使い魔少女HOMURA★ほむら ~だが、誰が救い手を救うのか?~(完結)   作:曇天紫苑

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ほむらの色彩

 ……あの『二十年後』の見滝原に遊びに行くのも、良いかもしれない。

 

 温泉を掘り出しつつ、私はその結論に至っていた。空間を扱う事で、通常なら数日必要な作業を一瞬で行える。想定より早く……今日中には入れる様になるだろう。

 温泉の目処が立った以上、次は旅行先をきっちり決めなければ。そこで思い浮かんだのが、『二十年後の見滝原市』だった。

 

 幸い、あちらの世界でもまどかは幸福になった事だ。今度、まどかを連れて遊びに行くのも……いや、あるいはこちらの世界に彼女達を連れてくるのも面白い。

 『二十年後の暁美ほむら』はさやか達の存在も得難い物としていたし、一度会って貰えば、より幸福な光景を拝めるだろう。

 少しばかり考えてみたが、面白い発想だ。十分に『有り』な選択肢だと確信する。

 

 夢中で温泉を掘り出していたからか、もうお昼時だ。そろそろ四時間目も終わり、お弁当に入る頃だ。

 まだ授業は終わっていないが、学生達がそわそわと時計を気にしている。何とも分かりやすい態度だ。まどかは……寝かかっている。寝息も実にかわいい。

 

 さて、温泉を掘り出す作業も終えた事だし、後は入る場所を作っておかないと。こういうのは見かけが大事なんだ。石を組み上げるのも忘れちゃいけない。

 一つ一つ、丁寧に組む。例え一日しか使わないとしても、最高の状態にしておかなければ、私の中の想いが許さない。

 かなり精密な作業だが、この調子なら間違いなく今日中に完成するだろう。

 

 湯気を漂わせる温泉の前で能力と手作業を組み合わせて石や大理石を詰めて行き、状態を整えていく。十分な広さにしたが、入る人数によっては容積を変えなければ。

 人間の土木作業では大変だろうが、私なら指を鳴らすだけで出来る。

 そろそろ、お弁当の時間が来る。恐らく、まどかは私を呼ぶだろう。それまでに作業を一段落させておかないと。

 

 そう思っていると、私の胸ポケットから着信音が鳴った。

 まどかか。いや、違う。直感で理解しつつ、携帯電話を取り出す。戸籍を持たない私には携帯電話の契約が出来ないので、名義は暁美ほむらの物が使われている。

 液晶画面を確認してみると、私に連絡を寄越して来た者の名前が分かる。

 

 ……美国織莉子からのメールだった。

 あの学校は、携帯電話持ち込み禁止だった筈だけれど、何故送ってくるのか。

 

 とりあえず、内容は確認する。が、少しばかり指が止まった。

 キリカとの夜の生活に関して相談されたら、どうするべきか。とりあえず一発殴ると思いつつ、色々な意味で覚悟を決めておく。

 メールの確認は、一度触るだけで出来た。

 

 『学校、抜け出して来ちゃった、見滝原中学まで連れていってください』

 

 拍子抜けする程に短い文章で、簡潔な内容だった。

 それにしても、彼女らしくない。

 割と優等生気質の真面目な常識人というのが、彼女の印象だ。キリカが絡むと変になるが、普段は本当に真っ当な人物である。

 それが学校を抜けて来るとは。よっぽどキリカに会いたかったのか。

 ……キリカ中毒か。

 

 嫌な予感を覚えたが、まどかとお弁当を一緒に食べる人間が増えるというのは、悪い事ではない。織莉子とまどかの仲は良好だし、拒む理由は無かった。

 

 温泉に対して時間を止め、状態を保ったまま空間を飛ぶ。携帯電話の持ち主、織莉子が居る場所は分かっている。その近くに転移すれば良い。

 

 

 その先に、彼女は立っていた。

 

 

 相変わらず、優雅な美少女だ。これで後三年ほどすれば、間違い無く『美女』になるだろう。

 その指はソウルジェムが有り、彼女が魔法少女である事を何よりも雄弁に語っている。鞄を持った所でさえ、完璧なまでに淑女然としていた。

 これが、愛する人の前では『変態という名の』と付けねばならない『淑女』になるんだから、世の中は恐ろしい。

 

「こんにちは、織莉子」

「ええ、こんにちは。ほむ魔さん」

 

 軽く手を振ると、向こうも驚かずに手を振り返してくる。私達は、既に互いの名前を呼び合う仲だった。

 千歳ゆまの一件で恩を押し売りしたからか、彼女は私に対して真っ当な好意を向けてくれる。……致命的に、思想上の溝が有るとはいえ。

 

「さ、行くわよ」

 

 軽く手を差し出す。

 織莉子は私がどういう能力を持っているかを知っている。だから、多くを語る必要は無い。

 

「ええ、お願いするわ」

 

 そっと手を握ってくれる。

 手つきに遠慮が感じられるのは、キリカ以外の人間と手を繋ぐ事に罪悪感の様な物を覚えているんだろう。

 だが、そこまでフォローするつもりは無い。即座に空間を飛んで、見滝原中学の屋上へと飛ぶ。

 

 降り立った先は、ベンチの側だ。

 床に立つと同時に、思わず軽く髪をかき上げる。癖になってしまったが、この仕草をまどかが『カッコいい』と言ってくれるから、矯正はしない。

 横を見ると、同じく床に立った織莉子も軽く自分の髪に触れていた。

 転移する前に人目の有無を確かめていたが、まだ、誰も居ない。

 

