水に食ワレル   作:場理瑠都

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第15話

 光が、遥かかなたから、揺らぎながら、俺に注がれていた。

 光を浴びながら、俺の体は、浮いていた。

 水の中に。

 水の中に、浮いているということが、俺にはわかってしまった。

 息が出来ない苦しさは、全くなかった。

 いや、そもそも。

 呼吸をしている、という感覚が、俺にはまったくなかった。

 呼吸だけではない。

 体の全身が、今ここに存在しているという感覚を、全く感じ取れなかった。

 まるで、映像の中で、水中に浮かぶ俺自身を見ているかのような、でもそれを見ている俺自身が今どういう状況にあるかというと、水中に浮いているような、そんな、矛盾した、状況。

 この世に生まれてから、初めて知る感覚だった。

 あるいは、俺はまた、夢を見ているのだろうか。

 それとも、俺は今、「死」を、経験しているのだろうか。

 これが、「死」なのか。

「いいえ。違いますよ」

 声が、聞こえた。

 温かい声。俺に、安らぎを与えてくれる声がした。

「小島さん?」

「はい」

「ここは、どこなのですか?」

 俺は、思い出していた。小島さんの姿が、俺の部屋で青い水でできたそれとなった記憶を。

 自分の見たものが、信じられなかった。

「貴方は、何なのですか?」

「私、水です。そしてここは、私の中です」

 何も、わからなかった。

 何も、言えなかった。

「私は、かつては、人間でした。でも今は、人間ではありません」

「・・・・・・」

「もう、ずっと昔から。高校生の時、祖母が死んだと、いつか、いいましたよね。あれは、嘘です。本当に死んだのは、高校生の時の、私なのです。高校三年の冬に、私は、自殺をしました。冷たい海に、飛び込むことで」

「……どうし、て」

「生きることから、逃げたかったから。生きるという苦痛に、耐えられなくなったから。どんなに一生懸命に生きたところで、最後は死しか残っていないという真実に、私は耐えることが出来なかった。そんなせつないだけの生という道を歩むことに、私は、耐えられなくなったのです」

「・・・・・・」

「きっと、生君なら、わかっていただけると、思います。私の気持ちが。だって、生君も、私と同じだから」

「……俺は、自殺を考えたことは、ありません。一度も」

「いいえ、生君は、生きることに、存在し続けることに、苦しみ続けています。あなたは、生きることが怖いのです。だって、あなたが恐れている水は、命そのものなのだから」

「……そんな、わけが、わからない」

「人間の体の七割は、水でできていることは、ご存知でしょう?」

「……はい」

「人間は、水なしでは、生きていくことが、出来ない」

「……」

「あなたは、あなたが生きていくために必要としているものを、恐れている」

 言われてみれば、そうだ。

 でも、だったらなぜ、俺は水を飲まずに死を選んだことが、これまで一度もなかったのだろう。

 そうすれば、恐怖から、解放された、はずなのに。

「それは矛盾なのです。あなたの水に対する恐怖は、水があなたを殺そうとしているという、あなたの認識に基づいている。あなたは、殺されることを恐れているから、死を恐れているから、水を恐れていた」

「でも、水がなければ、俺は生きていけない」

「それが、生きるということの、本質なのです」

「どういう、ことですか?」

「あなたは、自分で考えているような異常者ではない、ということです」

「……」

「生きるとは、苦しみです。その苦しみは、死があるからこそ、生じる。しかし、死とは何でしょう? 死とは何か、わかりますか?」

「死とは・・・・・・生きていない、ということです」

「そう、生きているからこそ、死は存在しうるのです。そもそも生きてさえいなければ、死ぬことだってあり得ないのですから」

「……」

 生きること故に、俺たち人は、死におびえなければならない。

 死の恐怖とは、即ち生きることから生じている。

 ならば、俺たちが本当におびえているのは、自分が生きているということそのものなのではないのか。

 俺は、水を恐れている。

 それは、「水によって殺される自分自身の生」を恐れていたのではないのか。

「そのことに、私はずっと前に、気づきました。その恐怖から逃れるためには、死の恐怖から逃れるためには、自ら命を絶つしかなかった」

「でも今、あなたは、俺と、話している」

「私が、水となったからです」

「……」

「水が生きている、というあなたの認識は、妄想などではない。事実、水は生きているのです」

「そんな、馬鹿な」

「みんな、気づいていないだけなのですよ。だけど、あなただけが、何故か、気づいていた。気づいて、恐れていた。本当は、私も気づいていたのかもしれません」

「小島さんが?」

「私は、小さな時から、海が好きでしたから。大きな海と一体になりながら死にたかったから、私は自殺の手段として、海に飛びこむことを選んだ。無意識に、気づいていたのかもしれません。水から出来ている私たち人間ならば、水と一つになることもできるはずだと」

「じゃあ……」

「冷たい海の底へ、いつまでもいつまでも沈んでいくうちに、私は、私の肉体が朽ち果てても、なおそこに『私』がいることに、気が付いた。私は、水となったのです。水の中には、大勢の仲間がいました。人がこの星に生まれて以来、途切れることのない時の中で、水は、水の中で死んだすべての人を、受け入れ続けてきたのです。水の中で、彼らは、生き続けている。水となった私たちは、蒸発して雲となり、雨となって大地に降り注ぎ川となることで、世界のあらゆる場所に、在ることが出来るようになった。私は水になってからも、あらゆるものを見てきました。この世に人が生きる限り、決して絶えることのない、悲しみと、争いと、喜びと、美しさを。そして……」

 この次に、彼女が言った言葉を、俺は、おそらくこれから、永遠に忘れないだろう。

「あなたに、恋をしたのです」

 

 

 

 

 

 

 

 

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