月夜の輝き   作:粗茶Returnees

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9話

 

 あてがわれた部屋で起床し、体を伸ばす。部屋から出て廊下を進み、台所へと移動する。住処を提供してもらっている身だ。食事くらいは作ろうと考えていた。だがしかし、誠よりも先にしのぶが起きていた。食材を切る音が聞こえ、ご飯の匂いが漂う。

 

「朝早いんだな」

「お互い様ね」

「朝食を作ろうかと思ったんだが、何か手伝えることは?」

「だいたい終わってるからいいわよ。運ぶのを手伝ってもらうくらいね」

「了解」

 

 出来上がるのを待ち、朝食ができるとしのぶと一緒に運んだ。珍しくカナエがまだ来ておらず、様子を見てきてほしいとしのぶに頼んだ。しのぶもカナエがいないことが気になっていたようで、すぐにカナエの部屋へと向かった。

 外から声をかけるとカナエの声が返ってくる。どうやら起きてはいるようだ。中で何かしている気配はあるが、なんだか落ち着かない様子だった。訝しんだしのぶは、カナエに一言断りを入れて部屋の中へ。しのぶが入ってきたことに、カナエは肩をビクッと震わせる。

 

「どうしたの姉さん? 調子が悪いとかじゃなさそうだけど」

「大したことではないのよ。気にしないで……って言っても無理よね」

「それはもちろん。……これ(・・)を見たら、ね」

「そうよねー」

 

 ころころと乾いた笑みを浮かべるカナエに、しのぶは大きなため息をついた。カナエの部屋はいつも綺麗にされているのだが、今日だけは違う。何着もの服が部屋に広げられていた。日本の伝統服、欧州の文化を取り入れた混合服、欧州から輸入された服。まさに多種多様な服がそこかしこに広げられている。

 カナエがなぜ部屋から出てこないのか。その理由がまさしくこれだ。仕掛け人ではあるのだが、まさか姉がこれほどまでに迷うとは思っていなかった。

 

「私こういうのは初めてだから……。どういう服を着たらいいか……」

「姉さんが着たい服を着たらいいじゃない。あの人、人の服装にケチをつけるような人じゃないでしょ」

「そうなのだけど……だから、どういう服を着たらいいかなおさら悩んじゃって」

「そういうこと……」

 

 カナエは誠に合わせて服を着たい。だが、その誠の好みが分からない。何にしても誠は褒めるだろう。そういう男だと知っている。知っているからこそ悩む。自分が着る服を選べない。それでいいのだと確信を得られない。

 

「そんな事だろうと思った」

「!?」

「泰富さん。人の部屋に無言で入るのはどうかと思うわ。姉さんが飛び退いてるじゃない」

「閉めなかったしのぶが悪い。それに俺はまだ廊下にいるだろ」

 

 カナエが手に持っていた服で顔を隠す。目だけを覗かせて誠を見つめ、しのぶはその様子を見ていろいろと諦めた。

 

「勝手に見て悪かったな。で、……胡蝶が気に入ってる服を着たらいいだろ。お前は何着ても似合う。服とかじゃなくて、胡蝶が綺麗なんだから」

「あら、姉さんを口説いてるの?」

「え!?」

「そういうつもりで言ってるんじゃない。本心だけどな」

 

 飯が冷めるぞと注意し、誠はカナエの部屋の前から離れる。姿が見えなくなると、しのぶは視線をカナエへと戻した。服を持ったままぼーっとするカナエに声をかける。カナエはしのぶの目を見つめた。何を言いたいのか伝わり、しのぶも黙って頷く。

 

「私も先に行ってるから、冷めないうちに来て」

「うん」

 

 朝食を済ませ、片付けが終わったら二人揃って家を出る。しのぶが誠に釘を差すのも、恒例の光景になりつつある。カナエもそんな二人のやり取りを楽しく見守るだけで、しのぶに何も言わなくなった。

 

「着物にしたんだな」

「はい。欧州のも持ってますけど、こっちの方が好きなので」

「いいんじゃないか?」

「泰富さんってすぐに褒めてくれますよね。女の子なら誰にでも言ってそうです」

「そんなわけあるか。俺は人を煽てるのとか全然できないぞ」

「どうでしょうね~」

 

 感想を求めれば必ず褒められる。それは嬉しいのだが、誰にでもそうなのではないかと疑いたくもなる。他の女性相手だとどうなるのか知らないから。そもそも、誠の人間関係で女性となると、カナエとしのぶ、そして真菰の三人しかカナエは心当たりがない。参考例が少なく判断に困る。

