迷宮じみた無限城をひた走る。向かう場所はただ一つ。大好きで大切な姉がいる場所。護りたい人の場所へと走る。
理屈なんかない。そこにいると直感が告げている。だからその部屋へと駆け込んだ。
「師範!」
「おや~? また可愛い子が来たね。今日はついてるなぁ」
「ッ!!」
「カナヲ、しのぶを頼む」
「ぁ、はい!」
部屋に駆け込んできたカナヲを呼び寄せる。深い傷を負ったしのぶを見てカナヲは一瞬硬直したが、死の気配は感じなかった。一安心し、しのぶに寄り添いながら視線を前方へ向けた。誠が二体の鬼と向き合っている状況。加勢しなければと焦るが、しのぶに引き止められた。
「師範?」
「君もいい時に来たね~。面白い話を聞けるぞ」
「何が面白い話ですか。あなたの戯言など虫唾が走りますよ」
「酷いな~。でも事実だよ。鬼になれなかった半端者と人でも鬼でもない半端者の兄弟。君も哀れだと思わないかい?」
「なんの、話をしている……」
「ん? 君が慕ってそうな彼と、その彼と向き合っている半端な鬼の話だぞ」
「!?」
"半端な鬼"というのが誠と向き合っている嶺奇だとして、"人でも鬼でもない半端者"というのは誰なのか。童磨の言い方と状況からして、それが当てはまる人物は一人しかいない。
カナヲとしのぶに背を向け、鬼と向き合っている誠しかいない。
「嘘だ」
「嘘じゃないさ。ねぇお二人さん」
「……お前に合わせるのは癪だが、その辺も精算するか。なぁ誠」
「……」
「なんで……」
──なんで何も言ってくれないの?
そんなのは作り話だと。しのぶの言う通り虚言なのだと言ってほしい。鬼の話を否定してほしい。そんな存在じゃなくて、人間なのだと言ってほしい。じゃないと……もしかしたら討たないといけなくなる。
改めて見たら誠は服がボロボロだった。カナヲには分からないが、しのぶはそれを見て察せられた。誠が嶺奇との戦闘をせずに、ひたすらこの場を目指したのだと。
それは当たっている。誠は嶺奇と対面した瞬間。刀を抜いて床を切り崩した。反撃せず、技を最小限の傷で済むように避け続けながら、ひたすら降りてきたのだ。途中の鳴女の妨害も無視して。強行突破で。
その誠が刀をだらりと下げ、軽く振り返った。寂しげに笑うだけで。それが事実なのだと。
──誠は特殊な生まれだった。まず初めは普通の赤子だった。人間の母親にその命を宿し、産まれるときを望まれていた。その母親のお腹の中には、二人の赤子がいた。要は双子だったのだ。
──ある夜、母親が鬼になった。傷口から鬼の血が入ったのだ。その血に逆らうことなどできない。母親は鬼になった。二人の赤子を身籠った状態で。
──動物は血縁だ。血を分けた家族だ。へその緒で繋がり、栄養を注がれていく。では、身籠った母親が鬼になったらどうなる?
──鬼としての栄養が送られるようになる。だが、赤子はとても儚い生命だ。人間の赤子は動物の中でも特に脆い。生命として未熟な状態で産まれる。その赤子が、鬼への変化に耐えられるのか。それは誰にも分からないことだった。
──結果として、一人は鬼へと変化したが、体が碌にできなかった。生命として未熟な赤子の体が耐えられなかった。だがたしかに魂はこの世にできた。それはある意味亡霊という形で。一つの異能を持って。
──対象的にもう一人の赤子は普通に産まれた。どういうわけか、その血のほぼ全てが人間の血で。ごく僅かにだけ鬼の血が混ざっている。
「それが俺達だ。前者が俺で後者が誠。もっとも、誠はあまりにも血が薄すぎて鬼でも分かりにくいけどな」
「……」
「もっと正確に言うと、人としての誠を君は知らない。しのぶは別としてな」
「どういう意味ですか」
「……俺は泰富誠という人間を模した存在だ」
誠の話を掘り下げると当然続きが出てくる。話をあえて単純化すると、誠の命はもちろん一つ。血の種類は二つ。その二つの血が混ざり合っている存在だ。そしてそれは『心』も同じこと。心の形をガラスの球体に例えよう。その球体は誠の心がほぼ全てだ。ただ、ごく一部だけ僅かに鬼としての心が混ざっている。二重人格とは違うが、それはある種異物だ。
この異物が頂点に来ることはなかった。むしろ底にあった。しかし、友人を失った日に心の大半が砕けた。最終選別で粉々になった。砂のような小ささにまで。だが、言ってしまえばその壊れた心は誠の心だ。それまで底にあった鬼の心は無傷だ。
