使い魔少女HOMURA★ほむら ~だが、誰が救い手を救うのか?~(完結) 作:曇天紫苑
淫乱ピンクが登場します。青年誌のレベルのエロ描写なので、R-15で留まっていると思われます。
「うーん、楽しかった!」
クレープを片手に、もう片方の手にほむらちゃんを持ちながら、私は見覚えの有る土手を歩いていた。
いつも使っている通学路だけど、私の知っている場所とは少し違って、知らない橋が幾つか架かっていたり、側に建物が出来たりと、二十年という歳月を感じさせるくらいには変わっている。つい昨日まで歩いていた場所が、今は似た別物に変わっていると思うと、何だか変な気分になる。
夜空はすっかり深くなって、普段ならそろそろ寝る時間だ。それでも、ほむらちゃんが側に居るからか、疲れる事は無いけれど。
「このクレープ、とっても美味しいね」
「あそこのお店は見滝原で一番だって、杏子が言っていたわ。中学三年の頃だったかしら」
「じゃあ、私の世界でも来年にはオープンするんだね。楽しみだなぁ」
新しく出来たショッピングセンターの近くに有ったクレープ屋さんの有る建物は、私も見覚えが有った。来年に出来るなら、みんなで行ってみようかと思う。
ほむらちゃんも同じクレープを食べている。中に入ったお菓子がサクサクという美味しそうな音を立てている。それから私の顔色を伺っていて、見つめられるとなんだか照れてしまう。
「今日は楽しかったかしら」
「うんっ。もう、満喫しちゃったよ」
「そう。良かった」
お世辞なんかじゃなく、本当に楽しかった。ほむらちゃんはずっと私を楽しませようと頑張ってくれたし、私もそれに応えて全力で遊び回った。
ちょっと振り回してしまった気もするけど、そうする事でほむらちゃんが嬉しそうにしてくれるのが分かったから、遠慮はしなかった。
……それにしたって、ちょっとやり過ぎたかなと思う時は有ったけど、そんな私を見て「ずっと昔を思い出すわ。私がまだ、魔法少女になる前の光景を」と言って楽しんでくれたから、気にしないでおこう。
「ありがとう、ほむらちゃん。ほんとに楽しかったし、丁寧に案内してくれたもんね、凄く嬉しい」
「私こそ、久しぶりにまどかに頼られて、本当に幸せ一杯になって、ふふ、私はまだまだ子供ね」
「むー、ほむらちゃんが子供なら、わたしも子供になっちゃうよ」
「あらあら? まどかは子供でしょう?」
「そんな事無いもん」
「拗ねないの、私と比べたら、まどかは娘くらいの年齢じゃない」
「……それは、まあ、そうだけど……何だか、悔しい様な。わたしの本来の……概念としての歳を入れればもっと……」
「概念は年齢なんて無いでしょう」
言い切られて、反論できなかった。過去と未来の全てに等しく存在するんだから、歳なんて無いに決まってる。口を閉ざした私へ、ほむらちゃんのクスクスという笑い声が向けられる。
こんな会話を楽しんでいるんだろう。当たり前の様に、日常会話をするのが嬉しい。そんな風に思っているんだと思う。
「さあ、どうにかして貴女が帰る方法を探さないとね」
だからこそ、ほむらちゃんが少し辛そうに口にした言葉が気になってしまった。
「……そうだね」
「少し難しいかもしれないけれど、協力は惜しまないわ」
ほむらちゃんの握られた手が何かを堪える様に震えるのが分かる。離れたくないんだ、我慢して、感情を殺してはいるけれど、私の目なら読み取れる。
実際には流れていなくとも、その瞳はきっと涙を溜めているし、本当は私に抱きついて、ずっと一緒に居たいんだ。
それでも私の事を思って、ほむらちゃんはそう言ってくれる。どうしようもなく切ないけど、ここで私が何を言ったとしても、きっと彼女は泣いてしまうと思う。
だから、何も言えない。
悔しかった。この世界のほむらちゃんはまだ救われていない。『誰が救済者を救うのか』。彼女と『私』も、お互いを救い合える関係になれば、それはきっと素晴らしい事だと思うけど。
「まどか」
「っ……どうしたの?」
「考え事でもしていたのかしら。邪魔をしてしまったわね」
「ううん、そんな事無いよ」
黙り込んでしまったから、ほむらちゃんを心配させたみたいだ。内心で強く反省し、一口残っていたクレープを食べ終えて、甘いクリームを味わいながら意識を切り替える。
今の私は、ほむらちゃんと楽しく遊んでいる『鹿目まどか』。円環の理じゃない。目の前に居る彼女の心を少しでも助けたいのなら、このまま、普通に一緒に居るのが一番だ。
「ほむらちゃんのお家って、どんな感じなの?」
「そうね……普通よ。中学の時から住んでいた所のままだから、それほど変わってはいないと思うわ」
「じゃあ、あの凄い部屋も?」
「あれはワルプルギスの夜の資料を並べる為に作った場所だから、今の私には必要無いわね」
「そうなんだ」
「ええ……」
何度も繰り返してきた日々を語る口調すら、懐かしそうだった。あんな辛い思いも、今となっては良い思い出になってしまったのかもしれない。
そんな表情に対して何を言えば良いのかが少し分からなくなって、考えてしまう。きっと正解は無い。けど、ほむらちゃんが私を求めている事は、これまでの数時間でよくよく伝わってきた。
さて、どうしよう。私なりに、ほむらちゃんへやってあげられる事は無いかと考えてみる。例えば、この世界の円環に干渉するとか……そういうのは、どうだろう?
「あの、暁美さん?」
私達の背中に、声を掛ける人が居た。男の人の声だ。パパの声に近い雰囲気が有るから、多分、私より年上だと思う。
ほむらちゃんと私が振り返ったのは、殆ど同時だった。それはそれは息の合った動きに内心で多少の喜びを覚えながら、そこに居た男の人の顔を見る。
どこかで見た気がする顔付きをした人だった。垂れ目気味で穏やかそうな目元からは優しさが感じられて、朗らかな笑みを作った口は、人好きのする雰囲気を現している。茶髪……というより、栗色の髪を短めに揃えていて、『優しそうなお兄さん』という表現が凄く似合う気がした。
「お久しぶりです、暁美さんっ!」
「ええ、久しぶりね。仕事、上手く行っているのかしら」
「はい、お陰様で」
「そう? 出来たら困り果てて私に泣きついてくれると、とっても嬉しいんだけれど」
「ははは……相変わらずですね、暁美さん」
「ほむらと呼んでくれても良いのに……何ならほむらちゃんでも良いのよ? 昔はそう呼んでくれたのに……」
「それ、小学生くらいの頃の話じゃないですか」
男の人とほむらちゃんが会話を始める。見かけは男の人が年上に見えるけど、本当は逆だからか、男の人の口調は丁寧な物だった。
スーツを着ているから会社員さんだと分かっていた。中学生の私にはまだ遠い話に聞こえる物だけど、それくらいは分かる。
それに、男の人の顔には何となく覚えが有る。知り合いにこんな栗色の髪をした男の子は居なかったのに、どこかで見た様な。いやむしろ、毎日顔を合わせている様な。
少なくとも、クラスの人じゃないのは確かだった。だって、この世界は二十年後で……二十年後?