 前を歩いていた誠が振り返り、僅かに離れている距離を詰める。カナエのきょとんとした様子に言いたいこともなくなり、誠は苦言はやめてカナエの手を掴んで引き寄せる。

 

「あの、泰富さん?」

「胡蝶を本当に綺麗だと思うから褒めてる。驕られたら鼻につくが、お前はもう少し自分のことを認めた方がいい」

「難しそうですね~」

「だろうな。そういう性格してる。ところで、なんでさっきから後ろ歩いてるんだよ」

「淑女は3歩後ろを歩くものですから」

「なんだそりゃ」

 

 誠はそんな習慣なぞ知らない。あの狭い村社会でそんな習慣など見なかった。カナエも誠の反応を見て、そうなのだろうなと察した。そういうものなんだと今回も教えよう。そう思って口を開くより先に、誠の方が口を開いた。

 

「隣にいてくれ」

「っ……分かりました。泰富さんがそう仰るのならそうしますね」

「ありがとう」

 

 素直な感情を出すようになったなと思った。元から捻くれてたわけでもなく、真っ直ぐな方だとは思っていた。ただ感情が見えにくかっただけで、目を離すと魂が抜けたような雰囲気にはなっていたが。

 

(背後に立たれると落ち着かないんだよな)

 

 半分以上は別の理由だった。2年間の鍛錬の経験が、誠に変な感覚を持たせるようになってしまった。それをカナエが知る由もない。

 

「それにしても、あんなに服に迷う必要があったのか?」

「うーん、どうなのでしょう? 私も今になっては不思議に思っていますから」 「なんだそりゃ」

 

 横に並んで歩く。カナエを引き寄せるために繋がれていた手は、歩きだしてすぐに離れた。カナエはそれを僅かに寂しく思う。すぐにどこかへといなくなりそうな不安を、誠に対して感じるようになってしまった。壊れそうだという印象が消えた代わりに。

 そんなカナエの気持ちを、誠が察することはない。それでもカナエが何も言わなかったのは、誠が隣にいるカナエのことを、歩きながら様子を見ていたから。隣にいるのか。機嫌はどうなのか。細かに窺っている。

 

「私、こうやって男の子と二人で出掛けるのは初めてなんですよ。それもあって、意識しちゃってたのかもしれません」

「俺を意識しても仕方ないぞ。服装に一切迷わずに適当に選んでるような奴だからな」

「ふふふ、そういう事にしときますね」

「……」

 

 お見通しだと言わんばかりにジトっと視線を送られ、誠は沈黙を言葉代わりにした。

 カナエは誠のことをそれなりに分かっているつもりだ。だから、今朝の誠の行動が意味のあるものだと理解している。自分の服装を見てから、部屋に着替えに行った誠の行動のことを。

 服の種類が少ないのは間違いない。元から選択肢が少ないからこそ、迷わずにそれを選ぶしかない。誠の言い分も嘘ではない。

 

「今日はどうされるおつもりですか?」

「何も考えてない。胡蝶に全部合わせるつもりだ」

「嬉しいのは嬉しいですけど、少しくらい泰富さんのご要望も出してくださいね?」

「考えてはいる。俺のは後回しでいいから」

「分かりました」

 

 カナエが気にするだろうと思っていた。だから誠なりにも考えてはいるのだ。それでも、誠はこういった経験が全く無い。しのぶとは似た構図になったが、あれは任務中だったから。むしろ任務ではなかったら、今のように頭を悩ませていただろう。一応真菰と町に出かけたことはあるのだが、完全に真菰にリードされていたので経験は無いに等しいのだ。

 町に出てきているとは言っても、目的を持って来ているわけでもない。具体性は一切なく、カナエもどうしたものかと悩みながら町の中を見て回った。

 

「あそこのお店。女性が集まってますね」

「俺には一生縁がなさそうな場所だな」

「行きましょうか」

「…………分かったよ」

 

 言葉自体は柔らかいのに、声色と表情は固かった。気になるから行きたいのだと、はっきりと顔に書かれていた。誠以外に男性が見つからず、明らかに場違いで居心地が悪い。離れて待っておきたいぐらいだ。

 

「一緒に、ですよ?」

「ですよねー」

 

 足を止めようとした誠の腕を、カナエがしっかりと掴んだ。にこやかな表情とは裏腹に、「逃げるなよ」という意思をヒシヒシと感じる。誠は深呼吸して腹をくくる……そんな時間さえ与えられなかった。カナエにぐいぐいと引っ張られる。

 ここまで強引になるとは思っていなかった誠は、目を輝かせているカナエに少し唖然とする。誠には分からないが、女性としての直感をカナエが感じ取っているのだ。あの店にある魅力的な商品を。

