月夜の輝き   作:粗茶Returnees

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15話

 

 童磨の討伐。それは悲願とも言えることだった。しのぶ、カナヲ、誠にとってそれだけ倒したい相手だった。屋敷の主であり、蝶屋敷にいる娘たちの拠り所にして鬼殺隊の柱でもあった胡蝶カナエが、長い眠りにつかされた元凶。

 その鬼を倒せたことによる喜びも、達成感も特になかった。ただ、ようやく一区切りついたのだという認識のみ。虚しいわけでもなく、誠はただ茫然と立ちすくみ、童磨が消えた場所を眺めていた。

 

「ハッハッハ! 思い知ったかこいつめ! このっ! このっ……うっ」

 

 伊之助も傷を負っている。激戦を終えたことで緊張の糸も切れ、体がふらついてその場に尻もちをついた。思考もふらつくが、思い返されるのは炭治郎や善逸との会話。母親に愛されていたはずだと炭治郎にいたこと。

 

「母ちゃん……」

 

 勝手に涙が溢れてくる。記憶なんてないはずなのに、ぼんやりと母親の姿が思い起こされる。その温かさが甦ってくる。

 気づくとそっと抱きしめられていた。顔を上げると、よく見る優しい表情で微笑んでいるしのぶが見えた。

 

「伊之助くん。お疲れ様です」

「しのぶお前休んでないと駄目だろ! 俺はなんともないぞ!」

「いえ、今は伊之助くんも休みましょう」

 

 頭をゆっくり撫でられ、胸の内に熱くこみ上げてくるものを感じる。伊之助は抵抗をやめ、されるがままに受け入れながら静かに涙を溢していく。

 二人のその様子を見守りつつ、カナヲは誠に視線を向けた。ずっと立っているだけで、背も向けられているから表情から胸中を察することもできない。どうしようか迷っていると、後方から咳き込んでいるのが聞こえてくる。慌てて振り向くと、動こうとした真菰が吐血していた。

 

「真菰さ──」

 

 駆けつけようとするも、それを手で制される。動けなくなっていることを悲しそうに、悔しそうに眉をひそめた真菰は、カナヲに目と指でお願いした。それを受け止め、誠へと歩み寄って行く。

 その背に声をかけるも反応はなく、袖を引っ張ってみる。それでも振り返ってくれず、カナヲは前へと回り込み……

 

「えっ……」

 

 絶句した。

 誠の目に生気を感じられない。焦点が合っておらず、ぼうっと虚空を見つめているだけだった。

 急いで首に手を当てて脈を確認する。まだ脈はある。だが非常に弱い。嫌な汗が一気に溢れてくる。カナヲは誠の胸にすがりつき、軽く揺さぶりながら強く呼びかけた。

 

「誠さん! 嫌だいかないで! 返事してぇ!」

 

 その異変に気づき、伊之助としのぶもお互いに助け合いながら立ち上がって急行する。誠に近づくと、伊之助に支えてもらいながら様子を確認する。処置をした方がいいと判断したものの、その用意が今はない。蝶屋敷に連れて行こうにも、敵の居城である無限城は異空間だ。外に出られたとしてどこに出るかわからない。

 

「師範どうしたら! どうすれば誠さんは助かりますか!」

「落ち着きなさいカナヲ。弱ってはいますが、止血自体はできています。ひとまず橋へと上がらせて体を休ませましょう」

「はい!」

 

 この中で比較的に傷の浅いカナヲが誠を背負う。いや、カナヲがそうなったのは、誠のおかげでもあった。伊之助に共闘ではなく守るように頼み、自身が参戦した時も体を張って見本となって適切な動きを示した。カナヲの負傷を防ぐため、そしてカナヲに『終ノ型』を使わせないために。

 橋の上へと行き、そのまま真菰の側まで運ぶ。一番心配しているのは間違いなく真菰だ。動けなくなっている今、近くに運んでやるしかない。そんなカナヲの気遣いを横目に、しのぶは内心焦っていた。

 

(治療するための用意がない……!)