そうだ。この世界は私が住んでいた頃から二十年先に有るんだった。だったら、このパパに似てる感じの人は……
「……タツヤ?」
小さく呟いた言葉だからか、幸い男の人……タツヤには聞こえなかったらしい。
ほむらちゃんは聞き取ったのか、僅かに私の手を握る力を強める。ちょっと不味かったかもしれない。この世界には、鹿目まどかは居ないから。
一通りほむらちゃんに挨拶をして、それから初めてタツヤは私の方へ顔を向ける。優しげな微笑を見ていると、やっぱりパパを思い出す。
「ところで、そちらの子は?」
「この子は私の親戚よ、暁美まどか、って言うの。まどか? この人は鹿目タツヤ……貴女の弟よ」
「……気づいてたよ」
最後に耳元で囁かれた内容より、ほむらちゃんの衝撃的な発言に心が向かう。
あ、暁美まどか……凄く良い響き。でも、私としては鹿目ほむらの方も素敵だと思う……それが夫婦なのか、姉妹としてなのかは別として。
「まどか?」
「あっ……よ、よろしくお願いします!」
ほむらちゃんの言葉で慌てて意識を現実に戻して、しっかり挨拶をする。幾ら相手が弟だからって、この世界では年上なんだ。ちゃんとした格好を取らなきゃいけないと思った。
そんな対応が良かったのか、タツヤは年上のお兄さんとして安心させる様な微笑みを私に見せて、頭を小さく下げてくれた。
「よろしくね、暁美まどかさん。それにしても、まどか……かぁ」
タツヤが、まどか、まどかと口の中で繰り返している。何か記憶の端に引っかかる物でも有るのかもしれない。実際に、私の事を覚えていたから。
何となく口を挟めなくなって、そのまま記憶を掘り起こしている姿を眺める。けれど、やっぱり何も出てこなかったんだろう。諦めた様に息を吐いて、私の姿を見つめる。
「……」
「何だか……懐かしい名前ですね」
やっぱり、何か心に響く物が有ったんだ。タツヤは、魔法少女になんかならなくたって人間の感情が宇宙の法則を越える事を証明してくれた。
そんな私の嬉しそうな態度の意味が分からなかったのか、困惑した顔をしている。パパに似ているからか、顔色が変わるのがすぐに分かる。
「そうかしら。どこかで私が話したのかもしれないわね」
「かも、しれませんね。それにしても……」
私とほむらちゃんの姿を交互に見つめて、タツヤは少しだけ目を細める。
「暁美さんと仲が良いんですね。ビックリしましたよ、娘さんが居たのかと……あの、違いますよね?」タツヤが、酷く不安そうに尋ねかける。
「違うわ。大体、似てないでしょう? 東京から遊びに来た親戚の子なのよ」
「あ、ああ。そうでしたね。そっか……」何を言ってるんだ、という雰囲気の返事を聞いて、タツヤは小さく微笑んだ。
それまでの優しげな雰囲気とは違う、安心した事で浮かんだ笑みだ。どうしてそんな顔色をするのかを考えながら、二人の姿を見比べる。
一見すればタツヤの方が年上だけど、大人っぽい……悪く言えば気だるそうなほむらちゃんの雰囲気を感じ取ると、二人の実際の関係は誰だって分かると思う。それでも外見の特徴から言って、同い年か近い歳に見えるだろう。
それでもタツヤは丁寧に接している様子で、もっとフレンドリーにすればほむらちゃんも喜ぶんじゃないかと思う。
私の思いを読み取れる人はこの場に居ない。だから、タツヤは私の変化に気づかずほむらちゃんに小さな口を開いては閉じている。何かを言おうとして、止めている。
やがて決心したのか、相手の発言を待っていたほむらちゃんへ向かって、小さな声で話しかけた。
「暁美さんは、その……」
「?」
「あ、いえ……なんでも」
歯切れの悪い口調だった。その中にとてつもない熱意が有るのは、きっと気のせいじゃない。私だって覚えが有る。
ああ、分かった。分かってしまった。この世界のタツヤが、ほむらちゃんをどう思っているのか。
これは……恋だ。この世界のタツヤは、ほむらちゃんに恋をしてしまったらしい。この態度は、きっと照れ隠しなんだ。
大変な事だった。ほむらちゃんの態度を見た限り、タツヤを『大切な人の弟』として、『二十年間成長を見守ってきた弟の様な存在』として扱っていて、異性としては意識していないだろうから。
その原因が私なんだから、もう何て言って良いのか分からない。でも、一つ姉として手助けをしてあげたいと思う。
「ね、ほむらちゃんは、恋人とか居ないんだよね?」
急な質問に、ほむらちゃんは僅かに首を傾げた。やっぱり、タツヤの気持ちには気づいていない。
私の言葉を聞いたタツヤの顔が、不安を見せる。私だって少し不安だった。この返答次第で、弟の恋愛の方向が決まってしまうから。
でも、そんな私達の感情は読み取れていないのか、ほむらちゃんは私の手を握ったまま、ちょっとだけ戸惑いがちに答えを返してくれた。
「ええ、まどか。この歳で独身なのは、変かしら?」
「ううん。でも、こんなに格好いいほむらちゃんに彼氏が居ないなんて、ちょっと驚いちゃった。タ……鹿目さんとはそういう関係じゃないかなーって」
「えっ。あの、何をっ?」
焦った様な声を上げながら、タツヤの表情が期待を帯びるのが読めた。隠しているつもりかもしれないけれど、お姉さんは誤魔化せない。
ほむらちゃんの顔を見つめて、真剣に答えてくれる様にする。
私の顔が本気なのを分かってくれたのか、ほむらちゃんも表情を改めて、しっかりとした様子になってくれた。
「どうかな?」
「……まあ、そうね。悪い気はしないわ。少なくとも他の人よりはね」
「そうなんだ……ふふっ」
良い感じの返事を聞いて、タツヤに小さくウインクをして見せる。
一瞬だけ呆気に取られた様な顔をしたけど、すぐ嬉しそうに頷いてくれた。
私の質問だから、ほむらちゃんは素直に答えてくれる。ここで『あり得ない』とか『この子は私の弟分よ』なんて言われたらどうしようと思ったけど、幸い、ちゃんとした返答だった。
……あれ、ほむらちゃん。むしろタツヤの事、好きなんじゃないかな……?
深い部分は読み取れないけど、何となくそう思う。口調や態度は巧妙に隠されてはいるけれど、注意深く見れば感じ取る事ができた。
恋愛感情かどうかは別としても、ほむらちゃんが十分に相手を大切な人だと思っているのは間違いない。
じゃあ……相思相愛……? なのに、どうしてこんなにほむらちゃんの目が……タツヤを、怖がってるの?
どうして、二人の心の距離はこんなにも遠く見えるんだろう。タツヤが照れているにせよ、ほむらちゃんが避けているにしたって、何だか変な感じがする。
特に、ほむらちゃんは一線を引いている気がした。とても仲良くするけれど、一番肝心な部分には踏み入らせない。そんな風な態度で。
「そ、それじゃ、僕はまだ仕事が有るので」
タツヤは、照れた風に頭を下げた。きっと、私達を見つけて話しかけただけで、まだやる事は残ってるんだ。
「新人は大変そうね」
「……あはは、大変でも、母さんみたいな立派な人になりたいですから」
「ええ。貴方の母親みたいになるのは大変でしょうけど、頑張って」
口元に優しげな笑みを浮かべる所は、ほむらちゃんを普段の三倍魅力的に思わせてくれる。これならタツヤが惚れても仕方ない。
うん、タツヤがほむらちゃんを好きになるのは当然かもしれない。
二人の雰囲気を見た感じだと、ほむらちゃんはこの二十年間ずっと、タツヤを守って、助けてきたんだと思う。年上の、自分を何時だって助けてくれるお姉さん。好きになっちゃっうのも当たり前だ。
……それが例え『鹿目まどかの代わり』だとしても、ほむらちゃんがタツヤを大切な人の枠に入れているのは間違い無いから。
「暁美さんをお願いします。これで寂しがり屋なんですよ、この人」
タツヤが私に向かって頭を下げてきた。
年上の人に頭を下げられると、何だか居心地が悪くなってしまう。慌てて返事をする前に、ほむらちゃんが呆れた様な笑い声をあげていた。
「もう、三十代の女に寂しがり屋なんて」
「いえ、暁美さんが高校生だった頃、酷く泣いている貴女を見ていて……子供心に、凄く心配したんですよ」
目元を下げて、悲しそうな顔をしている。
ハッとした。誰かを心配する時の自分の表情は『円環の理』として見た事が有ったけど、タツヤが今見せている顔にそっくりだったんだ。
心配そうな自分に似た顔というのは、ちょっと見ていて辛かった。
「……そう。心配して貰えるだけ、私は幸せ者ね」