カナエに強引に居候させられた。そこで療養を始めたわけだが、無傷である鬼の心が自ずと表層に上がる。砕けちった心の修復が始まれど、表層に上がった鬼の心の後付となった。
記憶に何一つ影響などない。鬼の心はそれを元に誠を模した。とはいえ、鬼としての自覚などなかった。ずっと人間だと思っていた。
「違うと分かったのは"影"となってから。そういうわけだから──」
「馬鹿馬鹿しいですね」
「しのぶ?」
「驚きはします。正直今だって咀嚼できてません。でも、何も難しい話じゃない。認識は何も変わりません。言ったでしょ? あなたは人間だって」
「っ……」
「変わらないのよ。ずっと壊れそうな雰囲気だして、寂しがり屋のくせに一人になろうとする困った人。最終選別の時とそれ以降で違うなんて思わない。姉さんも真菰さんも同じことを言うわ」
なんの躊躇もなかった。その話を受け入れられてるわけじゃないのに。迷うことなく、動じることなく、真っ直ぐな目でしのぶは言い切った。どんな御託を並べようと、泰富誠という存在は人間であり家族であるのだと。これまでと何一つ変わらないのだと。
「私もそう思う。私が知ってるのは誠さんが最終選別を終えてからの姿だけ。それが全て。私とどこか似ていて、でも私とは違う優しい兄さん。私は誠さんを信じてる」
「……カナエと真菰の言った通りか。ははっ、随分信じられたものだ」
「自己評価が低過ぎるのよ。それに、私たちのことをもっと信じてほしいものね」
こくこくとカナヲがしのぶの隣で首を縦に振る。その様子に自然と笑みが溢れる。自分がどれだけ小さい人間なのか理解させられる。どれだけ幸せな環境にいるのかはっきりと理解させられる。
完全にふっ切れた誠は改めて嶺奇へと向き直った。利永の体を使っている嶺奇。純粋にその力は柱のもの。なおかつ柱の中でも一線を画す格上だ。
「明かすことを明かしたんだ。そっちも同じことをするべきでは?
「ま、気づくか」
「分かりやすい伝聞を残してましたからね。あの部屋の血文字を書いたのもあなたでしょ」
「まぁな」
「血文字……、っ! あの時の!」
その文字にはカナヲも思い当たる節があった。誠と一緒に任務に当たった時にそれを確かに見た。死なない鬼の血を使い、壁に書かれていた。
「にわかには信じ難いことでしたけどね。あなたならやってもおかしくないと思ってましたし、おかげ様で駄目押しされましたよ」
「ふん。要は、死にかけだった俺を、同じく死にかけだった嶺奇が乗っ取ろうとした。それを俺が抑え込んで今に至る。それだけだ」
「随分踊らされましたよ。それも今日で終わる。あなたの目論見とは少しズレるでしょうけどね。……俺はもう、あんたを慕えないよ」
──空の呼吸 肆ノ型 穿空
「勝つ気か? お前を鍛えたのは俺だぜ?」
──雷の呼吸 肆ノ型 遠雷
使える中で最速の突き技を相殺される。いや、相殺どころか押された。弾かれる勢いに抗わず、流れに身を任せて距離を取る。その距離もどうやら射程圏内らしい。技を続けざまに放たれる。
「遅い」
──雷の呼吸 壱ノ型 霹靂一閃
雷の呼吸の基本技にして高速の居合斬り。距離など意味を成さない。だが利永の刀は空を切った。その場にいたはずの誠を斬れずに空振る。その瞬間を狙って下から首を狙うも、素早く刀を持ち替えられて逆手で止められる。
日輪刀は色変わりの刀。透明色に近い刀であるというのに、利永は完全に間合いを見切っている。
──空の呼吸 参ノ型 虚空
「俺相手だとそれは回避程度しか使えねぇぞ」
「嘘つけ。もう使えないが正しいだろ!」
「へっ。そうかもな!」
──雷の呼吸 弐ノ型 稲魂
──空の呼吸 壱ノ型 断空
放たれる5連撃を、渾身の一撃で完全にかき消す。その技のおまけで発生するカマイタチが肩を掠めるも、その程度の傷はすぐに修復された。利永は誠に抑えられたのが意外だったようで、感心したように頷く。その直後。体感的には同時。腹に蹴りを叩き込まれて壁へと飛ばされる。
「……ぐっ……」
「少しは巧くなったか。だが、その程度だ」