「問題は、無さそうね。よし、今の内に準備だけはしておきましょう。織莉子、ベンチの上にマットを敷くわ。手伝いなさい」

「ええ、分かったわ。任せて」

 

 空間を操作して取り出したマットを、一つずつ丁寧に置いていく。

 織莉子はキリカを象徴する黒色のマットを慈しむ様な手つきで置き、その横に自分の色である白を配置した。

 

「それにしても、随分じゃない。学校を抜け出してくるなんて、優等生のお嬢様とは思えないわ」

「私だって、許されるなら見滝原中学に転入したいわよ。キリカと一緒に居られる時間は多ければ多い程幸せだもの」

 

 やはりキリカ中毒者だったか。

 いや、予想は出来ていたから、驚くには値しない。キリカの狂乱ぶりに比べれば、彼女の依存心の発露は随分と大人しく、可愛らしい物だ。

 

「それにしたって、貴女がね」

「……学校に居ると、今でもちょっと居心地が悪くなるのよ」

 

 確か、白女だったか。織莉子の通っている中学の名前だ。

 彼女は父親の関係で余り学校では良い扱いを受けていないらしい。

 別に虐めの対象という訳ではない。美国織莉子は強靱な心の持ち主だし、何よりキリカが黙っていない。

 一言で表現するなら、『何となく遠ざけられている』、という程度の扱いだ。が、それでもこの優しげな少女が周りから距離を置かれているのは確かだ。

 この事実を知れば、まどかも悲しい気持ちになるだろう。

 間違いなくキリカと織莉子自身がフォローを入れるだろうが、完全に問題を解決しておいた方が賢明なのは間違い無い。

 さあ、彼女の学生生活に関してはどういうアプローチをするか……

 

 

「結構よ、ほむ魔さん」

 

 

 私の考えを読み取ったのか、織莉子は静かに首を振って、さやか用の青いマットを置いた。

 

「これは私の問題だから、貴女が手を出す必要なんて無いの」

「……そう、そう思っているなら、それを尊重しましょう」

 

 少なくとも、まどかが認める範囲でなら、それを尊重しよう。自分の存在を見透かした様な瞳を向けてくる織莉子の姿に少しばかりの嫌な感覚を与えられたが、気にはしない。

 最後のマットはまどかの物、薄桃色だ。他のと同じ既製品に見えるが、実際には私の手作りで、まどかの身体に合わせて最高の座り心地を提供出来る様にしている。

 これは、会心の出来だ。前に使って貰った時も、まどかは喜んでくれた。

 全てのマットをベンチに置いて、次は気温の調整だ。この屋上の一区画のみを空間的に切り離し、その部分だけは完全な状態にしておく。

 それを、織莉子はじっと見つめていた。何か言いたげな顔をしていたので、声をかける。

 

「何?」

「……今日は一つ、貴女にお話ししたい事が有るのよ」

 

 静かな声で、織莉子は問いかけてくる。

 その圧迫感は普通の人間には決して発せない物であり、有無を言わせない重圧が背中に乗ってくる。が、私の敵じゃない。

 睨む様に私を見つめて、織莉子が小さく息を吐く。ゆっくりと開かれた口から、言葉が発せられた。

 

「……お父様と敵対していた議員が汚職で逮捕されて、『お父様と同じになった』のはご存じかしら」

「ええ、それがどうかしたの?」

「お陰で、私の所に石が投げ込まれなくなったわ。学校の居心地も少しだけ良くなった」

 

 語る最中の彼女は暗い表情をしていて、それ以上に私の姿を警戒していた。じっとこちらを見つめて、虚偽を見抜こうと目を凝らしている。

 

「貴女が、やったの?」

「……さて、どうだったか。何せやる事が多い身だから、忘れてしまうのよ」

 

 まどかに関係の無い情報は覚えておく気が余り無い。だから、本当に気にも留めていなかったのだが、確かにそんな事をした記憶が有る。

 別にどうでも良い事だが、織莉子はそう思わなかったらしい。

 

「助かったわ。気遣いは嬉しいし、お礼を言いたいけど……貴女は、きっと間違っている」

 

 小さく頭を下げつつも、その口調の中には硬質で重い物が存在した。

 言葉に非難の色は無い。だが、はっきりとした『敵』の気配を漂わせていて、私の存在を貫かんばかりに瞳の炎を燃やしている。

 

「貴女はそうやって、鹿目さんが気づかない範囲で人に不幸を振りまいている。予知の力が、朧気であっても私にそれを教えてくれる」

「人の悪事を暴いただけよ?」

「そういう形なら、鹿目さんは何とも思わないからでしょう」

 

 その通りだ。何の罪も無い、『将来悪事を働く人間』を潰すとまどかは眉を顰めるが、『既に悪事を働いた人間』が逮捕されたって、誰も何とも思わない。

 

「それよ。その、まどかさんの認識では問題の無い範囲で、人を傷つけるのも苦しめるのも厭わない所。それが、問題なのよ」

 

 彼女は朗々と述べる。ただ、事実を語る様に。

 

「まどかさんという鎖が無ければ、貴女はおぞましい悪意となる。この世界が鹿目まどかさんの役に立たないと判断すれば、それをまどかさんが許すなら、容赦無く滅ぼせる。違いますか」

「訂正する程に間違ってはいないわね」

 

 問いかけられたので、素直に答える事にした。どの道、嘘を言っても見抜かれるだろうから。

 少なくとも、人間と大気中のバクテリアを同列に考えている事は否定しない。

 まどかが価値を認めた存在だけが、私にとっての『人間』に成る。それ以外は、まどかの愛する小動物の数々より遙かに価値が低い。

 