ほむらちゃんも気づいたのか、一瞬だけ息を呑んで、私の存在を確かめる様に手を強く握った。前に掴まれた時程は痛くないけど、あの時よりずっと緊張する。
「あの、大丈夫ですよ。ほむらちゃんは、わたしが見てますから」
この世界には違ったとしても、姉としてタツヤには安心して欲しかった。
私の言葉は届いてくれたらしく、タツヤは私の顔をじっと見つめたかと思うと、大きく息を吐く。
「そうしてくれると助かるよ。まどかさんって、暁美さんと凄く仲良しに見えますから」
私を信じてくれたみたいだ。それはまあ、ほむらちゃんと手を繋いだまま離していないんだから、そう思うかな。
タツヤは私に近づいてきて、軽く手を差し出してきた。
「握手をしないかな、暁美さんを任せる為に」
「……人を何だと思っているのかしら」
「えへへ。ほむらちゃんだからね」
握手がしたいのが伝わってきたから、私も空いている手を出して、握る。
それから私の側へと身を寄せて、耳の近くへ近づいた。
「ほむらちゃんを頼んだよ、ねーちゃん」
「えっ?」
「頼んだよ」
握った腕を大きく振って、にっこり笑う。
それは、私の知っているタツヤの笑顔にそっくりで、改めて、この人は私の弟なんだと思わせてくれた。
「それじゃ!」
手を振りながら、タツヤが去っていく。
私の事を『ねーちゃん』と、あのいつもの呼び方を使って、そのまま消えていった。驚いて固まった私に笑いかける所には、お姉ちゃんへの親愛が篭もっている様な気がした。
+
去っていくタツヤの背中は、私よりずっと大人だった。
当然かな、あの子は私より年上だから。
ぼんやりと考えながら、頭の中で『ねーちゃん』を何度も繰り返す。覚えていない筈の事を覚えていた。そうなのかもしれない。
多分、はっきりと覚えている訳じゃないんだと思う。普通の人だって、あんな小さい頃の記憶は殆ど残っていないだろうから。
それでも、私の事を覚えていてくれた。世界が書き換えられようと、覚えていてくれたんだ。その『鹿目まどか』が私じゃなくたって、とっても嬉しい。
「まどか」
「ん?」
タツヤの姿が完全に見えなくなると、ほむらちゃんは私を呼んで、手を握る力を緩める。手汗が出ているけど、私達は魔法少女だから、このくらいなら消せる。
「ごめんなさい。その……貴女には、辛い出会いになってしまったかもしれないわ」
「ううん、そんな事無いよ。むしろ、成長したタツヤの顔が見れて、将来が楽しみになってきちゃった」
だから、何も心配は要らないんだ。伝えたい気持ちは言葉に出す。そうしないと、どこかですれ違ってしまうから。
「そう。なら良かった。さ、家に……私の家に行きましょう」
私が本当に傷ついていないのを確認して、ほむらちゃんは安心した様子になった。
それから、さっきまで話していた予定通りに自分の家へ向かって歩き出す。
何も聞いてこない。タツヤが私に言った事は、魔法少女の耳なら聞こえた筈なのに。まるで、幻が消えてしまうのを怖がるみたいに、口を閉ざしている。
「ほむらちゃん……」
「……ふぅ。ん、どうしたの?」
私が話しかけると、彼女は大きく息を吐いて纏う雰囲気を切り替えた。さっきまでの態度が嘘みたいに、とっても明るく楽しそうに。
「何だか疲れちゃったね」
「そうね、私も少し……家に来たら、とりあえず……お風呂に入ったらどうかしら」
「一緒に入るのは、駄目?」
「……ええ、駄目よ。先に入って。でないと、私が狼さんになってしまうかも」
小悪魔みたいな悪戯っぽい笑みを見せてくれた。年上だから失礼かもしれないけど、凄くかわいい。
それでも、彼女が震えている様に見えたのは気のせいじゃないと思う。どんなに取り繕って空元気を見せたって、分かってしまう
目の前のほむらちゃんにはさやかちゃん達だって、タツヤだって居る。きっと、他にも沢山の友達や家族が居る。
なのに、彼女は何かに怯える様に震えていた。タツヤと会ってから、それは余計に酷くなった。
どうしたら、この世界のほむらちゃんは私を感じてくれるんだろう。元気になって、幸せを見せて欲しい。どうやったら、この寂しそうな顔を暖かさで一杯に出来るんだろう。
思い切り身体を寄せて、恋人同士がするみたいに腕をくっつける。ほむらちゃんは嬉しそうに笑ってくれたけど、どこか辛そうな色は拭えなかった。
むしろ、さっきからどんどん酷くなっている様な気がして、仕方が無かった。
+
私、鹿目まどかは今、バスタブに浸かって、大きく息を吐いている。
お湯がしっかり溜められたお風呂の中は暖かくて、疲れや悩みを少しだけ癒してくれる。
そう、少しだけ。何も解決していないんだから当然かもしれないけれど、肩の辺りに感じる重さは全然取れていない。
結局、家に着くまで何も聞けなかった。
ほむらちゃんの家は飾りが殆ど無くて、家具とベッドが有るだけの凄くシンプルな部屋だった。
暗めの色が好きなのか、どの家具も明るい雰囲気が無くて、何だかほむらちゃんの気持ちを表現しているみたいで、見ていて辛かった。
『何もなくないよ、ほむらちゃんが居るよ』と言えたら、どんなに良かっただろう。
このお風呂だって清潔にはしているけれど、可愛らしさは無い。シャンプーも『わたしのほむらちゃん』が使っていた物と同じで、二十年間何も変わっていないのが分かる。
「……ふぅっ……」
もう一回、深く息を吐いた。
疲れは何となく取れていくけど、どうするのかを考える気持ちの方が強い。色々と考えているから、落ち着けない。
どうしたら、あのほむらちゃんは幸せになれるんだろう。そもそも、何がほむらちゃんをあそこまで追い詰めているのかが分からないし、私が何をしてあげられるのかも難しい。
手を繋いだり一緒に遊んだり、それだけじゃ駄目なんだ。話をしたり、仲良くするだけじゃ駄目。だったらお互いの気持ちを話すのも良いかと思うけど、あのほむらちゃんは結構頑なで、中々心を吐き出してくれない。
だったら、もっと、直接的に……
「な、なに考えてるんだろう、わたし」
大きく首を振って、頭に出てきたピンク色の光景を見なかった事にする。
あの円環の集合体があんまり凄かったから、『そっち』に気持ちが行ってしまうのかも。
これじゃいけない。
体育座りになって、チャプンと音を立て、口の辺りまでお湯に浸かる。入浴剤の良い香りがするけど、ほむらちゃんの香りがしないのが少し残念……じゃなくて、どれだけ良い香りでも、心は落ち着いてくれない。
ほむらちゃん、一緒に入れば良かったのに。
素直にそう思う。でも、どれだけ言ってもほむらちゃんは首を振って、その度に、怖がっている雰囲気は強まっていった。私じゃなくて、自分自身を怖がっている様子が。
どうして自分を怖がっているのかは分からない。でも、無理強いは出来ないから、結局私は一人で入っている。
髪や身体を洗い合ったり、そういうのは『わたしのほむらちゃん』とやった事が有る。とっても楽しかったし、狭い場所に二人、しかも裸で一緒に居るのは本当に親密になった証みたいで、嬉しかったんだ。
「だったら、ここに居たって、しょうがないよね」
うん。一人で入っていても仕方が無い。ちゃんと身体は綺麗にしているし、暖まった。だったら、早く出てほむらちゃんと話さないと。
ちょっとした名残惜しさを感じつつ、バスタブで立ち上がる。お風呂場は保温が効いているから、寒くなったりはしない。
そのままお風呂場から出ると、そこは洗面所と繋がっていて、私の制服は隅に纏めてあった。
自分の身体から立ち上る湯気を振り切る様に、掛けてあったタオルを手に取る。
とりあえず、頭を軽くタオルで拭いて、身体にはバスタオルを巻く。少し大きめになってしまうけど、服はほむらちゃんのを借りる。
「……あれ?」
ほむらちゃんなら、私が出る前に服を置いてくれると思っていたけど、何も無かった。
少し、変だ。勿論気を遣わせるのは嫌だけど、でも、何だか変だ。
もしかすると、ちょっとお風呂に居る時間が長くて、寝ちゃったのかも。ほむらちゃんだって疲れているんだから、気配りが足りなかった。
もし寝ているのなら、そっとしておこう。そう思いながら、ベッドの有る部屋へ向かう。
部屋に入って、すぐにほむらちゃんの姿を見つける。
彼女はベッドの上に座っていて、下着姿だった。紫色で簡単な作りのブラが目に入る。フロントホックみたいだ。白くて綺麗な身体が目に入って、私の中に潜む何かが揺れる。