 

 薬はいつも持ち歩くようにしていたが、今回は童磨との戦いによってそれも失われていた。使えたとして包帯程度。つまり止血程度しかできることがない。しかし誠は今の状態でも止血できていた。カナヲや伊之助はそれが呼吸によるものだと思っているが、しのぶはそうじゃないと睨んでいる。

 

(鬼の力……おそらくはそれが誠さんの血鬼術)

 

 最低限の傷を塞いでもらったことから分析した答えがそれだった。誠の血ないし体液を少量でも摂取した者の傷を癒やす。誠自身、鬼の血が薄いからかその効果も薄い。それでも、その力は停滞(・・)する。あの日、カナエには似たようなことをしていなかった。それなのにカナエは生き残ることができた。そこから考えられるのは、前もって摂取しておいても効果が発動するということ。それより細かいことは、例が少なすぎて判断できない。

 なんにせよ、そんな力を持つのだから、それで止血自体は済むというわけだ。

 

(とはいえ、危険な状態に変わりはない。変わりはないのだけど……)

 

 何かがおかしい。

 "何が"かはハッキリとわからない。ただいろんな人を見てきたしのぶの直感が、妙な引っ掛かりを感じさせている。

 誠を寝かせ、その手を不安そうに握るカナヲを見やり、真菰の様子も伺う。顔を伏せていて、その顔が見えない。それで違和感がさらに広がった。いつも誠を信じている真菰が何も言わないのだ。しのぶの脳に電撃が走り、誠の胸に手を当てた。

 

「師範?」

「静かに」

 

 目を閉じて心音に集中する。弱くも動いているから死ぬ心配はない。そのはずなのに不安が何一つ拭えない。しのぶは自分の直感を信じ、さらに集中してその音を確かめた。感じる鼓動を脳内で紙に記していく。楽譜のように点が続いていき、それが()規則(・・)であることに気づいた。

 

「お、おい。こいつ大丈夫なのかよしのぶ」

 

 しのぶが誠から手を離したところで伊之助が聞いた。それはカナヲも知りたいことで、今にも泣きそうな目でしのぶに視線を向ける。

 

「厳しいですね」

「なっ!」

「ううっ……いやだ……誠さん」

 

 ぽたぽたと握っている手に涙が溢れていく。手の温もりはまだ消えてない。それなのに、いつも繋いでると心が温まっていた手なのに、心が寒く感じる。カナエやしのぶは姉だった。一緒にいて不器用ながらに気遣ってくれた誠も、カナヲにとって家族だ。

 

「誠さんは死にはしません」

「今厳しいって言ってただろ!?」

「目を覚ました時、どちら(・・・)なのか分からないだけです」

「どちらかって……」

「十分に考えられることでしたが、完全に見落としていました。同じ母から生まれ、何度か接触している誠さんの中に、嶺奇がいてもおかしくないのです」

「はぁ!? じゃあ何か? 俺たちはこいつを殺すことになるのか!?」

「必要とあらばそうなります」

 

 納得がいかないとして伊之助が橋を蹴りつけてから座り込む。腕を組み、誠を睨みつけた。組んでいる手には力が入っていて、自分で自分を抑えているようだった。

 戦いたくないのは皆同じだ。だが、鬼であらば斬らねばならない。

 誠の中で起きていることである以上、しのぶたちに手助けする術などない。

 

 

 

 

 

 

 真っ白でもなく真っ黒でもない。白と黒だけが織りなす空間で、空もなければ地もない。立っているのか浮いているのかの判別もつかないが、体感的には立っている感覚だ。

 そこにいるのは二人だけ。誠と嶺奇だけで、白黒ではあるがお互いの姿をはっきりと認識できた。鏡を見ているように嶺奇の姿は誠によく似ていたが、目元が僅かに違う。双子であるために本来の姿は似ているようだ。

 