 成る程、私は織莉子に警戒されているらしい。彼女の世界観と私の世界観は違う。そして、ともすれば互いの世界観を守る為に争う可能性が有るという事を、分かっている。

 私の性質に、彼女は気づいてしまったらしい。

 まどかとさやかは『分かった上で気づいていないフリをしている』のだが、彼女は頭が良い以上に、この世界を愛しているのだ。だからこそ、見過ごせなかったのだろう。

 

「ああ、今はまだ貴女は私の味方で居るけれど、貴女はいずれ私の敵になるでしょうね。貴女が、この世界を守ろうとしている限りは」

「そうね、きっと……我々は敵対する時が来るでしょう。貴女が、まどかさんを愛している限りは」

 

 美国織莉子という女性の性格から言って、私とは本質的に相入れない。

 彼女と敵対する確率が高いのは暁美ほむらも同じだが、私は更に『極端なまどか至上主義者の暁美ほむら』を人格のベースとしている。確率は余計に高くなる。

 

「世界が存在し、存続していく。それ自体に意味は無いのよ。私はまどかが幸福でありさえすれば、それで良いんですもの。『まどかを認識し、幸せにしない社会』なんて、存在する価値は無いわ」

「……人間社会の規範や価値観が通用しない、いえ、知っていても守る気が無いのね」

「そうね。そういう物に従って大事な物を見失いたくないから。人間にだって、そういう存在は居るでしょう?」

 

 例えば、貴女とか。

 

「ええ……だけど、貴女程危険な力を持っている訳じゃない。貴女は、その危険過ぎる思想を現実に出来る力を持ってしまった」

 

 ……ああいや、『間違った手段』に訴えた貴女は常に罪の意識に苛まれていたか。なら、私とは根本的に違うのだろう。

 何となく安堵する。自分の様な存在は暁美ほむらだけで十分だ。美国織莉子は、殺すには惜しいくらいまどかと仲が良いんだから。

 

「まあ、暁美ほむらはもう自分自身の呪縛から解放された。彼女がまどかと共にその明るい日常を支えるなら、私は裏側で起きる全てに対処したい、それだけよ」

 

 織莉子に理解されるとは思わないが、自分の考えはしっかりと伝えておく。

 まどかに対して『大多数の人間』が受ける以上の不幸が有る場合、それは私が対処するべき事だ。概念として、普通の人間として生きるという気持ちを尊重する。そう、『普通の人間』として。

 もっとも、まどかが望むのであれば、私は宇宙だって壊せるし、人だって蘇らせる。それを危険と形容するなら、確かに私はとんでもなく危険な存在だ。

 

「まどかさんが望まなくとも?」

「私が手を伸ばすのは、まどかが望む部分と、まどかが意識していない部分だけよ?」

 

 ニッコリ笑って否定し、はっきりと首を横に振って見せる。

 

「将来的にまどかが成長して、世の中を見渡せる様になって、私の行動を全て笑顔で受け止められる状態になったら、その時は改めてまどかと相談していくわ。盲目にした状態は、必ずしも最高の幸福とは限らないから」

「それまでは、貴女がまどかさんを傷つける可能性の有る物を裁くと? その資格が、何処に?」

「資格の有無で自分の行動を語る奴には、何も出来ないわ」

「そうかもしれないわね。けれど、いずれ貴女自身が裁かれるかもしれないわ」

「罪というのは、人間社会や人間の認識から生まれる物。私に罪という物を定義出来るのは、唯一絶対のまどかだけよ」

「貴女という人は……」

 

 織莉子が私を見つめる目は、まさしく狂人を扱う物で相違無い。あるいは、最も警戒すべき敵として、私を捉えているかもしれない。

 私達の間に寒々しい空気が流れる。

 この私から発せられる呪いを感じ取り、織莉子の頬を冷や汗が伝う。それは、キリカなら汗を舐め取る事すら考える程に、艶やかな姿に見えた。

 

「『Omnia vincit Amor』……そして、『Amantes,amentes』」

「愛は全てに打ち勝ち、そして愛する者に正気は無い……そういう事なのね、ほむ魔さん」

 

 睨み合う。

 こちらとしても、織莉子としても、恐らくは戦闘に及ぶ気なんか無い。ただ、美国織莉子という少女は『この素晴らしくない世界』を愛している。

 

 だから、もしもその時が来れば、決定的に敵となる。そういう意志を表明しているのだ。

 キリカの居る場所では頭が溶けているんじゃないかと疑われる程に緩い織莉子だが、性根の思考には冷徹な物が有った。

 

 今日、私に空間転移を頼んだのも、その気持ちを伝える為だったんだろう。

 誰よりも『人間ではない物』を警戒し、そして誰より冷静に危険な存在を認識し、それに対抗する為なら自分と他人の命を犠牲に出来る。

 そんな彼女の視線は、ただそれだけでも人の心を凍らせる程の強さが含まれていた。

 

「……」

「……」

 

 目を逸らすタイミングを窺う様に見つめ合う。相手の存在から目を背ける事を嫌がっている。

 そのまま二人だけの状態であったなら、永遠に続いただろう。だが、そうはならない事を私は既に読み取っていた。

 

 しばらく相手の姿を見つめ合った私達だったが、次の瞬間には目を逸らす。全く同じタイミングだ。

 

「来るわね」

「……ええ」

 

 二人揃って頷く。それと同時に屋上へ駆け登ってくる音が響き、入り口からさやかが飛び出してきた。

 続いて、さやかに手を引かれる形で杏子が、そしてまどかが現れる。まどかはベンチの前に立つ私の姿を確認すると、その愛らしい目を丸くした。

 

