水に食ワレル   作:場理瑠都

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第14話

 もう大学に戻る用事もないから、古本屋を出て、電車に乗って、(天道先輩は、切符を二枚俺にくれたから、俺の往復にかかる出費はゼロだった)自分のアパートに戻った。

 アパートの建物が見える場所まで来ると、部屋の前に、小島さんが立っていた。

 驚いた。

 俺の存在に気が付いた彼女は、手を振ってきた。

 俺は、部屋の前まで、駆けて行った。

「部室行ったら、天道先輩と出かけたって聞いたから、来ちゃいました」

「待っていたのですか、ずっと」

「はい」

「どうして……」

「部屋にお邪魔したかったから、て、言ったら、怒りますか?」

「……」

 予想外の言葉に、絶句してしまった。

「駄目ですか?」

 無言で、俺は頭を振った。

 断る理由もない。

 俺は、鍵を鞄から取り出して、部屋のドアを解錠し、ドアを開けた。

「うわあ。綺麗な部屋ですねえ」

 綺麗に揃えて靴を脱いで、部屋に上がった小島さんの賛美の声に照れながら、ドアを閉じながら、俺は言いようのない不安と緊張に支配されていた。

 自分の自宅に女性を招くなんて、初めての経験だから。

 というのもある。だが、それ以上に。

 今日、天道先輩と交わした会話のこと。

 そのせいで、俺は、小島さんと、一緒にいることに、気まずさを、感じていた。

 だけど、部屋にあげることを拒否することも、出来なかった。

 彼女の訪問の意図は未だにわからないものの、俺は、彼女の望みを拒絶して、彼女に嫌われるかもしれないことを、何よりも恐れていたから。

 ドアを施錠し、靴を脱いで上がった俺は、小島さんに、声をかけた。

「その、お好きなところに、お座りください。今ちょっと、お茶を用意しますので」

「ええー。いいですよ。そんなのー」

「でも、せっかくいらしたのですから」

 手洗い、うがいをすましたあとで、俺は、冷蔵庫から冷たい麦茶を取り出し、紙コップに注いだ。

 俺の部屋には、小さなテーブルが一つある。

 テーブルに、お茶を置くと、小島さんが、声をかけてきた。

「生君」

「はい」

「天道先輩に、どこに連れられて行ったのですか?」

「・・・・・・隣駅の、近くにある、古本屋です」

「おじいさんがひとりでやっている店でしょう、そこ」

「・・・・・・はい」

 小島さんは、あの店のことを、知っている。

 それが、意味することは。

「私の時も、あの店に連れられて行ったのですよ。でも、天道先輩が電車代を払ってくれたから、私はお金を全然使いませんでした。そういうところ、私は好きですよ。あの人のこと」

 小島さんも、知っているのだ。

 天道先輩が、小説を書かなくなった、理由を。

 彼女が、俺に対して語ったあの残酷な真実を、小島さんも、聞いたのだ。

 俺は、小島さんの顔を見ることが、出来なかった。

 なんて言葉をかければいいのか、わからなかった。

「ねえ、生君」

「・・・・・・はい」

「天道先輩の言ったことについて、どう思います?」

「・・・・・・よく、わからないです」

 よくわからないってなんだ。

 お前が、これまでの人生で、何か一つでも、わかったことがあるのか。

 俺は、俺自身を、怒鳴りつけたかった。

「私と一緒なんですね。生君も」

「・・・・・・」

「私も、よくわからないのです。天道先輩が言う通り、一億年後も読まれるような小説でもない限り、書く価値なんて、ないのかもしれない。私は、永遠が欲しくて小説を書き始めたのだけど、それって無駄だったのかも」

「でも、先輩は、小島さんの書いた、『死を想え』を、褒めていました」

 俺は、ようやく、彼女を見ることが出来た。

「それって、一億年後も、読まれる価値が、小島さんの書く小説には、あるってことなのでは、ないでしょうか」

「……どうなのでしょう」

「きっと、そうですよ」

「でもそれは、天道先輩だけの、評価ですから。一億年後に、私の小説を読んで評価を下してくれる存在が、天道先輩と同意見かどうかは、わからないですから。仮に同じだとしても、一億年後に読まれるためには、その時代にまで残り続けなくてはならない。一億年が経過するまでの間に、数えきれないほど多くの人たちの読んでもらって、『この小説は後世に残す価値がある』と考えてもらわなくては、それは無理です」

「……」

「私は、こう思うのです。私が読んだらとても好きになった小説でも、歴史の中で読み継がれずに、忘れ去られていったものが、きっとたくさんあったのだろうなあ、て。でも、そんな小説が存在したかどうか、私は知ることが出来ないのです」

「・・・・・・」

 何を、言うべきか、分からなかった。

「ねえ、生君。今日私がこの部屋に来たのは、どうしても、生君に聞きたいことが、会ったからなのです」

「……なんですか、それは」

「水に、なりませんか?」

「水に?」

 言っていることが、わからなかった。

「どのみち、私にとって、小説を書くことに意味がなくなったのであれば、これ以上、ここにとどまる意味って、ないですから。でも、せめて、生君には聞いておきたかった。私と同じ存在に、なってくれるかどうかを」

「あの・・・・・・それって、どういう・・・・・・」

 次の瞬間、俺は、悲鳴を上げていた。

 小島さんが、青くなったからだ。

 肌のすべてが、青くなっていた。

 その青に、俺は、見覚えがあった。

 いつか、夢の中で見た、母さんの姿と、同じ青。

 水だ。

 小島さんは、水になっていた。

 俺は、駆けだした。ドアに向かって。

 ドアノブに、手が触れるか触れないかという瞬間に、俺は、意識を失った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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