 店に近づくと女性たちの話し声が聞こえてくる。それにつれてカナエの機嫌も良くなる。誠は反比例してげっそりしていく。

 

「見てください泰富さん! 浴衣です!」

「見えてる見えてる」

「凄い華やかですねー。いろんな衣装がありますよ!」

「頼むから落ち着いてくれ……」

 

 周りの女性たちの微笑ましい目線が注がれる。誠はそれを気にするわけではないのだが、はしゃぎ過ぎているカナエにとりあえず落ち着いてほしかった。

 

「あらあら賑やかな娘さんが来たね~」

「騒いですみません」

「いいのよ。子どもは元気でなくっちゃね」

「お婆さん。なんだか賑わってるようだけど、何かあるんですか?」

「来週にお祭りがあってね~。それで町の子たちが浴衣を見に来てくれてるのさ」

「……この季節にするものでしたっけ」

「春だからね~。暖かくなったら浮かれるものさね」

 

 そんな理由でいいのかと呆れたが、深い理由も必要ないのだろうと割り切った。祭りが好きだから、という言い分ですべてが語られそうだ。隣で今も浴衣に見惚れているカナエを見てそう思った。

 あまりにも熱心に見ている姿に、誠はふと気づいたことがある。浴衣の存在を知っていて、町育ちだというのなら、おそらくは着たことぐらいあるはずだ。

 

(けど、それはいつの話だ? 胡蝶は何年(・・)浴衣を着ていない?)

 

 親を殺されてからは着ていないだろう。鬼殺隊に入ると決め、女の子らしいことは、ほぼ全てやめていたのではないだろうか。髪飾りや羽織といった、簡素な部分でしか、その欲求を満たせていないのではないか。

 

「お婆さん。試しに着るってのはやっていいんですか?」

「どれか一つ買うのならいいよ」

「なるほど。おい胡蝶。……おーい」

「はっ! なんでしょうか泰富さん」

 

 呼びかけても反応しなかった。だからカナエの視界に自分の手を入れることにした。軽くビクッと驚き、それがなかったように振る舞うカナエをじっと見つめる。観念したように笑い、久しぶりに見たからと正直に打ち明ける。

 

「やっぱこういうのって着たくなるものか?」

「そうですね。お祭りとかで、お洒落にしたいですから」

「試しに着させてもらえ。一着買うならやっていいらしいぞ」

「え……、ですがそれは……」

「久しぶりなんだろ? 着てみて、気に入ったやつを買おう」

 

 着付けに多少時間がかかる。それを何着かしてみては、誠にとって退屈な時間が増えてしまう。そう遠慮しようとしたカナエに、誠は大丈夫だと伝えた。カナエは誠に感謝し、着物を選ぶとお婆さんについて行って店の奥へ。

 男一人で残ると周りの目が痛くなる。誠はそれを流しながら他の着物に目をやり、家にいるであろうしのぶならどういうのを好むのか、真菰ならどれだと考えることにした。

 

「お兄さんこっちおいで」

 

 そうして時間を潰しているとお婆さんに呼ばれる。カナエの着付けが終わったのだろう。そそくさと店の奥に進む。

 

「あの子は別嬪だねー。他の男に取られるようなことをするんじゃないよ」

「そういう関係じゃないんですけど」

「あたしも若い頃はねー」

「聞いてないな」

 

 会話が成立せず、適当にお婆さんに相槌を打つことにする。カナエがいる部屋の前まで案内され、お婆さんが勢い良く襖を開けた。一声もかけないのは自分の家だからだろうか。部屋の中にいるカナエも、廊下にいる誠も目を丸くした。

 

「一声かけていただけたら……」

「気にすることでもないさね。ほら、旦那に見てもらいな」

「旦那!? 泰富さんお婆さまに何を吹き込んだのですか!」

「何も言ってねぇよ!」

 

 理不尽に怒られたことに反論する。わざとやられたようで、カナエはすぐに表情を柔らかくして、くすりと笑った。浴衣を着るにあたって髪も纏めており、普段とは違う印象。普段は年齢以上にしっかりしている印象を与えるカナエが、浴衣で浮かれているのもあって年相応の女の子に見える。

 これが、おそらくは本来こうなっていたであろうカナエの姿だ。

 浴衣を見せるように腕を少し上げ、その場でゆっくりと一回転する。白い生地に薄赤色の牡丹が描かれた衣装。控えめで青い帯がそれらを引き立たせる。

 