「あっ、ほむ魔ちゃん! 織莉子さんも! もしかして、待っててくれたの?」

「いいえ、今来た所よ」

 

 表情を改めて、努めて穏やかに微笑んでみせる。

 今までの空気は彼女達の登場で一気に消えて、跡形も無くなる。

 織莉子に目配せをすると、彼女は小さく頷いた。私達は二人とも、まどか達が屋上に入り込む未来を予知していたのだ。だからこそ、今までの会話を無かった事にすると決めた。

 

「こんにちは、織莉子さん」

「こんにちはっ……って、あれ? 織莉子さんって見滝原の生徒じゃないですよね?」

「ええ、キリカを抱きしめたくて、つい学校を出てきてしまったわ」

 

 穏やかで優しい先輩の表情に戻り、織莉子は屋上の入り口へ視線を向ける。彼女の目には、既にキリカの姿が見えているんだろう。

 

「織莉子のお弁当、略して織莉弁は最高なんだよ。師匠はなぎさのお料理を食べた事は有るのかい?」

「ええ、少し……その、チーズが凄いのよ」

「でも愛が有れば美味しく食べられるんだよね?」

「勿論、当然でしょう」

 

 それから五秒経過して、入り口からマミとキリカが並んで屋上に入ってきた。二人とも似た性質の『愛』を纏っているだけあって、随分と意気投合している。

 鞄の中に入っている弁当を持って、今にも溶けそうな顔をしている。その手は麻薬中毒者の様に震えていた。

 

「いやぁ、織莉子の作ってくれたお弁当から香りがするよ。まるで織莉子が側に居てくれる……様な……気が……あれ?」

「あら、やっと来たのね、キリカ」

 

 やっと織莉子の存在を認識したのか、キリカが口を開けたまま固まった。この調子では、呼吸も止まっているかもしれない。

 どれほどの時間を硬直して過ごしたのか、やっと正気に戻った彼女は顔を赤くして首を振り、何度も深呼吸をする。それからもう一度織莉子を見て、続いて自分の手を眺めた。

 

「……参った。私は遂に幻覚を見てしまう程の禁断症状に陥っていたみたいだよ。織莉子が此処に居るなんて」

「本物よ、キリカ」

 

 腰に手を当て、呆れた様子で囁く様に話しかけている。そして、ごく自然かつ綺麗な姿勢で歩いていき、その頬へ軽いキスをした。

 

「んにゃ!?」驚きと羞恥心で、キリカが変な声をあげる。

「んっ……ほら、幻覚はこんな事、しないでしょう?」

 

 紅潮した頬と愛に塗れた瞳がキリカを捉え、普段は決して見せない小悪魔の如き艶を見せつける。

 まどかの顔が瞬く間に赤くなり、さやかと杏子が目を逸らす。マミだけは「あらあら」と楽しそうに笑っていて、余裕が有った。

 だが、一番驚いたのはキスを受けたキリカ自身だろう。顔が鮮血と見間違える程の赤みを帯び、必死に言葉を見つけようとして目を揺らしている。

 そんな所も織莉子の好きな表情なのか、彼女は幸せそうな顔でそれを眺めていた。

 

「おっ、織莉子! どうして此処に来たんだい!?」やっと調子を取り戻し、キリカが何とか言葉を発した。

「学校、抜け出して来ちゃったわ。向こうで食べるより、キリカと一緒にこっちで食べる方が楽しいんだもの」

 

 小さく舌を出して見せると、キリカと寄り添いながら腕を組む。先程までの真剣な冷徹さは塵一つ残さず消滅し、頭の中が愛で溶けきった少女の姿へと戻っていた。

 

「相変わらずだよね、織莉子さんとキリカさん。なんつーか、仲良し?」

「そういうレベルじゃないと思うけど……でも、いいなぁ」

「へ?」

「あれくらい大胆に好き好きってアピール出来るのって、凄く素敵だなぁ、って……」

 

 似た様な絡みを見せつけられるのは、これが最初ではない。まどか達も、息を整えて落ち着いていた。

 そのまどかが少し羨ましそうにしている。

 時折暁美ほむらの姿をチラチラと見て、また羨ましそうに息を吐く。相変わらず、まどかは『恋心なのか友情なのか分からない』雰囲気を漂わせていた。

 

 そんなまどかの姿を遠い物でも見る様な目でさやかが眺めている。

 ところで、彼女達は此処に来た理由を覚えているのだろうか。私はともかく、他の全員は次の授業が有る筈なのだが。

 

「あの……呉さん、美国さん? お弁当……」

 

 暁美ほむらも同じ事を考えていたらしく、自分の手作り弁当を片手に持った状態で、戸惑いがちに二人へと声をかけた。

 

「はっ……そうだった! いや、悪いね。すまないね、織莉子に夢中で……」

「ごめんなさい。キリカが素敵過ぎて……」

 

 すると二人は瞬く間に意識を現実へと戻し、似た様な謝罪を口にした。

 桃色になっていた空気が、やっと清浄な物となった。

 

 

 

「さ、織莉子達も二人だけの世界から出てきた事だし、そろそろ食べましょう? マットは何時も通り、自分の色に座って頂戴」

 

 軽く手招きをして、まどか達を呼び寄せる。全員分のマットをしっかりと敷き詰めたので、座っていても痛くなったりはしない筈だ。

 マットを使うのもこれが最初ではないので、全員が戸惑う事無く座り出す。

 織莉子とキリカ、まどかと暁美ほむら、さやかと杏子、そして彼女達の真ん中にマミが座る。人数が多いのでかなり詰めた状態だが、身体の密着を楽しんでいる様ですら有った。

 

