どうしたものか……。
討伐開始から十五分が経過した。ディアベルの焦りの少ない指揮により、レイドパーティーは目まぐるしく動いていく。終始フロアボスの単調では無い攻撃が続き苦戦を強いられてはいたが、未だに死傷者を零に抑えた見事な指示だった。しかし真に目を見張るべきは、彼の指揮を支える左右の腕と相対する両陣だった。リンドさん率いる『青龍連合』を中心としたパーティーは、決して多彩とは言えないが手数の多い左腕による攻撃を見事に捌いている。右腕側もまた然り、一撃が決死級の威力を誇る棍棒による攻撃を臆する事無く迎え撃ち、上手くヘイトを稼いでいた。
《ヘカトンケイル》は左右のパーティーが充分にヘイトを稼いでいるにも関わらず、時々予期せぬ方向からディアベル率いる攻撃部隊を狙って攻撃してくる。しかしそれらの流れ弾の様な攻撃もディアベルの全体を見渡す様な観察眼により被害を未然に防ぎ、俺達は徐々にではあるが確実にボスの体力ゲージを削っていった。
「棍棒による範囲攻撃が来る。各員、攻撃に備えろ」
「各員、回避準備! 陣形を組み立て、確実に回避しろ!」
右腕を担当するヒースクリフが、冷静に且つ全体に響き渡る様な声量でレイドパーティーに注意を促す。見れば、《ヘカトンケイル》はまるで弓の弦を引き絞るかの様な緩慢な動作で、その巌にも似た胴を右方向へと捻転させていく。それは決殺の威力を溜め込んでいるかの様な不気味さだった。ディアベルの怒号にも似た指示にレイド全体に緊張が走る。
《ヘカトンケイル》の双眼が限界まで見開かれる。来る、恐らく全員がそう核心した瞬間、それは激しい轟音を響かせながら放たれた。フロアの外壁を削る様に奮われる棍棒は宛ら削岩機の様に容易く壁を破壊して行く。その圧倒的な破壊力と圧力にも屈せず、各々が地に伏せ、宙高く飛び上がり、迫り来る猛威をやり過ごしていった。俺達『玲瓏』は全員がその身体を限界まで伏せその棍棒を回避した。丸々太った巨木の様な棍棒が恐ろしい風切り音を奏でつつ頭上を切り裂いて行くのを肌で感じる。それが通過した瞬間、俺はビーチフラッグのスタートダッシュの様に地を蹴りボスへと接敵した。
棍棒の振り回しは広大なボスフロア全体に及ぶ範囲攻撃だ。その為《ヘカトンケイル》は必然的に前傾姿勢になり、その双頭は低く位置していた。凡そ人型の生物はその身体の正中線に急所が集中しており、それはソードアート・オンラインにおいても例外では無い。そして人型Mobの急所の最たる所は頭部、今までの攻略において例外は無かった。
「やっとまともに届くな」
目の前の双頭に向けて呟く。漸くレイドパーティーの動きが安定し、不足の事態にも充分対応できるこの機を待っていた。土壇場の罪人の様に俺達に頭部を晒け出す《ヘカトンケイル》に向けてソードスキルを発動する。
刀重連撃スキル《鷲羽》
鳥の王者の名を冠する鷲の様にこのソードスキルは力強く荘厳。多重連撃が象どるその刀閃がまるで翼を広げた鷲に見える事から名付けられたソードスキルは、現状俺が出し得る刀スキル最高威力を誇る七連撃。その一撃目がボスの頭部に入刀された時、俺の両脇から二条の槍がそれを追い掛ける様に、ライトエフェクトを煥発させながら突き出されて来た。その二条の槍は西洋風な意匠の多いソードアート・オンラインでは珍しい日本風の意匠が施された物だ。確認するまでも無く、それは『玲瓏』ミヤビとメリーサの所有する槍である。構わず二撃目を振り抜く際、その上空から三人の人影が各々の得物をライトエフェクトで染め上げボスの肩上へと着地する。言わずもがな、『玲瓏』ロザリオ、キリュウ、コユキの三人だ。三撃目を振り抜く中、思わず笑みが零れた。この展開は勿論示し合わせた訳では無く『玲瓏』の皆がこの瞬間を見越して各々の判断でそう行動したに過ぎない。四撃目を切り結ぶその暇に、俺はシステム外スキル《剣技連繋》が完成する事を核心する。五撃目、俺はボスの肩上でソードスキルを振るう三人に目配せした。皆一様に自信に満ち溢れた表情をしている。三人もまた、《剣技連繋》の完成を核心していた。六撃目、俺の右側に位置するメリーサさんの目を見た。彼女はボス討伐開始直前に見せた俺を按じる様な表情は無く、期待の眼差しを俺に向けている。七撃目、俺の左手側、雅は信頼の眼差しを俺に向けていた。俺にとっては見慣れた光景だった。
各々の感情が織り混ざる中、七撃目を振り抜いた俺は半歩下がり刀を上段に振り上げ残心をとり、『鷲羽』の刀閃がダメージエフェクトとして刻まれたのを確認する。肩上に居た三人がスキル終了と同時にボスの上から飛び降り《ヘカトンケイル》を囲む様に並んだ俺達は、普段よりも幾分長い技後硬直の中でも焦る事無くボスを見据える。