「何ここ」

「お前の中だよ。血が薄いわ、抵抗力持ってるわで強制的に乗っ取ることができないんだよ」

「やっぱ中に入ってたのか。いつから?」

「最初からだ。と言っても、お前を乗っ取るのは相当難しくてな。選別の後は狙い目だったんだが、カナエに邪魔された。あいつがお前を強制連行しなければ乗っ取れた」

 

 嶺奇が誠を乗っ取るのに必要な条件はただ一つ。誠が死にかける程に弱ること。この一点だけだ。最終選別の時は精神的に誠が弱っていた。廃人寸前だ。そこを狙おうとしたものの、カナエが誠を居候させたことで精神面が回復。乗っ取ることができなかった。他の負傷はせいぜい重傷程度。無意識下で嶺奇に対抗していた誠は、必要以上に眠って回復していたわけだ。

 そして今回もまたこうして機会が訪れた。利永との戦いで重傷となり、童磨との連戦で追い打ちをかけた。すでに限界を超え、死に体となっている。だが即死でなければ誠は死なない。そのギリギリの状態だからこそ、嶺奇は誠を乗っ取るチャンスがある。

 

「利永の野郎の狙いも分かってたろ? お前を殺そうとしたのもそういうわけだ」

「俺か利永さんのどっちかが最後に命を落とす。それで完全にこのクソ迷惑な兄弟喧嘩を終わらせる、か」

「そういうこった。誠が死んでた方が楽に終わったんだぜ? 利永のやつは俺の制御を逆に乗っ取ってたからな。誠が死んだあとに自害して終わりよ」

 

 そういう狙いだったのだろうとは思ってた。本気で殺しにかかってきていたのもそれが理由。だが結果がこうなのだ。最後の始末は残った誠の仕事。

 

「ははははは! いやぁ、なんにせよお前には無理だよ嶺奇」

「あぁ? 何が無理だってんだよ」

「お前は俺を取れない。俺が弱ってるのと同じように、お前も弱ってる。利永さんの体にいたのがお前の大部分なんだろ。俺の体にいるのは断片に等しい。だから今の俺からでも強引に取れない」

「チッ。この状況でも冷静とはな」

「いろいろあったからな」

 

 予想していたことでもある。それなら驚きはしても取り乱すこともない。多くの経験から、大して驚くこともなくなってきたかもしれない。一番大きな理由は、単純に疲れているからだが。

 

「お前は俺に譲られるしか方法はない。そして俺は譲る気なんてない」

「ふん、鬼に近づいてるお前がよく言う。そのまま進行すれば俺の力も強まる。そうなればいずれ取れるぜ? 俺が表層に近づけてるからな」

 

 死にかける度に鬼の力で踏みとどまる。その繰り返しによって誠の中の鬼の血が増大していく。童磨が1回目に気づかず、今夜で誠の秘密に気づけたのもそのためだ。誠が鬼に近づいていたから。それがどこまで進行した段階で嶺奇の力が上回るのか。それは不明だが誠は何一つ不安に思わない。

 

「いいやそうならない。無惨を倒せば鬼は消える」

「……お前正気か?」

「当たり前だ。柱になったからな。責務は果たすさ」

「理解してるのか? 無惨を殺せば鬼は消える。そしてお前は鬼の血が入ってる」 

「覚悟はしてるし、賭けとしては成立するさ。大部分は人間だからな」

「……ふんっ。お前が昔のまま弱かったら簡単に取れたってのによ」

 

 誠の手が色付き始めた。白黒の世界の中で、現実と同じように誠に色がついていく。手から順にその色が広がる。始点となった手には温もりを感じられた。確かな繋がりを感じられた。

 その存在を愛おしく思いながら、繋がりを手放さないように光を握りしめる。その瞬間頭上の空間が割れた。ガラスが割れたように破片が散りばめられ、そこから差し込む光に目を細める。その先には青空が広がっていた。

 

「手に入れやがって」

「俺の宝だよ。決して手放す気はない」

「ならやってみせろ。お前が守りたいものを、掴みたい未来を奪われないようにな!」

「言われずともそうしてやる」

 