「あれ? ほむ魔ちゃんの座る場所は?」

 

 普段とは違って織莉子が居るので、私が座れなくなっている。一人が座れない状態でお弁当を楽しむ、というのは少し無理が有るかもしれない。

 そう思ったので、不自然に思われない程度にフェンスに寄りかかって立っていたのだが、まどかには見抜かれてしまった。

 

「ああ、そういえばベンチの大きさが足りなかったわね。マットは持ってきてないし……」

 

 空気を壊さない様に、さも楽しそうに困った素振りを見せる。

 そしてまどかに近づき、口元に笑みを浮かべる。

 

「まどかの膝の上にでも座りましょうか」

「はい、どうぞ?」

 

 まどかは即座に弁当箱を鞄の上に置いて、自分自身の膝を軽く叩いた。座れ、という事なのだろう。

 スカートの布越しに太股の形が見えている。こんなに華奢で可愛らしいまどかのお膝に、座る。そんな事が出来る筈が無い。いや、私は体重なんかとは無縁の存在だが、お弁当が食べ難いだろう。

 幾らまどかの好意だからって、受ける訳にはいかない。というか、そもそも……

 

「冗談よ。ベンチの大きさを操作すれば座るスペースくらい確保出来るし、マットは空間を操って持ってくれば……って、まどか、もしかして」

「ふふっ、そう。冗談だよっ」

 

 小さなウインクをしながらの言葉は本当に暖かく、悪戯っぽく、思わず笑ってしまうくらい『鹿目まどか』らしい表情だった。

 しかも、まどかは膝の上にお弁当を置き直す時に「もうちょっとくらい、慌ててくれたら嬉しかったな」なんて口にしていて、その顔がまた愛でたくなる程に素敵だった。

 

 

+-----

 

 

 

 

 

「ささ、お楽しみのお弁当だよー、今日は、杏子もあたしお手製のお弁当なんだよね」

 

 私を含めた全員が座り終えると、まず一番最初にさやかが自分の弁当を取り出した。赤色の蓋と青色の容器が特徴的で、その上にはデフォルメされた人魚がプリントされている。

 

「どうしても喰えって言ったのはお前だろ、さやか」

 

 続いて杏子も弁当箱を取り出す。

 さやかの物とは色合いが反対で、青色の蓋と赤色の容器だった。こちらにはデフォルメされた赤い馬が描かれていて、彼女にはとても似合う。

 そんな杏子の言い種が微妙に気に入らなかったらしく、さやかはムッとした態度を取る。

 

「うっさい。放っておくとあんたがあたしの分まで食べちゃうでしょうが」

「まーなー」

「そこは否定しろよ、このっ」

 

 笑いながら相手を小突き合い、二人は自分の弁当箱を開けた。ついでにロッキーが二箱置いてあるのも、彼女達らしい。

 そんな姿を見て、まどかは嬉しそうな息を吐いた。

 

「さやかちゃんと杏子ちゃん、やっぱり仲良しだよね。わたし、なんだか嬉しくなっちゃうなぁ」

「そうだね、二人が仲良くしている所を見ていると、私も癒されるわ」

 

 まどかのお弁当箱は、紫色だ。表面には、手書きでトカゲが描かれている。あまり彼女が好むデザインには見えなかったが、汚れ一つ無い所から、大事にしているのは伝わってくる。

 お弁当箱を膝に乗せたまま、隣に座るほむらに微笑みかける姿は、まさしく天使……いや、女神だった。

 

「私達も、もっと仲良くなろうね、ほむらちゃん」

「うん……そうだね。私も、もっともっとまどかと仲良くしたいよ」

 

 同意しつつ、暁美ほむらもまた鞄に手を入れて、弁当を取り出す。

 薄桃色の容器に、白の蓋。その蓋を赤いリボンで押さえている。一目見て分かる程に、まどかを思わせる雰囲気が有った。

 そう考えると、まどかの持っているお弁当箱は暁美ほむらを象徴する物が沢山有る。どういう事だろうか。

 同じ疑問はさやかも抱いたらしく、彼女は首を小さく傾げて、二人のお弁当箱を交互に見ていた。

 

「んー? まどかとほむらの、弁当箱逆じゃないの?」

「ううん。昨日、ほむらちゃんと一緒に買いに行ったから、確かに合ってるよ」

「ああ、相手のイメージに近いお弁当箱を買ったという事ね? ふふ、良いじゃない。仲が良い証みたいで」

 

 マミは、まどかの言葉を横から聞いていたらしく、ふんわりと笑って関心した様子で一度だけ頷く。彼女の膝に置かれている弁当箱は、全面チーズ型だった。

 

「えへへ……ほむらちゃんと一緒に選んだんです。トカゲは手書きなんですけど……」

「良いわね。ちなみに、私のはなぎさがプレゼントしてくれた物よ。お小遣いを貯めてくれていたの、嬉しかったわ」

 

 「今日のお弁当はなぎさの手作りなのよ?」と続けながら、マミはまどかやさやか達の姿を微笑ましそうに見ている。

 優しい先輩の雰囲気と余裕に溢れた態度が、とても魅力的に見えた。

 

「お弁当を作って貰うって、なんか良いですね……そういうの。杏子も作ってくれないかなー?」さやかがじっと杏子を見つめる。

「……作れない訳じゃねーよ。作って欲しいなら今度やってやる」

「え、インスタントとか冷凍食品ばっかり?」

「違うに決まってるだろ。あたしは『作る』って言ったぞ、さやか」

 