いけない。視線を逸らして、声をかける。
「ほむらちゃん、次、入って?」
「……」
無言だった。私の声は聞こえている筈なのに、カーテンの方を見たまま固まって動かない。傷一つ無い肌も相まって、まるで人形みたいだった。
無感情に近い表情で、瞳だって何の色も宿していない。凄く心配になってきた。
近づいてみると、眼球だけが動いて私の姿を捉える。黒目が私を見た時、言い様の無い不安感がやってくる。
「……どうしたの?」
よく見れば、身体が震えている。
何かを堪えている事は分かるけど、その奥までは読めない。言葉でしっかりと相談して欲しくなって、出来る限り優しく見える様に微笑みかける。
「えっと……我慢しないで、何でもわたしに言って?」
「まどかっ!!」
その瞬間、ほむらちゃんは今まで耐えていた物を解放した。
腕を掴まれて、思い切り引っ張られる。体勢を崩した私はあっさりとベッドに倒れ込んで、その上にほむらちゃんが乗る。
「う、うわっ!?」
ベッドに押し倒されるのと同時に、両腕を掴まれて押さえ込まれた。抵抗できない様に足を絡められて、全身のバスタオルだけが私の身体を隠していた。
下着姿のほむらちゃんが目の前に居て、私の上に乗っている。魔法で強化した力で私の身動きが取れない状態にして、口元に異様な笑みを浮かべ、涙を流す。
泣きながら、ほむらちゃんは私の首筋に口を近づけて、頬にキスをした。押しつける様に、私の意志を無視して。
私が声を出すより早く、ほむらちゃんは顔を上げていた。ボロボロに泣いたまま、暗い悦びに満たされた表情を見せてくれる。
「まどか」
「ほ、ほむらちゃん。何を?」
「ごめんなさい。もう、我慢できないの。ひどい事をしてるって自覚は有るけど、抑えられないから」
それだけ言うと、ほむらちゃんは額にキスをして、頬を擦り寄せた。スリスリと、私の存在を確認する様な丁寧さで、でも私の言葉は何も聞いてない。
その手が、私のバスタオルへ伸びる。
「あなたの全てが見たいの……少しでも、あなたを感じられる様に……」
きっと、私を裸にするんだ。それから何をされるのかなんて、中学生の私にだって分かる。
『そういう事』なんだ。そんな経験は無いから、自然と身体が強ばってしまう。
「まどっ……!?」
バスタオルの端を掴んだ瞬間、ほむらちゃんの顔が一気に青ざめた。指先は震えて、口元はどうしようもない苦しみを現していたんだ。
瞳の中に映る私の顔は……はっきりと怯えていた。泣きそうな表情で、震えていたんだ。言葉に出さなくたって、それは分かりやすい『拒絶』の証として、心を抉ったんだろう。
痙攣かと思うくらい震えると、ほむらちゃんは私のバスタオルから手を離す。
少しだけ身体を持ち上げて、決して私とは目を合わさずに口を開いた。
「ごめんなさい……軽蔑してくれても良い、逃げて。お願いだから、これ以上、私の前に立たないで……自分が抑えられなくなる。誓った事も全部忘れてしまいそう……それが怖くて、怖くて……」
言い終わるより早く、ほむらちゃんはさっきまでとは違う様子で泣き出してしまった。
下着姿のまま自分の胸元に手を置いて、辛そうにしている。このほむらちゃんが私に抱く想いが『そういう物』だとは思っていなかったから、驚いてしまう。
けど、私に何が出来るのか。何をしてあげられるのか。今の行動を見て、それがやっと分かった。
恥ずかしいけど。
「ううん。ほむらちゃんなら……いいよ」
解放された手を広げ、いつでもほむらちゃんを抱き締められる様に待ち構える。服を着てない事なんてどうでも良かった。恥ずかしいけど、見られたって良いと思う。
怖い気持ちも有ったけど、それ以上に嬉しい。やっと、してあげられる事を見つけた。
……それでも、上手く出来るかは不安だった。途中で泣いたり痛がったりしたら、きっとほむらちゃんを酷く傷つける。最悪のトラウマを植え付けてしまったら、きっと私は死んでしまいたくなる。
そんな状態をひっくり返す手段として、私には一つの秘密の技が有った。気は進まないけど、要するに『神降ろし』だ。
自分には出来ない事を、私より上の存在にやって貰う。
今の自分は円環に繋がらないと分かっているけど、そんな無理は知らない。
すっごく、凄く、すごーく気が進まないけど!! でも、私は、『私はほむらちゃんの笑顔の為ならなんだって出来る』と言ったから!!!
そうと決まればすぐに動く。ほむらちゃんが何かをするより早く、自分の存在を元々の『円環の理』へと繋げる。
少し時間が掛かると思ったけど、誰かが仲介してくれる様な感触と共に、あっさりと成功した。
私の中で、何かが繋がる。何か、広大な存在の精神性を得て、恥という物の無い……『ほむらちゃん限定アルティメット淫乱ピンクな円環の理の集合体』を呼び出す。
え、えへへ。えへへ。下着姿のほむらちゃん、すっっごくいい……
普段はちょっとした恋愛感情になるだけの気持ちが、あの存在と精神を繋げる事で一気に強くなる。今すぐ襲いたくなる感情を、私自身が抱くほむらちゃんへの絶対的な気持ちで押さえつける。
腕を広げて待っているのに、ほむらちゃんは私の姿を見て必死に耐えている。優しいなぁ、本当に優しくて、だからこそ、私がリードしてあげたい。
ほむらちゃんが出来ないなら……わ、わたしがっ!
「ほむらちゃん!!」
「え、まどっキャッ!?」
同じ様に腕を掴んで引っ張り、一気に自分の身体を起こす。その勢いでほむらちゃんをベッドに倒して、逆に、押し倒す。
上から見る姿はやっぱり綺麗で、この肌を私の色に染めたくて仕方が無い。
何が起きているのかよく分からないのか、ほむらちゃんは唖然としたままだった。大丈夫、そうやって戸惑っている間に、準備は済ませてムードもばっちり作っておくから!
「大丈夫。はじめてだけど……優しくするからね」
自分が暴走しているのは承知の上、ちょっとタツヤに悪い気がしたけど、ああっ、気持ちを抑えられる筈が無いよ! 目の前に『暁美ほむら』が居て、私を誘惑してくれて、まな板の上で調理を待っているのに、これを鹿目まどかが無視して良いのか絶対に違う!
ほむらちゃんをそういう意味で食べたい。撫でたい。ギュッてしたい。あれとかこれとか色々したい。スリスリしたい。ちゅっちゅしたい。
この黒い髪に埋もれてみたい。ちょっとだけ成長したこの可愛いおっぱ……胸を触ってみたい。綺麗なお腹を撫で回したい。
バスタオルなんて邪魔だった。ほむらちゃんを全身で感じる為だから、そんなの要らない。
それより、どうしてほむらちゃんは下着姿なんだろう。私の存在を全身で感じて欲しい。だから生まれたままの、裸のほむらちゃんを……ウェヒ、ウェヒヒ……
「え?」
ブラのホックを外した所で、ほむらちゃんはやっと状況を理解して目を白黒させた。
「う、あの。まど……鹿目さ……まどか? 何を……」
「平気だよ、痛くしないから! わたし『はじめて』だけど、『私』はほむらちゃんを気持ち良くするの、慣れてるもん!」
そう。『私』は暁美ほむらの旦那さんでお嫁さん。そういうのも慣れているから、大丈夫。絶対に気持ち良くしてあげるから、安心して欲しい。
けれど、ほむらちゃんはやっぱり戸惑いがちに震えるだけで、ちっとも私に抱かれようとしてくれなかった。
「あの……何を、するの……?」
「え? ……しないの?」
「だ、だから。な、なにを?」
「う……その、えっと。ええと……え、エッチなこと……かな……?」
頭の中はピンク全開だからって、改めて口に出すと恥ずかしい。
でも、手は勝手に動いてほむブラを握り締めている。後はパンツだけ。かわいい、ほむらちゃんかわいい抱き締めたい。
「だ、駄目よ。まどか」
「ううん。わたし、ほむらちゃんとしたいな」
少し抵抗されるのも分かっていた。だけど、大丈夫。こういうのは最初は戸惑ったり、気が進まなかったりする物だから。
ただ、ほむらちゃんの反応はそういうのとは違う気がした。何でだろう。
そう思いつつもパンツを脱がそうとしていると、ほむらちゃんは瞳に涙を溜めながら、大きく首を振っていた。
「そ、そんなこと……そんなわけ……しないよ。しないわよ。そういうのは、えっと……恋人同士、じゃないと……」
「……え? そういう事をしたいんじゃ……」
あ、あれ?
