「逃げない?パンケーキを片手に逃げないとか言い出す奴、初めて見たんだけど」
「あーそりゃあそうかもしれねえが……」
至極真っ当な意見だ、パンケーキを乗せた皿を持った状態。
たこ焼き一つ注文しようとしている状況下、何処かどうやっても逃げないとか、かっこつけてる場合じゃない。なによりも、若干シュールだということも否めない。間抜けなのもそうだしな……。
「で、逃げたいとか言ってた奴が今更何のよう?」
何も言わずに、俺はテーブルの上に皿を置く。
音は無く、黙々と置かれていた……。
「なんのつもり?」
「一回食べてみてくれ」
「なんで私がアンタの粗末なパンケーキを食べなくちゃいけないの?」
粗末、か……。
数十秒前、微妙に記憶に残っていたことがある。皿を置いたとき、パンケーキが真ん中から徐々にズレて行ったこと。粗末だと言われる証拠なんて、言うつもりはないが何処か曖昧なものを表してるようだったんだ。
「なによ?急に黙り込んで」
「別になんでもない、お前が食べないなら食べなくてもいい。元々、それを期待していたつもりじゃないしな」
下手をすれば、食べて貰えない可能性だってある。
なによりも、食べるに値しないと言われた時点でもうこの手段は使えないも同然。なら、次の手を考えるしかない。
「……悪かったな」
茶色のテーブルの上に置かれていたパンケーキが徐々に俺の方へと引かれていく。
そんな当たり前のことを俺の手が実感していたんだ。
「やっぱ意味はなかったか……」
地味に力が入る。同時に、俺はパンケーキを作っていたときのことを思い出す……。
パンケーキを作ったあのとき、二乃が何を大事にしているのかに触れそうになっていたのは確かだが、その何かだということはまだ気づけてはいない。そこが重要なのは間違いない。が、これ以上ここに留まっても仕方ない。
「機嫌悪くさせて」
一つだけ言い残す。
背中や肩が見せる感情は、重たかったなんてのは俺には知る由もない。何も解決していない、あいつの心にも触れていないという現実だけが残ってしまう。
再び揺れそうになるパンケーキが視界に入りながらも、俺は去る……。
「待ちなさいよ」
「待ちなさいよ」
去ろうとした瞬間、だった。
返って来たのは二乃からの言葉。震えもない、苦しさもそこにはない。
ただただあるのは……。
あいつらしい素直な感情を言えないそれそのもの……。
「そうか、じゃあ下げるのはやめておく」
「五月蠅いわね、一言多いのよ」
「じゃあ、一言言われる前に食べればいいんじゃないのか?」
「そうね、アンタがセミみたいに五月蠅くなる前にいただくわ」
「俺の一生は一週間だって言いたいのか……」
「知らないわよ」
自分から話を振っておいて。
黙ってろみたいな感じで話を終わらせて来る。
なんともまあ、二乃らしいと言えばこういうあいつを久々に見れて肩の力が抜けていた。
口にしてしまえば、あいつはきっと……。
「聞こえてるわよ、ソラ」
「すまなかったな、二乃……」
「そうね、大したことないパンケーキね……」
「アンタの……」
◆◆◆◆◆◆
本当だったら、こいつが作ったパンケーキなんて一口も食べたくなかった。
あのまま、ソラが引き下がるような男じゃないのは知ってる。ウザいから攻撃的になる前に食い下がったなんてそんなつもりじゃないと自分に言い聞かせたかったわ。
『俺は美味しかったと思うぞ、お前が作ったパンケーキ』
平然と言っていたわ、あいつは……。
いつだってそう。ヘタレなくせして、涼しい顔をして目の前に立ってる。そういうところが苛つくし、本当は面倒だから関わりたくないのよ。あんな奴なんて大嫌いとすら言い切ったときだってあるんだから。
「なにジロジロと見てるのよ」
なのに、私はあいつが自分の中に入りこんできたことをまた許してしまった。
靴も履かないまま、踏みいれたあいつ。それをさも当然かのように口元を緩めてるように見えてしまう。そんなあいつの態度が気に入らないはずなのに……。
「いや、大したことないって言ってた割によく食べてるなって」
「残す方がありえないだけよ」
守りたかったのかも。
自分の気持ちにこれ以上踏み入れて欲しくなかったから。絶対、ソラは私がどうしてパンケーキを食べ続けていたのかなんて当てることは余裕でできるから。
「そういうことにしといてやるよ」
言葉にしなくても、こうやって顔を無理矢理でも向き合わせようとしてくる。
あいつの存在が、眩しいぐらい。気持ち悪いぐらい通気性がないから全部こっちに向けて来るからウンザリしたかったのに、私は……。
「変わらないわね、アンタは……」
発してしまう、言葉を……。
自分の正直な気持ちを……。
「お前、俺のこと前に変わったとか言ってなかったか?」
「……言ってないわよ」
自分の腕関節辺りに、自分の手を感じる。
何処か自分の感情を浮かべてそうになってる私は、言ったことを覚えてる。
林間学校が終わって、こいつと絶縁してたのに。