 大して腹を立ててはいないのか、杏子は鼻で笑っている。でも、少しばかり意外だ。彼女は料理とは縁のない人物に見える。

 確かに知識として彼女が料理をするのは知っているが、この目で見た事は無い。いつもジャンクフードかお菓子を食べている印象が強い。

 多分、この場の全員が……織莉子とキリカを除く全員が同じ事を考えていただろう。

 

「佐倉さんは料理、出来るんですね」

 

 暁美ほむらが、実に意外そうな表情で杏子の顔を見つめていた。

 

「まあね。割と一人が長かったし……そういうお前はどうなんだ、ほむら。お前って、毎日携帯食料で満足してるイメージが有るんだけどな」

「確かに昔はそうでしたけど、『そればっかりじゃ寂しいよ』って、まどかに言われたので……」

 

 少し目線を逸らし、過去を振り返る様に虚空を見つめている。何か嫌な思い出でも有るのだろうか。

 そう思っていると、私の中に『知識』が入り込んでくる。暁美ほむらの態度の理由は、すぐに理解できた。

 

「……成る程、『ほむらちゃん、美味しく食べるより効率良い方を選ぶって、何だかキュゥべえみたいだね』とも言われたのね」

「それは言わないで」

 

 思わず昔の口調へ戻り、暁美ほむらは私を睨んだ。よっぽど言われたくなかったらしい。

 だが、それを見ていたまどかはクスクス笑って、楽しげな空気を漏らしていた。

 

「そんな事無いよ、キュゥべえとほむらちゃんが同じな訳ないじゃない」

「……うん、そうだね。まどか、私があいつと一緒なんて、そんな訳無いよね」

 

 まどかの言葉を聞くと、暁美ほむらはすぐに微笑んだ。嬉しげな態度を取っているのは見間違いではあるまい。本当に、喜んでいる。

 

「さ、食べよっか。ほむらちゃん」

「ええ……!」

 

 二人は、ゆっくりとお弁当を開く。

 片方の弁当箱は紫色の、もう片方は赤混じりの桃色のリボンで止められていて、それを外す仕草は両者共に実に丁寧で、綺麗な物だった。

 それが合図になったらしく、さやかと杏子、マミ……それにキリカと織莉子も同じ様に弁当を開く。

 

「さて、織莉子の手作り弁当を見て欲しい所だね。ああ、あげないけど。私の物だよ、織莉弁は。そして私は織莉子の物だよ!」

 

 キリカが頬を赤くしながらも、純粋に好意を口にする。

 彼女と織莉子が持つ弁当箱はお揃いで、白と黒の編み目模様になっていた。重なり合う様に存在する二つの色は、まるで彼女達の関係を現すかの様に輝いて見える。

 

「キリカは私の物なのね? ふふ、何て幸せなのかしら。こんなに素敵な人が私の物になってくれるなんて」

「私は生まれる前から死後まで最初から永遠に織莉子の所有物さ、好きにしてくれて良いんだよ」

 

 腕を広げて、何をされても受け入れるというポーズを作っている。口元に浮かぶ笑みは朗らかだが、その奥深くには凄まじい愛情が広がっている。

 妄執にも似た強固な感情を見せつけられて、織莉子はその顔に浮かべる笑顔をより一層強めた。自分の持っているお弁当を膝に置いて、キリカの耳に口を近づける。

 加速度的に高まっていく桃色の空気を再び纏い、彼女はキリカの耳元で囁く。他の誰にも聞こえなかったが、私には聞き取れる。

 

「じゃあ、お弁当の代わりにあなたを此処で食べちゃいましょうか? みんなの前だけど、良いかしら?」

「ふ、あっ…………い、いいよっ、食べてっ。織莉子がそうしたいなら、わたし、わたしぃ……」

 

 魅惑の笑顔を直視したからか、キリカの心が溶ける音が聞こえた気がした。吐息が一気に荒く劣情的な物を帯びて、口元からだらしなく涎が垂れていた。

 身体から熱を追い払おうとしているのか、キリカの声は酷く熱い。

 彼女達は、一日に何回こういう会話をしているのだろう。どう考えても十回は越えているだろうな、と思う。

 

「なんつーかさ、いつもバカップル全開ですよね、あの二人」

「さやかちゃん、その言い方はだめじゃないかな……」

 

 まどか達の顔も釣られる形で紅潮していた。

 織莉子の囁きは聞き取れなくとも、キリカの反応でどんな会話が有ったのかは予想出来たのだろう。

 

「いや、間違ってねーだろ、あれは」

「……あれくらい恥ずかしげも無く動ければ、まどかともっと仲良くなれるのかな……」

「なぎさに会いたいわね……」

 

 マミ以外の四人と私は、眼前で開始された痴態に疲れた気持ちを抱いた事だろう。

 勿論、流石にこの場所で本当に『事』を始める筈が無い。織莉子が含み笑いをしたかと思うと、何時の間にか腕の中に居るキリカの頭を一撫でし、普段の態度に戻る。

 

「っと、まあ、冗談……ではないけど、それは置いておくとして、今は先にお弁当を食べましょう」

「むぅ、残念……」

 

 冗談なのはキリカも分かっていただろうが、本当にしても良かったと思っていたんだろう、至極残念そうに肩を落とす。

 そんな彼女に、織莉子の暖かくも粘着質な雰囲気の混じる声が向けられた。

 