 白黒の体が完全に色づいた。割れたガラスはさらに広がりを見せ、この空間を完全に破壊する。後ろに出口が現れるのを感じ、振り返るも何も見えない。何もないように見えるのだが、進んでいけばそこに出口があるのだと確信を抱けた。

 

「なぁ嶺奇──」

「とっとと出ていけ」

「ぶへっ!」

 

 振り返った瞬間に飛び蹴りをかまされる。勢い良く体ごと吹っ飛び、その勢いのままに誠は出口に突入していった。それを憎々しげに見届け、首を鳴らしてから出現させた椅子に座る。

 

「このクソつまらん場所に色をつけやがって。……見届けてやるさ愚弟よ。俺が引き受けきれなかった鬼の血を残すお前の行く末をな」

 

 さて、嶺奇も語らず、誠も聞かなかった話をしよう。なぜ誠に鬼の血がほとんどないのか。それは嶺奇が誠の分まで自身に集めていたからだ。二人分の血など当然キャパシティを超える。結果嶺奇は体が壊れた。弟を守るのは兄の役目。赤子ながらに後悔などしなかった。

 ならばなぜ誠を狙っていたのか。誠の中にいる鬼を叩き出し、吸収するためだった。当初の予定ではそうだったが、それができないと分かり、ならば殺そうと決断しただけ。そこにいかな感情が込められていたのかは不明である。

 

 

 

 

 

 

 重たい瞼を押し上げる。視界が霞むも、段々とそれに慣れてきて霞が晴れていく。握られている手の方へ視線を向けると、カナヲが泣きながら嬉しそうに頬を緩めていた。器用になったなぁと思いつつ、手を動かしてカナヲの頬を撫でる。

 

「よかった……ほんとうに」

「悪いな。ちょっと、寝てた」

「……心配したんです。もしかしたらって」

「でもま、カナヲのおかげで助かったよ。カナヲがこうして手を繋いでいてくれたおかげで」

 

 たしかにカナヲの繋がりを感じられた。すぐに出てこられたのも、カナヲがこうして手を繋いでいてくれたから。争わず、話しも優位に進められた影の功労者。何かお返ししないとなと心に決め、目を丸くした後に涙を零すカナヲに心を痛めた。その横でボロ泣きしてる伊之助には、なんだか可愛らしさを感じてしまった。

 妹分に泣かれると弱るというもの。どうしようもない罪悪感を抱いていると、カナヲの反対側にいたしのぶに頬を突かれた。こういうとこもカナエに似たなとぼんやり考える。

 

「どうやら誠さんの方ですね。いやぁ殺すことにならなくてよかったです」

「気づいてたのか?」

「心音がおかしかったので、取り合いでもしてるのかなぁって」

「取り合いというか、話し合いで終わったけどな」

「平和的な解決ですね」

「みんなのおかげでな」

 

 その発言にしのぶが面食らう。まさか誠の口からそんな言葉が出てくるとは心底思っていなかった。おかしそうに吹き出してくすくす笑い、バツが悪そうに誠は口を尖らせた。

 

「そんな事を言えるようになったんですね」

「案外こういうのもいいもんだと思ってな」

「信用に応えられるようになっていただいて何よりです」

「ならその刀しまえ?」

 

 すぐにでも刺せるように刀身を剥き出しにされていては、せっかく目を覚ましたというのに生きた心地がしないというもの。笑みを浮かべたまま刀をしまうしのぶに、誠は冷や汗をかかずにはいられなかった。

 そうこうしていると、デコをぺしっと叩かれる。視線を上に向けると、真菰の顔が逆さに映った。そこでようやく誠は今の自分の状態に気づく。体は寝ている状態で、右手はカナヲに握られている。そして頭は柔らかな枕の上に置かれていた。真菰の脚という名の枕。俗称"膝枕"。

 

「バカ」

「うん、ごめん。でも──」

「後悔はしてない、でしょ? 分かってる。でも怒る」

「だよな」

 