「印象も変わるもんなんだな」

「どう変わりました?」

「普段は落ち着いてて、綺麗だって印象なんだよ。今は……うん、華やかだな。年相応で可愛らしいと思うよ」

「なんだか子ども扱いされた気がしますね。私、お見合いしていてもおかしくない年齢になってるんですけどね」

「関係ないさ。俺がそう感じたって話だからな。お前も、そうしてる方がらしい(・・・)よ」

「……そうですか」

 

 それが褒め言葉なのだとカナエにも伝わる。元より人との交流が少ない人間だ。伝えるための言葉も一般以下で乏しい。それでも誠なりに伝えていて、誠を知っているからこそカナエもそれを受け止められる。

 他にも着てみるかと聞いたが、カナエはこの浴衣に満足したようだ。他の試着は断り、お婆さんに代金を払う。

 

「お店に置いといてもらってもいいですか? 後日妹も連れて来ますので、その時に持って帰ります」

「そうかい? それなら梱包して置いとくよ。お金も先に貰ってるしね」

「ありがとうございます」

「こちらこそありがとう」

 

 お婆さんにお礼を言って店を出る。出店を覗いてみながら散策し、適当なところでお昼を食べるために店の中へ。

 食事を済ませたところで、カナエが誠に話を切り出した。昨日は聞かなかったことを。

 

「今聞くのか」

「聞ける時に聞きたいですから。教えてくれますよね? なんで2年もかかっていたのかを」

「俺の成長が遅いって話になるんだが?」

「それ以外もあるのでしょう? 死の可能性があると聞かされていたほどですから」

 

 誤魔化しなんて効かない。むしろそんな事は許さない。気迫さえ感じる様子に、誠はちゃんと全て話すことにした。隠す必要もなく、聞かれたなら話そうという気楽さも相まっている。

 

「話すなら店を出ないとな。少し混んできたようだし」

「そう言って逃げません?」

「逃げない逃げない」

 

 支払いを済ませて店を出る。適当な所がないかと探し回り、結局町から少し出た。倒れている丸太に腰掛け、隣にカナエも座る。どう話したものかと空を見上げながら考え、それが固まるとカナエに向き合った。

 

「まず俺は成長が遅い。最終選別にあの期間で行けたのが奇跡って言えるぐらいに」

「行けた理由もあるはずです」

「……お前怖いな。実際そうらしいんだが、岳谷さんが言うには、基礎の習得自体は早い方で、それを深めるのが遅いらしい」

「おそらく普通のことでは?」

「少し違うらしい。俺は、平均より基礎の習得が荒削りになる。それを10とするなら、俺は7あるかどうかだ。それが呼吸のムラとして出てた」

 

 利永に証明させられたことをカナエも思い出す。たしかに誠はそうだった。今思い出してみても、そういうことだったのかと思い当たる節が他にもあった。最終選別の時だ。二人で鬼を討伐していた時と、真菰の下へ駆けつけた時に違いがあった。カナエが追いつけない速さで誠は移動した。それも、そういうことなのだろう。

 

「だから、まずは安定して10を出せるように。それができるようになってからは、常中とか他のやつをできるように鍛えられた」

「真菰さんにですか?」

「え、なんで分かるの? 誰かから聞いた?」

「女の勘です」

「怖っ!」

 

 もうカナエには何も隠し事が通用しないんじゃないかと戦慄する。やましい事もなければ、これからもそんな事はない。せいぜい負傷の度合いを隠す程度だ。そしてそれが隠せないのは2年前の時点で察している。

 

(あれ? つまり何も隠せるものはない?)

 

 ちょっとした事実に気づいて項垂れる。隠す気がないのと、隠すことができないのは違ってくるのだ。それでも、カナエ相手だと嫌な気はしなかった。

 

「合ってるよ。呼吸については真菰に教えてもらった。呼吸に関しては柱並らしいし」

「あの人はそれぐらいできそうですからね。一番底が知れない方ですよ」

「本当にな」

 

 真菰のことを思い出して一瞬憂いた。もしもを考えてしまう。過ぎたことを考えても仕方なく、その話はもう真菰としたことだ。すぐにその考えを頭から追い出す。

 

「……で、その後の鍛錬が2年経った原因だな」

「何をしていたんですか?」

「実戦だよ。岳谷さん、時には利永さん相手に本気での斬り合い(殺し合い)

「ぇ……」

 

 カナエは絶句した。『死ぬかもしれない』と言われていたのは、その実戦を指していたのだから。しかも、柱の中でも一二を争う実力を持つ利永と本気で。誠に勝ち目などない。

 すぐに誠の服をまくり上げた。誠の驚いた様子を感じ取るが、そんなものを気にしている余裕などなかった。服で隠れていた傷痕。どれほど危険なものだったかをそれが物語っている。