「ち、ちがうわ。そういうのじゃなくて……私はただ、まどかの身体が本物なのか確認したくて……」
……ほむらちゃんの声を聞き、私の中に宿った『円環の理』が、とっても残念そうに消えていく。
てっきり、『そういう事』をされるんだと思って身構えていたけれど、違ったみたいだ。
このほむらちゃんは三十四歳なのに顔を真っ赤にしていて、私よりずっと純心だった。
「そ、そうだったんだ。ごめんね、てっきりそうなんじゃないかって、ほむらちゃんはわたしと、そういう事をしたいんじゃないかな、なんて……本当にごめんね」
「い、いいえ。勘違いされる様な事をした私が悪いの……酷い事をしてしまって……」
自分を責めるほむらちゃんに向かって、首を横に振る。
「ううん。むしろわたしの方が酷いよね」
冷静になると、本当にとんでもない事をしてしまった。何をやっているんだろう、私。危うくほむらちゃんの身体を美味しく食べてしまう所だった。
お互いに殆ど裸になっていて、誰かが見たらどう考えても勘違いされる……ううん、実際にそういう事をしようと思っていたんだから、勘違いじゃないか。
「酷い事しちゃったね。わたし、ほむらちゃんが辛そうにしているのが苦しくて。だから、少しでも幸せになって欲しくて……その」
「私なんかじゃ駄目よっ!」
大声を上げて否定している。顔は赤いままなのに、その表情は真剣そのもので、今まで見せていた震えや怯えがこの時だけは無くなっている。
「まどかは、ちゃんと好きになった人と、そうじゃないと……」
「ううん。ほむらちゃんなら……暁美ほむらなら、いいの。ほむらちゃんの幸せは、わたしの幸せ。わたしの幸せは、きっと、ほむらちゃんの幸せ。だったら、ね?」
だから、私は惜しくない。自分の全部をあげたって良いと思ってるんだから。お互いに幸せになれれば、こんなに素敵な事は無い。
「まどかっ……!」
ほむらちゃんの反応は強烈だった。一度息を呑んだかと思うと、「ごめんなさい」と言って起き上がった私に抱きついてくる。ベッドの上で座りながら、私達は相手の感触を味わう。
ほむらちゃんの素肌は柔らかくて、人肌の暖かさが有った。二人とも上は何も身に着けていないから、このまま肌が溶けて、一つになってしまいそう。
「ごめんなさい」
「ほむらちゃん、どうして謝るの?」
聞いてみると、余計に嗚咽は酷くなった。それでも私の問いかけに答えようと必死になって、何度も言葉にならない息を吐きつつも、声を出してくれる。
「ごめんなさい。でも、こうさせて。ごめんなさい……私が弱いばっかりに、貴女にそんな事を決意させて、ごめんなさい……ごめんなさい……」
「いいんだよ、気にしないで」
「ごめんなさいぃ……」
私に抱きつく姿は、まるで縋る様だった。頭を丁寧に撫でると震えは止まり、より大きな声で泣き出す。
「わたし、ずっとひとりで、それでっ」
「うん、うん……」
「まどか、まどかの居ない世界は、つらくって、それに、みんなみんな、わたしより先にいっちゃって……!」
その言葉を聞いて、私の中に有った沢山の疑問が解けた。それまで隠されていて分からなかった事が、ほむらちゃん自身の口から出てきたんだ。
とても残酷な事実だと思う。ああ、それでも分かった。分かっちゃった。
このほむらちゃんは、とっくに……
「ひとりぼっち、だったんだね」
ほむらちゃんの嘘に、気づけなかった。
きっと最初から尋ねられるのを分かっていて、絶対に気付かれない様に準備していたんだと思う。
それでも、ほむらちゃんの気持ちを読み切れなかった自分を怒りたくなった。
+
やっとほむらちゃんが落ち着いてくれたのは、それから三十分くらい経った後の事だった。
私達はベッドに座り込み、対面した状態になっている。涙の痕は今もほむらちゃんの目元に残っていて、瞳は充血していた。
それでも普段通りの微笑みを、弱々しく浮かべている。
「……最初は、さやかだった」
独り言の様に声を出して、俯いている。
その孤独な姿を少しでも慰めたくて、膝に置かれた手を握る。そうすると、彼女はゆっくりと私の顔を見つめて、「ありがとう」と口にした。
「次は杏子、さやかが消えてから、彼女は少しずつ弱っていって、最後には、倒れた」
遠い目をして、過去を思い出しているんだろう。昔失った仲間の姿を心に浮かべているんだ。
「最後に、マミ。杏子とさやかを失って、彼女もまた戦う気力を無くしていって……私を庇って、死んでしまった。私だけが、取り残された」
深く深く息を吐き出し、私の差し出した手を自分の頬へ持っていく。仄かに残った涙が、私の手を少しだけ濡らす。
他のみんなが生きているなんて、私を傷つけない為の嘘だった。本当は、ほむらちゃんを置いて全員居なくなってしまったんだ。
「それが高校生の時の話。あれから、もう二十年近く経った。私は……」
自分の膝を潰す様に、スカートを握っている。捲れた裾から綺麗な太股が見えているけど、今はそういう気分にはなれない。
だから、ほむらちゃんの姿は高校生くらいの状態で止まってるんだ。人間として社会に関わる事を止め、魔法少女としての使命は『私』に関する物以外は全部捨てて、抜け殻の様に生きていたんだ。タツヤを怖がるのも無理は無い。世の中を捨てた魔法少女になってしまったほむらちゃんにとって、人間からの干渉は辛い物だっただろうから。
ほむらちゃんは鏡を見て、自分自身の事を忌々しそうに睨んだ。そして私の顔を見つめて、悲しそうにしている。
「私ね、自分が信じられないの。まどかの事、信じたいのに……あの子は確かに存在したんだって、胸を張りたいのに……貴女の言葉が嘘じゃないって、受け入れたいのに」
それと同じ様な事を、どこかで聞いた。
あのほむらちゃんはまだ中学生だった。さやかちゃんは居なかったけど、マミさんと杏子ちゃんは生きていた。なのに、あれだけ苦しんだ。
なら、一人で二十年近く苦しみ続けたほむらちゃんは、どれほど辛かっただろう。
「誰も、その気持ちを信じてくれなくて。私も、その気持ちは妄想なんじゃないかって、都合の良い幻覚なんじゃないかって……人間としても、魔法少女としても生きていられなくなって……」
私の腰へと回す力を強めて、じっと私の顔を見つめている。どうしようもなく、疑われているのが分かった。
「貴女は、本当に別の世界のまどかなの? 貴女は私が作った幻で、私がそれを忘れているだけじゃないの?」
「……」
「ごめんなさい。こんな、酷いよね。まどかは、私の事を心配してくれるのに、私が、まどかの存在を疑っているなんて……」
自分自身に対して、怒りが沸いてくる。
私が別の世界の存在だと心の底では信じてくれていなかったみたいだけど、そんなのどうでも良くなった。
どうしようもない自己嫌悪に襲われる。自分と同じく魔法少女を助けたいって、私の大好きなこの世界を守りたいって、そういう気持ちで円環の理となった『私』。
けれど、一人取り残されたほむらちゃんをこんなにも傷つけて、苦しめていたのは、私だったんだ。
「貴女は何も悪くないの。悪いとしたら、私が弱いのが、悪いから」私の内心は顔に出ていたみたいで、ほむらちゃんは必死に首を振る。
「そんな事無いよ。わたしがほむらちゃんを一人にしたんだから」
「だとしてもっ……だとしても、あなたは私のまどかじゃないんでしょう……?」
「そうだね。だけど、そんなのどうだって良いの。鹿目まどかは、鹿目まどかなんだから」
自分自身の事だから、誰よりも怒るんだ。勿論、かつてほむらちゃんをそんな目に遭わせた……『分かっていて苦しめた』存在の一人として。
だけど、自分を否定はしない。怒るし、責めたくもなるけど、絶対に否定しない。
それは、これまで私の思いを汲んで、ずっと戦い続けてくれたほむらちゃんを侮辱している事と同じだから。そして、私が自分を傷つけたって、誰も幸せにはなれないから。
だから私は、自分がやるべき事をする。ほむらちゃんを抱き締める力を強めて、精一杯の愛情を篭めて囁きかける。
「疑わないで。わたしは、ここに居るよ」
ほむらちゃんの嗚咽が余計に酷くなった。
苦しそうにしていたから、涙を拭って微笑む。この胸の暖かさを、全てこの人にあげる気持ちで身体を寄せる。私達の素肌はしっかりと密着している。
「もう泣かないで。ずっとずっと、一緒だから」
このまま刺されても、殴られても良いと思った。殺されたって、受け入れる。ほむらちゃんの見てきた全てを受け入れたまま、心を預ける。
『わたしのほむらちゃん』を放っておく気は無いけど、目の前のほむらちゃんも放っておかない。
だって、私は決めたんだ。円環の理として、鹿目まどかという個人として、どういう気持ちを抱くのかを。
織莉子さんやキリカさんの言葉に触れて、ほむ魔ちゃんに背中を押されて、私は決意したんだ。
「わたしが貴女と一緒に居ようと思う理由はね、ほむらちゃんが心配だから、とか、友達だから、とかじゃないの……そういうのも有るんだけどね」
