく実感、群が個となる希有な感覚。嘗ての攻略で幾度と無く『玲瓏』のみで迷宮区入口を守るフィールドボスを相手にしてきた。互いにヘイトを取り合いその場の状況判断で最も効率の良い行動をとって来たが、示し合わせた訳では無く皆の息が合ったその瞬間、繰り出すのはいつも
システム外スキル《剣技連繋》
メンバー各々の性格及び行動の癖、ステータス及び使用出来るソードスキル、それら全てを共有し合う俺達は『玲瓏』というギルドを一つの生命体にまで昇華させる事が出来た。皆の行動が手に取る様に解り、宛ら六頭二十四肢の化物に成り果てた様な体感こそがこのシステム外スキルを可能にする。
「ケイジュ君!」
「コユキさん! 盾を!」
だからこそ恐怖は伝播する。ディアベルの悲鳴にも似た警告に、俺は右側から迫り来る《ヘカトンケイル》の左腕の正拳にいち早く気が付いた。《剣技連繋》を最初に終えたコユキさんは、俺の悲痛なまでの呼び掛けに恐怖におののく。ソードスキル終了から技後硬直へ到るインターバルの間に咄嗟の判断で盾をかざす事が出来たのは、まさにその恩恵だった。
「くぅっああっ!」
「ちょっ!」
「うわぁっ!」
真っ先にボスの正拳を受け止めたコユキさんは重力に支配された空中で何の抵抗も出来ず、同一直前上のロザリオさんとキリュウさんを捲き込んでフロアの端へと吹き飛ばされていった。
「ユキちゃん!」
「リンド! 何をやっている!」
メリーサさんの悲鳴とディアベルの怒号が重なりあう。左腕のヘイト管理を任されていた『青龍連合』副官リンドは呆然とした表情で今しがた起こった現象を見ていた。
「違う! 俺は確り左腕のヘイトを取っていた! コイツ、一瞬で標的を俺達から『玲瓏』に切り替えやがった!」
リンドの悲痛な叫び声がボスフロアに木霊する。まるでしてやったりと言った表情で、《ヘカトンケイル》は下卑た笑い声を上げた。
「■■■■■■■■■■」
「メリーサさん! 吹き飛ばされたコユキさん達の安否確認を! お嬢! 左舷側に先程起こった現象の報告をお願いします!」
「ディアベルはん! ケイジュはん!」
《ヘカトンケイル》の笑い声が響く中で、メリーサさんと雅に指示を飛ばす。彼女達は慌てて各々の行動に移った。その時、投擲隊と交代で入ってきたキバオウさん率いる十人パーティーがレイドに合流する。
「キバオウ君、投擲隊は!」
「無事や! 皆結晶で体力を回復しとる! しかし、エライ事になったな……」
「ああ、どう思うケイジュ君……」
二人はボスを警戒しながら先程の現象を考察し始める。リンドさんの言っていた事は恐らく真実だろう。リンドさん程の人がヘイト管理を怠る筈が無い。本当に突然標的が『青龍連合』から『玲瓏』に変わったのだ。
「恐らく、《ヘカトンケイル》は双頭が独立した思考を持っているのだと思います……」
「なんやて!」
「そんな事が……!」
俺の考察に二人は驚愕の色を浮かべる。しかしそう考えなければ辻褄が合わず、俺の考察は的を得ている様な気がしてならない。各々の頭に付いている巨大な単眼、これらは双方が自由に動いている。独立したプログラムを持っていると考えた方が自然だ。
「ケイジュ君の言っている事が仮に本当だったら、まるで二体のフロアボスを一遍に相手している様なものだ……」
「ケイジュさん! 皆無事です! ユキちゃんだけヒットポイントがレッドゾーンに差し掛かってましたけど、ロザリオさんとキリュウ君はイエローゾーンに入るギリギリの所でした!」
ディアベルさんが渋い表情で唸る最中、吹き飛ばされた皆の安否確認を行っていたメリーサさんが戻ってきた。俺はそれを聞いて安堵の溜め息を吐く。しかし彼女の報告でフロアボスの攻撃による凡その破壊力が判った。盾持ちならば少なくとも一撃死は免れる。それが左腕の威力だった。
「ありがとうございます。今は左右の陣形が辛うじて持ちこたえています。今の内に打開策を考えなければ……」
「ケイジュ! 左舷側への報告が完了しました! ヒースクリフさんが迅速に対応してくれるそうです!」
「判りました。お嬢、ありがとうございます」
雅も報告を終えて戻ってきた。集まったメンバーが一様に《ヘカトンケイル》を睨み付ける。
「長く考えていても埒が明かない。今は持ちこたえているが、左右もそう長くは持たないだろう。今は一刻も早くボスの体力を削るしか無い。打開策は戦いながら考えるんだ!」
ディアベルが集まったメンバーに檄を飛ばす。回復し終えたコユキさん達も合流してくる。ロザリオさんとキリュウさんはまだ戦意は衰えていないが、コユキさんは僅かに怯えた表情をしている。無理もない。盾越しとは言えボスの一撃をまともに受けたのだ。彼女も俺と同じく死を垣間見た筈だ。
「コユキさん、無理はなさらない様に」
「大丈夫です、ケイジュさん。私だってまだ戦えます……!」
震えながら薄く涙を流す彼女は、手の甲で涙を拭い、そう気丈に振る舞った。第一層の頃は泣く事しか出来なかった彼女が驚くほどの成長を遂げている。恐怖は伝播するが、それと同じく、勇気だって分け与える事が出来るのだ……。
「皆で一緒に生還しましょう……」
「はい、今度は一緒に戦います。一緒に現実へ帰るって約束しましたから……!」
彼女もまた、第一層の頃の自分と重ねている。そして今度は、肩を並べるまでに……。俺ばかり恐れていてはいけない。
「準備は良いか! 皆、行くぞ!」
ディアベルの号令の下俺達はボスを見据え、一斉に駆け出す。まだ《ヘカトンケイル》の体力ゲージは一本目の半分が残っていた。
原作を読んでおりませんのでどうかは判りませんが、《呪い》のバッドステータス及びシステム外スキル《剣技連繋》は自分で何となく考えました。投擲剣《バラクーダ》もオリジナルです。
御指摘、御感想あれば宜しくお願い致します。