急いで横へ避ける。瞬間で距離を詰めた利永の突きが壁へと突き刺さる。余計な力など入っていない理想的な突き。刀が通った跡しか残っていない。それ一つとっても利永の練度の高さが浮き彫りになる。さらにはそれをいとも簡単にやってのける実力の高さも。
焦るな。呼吸を乱すな。思考を止めるな。実力が劣っていることなどずっと分かっていたこと。自分の成長が限界に達していることも分かりきっている。だからずっと、"どうやって今あるもので勝つか"を考えるようにしてきた。それ以外に勝つの可能性が見えてこないのだから。
「向こうも盛り上がってきたね。それじゃあこっちも始めようか。しのぶちゃんも食べたいし」
「お前に師範を殺させない」
「あはは、君じゃ守りきれないよ」
「ウィィィ!! 伊之助様参上!!」
「うわー、まーた天井壊れた」
轟音と共に乱入してきた伊之助により、童磨とカナヲの戦闘はまだ始まらない。誠と利永の方は交戦が続いたままで、伊之助はそっちを見てから童磨を見る。目に刻まれている文字が『弐』であることが残念だ。『壱』と戦おうと思っていたから。
「あっちの方が強そうか?」
「伊之助ェェ! こいつは俺がやるからお前はそっち!」
「はぁぁ!? 俺様に命令するんじゃねぇ! 一番強えやつと戦うんだ!」
「カナヲとしのぶを守ってくれ」
「あ?」
「お前にしか頼めないんだ」
チラッと二人を見る。カナヲはまだ戦っていないため外傷一つないが、刀を抜いているところを見ると、これから戦闘が始まるらしい。問題はしのぶだ。肩口の傷が酷い。右腕も痙攣が続いていて、あれではもう戦えそうにない。
「しゃあねぇ! この伊之助様に任せやがれ! この弐を倒してそっちも倒してやらァ!」
「頼むぞ。それとそいつが出す冷気に触れるなよ!」
「話す余裕なんてないだろ。馬鹿め」
──雷の呼吸 陸ノ型 電轟雷轟
「がっ……! かはっ」
致命傷は避けた。ぎりぎり反応できる速さだ。体中を斬られたが、どれも軽傷ですんでいる。そうやって軽くできるとは思っていなかったようで、利永は眉を顰めた。その反応がなんだか笑えてくる。怪物と思えていた相手。その利永の想定よりは動けているらしい。
「ははっ、不思議そうな顔すんなよ。あんたが言ってたことだぜ? 磨けって。剣技も動きも思考も判断も五感も。戦いに必要なもの全てを磨け。じゃないと才能がないお前は十二鬼月相手に対応できないぞってな」
「そうだったな」
「止まっていたと思わないでほしいね。成長はできなくても洗練はできる。この日のために磨き続けてきた!」
「……俺もいつまでも師匠気分でいるのはやめよう。お前の全てを正面から叩き潰してやろう」
気配が変わる。重圧がかけられる。
利永が言っていた通り、今までは稽古の延長線上のつもりだったようだ。それがたった今、敵としての圧に変わった。呼吸を忘れそうになるほどの圧迫感。細切れにしてくる鋭利な視線。僅かなミス一つが命取りだと警告が鳴る。
(……この感じ……あの上弦の壱並みだな)
あの日現れた十二鬼月の頂点。無惨を除けば最強の鬼。それまでの戦闘で腕一つ動かせないほどに消耗していた時に現れ、利永によって助けられた。その利永が、今となっては鬼として目の前にいる。
細く呼吸を整える。利永相手に虚空は意味を成さない。元よりあれは頼っていい技じゃない。他の技とこれまで培ってきた経験でぶつかるのみ。
(へぇ? 怯まないか。あの子どもがよく成長したものだ)
「俺はみんなを信じてる」
「ん?」
「カナヲと伊之助のことも信じてる。だから、なんの憂いもなく戦いに集中できる」
「ふん、なら超えてみせろ」
利永が刀を収める。あの状態から繰り出されるのは居合斬りの他ない。壱ノ型か、あるいは利永が編み出していてもおかしくない他の技か。
利永相手に見てから動くのでは遅い。桑島、天元、行冥らが口を揃えていた。『利永は最速の剣士』だと。だが、見ずに動くわけにもいかない。戦闘で培って得た直感だけでは、利永の思う壺の動きになる。
だから、利永の一歩目に合わせて前に出る。
今の間合いは利永の一歩で詰められる距離。迎撃しなければ即切断される。今は中段に構えて向き合ってる。狙いやすい高さの腰を狙うか。上を狙っての首か。それとも先に機動力を無くすために足か。腕の可能性もある。