「じゃあ、一体……」
「それはね、その理由はね。希望よりも熱くて、絶望より深い物……」
少しだけ気恥ずかしくて、耳元で囁く。
ほむらちゃんが口にした物と、同じ言葉を。
「愛だよ」
それが私の答えだった。恋愛でも良い、友情でも良い。ほむらちゃんが私を愛してくれる様に、私もほむらちゃんを愛している。
「え……」
「わたしは、ほむらちゃんをあ、愛しています。例えわたしの最高の友達じゃなくたって、最高のパートナーじゃないからって、関係ない。『あらゆる世界のほむらちゃん』は、わたしの愛すべき、人ですっ」
円環の理の集合体として、それこそ私は全てのほむらちゃんを愛する。
勿論、『わたしの、最高のほむらちゃん』は彼女だけど、目の前のほむらちゃんだって、愛すべき人である事は変わらない。
まどか、まどか、という声が聞こえる。目の前のほむらちゃんは号泣してしまって、もう言葉なんて出せやしない。
辛くて泣いている訳じゃない。喜んでくれているんだ。幸せを噛み締めてくれているんだ。少し照れたけど、言って良かった。
気持ちを、好意を素直に伝えると、いつだってほむらちゃんは感極まって泣いてしまう。あの日、あのお店で同じ事を告げた時も、そうだった。
「そうね、まどか」
私が頭の中で考えていた事を読み取ったかの様な、ほむらちゃんの声が聞こえてくる。
けど、これは違う。声はほむらちゃんだけど、絶対に違う。嗚咽は無いし、泣き声も含まれていない。何より、ここまで強固な意志を感じさせる様な声を、彼女は持っていない。
「やっぱり、貴女は私達を……いえ、『暁美ほむら』を愛してくれるのね」
自分を『暁美ほむらであって暁美ほむらではないもの』と称する人の声。
それは確かに暁美ほむらじゃない。同じ世界に『暁美ほむら』は二人存在出来ない。けど、彼女は別物だから何の問題もない。
だって、『暁美ほむらそっくりの使い魔』なんだから。
「モーニン、まどか」
部屋の奥に、もう見慣れてしまった人……ほむ魔ちゃんが立って、私へ向かって片手を挙げていた。
+
そこに居たのは、間違いなくほむ魔ちゃんだった。普段通りの強固な意志を感じさせる表情も、態度も変わりなく、君臨する様に立っている。
ほむらちゃんはその存在に気づいていない。いや、気づいていても、私の事を優先しているんだ。腕の力が強くなったから、何となく分かる。
「……ほむ魔ちゃん」
「夜なのにモーニンはおかしかったわね」
クスクスケラケラと笑いつつ、使い魔らしい呪いの気配を吹き出している。それに反応したのか、ほむらちゃんが銃を取り出しかけたけど、寸前で私が抱き止める。
「わたしは、どうなったの?」
ほむ魔ちゃんが此処に居るという事は、この世界の鹿目まどかも幸福になれる。そんな期待を抱きつつ、自分がどんな状況なのかを確認してみる。
彼女が何かを知っているという確信は有った。それに応える形で、頷いてくれる。
「貴女はまだ寝ているわ。大丈夫、私達の間に挟まって寝言を口にしているから」
「それじゃあ、ほむ魔ちゃんが……」
「違うわ。貴女が無意識の内にここへ来たのよ。私は、それを見守っていただけ」
「……わたしが?」
「ええ。それにしても、驚いたわ。眠っているまどかの意識が別な世界と繋がって、理屈をぶち抜いて魂だけが転移したんですもの」
流石はまどか、その愛は世界を変えるのね。なんて言っている。
理屈を越える物。時には世界の壁を貫き、条理も概念も覆す、人々が知り得る中で狂気という言葉に最も近い感情こそ『愛』だと、私達は知っている。
それが私をここに向かわせたというなら、あるいは、私の想いがこの世界のほむらちゃんを救おうと勝手に動いたのかもしれない。
少し離れた場所で、ほむ魔ちゃんは私達の抱き合う姿を眺めている。ちっとも羨ましそうな態度を見せてくれない所は、流石に『本当に狂っている愛』を持つ人だと思う。
「しかし、都合は良かった様ね。貴女が来てくれたんだもの、この世界のまどかにとっても良い方向の干渉になるのが分かるわ」
私に抱き締められながら震えていたほむらちゃんが、ほむ魔ちゃんの言葉を聞いて小さな声を漏らす。
どういう意味かと聞く前に、答えを教えてくれた。
「壊れた暁美ほむらを導いたら、まどかが悲しむわ。そんなの、冗談じゃない」
やっぱり、鹿目まどかの為だった。ほむ魔ちゃんの事だから、間違い無くそうだとは思っていたけれど、やっぱりか。
「壊れた暁美ほむらの心を救うのは、鹿目まどか以外に居ないもの。それに、あんな状態のほむらを、まどかが放っておける筈が無い。少しマシな状態にしないと、危険過ぎて円環の理との対面をさせたくなかったから」
「……そうだね。わたしも、ここまで追い詰められたほむらちゃんを見ているのは、辛いよ」
腕の中のほむらちゃんがビクッと震える。
確かに、こんな状態のほむらちゃんと再び巡り会ったとしたら、この世界の私は辛い気持ちになると思う。誰だって、出来れば、笑顔で再会したいと思うだろうから。
ただ、ほむ魔ちゃんは口元に悪戯っぽい笑みを浮かべている。服を着ていないから、身体を見つめられるのは恥ずかしい。
「まあ、あそこでまどかの『はじめて』が散らされそうになったら、私は問答無用で行動していたでしょうけど」
「でも、あの円環と繋げてくれたのはほむ魔ちゃんだよね」
「ええ。どうせそこの暁美ほむらにそういう気持ちが無いのは分かっていたもの。ちょっとした悪戯よ」
あっさり繋がったと思ったら、やっぱりほむ魔ちゃんが手を出していたらしい。
お陰でほむらちゃんを襲いかけたと思うと何か言いたい気もするけれど、あれがほむらちゃんの心を開く決定打になったと思うと、文句は言えなくなってしまう。
「まあそもそも、この世界での貴女が使っている身体は、貴女の物じゃないのだけれど。まどかの身体である事は間違いないけど、ね」
「え、じゃあ、この身体って……」
「ええ。この世界に居たまどかの物よ」
ほむ魔ちゃんは、「だから、もし『はじめて』を使ったとしても、それは貴女のじゃなくて、ここのまどかの物よ」と続ける。
そういう問題じゃない気がする。いや、もしかすると、私の意識が簡単に『そっち』へ行ったのは、この身体がほむらちゃんを求めていたからかもしれない。
……この世界の私、そういう趣味だったんだ。
「貴女……いえ、まどかなりに思う所が有ったんでしょうね。きっと、暁美ほむらに正面切って会うのが辛かったから、貴女を呼び寄せたんでしょう。暁美ほむらを受け入れ、愛してくれる貴女を」
「んー……」
「不満だったかしら? ……いえ、違うのは分かっているから答えなくて結構。何か質問でも?」
私の答えを先読みしてきた。やっぱり、この『心を読まれている様な』感覚はほむ魔ちゃん特有の物だ。ほむらちゃんじゃない。
彼女のそういう部分を嫌だとは思わなかった。ホムリリーちゃんからの知識を基に私の行動を予想しているんだし、何より、彼女の全ては私の為に捧げられた物だから。
その分、私もほむ魔ちゃんを許容して、受け入れたいと思っている。
でも、それとは関係無く、彼女が此処に居る事は疑問だった。
「どうして、ほむ魔ちゃんが来たの? 貴女の管轄はわたしの世界じゃなかったっけ」
「その通り。けど、貴女が勝手に飛んでいってしまったんだもの。追いかけてきたのよ」
追いかけてくるのは分かっていた。けれど、彼女が此処に居るとすれば、この世界は……
「ええ、そうね。貴女のご想像通り。既にホムリリーの手が届きかけているわ。私が運び込んだんだけれど……どうやら、貴女には気づかれなかった様ね」
微かな表情の変化から私の内心を読み取り、答えてくれる。
そして、ほむ魔ちゃんは私にだけ見える形で、その背景にホムリリーちゃんのシルエットを映し出した。
絶対的な力と、『まどか』という言葉しか聞こえてこない所がどうしようもなく『時空間の怪物』の存在を見せつけていて、私であっても圧倒される。人間や普通の魔法少女なら、その存在を確認した瞬間に狂い死してしまうと思う。
「ま、途中でインキュベーターには気づかれてしまったけど、たかが宇宙の一生物に世界を支配する怪物を止められるものですか」
そう言いつつも、油断してはいないみたいだ。彼らに隙を見せる気なんか、一つも無い。
キュゥべえの諦めが異様に良かったのは、きっと彼女が原因だ。私達の世界に居た彼らと同じ様に、『絶対的な物が世界を侵食する光景』を目にしてしまったんだと思う。
もう安心だと思った。彼女がこの世界に手を届かせたなら、もう何もかも上手くいく。どんなとんでもない真似だって可能になるくらい、あの人は……あの怪物はとてつもないんだから。
「安心してくれて嬉しいわ、まどか」
そこで、初めてほむ魔ちゃんがニッコリと笑う。その皮の一枚下に化け物の顔が隠されていたとしても、とても華やかな顔色だと思える。