「大丈夫、学校が終わったら……ね?」

「……う、うん。織莉子がそう言うなら、私、がんばって我慢するよ」

「ふふふっ、今日は切ない気持ちを溜め込むから、きっと激しいわね……私、キリカに壊されちゃうかも」

「いや、むしろ私が織莉子に壊されるかもしれないさ。だって、織莉子って凄く……」

 

 言いかけて、キリカは口を閉ざした。

 それ以上言うと、周囲に織莉子の『色々な』事を教えてしまうと思ったんだろう。言葉に出さなくたって、断片的な雰囲気は伝わってきてしまうのだが。

 

「さ、二人とも? 仲が良いのは素晴らしいけれど、今はお昼ご飯にしましょう?」

 

 一番冷静だったマミが、二人に向かって笑いかけながら注意をする。痴態を咎める意図は無いと思われるが、どこか羨ましげではあった。

 その顔を見る限り、マミがなぎさの居る小学校に突撃するのはそう遠い未来ではないだろう。

 

「うん、そうだね師匠。織莉弁をたっぷり堪能しないといけなかったんだった。本物の織莉子が目の前に居るから、つい忘れてしまったよ」

「ふふ、毎日作っているのに、そこまで喜んで貰えると作った甲斐が有るわね」

「当然! 私は甲斐性の有る美国キリカになりたいからね!」

「……いや、甲斐と甲斐性は違う物じゃねーか?」

 

 どうしても二人だけの空間に入り込みかける織莉子とキリカを眺め、既に弁当を開いていた杏子が呆れ気味に一言呟く。

 こんな調子だが、杏子は割と四字熟語などを好む類の人物だ。気になった為に、ついつい口を突いて出てしまったのだろう。

 

「え、杏子?」

「杏子ちゃん?」

「……杏子、貴女……」

 

 三人が同時に動揺を見せ、同じ様にして杏子の顔を見つめた。

 暁美ほむらに至っては、普段の口調を忘れる程に驚いている。私は何とも思わなかったが、彼女達にとっては杏子の言葉は意外な物に聞こえていたのだ。

 普段の杏子が不真面目だから、余計に意外だったのだろう。

 

「おい、その『こいつ馬鹿じゃなかったっけ』的な顔はどうした。まどかまでそんな顔すんなよ……っておい、ほむら、お前もか。そんなにあたしが馬鹿に見えるかこの野郎」

 

 流石に酷い扱いを受けたと思ったのか、杏子は思い切り眉を顰める。まあ、面と向かって馬鹿扱いされたも同然なのだから、不満に思うだろう。

 そんな言葉を聞いて、まどかが目を逸らす。何と言っていいのか、言葉を選んでいる様子だ。

 

「懐かしいわね……昔は宿題が分からないって佐倉さんによく泣きつかれて……」

 

 横からマミが口を挟み、懐かしそうにしている。その瞳はきっと、昔の杏子を見ている。

 今よりずっと素直で子供っぽかった彼女を知っているのは、マミだけだ。それはもう、感慨深げな声の一つも出てしまうか。

 

「……恥ずかしくなるからやめろよ、その顔」節目がちな杏子が呟く。

「え? 何、佐倉さん」

「なんか、その。『あの頃の佐倉さんはかわいかったわね』的な。その顔だよ、それ」

「今も、貴女は可愛いままよ?」

「そういう事じゃなくてな、昔の話は止めてくれ、特にさやかの前では止めてくれ。あたしのイメージが壊れるからさ」

 

 顔を覆い、仄かに赤くなった頬を隠している。昔の話を嫌がっている訳ではなく、ただ、小さい頃の事を聞かれたくない雰囲気だけが有った。

 もうすっかり、過去のトラウマは払拭されている。幻覚魔法が完全復活している以上、気持ちの上では完全に決着がついた話となっている様だ。

 

 気づけば、ほんの僅かにさやかが目を細めている。

 

 普段通りに振る舞っている様でいても、陽光の様に暖かな空気が漏れていて、その中には優しさと愛情……友情が入り混じっている。

 杏子が自分のトラウマを完全に受け止めた理由は、さやかに有る。それを知っているからこそ、さやかはこんなにも嬉しそうにしているのだ。

 言葉に出さなくたって、二人は寄り添う様な位置に居る。まるで、二人で一つだと言わんばかりに。

 

 まどかも、それが分かる様だ。視線を送ると、暁美ほむらと一緒に小さく頷いてくれる。

 

 杏子とさやか、この二人の絆は一番暖かく、強固でありながら狂気は感じられない、姉妹関係の様に『真っ当』な物だった。

 しかし、好意を口にするのが照れくさいのか、さやかは小さく息を整えて、話題を変える為にマミの弁当箱を見ていた。

 

「マミさんは……うわ、チーズ弁当じゃないですか。あ、なぎさの手作りだっけ……」

「ええ、少し食べ難いけど、なぎさの愛情が沢山詰まってるんだもの。残す訳にはいかないわ」

 

 堂々と断言し、マミはチーズの香りがする弁当箱を撫でた。

 こうしている時ですら、マミが口にする言葉の奥からは僅かな血の臭いがする。

 なぎさと自分の全存在を巻き付け、身体が引きちぎれて臓物が飛び散ったとしても一緒に居られる様な、そういう雰囲気が漂っているのだ。

 キリカと織莉子も似た空気は持っているが、ここまで生臭くはない。

 ……無論、私程ではないだろうが。

 

 私以外には察せられない程に、マミの纏う空気には巧妙な隠蔽が行われている。すぐ隣に居る杏子ですら、全く気づけてはいなかった。

 