ソラが会いに来たとき、様子が明らかに違ったから、何があったのかは確信してた。
それだけじゃない、優莉と再会してからも。
その後もあいつは全然人が違ってた。
「言っておくけど、ヘタレなところは全然変わってないから」
「はいはい、ヘタレですまなかったな」
憎まれ口を叩かれようが、どうでもよさそうにして返して来る。
そういうところは嫌いじゃないし、寧ろはっきりと言い返して来るから私としてもやりやすい。こういうところがあるから、多分私はソラに心を開きたくなる。どれだけ閉ざしても……。
「それより、パンケーキ全部食べたんだな」
パンケーキがなくなった皿、少し残されたはちみつ。
口元に残るは微かなバターの後味と、ふんわりとしていた生地。
「それで、改めてどうだったんだ俺のパンケーキは?」
「そうね……」
「お母さんが作ってくれたパンケーキの方が断然美味しかったわ」
フォークを置いて口を開いて言ってしまう。
しつこさに観念したからじゃない。ソラのパンケーキを食べて思い出したことがあったから。
いつしか忘れていた感情。
このふわっとした生地が何処かお母さんのことを。
なによりもこのパンケーキを食べて……。
ソラの料理を初めて食べたときのことを思い出していたから……。
本当、私もめんどくさいわ……。
ソラだったら、五月が言っていたことの話をちゃんと聞いてくれるかもしれない。
『お父さんが学園祭に来るかもしれない、そうなんです』
『あの人が……?」
期待してしまっている私がいるんだから……。
◆◆◆◆◆◆
母親が作ってくれたパンケーキ……。
二乃達の母親は確か、零奈さんという人だったか。教師だったこともあって、父さんとも親交があった話は下田さんから聞かされたこともあった。
いや、今はそこよりも……。
「二乃にとってパンケーキに拘る理由はそういうことか?」
答えようとしない。
というより、答えたくないが近いんだろう。自分から話したものの、簡単に口にしてやるもんか。そんな二乃らしさが出ている。昔の俺だったら、ここでめんどくさいとか感じて退いていただろうな。
「断然、美味しかったってのはそういうことだろ?」
「俺のパンケーキは大したことなかった、それは母親の愛情が入っていたのも勿論だが。お前らにとって思い出の象徴でもあった。だから、俺のは程遠い。そう言いたいんだろ?」
「……そこまで言ってないわよ、なんでそこまで卑屈になるのよ」
口を小さく開けてしまう俺。
珍しく否定してくる二乃があまりにも意外だったからだ。
「三玖がパンケーキの屋台やりたいと言ってたとき、かなり否定してたよな。あれ理由あるのか?単に思い出がどうとかじゃないんだろ?」
他にも理由があるはず、なんてのは俺の推測でしかないが。
三玖がやる気を出そうとしてたとき、明らかこいつは反対するような言動が多かった。
頭ごなしということはしていなかったが、苛々していたときもあった。頭を冷やす為に、五月と交代してもらうことすらあったのも知ってる。
「五月が言ってたのよ、あの人が学園祭に来るかもって」
「あの人?」
「お父さんのことよ、私は来るわけない。あの人は絶対来ないと言い切ったのに、あの子はもしかしたらとか言い出して、聴かなかったわ。本当にもしかしたら、なんてことがあり得るかもしれないけど。私は信じたくなかった」
「信じて、何度も裏切られたからか?」
不意に二乃が黙り込む。
しかし、何も発していなくても感情がそこにはあった。
二乃は図星だったのか、俺の目の前で徐々にパンケーキを作る手が疎かになっていたからだ。
「悪い、二乃のこと一旦借りていいか?」
「え?ああ、まあ全然構わないけど」
疎かになってるからでもない。
ここで話しても、邪魔になるからじゃない。俺が重要だと信じようとしていたのは……。
「悪い、それじゃあ少し借りていくから」
ここに留まること自体が愚策だろうし、積もる話も多くなるだろう。
なによりも、目の前のテントの暗がりが俺にとっては二乃の感情を姿として形作っているようだったんだ。だったら、もうやることは一つしかなかった。見てられなかったのもあるしな。
「ほら行くぞ、二乃」
手には温かい何かを感じてしまう。
意識しないようにしていたが、テントに居た奴らが黄色い声を出しているのを耳を通っていたせいで、俺は余計意識してしまう。
「あ、アンタなにしてるのよ!?」
「いいから、ついてこいって……」
俺の感情を揺らさないでくれ。
自分でやっておいてこんな後悔を積もらせるのは明らかにおかしいが、それでも実際に言われると俺はどうにかなりそうでくすがかったんだ。
「手逃げる必要ないでしょ!」
「言うんじゃねえよ、それ!」
「自分から手を繋いでおいて、その態度って……。アンタって本当にヘタレね」
「いいだろ別に、これから男らしいところちゃんとお前に行動で示してやるからよ」
「何処行くのか、答えなさいよ」
「親父さんのところだよ」