だけど、次に彼女が口にした言葉を聞いて、私は思わずほむらちゃんの身体を抱きしめる力を強めていた。
「さあ、帰りましょう。そこの暁美ほむらはもう大丈夫。後はホムリリーとこの世界のまどかに任せて」
もう、この世界で貴女がやれる事は無い。その顔はそう言っている気がした。
確かに、何か出来るとは思えない。それでも、私に縋り着くほむらちゃんを見捨てて居なくなれる訳が無いんだ。
「駄目だよ。わたし、ほむらちゃんを放っておけない」
そんな言葉は予想通りだったと言わんばかりに、ほむ魔ちゃんは小さく笑う。
「ふふ、貴女ならそう言うと思っていたわ。それなら、成り行きを一通り見守っていてくれれば……」
「いいえ、不要よ」
ほむらちゃんの言葉が聞こえた。静かに呟いた声の筈なのに、それはとても存在感の有る物として部屋の中に大きく響いたんだ。
その気配には、弱々しさが無くなっていた。大人と呼ぶべき凛々しい顔付きになって、私の身体から腕を離す。
「貴女達の話は、よく、分からないし、そこの私に似た使い魔が何なのかも知らない。けれど……」
初めてほむ魔ちゃんの姿を見て、それでもほむらちゃんは何一つ動揺しなかった。鋭い目を向けていながら、何も警戒していない。
「あなたは、まどかを守り救うに値する存在なのかしら」
一気に重圧が駆け巡り、座っているのも辛いくらいの膨大かつ冷たい殺気がほむ魔ちゃんに向けられる。背筋が凍り、息が止まりそうになる。
試そうとしているんだ。どれだけ、鹿目まどかを任せられる存在なのかを。
「まどかは、もう帰る事が出来るのね?」
「そうよ、任せなさい。絶対に、何一つ、まどかを傷つける様な真似はさせないから」
強烈な魔法少女のほむらちゃんが持つ熟練した気配に対応して、ほむ魔ちゃんもまた地獄より深く天国より愛に溢れた空気を纏う。
お互いに、睨み合っていた。どちらも表情は余裕を持って冷笑すら浮かべている。
長くなるかなと思った。けれど気配は同時に消えて、どちらもその笑顔の質を友好的な物へと変えていた。
「……貴女を信じるわ」
ほむらちゃんが、強い思いを言葉に秘めている。
認めたみたいだ、ほむ魔ちゃんの事を。鹿目まどかを託せるだけの意志と力を持つ存在として。
そしてほむらちゃんは私の顔を見て、少し寂しげに微笑んだ後、厳しいくらいにはっきりとした口調で告げてくる。
「帰りなさい、まどか。貴女には、帰りを待っている人達が居る筈よ」
ただ、私の事を思ってくれたからこそ出た一言だった。
だからこそ、私は心配になってしまう。今は平気そうだけど、それでも目元の涙は残っているんだから。こんな状態の彼女を置いて行くのは、絶対にいけない。
「でも」
「駄目よ。貴女の世界にだって暁美ほむらは居るんでしょう? 安心させてあげて、一緒に幸せになるって、約束したんでしょう?」
「わたし、少しならここに残っても」
「私には、私の『最高の友達』が居るから、大丈夫だよ、まどか」
ほむらちゃんは、私を納得させる為の言葉を口にしながら、静かに抱き締めてくれた。さっきみたいな強い感情を叩きつける物じゃなくて、もっと優しく、慈しみに満ちた物だった。
「確かに、この気持ちを疑った事も沢山有った。自分が信じられなかった事も数え切れない」
顔を少し離して、笑いかけてくれる。今まで見た中で一番に大人っぽく、一番に爽やかで……一番、ほむらちゃんに似合う笑顔がそこに有る。
「けれど、貴女がこんな私の目の前に現れてくれた。お陰で、私は貴女の実在を信じる事が出来る。いっぱい思い出を貰えて、沢山仲良くしてくれて、だからもう、私は辛くない」
大きく頷いてくれる所には、強がりが無かった。私との出会いを最高の宝物として、彼女はこれからも生きていくんだ。
それが間違っているとか正しいとか、そんなのは重要じゃない。ただ、事実として今のほむらちゃんは……凄く、本当に、心の底から綺麗で仕方の無い存在に見えた。
「本当にありがとう。まどかからの貰い物だけど……お礼に一つ、貴女に返すわね」
そう言うと、ほむらちゃんは命より重い物を扱う手つきで自分の頭のリボンを解いた。
何をするのかは理解できた。けど、それは命より大事にしていた物なんだから、貰えない。
「駄目だよっ! それは『わたし』が……!」
「うん、分かってる。でも、二つ有るから。私の髪を留めるだけなら、一つで十分だもの」
一つになったリボンを自分の髪に素早く巻き直すと、私の髪の後ろへと手を回し、残った方のリボンで巻き始める。
ゆっくりと、その感触を噛み締める様に繊細な手つきで私の髪を束ねていく。
ほむ魔ちゃんが何も言わずに私達を眺めている中であっても、耳元で聞こえる吐息に異常は無く、その声も正常そのものだった。
「それに、私の事も覚えていて欲しいから。貴女、いえ、まどかが私にそうしてくれたのと同じ様に、ね?」
耳の奥に響かせる様に話しかけてくれたかと思うと、「さ、出来たわ」と言って私の顔を鏡の有る方へと向けてくれる。
前髪は何も変わっていなかったけど、ツインテールは気づかない内に解かれていて。
「やっぱり、ポニーテールも似合うわね」
そう、ポニーテールだった。髪を後ろで束ねて、リボンで括ってるんだ。
慣れない髪型だけど、不自然だとは思わない。むしろ、こちらの方が好きになれるかも。何せ、ほむらちゃんがこの髪型にしてくれたんだから。
そのほむらちゃんは、満足げに私の方を見たかと思うと、ほむ魔ちゃんへ向かって目配せをして、私から少し離れた。
「さ、帰りなさい。貴女の居場所はここじゃない。自分の在るべき場所へ行って頂戴」
「ん……」
「貴女の世界の私と、仲良くしてね。約束よ?」
「……うん、約束する」
言われなくたって、私はほむらちゃんとは仲良くする。それがどういう関係だとしても、絶対に彼女を不幸になんかしない。辛い思いをさせたりはしない。
誰が言うまでも無く、心は既に決まっている。
それを察してくれたのか、ほむらちゃんは今までの憑き物が全部落ちた様に朗らかな顔をしてくれて、人差し指を立てて頬を赤くした。
「そ、それと。か、からだのお付き合いはまだ駄目よ。まどかはまだ中学生でしょう。だ、誰かに裸を見せていいのはお風呂の中だけよ?」
「……大丈夫だよ、ほむらちゃん」
私とほむらちゃんは、そういう関係じゃないから。そう言っても、多分説得力は無い。
だから、私は沢山の意味を篭めて『大丈夫』という言葉を口にする。何の根拠も無くたって、それだけで何もかも大丈夫だと思えるから。
「大丈夫。絶対に、大丈夫だよ」
だから、もうほむらちゃんは辛い思いをしなくて良いんだ。
私の意識が、この世界から離れていく。
完全に役目を終えた私の魂が元の世界へ戻ろうとしているんだ。もう少し見届けたい気持ちも有ったけど、『帰ってほむらちゃんと仲良くする』と約束したから、魂の動きに抵抗はしない。
それでも、ほんの少しくらいならこの世界に意識が残っている。まだ私の心は元の場所に辿り着いていないんだ。
「さて、この世界の円環に……まどかに現れて貰いましょうか……まったく、恥ずかしがり屋ね、貴女は」
それを分かっているのか、ほむ魔ちゃんは苦笑混じりに私へ笑いかける。見届けたいという、私の気持ちを理解してくれたんだ。
そして、ほむ魔ちゃんはほむらちゃんの元へ歩いていき、困った風な態度で肩を竦める。
何が言いたいのか分からないほむらちゃんを余所に、彼女は虚空へ視線を這わせた。
「さっきからこの世界の円環と繋がっているんだけど、暁美ほむら、貴女に会わせろ、って何度も私に行ってくる奴等が居るのよ……」
「えっ?」
「先に、彼女達を現世に戻しておかないとね。まどかの前座として」
そう言うと、ほむ魔ちゃんは軽く指を鳴らして空間に穴を開けた。その奥から溢れる聖なる気配と共に、三つの影が飛び出してくる。
私も知っている人達だった。でも、この世界では既に円環に導かれた人達で……
「ほむら! ひっさしぶり!」
「暁美さん、昔のままね」
「ほむら、お前は本当にすげえ奴だよなっ!」
三人は挨拶をしながら、ベッドに飛び乗った。
ほむらちゃんがまた泣き出したのは、それから一瞬遅れての事だった。
+
「はぅっ……」
目が覚めると、そこは私の使っているベッドの上だった。
パジャマ姿の私は決して裸なんかじゃなくて、布団を被った状態になっている。鳥のさえずりや差し込む陽光が、朝を表現してくれる。
すぐ横でほむらちゃんが眠っていた。私の知っている、中学生としての姿で。
もう片方ではほむ魔ちゃんが眠って……眠って? いた。本当に寝ているのかは分からないけど、確かに目は閉じている。
二人の腕は同じくらいの強さで私を抱き締め、炊き枕みたいな状態になっている。
やっぱり、『ほむらちゃんサンドイッチ』のままだった。ずっと寝ていたんだから、当然だけれど。
……夢?