「■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!」
《ヘカトンケイル》が言語を成さない絶叫を上げる。俺達の《剣技連繋》はボスの体力ゲージの一本目を削りきり、二本目の十分の一を削り落とした。それを確認しつつ、技後硬直から解放された俺達は悠然とボスに背を向けレイドの中へと戻っていく。俺達を迎えたのは絶叫という名の大歓声だった。
「うおおおおっ! すげえぇぇぇぇ!」
「ボスのヒットポイント一気に減ったぞ!」
「マジかっけぇぇぇぇ!」
「勝てる! これ勝てるぞ!」
ある者はレイドの中へと戻った俺達の肩を盛大に叩き、ある者はあらんかぎりの力で叫び、俺達が先程見せた功績を讃えた。
「流石ケイジュ君だ。俺が欲しいと思ったタイミングで確り決めてくれる」
レイドパーティーの中でもみくちゃにされながらもディアベルが俺の前まで来て健闘を讃え、俺に右の拳を突きだして来る。俺は微笑みながら自身の右拳をそれにぶつけた。
「俺だけじゃない。『玲瓏』皆で出した結果だ」
「ケイジュ君、口調が崩れてるよ」
鼓膜をつんざく様な喧騒の中でそう呟いた俺に向けて、ディアベルは嬉しそうにそう語った。俺はディアベルだけに判る様にこっそり不敵な笑みを浮かべる。俺が『玲瓏』以外で認めているのはディアベルだけだ。別に特別な意味は無いが、何となくこの場で自身の素の姿を彼に晒した。自分でも意外な程に高揚しているのかもしれない。
「おい! あれ!」
その時、軍のプレイヤーの一人がボスを指差しながら悲壮な叫び声を上げた。レイドパーティーの皆がそれに気づき、ボスを注視する。先程の喧騒が嘘のように消え失せる。
「なんだ……あれ……」
誰かがぽつりと呟いた。その声は今しがた起こっているボスの変化に戸惑っている、その様な声調だった。
《ヘカトンケイル》は未だに半身のみを俺達に見せているが、奴は土下座をする様に両腕を地に付け、身を伏せて震えている。それだけならさも負けを認めた様な姿ではあるがそうではない。奴に表れた変化、それは不気味な異音。パキパキと、まるで雛が固い殻を内側から破っている様な、不吉な音だった。皆が不安に揺れる中、ボスの身体的変化は徐々に訪れた。《ヘカトンケイル》の丁度肩甲骨あたり、そこが僅かにひび割れている。その亀裂は瞬く間に広がっていき、それに合わせて不気味な異音は激しさを増していく。レイドパーティーは自然に陣形を整えていく。悠長に観察している訳にはいかなかった。
「各員、迎撃準備……」
僅かな焦りを含んだ声でディアベルはそう言った。言われる迄も無く、皆既に緊張を取り戻していた。
《ヘカトンケイル》の変化は呆気なかった。勿体ぶる様にゆっくりと増殖していった罅の中から、バリバリと音をたて恐ろしい勢いで二本の腕が姿を表す。突如として翼が生えたかの様だった。自身の体皮を撒き散らしながら表れたそれは、元々持ち合わせていた両腕と遜色の無い程に隆々としている。腕が生え終わると同時に奴はその身を起こす。阿修羅の如く泰然と、それでいて醸し出す雰囲気は聖人の如く甚だしい。二つの神の間から産まれた巨人は、その醜悪な見た目を持ちながらも尚ことごとく神の子であると、その悠然な立ち姿がありありと表していた。
先程の勝ちムードが一瞬で消失する。痛いほどの静寂がレイドパーティー内に漂い、微かな絶望が俺達を支配する。後戻りは出来る。ボスフロアの扉は開いている。転移結晶もある。しかし誰もが動かない。いや、動けないでいた。逃げた者から殺す。《ヘカトンケイル》の醸し出す雰囲気はそれを物語っている。
「ウヴヴヴヴヴヴゥゥゥゥゥゥゥ」
《ヘカトンケイル》は初めてそれと判る唸り声を上げた。しかしそれは嘗ての言語を成さない唸りよりも寧ろ得体の知れない恐怖を俺達に与えた。皆が一様に固唾を飲むのが判った。これから何が起こるのか容易に想像出来る。腕の量が二倍になったのだ。単純に今までの二倍、若しくはそれ以上の多彩な攻撃が俺達を待ち受けている。不意に、ボスが自身の居る穴の中、その深淵へと空いた左腕を伸ばす。まさぐる様に探り当てたそれは、右腕に装備した棍棒と同じ物だった。
「そんな……」
「嘘だろ……」
両腕に恐ろしい程巨大な棍棒を持ち、更に自由な腕が左右に有る。その事実にこれから起こるであろう惨劇が攻略組の脳裏によぎる。
「あっ!」
誰もがボスのその異形と、最悪な想像に思考を奪われていた。本来なら見逃す筈の無いボスの挙動がその間隙を突く。右手側から上がった悲鳴に慌てて視線を向ければ、そこには巨大な左手に握り潰されんばかりに捕獲された『青龍連合』のメンバーが居た。