 逃げ場なんてない。逃げる気もなく、苦笑する誠のデコをもう一度軽く叩いた。誠の休憩の間に説教を始めようかと検討していると、一羽の鎹鴉がやってきた。

 

「イイ頃合イニ来レタワネ」

「この鴉は──」

「用件ヲスグニ言ウワヨ。二ツダケネ」

「一つはその手紙か」

「ソウ。コレハ私ノ主カラアナタへ。ツマリ、カナエガ起キタワヨ」

「っ!! それは本当なの!? 本当に姉さんが!?」

「嘘ヲツク理由ハナイワ。手紙ノ文字デ分カルデショ」

 

 カナエの鴉の足に巻きつけられている手紙をしのぶが回収する。それは誠に当てられた手紙なのだが、しのぶに先に読まれている。といっても、軽く見て文字を確認する程度だが。

 その手紙の文字を見て、しのぶは震える手で口元を抑えながら静かに涙を流した。その反応から分かるとおり、カナエは目を覚ましていて、カナヲや真菰も胸が熱くなるのを感じていた。

 

「カナエってずっと部屋にいたやつか」

「うん。師範のお姉さんで、柱だった人。あの弐の鬼のせいで長く眠られていたの。伊之助……気づいてたんだ」

「そりゃあな。萬次郎と紋逸も気づいてたぞ。俺が聞こうとしてもあいつ等に止められてた」

「炭治郎と善逸ね」

 

 その三人なら気づいていてもおかしくない。深入りすることなく一歩引いていたのは、その優しさから来る気遣いか。ある意味蝶屋敷でのタブーでもあったため、炭治郎と善逸の選択は正しかったと言える。

 しのぶから手紙を受け取り、それに目を通していく。そこには別に重要なことなど書かれていない。ただの文通に等しい内容だ。

 

「めでてぇ事も続いたところで、次行くぜ。俺はまだ動けるからなぁ!」

「待って伊之助! 私も行く」

「? お前はそこにいればいいだろ」

「ううん。私も戦える。みんなを守るために私も戦う」

「……好きにすりゃあいいんじゃねぇの? 俺は先行くぜ! フハハハ! 猪突猛進!!」

 

 ちゃっかり猪の被り物も回収し、先程までの弱りはどこへやら。溢れる闘志を燃やして突き進んでいく。それを慌てて追いかけようとするカナヲをしのぶが呼び止めた。

 

「カナヲ。私も戦いたいところですが、今の私では足手まといでしょう。だから、必ず帰ってきなさい」

「師範……」

「思えばあなたと一緒に料理することもなくなっていましたね。姉さんのことだから朝ご飯は準備されてるでしょうし、その後にでも一緒に作りましょう」

「必ず。私も姉さんに成長を見てほしいです」

「っ! ええ。楽しみにしてるわ」

 

 しのぶに笑顔で送り出され、真菰と誠にも手を振って送り出される。カナヲは大きく頷き、伊之助の後を追いかけた。戦った後だというのに、体が軽く感じられ、力が漲っている。今がカナヲの最高潮だった。

 

 それを見送ると、真菰は視線を落として手紙を読んでる誠に首を傾げた。枚数は1枚。そんなに内容は長くなさそうなのに、誠はずっとその手紙を読んでいた。正確には、その手紙を見て何かを考えているようだった。

 

「どうしたの?」

「いや、カナエがただの手紙を送ってくると思えなくてな」

「暗号? そんな回りくどいことをする方が考えにくいよ?」

「危険性を配慮した上でって考えれば……」

「ちょっと貸してください。姉さんの癖なら私の方が見抜けます」

 

 手紙を強奪され、真菰と顔を見合わせる。その間にしのぶはブツブツと呟きながら手紙に目を通し、最後まで目を通してから違う読み方を始めた。視線の動きが独特で、それが何パターンか繰り返される。その間に無限城が大きく揺れるも、三人は動じずにその場に留まった。

 

「……そういうこと」

「どういうこと?」

「姉さんらしいってだけよ」

「さっぱりわからんのだが!?」

 