「チーズ弁当か……一人じゃ辛いだろ。あたしも食べて良いか?」

「構わないわよ。ただし、ちゃんとなぎさに感想を言う事」

 

 なぎさの手作り弁当を貰おうなんて提案を聞いて、一瞬だけ杏子が殺されるんじゃないかと心配したのは、杞憂だった。

 まあ、空気的にはどれだけ恐ろしい物であろうと、彼女は巴マミだ。大切な友達に酷い真似をする女性ではない事は明白だし、心配するだけ損だろう。

 

 

「さて……今日のまどかのお弁当は……?」

 

 微かな安堵を自覚しつつ、まどかのお弁当箱の中身を見てみる。今日の献立は和風だったらしく、かまぼこが彩りとなっていた。

 

「美味しそうね」

「ええ、本当に美味しそう」暁美ほむらも同じ様にまどかの弁当箱を見て、微笑み混じりに言った。

「二人とも、食べてみる?」

 

 まどかによる善意と、少しばかりの期待が声の中に混じった提案だった。

 『今日も』、一品だけまどかが手作りした物が混じっている様だ。

 最近、まどかは料理に目覚めた……より厳密には暁美ほむらに食べて貰う事に幸福感を覚えたらしく、ほぼ毎日の様にお弁当の中の一品を自分で作っている。そして、毎日の様に暁美ほむらに食べさせるのだ。

 自分が作った事は隠しているつもりだろうが、暁美ほむらも、勿論、私も知っていた。おかずが口に入る瞬間、不安と期待と喜びの篭もった視線を向けてくるのだから、当然だが。

 

「うん、まどか。ありがとう」

 

 まどかの手作りを暁美ほむらが嫌がる筈も無く、嬉しそうに受け取っていた。

 

「貰って良いかしら」私も、貰っておく事にする。

「いいよっ、何か入れ物はあるかな……?」

「大丈夫よ。私の能力なら疑似的な容器くらい作り出せるから」

「そう? じゃあ、どうぞ……」まどかが箸で『それ』を掴み、私の前に出す。

 

 今日の一品は、ミニハンバーグだ。少し不格好だが、上手く出来ている。

 受け取ったミニハンバーグを空間の上に固定して、魔力で小さな容器の形を作り、その中に入れる。

 

「ありがとう」

「えへへっ、どういたしましてっ」

 

 嬉しそうに、まどかが笑っている。

 思わず笑みが浮かんできた。昨日、お父様に教わりつつも、手で一生懸命形を整えている姿を私は目撃していた。

 エプロン姿で「んっしょ……んー……」などと言いながら頑張る所は、悶絶するくらい可愛らしかった。私の様な存在ですら、悶死する危険が有る程だ。

 

「さ、みんなお弁当は出したわね?」マミの声が聞こえた。

 

 私達がまどかに集中していると、何時の間にか、全員が弁当を開いていた。

 まどかと暁美ほむらが、慌てて他の者達の方へ顔を向ける。

 全員、箸をちゃんと取り出していて、食べる準備はすっかり整っていた。ここに至るまで少しばかり時間を喰ってしまったが、問題は無い。既に、私が時間の経過を遅らせているから。

 

「よし、織莉弁を早い所食べないとね」

「こらこら、『いただきます』は?」

「だってさ、杏子」

「あ? ……いや、まだ食べてねーからな」

「佐倉さんだものね。心配にもなるわ」

「そ、そんな事無いんじゃないですか?」

「まどか、無理しなくて良いのよ」

 

 悪戯っぽい薄笑いを見せた暁美ほむらへ、杏子が食ってかかっていった。

 それを見ていた全員が笑い出す。杏子自身も、口元には笑みを浮かべていた。

 幸せだ。これが、幸せだ。今、まどかの顔に不幸は無い。ただ幸福な時間だけが有る。これこそが、私の存在意義を満たすのだ。

 

「さて、じゃあみんなっ?」

 

 マミが一度大きく手を叩き、自分の元へ視線を集中させる。先輩ぶらず、ただ自然な巴マミとしての己を見せつけて、自信に溢れた笑顔を浮かべる。

 存在感が抜群に溢れる雰囲気を演出しつつも、彼女は練習を詰んだ様に優雅な手つきで両手を合わせ、言う。

 

「いただきますっ」

 

 彼女の声が合図となり、他の全員が手を合わせる。ある者は大きな声で元気良く、ある者は静かだが楽しげに、口を開いた。

 

「いただきますっ!」

 

 全く同じ言葉だったが、篭められた想いは、一人一人が持つ固有の物だった。




サブタイトルは、『宇宙からの色』……『異次元の色彩』の改変です。

 ほむ魔は頭がおかしいです。でも、一番不味いのは、そういう存在でありながら凶悪な力を持っている事。暁美ほむらがさほど危険ではないのは、どれだけ大きな力を持っていても、それを人間社会を明確に変える方向で使う気は無い事。そもそもまどか☆マギカというのは人間社会とか、そういう面に関わる作品ではなく、「魔法少女が運命に立ち向かう物語」で、それが魅力となっています。だから、暁美ほむらはそう危険な人物ではないのです(武器の盗難は恐ろしい事ですし、そういう意味では暁美ほむらも危険人物ではありますが、まどかマギカの方向性としては、そこは重要じゃない)。逆に、ほむ魔は自分が世界を変える力を持っている事を自覚しているので、「まどかにとってより居心地の良い世界に変えていく」事を何一つ躊躇わないのです。一歩間違えればテロリズム的な方向性に流れる危険が高いんですね。
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