「た、助け……」
握り締められる苦痛に声をくぐもらせ、俺達に助けを乞いながら向けたその表情は、恐怖と絶望に塗られていた。
『掌は人間を包める程の大きさを誇りますので、掴まれたら最後と思って細心の注意を払った方が宜しいかと……』
ボスフロア突入前に雅が語った言葉が、頭の中で反芻される。
「ロイっ!!」
ディアベルの悲痛な叫びがフロアに木霊する。ロイとは今掴まれているプレイヤーの名だろうか、その声を聞いた彼は懇願する様な視線をディアベルへと向ける。しかしそれも束の間、彼は軽々とその肉塊の様な腕に持ち上げられ、床から両足を離す。
「ああ、いやだ! ディアベルさん! リンドさん!」
「やめろっ!」
「! 待て! ディアベル!」
ロイの懇願する声がディアベルとリンドさんの名を呼び、その声に反応したディアベルが走り出そうとしたした。俺は慌ててディアベルの腕を掴んでそれを止める。その瞬間、彼が走り出そうとしたほんの数メートル先に巨大な棍棒が振り下ろされる。フロアに罅が入りそうな程の威力と衝撃。火薬が爆発したかの様な轟音と激しい揺れと共に、着弾点から放射状に黄色いライトエフェクトが襲い掛かって来た。
「ぐあぁっ!」
「クッ!」
俺とディアベルはまともに《スタン》のステータス異常を食らい、身動きがとれなくなる。辺りを見渡す。俺達の近くに居た『青龍連合』や『玲瓏』の皆も同じように《スタン》を食らっていた。絶望や苦悶の表情を浮かべながら徐々に離れていくロイを見ているしか無かった。
「誰かっ!」
俺は咄嗟に叫んだ。誰でもいい。今、この現状を打開できる何かを持っているヤツは居ないのか!?
「があぁぁぁぁっ!」
その時、一人の男が絶叫しながらボスの左腕、ロイのもとへと駆け出した。正規装備よりも若干の軽装ではあるが、鈍色のスケイルメイルを身に纏い確かな防御力と敏捷性を兼ね備えた偏屈漢。『アインクラッド解放軍』のサブギルドマスター、キバオウその人だった。俺達より少し離れていた軍のメンバーは《スタン》の影響を受けていない。その中でもいち早くキバオウさんがこの現状を打開せんと走り出す。
「はあぁぁぁぁっ!」
鎧を軋ませながら高速で駆けていくキバオウさんは充分な助走と共に地を蹴りボスの左腕へと接近し、気勢をあげながら片手剣スキル『ソニックリープ』を繰り出す。淡緑色のライトエフェクトを迸らせながらボスの左腕を切り裂いた。
「チッ! 足りん! 他の奴等もはよ続かんかい!」
キバオウさんの一撃だけでは取り零すに至らない。その結果をその目で確認しながらキバオウさんは舌打ちし、他の自由に動けるプレイヤーに大声で呼び掛ける。彼の大声に今まで我を失っていたプレイヤー達は慌てて行動に移す。何人かが同じようにボスへと接敵する。漸く《スタン》から解放された俺達も急いで加勢しようとした。しかし、時は既に遅かった。
「嘘や……」
それにいち早く気付いたキバオウさんが、絶望的な表情で呟く。
《ヘカトンケイル》は左側の口を上に向け、その漆黒の口腔を限界まで広げる。唾液に濡れた剥き出しの歯が妖しく光る。そして、ロイを握り締めた左手をゆっくりとそこまで持っていった。
「やめろ……」
思わず呟いた。この状況で何をするか何て、最早判りきった事だった。
「嫌だ! 嫌だぁぁぁぁ! 誰かぁぁぁぁ!」
ロイも自身の身に何が起こるか判ったのか、今までに無い程に絶叫する。咽が引き裂けんばかりに声を張りつめるも、その願いに応えられる者は最早誰一人として居なかった。
「よせ……」
「やめて……」
誰もが届く事の無い制止の言葉を紡ぐ。ロイの絶叫が響き渡る中、俺達は諦観の面持ちでその先にある絶望を受け入れるしかなかった。
「死にたくないっ! 誰かぁぁぁぁ! 嫌だぁぁぁぁ! 死にたくな」
無慈悲にも、彼は《ヘカトンケイル》の口上でその拘束から解放される。緩やかに落下しながら彼は涙に濡れた絶望的な表情を怨みに変え、俺を見た。
ロイの首から下が全て呑み込まれた瞬間、がちりと、歯が噛み合う音が聞こえた。彼の首が噛み合った歯からコロンと溢れ落ちる。怨みの表情に固められた彼の頭は地に付くよりも早くポリゴン片へと変わり、この世界から姿を消した。
絶望を孕んだ静寂が場を支配する。誰もが虚ろに立ち尽くし、あるものは力無くへたりこむ。第一層以来初めての死亡者が発生したその瞬間、攻略組から初めての死亡者が発生した瞬間、俺達は余りにも無力だった。
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