 しのぶに手紙を押し返され、真菰にも見えるように角度を調整しながら解説を聞く。どういう読み方をすればいいのか教えてもらい、それに従っていくと新たな読み方になる。その読み方から現れる新たな内容を見て、二人ともしのぶの言い分に納得した。それはいかにもカナエらしかった。元花柱としてのカナエらしい。

 手紙を横に起き、誠は真菰の頬へと手を伸ばした。真菰はそれを愛おしそうに受け入れ、誠の手に頬を擦り寄せる。手を重ね、しっとりとした瞳で誠を見つめる。

 

「真菰」

「うん」

「結婚しよう」

「うん」

 

 誠の手を強く握りしめ、その頬にぽたぽたと涙を降らせていく。その言葉をどれだけ待ち望んだことか。その未来をどれだけ夢見たことか。

 

「やっと、未来を語ってくれたね」

 

 涙を溢れさせながら目を細め、震えながらもしっかりとした声を出す。透き通る声が誠の胸の奥まで届き、それが活力となって体に力を戻させる。体を起こし、真菰に向き直って抱きしめた。ずっと待たせていたことを詫びるように。これまでの感謝を、これからのことを伝えるように。

 誠はずっと現在しか語らなかった。受動的に先のことを話すことがあれど、そこに自分を含めない。ましてや、明るい話となればなおさらだ。一度も誠の口からそんな事を聞いたことがなかった。それをようやく語ってくれたことに、真菰の胸はいっぱいになる。喜びが涙となって表される。

 

「誠、大好きだよ」

「ありがとう。俺もだよ真菰──」

 

 その口を塞ぐ。一瞬面食らった誠だったが、目を細めて真菰の髪を撫でた。その心地よさをずっと味わっていたかったが、真菰は少しして口を離した。少し名残惜しそうにしていて、それが誘惑にしか思えなかったものの、それを振り切って誠は傷だらけの体を立ち上がらせた。

 

「誠さん。あなたはもうすでに限界ですよ? 立っているのもやっとの状態で、何をしようというのですか!」

「決まってる。俺は俺の責務を果たす」

「責務? 何の責務ですか」

「柱としての責務だ。俺は会議の場で公言している。誰一人として死んでほしくないと」

「……そうですけど、だからといって……。何ができると言うのよ!」

「できることはある。首を斬っても死なない鬼には足止めをするしかないが、それこそ俺の力が役立つからな」

 

 体の痛みも忘れてしのぶが誠の襟を掴む。素早い行動はしのぶの十八番で、こうやってやられると反応が遅れる。顔を顰めたしのぶが急に目の前に迫り、誠は苦笑いで誤魔化す。

 

「あの鬼の力はおそらく最も強いもの。速さだってそのはず。それについていけないあなたが行っても、無駄に命を落とすだけなのよ」

「考えはある。無策で突っ込もうとは思ってない」

「違う……。それが通用する保証がどこにあるのよ。お願いだから……行かないで……!」

「しのぶ……」

 

 襟を掴むしのぶの手をそっと包み、ゆっくりと手を離させる。しのぶはもう糸が切れていた。童磨を倒し、カナエが目を覚ましたことで、ずっと張り詰めていた糸が切れている。それによって判断も安全策の方に偏っている。別にしのぶの判断はおかしくない。張り合えないのなら、無駄に命を散らすだけになってしまう。カナエに引けを取らない優しさが、このタイミングで表に出てきているだけだ。

 しのぶにそうやって言われることが、なんだか嬉しかった。いつも刺々しかったしのぶに身を案じられる。カナエのことを思っての言動でもあるのだろうが、それでも嬉しくて、だからこそ誠は決意がさらに固まった。

 

「俺は必ず帰るから、みんなと一緒に待っててくれ」

「そんなの──」

「しのぶ」

 

 しのぶの腕に真菰の手が重なる。緩やかに首を振られ、しのぶは歯ぎしりしながら手を下ろした。

 