幾つもあるパターンを読んで動かなければいけない。判断を間違えることは許されない。
間合いが詰められる前。丁度中間地点で利永が
部屋の中で甲高い音が響く。果たして胴体は泣き別れをせずに済んだ。達人すら霞む速度による居合斬りを、それでも受けきることができた。若干勢いには押され、左腕に掠り傷ができたものの、それだけだ。それ以上の負傷はない。
「読んだのか」
「俺を鍛えたのはあんただぜ? 癖は知ってるよ」
「ははは! これは一本取られたな!」
利永は自分の腕に自信を持っている。だから、堂々と胴体を斬り飛ばしにくると読んだ。実際その通りで、それを防ぐことに成功。だが、防いだだけだ。勝つためには攻勢に出ないといけない。
対処法はある。"最速の剣士"と称されるのは、その技の速さと足の速さがあってのもの。なれば動き回らなければいいだけのこと。
──空の呼吸 伍ノ型 深空
動きながらの連続技。縦横無尽に走る斬撃を、利永は全て見切って打ち払う。動きを止められるも、それは相手も同じこと。機動力を活かさせないという狙いは読まれてるはず。だがそれでいい。利永はそれに乗った上でこちらを斬り伏せにくる。
鍔迫り合いになっているところを横にズラされ、小さな動きで首を狙われる。最小限の後退で躱しながら刀を振り上げて利永の腕を狙う。利永は斜めに一歩踏み入り、踏み込み足を軸に回りながら刀を振り下ろし、攻撃を弾いた上で回転を続けて横に一閃入れてくる。こちらも攻撃を弾かれた時の反動を活かし、体を回して防御を間に合わせる。
「やる」
「ーーッ!」
力技で押し込まれる。体勢を崩されないように足を動かす。乱れ一つ許されない。利永の剣筋は綺麗なものだ。小芭内と並ぶほど正確で、それでいて動き一つ無駄がない。小さな動きに見えるソレは、ソレで十分であるということ。相手を殺すのに豪快さなどいらないのだから。
──雷の呼吸 参ノ型 聚蚊成雷
──空の呼吸 弐ノ型 空斬り
技の出だしで相殺する。力の伝達には必ず時間がかかる。どれだけの瞬発力、爆発力があれど、出だしは最大威力には達していない。そこを封じることはできる。
全神経を張り巡らせろ。指先一つにまで意識を飛ばせ。五感を研ぎ澄まさせろ。
そうしなければ1秒にも満たない時間で命が散るのだから。
それでも押される。その事に絶望感はない。格上だと分かっている。全てには対応しきれない。軽傷で済む程度に身を削るしかない。
気づいていなかったが、それでも相当な血が流れていたようだ。額から流れる血が右目に入る。その一瞬に意識が外れた。
その瞬間を見逃されるわけもなかった。
──雷の呼吸 伍ノ型 熱界雷
刃が腹を貫く。体が浮き上がり、天井に叩きつけられた。
「……やってくれる」
「まだ見定められてないようだな」
貫かれてる体は利永の体。利永の刃は虚空でぎりぎり躱し、脇の下を通って羽織を貫いただけ。集中している状態で生まれる隙を見逃されるわけがない。なら、そこに相手が全集中を注ぐのも当たり前。だからそこを利用して一瞬誘導できるのだ。
天井を蹴り、お互いの射程圏内に収まる距離で離れる。異例な鬼であれど、鬼は鬼。急所を刺されたところで回復する。反対にこちらは治らない。止血はしているが、いかんせん斬られた箇所が多い。
「やれやれ。ここまでやれるようになってるとはな」
「評価を改めてほしいね」
「そうだな。お前は
利永が速すぎるから、間に合わなかった。
「虚空を教えたのは俺だ。その反対とも言えるのが痣。なぁ誠。痣の出現条件は知ってるだろ?」
「……あんたも使えるわけか……」
「そういうことだ」
利永の顔に雷を彷彿とさせる痣が出現する。元々最強と呼ばれていた男。意図的に心臓を動かす技も知っていた。痣が出現するその状態にまで引き上げられてもおかしくない。
次の瞬間、利永の姿が消える。
「正面!」
「ぐっ!」
寸前で防げた。少なくとも致命傷は。
後ろに弾かれるところを、背中を支えられて止められる。利永も動きを止め、珍しいものを見るように口角を上げた。
「ボロボロだね。誠」
「なんで、真菰がここに……。しかもその格好」
「ふふっ、私思い出したんだ。全部ね」
「えっ」
「ただいま誠。一緒に戦おう?」
カナエが生きてることで、しのぶは自分本来の喋り方にちょくちょく戻るのです。