 

「この傷……全部ですか?」

「そうだな。大きい傷ほど実践が始まって日が浅い時だ。利永さんとはそうなって、岳谷さんは俺に実戦を叩き込んでくれた。岳谷さんが練習で、本番が利永さんだったってことだな」

「……。馬鹿……です。あなたは馬鹿です!」

「ははっ、知ってる」

 

 笑って流す誠をキッと睨みつける。これは笑い事では済まないのだと。

 傷痕からその傷の深さが見えてくる。どれだけ熾烈なものだったのか。本当に生死の境を何度も彷徨ったのだろう。胸を貫かれている痕もある。それがズレていたら心臓を貫かれていた。それが想像できてしまう。

 カナエの瞳から大粒の涙が溢れ始める。

 

「!? お、おい……」

「なんで……こんなになってまで……。断ることもできたはずです!」

「たしかに選択肢を与えられた。でも、断るなんて考えなかった。どれだけ傷が深くても、治りきってなくても、俺はあの人に鍛えてもらったよ」

 

 柱である利永は多忙だ。多少日にちのズレはあれど、定期的に誠と刃を交えた。殺す気で戦うと最初に言い、誠はそれを承諾した。その傷が治っていなくても、体が動くのなら岳谷に教えを請い、利永に挑み続けた。真菰は誠の状態を判断し、駄目だと思ったら療養に専念させていた。

 

「どうしてですか! 強くなるために……そのために死んでしまわれたら……!」

「そうなんだけどな。死ぬつもりはなかった。胡蝶に誓ったろ? 必ず帰るって」

「そんなの……! 私は、泰富さんに死んでほしくないんです! それなのに……」

「俺もだよ。俺も、胡蝶にもしのぶにも死んでほしくない。だから、二人を支えられるぐらいには強くなる必要があった」

 

 平行線だ。感情面で話せば終わりなどない。ただ、事実として誠は生きている。何度も死にかけたが、こうして戻ってきている。だからカナエは、溜まっていた悲痛な思いを出し続けた。抑えようとしていた思いも、傷を見てしまえば止められない。

 縋りつくように胸に飛び込んできたカナエを、誠は静かに抱き締めた。こうして涙を流してくれるのは、カナエの性格からか。それとも……。

 誠にはそれが判断できない。カナエ自身が曖昧なものを、誠が理解できる訳もなかった。だから、ただ黙って抱き締め、自分がここにいることを証明する。

 

「すみません。取り乱してしまいました」

 

 顔を上げたカナエは、恥ずかしそうに笑いながら涙を拭った。誠も回していた腕を解き、近くなり過ぎた距離を少し開ける。

 

「別にいいさ。俺のせいなんだし」

「まったくです」

「反省は…………反省もしてないし後悔もない」

「困った人ですね……。あの誓いが自分だけのものだと思っているのも減点です」

「……?」

「泰富さんが帰ってこられる場所。そうあり続けるためにも、私も死ねませんから。あの誓いは一人だけのものじゃないんです」

「なるほど……。ありがとう胡蝶」

 

 カナエもまた戦いに身を置く存在だ。任務に就けば死ぬ可能性が常に付き纏う。それでも、誠の帰ってくる場所であるためにも、死ぬわけにはいかない。それがカナエの支えにもなっていた。

 

「そういえば誓いで思い出したのですが」

「なにを?」

「左手への口づけの心意です。一般的な意味合いを知ってしまったのですけど……、そういうおつもりだったのですか?」

 

 揶揄うようにカナエが話す。誠はギョッとして慌ててカナエに説明した。それがさらに自分を追い込むとは知らずに。

 

「いや! それは単に知らなかっただけで! そういう意図はない! 俺も真菰に教わるまで知らなかったんだ!」

「……もしかして真菰さんにも?」

「なんか怒ってる!?」

「いいえ? 別に?」

 

 絶対に怒ってるだろ! と隣であたふたする誠から顔を逸らし、怒っていると見せかける。後ろからの弁明を聞きつつ、カナエはクスッと笑った。誠が知らずにやったことはお見通しだ。

 知らなくても、偶然そうなったことでも、その重なりは嬉しかった。そして、意味を知っていたのなら、左手にはされなかったんだろうと憶測する。それがなんだか切なくて、だけどそれを確かめることが怖い。

 

(私、臆病じゃなかったと思うのだけど……。なんでかしら?)

 

 変化したのか、元からなのか。

 考えても分からない答えを保留し、カナエは誠を連れて帰路についた。

 

 




 次回にはあのキャラに出てもらいましょう。
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