「帰ってこなかったら、絶対に許さないから」

「肝に銘じとく」

「行ってらっしゃい誠」

「行ってきます」

 

 

 

 部屋を出て適当に走る。先程の大きな振動のせいか、城が完全に崩れていた。ほとんど瓦礫の山と化していて、抜け穴を見つけてそこから抜け出す。その際に天元から譲ってもらった爆薬を使い、その穴を拡大させている。隠を見つけ出してその穴のことを話し、しのぶと真菰を任せる。ついでに他の隊員もいたら万々歳だ。

 

「土佐右衛門!」

「ヤット来タカ!」

「状況は?」

「ヨクナイナ」

 

 土佐右衛門から話を聞きながら戦場へと向かう。その道中で炭治郎のことを聞き、戦闘音を耳にしながらも炭治郎を優先した。炭治郎が避難させられている場所を見つけ、そこで処置している隊員たちを退かせる。

 

「おい貴様!」

「お前が珠世さんとこの小僧か。注射器を寄越せ」

「は? ……っ! そういうことか。いいだろう」

「どういうこと!? 泰富さん何しようとしてるんですか!?」

「炭治郎の治療だ。村田。周りのやつを連れて他の怪我人を探し出せ。蝶屋敷に連れていけばまともな治療は受けられる。その準備もしてあるはずだ」

「ですが」

「急げ!」

「は、はい!」

 

 隊員たちを他の場所に向かわせ、その間に注射器で血を抜かせる。その血を炭治郎に入れさせたわけだが、はっきり言ってどこまで効力が通用するか分からない。言ってしまえば誠の鬼としての力は底辺だ。無惨の力は当然最上である。焼け石に水と言ってもいい具合だ。

 炭治郎の様子の変化を待たずして誠は戦場へ向かおうとするも、後ろで立ち上がる気配を感じた。振り返ると炭治郎が立ち上がっていて、その目は闘志に燃えている。

 

「戦う気か? 炭治郎」

「当然です。あの鬼はもう生きてちゃいけない」

「……なら、少し俺に付き合ってもらう。と言っても、好きに動けって話なんだけどな」

「?」

「お前を利用するってだけだ。行くぞ」

 

 炭治郎を連れて無惨の方に走る。今はもう炭治郎の方が強く、誠は合わせて走る必要はないとして炭治郎を先に行かせた。地上を直線的に走る炭治郎に対して、誠は屋根の上へと移動してから走る。明らかなタイムロスだが、総合的に見てその方がいいのだ。

 

「ホラ。届ケモノヨ」

「助かる」

 

 刀をぶら下げて全速で飛んできた鴉からそれを受け取る。真菰の鴉がその刀を運べてきたのは、カナエの手紙のおかげである。カナエは自分の鴉には誠宛ての手紙を持たせ、真菰の鴉には鉄心宛ての手紙を書いたのだ。内容はただ一つ。誠のために最高の刀を一本鍛えてほしい。それだけだ。

 誠の手紙には暗号としてその事が書かれ、最後には『帰ってくるのを待ってる』と締められていた。使っていた利永の刀は真菰の鴉に渡し、新たな刀を持って無惨の下へと走っていく。すぐに戦場は見え、愈史郎からもらった札を額につける。それで他の隠れているカナヲたちも見え、その配置を確認できた。炭治郎もまだそこに間に合っていない。

 

(この距離から……やるしかないか)

 

──(そら)の呼吸 肆ノ型 風花(かざばな)

 

 その直後、耳をつんざく程の轟音が周辺一帯に響いた。無惨の周りを囲いながら戦っていた柱たちが四方八方に吹き飛ばされている。姿を隠していた善逸や伊之助も飛ばされ、カナヲもまた深手を負った。だが、誰一人として致命傷を負ってはいなかった。柱たちは飛ばされたことによる負傷はあれど、管自体からは負傷していない。

 

(なぜだ。何者の仕業だ)

 