ううん。そんな事は無い。確かにあれは現実で、私は別の世界へ意識を飛ばしていたんだ。自分自身が円環の理だからこそ、分かる。
それでも確認する意味で、寝る時は束ねていない自分の髪に触れる。
「ポニーテール……」
その髪は、しっかり束ねられていた。
やっぱり、夢じゃ無かった。
あの後、ほむらちゃんは笑えただろうか。二十年分の辛い気持ちを全部幸福に変えて、私と再会してくれただろうか。
心配する気持ちは有ったけど、同時に心配は要らないとも思う。あのほむらちゃんはもう大丈夫。きっと、何が有っても幸せに生きてくれる。
それは、とっても嬉しい事だから。
さて、あの世界のほむらちゃんは、あの世界の私に任せよう。私は、私の世界のほむらちゃんを大切にしないといけない。
ほむらちゃんは、安らかな笑顔で眠っている。良い夢を見ているのかもしれない。
起こすのは悪いかなと思い、そっと抱き締めて、耳元に口を寄せた。
「おはよう、ほむらちゃん」
口の中だけで、元気良く挨拶をする。
あの世界で約束した通り、私はもうこの子を離さない。仲良く、一緒に幸せになっていく。誰よりも深い関係になりたい相手……既に、深い関係だけれど、もっともっと深めていきたい。
ほむらちゃんを傷つける全ての事から守りたい。この子の笑顔を絶対に壊させない。泣かせたくない。
私を傷つける全ての事から守って欲しい。私を笑顔で居させて欲しい。もし私が泣いたら、真っ先に涙を拭って欲しい。
そして、私達の前に立つ壁は、二人で一緒に壊していきたい。
私の『愛』はほむらちゃんへ。ほむらちゃんの『愛』は、私へ。お互いに愛し合えるなら、それは何より暖かく、幸せで。
こういう幸せな世界が続いていくなら。
それは、とっても嬉しいなって……
その為だったら、どんな難しい事だって二人なら出来るよねって、思ってしまうのでした。
「……で、私は?」
「ほむ魔ちゃんも一緒に、ね?」
あ、やっぱり起きてたんだね、ほむ魔ちゃん。
完ッ結!!
これにて、本作は完全に完結しました。ここから続けるとすれば日常話と、私なりに考察した結果何かが生まれた場合、それに、他のHOMURAが何をしているのかを描いた短編、ほむ魔をしっかりと主人公に据えた外伝などになるかと思われます。まだまだみんなを書いていたい欲求はありますから……
◇あとがき◇
この後日談の主題は、「鹿目まどかが何を選び、何を決意するのか」です。
本編は「暁美ほむらが愛によってまどかと分かり合い、ついに報われる」物語として描いたので、ならば、パートナーであるまどっちも何かを選ぶべきなんじゃないかと思い、この後日談ではまどっちを主人公に据えました。相変わらずHOMURAは裏方ですね。
そして、本作における鹿目まどかは「概念として魔法少女のみんなを救いつつ、『まどか』として全てのほむらちゃんを愛する」という道を選びました。自分が抱いている感情が恋愛とか友情だとかは関係なく、ほむらちゃんを愛するという方向ですね。
彼女はそれほどまでに雄大な愛の持ち主であり、かわいくて、天使で、最強なのです。
そんな鹿目まどか。彼女だけが暁美ほむらを傷つけ泣かせる資格を持ち、逆にその涙を拭い傷を癒す資格も持っていると思います。既に有る暁美ほむらの心の傷を、大天使なまどかが癒す。なんて幸せな光景でしょう。逆にまどっちが暁美ほむらに救われる光景も幸せですね。そして、彼女達の道に有る障害は全てほむ魔が取り除いてくれる訳です。
この後日談限定で登場した二十年後仕様の暁美ほむらですが、彼女は『まどか以外には弱点の無い冷徹な暁美ほむら』です。元々原作でもまどか以外に対してはクールな態度を崩さなかった彼女(そもそも、まどっち以外では彼女の素を引き出すのは難しいかと)ですが、二十年経った影響でそれが更に悪化し、「もう誰にも頼らない」を超えて「誰も要らない」の域に到達してしまっています。まどかの居ない世界を守り抜くという決意はそのまま残っていますが、誰よりもまどかの居ない世界を恐れ嫌っています。本作では描写しませんでしたが、その影響で人間的にはかなり冷ややかとなり、まどか絡み以外では情の類はほぼ消滅しています。
おっと、半分オリキャラとしてたっくんが登場しましたね、二十年後仕様なので、「まどかっぽい男の人」のイメージで書きました。優しい子で、小さい頃から一緒に居てくれた「暁美さん(ほむらちゃん)」が大好きな子。頭の端では、今も「ねーちゃ」の存在が残っていると。
そんな彼女が登場したのは、まず「リボほむも幸せにならないと満足できない」事と、「鹿目まどかの決意を表現する為」というのが大きいですね。まどっちが自分の意思で選らんだ『暁美ほむらと救い救われる決意』。この意思をまどっちの口と心で表現する。それが、この後日談です。二人が歩む先は同じで、未来の全てはほむ魔を入れた三人が守っていくんですね。
さあ、一応無事に完結致しました。本作の出来に不満は有っても後悔は有りません。面白いかどうかは別にして、自分なりに叛逆の後を書いたという事が一番の喜びです。私の中の『愛』もある程度満足しています。※面白いかどうかは別として!
ただ、一つ心残りが有るとすれば、ほむ魔の残虐性や狂気を上手く表現できなかった所ですね。それもその筈、彼女の行動はオジマンディアスとロールシャッハの間に有る物なので、どうしても被害者は地獄を見て無残な姿になってしまう訳ですが、そんな物を愛しい登場人物のみんなに味わえと思える私ではなく。そもそも、彼女は『機械仕掛けの神』。舞い降りるべき「どうしようもない状況」や「打倒すべき障害」が無いストーリーでは裏方に徹するしかない所も有るのです。もっと妄執や被害妄想を表現したかったんですが……「我が心に一点の曇り無し、全てが正義だ」と行きたくて。
ともあれ、ここまで本当にありがとうございました。