 誠の姿が見えない無惨には何をされたのか分からなかった。いや、見えていたとしても分からなかったかもしれない。そこに確証を持てなかったからこそ、誠は愈史郎の力を借りたのだ。それでも、想定より離れていた距離で成功させたことには、誠も内心でヒヤヒヤしているものだ。

 カナヲを隠に預けた炭治郎が無惨と交戦を始める。先程の一撃を受けた者たちは、致命傷こそ避けたものの、脳震盪でその場から動けなくなっていた。

 

 その環境が誠にとって隠れ蓑だった。

 

 他の隊員は動けない。あのタイミングで炭治郎が現れれば、炭治郎が何かしたと考える。そうでなくとも、体に入れられた毒が関係していると疑う。誠はしのぶから毒のことを聞いていた。誠が仕掛けることを隠すのには十分だ。

 炭治郎の舞いが一旦途切れさせられる。その瞬間、無惨の意識は炭治郎だけに集中した。だからその瞬間に誠は無惨との距離を詰めた。体を隠す札ももう必要ない。

 

「っ! またその術か!」

「もう遅い」

「遅いのは貴様だ! ……!? なんだ……どうなっている」

「心臓と脳が複数あるんだってな。それが常に体の中を動いている。はっ! そんなもの止めればいい!」

「何をした貴様!!」

「教えるわけがない」

 

 無惨の脳天に刀を突き立てる。そこで無惨はようやく気づいた。移動を止められていた脳と心臓がすでに刺されていることに。そして、再生が極端に遅くなっていることに。体もろくに動かせない。唯一動くのは首から上だけだ。

 

「なぁ無惨。胡蝶の夢って言葉を知ってるか?」

「なにを言って──」

一緒に夜明けを拝もうぜ(お前はここで死んでくれ)

 

 

──(そら)の呼吸 終ノ型 風光る初茜

 

 

 


 

 

 

 その夜は雲一つなかった。空に瞬く星星を隠すものなどなく、月明かりが万人に降り注いでいた。異国から入ってきたものの中に、星座というものがある。神話を元にしたそれは、この日本でも親しまれ、夜空に浮かぶ無数の星星を指でなぞって星座を見つけ出す。新たな星座を作り出すこともあれば、それで議論してみたり。夜は外に出歩かないように注意されることもあるが、その内容に鬼という言葉は出にくくなった。

 一人野原に体を預け、満天の夜空を楽しんでいた。こうして過ごすことが日々当たり前のものになっているという実感は、どうにも湧きにくかったのだが、なかなかどうして満足行くまで夜空を楽しむことができている。

 

 その者の記憶は薄く、どうにも本当にそれが自分のものなのか確信を抱けない。ただ、その記憶の中に出てくる人たちを大切に思うことができ、さらに愛おしく思える人もいるのだから、たぶん合ってるのだろうと漠然と考えている。

 

「あ~! こんなところにいた!」

「迷子にしては長かったというか、少し遠くまで来たのね」

「まぁ、こういう場所だろうなぁとは思ってたけど」

 

 二人の女性が話しながら近づいてくる。一人は懐かしそうに周囲を見渡し、もう一人は何か感心したように視線を移していた。彼らが住んでいる屋敷からそう遠くない場所で、かつて姉妹と共に来たことがある場所だった。

 

「まだ本調子じゃないのに抜け出しちゃ駄目じゃん」

「しのぶがまた怒るわね~」

「それは嫌だな」

「誠の自業自得でしょ。ほら、帰るよ。治ってから一緒に来よ?」

「その時はみんなで来ましょうか」

「それもいいな」

 

 真菰に手を差し伸べられる。上体を起こした誠は二人を見上げる形となり、その背には輝かしい空が映っている。

 

 それでも二人はその空に負けないほど眩しいもので、誠は月夜に輝くその光に手を伸ばした。

 

 




 これにて完結です。最後まで読んでいただいた方々ありがとうございます!

 「戦闘描写書きたいなぁ」という思いだけで始まった作品。書きながら反省点がいっぱいだなぁって。今後に活かしたいですね。

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